女川町役場で防災対策学ぶ

季節の風景

おはようございます。今朝は6時40分まで寝ていました。昨夜は午後11時台にダウンしましたので、長く眠ったものだと思います。といっても、眠りはあまり深くなく、まだ疲れはとれていません。外は晴れ、いい天気になりました。下の画像は近くの田んぼの今朝の風景です。

昨日は女川町役場で原子力防災対策について研修してきました。同町は東日本大震災の時、津波に襲われ、827人もの人たちが亡くなった町です。亡くなった人の人口比率は被災した自治体の中ではトップだったと聞いています。この町と石巻市にまたがる場所に女川原発がありますが、昨日は、原子力防災について説明を受け、いろいろと学んできました。

応対してくださったのは同町の企画課の2人の課長補佐、そして議会事務局の局長と次長です。原子力防災の説明にあたっては、策定された「女川地域の緊急時対応」に基づいて、緊急事態の防護措置の考え方、PAZ、準PAZ及びUPZの各自治体における広域避難先、各エリアにおける避難、屋内避難、一時移転の考え方、各エリアにおける実情に応じた対応策、安定ヨウ素剤の事前配布、備蓄と緊急配布などについて説明していただきました。トップのイラストはそのときのものです。

柏崎刈羽原発関連地域でも「緊急時対応」の検討が進んでいますが、それが策定された地域で、現地の対策を担う自治体関係者から説明を聴くのは初めてです。今後、内閣府や原発立地地域、その周辺地域の自治体がどういうことをしようとしているかわかりました。また、女川原発の南側の5キロ以上のUPZ地域は準PAZ地域として、通常のUPZ地域とは区別されていることも初めて知りました。ひと言でいえば、「PAZ圏内を通らなければ避難地へ行けない地域」ということになりましょうか。この設定の仕方が他の原発地域でもでてくるのかどうかはわかりませんが、そういう地域の避難は特別の困難が予想されるだけに注目しました。

質疑応答では、「(原子力防災の)避難計画は住民がどれだけ知っているか。今後、どう知らせていくか」「緊急時対応の策定にあたって、女川町はどう関わってきたか」「要支援対象者の緊急時の把握はどうやっているか」「屋内退避での感染症対策はどうやるのか」などについて質問したり、意見交換したりしました。いうまでもなく、質疑応答は原発事故だけでなく、津波被害についても行われました。

注目したことの1つは、大震災時に議会代表も入った災害対策本部が設置されたことです。また感染症対策に関しては、「避難者が少ないときは対応できていたが、多くなった時は難しいと感じている」としたことです。率直な発言でした。どうあれ、学ぶことがたくさんある研修となりましたので、特別委員会で振り返りの会議を行い、課題などの整理をしていきたいと思います。

町役場を離れてからは港に近い、交流広場で、津波被害の状況、その後の復興などについて議会事務局の方から丁寧に説明をしていただきました。被災後8年間で新たなまちづくりに入っている姿も確認できました。全体として、下を向いているのではなく、前を向いた明るい感じがして好印象でした。下の画像は女川町の被害状況、希望の鐘周辺で視察する一行、被災遺構として残された交番、そこに咲くアザミの花です。

昨日帰宅したのは午後7時半過ぎでした。移動でかなり遠くまで行っただけで、こんなにも疲れるのかと思うほど疲れました。

きょうは生活相談などで動きます。

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