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有意義だった“沖縄・憲法を考える集い”

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 青空が広がりましたね。おはようございます。今朝は6時ちょっと前に起床しました。今朝は資源ごみの当番でした。夜遅くまで起きていた割には早く目が覚めてよかったです。

 昨日は午前に妻を柿崎駅まで送り、その後、ほとんど事務所にいました。ゆっくり、ぶらぶらするつもりでしたが、昨年秋の引っ越しの時の段ボールが気になり、片付けを延々としました。だいぶ整理ができましたが、まだまだです。午後からは原稿書きもしました。お客さんもなかったので2時間ほど集中しました。

 夕方、直江津経由で高田へと向かいました。

 昨日は6月23日。70年前、沖縄での組織的な戦闘が終わったとされる日です。沖縄では戦没者を慰霊する追悼式が行われました。上越市では高田の高田世界館で「沖縄・憲法を考える集い」がありました。市内の9条の会の会員や平和環境労組メンバーなど約50人が集いました。

 集いでは、沖縄出身で24年間、長野県に住み、沖縄県知事選を契機に再び沖縄に住んでいる野池道子さんが報告、先の沖縄知事選の激しいたたかいの模様や戦後の島ぐるみ闘争などについてのべ、オール沖縄がどうつくられていったかを生き生きと語りました。

 印象に残ったのは、「翁長さんは自民党員。でも話の内容が素晴らしかった。島言葉、方言を大事にされていて、話しがわかりやすい」「島ぐるみ闘争は終戦からあった。沖縄ではどんなに苦しいときでも歌や芸能で乗り切っていく。見返りを求めない」「いつもたいへんな環境の中でどう生きていくかを考えてオール沖縄ができていく」「沖縄には新聞社は2つある。どちらも民衆の側に立っていて、新聞が学習の材料となる」という言葉でした。

 講演後の質疑、意見交換では、「沖縄の問題は沖縄の人たちが決めるべきことだ(尊重すべきとの思いでの発言だったのかも)」「沖縄は日本の一部だ。日本の問題としてとらえるべき」などといった声が出され、真剣さのあまり、意見がぶつかり合う場面もありました。でも、この集い、沖縄の基地問題や戦争法案を考える上でとても有意義だったと思います。写真は報告する野池さんです。

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 きょうは活動レポートの作成が中心です。明日、新潟地裁で談合裁判の初公判ですので、きょう、印刷しないと間に合いません。夕方、直江津に出かけます。

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2015年06月24日 08:03に投稿されたエントリーのページです。

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