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午前は「しんぶん赤旗」日曜版の配達、午後から牧区へ

 おはようございます。今朝は5時40分過ぎに起床しました。昨夜の「希望の花火」に関連する記事をゆっくりと新聞を読んでいるうちに、無性にクルマバハグマの花を見てみたくなりました。線香花火に似た花を咲かせるからです。外は小雨です。

 昨日は午前に、「しんぶん赤旗」日曜版の配達と集金をしました。読者の方の中には、この1週間の間にいろいろあった人が3人ほどおられ、けっこう時間がかかりました。でも、こういうときに私に話をしてくださるのは嬉しいです。

 お昼は近くのラーメン屋さんへ行きました。正午を回っていたこともあって、混んでいましたね。ここでは、数年ぶりに、ひとりの女性に会いました。前に会ってから、少なくとも5年以上は経っていると思います。いつも声をかけてくださっていたので、ひょっとすると病気かもと気になっていました。でも、元気そうでよかったです。

 昼食をとってから、母のところに冬服を届けに行ってきました。その際、外で、10分ほど面会してきました。今回もビデオ電話を使い、愛知県と大潟区に住む弟たちと話をしました。大潟区の弟から「ばあちゃん、いま、どこにいるが」と聞かれて、母は「保育園だねかな」。たぶん、午前中に何かの歌でもみんなで歌ったのでしょう(笑)。

 午後からは新聞屋さん回りでした。じつは、このところ忙しくて折り込み料を支払いしていなかったのです。これですっきりしました。途中、高士地区で2軒訪問してきました。そのうちの1軒では、牧区の金井旅館の火事ことが話題となりました。「いやー、さすがにたいしたもんど」と話に出してくださったのは、先日、新聞に折り込まれた「出火お詫びと御礼」という支配人の和栗俊一さんのチラシです。「金井旅館はほぼ焼失し水浸しとなり、今後旅館として営業することは厳しい状況となってしまいました。思えば、50有余年、私の生きた証はこの旅館にありました。“笑売繁盛”お客様の笑い声を聞く毎日が私の宝物でした。誰よりも旅館を愛していた私自身の不始末で多くの方々にご迷惑をお掛けし、130年の旅館の歴史、お客様の笑い声を聞く毎日に終止符を打つことになってしまったことに今、深い反省と後悔ばかりしております」というくだりには胸が熱くなりました。

 その後、牧区の金井旅館へ行きました。出火の日を含め3度、行ったのですが、和栗さんにやっと会うことができました。宿泊客がいるなかで、「ふつうだったら、お客さんが風呂に入る、酒を飲む時間だった。この日に限ってお客さんの帰りの時間が遅くなったので人身事故もなくすんだ。不幸中の幸いだった」などと語ってもらいました。本人も駐在さんに助けられたとのこと、その点は、ほんとによかったと思います。下の写真は牧区から浦川原区に抜けるときに通った大月の田んぼです。

ootuki200926.JPG

 地元事務所に戻ってからは、ホームページの更新作業をしました。

 活動レポート1978号、「春よ来い」の第625回「懐かしい再会」をホームページに掲載しました。ご笑覧ください。

 そうそう、連れ合いが参加している俳句誌に、母が介護施設に入所する前の頃のことを詠んだ句が載りました。

 あさすずや 一錠ごとに 水をのむ

 きょうは訪問活動です。

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コメント (1)

大狸:

雨に濡れた大月の田んぼ、きれいですね。山里の秋の匂いがするようです。

(大狸様)
ありがとうございます。きれいではありますが、稲が倒伏し、刈り取りがたいへんになっています。

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2020年09月27日 07:10に投稿されたエントリーのページです。

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