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板山の伯母亡くなる

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 今朝はゆっくりでした。おはようございます。6時半頃まで寝ていました。ホテルよりも自分の家の布団の中の方がいいですね、やはり。燃えないゴミを出した後、事務所に来ています。外は青空が広がり始めています。写真は7時頃の近くの田んぼと空です。

 昨日は岡谷を出て、電車で上越に戻りました。途中、真っ白になった北アルプスが朝陽に照らされて美しかったです。そしてもうひとつ、一昨日、篠ノ井線で見つけた看板、写真に撮ることができました。看板は築北村がたてたもので、「子育ての村 保育料無料化実施中」と書いてあったのです。冠着駅のそばにありました。同村では、今年の4月から3歳以上の子どもの保育料を無料にしたといいます。すごいですね、この「実施中」というのは。強いアピール力です。電車は快速だったので止まりませんでしたが、看板はなんとかカメラに収めることができました。

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 上越に戻ってまもなく大島区板山の従弟から悲しい知らせが入りました。母のキョウダイのなかでたったひとり生きていた伯母が松代病院で亡くなったというのです。満99歳でした。母は昨日はデイサービスに行っていました。デイサービスから帰るのを待って、母に、板山の伯母が亡くなったことを伝えました。「ばちゃ、板山のばちゃ、亡くなったよ」と言うと、最初は「あら、そいが。はい、100だもんな」と言って落ち着いているように思えました。ところが、その数秒後、「自動車で来たかぇ、と言ってたがに・・・」と言った後、両手で顔を覆い、声を出して泣き始めました。おそらく、伯母が入っていた特養ホームで最後に会ったときのことを思い出したのでしょう。母の涙は久しぶりに見ました。私も急に涙が出てきました。板山の伯母が亡くなったことで、母のキョウダイは誰もいなくなりました。

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 母に伝えてから、私は板山に向かいました。伯母は自分の部屋に寝せてもらい、いつもの顔で眠っていました。顔を見たとたん、涙があふれてしまいました。わが家ではこの伯母にどれだけ世話になったかわかりません。従弟の家では、すでに大島区の従兄たち、伯母の家の親戚の人などが集まって相談も終わっていました。夕食をいただきながら、伯母のことなどで思い出話をしました。

 きょうはこれから議員団会議です。その後、地元に戻りたいと思っています。伯母のお通夜は明日の夕方4時から、告別式は明後日21日の10時から、いずれも稲田の虹のホールとなっています。

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2016年12月19日 07:49に投稿されたエントリーのページです。

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