« 水害対策で県交渉 | メイン | 被災者から怒りの声も »

戦没者合同追悼法要そして市政レポートづくり

 3日連続晴れです。予報では、一時中断されるかもしれないけれども、天気のいい日が結構多いようです。ただ湿度が高く、ベタベタした感じがしますね。わが家では、牛舎管理舎のコンクリート部分、牛舎の中が濡れていて、乾いてくれません。きょうも、「しんぶん赤旗」の配達で訪れた家では、「家の中が乾かない」「また、でかい雨がやってこなければいいけど…」など天気のことが話題になりました。
 きょうは午前が吉川区戦没者合同追悼法要でした。原之町の福生寺で行われました。今回が51回目ということでしたが、私は町議時代を含めて初めての参加でした。これまで議長が呼ばれていたのです。日清、日露戦争から先の大戦まで吉川区の人が亡くなったのは440人といいます。父や祖父を亡くされた人たち、ほとんど私の知っている人でした。始まる前に、市長と水害のことで話をしました。市の県交渉については、「ちゃんとやってきたよ」と自信たっぷりでした。先月28日、吉川区を市長が視察にきた際、一人の市の幹部の奮闘ぶりが話題になりました。その幹部が首まで水に浸かって視察した現場は何とわが家のそばでした。これは市長から教えてもらいました。
 法要後は市政レポートの原稿書きと「しんぶん赤旗」の配達でした。レポートでは昨日の県交渉の中身を吉川区民向けにしてお知らせする、「春よ来い」を載せる、この2つのことを決めていました。県交渉については、上川谷ー角間の県道除雪を確実に進める約束をいただいたので、それをメインに据えました。まだ商業新聞が書いていないので、新鮮な情報提供となるはずです。「春よ来い」は、避難先から帰って来た仔牛が死にそうになった、この数日間のことを書きました。これは、このHPで日曜日までにアップします。
 夕方、尾神岳経由で上川谷へ行きました。出来立ての市政レポートを配布するためです。このルートで上川谷まで行くのは、地すべり後、3回目です。きょうはめずらしく対向車が5台ありました。その中で前市長・宮越薫氏と尾神岳中腹で会いました。地すべり現場を視察してきたそうです。自ら撮ってきたデジカメ写真を私に見せながら、「わたしならこうする」と語っていました。彼も秋の市長選に向けて動きを活発化させてきている、そういう印象を持ちました。上川谷では5軒の人たちと直接対話してきました。


トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.hose1.jp/mt/mt-tb.cgi/690

コメントを投稿

(TypeKey でサインインしたコメントは即時に、それ以外は承認後表示されます。)

概要

2005年07月15日 00:00に投稿されたページです。

前:水害対策で県交渉
次:被災者から怒りの声も

過去の投稿

小さな町の幸せ通信