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叔父の告別式

 おはようございます。今朝は6時に起床しました。さわやかな空気が流れていて気持ち良く、あちこちの田園風景を写真に収めました。下はその1枚です。JAえちご上越吉川支店、カントリーエレベーターが入っています。

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 昨日は5日の朝に亡くなった叔父の告別式でした。外は五月晴れ、最高の日となりました。一般会葬には元吉川町議だった人や従弟たち、同じ集落の出身者などのみなさんが来てくださいました。「酒の飲み方を教えてもらった」「眼光鋭いところがあって、頑固だった」などいろんなことを語ってくださいました。従弟たちは久しぶりに叔父の顔を見たとのこと、みんな懐かしそうでした。式場内にはモニターがあり、叔父の懐かしい写真、町議選の開票日の事務所風景、グループホームでの様子などを映し出していました。叔父が96歳になっていることもあり、写っている人の多くは亡くなっています。「この人も亡くなっている。あっ、この人も」などといった声が聞こえてきました。

 告別式、喪主を務めてくれたのは叔父の次男です。一般会葬で来てくださった方の中には、「何で長男が喪主でないのか」と疑問に思っていた人が何人かいらしたのですが、じつは叔父の長男は3年前に亡くなっているのです。このことは叔父には伝えませんでした。ショックを与えたくなかったからです。長男が亡くなる前からではありますが、次男の従弟は、それこそ、叔父の家のことを引き受けて頑張ってくれました。告別式ではこの次男が涙を流しながら、参列者へのお礼と叔父への感謝の言葉をのべてくれました。

 火葬場は柿崎でした。久しぶりにこの斎場に行ったのですが、ハマダイコン、シャク、ウマノアシガタ、カラスノエンドウ、フジなどの花が周辺で咲いていました。火葬が終わるまでの時間は約1時間半でした。この間に叔父の二女と花散歩を楽しみました。また、叔父の長男の嫁さんが、「お父さん(連れ合い)が、子どもたちの前で草の飛行機をつくって飛ばし、子どもたちが『お父さん、すごい』と言っていた」と思い出話をしてくれたことから、「それはゼンマイ飛行機だ」「むずかしいんだよね」と話が盛り上がりました。それで、私が斎場周辺の道などで探したら、ちょうど手ごろのゼンマイが見つかり、「ゼンマイ飛行機」をつくって待合室で飛ばしました。無風の中では、なかなかうまく飛ばせませんでしたが、亡くなった長男も加わって叔父をしのぶことができたと思います。

 初七日の法要が終わってから、後生寺にある叔父の家に行きました。じつは、叔父の子どもたちは実家に長くいることはできず、遺骨は葬儀後、原之町の福正寺であつかっていただくことにしていました。でも、一昨日、通夜式が終わってから、「一度、実家へ連れていこう。そこで母にも会わせてやろう」ということになったのです。わずかな時間でしたが、叔父の家の中に入り、仏壇の前で叔母と叔父の写真を並べました。遺骨も仏壇におきました。そして、みんなが声をかけました。「かあちゃん、長い間、独りにしておいてごめんね。今度、とうちゃんもあんちゃんも行くから仲良くしてね」。叔父が約4年間、施設に行き、その間、留守を守ったのは仏壇のなかの叔母でした。叔母には気持ちが伝わったことでしょう。下の写真は叔父の家の「黄金アララギ」(叔父などが名付けた庭木)とシャクヤクです。

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 きょうは活動レポートを発行していません。「春よ来い」シリーズも休みました。次回は5月15日となります。

 きょうは議員としての活動を再開します。夕方には議会報告会に参加します。

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2022年05月08日 08:39に投稿されたエントリーのページです。

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