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従兄の納骨式


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 おはようございます。今朝は6時に起床しました。外はまずまずの天気です。これから青空が出るのか、下り坂なのか予報をみていませんのでわかりませんが、10連休はきょうで終わりです。やり残したことをやりきって明日を迎えたいものです。写真は昨日、午後、わが家から200メートルほどのところで撮ったレンゲツツジです。

 昨日は午前8時45分にわが家を出て、山直海の専徳寺経由で大島区の母の実家へと向かいました。2月に亡くなった従兄の納骨式があったのです。途中、大島区板山から田麦に至る旧通学道路で車を降りました。前日の新緑祭で、旭地区からも菱ヶ岳が見えることを確認したので、菱ヶ岳の風景を撮りたかったのです。

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 納骨式は自宅でお経をあげてもらい、その後、お墓に骨を持っていき、墓に納めるという流れでした。お経は10分ほどで終了し、みんなで竹平の墓苑に行きました。墓苑の周辺はまだ少し雪が残っていて、カタクリやキスミレなどが咲いていました。この場所はけっこう高く、天明山と思われる山がよく見えました。そして、その奥には尾神岳が見えるのです。竹平と尾神が近いことを実感しました。

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 従兄が入る墓は従兄本人が中心になって平成13年に建てたものです。たぶん、伯父が亡くなった年だろうと思います。お墓のそばでは、伯父が亡くなった当時のことも話題となりました。今回の納骨で従兄は両親のもとに行ったことになります。伯父や伯母からは、「まあ、どうしたがだ」と言われているかもしれません。どうあれ、先祖とともにやすらかに眠ってほしいものです。

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 納骨が終わってからは「庄屋の家」でお斎でした。納骨式に参列した人のうち20数人が美味しい料理やお酒などをいただきながら、故人を偲びました。お酒をつぎにまわりながら、いろんな人と話が出来ました。照源寺のご住職とは、足谷の伯母が亡くなったときに法話の中で、「千の風になって」の話をしてくださったことを思い出し、語り合いました。亡くなった従兄の母親筋の親戚の人とは、「ムコウ」の浅五郎さん(故人)という人や、その子どもさんたちのことを教えていただきました。角間に嫁に行ったNさんが、神田神保町の大雲堂書店に奉公に行っていたという話は初耳でした。亡くなった従兄の孫さんたちからは、葬式後に書いた「春よ来い」の「孫に励まされて」について感想を寄せてもらいました。書いてよかったです。下の写真はお斎のときに出されたソバです。ほかにも美味しいものがいくつも並んだのですが、写真を撮ったのがこの1枚でした。アサツキはソバと合いますね。

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 お斎が終わったのは午後1時半頃だったでしょうか。その後、板山経由で吉川に戻りました。車の中で一緒だった専徳寺のご住職とは、専徳寺の開寺500年事業のこと、檀家の人たちの動向、源の将来のことなどについてゆっくり話し合うことが出来ました。

 夕方は妻と一緒に高田方面に出かけました。妻はJマックスシアターへ、私は高田世界館です。世界館ではケニア現地報告会と音楽ライブをやっていました。

 きょうは午前に地元で活動し、午後から出かけます。会議もあります。

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2019年05月06日 07:02に投稿されたエントリーのページです。

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