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ため池、干ばつ被害田を視察


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 おはようございます。今朝は5時40分過ぎに起床し、大急ぎで車に乗りました。「しんぶん赤旗」日刊紙の配達を忘れていたからです。天気は晴れ、朝からじわじわと暑くなってきています。

 昨日は党議員団会議でした。と言っても、前回同様、現地調査を兼ねた会議となり、会議は市役所と現地を行き来する車中で行いました。

 現地調査したひとつはため池です。上越市では、ため池が決壊するおそれがある場合またはため池が決壊した場合に備え、ため池ハザードマップを作成しています。作成されているため池は45箇所で、決壊してから10分後にどうなるかを図示しています。昨日は、そのうちの1つ、浦川原区山本にある刈安池を見てきました。池の高いところから集落を見下ろすと、決壊時の様子をイメージできました。また、ハザードマップは作成されてはいませんが、用水のたまり具合を見るため同区の菱田大池も見てきました。こちらは、先日の大きな雨にもかかわらず、たまり具合はわずかでした。

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 現地調査したもうひとつは干ばつ被害にあった田です。一昨日、下見しておいた安塚区の上方の田です。5ヘクタールの稲作をしているOさんから案内してもらい、見てまわりました。先日のたくさんの雨にもかかわらず、被害状況は変わらず、収穫は皆無、または極めて少ない収量となる面積が2ヘクタール近くになるとのことでした。Oさんは、「収穫はまったく見込めない。水不足を予想して作付しない田も残したというのに……」「穂を出せない、出しても実らない、こういう稲はホールクロップサイレージにでもして持って行ってもらえるとありがたい」と訴えていました。写真は干ばつ被害を受けた「こしいぶき」作付の田んぼです。

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 ひとつ書き忘れました。菱田大池を見た際、池のそばにある山田あきの歌碑を訪れてきました。山田あきは浦川原出身の歌人で、大岡信の「折々のうた」(岩波新書)でも紹介されている著名な歌人です。すでに亡くなっていますが、反戦平和などの活動でも足跡を残してきました。18日付けの新潟日報の「上越の先人たち」でも紹介されていましたね。私がこの歌碑を訪れたのは数年ぶりです。歌碑のそばに立つと、気持ちが引き締まります。

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 きょうは、これから吉川町時代の議員仲間でたいへんお世話になった市村幸男さんの葬儀です。町議仲間だった人が一人、また一人と亡くなっていくのでさみしいです。

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2018年08月21日 07:22に投稿されたエントリーのページです。

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