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2009年10月24日

休日・夜間診療所へ

 まいりました。午後2時頃から腹がふくれて、パンパンになり、夕方になったら、痛くてがまんできなくなりました。どうもポテトフライを食べたのがいけなかったようです。夜の6時半過ぎに家を出て、上越休日・夜間診療所で治療してもらってきました。

 担当医からは「張っていますね」と言われ、点滴をしてもらいました。自分以外の点滴は何度も見てきましたが、自分が点滴されるのは初めてです。液体がポツッ、ポツッと減るのをじっと見ているのもつらいものですね。おかげで痛みは和らぎましたが、明日、今晩の担当医の経営する医院に来なさいとのこと。単なる一過性のものなのか、それとも内臓のどこかに異変が起きているのか、調べてもらうことになりそうです。

 休日・夜間診療所は発熱した人などが30人ほどいて、にぎわっていました。なかには吉川区から駆けつけた人もいて、子どもさんの具合を心配しておられました。9月議会で休日・夜間診療所の運営経費が増額補正されたので一度は診療所の状況を見ておきたいと思っていましたが、まさか、自分がかかることになるとは……。

2009年10月25日

胆石が原因か

 ご心配をおかけしました。きょう、腹痛の関係で、午前11時より約2時間半にわたって医師からいろいろな検査をしてもらいました。憶えているものは……腹部エコー、レントゲン、胃カメラかな。結果は胆のうにある胆石が問題だということです。どうもこれが昨日からの痛みの原因のようです。

 肝臓に肝のう胞と脂肪肝があることもわかりました。このうち、肝のう胞は以前からあって大きくなっていないので問題はないということでした。胃カメラの検査では胃がかなり荒れていて、一部に生検する必要がある部分があるということで、新潟で分析してもらう手はずをとってもらいました。10日後に結果が出ます。

 検査後、医院を出て、バス停めざして30分ほど歩きました。そうしたら、お尻から次々とガスが出て「大爆発」。これでお腹の張りはほとんどなくなりました。今晩は酒は飲まないように、という医師の指示でしたのでがまんしています。食事は軽いものはなんでも食べられます。

2010年04月30日

川の手荒川祭り

 昨日の朝2時に吉川区を出て東京へ行き、本日の午後4時前に帰ってきました。吉川区と友好関係にある荒川区の「川の手荒川祭り」に初めて参加してきたのです。吉川区からはコメや山菜、チマキなどの特産品を大量に持ち込み、荒川区民の方々と交流してきました。

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 さすがは都会です、祭りの会場には数万人(ひょっとすると10万人を超えたかも)の人が繰り出しました。吉川区から参加したメンバーは東田中生産組合、杜氏の郷職員、JAえちご上越の職員など総勢15人。午前10時の開会から午後4時近くまでテントのひとつでひたすら物産の販売活動です。人気のトップは現地精米のコメ、人の列が出来てお昼頃には売り切れてしまいました。採れたてのウドも早かったですね。それに続いたのは笹団子、チマキかな。すごいなと思ったのは現地販売スタッフのパワーです。自分の持ち場の物産販売が終了すると、他の物産販売の応援です。大きな声でお客さんに声をかけ次々と売り込む姿は商売人に負けません。私は酒類の販売担当です。「よしかわ杜氏」の辛口、にごり酒などを持ち込みましたが、午後からは全員がこの販売で総力をあげました。立ちっぱなしだったので、終わったら、足がパンパンに張っていましたね。

 お客は荒川区の人たちだけではありません。東京吉川会の平山会長や高倉さん、小泉さん、布施さん、法政コメコメクラブの田中先生、安田さん、星山さん、小林さんなども駆けつけてくださって、懐かしい再会が実現できました。みんな、吉川区の応援に来てくださったのです。日暮里で商売をしている高倉さんは顔なじみの人が通ると声をかけ、吉川区の「特別販売員」として大活躍してくださいました。みなさん、ありがとうございました。

 橋めぐり、歌舞伎座

 今朝は朝5時15分に起床。宿泊した築地の厚生会館のそばにある勝鬨橋を渡り、西仲橋、佃大橋をまわってきました。最近はよそへ出かけても「橋」が気になります。どこの橋も個性があり、発見があります。勝鬨橋では車道と歩行者道の分離帯にこの橋ならではのデザインがありました。橋が開閉する一こまひとこまを数か所で紹介してあったのです。

 今朝は川沿いを歩いたのですが、ここは隅田川の河口から1キロ前後の上流です。流れの音は川というよりも海の波の音に近いと感じました。月島川水門付近ではソメイヨシノの花を数個見つけました。まだ、咲いていたのです。懐かしく、うれしかった。

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 西仲橋の上から水門方向を撮った写真です。勝鬨橋が出来るまでは、ここには「渡し」がありました。それらの案内板を一つひとつゆっくりと読みました。河口に近いとあって、この辺の災害対策では津波を想定した取り組みがあちこちでされていました。津波対策を考えたスーパー堤防、水門などは初めて見ました。みんな、勉強になります。朝食前の散歩は2時間15分もかけて楽しみました。

 朝食後は女性メンバーの人たちと築地市場、さらには歌舞伎座へと歩きました。市場にはなんでもありです。カタクリやタラの芽などもたくさん並んでいて、「ここへ持ってきて、この値段で売れれば大儲けだねや」などと言う声も出ました。ここでは、土産品として佃煮、海苔などを買い求めました。それにしても観光客の数がすごかった。

 歌舞伎座は60年ほど前に建てられて、きょうが最後というニュースが流れていました。歌舞伎座近くへ行くと、カメラを持った人たちが大勢見物に来ていました。偶然とはいえ、特別の日に訪ねることが出来て得をした気分になりました。

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2010年05月31日

吉川高校百年記念卒業生の集い

 昨日は「吉川高校百年記念卒業生の集い」に招かれ、東京まで出かけてきました。終わってから私用で残り、最終電車で帰ってきました。東京へ行けば必ず寄る、八重洲のブックセンターにも行ってきました。

 「吉川高校百年記念卒業生の集い」は吉川高校同窓会東京支部の主催です。この集いには東京支部の人たちだけでなく、地元から大型バスを仕立てて38人が上京したほか、同窓会東海支部の幹事さんたち、吉川高校最後の校長、教頭なども参加し、130人を超える盛大な会となりました。

 集いでは、吉川高校同窓会東京支部長の竹内昌昭さんが挨拶、母校を思う1200名からの人たちに案内状を出し、その際、「今後も案内をしてほしいか」と尋ねたところほとんどの人たちが「案内をほしい」と回答してきたことなどを披露しました。竹内さんは写真撮影などでも精力的に動き、大活躍でした。同窓会長の小林昭三さんは、この日のために大正4年にまとめられた「御大典記念号 甲篇 学校要覧」を小冊子にまとめ印刷製本したものを記念品として用意した経過などを語りました。この冊子は、中頸城郡立吉川農業学校の貴重な資料であると同時に、当時の郡内の農業などの状況を知るうえでも役立つものです。また、吉川区総合事務所長の八木辰正さんは来年開校する吉川高等特別支援学校(仮称)の準備状況や今年の豪雪などについて近況報告をしました。

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 今回の集いでうれしかったのは東京吉川会などですっかり顔なじみとなった人たちや時々励ましの手紙をくださる元醸造科の卒業生の人たちと会えたことです。いま、私が住んでいる吉川区代石出身の人たちとは記念写真を撮りました。みなさん、代石在住の兄弟、親とよく似ておられますね。

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また、「ホームページを毎日のように見ていますよ。尾神岳の写真がいいね」「あなたの書いた本はみんな読んでいます」などと声をかけてきてくださった方が何人もおられ、感激しました。そうそう、上野の動物園で働いておられた尾神出身のSさんにも初めてお会いしました。「ホーセです。照義の長男です」というと手を握って喜んでくださいました。

 集いの最後は「北国の春」の大合唱でした。壇上で、歌わせていただきましたが、最後までいい雰囲気でした。母校が同じであることで絆を強め、励まし合って生きていくっていいものですね。

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2011年08月18日

「災害と議員活動」講演会

 災害時の議員活動、議会の活動はどうあるべきか。きょうは明治薬科大学剛堂会館で講演会がありました。主催は地域科学研究会です。日本自治創造学会理事長の穂坂邦夫さんや浦安市議の末益隆志市議らとともに講演してきました。

 私は今年、上越市で発生した豪雪災害、地震災害、水害のなかでどういう活動を進めてきたか、災害時の議員の果たすべき役割などについて話をさせてもらいました。大合併の中で災害対応はどうなったか、党派を越えた活動、二元代表制のもとで議会も災害対策本部をつくって災害対策を進めていくことが求められているのではないかなどについての発言は注目してもらえたのではないかと思います。

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 穂坂さんなどの講演から学んだことは、「行政は制度内で考える癖がある。それを変えていくのは議会の仕事だ」「議会による住民主導の復旧・復興計画の取りまとめが求められている」ことです。市議会としての活動が住民に見えない、議会は何をしているのかという声が多くある中で、きょうの講演会は、今後の活動の方向性を示すことができたのではないでしょうか。

 会場の参加者との意見交換会では、「行政は上級官庁に弱い。議会がまとまって、国や県に対してピシッとものを言うことが必要だ」「災害時、マスコミは読者受けする記事を書きたがる」「議員の姿は見えても、議会としての動きが見えない」「災害情報をどう発信していくべきか」「押しつけではない住民主導の計画づくりが求められている」などの発言が続き、活発なものとなりました。

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2011年09月13日

刮目すべき新しい変化

 先日の「しんぶん赤旗」に「刮目」という言葉が載っていました。辞書で調べてみると、「目をこすって、よく見ること」「注意して見ること」とあります。きょうの「しんぶん赤旗」日刊紙1面には、日本共産党が岩手県議選で初の複数議席獲得し、陸前高田市議選では党候補が2位、3位、4位で当選したことが報じられていました。まさに「刮目すべき新しい変化」と言ってよいでしょう。

 きょうの日中は、岐阜大学の自治体研究者の方の視察受け入れ準備、一般質問通告書の準備でほとんど終わりました。厚生常任委員会の傍聴はほんの1時間ほどしかできませんでした。視察受け入れ準備で一番困ったことは、数十年前の資料探しです。昭和30年代の公民館活動を伝える写真があったはずだと一生懸命探しましたが、やはり見つかりませんでした。こういうものは出合った時に、すぐ保存しておかないとまた行方不明になりますね。

 夜も会議でした。こちらは党関係の会議です。ここでも「刮目すべき新しい変化」について話をさせてもらいました。東北での中間地方選における日本共産党の躍進だけでなく、福島県復興ビジョンなどにみられるような政策的な変化もとりあげて説明しました。この変化はいうまでもなく日本各地に出てきています。上越であげれば、原子力災害対策でしょうか。

2012年07月22日

浜松市で自治体学校

 昨日から2日間、静岡県浜松市で開催されている第54回自治体学校に参加しています。上野公悦議員と一緒です。

 自治体学校は地方自治の様々な問題を自治体職員や議員、研究者などが学びあう場。今回の学校長は『集落再生と日本の未来』(自治体研究社)の発行以来お付き合いをさせてもらっている徳島大学の中嶋信名誉教授です。中嶋教授は、フランスの詩人、ルイ.アラゴンの詩の一節、「教えることは希望を語ること/学ぶとは誠実を胸に刻むこと」を引用し、「自治体学校は希望を語り、誠実に学ぶ人の共同体だ」と訴えました。

 昨日はアクトシティ浜松・大ホールでパネル討論と総括講演が行われました。このうちパネル討論では、「みんなでつくるホンモノの地方自治」をテーマに学校給食現場で働く宮下早紀子さん、福祉事務所で働いている渡辺潤さん、商工業者の運動をやっている印刷屋さんの服部守延さん、ふくしま復興共同センター事務局次長の小川英雄さんがそれぞれの分野の実態を報告するとともに、自治の在り方を語り合いました。コーディネーターはNPO地域づくり工房の傘木宏夫さんでした。

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 印象に残った言葉をいくつか紹介したいと思います。まずは浜松市の宮下さんの言葉です。「大合併の中で現場が見えにくくなっているのではないか。議員も本当のことを知っている人が少ないのでは……。民間委託が進む中で、野菜が煮えていないものがある、お焦げがあることもある、本当にそういうことがあるのかという質問があったが本当です」。上越市ではいま、総合事務所や木田庁舎などでの職員定員管理が大きく動こうとしていますが、「現場をしっかり見る」「現場がちゃんと見える」仕組みづくりの大切さを再認識しました。

 福島の小川さんの言葉。「決定的に遅れているのは生業の再生だ。6万人が仕事を失っている。賠償と共に仕事を。メガソーラーでなく、もっと小さな太陽光発電などを動かしながら仕事を生み出せるのではないか」「36年前、安田さんなどが福島原発差し止め訴訟をやった。その時に言っていたことが全部事実になった。誰でも参加できる原発ゼロの運動をしていきたい」。小発電と雇用確保についてもっと深く勉強せねばと思いました。36年前の福島原発ストップ求める訴状、これも読んでみたい。

 稲沢市の服部さん。「経済活動を維持する役割を担うのは、農家や商工業者、地域金融機関、そして地方自治体だ。これらの経済主体が地域内で繰り返し投資を行うことで、ヒト・モノ・カネが循環する社会が実現する。中小企業振興条例は重要だ」。岡田知弘京大教授と同じ「地域内再投資力」理論を地域で印刷屋さんをやっている人が語った。これはすごいことです。

 もう一人、東京は大田区の渡辺さんは言葉より歌で強烈な印象を残しました。今年1月札幌市内で40代の姉妹が病死・餓死した事件は記憶にあると思います。本来、命を守る砦であるはずの福祉事務所が「市民の命を奪う」ことにつながる対応をした。この二人の死を無駄にしてはいけない、本当の絆が地域、行政にあればという思いで、「傷名(きずな)」という曲を作り、大ホールで披露したのです。こういう討論の場で歌を歌う人がいるとは……。歌詞も歌唱力も抜群でした。

2012年11月05日

東京吉川会20周年記念総会

 もう20年も経つんですね。東京吉川会が設立されたのは1993年の10月16日でした。上野の東天紅で懐かしい顔と出会った時はうれしかった。そして、会を重ねるごとに顔見知りも増えて、この会を契機に新たに交流を始めた人も何人もいます。昨日はスクワール麹町で記念総会と懇親会が行われましたので、参加してきました。総合防災訓練も出なければと思っていたのですが、現在、吉川区在住の議員は私だけですので、東京へと向かいました。

 冒頭、会を代表して挨拶された平山勇会長は、設立総会からの思い出を語り、改めてこの会の目的をのべました。会の目的は2つ。ひとつは会員の親睦をはかること、もうひとつは故郷吉川との交流です。思いを新たにして会を継続していこうと呼びかけられました。会では近く、故郷吉川へのバス旅行も計画されているそうです。来賓を代表して挨拶した山岸副市長は、「会をつくることも大変だが、それを維持していくことの方がもっと大変だ」とのべ、これまで会発展のために努力してきた人たちをたたえました。写真は郷人会は初参加という山岸副市長です。平山会長の写真は目をつぶっておられたので、掲載できませんでした。お許しください。

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 懇親会では賑やかに交流し、楽しみました。今回の特別出演は上越市出身の歌手であり、マジシャンである愛タマミさん。舞台は私の目の前でしたので、至近距離で見た芸が見事でした。写真は椅子を持ち上げているところです。どれくらいの重量かですって、それは想像にお任せします。

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 会場を回ったら、何人もの懐かしい人と再会しました。幼友達の達子さんは、半入沢の出身、お宮で一緒に遊んだ仲です。尾神の杉田勝雄さんとは40年ぶりくらいでしょうか。話をしているとき、ずっと目を見ていたら、おふくろさんと同じ目であることがわかり、一気に昔のことを思い出しました。会を通じて親しく交流させてもらっている国田出身の片桐さん、お連れ合いが体調をくずされているとのこと、いつもより元気がなかったので心配です。うれしそうに親戚の人のことを語ってくれたのは米山出身の丸田さんです。福井県越前市出身で夏のオリンピックのフェンシング競技に出た中野希望(のぞみ)選手はいとこの子どもさんだったんですね。びっくりでした。彼女の越前の叔父さんは父の同級生です。写真を見せてもらって、父も生きていればこんな感じになったかなとうれしくなりました。

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 20周年企画として、みんなが参加できるように、福引がありました。吉川からのプレゼントの一つは、歌です。10数年前だったと思いますが、NHK新潟放送局の小野アナの父親である小野英雄さん作詞、作曲の「ありがとう棚田さん」を持ち込み、歌いました。この曲は大好評で、帰りのバスの中でも繰り返し歌いました。下線部をクリックすると歌が流れてきます。

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 市政レポート1577号、「春よ来い」第225回、「寝小便」をホームページに掲載しました。

2012年11月16日

ようやく自宅での通信可能に

 カミナリによって昨日の朝から通信できませんでしたが、ようやく復旧しました。今夜、会議が終わって帰ってきたら、これまでのことを含め書き込みします。

2012年12月04日

通信不能

 雷が落ち、またパソコン通信が出来なくなりました。

2012年12月05日

パソコンによる通信回復

 昨晩から不能となっていたパソコンによる通信ができるようになりました。ご迷惑をおかけしました。修理をしてくださった人によると、わが家は雷の通り道なんだそうです。

2013年01月08日

新随想集の準備に着手

 きょうは地元のカメラマン、平田一幸さんに会いました。今春に発刊予定の新随想集のカバー写真などをどうするかについて話し合いをしたのです。まだ、どんな話を本の中に入れるか最終決定していないのでむずかしい面もありますが、私としては、春を目指した「希望を感じる写真」にしたいとお願いしました。きょうの話では、昔と違って、いまは人物写真が撮りにくくなったという話から始まって、風景写真と人、撮影タイミングなどについていろいろ教えてもらいました。夜明け前の、30分くらい続くブルーの空をバックに撮った桜、吹雪の中、マント姿で歩く人を撮った話など、とてもおもしろい話でした。

 このところ、読みたい本が溜まっています。総選挙で読むことをすっかり忘れていたのは片山ユキヲの漫画、『花もて語れ』第6集。この集には郷土の児童文学者、小川未明の『野ばら』の朗読のことが載っています。『野ばら』は戦争をしてはいけないことをやさしく訴えた児童文学です。未明の文体は少々凝っていて、朗読するにはむずかしいと思っていましたが、そのむずかしさを超える朗読術がこの漫画には描かれています。政権が代わり、再び平和を求める声を大きくしなければならなくなっているときに、いい漫画本が出たものです。

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 夜は党会議でした。4日の党中央委員会の旗開きでの志位委員長のあいさつと上越地区党の方針についての報告を聴いたのち、総選挙結果やその後の動きについて、意見交換しました。

2013年02月18日

旧板倉町議、長嶺雄二さん亡くなる

 悲しいお知らせです。がんと闘っていた旧板倉町議の長嶺雄二さんが今朝亡くなりました。長嶺さんとは町議時代から同じ日本共産党議員仲間として付き合いをさせてもらいました。とても真面目な人で、しっかりとした論理的な思考をすることのできる人だなといつも感心していました。残念です。

 長嶺さんは昨年3月の板倉区の国川の大規模な地滑りで自宅を失いました。私も家族の方と一緒に見ていたのですが、リフォームしたばかりの家がミシッ、ミシッという音とともに押しつぶされていくのはとても辛いことでした。

 先日、上越地区労連の旗開きがあった際、地区労連事務局の仕事をされているお連れ合いが、「これから出かけてくるからねと(夫に)言ったのだけれど、握った私の手を離してくれず、指を一本いっぽん離してやっと出てきたの」と言いながら涙を流しました。その時、別れの時間が迫っているなと直感しました。

 葬儀には参列し、ご冥福をお祈りしたいと思っています。お通夜は本日午後6時から、告別式は明日19日の午前10時から。いずれもJAえちご上越の「虹のホール あらい」にて行われます。
 

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