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2004年04月投稿分

2004年04月30日

かわいいお客さん

 きょうはかわいいお客さんが牛舎を訪ねてくれました。吉川保育園の園児たちです。さわやかな天気に誘われて、先生と一緒に散歩していた園児たちは、途中でわが家の牛舎に立ち寄り、子牛と遊んでいきました。「さわってもいいよ」と一声かけたら、それまでじっとしていた園児たちは、子牛のしっぽや背中にさわって喜んでいました。こんなに喜んでくれるなら、簡単には乳牛の子牛を飼うのをやめることができませんね。
 午後からは日曜版の配達、夜は「住民とともに合併問題を考える頸北議員の会」でした。「頸北議員の会」で話題になったのは、上越地域合併協議会事務局が新市の議員定数及び任期に関して動きを見せていること、頸城村の直接請求をめぐる動きなどです。大潟町でも連休明けに住民組織が立ち上げられる予定だという話がありました。これで頸北の全町村で住民組織ができることになります。住民の意思確認を求める運動は、5月に大きな高まりを見せてくれることでしょう。


2004年04月29日

大型連休初日

 昨日とは打って変わって、きょうは青空の広がる上天気でした。若葉も一段と美しく感じられました。母に頼まれ大島村まで出かけてきましたが、国道はいつもより車の走っている台数が多く、「やっぱり連休だけあるな」と思いました。帰りに浦川原村議の杉田さん宅に立ち寄り、合併についての情報交換をしてきました。
 午後からは町政レポートの原稿書き。今回は25日の「講演と交流のつどい」、27日の臨時議会報告、町の合併についての集落懇談会、と書く材料には困りませんが、なかなか筆が(正確にはキイボードでの入力作業)進みませんでした。「春よ来い」も書けるかどうか。
 「私の好きな風景」に「残雪のなかのブナ林」を掲載しました。空がもっと青いときに撮れれば、もっといい写真になったと思うのですが、ま、ごらんください。


2004年04月28日

3組の従兄夫婦来る

 群馬県伊勢崎市などから従兄夫婦が3組、わが家に遊びにきました。毎年、この時期にやってきては尾神岳周辺で山菜を採ったり、景色を見たりして楽しんでいます。今回はあいにくの雨でしたが、小降りだったので決行しました。尾神岳の高いところで、フキノトウ、ウド、コゴミ、トリアシなどを手にした従兄たちは、「胡麻和えにしたら美味しい」「いや、天ぷらがいい」などと言っては大喜びしていました。
 従兄たちは山で遊ぶだけでなく、わが家で母の山菜料理などを食べることを楽しみにしています。きょうはウドの酢漬け、粕漬け、ミズナの粕漬け、ゼンマイの煮もの、それに押し寿司を腹いっぱい食べて、昔話をしていきました。従兄の内3人はわが家に疎開したことがありました。だから、イタドリの食べ方など野にある食べ物については結構詳しいのです。
 夜、ある町の議会議員から電話があり、14市町村の合併協議で最大の問題となっている新市の議員定数及び任期について動きが出始めたと連絡がありました。明日には関連資料も送付してくれるといいます。どんな内容か、おおまかなところは聞きましたが、まだ未確認情報ですので、具体的な中身を把握してからお知らせすることにしたいと思います。


2004年04月27日

予定価格の事前公表試行

 驚きましたね。公共土木建築事業の入札に当たって、予定価格の事前公表をしたということを議案審議の中で初めて聞くことになるとは思いませんでした。きょうの臨時議会で町側は、23日に行われた道路改良舗装工事の入札で予定価格の事前公表の試行にふみきったことを明らかにしました。入札は2件、いずれも落札率は94%台でした。近隣の上越市や大潟町などで事前公表へと入札改革が進んできているので、当町でも近いうちにそうなるとは思っていましたが、まさか4月の入札からそうなるとは……。でも、いいことです。
 きょうの臨時議会では、議会で農業委員として推薦する人が決まりました。法律では5人まで推薦できることとになっていますが、前回同様3名とし、下鳥重行さん(山方)、上野美穂子さん(田尻)、江村奈緒美さん(河沢)を推薦することになりました。まだ町長サイドでの手続きが残っていますが、これで女性農業委員は前回に引き続いて2名となります。農業共済組合からの委員も明日には決まってくる見通しですので、新農業委員会のメンバーは明日出揃います。初委員会は来月6日の予定と聞いています。
 午後から妻の実家まで出かけてきました。朝早く採ってきたウドを届けるためです。正月に挨拶に行ったきりで、そろそろ顔を見せなければとも思っていました。義父、義母とも急な訪問を喜んでくれました。2人は79歳と81歳、子どもや孫の顔を見るのが健康上もいいようです。出かけたついでに本屋に寄ってきました。欲しかった岩波新書の新刊はなく、代わりに岸本葉子の『「和」の旅、ひとり旅』(小学館文庫)を購入してきました。家に帰ってからめくってみたら、柏崎市青海川でフキノトウを採ったことやウドをご馳走になったことが書かれていました。本とはこういう出会いがあるのでおもしろい。


2004年04月26日

〝次の一手〟を考える

 昨日の「講演と交流のつどい」の成功を受け、頸北議員の会の小関柿崎町議とさっそく今後の取り組みについて相談しました。その結果、連休入り早々(30日夜)に会議を開いて、住民投票実現に向けた取り組み支援などについて話し合うことにしました。きょうは、2人の町村議から小池加茂市長の講演を聴いて元気をもらったという声を寄せてもらいました。よかったです。
 小関町議との協議が終わってから、上野頸城村議が経営する南部堂に寄りました。パソコントラブルをみてもらいたいという電話があったからです。私のような機械オンチでも役に立つことがあればと返事をしたのですが、「フォント破壊」というレベルでしたので、私でも直すことができました。御礼にということでラーメンをご馳走になりました。
 午後は「しんぶん赤旗」の集金でした。2人の読者から、昨日のつどいはどうだったかと聞かれました。参加できなかった人も心配してくれている。ありがたいことです。


2004年04月25日

「講演と交流のつどい」で小池加茂市長熱弁

 朝8時から集落のクリーン作戦。いくつかのグループに分かれてポイ捨てしてある缶などのごみ拾いをしました。おしゃべりをしながら共同で1つのことをやるというのは楽しいもんですね。田んぼのことやきょう投票の上越市議選などについて話をし、ゆっくり歩きました。
 クリーン作戦が終わってから、今晩の「講演と交流のつどい」の準備、『Fゼミ通信』の序文の原稿書きをしました。事前に準備すべきことのチェックリスト、プログラムの作成など、つどいを成功させるにはずいぶんやることがあります。そして午後3時すぎ、今年になって初めて尾神岳に登りました。最近疲れがたまっているので、いい気分転換になりました。とくに残雪の中のブナの芽吹き風景がすばらしかった。
 「これでいいのか 市町村合併! 講演と交流のつどい」には、100人ほどの人たちが集まってくださいました。頸城村の住民運動の報告も小池清彦加茂市長の講演も好評でした。今回は、忘れがちになっている市町村合併の本質を再確認し、頸城の運動から学ぶことが目的でしたので、成功です。ただ、残念だったのは交流の時間をほとんど取れなかったことかな。
 小池加茂市長の話は、経済政策など一部で私と考えの異なる点がありましたが、市町村合併に関することについてはたいへん分かりやすく元気の出るものでした。「合併は市町村の集団自殺だ」「大きいことはいいことだというDNAが問題だ」「合併は小泉とともに去りぬ」など分かりやすい話をする人は表現力がちがいますね。それにしても上越地域14市町村の合併15年後の地方交付税試算は合併の本質をつくもので、もっと勉強しておく必要があります。


2004年04月24日

行政側の合併問題集落懇談会はじまる

 予想通り、冷え込んだ日になりました。朝から日曜版の配達・集金に出たのですが、午前中だけでも3回あられが降りました。今の時期に、軽トラにあられがぶつかるのを見ると、異常だと感じますね。あまりにも寒かったので、途中で家に戻り、ブレザーの上にジャンパーを着て動きました。
 さて、きょうから町の幹部が市町村合併問題で集落懇談会をスタートさせました。最初は源地区の大岩集落。14人の人たちを前に、町側からは町長、助役、収入役、教育長、課長が参加して説明と懇談をやりました。角張町長は挨拶のなかで、「10回の合併協議でほとんどいいところは終了した。最終的なみなさんのご意見をお聞きしたいということでお邪魔した」とのべました。
 町側の説明は、新市建設計画と住民サービスがどうなるかに力点を置いたものでした。角張町長は新市建設計画について、「合併で安心していただくためには、地域事業に一円でも多くと努力してきた。今回、30億円近くが10年間の事業として担保された」と強調しました。住民サービスについては、「向上するもの、変わらないもの、低下するものがあるが、トータルで考えていただきたい」と語りました。保育料、住民税などを意識しての発言なのでしょうか。
 懇談のなかでは、保高区長さんが「市長はそのままか、失職しないのか」「支所長は誰になるのか。市長が職員の中から任命するといってもよく分からないと思うが」などと矢継ぎ早に質問しました。区長さんの質問にはユーモア、ジョークも入っていて、懇談会場は時々爆笑の渦に。
 区長さんの発言では、今回の大型合併の問題点をズバリつくものがありました。「市長は年1回くらいはまわってくるのか」はその1つ、角張町長が「くるのを待っているのではなく、市長をこさせるようにする取り組みをすべきだ」と答えていましたが、行政が遠くなる本質は変わりません。今回の合併の最大の問題点の1つと言ってよいでしょう。町長は「少子化対策を進めるためにも合併は避けて通れない」と繰り返しのべていますが、「少子化ばっかり言っていないで、相手をめっける対策を考えてもらいたい」という発言も説得力がありました。合併して大きくなれば少子化対策が進むわけではありません。問題はどういう効果的な対策をとるかです。幼児医療費助成がいまより後退したり、保育料が上がることになればどうなるか、少子化対策に逆行することは明白です。
 最後に、中村助役がソフトな語り口で「いまのような形で進めさせてもらっていいでしょうかね」。町長も「ご理解いただきたいと思います」と発言しました。これは懇談会の場で、今回の合併についての住民の皆さんの意志を確認するということなのでしょうか。「はい」という声があるにはありましたが、なかなかむずかしいですね、このやり方で本当の意思確認をするのは……。これで確認できたとするのには無理があると思います。


2004年04月23日

寒い一日でした

 昨日は任期中で最後の農業委員会があり、終わってから大島村の大山温泉あさひ荘で懇親会でした。たっぷりと酒を飲んだせいか、布団に入ってすぐ眠り、目が覚めたのは午前3時過ぎ。それから朝風呂に入るまでの長いこと、疲れました。他所で泊まった時はよく眠れない、この困った体質はなかなか改善できません。
 きょうは家へ戻ってからが大忙しでした。町政レポートを作成し、日曜版の配達・集金もしなければならない。レポートは午前でほぼ完成させ、雨の降る中を軽トラで飛び出しました。雨が降って配達はやっかいでしたが、そのかわり、普段留守がちの家でも何軒か集金できました。
 昨日と違ってきょうは気温がぐんと下がりました。10度は下がったことでしょう。昨日は上着を脱いで会議をしましたが、きょうは、暖房を入れて車を走らせました。明日は西高東低の冬型になり、しかもマイナス30度の寒気が近づいてくるといいます。数年前のように苗代にも雪が積もり、除雪車が出動することにならなければいいがと思います。


2004年04月21日

北海道は鹿追町からお客さん

 さわやかに晴れわたった一日。きょうは北海道は鹿追町議会からお客さんが見えました。まちづくり基本条例についての視察だったのですが、鹿追町も隣の町との合併協議をすすめているということで、市町村合併問題への取り組みについても質問がたくさん出ました。合併自治体の面積では、そう大きな差は無いものの、むこうは2つの自治体の合併、こちらは14自治体の合併です。体育館のような広い場所に103人もの合併協議会委員が集まって話し合ってきたというと、驚いておられました。
 視察で必ず話題になるのは特産です。今回は、会場の委員会室に「よしかわ杜氏」と「さるなしワイン」「さるなし羹」を持ち込み大いに宣伝しました。鹿追町は北海道の中央部に位置し、酪農と畑作で年間百数十億円もの生産額を誇る農業の町、お土産には「白い恋人」という美味しいお菓子をいただきました。
 きょうは朝からいくつもの約束、予定があり、時間を意識しながら動き続けました。1つのことをやりながら別のことも考えて行動することが多かったのですが、頭と体はそう上手くは働いてくれません。夕方、水を入れた鍋に火をつけながら、別の仕事をやり、途中で郵便局へ行く用事を思い出し、家を出てしまいました。幸い、長男が水が無くなる直前に見つけてくれたので大事に至りませんでしたが、勤めから帰ってきた妻に、「もうお互い、若くはないいんだから、火をつけたらソバにいないとダメね」と言われてしまいました。用心、用心。


2004年04月20日

緊急会議

 昨日からの雨で道路にも水がたまりました。畑をやっている人にとってはいい雨だったのではないでしょうか。雨が上がった後の木々の若葉がとてもすがすがしく感じます。草木も喜ぶ雨でした。
 加茂市役所とメールのやりとりをやり、講演資料などの打合せをしました。記録は残るし、正確を期すこともできる。便利なもんです。講演の演題は、「合併問題の背景とこれからの地方自治」で正式に決まりました。14市町村の合併協議が大詰めを迎えている中で改めて合併問題とは何かを考えるというねらいにぴったりの演題だと思います。
 上越市議選の緊急会議に出席してきました。最終盤を迎え、支持拡大を急速にすすめないと重大事態になりかねないという状況をリアルに聞き、たいへんだと思いました。早速、支部の仲間に連絡を取り、上越市在住の知り合い、友人、親戚などに支援を訴えるよう要請しました。


2004年04月19日

『Fゼミ通信』はおもしろい

 25日に予定している「住民とともに合併問題を考える頸北議員の会」主催の「講演と交流のつどい」を成功させるためには、宣伝、組織活動をしっかりやることが基本です。きょうは、頸北4町村のほぼ全世帯に新聞折り込みすべく、案内チラシを印刷しました。1万枚を超える印刷は、前回の時と同様、わが家にある党支部の印刷機を使い行いました。所要時間は約3時間、同じことを繰り返す単純作業ですが、仕事の進み具合がはっきり分かるので、きらいではありません。案内チラシは早いところで明日、遅いところでも22日には入るでしょう。
 午後からは、雑用を済ませた後、古厩忠夫さんの『Fゼミ通信』のゲラのチェック作業の続きをやりました。改めて読んでみて分かったことですが、この本は単なるゼミ生向けの通信ではありません。癌との闘いを中心にすえながら、先生の学生時代の友人や研究仲間との交流、実母の介護などのことが作家並みの表現力で具体的に記述されていて、読者をぐんぐん引き寄せる力を持っています。私のように、だれでも知っている言葉でしか文章を書けない人間にとってはうらやましいかぎりです。
 それにしても、古厩さんと交流のあった人の中にはおもしろい人がたくさんいますね。たとえば関西のある大学の教授をされているH氏、古厩さんにとっては「貸し越し」の多い友人とのことですが、ある時、東名高速で交通事故を起こして入院します。幸い、命に別状はなく、少しばかり元気になったら、入院していたトラック運転手と意気投合、コーヒー道具一式を病院に持ち込み「コーヒーハウス」を「開店」してしまったとか。生前の古厩さんは、人を紹介する時に、その人のことが印象に残るエピソードを自分の頭の中にあるタンスの引き出しからさっと出すのが得意な人でした。その能力はこの本で大いに発揮されています。数年前、ある出版社の編集者がFゼミ通信を本にしたいと言っていた理由が分かる気がします。
 「私の好きな風景」に「若葉の頃」を掲載しました。ご覧ください。


2004年04月18日

上越市議選告示

 きょうは上越市議選の告示。軽トラと脚立を持参して樋口良子さんの応援にかけつけました。彼女は元看護師で介護、福祉問題などが得意分野です。介護保険料や利用料の減免、要介護者の障害者控除などで実績を残してきました。彼女のすばらしいところは、女性の立場から果敢に論戦に挑む姿勢です。以前、セクハラ問題で見せた頑張りは有名です。
 上越市から戻ってまもなく、火災発生を知らせる役場のサイレンがけたたましく鳴りました。今年最初の火事です。山間部の高沢入地内で山火事が発生、2時間あまりも燃え続けました。おそらく山菜採りに出かけた人のたばこの不始末でしょうが、しばらく続いた天気で火災が発生しやすくなっていて、被害が広がりました。それでも運が良かったのは民家に移らなかったことです。林の中にある道が火を遮断したようです。それと当町にたくさんある「ため池」の水がまだ十分あったことも幸いしました。
 現場から戻る時、空は満点の星、近くの田んぼではカエルが大合唱をやっていました。夕飯を食べないで現場へ行ったので、とても腹が減りました。
 「春よ来い」第15回目、「ツバメ」を掲載しました。ごらんください。


2004年04月17日

新緑の風景は美しい

 昨晩からの強風が黄砂を運んだのでしょうか、午前中は遠くの景色が薄茶色に染まっていました。日曜版を配達している時の挨拶は「ちょっとおかしな天気だねえ。また黄砂かね」でした。きょうあたりから、田んぼ仕事はエンジンがかかってきましたね。ある農家では、3世代が協力してすじ蒔きをしていましたし、田打ち作業をやっている人たちの姿もたくさん見られました。
 午後から25日の集会の案内チラシ作成などの仕事をするつもりでしたが、母に頼まれ、畑打ちなどをやりました。畑打ちは1時間足らずで終了、その後、母を軽トラに乗せて山間部まで行き、山菜採りをしました。ウドはすでにかなりの大きさになっています。私は30本くらい、母は袋いっぱいになるまでとってきました。山は、ちょうど、芽吹きの時期から新緑の季節へと変わろうとしているところです。ブナなどはすでに黄緑色になり、ケヤキは金色または少し赤みを帯びた葉を広げようとしていました。母が入った山は、紅葉と間違えそうになるほどいくつもの色がつき、とてもきれいでした。
 夜になって、ようやくチラシづくりをすることができました。「これでいいのか 市町村合併! 講演と交流のつどい」という見出し文字を大きく書き、文章は少しにしました。柿崎の小関町議と連絡を取り合いながら、作業をすすめました。明日、何人かの会員に見てもらい、明日の夜には印刷作業に入る予定です。
 ヤフーのニュースを見るまで分からなかったのですが、イラクで行方不明だった2人の日本人が解放されたとのこと。よかった、よかった。あとは米軍や自衛隊などが撤退し、国連が中心となって平和的な解決の道を歩んでほしいものです。


2004年04月16日

そろそろ雨がほしい

 いい天気が続いています。「春に3日の天気なし」という言葉が忘れられそうです。畑をやっている人からは、「そろそろ雨がほしいね」の声が聞こえるようになりました。田んぼはまだ水はいりませんが、代かきの時分に川の水量がどうなっているんだろう、と心配する人が出てきました。10年前の大干ばつを経験している稲作農家にとっては、切実な心配です。
 私の町の稲作は多くのため池と川の水が頼りです。10年前の干ばつ時には、やはり、今年のようないい天気が続き、田んぼの時期になっても雨がほとんど降らず、大騒ぎをしました。水が無くて、稲の作付けを断念したところもありました。まだ、4月の半ばだというのに、山間部の沢にはほとんど雪が残っていません。昔は6月まで雪があったものでした。
 きょうは午前中に町政レポートを完成させ、午後から日曜版の配達に出ました。明日は半日で配達を終了させ、畑打ちと原稿書きをしたいと思っています。
 「野の花」にノジスミレを追加しました。


2004年04月15日

日本人3人解放

 イラクで人質になっていた日本人3人が解放されました。よかったですね。事件が発生してから毎日3人のことが気になり、朝起きればまず彼らの情報を確認する生活が続きました。それにしてもここ2日間ほどの政府関係者や一部マスコミの言動はひどすぎました。自衛隊をイラクに派兵したことにより、イラク人の間に「日本はアメリカの味方、自分たちの敵だ」という見方が広がった事実に目をそらし、「危険地域に入っていった自己責任」を問題にするのは、どう見てもおかしいと思います。
 きょうは上越地域14市町村の農業委員会会長・事務局長会議でした。テーマは農業委員会の合併。これまでの協議で決まっていた委員定数、農地部会の構成などについて再協議しました。一度決めていたものをまた協議したのは、国会で「農業委員会に関する法律」の一部改正案が審議されているためです。成立を見込み、土地改良区推薦委員を入れた委員数にする、複数の農地部会を設置する、農業委員協力員を設けることなどが提案されました。合併協議会が地域自治組織問題で関係法(一部改正含む)が成立したら廃置分合議決後に協議することにしているのとはスタンスが全然違うのには、驚きでした。
 驚いたのはそれだけではありません。合併する新市の面積が大きすぎて農業委員だけでは仕事ができない。農地の移動、管理状態が確認しにくいなどを理由に農業委員協力員としての仕事を「農事連絡員」にやってもらうことになりました。農事連絡員は現在の上越市にある制度ですが、こういうことまでやるんであれば、新市に1つの農業委員会ではなく、複数の農業委員会を設置した方がよかったのではないでしょうか。
 もう1つ、新市における農業委員会の体制、各種申請手続きなどの手順書を見て、これはたいへんだ、と思いました。これまで町村の農業委員会でてきぱきと処理できていた農地転用事実確認書などは決裁の関係で支所だけでは対応できず、本庁で決裁する仕組み(案)となっていました。これでやられたら、関係者から「なんで、こんな不便なことをやったのだ。おまんたは支所が残るから大丈夫と言っていたではないか」と、どなられそうです。こういった問題は、農業委員会だけではなく、他にもあるという情報も入っています。十分吟味していく必要がありますね。


2004年04月14日

ゲラ読み

 昨日送られてきた『Fゼミ通信』のゲラを読むと、著者の古厩忠夫さんの人間像が浮かび上がってきます。聞いている人を楽しませるスピーチが得意で、斜め上の辺りから自分を見つめて冷静に行動するところがあった。「兎の生活もいいが、亀の生活も悪くない」と思い始めたのは、私とほぼ同じ時期で、野の花にも興味を持つようになりました。子ども時代はというと、夕焼けの中をメンコでポケットをふくらませながら家路を急ぐ少年でした。遊びも上手だったにちがいありません。
 きょうは町役場で2時間くらいこのゲラを読み、依頼されている原稿の構想を練りました。家に戻ったら、柿崎町出身で現在京都市に住んでおられるトシ先生から絵手紙が届いていました。新潟日報事業社の『村上雲雄写真集…農村風景』の中で私の文章を見てなつかしく思ったとか。今回の絵は桜、ピンクの大きな花びらのそばに書き込まれた文字は「京都西芳寺川の桜も開花 雨の中 元気」。読んだ人に元気を分け与えてくれる素敵な絵手紙でした。
 午後から1時間ほど気分転換に山間部の農道、林の中を歩きました。ナツトウダイに初めて出会いました。この写真とオクチョウジザクラスズメノカタビラツボスミレナガハシスミレをホームページに載せました。ご覧ください。


2004年04月13日

の2…農業委員選挙で当選

 きょうは農業委員選挙の告示。定数13にたいして同数の立候補者しかなく、今回も無投票でした。私は27歳の時から連続10回当選です。最初の選挙と確か3回目だったと思いますが、競争になりました。そのほかは無投票です。立候補の届けものんびりしたもので、受付が始まる午前8時半に届出の順番のくじを引いたのは3人だけでした。くじの結果、届出は私が一番でした。
 携帯電話を持つようになってから半年くらいになりますが、きょうほど携帯電話を使った日はありません。農業委員選挙をめぐる情報交換、加茂市総務課との連絡などで10回くらいは使ったでしょうか。なかなか便利なものです。もっとも、これだけ頻繁に使うと、月額3000円台に抑えるという、子どもたちへの約束は守られそうにありません。
 頸北4町村の住民連帯集会は、25日(日曜日)午後7時から頸城村希望館第3会議室で行うことが決まりました。講演の部は、加茂市の小池市長にお願いすることになりました。明日は「住民とともに合併を考える頸北議員の会」を開いて細部をつめることにしています。当日の運営、案内チラシの作成、参加者の組織などについて話し合うことになります。
 東京の同時代社という出版社から古厩忠夫さん(故人)の『Fゼミ通信』のゲラが送られてきました。ゲラとともに送られてきた出版社からの手紙には、川上徹さんの名前が書かれていました。川上さんは古厩さんと同級生だそうですが、私にとっても懐かしい人です。私の学生時代、全学連の委員長をやっていた人だからです。ゲラのチェックを依頼されていたので、さっそく読み始めました。


の1…「3名を救え」

 岡谷市の友人、毛利正道弁護士から「3名を救え」というメールが一日に2回くらいの割合で送られてきています。昨夜から今朝にかけても2回の送信がありました。新聞、テレビでは見ることのできない情報がいくつも載っています。転送可とされたものの中から2つほど紹介します。
 山崎久隆@劣化ウラン研究会です。 バグダッドの国際占領監視センターから送られていたメールです。日付を見ていただ くと分かりますが、拉致事件が明らかになった日付です。 私は以前、この事件はファルージャでの米軍の無差別攻撃が原因の一つと指摘しまし た。このメールはイラクから緊急事態を告げる行動要請です。 みなさん、この行動要請に応えてください。具体的には、米軍によるイラク市民への 攻撃を一切停止を要求するバナー、横断幕、プラカード、ゼッケンを付けて、国会 前、首相官邸前等への行動に参加をしてください。英語で書いてください。海外メ ディアに注目され、それが配信されるように振る舞ってください。イラクに日本の市 民が米軍の攻撃に抗議していることを伝えましょう。 ファルージャでの虐殺が今回の事件を招きました。そのことを念頭に置いて、3人の 解放を要求しましょう。 停戦が始まったとはいえ、状況はいっこうに好転していません。また、他の都市での 攻撃は止んでいません。 そして日本政府、もう「何もするな!!」と叫びたいところですが、日本政府をして 停戦を支持する、ないしは攻撃をしないように望んでいるといったトーンのメッセー ジを出させましょう。最低でもそのくらいは言えるでしょう。いや、それさえも言え ないのであれば、日本は米国の虐殺に荷担したことにしかならないのです。 以下、緊急に訳しましたので、誤訳があると思いますが、お送りします。 転送歓迎です。 可能な限りがんばりましょう。まだ希望はあるのです。
 占領監視センターからの緊急行動要請  訳文
  イラクの人々と共に連帯するための緊急要求
  国際占領監視センター代表エマン・アーメド・カマス
  国際占領監視センター
  2004年4月8日
 バグダッド占領
 世界の人々と代表者に、国際連合で米国主導の占領軍による攻撃に反対するよう、イ
ラクの人々は国際的な連帯を要求します。
 これらの攻撃がイラクの都市とその周辺に住む全ての住民を恐怖に追いやることを
意図しているのは明確です。
 報告によれば、4月4日に始まった攻撃により、ファルージャだけで300人以上
(*)のイラク人が殺され、さらに何百人もの負傷者で溢れています。
 アダーミヤ、スーラ、ヤモク、ファルージャの市街とその近郊、、ラマディ、バス
ラ、ナシリーヤ、カルバラ、アマラ、クート、クファ、ナジャフ、ディワニヤ、バラ
ドおよびバグダッドでは特にサドルで戦闘が続いています。
 住宅、病院、モスクのみならず救急車が怪我人を搬送中にも占領軍兵士や戦車に
よって爆破され、銃撃されています。
 ファルージャとアダーミヤは、民間区域を包囲し長期間抑留下におくことを禁止す
るジュネーブ協定も違反して、現在占領軍によって包囲攻撃の下にあります。病院も
十分な医療援助、不可欠な医薬品と装備、あるいは輸血用血液供給の手段も奪われています。ファルージャでは包囲されているために、病院は医者に自分の家で野戦病院
を開設するしかない状況におかれています。献血者が入ることさえ許可されていません。従って、バグダッドとファルージャではモスクが怪我人のために血液を集めてい
る状態です。水と電気がこれまでの数日の間断絶されたままです。
 サドルシティでは、米軍ヘリコプターが住宅地域をロケット弾で攻撃し、家を破壊
しています。外出禁止令が公式には出されていないなかで、米国軍兵士は暗くなって
から街路を動いている車輌を発見すると戦車砲で攻撃をしています。火曜日の夜だけ
で、少なくとも6人の人々がこのようにして殺されました。米軍はすべての警察署と
サドル市役所を占領し、包囲し続けているのです。
 このような攻撃がこれまでの1週間にわたって急激に拡大したのですが、それは決
して占領されているイラクで新しい現象ではありません。文民への無差別殺戮、人々
への安全保障義務の提供や電気もまともな医療のための社会基盤整備も拒絶している
現実は、占有当局がイラクにもたらした「自由」を特徴づけるものです。
 我々は諸国家、市民社会と反戦および反占領の運動に対して団結の具体的な表明と
して、この恐怖の米国主導の戦争に対し、そしてイラクの人々を支援するために、こ
の身の毛がよだつ事実を直視することを求めます。
 どうか米国によって指揮された攻撃を直ちに中止するよう要求するために、街頭に
出てください。世界中の米国領事館と大使館の前で抗議と要請行動を組織化してください。この大虐殺を直ちに止めろ!イラクの都市や近郊の包囲攻撃を直ちに止めろ!攻撃下に住んでいるイラクの人々への援助を提供しようと努めている、人道・医療支援組織にの立ち入りを直ちに認めよ!そして、「我が国」による占領を止めろ!
 デモがすでに組織化された都市は、ミラノ、モントリオール、東京、イスタンブー
ル、ボストン、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ワシントン D.C. とニューヨーク
です。  バグダッドの国際占領監視センターと連絡を取るために、どうか001
914 360-9079 あるいは001 914 360-9080に電話をしてください。また、電子メールは
eman@occupationwatch.org です。
 倉本聰氏から今井君のお母様に宛てられた手紙
 今井直子 様
前略。
御家族の皆様の御心中、衷心よりお察し申し上げます。
こゝ四日間の世の中の動き、小生の頭では整理つかぬまゝ、
しかし、鋭い痛みと激しい怒りでいっぱいです。
殊に、一国の総理が、自衛隊撤退という選択肢を最初から
捨ててかゝり、一顧だにしないという不思議な態度。
 
はっきり云いますが、そもそもアメリカのあやまちなのです。
大量破壊兵器。見つかったのですか?
それがそもそもの起源だったのに、そのあやまちにのることが
日本の国益だとする小泉氏の考え方。
それは日本国民の考え方とどんどん離れて行きつゝあるように思います。
国益はたしかに大切ですが、しかし「国格」―――人格に相当する国格は
国益に勝る一国の尊厳だと僕は思います。
国益を重視して、人質を救出する最大の選択肢を最初から放棄してしまうこと。
いかなる理由があろうとも、政府のとった今回の態度には、
激しい憤りを覚えます。
この事件が如何なる形で集結しようとも、この問題は、
現政権を選んでしまった我々国民の責任として、
これからの選挙に反映させねばならぬ、重要な今後の課題でしょう。
今僕たちに何が出来るのか。
皆様から突きつけられている悲痛な叫びを、
自分の痛みとして味わっています。
国の代表者に切望いたします!
国益より国格を考えて下さい。
国家の尊厳、国民の尊厳を考えて下さい。
国格なき国家は悲しい国家です。
あなたの家族、あなたの友人が人質にとられたら、
やっぱりあなた方は同じ選択肢をとるのでしょうか。
あらゆる面子や利害関係を捨て、人の命を考えて下さい!
国民の命を預かっている最高責任者として
それがあなた方の最大の仕事なのだということを、もう一度熟考して下さい。
御家族の皆様のご苦渋の前で、何も出来ぬ非力をつくづく感じます。
三人の方の無事の救出を、只衷心より祈るばかりです。
北海道富良野  倉本 聰
 今朝の「しんぶん赤旗」コラムで高遠菜穂子さんのホームページが紹介されています。彼女がどんな活動をしてきたのか、よく分かります。「菜穂子のインド滞在日記」をぜひ訪れてみてください。
(午前7時半)


2004年04月12日

人質解放はまだか

 
 朝起きて一番最初に確認したことはイラクで人質となった3人の日本人が解放されたかどうか。おそらく全国のほとんどの国民がそうだったのではないでしょうか。イラク人民のために頑張っている人間を人質にするという蛮行は絶対許されるものではありません。解放されていないのは犯人グループに内部対立が起きているからだなど様々な情報が流れていますが、日本政府がイラクからの自衛隊撤退を選択肢の1つにしないことへの怒りが根底にあるのではないか、私はそう思います。すでに戦争状態になっているにもかかわらず、アメリカいいなりになっている。早く目を覚ませ、と言いたいですね。
 緊迫したイラク情勢が続いていますが、きょうのお天気はじつに穏やかでした。上越市は最高気温が23度にもなったようです。この高気温で役場前の桜の花が散り始めました。風が吹くたびに花びらが舞う。この光景もいいもんです。きょうは第10回上越地域合併協議会があり、終わってから高田公園をまわって帰ってきました。公園内の池には落ちた花びらがたくさん広がり、いろいろな模様を形づくっていました。
 さて、合併協議会。協議会幹部が4月12日までに終わらせたいとしていた合併協議は、早くても6月までかかることが確定的になりました。新市の議員の定数及び任期は依然として合意するには至らず、今日の協議会での報告はなし。事務事業の調整で残っているものについても提案されませんでした。提案したら次回の協議会で決をとる、というこれまでのルールからすれば、5月の中旬以降に予定されている第11回協議会までに合意ができないと6月に協議終了とはなりません。合併協議が終わってから廃置分合議決までの期間が極めて短くなりそうな気配となってきましたが、そうなると合併期日の変更議論は避けて通れないでしょう。きょうの会議は嵐の前の静けさか。


2004年04月11日

春普請そして…

 きょうは今年初めての集落の普請でした。用水路の掃除、農道の修繕などを集落のみんなでやりました。私がやった仕事は、土のうづくりとそれを用水路のU字溝周辺などくぼんだところに入れることでした。こうした傷みはU字溝が傷んできていることに加えて、ネズミやモグラが穴を掘っていることも影響しているようです。
 普請が終わってから集落の公民館で一杯やり、その勢いで隣町の坂田池湖畔まで出かけ、観桜会を楽しんできました。ちょうど歌手の榊原ひろみと舞踊漫談グループ・トニー山川がきていて、芝生の上で酒を飲みながら、拍手を送り、大いに笑ってきました。榊原ひろみという歌手は子どもの頃から詩吟をやっていたということで歌唱力が抜群、聞きほれてしまいました。「荒城の月」がとくに良かったですね。
 夕方、妻と一緒に上越市高田まで長女を迎えに行きました。長女が友人の結婚式に和服姿で出席しているので、式場で写真を撮ってほしいと妻に頼まれたのです。長女の和服姿を初めて見ましたが、なかなかいい感じでした。式ではスピーチもしたとか。どんな話をしたのかな。だんだん親ばかぶりがひどくなってきました。
 「私の好きな風景」に「尾神のしだれ桜」と「東寺の大石」を掲載しました。「春よ来い」の第14回目は「空を飛ぶ夢」です。ごらんください。
 


2004年04月10日

桜は満開に

 朝5時半過ぎから資源ごみを出す準備、新聞配達、子牛の出荷、大島村への用足し、町づくり会議主催の花見、畑打ちと盛りだくさんの一日となりました。大忙しのように思えるでしょうが、少々余裕がありました。この間に朝食、昼食をとっていますし、デジカメでしだれ桜などの写真撮影もしました。
 晴天が続いたおかげでソメイヨシノもしだれ桜も一気に満開となりました。尾神のしだれ桜は集落のほぼ真ん中にあります。青い空をバックにしたさくらは堂々としていて、見る者を圧倒する力強さがあります。きょうは、何人ものカメラマン(または写真愛好家?)が撮影に訪れていました。
 出荷した子牛は、わが家で生まれたものです。いままで子牛を家畜市場に出す時は、父がついていきました。きょうも家畜商に誘われ、父が出かけました。いい値で売れた時は、市場から公衆電話をかけてくる父ですが、今回は電話がかかってきませんでした。思ったよりも安値だったんだな、と思っていたら、何と、子牛としては今回の市場で一番の高値だったといいます。助かりました。
 


2004年04月09日

無題

 頸北4町村の住民集会での講師は小池加茂市長にお願いしよう、ということになっていました。それで朝から加茂市の総務課と連絡を何回も連絡を取り合いました。まだ最終確認はできていませんが、4月28日は難しく、4月27日か4月25日の夜になりそうです。
 80歳になった母が山菜採りに行きたいというので、車で山間部まで送りました。陽気がいいせいか、山の木々がいっせいに芽吹き、山全体がうっすらと黄緑色に染まってきました。野の花の中では、トキワイカリソウが満開です。白い独特の形をした花は、いつ見ても素敵です。
 きょうから日曜版の配達を始めました。母の送迎をしたり、役場で農業委員選挙の立候補届け事前審査をうけたりという中での配達でしたので、いつもの半分くらいしかできず、明日はフル回転しなければならなくなりました。そう言っても、明日は子牛の市があり、畑を打つ約束もしてあります。どこまで頑張ることができるか。


2004年04月08日

緊急重大ニュースが飛び込んできた

 午前に「住民とともに合併を考える頸北議員の会」の小関会長と会い、昨日の会議で決めた頸北4町村の住民集会について相談しました。その結果、連休前の4月28日の夜に頸城村で開催することにしました。内容的には講演と住民組織の交流の二本立て。頸城村の住民運動を励ますとともに、頸城村の住民運動から元気をもらう集会にしようということになりました。細部は次回の頸北議員の会で詰める予定です。
 午後から町政レポートの作成にとりかかりました。今号は、入学式と昨日の頸北議員の会のことをメインにしました。問題は裏面、ここ1週間の間に見聞きした町の話題と「春よ来い」をどういう内容にするかです。町の話題はモモンガ(ムササビ)が小鳥の巣箱をねぐらにした話をとりあげました。ところが大事な写真がなかなか撮れず、現地に三回足を運ぶことに。やっと撮った写真では、巣箱の穴のところから私を見ているモモンガのかわいい顔が確認できます。
 夕飯を食べてから、妻と一緒に、村屋の村松哲夫さん宅のしだれ桜を見に出かけてきました。花は四分咲きといったところでしょうか、土日あたりが花の最盛期となりそうです。ライトアップで浮き上がった桜はまるで滝の流れのようで、見事な美しさでした。町内にあるしだれ桜は、この村松さんのところと尾神集落にあるものが横綱級です。近いうちに、このどちらかをこのホームページの「私の好きな風景」に掲載したいと思っています。
 これを書いている間に重大ニュースが飛び込んできました。イラクで3人の日本人が人質になり、自衛隊が撤退しない場合は殺害するという警告が出ているといいます。こうした事態にあたり、学生時代の友人で弁護士の毛利正道さんからメールで以下のような日本政府向けの要求書(案)が送られてきました。ぜひ、参考にして取り組んでください。
 日本政府・小泉首相に対し、拘束された3名の日本人の救命を迅速確実に遂げるために自衛隊の一時的撤退を含む責任ある措置を採ることを強く求める(案)
 イラクで拘束された3人の民間日本人のうち、今春高校を卒業したばかりの今井紀明君は劣化ウランの危険性を多くの人に知ってもらうために、絵本をつくる取材にイ
ラクにいき、イラクの人々の苦しみを我がものにしようと出かけていった。高遠菜穂子さんも、ずっとイラクで民衆の支援をしてきており、郡山総一郎さんはジャーナリストである。民間人を人質にして要求が受け入れなければ殺害すると脅迫することは、その要求がどんなものでも決して許されることではなく、犯人グループに対して3名の釈放を強く求める。
 日本政府は、こうした事態が引き起こされる危険が指摘される中で自衛隊を派遣してきたものであり、3名の釈放を確実に遂げなければならない重い責任がある。そのためには、これまでにも日本政府がハイジャックや誘拐事件で乗客・被害者の救命第一として犯人の要求を受け入れたことが度々あるように、救命のために必要であればイラクに派遣されている自衛隊を一時的・緊急避難的に日本に引き揚げさせるかイラ
ク国外に移動させるなどすることも現実的選択枝に入れて迅速に対処すべきである。
 なお、小泉首相へのインターネットによる意見欄は、
 http://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken.html
 です。


2004年04月07日

頸城村からの報告に拍手

 1ヶ月ぶりに「住民とともに合併を考える頸北議員の会」が開かれました。4町村の取り組みの中で注目を集めたのは、頸城村の住民組織による住民投票を求める直接請求運動です。有権者の46%、3512人の署名はどのようにして集まったのか。2人の村議が数々のドラマを語ってくれました。
 受任者となった住民は、集落の区長さん、お寺の住職さんなど様々な階層、年代の人たち160人。とくに女性と若者が大奮闘したといいます。ある村議の夫人は、「あなたが動くと合併反対の運動と見られるから、私が集める」と言って連日署名集めに。「村がなくなるということについて思いを伝えたい」と、ほとんど寝たきり状態のお年寄りが15分もかけて玄関まで体を運び、署名をしてくれた。合併しなければ財政的にやっていけないと批判されたある受任者は、「おれたちはすでに10年間も金に苦しむ生活をしてきた。家庭でやってきたことが役所でできないわけがない」と反論して署名を集めた。こんな話をいくつも聞くことができました。
 報告を聞きながら感心したのは、頸城村の住民組織は一生懸命で、しかも楽しく活動をやっているということです。さまざまな妨害もあったようですが、その一つひとつをみんなではね返し、まとまってきました。明後日には、今回の署名運動の総括会議を村の中心部にある、しだれ桜をみながらやるといいます。もちろん、お酒も飲んで。この調子なら、たまり場となった事務所では、いつも笑い声がしたことでしょうね。
 2人の村議の報告が終わったら、会場では拍手が起きました。とにかくよくやった、がんばったと思います。この頸城村の住民運動を支援し、残りの3つの町での運動を盛り上げよう。きょうの会での議論はこの点に集中しました。その結果、できれば連休前に、頸北4町村の住民に参加を訴えて、住民集会を開催しようということになりました。4町村議員による連携、協力で運動の質も量も飛躍させたいと思います。


2004年04月06日

白いマル

 きょうは小学校と中学校の入学式でした。小学校の新入生は63名、中学校は55名。今年の小学校1年生はとても元気がよく、「たくさんの友だちをつくりましょう」「道路を横断する時は車に気をつけてください」などの呼びかけに対して「はい」という返事がすっと出ていました。こんなに「はい」という言葉が感じよく体育館に響いたのは初めてのような気がします。
 昨年に続いて今年も上野實英教育委員長の挨拶はすばらしい内容でした。小中学校ともに、新1年生に分かりやすい言葉で語りかけられましたが、子どもたちが集中しているのがよく見えました。小学校での大人向けの話では、教師からマルを描きなさいと言われた児童のなかに、画用紙を鉛筆で塗りつぶし白いマルを浮かび上がらせた者がいた話を紹介し、「正解は必ずしも1つではない」と訴えておられました。子どもの多様性を認め、一人ひとりの子どもに寄り添った指導、付き合いの大切さを再認識しました。
 入学式から戻って車を下りると、頭の上の電線になつかしいお客さんがとまっていました。そう、ツバメです。子どもの頃から、ツバメは幸せを運ぶ鳥だからいじめないように、と教わってきました。昨年は、わが牛舎内に2つも巣をつくって卵を温めていました。そのせいか、わが家では、昨年はたいした病気、怪我もなく1年を過ごすことができました。今年は、どんな幸せを運んでくれるのか、楽しみです。


2004年04月05日

頸城村で直接請求署名3500人

 朝一番に病院へ行き、農業委員会長を見舞いました。もうすぐ退院とのことでしたので安心しました。会長とは13日告示の農業委員選挙のこと、最終定例会のことなどを話し合いました。話し合ったなかで、何とかしたいものだと一致したことは、女性農業委員の確保です。前回は吉川町初の女性委員を2人迎えることができ、全県に影響を与えました。今回は2人確保できるかどうかは微妙な情勢となっているので、心配しています。
 病院から役場に戻り、議会だよりの編集作業をやりました。今回のたよりは、2月に実施した議会主催の住民懇談会特集号です。49会場で住民の皆さんが発言した質問、意見、提案などを全部掲載して配布することになっています。内容のチェック、レイアウトの検討などを行いました。A3裏表印刷で7枚ですが、真ん中で折るので、14ページ建ての特別号になります。どんな反応があるか、楽しみです。
 夕方、頸城村で合併の是非を問う住民投票を求めて運動している議員から電話がありました。昨日で直接請求署名集めを終了したが、目標を大きく上回って有権者の40数%にあたる3500人分を集めたといいます。お坊さん、区長さん、自営業者など100人を越える受任者が様々な妨害をはねのけ、がんばった。若いお母さんたちも奮闘してくれたと、感動の報告でした。この頸城村の運動に学び、周辺町村に広げていきたいと思います。


2004年04月04日

春会議

 私が住んでいる代石(たいし)集落の春会議が行われました。新年度の役職員の報酬、農作業料金、集落行事計画などを全世帯の代表が集まって決めました。一つひとつ、みんなで話し合いながら決めていくので、けっこう時間がかかります。今回の所要時間は約3時間でした。春と秋の祭りでお世話になる神官への謝礼(?)が久々に引き上げられました。
 春会議のために家を留守にしている時にある老人から電話があり、ぜひとも私に会いたいとのことでした。午後から、その方の自宅を訪ねました。市町村合併問題、第三セクター、自治体経営のあり方などたくさんご意見をいただきましたが、80歳を過ぎたその方は、「これまでずっと共産党を支持してきた。こういう人間もいたことを知ってほしい」とも。率直に言って、自民党の人だと思っていたので、驚きました。
 「春よ来い」の第13回目は「町田城」です。それから今年初めて「野の花」のページにオウレンコシノカンアオイシュンランの3枚の写真を掲載しました。ごらんください。


2004年04月03日

昨晩のトラブルで…

 朝、起きてトイレに入ったらトイレの調子がよくありません。そして有線電話、これもうんともすんともいわない。昨日の風と停電の影響です。このため、きょうは電気屋さんや電力会社の方が調査に入り、当初予定したとおりの動きはできませんでした。トイレはすぐ復旧しましたが、ストーブは心臓部がやられていて使用不能、有線は外の線が切れていたとかで夕方にはつながりました。
 電気屋さんたちの調査の立会いを途中から妻にまかせ、「しんぶん赤旗」の配達に出かけました。あいにくの雨で、動きにくい一日でした。それでも、配達をしていると、思いがけない情報が入ったりするなど最低でも1つや2つ、いいことがあります。きょうは、山間部でめずらしいものをいただきました。ヨモギ餅です。緑色のヨモギが春の味をしっかり伝えてくれる美味しい餅でした。


2004年04月02日

強風そして停電

 すごい風でした。議会特別委員会の最中もビュウービューという音がするし、うるさいくらい。近くの民家の屋根がやられているというので、夜になって、家の周りを点検したら、わが家の堆肥舎の屋根が一部めくれていました。ようやく風が収まったのは、午後10時過ぎ。10時間くらい風が吹き続けていたことになります。明日になって被害が拡大していなければよいのですが……。
 夜9時前に突然、ボンという大きな音と同時に停電しました。近くの電柱のトランスがやられたようです。上越市の営業所に電話を入れ、修理してもらいましたが、復旧までには2時間半かかりました。その間、暖房はなし、テレビもダメ。ロウソクだけが頼りの生活はほんとに寒かったです。復旧してから、電気製品を一つひとつチェックしました。一番心配したパソコン関係は大丈夫でしたが、ストーブが一台ダメになりました。
 きょうの合併問題特別委員会では、冒頭、町長が町職員の上越市派遣について議会に報告が遅れたことを陳謝しました。町側の説明によれば、当初、これまでと同じように合併協議会事務局へ派遣するものと理解していたが、上越市の制度に統一する事務事業の調整手順書づくりをすすめるには、パスワードなどの関係上、派遣職員を上越市吏員にする形にしなければ対応できないことになった、ということです。どうあれ、重要なことは速やかに議会に報告してもらわないと困ります。


2004年04月01日

辞令交付式

 新年度のスタートの日。役場職員及び教職員の辞令交付式に参加しました。前者は午前、後者は午後からでした。
 役場職員の辞令交付式に参加するのはこれで2回目、いずれも農業委員会会長が都合が悪くて、私は代理出席でした。参加者が音も立てずにじっと見つめる中、辞令を読んで渡す、それだけの仕事ですが、ふだんやっていないことをやるのは緊張しますね。もっとも、きょう一番緊張したのは、3人の新入職員だったと思います。この若者たちが吉川町を担っていく、そう思いながら、彼らの動きを追いました。
 教職員の場合は、辞令交付の他に面識会というのもあって、参加者全員が自己紹介することになっています。こちらは、面識会になれば、緊張感も解けます。短いスピーチのなかに笑いを誘うものがいくつもあって楽しい会になりました。新任の6人の先生の内、加藤大助小学校長は私と同級で吉川町在住、それに小松はる子教諭は10数年前、次男の担任をしてくださった人、ふるさと吉川町のために頑張ってくださるものと確信しています。
 夜、ある議員から電話があり、「上越地域合併協議会事務所が昨日閉所したことを知っていたか」「今回の人事では、廃置分合議決前なのに合併をスムーズにという名目で町職員を上越市に派遣するのはいかがなものか」。きょうは、朝、バタバタしていたこともあって新聞もろくに読まずにいたので、びっくりしました。事務所を閉じるという話を聞いたこともないし、町職員は合併協議会事務局への派遣だと思っていましたから。これらの問題を町幹部は明日の議会特別委員会でどう説明するのか、注目です。


2004年04月投稿分

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