4年ぶりに吉川区新年のつどい

吉川区

おはようございます。今朝は布団からなかなか抜け出すことができませんでした。出たのは7時少し前、気合を入れてやっと起きました。外は薄暗い曇り空です。

昨日は午前に柿崎の新聞屋さんへ活動レポートを持ち込んだのち、ペレットストーブの燃料購入のために大潟区まで行きました。もう少し後でも間に合ったのですが、いまは自家用車が入院中で、代車はトラックです。雨が降ると袋入りとはいえ、濡れてしまいます。雨が降らないうちにと急ぎました。

大潟からの帰り道、途中で潟田の山田護さん宅に寄りました。最近、次々と詩作している人ですが、「あたらしいのができたよ」とメールをもらっていました。寄ったところ、新しい詩は何と5つもできていました。そのうちの1つを紹介しましょう。昨年亡くなった「うみなり」の清水さんのことが書いてあります。「ラーメンの汁を飲みほしたい」という言葉が心に響きました。

地元事務所に戻ってからは、「しんぶん赤旗」日曜版の配達をし、先日、「うちのロウバイ咲いたよ」と連絡してくださった人のところにも行ってきました。青い空だともっと良かったんですが、いい写真が何枚か撮れました。下はそのうちの1枚です。

午後3時半からは吉川区新年のつどいでした。新型コロナの影響があって開催は4年ぶり、区内外から約60人が集いました。ただし、会場での飲食はなく、挨拶と名刺交換だけの集いとなりました。

オープニングは大正琴のグループ、「吉川琴永会」のみなさんによる「川の流れのように」と「銭形平次」の演奏です。「銭形平次」は舟木一夫の歌がしみ込んでいますが、大正琴の演奏もいいもんですね。演奏風景はイラストにしました。

実行委員会代表の片桐雄二さんが、新年のつどいを4年ぶりに開催できた喜びと今回の地震で被災された皆さんへのお見舞いの言葉をのべられました。そして、来賓として挨拶した中川市長は、今回の地震にふれ、「雪の下で見えない被害もあるかも知れない。見つけたら総合事務所または木田庁舎にご連絡ください。すぐ対応します」と激励しました。

私は、震災後、心に残る感動的な出来事がいくつもあったとして、群馬の青年医師が避難者の1人としてたまたま吉川区に来て、「私は医師です。何かお役に立つことがあったら声をかけてください」と申し出てくれたこと、老人会の日帰り小旅行で、最年長の方が、「いま一番心配しているがは、日本が戦争に巻き込まれることだ」とのべられたことを紹介し、いいまちづくりのために力を合わせましょうと訴えました。

名刺交換では中川市長の前に列ができました。私が名刺交換しなければならない人はほんの数人です。一人ひとりの参加者に声をかけ、挨拶させていただきました。久々に再会した人も多く、みんな年を取りましたね。もちろん、私も。

そうそう、1つ書き忘れていました。昨日、下町の田んぼにハクチョウの大群が来ていました。200羽以上いたと思います。これだけの規模のハクチョウを吉川区内で見るのは久しぶりです。下町の田んぼにはエサがあるのでしょうね。ここ数日、ハクチョウがいない日はありません。

もう一つありました。本日、柿崎区に折り込んだ活動レポートは、両面とも同じくなっていました。表面を刷るつもりで裏面を刷ってしまったようです。お詫び申し上げます。

活動レポート2142号、「春よ来い」シリーズの第789回、「うれしい出会い」をホームページに掲載しました。下線部をクリックするとすぐに読めます。ご笑覧ください。

きょうは大島区で訪問活動の予定です。

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