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父の遺骨はふるさとの蛍場へ

 父が亡くなってちょうど1年です。きょうの空模様は昨年と同じく晴れ。午前は各派代表者会議、中山間地対策特別委員会と続きました。午後、市役所から家に戻る時、時計を見て思いました。そういえば、いまの時間帯、父の遺体を載せた車に一緒に乗って家に向かっていたなぁ。天気が昨年と同じだったこともあって、あの日の切ない気持がよみがえってきました。

 昨年、父をわが家に迎えた時、庭にあるベニコブシは満開でした。おそらく、今年も同じ日に満開となるに違いない、そう信じていましたが、4月に入ってからの低温が響いてまだつぼみの状態です。
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開花までにはもう2日ほどかかりそうです。

 午後4時からお経をあげてもらい、その後、尾神岳の近くにあるわが家の墓に向かいました。お寺さんに同行したのは母と私だけ。ただ、墓場には近くに住んでいる伯母も待っていてくれました。母が用意しておいてくれた花と私が持参したわが家のベニコブシの小枝を墓の前にかざりました。そして納骨です。1年間わが家の仏壇においた父の骨はよく乾いていて、墓の中に入れる時はカサカサという音がしました。

 墓のすぐそばには昔の「焼き場」(火葬場)があります。そこは私の祖父・音治郎を焼いた場所です。父の骨を入れていた箱をそこで燃やしました。ところが、近くの釜平川から吹き上げてくる風が強く、燃やしあげるまでに50分もかかりました。そのおかげで、父と母、伯母、そして私が長年にわたり暮らし、思い出の多い蛍場(地名)でゆっくりとした時間を持つことができました。

 お斎はお寺さんと母、そして私と遊ランドでささやかにやりました。お寺さんはまだ30代の若さですが、檀家のことや親鸞聖人をめぐる歴史などよくご存じで、7時近くになって合流した妻も驚いていました。お斎の時間でうれしかったことがもうひとつあります。夕陽です。父が大好きだった夕陽が日本海に沈む姿を見ることができたのです。
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2010年04月08日 23:50に投稿されたエントリーのページです。

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