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悲しみがいっぱい、怒りがいっぱい

 こんなにも悲しくて、こんなにも激しい憤りを感じる講演は初めてでした。福島県飯館村の酪農家、長谷川健一さんの講演のことです。原発の当事者として語られた言葉には、牛飼いとしての愛情があふれていました。私が知らなかった事実がたくさんありました。

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 「戻るとは思わなかった息子が「『オヤジ、おれ、ベコやる』。そういって声をかけてきた。そのうちに嫁さんが来る。孫が生まれる。うれしかったなあ。何をやるかという話になって、仔牛用の牛舎をつくることになった」長谷川さんは原発事故が起きる前の幸せから牛の話を始めました。そして福島第一原発事故が起きました。搾乳した牛乳は穴を掘ってそこに流し込む日が続きます。飯館村の放射能汚染がひどくて人間が避難することになった時、「人間は避難しろ。牛は移動しちゃだめ」と言われます。「こんなバカなことがあるか」という思いは牛飼いをした者としてよくわかります。

 牛飼いたちが夫婦で集まって対応策を話し合います。でも、結果は決まっていた。牛飼いをやめるしかなかったのです。その時、「廃業という言葉を使うのはやめよう。牛飼いを休止するんだ。再開できるまで、その間、ずっと東京電力に賠償請求をしていこう」長谷川さんはそう語ったと言います。集まった人たち、とくに奥さんたちはみんな泣いたそうです。

 長谷川さんはスライドを使って講演をされました。そのスライドの中には切なくなるものが何枚もありました。中でも、牛を殺処分するために牛舎から牛を出し、家畜商の牛運搬専用のトラックに乗せる場面はつらかったです。映し出された映像の中に出てきた牛舎はわが家の牛舎そっくりでした。

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 スライドの中には牛舎の中で死んでミイラ化した牛の姿も映し出されていました。豚が餓死した牛を食べていたとも言います。この画像はとても見ていられませんでした。

 福島第一原発事故被爆の実態は新聞などで見聞きしていましたが、講演を聴いて、大事な真実は国も県も村も隠し続けてきたことがよくわかりました。東電などが放射線被爆を少なく見せるために、あの手この手を使ってきたことは聞いていましたが、飯館村でも放射線量を測定する場所で鉄板をしいたり、特別丁寧な除染をするなどの事実があった。住民に大きな被害が出る数値なのに、その数値を明らかにしないようにと行政当局に働きかけられたというのもショックでした。

 長谷川さんは最後に、「かわいそうなのは子どもたちだ。子どもたちが大きくなったときに差別が起きないようにしてしてほしい。また、風化させないようにしてほしい」と訴えておられました。

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2012年08月27日 08:38に投稿されたエントリーのページです。

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