« 「水源の里まいばら元気みらい条例」に学ぶ | メイン | 「日本一の田舎づくり」をしている美山町 »

40年ぶりに赤ちゃんの泣き声が

 先ほど視察から戻ってきました。まず昨日の視察報告をします。ホテルに使えるパソコンがなく発信できなかったものです。

 京都は綾部市からの発信です。綾部市は京都駅から山陰線の特急で約1時間のところにあります。初めて知りましたが、室町幕府を開いた足利尊氏の生まれた地、肌着メーカー・グンゼの創業の地だそうです。

 この地にここ数年、自治体関係者の視察が相次いでいます。2006年(平成18年)12月、同市が制定した水源の里条例を学ぼうというのです。きょうも上越市議会だけでなく、山口市議会、岡山県高梁市議会が訪れていました。

 同市の水源の里条例は、過疎、高齢化のすすんだ集落の再生、機能維持を目的にした条例としては全国で最初の条例です。①市役所から25キロメートル以上、②高齢化比率60%以上、③世帯数20未満の条件を満たした水源地域の集落を対象に定住対策や都市との交流促進などを盛り込んでいます。

 市役所の水源の里振興課長から、いまなぜ水源の里なのか、これまでの取り組み、条例の主な内容などを説明してもらいましたが、私が今回の視察で知りたかったのは、対象となった5集落のその後の動き、そして、5集落以外の高齢化のすすんでいる集落の対策をどうしているかでした。

 まずは条例施行後の5集落の変化です。振興課長の口からうれしい報告を聞きました。5集落のひとつ、市志(いちし)という集落で40年ぶりに赤ちゃんの泣き声が聞こえることとなったといいます。また、市茅野(いちがや)という集落では子連れの若い夫婦世帯が入ってきて、人口は3年前の12人(2006年4月時点)から18人(2009年4月時点)に増えたとか。当然、高齢化率にも影響を与えます。高齢化率は100%だったのが、何と55.6%に急降下しました。

 きょうの視察ではマイクロバスに乗せてもらい、若夫婦が入ったという市茅野集落へ行ってきました。世帯数は14、谷間にある集落でした。いいなぁと思ったのは川の流れです。水がものすごくきれいで、おそらく小さなハヤでしょう、泳ぎ回っていました。農道から同集落の畑のある場所へ行ってびっくりでした。フキを中心にして、サンショウ、ギンナンなどを栽培し、農業所得を得ようと懸命に働いている人たちがいたからです(フキ栽培の畑のそばで)。市役所の課長の説明ですと、フキだけで1反あたり30万円ほど収入を得ているとのことでした。畑には都会からボランティアで援農にきている若いカップルの姿もありました。一目で良い方向に動いているなと感じた次第です。

 ところで、5集落以外の高齢化のすすんでいる集落対策ですが、やはり、手を打ってありました。同市にある195集落のうち高齢化比率50%以上の集落は45にものぼりますが、関係集落の代表を集め要望を聞いたり、空き家体験ツアーなどの取り組みをしていました。こうした取り組みの中で、これまで19世帯49人の定住者が生まれたといいますから立派です。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.hose1.jp/mt/mt-tb.cgi/2228

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

2022年06月

      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

About

2009年10月29日 22:38に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「「水源の里まいばら元気みらい条例」に学ぶ」です。

次の投稿は「「日本一の田舎づくり」をしている美山町」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.34