ありがとう吉川町、よろしく上越市〜町民体育館で閉町記念式典

 2004年11月28日。この日、新潟県中頸城郡吉川町は閉町記念式典を行いました。1955年3月31日に源村、吉川村、旭村の大部分が合併して誕生した吉川町は49年9ヶ月の歴史を閉じ、2005年1月1日、柿崎町、大潟町などとともに上越地域14市町村で新上越市をつくることになりましたが、これを記念しての集いです。町民体育館に集まったのは、各団体役職員、各集落の事務連絡員など総勢300人ほど。ふるさと吉川を想う一日となりました。

 開式に先立ち、記念ビデオが上映されました。ふるさとのシンボル・尾神岳、緑豊かな吉川町の風景などが紹介されると、参加者の目がそこに注がれます。これまでの吉川町を振り返るコーナーでは、新潟県自由民権運動の発祥の地にふさわしく、まず、代石生まれの偉人・鈴木昌司の写真が大きく映し出されました。続いて町史に足跡を残した歴代の町長や議会議長の姿も。町が誕生してからの町民の生活、町の施策、歴史的事件は、何枚もの貴重な写真で紹介されました。ビデオの最後を締めくくったのは明日の吉川を担う子どもたちです。元気いっぱいで、明るい笑顔が町民を励ましてくれました。

 式辞に立った角張町長は、「吉川町は半世紀にわたり先輩諸氏が営々と築いてきた。今回、自主自立の町づくりをいっそう発展させるために合併した。新しい分権時代にふさわしい町づくりにご尽力をお願いしたい。泰然自若とわが吉川町ここにあり、未来永劫に突き進むよう願っている」とのべました。来賓代表の新潟県上越振興局長・村山秀幸氏は、「50年いろんな面で頑張ってきたなという思いがする。きょうの式典は、新しい町づくりが始まっていくんだと決意していく場。新たな上越市の魅力を高めるために奮闘してほしい」と訴えました。

 小中学生代表の作文発表は、これからの吉川町に生きる決意を示すものでした。吉川小学校6年の平山理陽さんは、「田んぼの学校などで吉川町の良さを知った。これからも吉川町の良さに触れられればいいなと思う。これから新しい仲間と出会うことになるが、もっと吉川町の良さを知ってもらい、来てもらいたい。ありがとう吉川町、よろしく上越市」と語りました。吉川中学校3年の小田徹也さんは、「たとえ、吉川町の名前が変わったとしても、大切なのは、目標に向かって一生懸命取り組む姿勢を変えないことではないか」との考えを披露しました。

 式典後のアトラクションは日本人二胡奏者・野沢香苗さんの演奏と民謡歌手・大塚文雄さんの歌声でした。野沢さんはオリジナル曲のほか、「シルクロード」「ラストエンペラー」のテーマ曲などで観客を魅了しました。大塚さんは、さすが「民謡界の大御所」、力強い唄を披露するとともに語りでも観客を楽しませてくれました。「最上川舟歌」「花笠音頭」などで伝わったのは「ふるさと」の素晴らしさでした。楽しみながらも、涙を流した人が少なくありませんでした。
(11月28日)



新上越市農業委員会に3つの農地部会設置へ
 吉川総合事務所には農業委員会の駐在室

 来年1月1日に統合することが決まっている上越地域の14市町村農業委員会の会長・事務局長会議がこのほど開かれ、統合後の農業委員会体制について協議しました。この結果、注目の農地部会については管内に3つ設置することとし、新たに農業委員協力員制度を設けることでも合意しました。

 吉川は頸北4町村で構成の農地部会に

 新市の農業委員会においては、農地部会と農政部会を設置することをすでに確認していました。

 このうち農地部会は農地の所有権、耕作権などの権利移動・設定などについて審議する重要な機関。農地を宅地などに転用する申請についても、まずここで審議します。

 今年5月の法律改正で農地部会設置は置いても置かなくてもいいことになりましたが、広大な面積をかかえる新市農業委員会にとっては、できるだけ現地の状況が分かる体制を確立することが求められ、農地部会をいくつ設置するかが焦点となっていました。

 今回設置が確認された農地部会は、下記の3つの地区で立ち上げられます。
@いまの上越市と名立町(上越名立地区)
A柿崎町、大潟町、吉川町、頸城村(頸北地区)
B中郷村、板倉町、清里村、三和村、牧村、安塚町、浦川原村、大島村(頸中東頸城地区)

 それぞれの農地部会の構成員は選挙委員が10名から15名、選任委員が各2名となります。ただし、合併特例法の適用が終わる来年4月28日以降については、選挙委員定数が減るため、各地区の委員数は若干、変わります。

 農業委員一人当たりの担当地区面積は460ヘクタールに

 今回の統合によって、農業委員の1人あたりの担当地区は、現在の103haから460haに拡大します。このため、各集落に農業委員協力員を設置し、農地情報の提供や委員会発行の印刷物配布などをお願いすることになりました。

 これまでの協議では、農地パトロールや生産調整の推進・確認までもが協力員の任務として提案されていましたが、「農地法に抵触する可能性がある」などの批判が相次ぎ、今回、こうした任務はすべてカットされました。

 農業委員協力員は農業委員会長が委任し、任期は1年。各協力員には、若干の委託料が支払われます。実施は来年の4月からの予定です。

 また、今回の協議で各総合事務所(支所)に農業委員会駐在室を設置することが決まりました。吉川駐在室には、室長のほか係員若干名が配置されます。いずれも産業・建設グループ職員の併任(かけもち)という形です。 



地域協議会委員は住民が選んで市長が選任する形に
 上越地域14市町村の第3回地域自治組織検討会

 上越地域14市町村合併に伴う地域自治組織検討会の3回目の協議が8日、上越市の市民プラザで行われました。
 今回の検討会では、地域自治区の設置期間を5ヵ年とすることなど地域自治区設置に関する重要事項が次々と合意されました。地域協議会委員の報酬については、「支給しない」となりましたが、実費弁償という名目で一律に一定額を支給することに。残った問題は、地域自治区に区長を置くかどうかだけとなりました。
 区長を置くかどうかの問題では、きょうの会議で、事務局が「地域自治区の事務所に、事務所の長を置く」と提案する予定でした。ところが、事務局が提案する前に牧村の中川耕平村長が挙手、「11日に13町村の首長会議をやるので待ってほしい」と発言しました。これに対して大潟町の議会代表、住民代表委員が「なぜすぐやれないのか」「これまでの(首長会議の)経過を紹介してほしい」などと反発、会場は一時緊張した空気に包まれました。
 いくつかのやりとりの後、中川村長の提案が了承されましたが、今後の協議のやり方次第では、合併協議会の新市建設計画協議などで見られた「上越市対13町村」の対決構図が再現する可能性も出てきました。それを避けて合意に到達するためには、まず住民に情報を公開し、住民の声を聞くことです。その上で、各自治体の考えをまとめる。そして市町村間協議をすすめるといった手順を踏んでほしいものです。


 【今回の検討会で合意した主な内容

◎地域自治区を設ける期間は、平成17年1月1日から平成21年12月31日までの間とする。

◎事務所の位置は、現在の各町村役場の位置とする。

◎事務所の名称は、○○区総合事務所とする。

◎地域協議会の委員の任期は4年とし、再任を妨げない。最初に選任される委員の任期は、選任の日から平成20年4月までの間だとする。

◎地域協議会の会長及び副会長は、地域協議会の会議において、委員のうちから選任し、または解任する。

◎市長は、市の施策に関する重要事項のうち次に掲げる事項を決定し、又は変更しようとする場合においては、あらかじめ、地域協議会の意見を聴かなければならない。@地域自治区の区域内の重要な施設の設置及び廃止
A地域自治区の区域内の重要な施設の管理のあり方
B市が策定する基本構想等のうち、地域自治区の区域に係わる重要事項

◎地域協議会の委員の定数は次のとおりとする。
安塚区12人、浦川原区12人、大島区12人、牧区14人、柿崎区18人、大潟区18人、頸城区18人、吉川区16人、中郷区14人、板倉区16人、清里区12人、三和区16人、名立区14人

◎地域協議会の委員は、地域自治区の区域において選挙された者を市長が選任する。なお、選挙された者の数が定数に満たない場合においては、市長が必要に応じて選任する。選挙に関して必要な事項は、別に定める。

◎地域協議会の委員には報酬を支給しない。

(11月8日)



11月8日の余震は震度3、被害はありません

 午前11時過ぎから数回にわたって新潟県中越地震の余震とみられる地震が発生しました。この内、最も大きかったのは11時16分の地震で、震度は3(計測震度は2.9)でした。
 地震発生時、私は上越市内の国道を車で走っていて、地震にはまったく気が付きませんでした。町総務課の話によると、きょうの余震による被害は発生していないということです。
(11月8日18時41分)



地震災害対策で町長に4項目の申し入れ

 日本共産党吉川支部は11月4日、角張保吉川町長にたいして4項目の申し入れをしました。申し入れでは、今回の新潟県中越地震についての町の対応を評価したうえで、自主避難所の開設、地震情報の伝達などで改善してほしいと訴えました。
 申し入れは、吉川支部を代表して私が行いました。町側は、角張町長と常山総務課長が対応し、「自主避難マニュアルの作成の必要性を感じている」などとのべました。申し入れにたいしては、近く文書で回答してほしいと、お願いしてきました。
 今回の申し入れは、10月23日の地震発生から昨日までに行った一定の調査に基づいて実施したもの。吉川支部では、地震発生で親戚などに自主避難した人が少なくとも10数人いたこと、余震に備え、車の中で一夜を過ごした人がかなりいたこと、吉川町の地震情報をいち早く知りたいという声が相次いだことなどを踏まえて申し入れの内容を検討してきました。今後も対策の充実を求めて調査を続けるとともに、行政機関などにたいして働きかけていく予定です。
 以下は、申し入れの具体的な項目です。


 【申し入れた項目】

1. 今回のような大きな地震については、地震の規模・被災状況・余震対策などについて、速やかに、町民などに伝えること。これは有線放送、ホームページなどを活用して工夫してください。こうした対応は余震についても行っていただきたい。
2. 町内の避難所について、文書、有線放送などで繰り返し町民に周知してください。その際、新建築基準法に合致したもの、しないものを区別し、明らかにすること。
3. 避難所開設については、避難勧告や指示があった時はいうまでもないことですが、自主避難を希望される人たちの避難所開設についても、どういう時に開設するか基準を明確にし、機敏に対応できるようにしていただきたい。
4. 今回の地震では、一人暮らし世帯、老人世帯、出稼ぎ世帯などの町民に「地震への恐怖感」が広がっています。保健師などがこうした世帯をたずね、声をかけ、相談にのるようにしていただきたい。
(11月4日)



11月4日の余震は震度4、被害無し

 新潟県中越地震の余震が午前8時57分に発生しました。吉川町の震度は4(計測震度は3.7)で先月27日の余震を上回る揺れとなりました。
 この余震が発生した時、私は牛舎管理棟の2階にいました。最初に、食器棚の戸がブルブルと振るえ、「地震が来たな」と構えたら、その後、大きな揺れとなり、空き缶が床に落ちたり、賞状を入れた額が曲がったりしました。
 町役場の調べでは、今回の余震による町内の被害は、いまのところ無いとのことです。
(11月4日。16時45分)


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