おはようございます。今朝は6時過ぎに起床し、イラストを5枚描きました。急いで描いたので、ぱっとしないものになりましたが、時間がありませんのでやむを得ません。外は小雨が降っています。
昨日は、9時半近くにコウノトリの巣があった場所へ行ってきました。巣があった電柱とその先2本目の電柱に吉川で子育てをした親鳥ペアがいました。このペアを見たのは12月29日以来です。前回は巣の再建に乗り出す動きがあったものの、短時間で断念して飛び去っただけに、また来ていることがとてもうれしく思いました。やはり、吉川で巣を作ろうという気持ちはまだあるんですね。ありがたいことです。下は親鳥のオスです。

昨日は直江津の朝市だと勘違いしていました。朝市の場所に着いたらお店がひとつもなく、そう言えば、きょうは7の日だったと分かった次第です。その後、従姉の入所している施設へ行き、見舞ってきました。疲れていたのか、いつもよりも元気ないなと思いました。
施設を離れてから、クリーンセンター付近の田んぼに向かいました。市民から前日、コウノトリが5羽いたという情報が寄せられていましたので、ひょっとすればいるかもと思って行ったのですが、いました、いました。ただし、いたのは2羽です。そのうちの1羽は三和区で営巣した親鳥のオス(個体番号J0239)でした。もう一羽の足環は黒で、個体番号はJ07までしか読めませんでした。一昨年、吉川の巣から巣立った4羽のうちの1羽という感じがしました。下は親鳥ともう1羽の順です。


午後3時半からは吉川区の新年を祝う会でした。会場の多目的集会場には約50人が集まり、新年を祝いました。
オープニングは明吟会のみなさんによる詩吟です。中心は吉川区西野島出身で、頸城区で大判焼きを売っている小林さん、その他の4人も全員知っている人です。会員は現在5人になってしまったそうですが、全員参加してくださいました。トップのイラストがそうです。
会がはじまってからは、実行委員会委員長の薄波和夫さんが昨年の吉川区の動きを振り返り、水不足やその他の災害などに言及、「新年は素敵なことがある年に」と抱負を述べました。
来賓の小菅市長は頸城区の新年会に出てから吉川区に来られるとのことで、私から先に新年の挨拶をのべさせていただきました。私は昨年、吉川区の2つのことが全国的な話題になったとして、NHKのEテレで鴫谷さんなどの川谷最寄りの中山間地農業の取組が今後の農業の在り方を示す事例としてとりあげられ、何度も再放送されたこと、2年連続して吉川区で営巣したコウノトリが3羽のヒナを無事育て上げたこと、その子どもたちが北海道に行ったことなどを紹介しました。そして新年度の重要課題の1つとして県立柿崎病院を守ることがあるとして、みんなで力をあわせましょうと訴えました。

小菅市長は、開始後1時間経った4時半頃に会場に到着、すぐに挨拶されました。市長は、先日、交付税などで国に要請してきたことを中心に、上越市で新たなことに使えるお金は50億くらいであることやふるさと納税が10憶円を超えたことなどを紹介し、「私は公約の1番目に13区のことを掲げた。吉川区のためにも頑張りたい」とのべました。会の参加者はアルコールが入っているにもかかわらず、シーンとして市長の挨拶に聴き入りました。

新年を祝う会が終わってから、ほくほく線に乗って、松代に行き、そこから松之山の割烹まで運んでもらいました。そこでは松代病院を守る会の会合があったのです。12月県議会で松代病院を無床の診療所にする条例改悪案が賛成多数で可決されたことから、今度、どうしていくかについて意見交換することとこれまでの頑張りをねぎらうことが目的です。参加者は20数人でしたが、昨年11月の松代病院を守る大集会の横断幕が掲げられた会場で、全員が自分の思いを語りました。病院の医師や看護師さんなどのスタッフもおられましたし、自分や家族が松代病院に世話になった人が何人もいました。私はこれまでの活動にふれ、小堺医師の講演で紹介された生々しい患者さんたちの病気とのたたかい、病院スタッフの温かい支援にこそ本来の医療の姿があること、今回の粘り強い運動は今後の運動に生きていくことなどを語りました。
会では小堺医師に引き続き、松代病院に残ってほしいという要請が相次ぎました。また、これまでの運動で一緒になった人同士の暖かい交流が続きました。私は小堺医師とライン交換し、今度、先生が描かれた絵を見せていただく約束をしました。ガザでの戦争の様子などの絵がどんなものか早く観てみたいものです。野鳥の会の方ともコウノトリのことや赤ショウビンのことなどで盛り上がり、春になったら野鳥の会のイベントに参加させてもらうことにしました。下は昨夜の会合の様子です。

きょうは直江津の朝市宣伝に出た後、地元のサイの神行事に出ます。

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