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「新潟いのちの物語をつむぐ会」の例会に参加

 おはようございます。今朝は6時過ぎに起床し、事務所で、街頭宣伝スポットづくりやSNSでの発信作業をしました。外は曇り、パッとしない空模様です。

 昨日は、印刷をした活動レポートを新聞屋さんへ持ち込むことを最優先し、その後、「しんぶん赤旗」日曜版の配達、集金でした。お留守の家が多かったですね。

 配達が終わりませんでしたが、午後からは柿崎の浄福寺で行われた、「新潟いのちの物語をつむぐ会」の第6回定例会に参加してきました。これまで出たことはなかったのですが、ご住職から「ぜひ参加してほしい」とお誘いを受けていたのです。

 世話人代表の小出優子さんの挨拶に続いて、県立看護大学の酒井禎子さんが「自分の〝大切なこと〟を語るということ」と題して、話題提供がありました。命にかかわる大きな病気になった時など、「もしものとき」に備えて、元気な時から「自分が望む最後の過ごし方」を考えることの大切さを話されました。そして、その後、この会で独自に作られたものなのでしょうか、「尊厳が保たれる」「家族と一緒に過ごす」「誰かの役に立つ」などカードを用いて、もしもの時のことを考えるゲームをいくつかの班に分かれて行いました。1班4人というなかで、30数枚のカードの中から3枚のカードを選び、なぜ、そのカードを選んだかを語る、とても面白いゲームでした。

 私も70代に入っていますが、正直言って、「もしものとき」についてはまだ何も準備していませんでした。妻からも終活しなさいと言われていましたので、とても参考になりました。

 最後は閉会の挨拶を兼ねたご住職の法話でした。自分が19歳のときに亡くなった父親のこと、93歳という母親のことも交えて、自分の意思を家族に伝えていくことの大事さをまず語り、その後、「静かに死の準備をなせ。さすれば生はさらに楽しかるべし」というシェイクスピアの言葉や「一粒の麦が、地に落ちて死ななければ一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」(新約聖書ヨハネによる福音書)という言葉まで引用して、人生や「死後生」などにつて縦横に語る姿は感動的でした。

 会が終わってから再び配達に戻りました。夕方、夕日がきれいだったので、柿崎の百木まで出かけ、撮影しました。

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 活動レポート2013号、「春よ来い」の第660回、「童心に帰って」をホームページに掲載しました。ご笑覧ください。

 今日は、これから街頭宣伝、午後からは医療問題の学習会です。


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コメント (1)

大狸:

いわゆる、人生会議に関するお話でしたのでしょうか。私事ですが、母親は特養でお世話いただいています。入所してまもなく4年になります。入所当時、すでに食事を取れない状態まで認知症は進んでいました。施設からは、延命措置か自然に任せるか、と問われて焦った記憶があります。今際の時が迫っているとは思わなかったので尚更でした。結局、胃ろうの設置をお願いして今に至っています。コロナ禍の中、面会にも行けずまた、家族の認識も判断しづらい状況ですが、私としては生きていているだけでありがたいと思うのです。もちろん、母自身は最期をどうしたいかという思いは、率直に言って考慮に入れませんでした。なかなか難しい問題かと思います。その場に立ってみないと。

(大狸様)
確かに、難しいところがありませうね。私もこれまで真剣に考えたことがありませんでした。でも、「もしものとき」を考えたら、家族が困らないように、早めにやるべきことをやっておかないといけないなと感じています。

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2021年05月30日 08:24に投稿されたエントリーのページです。

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