「春」との出合い

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昨夜は寒かったですね。おはようございます。今朝は6時前に起床して、インターネットや新聞で昨日の一斉地方選後半戦の結果を確認しました。新潟県内は新発田市、長岡市、柏崎市などで日本共産党候補が全員当選し、ホッとしました。外は晴れです。ただ、今朝は小鳥たちの声がまだ聞こえてきません。気持ちいいので、寝坊しているのでしょうか。

昨日は三八市の日でした。ちょうどライオン像のある館で毎月行われている「寄り道ライブ」とも重なりました。この偶然の重なりのおかげで「新しい春」との出合いが実現しました。「かんちゃん」こと山田護さん作詞、川合徹人さん作曲の「春」という曲です。

昨日の「寄り道ライブ」で川合徹人さんは歌う曲への想いをたっぷり語ってから歌いました。「寄り道ライブ」は出演者一人当たり持ち時間は30分なのですが、川合さんは、毎回歌うさだまさしなどの歌だけではなく、この上越の大地の中で誕生したひとつの歌を披露してくださったのです。それが「春」だったのです。

川合さんは、数十年前、山田さんが、「できた!」と言って見せてくれた「春」という詩を見て感動しました。山田さん作詞の「春」は、雪がたくさん降り積もる上越の地で人々が待ち望んでいる春そのものでした。川合さんは、詩を読み、すぐに曲が浮かんだといいます。

歌の出だしは、「やっと暖かい日差しをからだいっぱいに」でした。雪国の人々が雪の中でずっと待ち望んでいたものは「暖かい日差し」です。「悴む(かじかむ)手を擦り(こすり)合わせ暮した日々」から抜け出して、日差しを体で受けて感じるぬくもりは、雪国でないところに住む人たちには味わえない喜びです。そして、野にある草たちや鳥たちにも目を向ける曲の流れ、いいですね。「やっと人々の顔にも微笑みが戻ってきたよ」と再び「やっと」という言葉を使う巧みさにも引き込まれました。

普通だったら、歌をめぐるドラマはここで終わるのですが、昨日はそこで終わりませんでした。川合さんはこの歌の紹介のなかで、「この歌は〝うみなり〟という合唱団の人たちのコンサートのなかで歌われた」「〝うみなり〟のリーダーだった清水さんが人工透析をして病気とたたかっていたが最近亡くなった」などということも言われました。それで、夕方、〝うみなり〟の団員だった関川誠さんに電話しました。〝うみなり〟で歌われた「春」という曲を作詞した人は「かんちゃん」という人なんだけどご存じですかと。

「かんちゃん」という人は山田護さんという方でした。川合さんが歌った「春」の感動を関川さんに伝えると、「それを聞けば、山田も喜ぶよ。すぐ電話しておまんのとこに電話してもらうさ」ということでした。

すぐに電話が来ました。山田護さんは大潟区在住の人でした。まだ一度も話したことのない人でしたが、私のこともよくご存じで、私のエッセイ集も読んでいてくださるということでした。山田さんは青春時代に歌声喫茶などをやっておられたようで、高田の長崎屋の地下にあった「水夢」という喫茶店に出入りしていたとも聞きました。そこで当時、新潟大学高田分校へ通っていた川合さんと出会い、「春」という曲の誕生につながっていったんですね。

山田さんからは、「昔から詩を書くのが好きで、友達の会費制の結婚式に参加し、歌を贈っていた」ということや、「春」は、「〝うみなり〟の清水さんも曲をつけていた。どちらもいい曲だった。川合の歌には明るさがある」などといったことも聞きました。

この「春」という曲は6月11日(日)の午後、直江津の学びの交流館で行われる「くびき野フォーク村」主催のサンデーライブでも披露されるとのことです。また、楽しみがひとつ増えました。ひょっとすれば、作詞した山田さんとの対面が実現するかもしれません。

きょうは、これから泌尿器科へ行ってきます。午後からは会議もあります。

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