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2004年07月投稿分

2004年07月31日

干ばつが心配に

 猛烈な暑さが続いています。台風の影響でしょうか。きょうは新聞配達、集金でまわったのですが、どこでも、この猛暑へのぼやきが聞かれました。台風が東から西へと進むのはめったにないこと、これも人間が環境破壊をしてきたからだ、と指摘する人も。気温の方は、室内でも37度前後でしたので、最高気温は39度近くまでいったのではないでしょうか。外仕事は猛暑をさけて、午後4時過ぎになってからはじめた人が多かったように思います。
 高温が続いた時の影響は農作物にも出ます。田んぼの稲は、これからしばらくの間、最も水がほしい時期に入ります。ところが、ここへ来て、川の水量が急激に減ってきました。私の住んでいる集落の北側を流れる大出口川は、細い流れになり、田んぼへはほとんど引けない状態になってきました。関係者の間では、10年前の大干ばつに似てきたという人もいます。
 隣町の大潟町では、きょうが廃置分合申請議会。議会内では、14市町村合併に賛成の人と反対の人が同数なので、どうなるか注目されていましたが、本日は流会したとの情報が入ってきました。何が何でも合併をと動く町側は、明日また臨時議会を招集するといいます。しかし、簡単には、いまのこう着状態からぬけだせないというのが大方の見方です。住民投票をやっていれば、こうした混乱は避けられたはずだと思うのですが。
 「春よ来い」の第24回、「夕陽」を載せました。ご覧ください。


2004年07月30日

廃置分合申請議会

 廃置分合など合併関連議案を審議する臨時議会が開かれました。開会は9時半、終わったのは3時半。短時間の議会でありながら、やはり緊張感があったのでしょうか、終わったらドッと疲れが出ました。廃置分合申請議案は賛成13、反対2で可決でした。これで、3年余りにわたって続けてきた、合併する、しないの審議は終わりです。
 質疑では、住民の意思確認が妥当とはいえないこと、水害などの緊急事態に対応できる支所となりうるか、住民生活に密接にかかわる支所長権限の実態、農業委員会の合併協議の進み具合などを中心にすえて町側と論戦しました。そうじてこれから協議して決めることが多かった、というのが論戦を終えての印象です。廃置分合議案を出す段階で、まだこういう状況であるのは、おかしな話です。
 今回の議会では、すでに審議が終わっている議会がいくつもあることから、答弁する側も情報を入手して一定の対策を考えてあったようです。答弁は、全体として準備されている感じがしました。ただ、支所長権限の問題などを「枝葉の問題だ」としていたのには、あきれてしまいました。総合支所というなら、これまでとほとんど変わらない体制を整備しておくのは当然のことだと思います。
 きょうは週刊町政レポートの作成日。あらかじめレイアウトなどは考えていたのですが、議会終了後、頸城村へ用事があったので、原稿書きはわずか1時間しかありませんでした。急いで印刷して日曜版配達、ポストおろしをしました。印刷したものを見ると、文章がおかしくなっているところもありました。ま、これは、しょうがないでしょう。


2004年07月29日

アサギマダラ

 明日の臨時議会の前に気分転換を、と尾神岳に行ってきました。前回はヤマアジサイが咲いていたころでしたから、久しぶりです。今回の目的はソバナツリガネニンジンの花を撮ること。昨年は花時を終わろうとしていたころだったので、今年こそはいい写真を、の思いで出かけてきました。空は真っ青、道路には先日の豪雨による爪あとがところどころにありましたが、自然の良さはそのまんま、ゆったりした気分にひたることができました。
 細い山道を歩くと、あちこちにヤマユリが咲いているので、その匂いが流れてきます。それに何種類ものトンボとチョウが飛んでいるので、何か起こりそうな予感がしました。そして現れたのはアサギマダラともう1頭、私の知らないチョウ(写真)でした。笹の葉から離れないのでゴイシシジミかと思って調べたのですが、とうとう分かりませんでした。どなたか教えていただければありがたいのですが……。
 ソバナとツリガネニンジンは一番きれいな時でした。薄紫色の花は夏の花としては最高です。写真を撮ってから展望台に登り、同僚議員と電話で臨時議会の情報交換をしました。きょうは35度を超える猛暑だったのですが、ここでは東の方角からじつに気持ちのいい風が吹いてきて、ついつい長電話になってしまいました。行政側もそれぞれ近隣町村と連絡を取りながら議会の準備をしていて、なかには議員の賛成討論の原稿書きの手助けをしているところもあるらしいとか。事実とすればとんでもない話です。


2004年07月28日

農業者年金受給者連盟総会

 加入者6人、受給者391人。農業者年金法が改悪された数年前より年金加入者はがた減りし、同年金の先行きは大変厳しくなっています。冒頭の数字は吉川町での実態です。きょうは、吉川町の農業者年金受給者連盟第26回総会があり、農業委員会を代表して参加してきました。連盟の財政事情や市町村合併の動きのなかで、来年からは総会方式をやめて代議員制度を導入することになりました。
 総会後は恒例の懇親会。百数十人が一堂に会して懇親を深めるのは最後になるとのことで、例年より多い参加がありました。酒やビールを注ぎながら多くの参加者と農業者年金、町農業、市町村合併などについて意見交換できました。「なんで住民投票できなかったのか」「もし合併したら共産党は選挙に出るのか」などと聞いてくる人もありました。うれしかったのは、喉の手術をして声がよく出なくなってしまった人が、メモ用紙をひっぱりだして、字を書いてくれたこと。そこには、「がんばれ」とありました。
 これまでと連盟のあり方が変わり、みんなで飲むのは最後になるということにたいする無念さがあったのでしょうか、私が最後に万歳三唱の音頭をとるときに一言、「さみしいですね。このまま終わるわけにはいきません。吉川町の農業、守りぬきましょう」と言ったら、会場全体から「オー」。こぶしを突き上げる人や拍手をする人たちの姿をみて、「ああ、この町にはまだ米価闘争を激しく闘った時の伝統が生きている」と胸が熱くなりました。


2004年07月27日

臨時議会間近

 14という全国最多の市町村合併を認めるかどうかの臨時議会が今週から来週にかけて一斉に開かれます。きょうはまず大島村と浦川原村で開かれました。母に頼まれた用事で大島村まで行きましたので、帰りに浦川原村の杉田議員のところにより、臨時議会の様子を聞いてきました。合併の特別委員会が事前にあったせいか、本会議は30分ほどで終了したとか。廃置分合など合併関連議案は杉田議員のみの反対で可決でした。興味深かったのは議会に配布された地域自治組織についてなどの資料です。幸い、当町の議会は30日ですので、こうした資料は検討する時間が十分あります。大いに勉強して活用させてもらいたいと思います。
 大潟町、頸城村、柿崎町、吉川町の住民有志のみなさんがこのほど、「頸北地域の発展を願う会準備会」を発足させ、4町村議会に請願書を提出しました。請願の趣旨は、各町村議会で合併関連議案の審議をしようとしているが、これを延期してほしいというものです。その理由として、合併協議会などの協議では地域自治組織や支所長権限など「住民が最も知りたいことが不明」となっていること、住民の十分な理解と合意が得られていないことなどをあげています。きょう入った情報では、大潟町議会に提出された請願書では、議長を除く合併慎重派議員7人全員が紹介議員になったとのことです。
 新潟日報、上越タイムスがこの請願の動きを含め、臨時議会をめぐる状況を報じたことで、きょうは、「合併期日はどうなるのか」「法定協議会は解散するのか」などといった、いろいろな質問や声を寄せてもらいました。また、上越地域合併協議会の幹部がある県議に働きかけているらしい、との情報も入りました。市町村合併は単に行政区域の変更をするレベルの問題ではなく、これまでの町や村の将来をどうするかという重大問題です。それだけに、関係住民に対する十分な説明と理解が基本となります。そして住民の意思を正確に把握する。これがないなかで進めると、住民本位のまちづくりは重大な困難に直面します。何が何でも合併へと突き進んでいる人たちは、どうもこのことが分かっていないらしい。


2004年07月26日

ニホンカモシカが米山、尾神岳にいる?

 地学研究団体・米山団研の方から興味津々の情報を寄せていただきました。米山(993m)の北西部でニホンカモシカの骨とおぼしきものを発見した、というのです。数ヶ月前、吉川町でもイノシシがいて話題になりましたが、その際、どうもカモシカもいるようだ、との話を聞きました。今回の情報で、その確率が一段と高まってきた感じです。米山、尾神岳周辺を歩き回れば、まだ未知のことがいっぱいありそうだ、そう思うとワクワクしてきます。
 その米山団研が8月に恒例となっている「夏の団体研究」を行います。今年は36回目。これまでの研究調査によって、米山、尾神岳の山体をつくる鮮新世の火砕岩層と下位の中新世の小萱層の関係は不整合だということが分かっています。今年は米山山体の西部と南部で新たな不整合露頭を発見したので、接点関係を解明していきたいとのこと。上記のニホンカモシカの骨は、その予備調査の中で見つかったものです。
 「夏の団体研究」は8月21日から4日間、柏崎市鯨波の旅館を拠点にして行われます。参加ご希望の方は、メールにてお知らせください。団研事務局におつなぎします。
 遅れましたが、昨日、「私の好きな風景」に「出穂」を掲載しました。ご覧ください。


2004年07月25日

Vサイン

 朝5時ころから激しい雷が鳴り響き、強い雨となりました。先日のトラブルを経験しているので、パソコンにつながっているコンセントを抜き、電話回線の元も早々と切りました。「バギバギバギューン」「ドバーン」。雷は1時間ほど続きました。雷雨に驚いたのは、誰しも同じだと思っていましたが、お年寄りは特別、怖く感じるみたいですね。「しんぶん赤旗」日刊紙の配達の途中、一人暮らしのAさんに声をかけると、様子がおかしい。助けてくれといわれて部屋に入ると、Aさんは、電話を手に持っていて、息子さんに電話したいけれどかからない、何とかしてほしい、ということでした。おそらく、雷に驚き、不安になったのでしょう。息子さんと話ができたAさん、「具合が悪いからすぐにでも帰ってきてくれ」と頼んでおられました。
 きょうは千葉から従兄たちが訪ねてきました。5月に亡くなった叔父が世話になったと、わざわざ挨拶に来てくれたのです。葬儀に参加できなかった母と大島村の伯母のために彼らが持ってきてくれたのは、叔父の写真です。葬儀の時に使った遺影の元の写真は2年ほど前に撮ったものでしたが、右手はVサイン。葬儀の時には、このまま使えないだろうということから、首から下は借り物の合成写真にしました。でも、やっぱり不自然です。葬儀が終わってからは、元もとの写真と入れ替えました。きょう持って来てくれた写真は、その入れ替えた写真。結婚式の時に撮ったものでしょうが、見た途端、これは叔父の人柄がでた、どんぴしゃりの写真だと思いました。「いやー、なんだかんだと言ってたけど、こっちの世界も悪くはないよ」といいたげな叔父の顔写真を見ながら、思い出話に花が咲きました。


2004年07月24日

べたつく暑さの中で

 最高気温は何度だったのでしょうか。梅雨明け後、一番の暑さでした。しかもべたべたするときている。きょうは、朝から夕方まで「しんぶん赤旗」の配達でしたが、どこへ行っても話題のトップは、このいやな暑さでした。
 話題の二番目は集中豪雨です。17日の18時までの1時間雨量74.5ミリ(尾神観測所)がテレビに出たもんだから、全国各地の親戚から「大丈夫か」と問い合わせがあった、だけれども電話は被害の出る前だった。こういった類の話が多かったですね。テレビやコンピューターで情報はあっという間に伝わる時代、いい面が多いけれども、「その後、どうなった」は大災害にでもならなければ伝えない。これでは心配がつのります。
 農業用水路などの災害の中には、道路ごと30メートルくらい下まで滑ってしまった、ひどいものもありました。山間部を軽トラで走り、きょうになって分かったことですが、町に報告がいっていない「どうしようもない地すべり」もかなりでているようです。例えば、尾神地内の国造山周辺、山の奥には赤茶けた色が何箇所も見えました。こういったものは、確かに復旧工事をしてもしょうがない、自然に任せておくしかないものですが、今後の雨の降り方次第では田んぼなどに土砂が流れ込んでいく可能性があります。
 一日中、車の運転をし、疲れたので夜はビールを飲み、巨人‐横浜戦を見ました。しかし、わずか350㏄1本でダウン。目が覚めたら11時前後になっていました。大事な電話をかけるのも忘れてしまう有様、情けない。


2004年07月23日

合併協定書調印

 きょうは第13回合併協議会が行われました。協議事項として掲げた問題は、地域自治組織の問題については、廃置分合議決後に合併関連法の「改正」などをふまえて協議を続けることになっていますが、その他は終わりました。この問題をどの場で、どういうメンバーが協議していくかは関係自治体の首長で検討することになりました。木浦会長は私の質問に答えて、これまでの協議の仕組み、経過を尊重して対応すると発言していましたから、場合によっては、今後、合併協議会全体会が開かれることがあるかもしれません。
 きょうの協議会が終わった段階で、合併協定書の調印式が行われました。全国で最多の14自治体の合併へ向けて、またひとつ階段をのぼった、と言えるでしょう。でも、合併協議が終わったという感じがしません。支所がどうなっていくか、地域自治組織がどうなるかなど、重要な問題でまだ見えないところがいくつも残っているからでしょうか。何人かの合併協委員と話をしてもこの点は共通していました。
 夕方、牛舎をのぞいてみたら、子牛が2頭いなくなっていました。1月から6ヶ月間飼った牛たちですが、家畜商が引き取っていったのです。20頭くらい搾乳していた時には、子牛を売っても何にも感じなかったものですが、少数頭飼育の場合は、ちがいますね。接する機会が多いこともあって、子牛と仲良くなり、別れるのがつらくなります。早く次の子牛を導入しないと、さみしくなるばかりです。


2004年07月22日

稲の色が変わった

 見事なものですね。たった一日のうちに田んぼの稲の様子ががらりと変わったのですから。昨日から変化しつつあったようですが、私が酒米・五百万石の出穂に気付いたのは、きょうの昼過ぎでした。これまで緑一色だった田んぼは出穂により少し黄色くなりました。新潟県内で酒米・五百万石の生産量トップのわが町、出穂により町の風景も秋の色にぐっと近づきました。
 きょうは午後から7.17梅雨前線豪雨被害についての町議会全員協議会があるので、午前中に上越市の総務部を訪れ、同市の地域防災計画を見させてもらいました。また防災担当者と意見交換してきました。合併後、防災対策がどう変わっていくか、今後どう対応すべきかを考えるためです。対策本部の設置基準など基本は市も町も同じですが、合併した場合、行政区の大きさがこれからぐんと大きくなるので、これまでのような対策を支所管内でとることができるかどうかが一番気になるところ、きょうの調査をふまえ、おおいに議論していきたいと思います。
 全員協議会で町側は被災状況を明らかにしました。農地、林地の災害は予想通り多発していました。農道崩壊など農災は101件、林地は9件にも上りました。それにしても17日の夜6時以降、大きな雨が降らなくてよかったと思います。もし降れば、こうした被害は一気に拡大したでしょうし、民家にかかわる災害ももっとひどいものになったはずです。まだ運が良い方でした。きょうは7.17災害対策がメインの会議でしたので、深くは議論しませんでしたが、災害時に支所が発揮できる役割はよく見えませんでした。


2004年07月21日

全県党機関役員・議員合同会議

 参院選総括会議の第二弾、全県の党機関役員・議員合同会議が開かれました。県委員長の報告の後、討論がありました。
 そのトップバッターは三条市議の西沢さん、7.13水害と災害復旧のことを中心に発言されましたが、日本共産党議員ならではの活動ぶりを聞いて感動しました。堤防が決壊した時、ポンプを使って排水をしている真っ最中だった。胸まで泥流につかりながら近所の病人をゴムボートで救出した。水がひくまでの二日間はろくな食事も摂れなかった。三条市のほぼ半分が水につかる大惨事のなか、自治会長とともに泥の排出、片付け、生活相談で飛び回っている。不眠不休の活動で疲れきっているはずなのに、西沢さんの発言は生き生きとし、力に満ちていました。国民の苦難あるところに日本共産党の議員あり。西沢さんの活動に学ばなければ、と思いました。
 選挙区候補、くわはらさんの地元・津南町では選挙区の得票率は37%、4人の候補のなかではトップになりました。候補の地元だから当然だという気持ちで見ていましたが、この数字を出すまでに400人規模の演説会を2度も成功させる、全世帯の半分以上に後援会ニュースを届ける体制をつくったなど、ものすごい奮闘があることを知り驚きました。黙ってじっとしていても票はこない、有権者規模の宣伝と組織が本格的に展開されてこそ当選を意識した選挙戦になることがわかりました。ちなみに、吉川町の比例の得票率8.8%は県内市町村では第5位、上越地方では松之山町に次ぐ好成績でした。
 今回の会議では、「選挙戦のなかでは有権者の反応がとても良かったのに、なぜ票が伸びなかったのか」を追求する発言がいくつもありました。マスコミの選挙予想で日本共産党が大きく落ち込むと分析していた時に、党中央は、反応はいいからそんなはずはない、と甘く見ていたのではないか。日本共産党の年金政策はいいと思うが、実現性にかけると思った有権者が多くいた。自公政権の年金改悪法に2つのウソがあると暴露したのは日本共産党の国会議員団だったのに、それが国民には浸透しないで、年金で自公と対決してきたのは民主党と国民に映った。宣伝に問題があるのではないか。選挙総括は、こういった発言や疑問が大いにだされてこそ深まると思います。


2004年07月20日

頸城村で賛成、反対が拮抗

 きょうの昼間は会議の予定なし。よし、じっくり構えて原稿書きでもしようか。そう思っているところへ長女から電話がありました。体調がとても悪くて、咳が出る。車の運転もできないので病院へ連れて行ってほしい、というのです。体の具合悪いとなれば、これは何より優先です。長女とともに高田の病院へ行ってきました。病院は連休明けだけにものすごい混雑振り。午前9時ころ病院に着いたのですが、検査や手当てが終わったのは午後4時過ぎでした。
 病院で長女を待っている間に頸城村の議員と連絡を取りました。きょうは頸城村の合併についてのアンケート結果が議会に示されることになっていました。結果は賛成16.2%、合併はやむをえない32.7%、合併の必要性認めるが14市町村の合併は反対19.6%、合併に反対25.6%。予想通り、14市町村合併に関しては賛成と反対が拮抗する結果です。問題はこのすごい結果を受けて次の手をどう打つか。地元の住民組織のみなさんの判断に注目です。


2004年07月19日

新潟市で学習会

 新潟市で学習会がありました。テーマは指定管理者制度、自治労連の田中副委員長から同制度のねらい、内容、取り組み方について講演してもらい、意見交換しました。同制度については昨年から議会で取り組んできましたが、小泉がねらう自治体再編計画の一環として提起されていること、「三位一体の改革」や市町村合併などとともに、住民の暮らしを守る自治体を否定し、公的責任の放棄を本格的に進めるものであることなどを深くとらえることができました。
 学習会へは頸城村の上野議員の車に乗せてもらい参加しました。13日の豪雨で被災した中之島町、三条市の様子は高速道路からも見えました。きょうは祝日であることもあって、たくさんのボランティアが車で駆けつけています。泥だらけのダンプやユンボが動いていました。上越地方の16日、17日の災害もひどいものでしたが、こちらは規模が違うと思いました。帰りにパーキングエリアで休みました。ここでも日本共産党の災害ボランティアの人たちなどに会いました。ボランティア活動に参加した人たちの表情が明るいのが印象的でしたね。
 上野議員の車に乗せてもらったのは私を含めて3人。いずれも上越地域の14市町村合併に関係する人ばかり。近日中に行われる合併協議会やその後の町村議会について話が弾みました。災害の話から支所の権限などについてはっきりしていないことへの不満が充満していて、廃置分合議決後に住民そっちのけで大事なことが議論される事態となるのではと心配する人もいました。学習会のお陰で、この問題でもいい情報交換ができました。


2004年07月18日

道が川になり、水が踊った

 朝、起きてから、まず吉川の水位を見てきました。運良く、夜中には大きな雨が降らず、1メートル以上下がっていました。これで一安心。その後、「しんぶん赤旗」を配達しながら被災した現場を見て回りました。1時間雨量が74ミリを記録した山間部の住民の方の話では、これまで見たことのない雨の降り方だった、県道が川になり、大量の水があちこちにぶつかって踊っている様子は怖かった、とのことでした。
 午前中に行われた議会の会議では、町側がこれまで把握した被害状況が報告され、対策について話し合いました。避難勧告などによって避難した世帯は7世帯(23人)、床上浸水2、床下浸水9、作業所浸水2などとなっています。昨日の夕方の豪雨以降、大雨が降らなかったことで被害は予想より下回りそうです。ただ、調査中の道路、農道、水路、農地関係などの被害はここ数年の大雨では見られなかったほど件数が多そうだとの報告でした。
 昼食後、少し横にと思ってごろりとしたら、そのまま2時間あまり眠ってしまいました。やはり、昨晩の睡眠不足がたたっているようです。町役場の職員の中には、昨日の昼間は13日の豪雨で大きな被害が発生した中之島町へ後片付けのボランティアに出かけ、戻ってからは自分の町の災害対策で奔走、という職員が10人ほどいました。こういう頑張りをみているとじっとはしておられません。午後からも災害現場のいくつかを見て回りました。


2004年07月17日

記録的豪雨

 夕方5時前から昨日をはるかに上回る豪雨となりました。すぐにでも土砂崩れなどの災害が起きそうな感じの強烈な雨が怖くなり、山間部での新聞配達も途中でやめて、逃げ帰ってきました。5時からの1時間雨量は尾神で74ミリを記録、町は6時に災害対策本部を設置しました。
 土石流が心配だ、避難勧告をだしてほしい。裏山にひびが入った。床下浸水が始まっている。道路が冠水状態になった。こうした情報が次ぎつぎと対策本部に入ってきます。私はこれまで何度も水害を経験していますが、これまでにない多くの種類の被害が発生し、規模が広がっている、と思いました。
(写真は町災害対策本部の状況)
 被災状況を確認するため赤沢の床下浸水、代石の畑冠水などの現場を見て役場に戻ったら、議会事務局長から吉井の知り合いの家が危なくなっている、そこでは要介護者が2人もいて手が足りない、現地へ向かってほしいと要請されました。沢から水がどんどん流れ込み、道路も田んぼも冠水している中を軽トラで行きましたが、どうなるか心配になりました。それだけに現地の人たち、役場職員と協力し、その家の家族4人全員を避難させることができた時はホッとしました。
 その後、役場と代石の現場を何回も行き来しながら、町全体の被害状況、対策の進み具合をみました。妻は旅行へ行っていて留守。わが家が浸水する可能性も出てきたので、隣町に住む弟に応援を頼み、子どもたちに、いざという時の準備を指示しました。雨は11時現在、小康状態です。消防団も大勢監視体制に入ってくれていますが、夜明けまでにどんなことになるのか。明日は9時から議会常任委員会の正副委員長で対策を話し合うことになっています。


2004年07月16日

大雨で警戒態勢

 空は暗くなり、風を伴った強い雨がアスファルトをたたきつける。午後3時過ぎからの激しい雨で「しんぶん赤旗」日曜版の配達はポストおろし(配達してくれる人のところへ持って行くこと)がやっと、個々の家庭への配達は夕方になってからとなりました。河川が増水し危険な状態となったのは6時すぎ。町役場では、総務課、産業建設課を中心に職員が残り、危険地域の調査などにあたりました。明日には役場職員が中越地方の中之島町へ救援ボランティアへ行くことになっていますが、こちらで災害が発生しなければよいが、との声も出ています。
 頸北議員の会の小関信夫柿崎町議と次回の会議について打合せをしました。そのなかで合併調印式、その後に予想される廃置分合議決にどう臨むか、などについて意見交換しました。頸城村が20日、上越市が21日に住民アンケートの結果を議会に報告し、それぞれの首長が合併することを最終判断した場合、23日の上越地域合併協議会の全体会終了後、調印式が行われる見通しとなってきました。いよいよ最終盤、廃置分合議案が審議される臨時議会に向けて、しっかりとした論戦ができるようにしなければなりません。


2004年07月15日

選挙総括始まる

 参院選後初めて日本共産党上越地区委員会役員・議員合同会議がありました。議題は参院選の結果をどう見るか、当面する活動をどうすすめるかです。選挙結果については、投票日の翌日、中央委員会常任幹部会が声明を出していますので、それをベースにして、それぞれの行政区から自分自身の感想、住民の意見・反応などが出されました。
 「率直に言ってがっかりした。しかし、現実に出た票数は事前に読んだ票よりも大きく上回っていた」「比例での伸びがいまひとつだったので悔しい思いをしていたが、有権者からは伸びてよかったねと言われた。選挙区の大きな伸びを見ている人も多い」「基本的には党の基礎的陣地を維持できた。党勢を強めることなくして二大政党に対抗できない」などの発言が2時間近くも続きました。
 選挙総括はこれから支部段階で本格化し、最終的には次の中央委員会でまとめられることになっています。大事なのは、選挙結果をリアルに見て、正確な分析・評価の中で次の選挙に生かす教訓を見出すことです。国政選挙はここ数年連敗していて、次期総選挙では二大政党制がさらに強まってくる。こうしたなかで、弱点にも大胆なメスを入れないと日本共産党は浮上できない、という思いが現場の第一線で活動する党員の間で強まってきています。
 今日の会議では、「比例区ポスターは文字だらけで、そばまでいかないと分からない。もっと効果的なものをつくるべきだ」「共産党に入れてくれ、頼むだけの支持拡大になっていないか。選挙区も比例も候補者は違うのだから、本格的な支持拡大をしているなら、選挙区、比例とも同じということはありえない」などといった厳しい発言がいくつもありました。
 驚いたのは体調をくずしている人が何人もいることでした。元気に活動するにはまず健康第一です。休養は十分とってエネルギーを蓄える。そしてまたがんばる。日本共産党が今後伸びていくためには、活動スタイルの改善も含めて検討していくことが求められていると感じました。


2004年07月14日

骨に異常なし

 右手首の痛みの原因をさぐるために町立診療所へ行ってきました。レントゲン検査では、骨折とかヒビは見当たらず、腱の腫れのようです。早く治すには手首を使わないように固定するのが一番いいとのことでした。でも草刈りもできない、キイボードも打てないというのは困ります。したがって、無理をしないように手首をやさしく使う、そのかわり治るまで時間がかかる、という道を選択しました。
 選挙の疲れがいまごろになってドッと出てきた感じです。何をやっても力が入らず、アクビばかり出る。そんな調子だったので、近くの六角山(標高110メートル)という城址に登ってきました。たくさんのセミが雑木林の中で鳴き、むっとする暑さもある。梅雨明けを思わせる天候のなか、ゆっくりと歩きまわり、いい汗をかいてきました。


2004年07月13日

調印式は目前なのに…

 久しぶりに合併問題特別委員会がありました。前回(先月28日)の合併協議会の報告の後、議長など数人から町側に質問があり、かなり緊張した雰囲気の会議になりました。①農業委員会など行政委員会が合併にあわせてどこまで協議を進めているのか、②これまで町村で受けていたサービスのうち、新市の支所で対応しなくなるものは何か、③合併関連三法の成立をふまえた地域自治区のあり方をどう考えるのか、23日の合併協議会で調印式までやろうというところまできているにもかかわらず、こうした問題ですっきりした答えが返ってこないので、多くの委員はどうなっているんだ、という表情でした。
 こうしたなかで支所では決裁をもらえないものがあったり、サービスが後退する事態も予想されることから、いずれは支所も無くなる方向ではないか、と怒りに満ちた発言をする委員もありました。槍玉にあがった典型例は乳幼児の検診・注射です。これまで町の保健センターで実施されていたのが、合併(予定では来年1月1日)してからすぐに頸城村の希望館まで行かなければならなくなる。さらに来年4月以降はどこでやるかもわからない、との話は今回の大型合併が何をもたらすかを分かりやすく示すものでした。
 近くの山で見つけたオオヤマサギソウの花の写真を「夏に咲く野の花」に掲載しました。この花はカキランを見つけた時に、つぼみだったものです。おもしろいと思ったのは、この花の近くには必ずクルマバハグマがあること。偶然とはいえない共存関係があるはずですので、調べてみたいと思います。


2004年07月12日

ポスター撤去

 朝5時前からポスターの撤去作業を行いました。選挙が終わった後、とくに負けた選挙の後はポスターがあるだけでマイナスです。いっときも早く撤去し、新たな気持ちでがんばる、それが大事だと考えています。ポスター撤去では、こちらが一番早いと思っていたら、社民党、公明党も早かったので驚きました。いま、町内で残っているのは躍進した民主党だけとなりました。
 ポスター撤去作業を終えて農協川谷出張所で休憩しました。そこで話題にしたのは5日の最高気温です。一緒にお茶を飲んだ3人の女性に聞いてみました。そしたら、すぐ答えが返ってきました。あの日の午後はものすごく暑くてとても外には出れなかった、というのです。やはり、あの日の気温は異常だったようです。
 数日前から右手の手首に痛みがあります。たぶん、牛舎内で転んだ時にスジでもおかしくしたのでしょう。きょうも、草刈りの時に痛みが走ったので、無理をしないで引き上げてきてしまいました。明日は議会ですが、早く終わったら、診療所へ行って診てもらおうと思います。


2004年07月11日

前回よりは多かったのですが……

 早朝の土砂降りで吉川がみるみる増水、今年になって初めて水害を意識しました。幸い、越水することもなく水がひきましたが、午前の数時間、役場へ行ったり、堤防の状況を確認したりと緊張しました。
 きょうは参院選投票日でした。選挙区は前回より90票増で313票、比例区は53票増の265票と前進しましたが、比例区の5議席確保という目標からみて、まだまだでした。まずは小泉を首相の座から引きずりおろせ、そのためには野党第1党の民主党を勝たせよう。そういう意識、感情が広範にあったのでしょうね。
 「春よ来い」の第23回目、「梅のもぎ残し」を掲載しました。ごらんください。


2004年07月10日

落雷

 猛暑は午後2時ころまで。その後は黒い雲がやってきて土砂降りとなりました。困ったのは大雨の直前に発生した雷です。ドカーン、パチパチ。ものすごい音がしたかと思ったら、近間で落雷があり、わが家の電話が不通となりました。調べてもらったら電話の保安器のヒューズが飛んでしまったとのこと。そのため、しばらく電話もパソコンも使用不能となりました。
 参院選投票日はいよいよ明日です。きょうは、「しんぶん赤旗」日曜版読者を中心に最後の訴えをしました。土曜日の割には留守の家が多かったのですが、関心は高く、小泉首相にやめてほしい、との声がいくつも寄せられました。期日前投票では若者の投票もかなりあったという情報もありました。日本共産党については、支持の訴えが広がれば必ず前進すると確信しています。おもしろい情勢です。
 9日付け「見てある記」に最高気温が41.8度と書きました。その記事を読んで新潟市在住の方からメールをいただきました。もし観測機器に狂いがなかったならば、観測史上最高の気温になるというのです。これまでの公式記録は40.8度。ただし、これは気象庁の観測機器によるもので、その他の機関の観測ではこれを上回ったケースが十数回あったようです。いずれにせよ、すごい記録なので、月曜日には役場で再確認してみようと思います。


2004年07月09日

最高気温41.8度を記録していた

 強烈な暑さはきょうも続きました。朝、役場の防災係の人にここ数日の気温の変化について問い合わせたところ、とんでもない高い数値となっているのでびっくりしました。5日、町内に設置してある4つの気象観測装置のうち、山間部の2か所で40度を超えていました。とくに村屋では41.8度だったとのこと、役場職員も驚いたようです。
 明後日の投票日を前にして一日でも早く「しんぶん赤旗」日曜版を届けようとがんばりました。支持の確認、再確認で対話をしながら配達活動をすると、普段の倍近い時間がかかります。「もう少しだね。がんばってくんない」などの言葉に励まされながら、半袖シャツ1枚で飛び回りました。配達は明日の午前で終わらせたいと思いますが、実際に終わるかどうかは対話時間次第です。
 夜、牛の世話が終わってテレビを見たら、曽我ひとみさんが家族と再会した場面が報道されていました。タラップから降りてきた夫と抱き合い、そのそばで二人の娘さんが涙を流している姿を見て、もらい泣きしてしまいました。1年9か月も離れ離れになって、どれほど会いたかったか。「こんど会ったら、もう絶対離れません」と言っていたひとみさん、今度は、佐渡に住んでいるお父さんに家族を会わせたいと思っていることでしょう。とにかく、よかった。


2004年07月08日

汗だくの一日

 猛暑五日目。今日の暑さは昨日までとは違いました。暑いだけでなく、動くとすぐに汗だくになる。すごかったですね。午前は町政レポートの原稿書きをしましたが、パソコンの周りが汗でべたべたになりました。タオルで腕や机を拭きながらキーボードに向かいました。
 午後からは比例候補者カーの先導役と司会でした。上越市、大潟町、柿崎町、頸城村、そしてわが吉川町と回りました。クーラーのない車での道案内はとても疲れました。でも候補者カーに乗っている人たちの方がもっと疲れたことでしょう。とくに候補者の川俣さんは演説そして聴衆のところへ飛んで握手、そばで見ていると顔から汗が流れ落ちていて、ワイシャツもびっしょり、大奮闘でした。
 吉川町での街頭演説は、ハイツ桜咲団地前広場です。ここでは初めて演説したのですが、20人前後の人たちが聴いてくださいました。日本共産党の演説を聴くのは初めてという人たちが8割くらいだったと思います。手を振る、拍手する、ここまではどこでもそうなのですが、この他に、通りすがりの人がカンパをくださる、演説を聴いていた人が差し入れをしてくださるなど最高に盛り上がりました。
 残るは三日、支部の仲間たちも電話作戦で奮闘しています。悔いを残さず足跡残せ、は「合併問題を考える頸北議員の会」でよく使われる言葉ですが、この精神で行きましょう。


2004年07月07日

小暑

 小暑。暦の上では、暑さはこれから本格的になるということですが、もうとっくの間に本格化しています。きょうも30度を越しました。野草の中には猛暑のために脱水症状を起こしているものもあります。ある稲作農家と話をしたら、来月の天候が心配だと言います。今年は天気の周りが1か月早いので、稲の花が咲く頃になって寒くなるのではと言っておられました。
 午前は、明日の比例候補者カーが入ってくるのにあわせて、街頭演説の案内をしました。留守の家が多かったのですが、初めて街頭演説を聴きに来てくれる人が2人ほどいます。対話の中で出てきた話題は市町村合併と年金です。今度の法改悪で年金額が減ることを怒っていたNさん、明日の街頭演説を聴いて、どういう判断をしてくださるか。
 月に2回、父の薬をもらうため病院へ行きます。きょうはその日でした。帰りに本屋へ寄って、黒柳徹子の『小さいときから考えてきたこと』(新潮文庫)を買ってきました。黒柳さんの頭の回転の良さはテレビなどでよく知っているつもりですが、6歳の時に校長先生と4時間も話をしたことやその当時の細々したことまでよく記憶していることを知って改めてすごい人だと思いました。


2004年07月06日

一票を大切にする心

 朝、町内のある老人世帯から電話が来ました。対応した妻によれば、すでに投票を済ませた、お宅のところに入れたからご心配なく、という内容だったといいます。この家については投票日に投票所まで車に乗せてあげましょう、と約束していました。夕方、この家に電話をし、詳しいことを聞いて驚きました。山梨県に嫁いだ娘さんの連れ合いがわざわざ吉川町まで出かけてきてくれて、体の不自由なお年寄りを期日前投票所へ連れて行ってくれたというのです。こうした一票を大切にする心、姿勢を身近なところで見聞きし、気持ちが締まりました。
 猛暑三日目。午前は父母に頼まれて採れたてのジャガイモの片づけをしました。イモを大きさごとに分けていて気付いたのは、明らかにタヌキがかじったものがいくつもあったこと。タヌキは畑の土の中にうまっているイモをほじくり、食べていたのです。トマト、マクワ、スイカ、とうもろこしを食べることは知っていましたが、土の中のものまでやられるとは思いませんでした。


2004年07月05日

猛暑続く

 昨日を上回る猛暑。外よりも涼しい牛舎内でも34度を記録しました。午前中、山間部で法定2号ビラを配布しましたが、出会った人たちとの対話はまず猛暑の話からとなりました。7月の初旬にこれだけの猛暑は異常です。帰り道に草刈りをしたら、シャツもズボンも汗びっしょり。家に戻ってシャワーを浴び、やっとさっぱりました。
 午後からは上越市で選対会議でした。暖房はあってもクーラーのないわが愛車、窓を開けて運転しましたが、手のひらがベタベタするほどの暑さです。9月の上旬までこの不快感を味わいながら運転せざるをえないと思うと、いやですね。会議では、選挙情勢を正しく見ることの大切さを確認し、他党を上回る宣伝と支持拡大の広がりをどうつくるかを話し合いました。


2004年07月04日

町体育祭

 恒例の町体育祭がありました。強烈な暑さを避けるため、数年前より開催時期をひと月早めたのですが、きょうは猛暑、あっという間に日焼けしてしまいました。数年前までそれぞれの公民館分館単位でやっていた応援合戦もなく、分館対抗種目も大玉・小玉送りなどいくつかに限定されているとあって、とても静かな運動会でした。それでも楽しみがあります。同じ町内に住んでいながらなかなか会えない人たちと会えることです。きょうも、青年団時代に一緒に活動した人や20数年前まで住んでいた水源地域の人たちと交流できました。
 1週間ほど前からとても気になっていた野の花があります。花の名はカキラン、草丈は30センチ前後です。役場の職員が植木鉢に移植して咲かせたものが事務室に置かれてありました。柿色の小さな花が見事で、一目惚れしてしまいました。どの地域の、どういう土質のところに咲くかを調べておきましたので、きょうは体育祭の合間にさがしに出かけました。最初、クルマバハグマやオオヤマサギソウとおぼしき野草に気をとられていたのですが、30分くらい歩き続けてついに発見。見つけた時には手をたたいてしまいました。自然の中で咲いているカキランは一段と美しく感じました。
 「夏に咲く野の花」のページにカキランを追加しました。また「私の好きな風景」のページには「朝日浴びる棚田」を掲載しました。ご覧ください。


2004年07月03日

比例候補者カー来る

 参院選挙が始まってから初めて候補者カーが町内に入ってきました。比例の川俣幸雄候補の車です。きょうの私の役目は先導車の運転及び司会でした。党議員が空白となっている柿崎町とわが町で約1時間走り回りました。街頭演説はそれぞれ1箇所ずつ。柿崎町は米山寺(べいさんじ)集落で、吉川町は私の地元である代石(たいし)集落で行いました。いずれも昨日のうちに案内をしておいたのですが、うれしいことがありました。
 米山寺で日本共産党が演説するのはそれこそ初めてでした。家から出て、演説を聞いてくださったのは10人弱でしたが、みんな真剣に耳を傾け、終わったら大きな拍手が起きました。それとびっくりしたのは街頭演説会に参加した女性の一人がビラ配布を手伝ってくださったことでした。後援会員でもない方のこういう姿を見たのは初めて、うれしかったですね。
 私の地元、代石でも20人前後でしたので全世帯数の半分近い参加がありました。予定した時刻より少し早めに宣伝カーが着いた時には、5人ほどだったのですが、それから小さな子どもさんを連れた若いお母さんやお年寄りなどが次々と集まってきてくださり、とても賑やかな雰囲気に。上越市からやってきたアナウンサーの女性は、「直江津のイトーヨーカドーまえ(の演説)より賑やかだったね。若いお母さんたちも参加してくれたし……」というほどでした。
 投票日まであと1週間ほどです。きょうのいい雰囲気を持続させてがんばりたいと思います。


2004年07月02日

80歳党員から元気もらった

 参院選勝利をめざす上越地区の総決起集会がありました。昼間、「しんぶん赤旗」日曜版の配達・集金、支持拡大、それに「まちかど演説」の案内と忙しく動き回ったので、疲れを背負ったままの参加でしたが、一人の党員の発言で選挙に臨む姿勢がしゃんとしました。
 その発言者は須藤友三郎さん、20年程前まで衆議院議員の候補者として活躍した人です。現在80歳。地元町内会で老人会長をやり、いろいろな相談活動もする。そうしたなかで地元住民からは大きな信頼が寄せられています。1週間の間に、自転車に乗って1時間もかかる「しんぶん赤旗」日刊紙の配達を3回もしているとのこと。さらにこの選挙では、有権者総数約400人のところで、すでに百数十人から支持を取り付けたといいますからびっくりしました。
 人生100年と言い切り、まだ若さを意識して頑張る須藤さんの発言を聞いて、ちょっと恥ずかしくなりました。こちらは須藤さんよりふた回りも若いのに、「50歳を過ぎて頑張りがきかなくなったな」と言っては消極的になっているところがあるからです。須藤さんの若さあふれる発言で疲れが吹っ飛びました。明日からは、元気いっぱい頑張ることができそうです。


2004年07月01日

突然の閉店

 たいへんショッキングなことを耳にしました。町内のある商店が突然店を閉め、いなくなったというのです。そのお店はわが家も数十年の付き合いがありました。何よりもいい点は安心して物を買えることでした。だから、私が着ているスーツも妻が愛用している衣服もほとんどがこのお店で購入したものです。閉店を知らせてくれた人が言いました。景気なんて全然回復していねぇ。
 「しんぶん赤旗」日曜版7月4日号に各界から12人の人たちが日本共産党への期待の言葉を寄せています。そのなかの一人、漫画家の原田智子さんが書いています。「中小企業の経営がたちゆかないとか、サラリーマンのお給料が上がらずに生活が大変だとか。今の日本が何でこうなのかといえば、自民党や民主党などが大企業から政治献金という名のワイロをたくさんもらって国民にしわ寄せする政治をしているから」。全くこのとおりです。この事実をもっと重く受け止めて、多くの国民に伝えていかないと、自公政治は何にも変わりません。
 いまの不景気は選挙戦にも反映しています。かつてのように土建屋さんの従業員がポスターを貼ったり、ビラをまいたりする姿はほとんど見ることができません。町の中心部には保守系候補の事務所がどんとすわり、選挙運動の拠点となっていましたが、その姿も見えなくなりました。そういう状況の中でこちらもゆっくりしていたのでは話になりません。投票日まであと10日間、がんばりたいと思います。


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