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山原健二郎さんのことが話題に

 昨日、東京都内で随想集出版の相談をした際、国際啄木学会の近藤典彦さんから6年前に亡くなった日本共産党の元衆議院議員、山原健二郎さんの活動について教えていただきました。
 
 山原さんは10期連続衆議院議員に当選した人ですが、その日常活動がすごかったというのです。「国会がどんなに忙しくても毎週のように高知に帰り、日曜市で演説をする。居酒屋で酒を飲む時には一軒のお店でいっぱい飲まずに、何軒もはしごができるような飲み方をしていた。母親に絵手紙を送り続けただけでなく、こまめにハガキを出し、人とのつながりを大切にしていた。高知では山原さんからもらったハガキを大切に持っている人があちこちにいる。だから、谷間の集落で演説をしていても一人、また一人と次々と人が出てきて話を聞いてくれた。飲み屋街で演説をすれば、大勢のママさんたちなどで人垣ができた」。メモを取っていたわけではないので、多少、正確さに欠けるかも知れませんが、確かにすごい。

 これらの話は近藤さんが講演で高知を訪れた時などにお聞きになったのだと思います。亡くなってもいつまでも庶民から語られる政治家、山原さんの人柄を知り、胸が熱くなりました。

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コメント (2)

伊藤春男:

 随分前、私は東京の赤旗まつりで山原衆議院議員にお会いしました。
 昨年、高知に行き、日曜市を見てきました。この市は500店程の屋台がでて、なんでも売っていて、多くの人が集まり、買い物をしています。そんな中、店のおかみさんに山原健二郎のことを聞きました。「市の前で身近な国会報告をしていました。誰とでも気安く、自民党の人も、社会党の人もみんな応援していました。家は近くにあります」
 衆議院選挙、初の小選挙区制度で共産党は2人が当選しましたが、京都の一人と、山原議員でした。いつも、住民に目線を置く姿勢は変わることはありませんでした。会った人に葉書を出し、短歌を添え書きされていたのは有名です。

ホーセ:

 そうでしたか。一度でいいから私もお会いできればよかった。今度、山原さんが書かれた本を読んでみようと思っています。

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2010年01月23日 23:29に投稿されたエントリーのページです。

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