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2007年04月投稿分

2007年04月30日

尾神岳へ

 昨日に続いていい天気になりました。いまの時期、こういう晴れの日には外に出るべし。妻を誘い、尾神岳に行ってきました。ブナやナラなどの木々の芽吹きがすすんでいて、山は下の方から標高の高い方へとカラフルになっていきます。秋は高い方から色づき、徐々に低い方に下りてきますので、秋とは逆です。きょう、一番めだったのはコブシ。山のあちこちに白い花を咲かせていて、とてもきれいでした。
 尾神岳へ行ったのには他にも目的がありました。ボブスレー場がどうなったかを見てくること、そして山菜祭りの様子も見ておきたかったのです。ボブスレー場では、ヘルメットをかぶり、ソリに乗ってきました。高いところまで上がって、下っていく時、高田平野や日本海がとてもきれいに見えました。発着場の看板類もきれいになっていて、安心しました。山菜売り場では山菜入りの粕汁をご馳走になってきました。これはうまかったです。きょうは連休中の休日とあって賑わいがありました。この賑わいが平日もあればいいんですけれどね。
 尾神岳の見晴らし荘で昼食をとり、上川谷から桜坂峠を越えて柏崎市に向かいました。この道は2年前の梅雨前線豪雨で県道がやられ、通れなくなりました。きょうは、数年ぶりに通ったことになります。この道路沿いは雪消えも遅く、山菜はいまが盛りでした。景色だけ楽しみながら、ゆっくりドライブしました。軽トラと違い、今度の愛車(中古軽乗用車)は坂道に弱いのが難点です。


2007年04月29日

夕陽が沈んでいく中で「山菜を食べ語る会」

 青空が広がってとてもいい天気になりました。きょう、一番心配していたのは雨が降るかどうかでした。雨が降るようならば、建物の中で「山菜を食べ語る会」ができるように準備をしなければならなかったからです。今回で3回目の会ですが、これで3回連続、外で楽しむことができました。今回は朗読、さすけ昔話、市政についての質問、ハーモニカ演奏、市議会報告、阿弥陀くじ、と内容は盛りだくさんでした。
 朗読ボランティアの小田順子さんは、私の『春よ来い』の中から「夕陽」を朗読してくださいました。この話の舞台となった場所がすぐそばにあり、しかも真っ赤な夕陽が沈んでいく時間帯です。朗読が終わっても、「ほら、杉林に沈んでいくよ」「すごく赤くてきれいね」と話題になりました。まさにベストタイミングでの朗読、こういうのは初めてでした。吉川出身で頸城区在住のUさんは、なつかしい曲をハーモニカ演奏してくださいました。ハーモニカを外で聴くのもいいもんですね。このほか、「みなさんに聞いてもらいたいことがあります」と私の活動の一端を語ってくださった人もありました。連休前半の日曜日にもかかわらず準備してくださった後援会の皆さん、参加して盛り上げてくださったすべての皆さんに心から感謝します。
 会には急遽、武田勝利参院選新潟選挙区候補がかけつけてくださり、参院選への決意を固めることができました。上野公悦さんが県議選の結果と今後の決意をのべてくれました。また日本共産党だけでなく、他党派議員も参加してくれたのはうれしかったです。私も市議会報告をパソコンとプロジェクターを使い行いました。ただ残念だったのは、会の前半にやる予定だったのが、パソコンの不具合によって会の最終盤になってしまったことです。いざという時にパソコンがうまくいかなかったのは2年前の糸魚川市での会に続いて2度目、まいりましたね。


2007年04月28日

意外な事実にびっくり

 「しんぶん赤旗」日曜版を配達中に何本かの電話がありました。そのうちの1本は風岡さんのお連れ合いからでした。その時の話の中心は彼が亡くなる数時間前の私との会話についてでした。びっくりしたのは、彼が私に言った「ありがとう」が最後の言葉となったという事実です。前にも書いたように、彼の言葉は、「ありが…」という感じで全部を言い切れなかった言葉でしたから、そういうこともありうるかとは思いますが、まさか、お連れ合いがその後、彼と言葉を交わすことができなかったとは。
 新事実を聞き、しばらく風岡さんのことを思いました。何回か個展を開いているものの、新日本画家としての名前はあまり知られていないこと、これから大きく羽ばたこうとしている段階だった。そう思ったら、彼がとてもかわいそうになりました。夜になって、お連れ合いに電話でお願いをしました。彼のこれまでの作品を私のホームページで紹介させてほしいと。快く受けてくださいました。彼はおおざっぱなところと几帳面なところをミックスしたような男でしたので、おそらく自分が気に入った作品は電子データで保存しているはずです。連休明けにはその作業にとりかかりたいと思います。
 リンクのページに、友人でもある長岡市の新市議、細井良雄さんのホームページを載せました。細井さんならではの温かい語り口、筆致を一度味わったら、毎日読みたくなりますよ。


2007年04月27日

最後の別れの時に

 旅立つならこんな日に。風岡準三さんの告別式はさわかに晴れたなかで行われました。彼は4人キョウダイの末っ子です。親族を代表して彼のすぐ上のお兄さんが参列者にお礼の挨拶をされました。短い挨拶ではありましたが、「準三は精一杯生きました。すばらしい人生でした」のひとことを聞いて、「そうだね、そのとおり」と思いました。彼には90歳になるお母さんがいます。末っ子が先立つことに切ない思いでいっぱいだったのでしょう、最後の別れで彼の顔を見た時に式場に響き渡る声を出して語り掛けました。「準仙(彼の画家としての名前)!ころぶなよ、まっすぐ行きなさい」。みんな泣きました。
 火葬が終わってからお斎にも参加してほしいとお兄さんの亀久夫さんに言われ、出てきました。20人ほどの、こじんまりしたお斎にはおいしい料理がたくさん出ました。朝食を食べずに朝一番の高速バスに乗って出かけたので、どんどん食べ、飲みました。食べるだけで終わるのかと思ったら、進行役をしておられた亀久夫さんが「最後にご挨拶を」と小中学校時代からの友人である伊藤さんを指名。伊藤さんは、「自転車に二人乗りをして鳥屋野潟で魚釣りをした。途中で堆肥のなかからミミズを掘り出しエサにした」などの思い出話をされました。その後、私と竹之内さん(学生時代からの友人)にも指名され、びっくりしました。
 最後の最後。彼とこの2年間ともに暮らし、支えてくれたお連れ合いが、「私もしゃべりたくなりました」とのべ、これまでの病気との闘い、彼の性格、人柄などについてたっぷり語りました。「ここ数ヶ月、ずっと死の恐怖とたたかいながら、最後まで生きる希望を捨てませんでした。こんなにも急速に病状が悪化するとは思わず、3月には2週間ロンドンに行っていました。毎日国際電話がきたが、不安でしょうがなかったのだと思います。心配になったので帰ろうかと言うと、自分の仕事を大事にしっかりとやってきなさいと逆に励まされました。ヒューマンな愛情を持ち続けた人で、目の前に困っている人があれば、最大限、援助の手を差し伸べる人でした」。良い友人を持った幸せを再確認できた話でした。よかったです。


2007年04月26日

無題

 あわただしい一日となりました。風岡さんの葬儀が明日27日午前9時から(新潟市中央区沼垂東1の「日乃出会館」)となったことから、学生時代の友人、知人などへの連絡、山菜を食べ語る会の準備、議員団ニュースと市政レポートの作成など2日分の仕事をしなければならなくなったからです。通常よりも1日早く「しんぶん赤旗」日曜版を配達したところは市政レポートが間に合いませんでした。お許しください。夕方、大潟区に住む友人のお父さんが亡くなったという知らせが入りました。ここ数日はバタバタしそうです。


2007年04月25日

風岡準三さん亡くなる

 悲しいお知らせです。私の学生時代からの大切な友人で、日本画家の風岡準仙(本名準三)さんが亡くなりました。直接の死因はまだ聞いていませんが、頭だか首の外部にできた悪性腫瘍が肺、腎臓、骨盤などに転移していました。まだ57歳という若さです。50代も半ばになった2年前、やっと連れ合いが決まりました。これからどんな活躍をしてくれるか楽しみな人だっただけにとても残念です。
 風岡さんとは大学1年生の時に出会いました。私は史学、彼は英文学を専攻していましたが、英会話研究会で一緒になり、学生運動も一緒でした。以来、今日まで友人として付き合いをさせてもらいました。とても頭のいい人でしたが、きさくで、いつも笑顔を忘れない人でした。でも、人一倍さみしがりやさん。私の下宿やわが家にも何度もやってきては泊まっていきました。わが家が尾神岳の中腹にあった頃、卵と牛乳を入れただけのインスタントラーメンを作ってやったら、これほど美味いものはないと喜んでくれたことをいまでも憶えています。
 伯母にあたるのか、従姉にあたるのか、日本画家の人が親戚筋にいて、彼も日本画をやるようになりました。素敵な風景を自分の目でしっかりと覚え、1枚の絵にしていく彼の話を初めて聴いた時、「こんな能力をどこで身につけたのか」と驚いたものです。彼の絵の中で私が一番好きだったのは、青い空の下、はさのある雪道をひとりの少女が歩いている絵です。雪国の暮らしをとらえる視点はとても温かく、私の想いと共通するものがありました。写真は2年前の3月19日、母校の人文学部長室に八海山の絵を彼が寄贈した時に、記念に撮ったものです。
 お連れ合いから電話があったのは午後6時50分頃でした。「お医者さんに、今晩か明日だと言われました」そう言った後、彼のそばに電話を持っていってくれました。「風岡さん、風岡さん、橋爪君よ」と呼びかけてくれ、彼と最後の会話ができました。涙があふれるなかで、「死ぬなよ」と言ったら、彼は「ありが……(ありがとう)」という言葉を返してくれました。この電話の数時間後、亡くなりましたので、これが私が聴いた彼の最後の言葉になりました。風岡、いままで本当にありがとう。


2007年04月24日

イワカガミ咲く

 きょうの日中は、めずらしく家にいました。自分の机の周りにある資料の山をなんとかしたい、いつもそう思いながら、なかなか手を出せませんでしたが、午前中に床屋さんと歯医者さんへ行ってすっきりした後、夕方まで整理作業をやりました。大型のごみ袋(10リットル用)に1つ半の燃やせるゴミが出ました。いらなくなった本、資料はリサイクルごみとしてサイズごとに紙ひもでしばり、7つにまとめました。資料の整理では捨てる決断力が大切ですね。
 夕方、柿崎駅から電車で直江津に行きました。学校給食を考える会に参加するためです。柿崎駅では久比岐高校(柿崎、吉川の統合校)の生徒がたくさん乗りました。ほとんどが黒井、直江津駅で降りる生徒でした。直江津方面からこんなに通っているとは知りませんでした。学校給食を考える会では、先に教育委員会が明らかにした民間委託試行の検証項目について検討し、会としても「教育の一環として学校給食を位置づけた」いくつかの提案をしていくことを確認しました。会が終わってからは懇親会を楽しくやりました。
 ところで、朝方、イワカガミがもう咲いているのに気づきました。わが家の牛舎から100メートルくらいの場所です。いつもならゴールデンウイークの頃咲くのですが、1週間ほど早く咲きました。杉林の土手にはキイチゴの白、スミレの紫、イワカガミのピンクが咲いていて、とてもきれいです。林の中ではコシアブラが芽を出していたので、天ぷら用に採りました。29日の山菜を食べる会までには大きくなりすぎるかもしれません。


2007年04月23日

久々に議員団会議

 県議選などのためにお休みしていた議員団会議を久しぶりに開きました。当面する課題の整理と検討が中心です。市議団としての3月議会報告は「しんぶん赤旗」読者対象の議員団ニュースしか出していないので、「市議会報告」を最近話題となっているテーマをメインにすえて編集しようということになりました。保育園通園バス制度統一、学校給食民間委託、産業廃棄物最終処分場について一定の議論をし、25日には処分場関係で現地調査も行うことにしました。産業廃棄物最終処分場の候補地として行政側が考えている宮野尾地域は謙信の時代から歴史のある地域といいます。初めての訪問なので、いろんな意味で関心があります。
 団会議中に、あるNPO法人の理事長さんがやってこられたので、休憩して談笑しました。頸城中学校で働いていて、上野公悦事務局長の子どもさんを教えたこともあるとかで、話がはずみました。会議が終わってからは新しく副市長になった村山秀幸さんを議員団全員で訪問、市政運営のあり方、北陸新幹線開通後の在来線対策などについて意見交換をしてきました。私は村山さんとは合併協議会以来の付き合いです。自分の言葉で何でも率直に語る人との印象を持っています。市議会常任委員会ではしっかりと論戦していきたいものです。


2007年04月22日

不法投棄されたゴミ12トン回収

 すごいゴミでした。上越各地から参加した数十人の人たちが県道柿崎牧線朔日峠地内の道路わきに捨てられたゴミを回収したところ、集めた量は約12トンにものぼりました。ボランティアで作業にあたった人の多くは杉林の中の急斜面を降り、小さなナイロン袋や1トンバックに入れてゴミを運び出しました。今回はユンボやクレーン車も使っての大掛かりな作業となりましたが、機械力なしではこれほど運び出すことはできなかったでしょう。
 捨てられたゴミは、苗箱、タイヤ、空き缶、電気用品、ベッドとなんでもありでした。斜面の土を少し掘っただけでも、あっと言う間に5キロ入れのナイロン袋はいっぱいになります。きょうの作業で捨てられたゴミのどれくらい回収したことになるのかわからないくらい、まだ大量に残っています。投げ捨てた人たちは、どんな思いでこれらのゴミを捨てたのか。まともな人間がやっていることとは思えません。
 きょうはゴミの回収作業が終わってからご飯を食べ、その後、長峰温泉ゆったりの郷で風呂につかりました。このところ肉体労働をしていなかったためなのか、疲れました。でもひと眠りしてからは順調で、これまでやれなかったホームページの改善作業に着手することができました。容量不足から、この日記には写真がなかなか載せられなかったのですが、今度は大丈夫です。


2007年04月21日

通園バス制度統一説明会続く

 6日からはじまった通園バス制度統一についての保護者説明会。対象となる28保育園のほぼ半分で終わったといいます。通園バス制度の統一についての手続き、対応は保育園児をかかえる人たちにとって大事な問題ですが、これはこれから本格的な動きが出てくる通学バス制度統一にも影響を与えていきます。私は、何よりも現場の声をしっかり聞いて対応したい、そんな思いで、これまで吉川区、柿崎区、頸城区などの9園の説明会を傍聴してきました。
 各区によって制度が違い、統一がテーマになっているのですから、ひとつの園の説明会に出ただけでは保護者の考え方、願いの全体的な傾向をつかむことはできません。そのことを再認識したのは、柿崎区での説明会でした。ここでは5つの園の保護者を一箇所に集め取り組んだのですが、これまで利用者の負担がゼロだったこともあって、11人もの保護者から「月単位でバスを利用することはできるか」「通園バスのバス停を増やしてほしい」など質問、要望が相次ぎました。月額2000円の負担がある吉川区内2園の説明会とは雰囲気もずいぶん違いましたね。
 きょう説明会があった大島保育園も利用者負担ゼロですが、ここでは、中山間地に立地している保育園の将来を考えるきっかけを与えてもらいました。園児数わずか32人という小規模保育園です。説明会では、「子どもが少なくなっても通園バスは運行してもらえるか」「通園バスを利用する子どもが少なくなれば負担は上がるのか」などといった質問が出ました。こうした質問を聞きながら、いまのような出生率なら5年後、10年後はたいへんだなと思いました。保育所のあり方も遠からず議論せざるをえないと思いました。
 説明会が終わってから市村市民生活部長などと事務室で懇談しました。地域協議会への提出資料をどうするか、説明会での説明の進化・発展など通園バス制度についての話だけでなく、山菜、山野草、合併協議会のことなども話題になりました。事務方として合併協議会に出ていた人が2人もいるのにはびっくりでした。懇談をしている最中、2階からは園児たちの歌声がオルガンの音とともに聞こえてきました。いいもんですね、オルガンと子どもたちの歌声は。そうそう、私の親戚筋にあたる若いお母さんたちにも会いましたよ。「帰りに家に寄ってってください」のひとことがうれしかったです。


2007年04月20日

吉川小学校職員歓送迎会で…

 きょうは午後から月例議員懇談会、勉強会、食料・農業・農村議員連盟総会と続きました。勉強会では、元市財務部長の高橋克尚さんから道州制の動きについて説明してもらいました。もともと頭の回転のいい人ですが、膨大な資料を読みこなし、時系列で動きをコンパクトに説明する、その姿は頭の良さを感じさせます。それにしても、道州制導入の動き、これほどピッチが上がっているとは思いませんでした。食料・農業・農村議員連盟総会で注目したのは中山間地対策特別部会の設置です。担い手不足や農地崩壊などの実態をつかみ、限界集落などにおける農業生産をどうするか、調査研究をしていく。この問題の重要性について、市議の認識が広まっていくのはありがたいことです。
 夕方は久しぶりに小学校の職員歓送迎会に参加しました。同級でお世話になった校長さんが転任されたので参加しました。参加者のほとんどは私よりも20歳以上も若い人たちです。ふだん、なかなか話ができないなか、農業のこと、学校のことなどで対話ができたのはうれしいことでした。また、思いがけない人に会って、楽しい会話もできました。例えばTさん、私の大学の後輩だということです。「古町13番町に下宿されていましたね」と言われ、ドキッとしました。なんでも、私の下宿に来たことがあるというのです。私はまったく記憶がないのですが、どうも活動家にならないかと勧誘したらしいのです。Tさんは、私の下宿のすぐ隣にあった女子寮に住んでいたのだそうです。最近、学生時代の記憶が呼び戻される出会いが続いています。


2007年04月19日

きょうから新たな携帯に

 昨日、新たな機種にする予定だった携帯電話、きょう、入手しました。これまでのものと同系列のものとはいえ、操作はかなり違っています。私の携帯活用で一番多いのは通話、その次はスケジュールです。手帳を持たないので携帯のスケジュールカレンダーに予定を入力し、これを毎日見て動いています。携帯の更新ではアドレスのデータは移してもらえましたが、スケジュールなどはダメ。それで、これまでの携帯に入力していたものを新たに入力する必要がありました。説明書を読まずにスケジュールを操作したら、とても時間がかかりました。新たな携帯はとても軽く、薄いのが気に入りました。
 夕方、久しぶりに川谷地区へ市政レポート配布に出かけました。時間がなかったので、ゆっくり対話もできなかったのですが、いろんな場面に出会います。下川谷のSさんは、山菜採りから戻ったばかりでした。私の顔を見るなり、「おまんに、ひとかたげやるわ。もっていきない」とウドをくださいました。上川谷のMさんはひとり暮らしです。私が訪ねた時は、ムシロの上に干していたゼンマイをちょうどしまうところでした。ムシロの片方を持って家の中に運ぶ手伝いをしたら、「おまさん、いいとこへ来てくんなった」。こんな調子ですから、きょうもいい気分で帰ってきました。夕飯ではウドをゆでて美味しくいただきました。


2007年04月18日

急遽、新潟のがんセンターへ

 朝、「しんぶん赤旗」日刊紙の配達を終わって家に戻ると同時に電話がなりました。新潟市に住む学生時代からの友人Kさんのお連れ合いからでした。Kさんがいま、あなたと話をしたがっているので、と電話をしてきたのですが、声が震えています。Kさんに替わってもらい、「どうした、元気か。近いうちに会いに行くからな」と言ったら、「もうじきモルヒネを打つので、もうこれで話ができなくなるかもしれないと思って……」。もう、涙が溢れてきました。その後は、一言、二言話をして再びお連れ合いと替わってもらい、何とか都合をつけてお昼までには行くからと約束しました。
 電話を切って、ふと思い出したのは、お連れ合いの言葉です。「8時半にはお医者さんが巡回に来る」。ということは、その時にモルヒネが入れば、出かけても話ができなくなっているかもしれない。そう思ったら、居ても立ってもいられなくなりました。朝食も食べずに、着の身着のまま軽乗用車に乗って高速道路を飛ばしました。新潟の中央インターに着いたのが8時35分、それからが時間がかかり、県立がんセンター病院に入ったのは9時少し前でした。
 病室では、Kさんとお連れ合いが待っていてくれました。昨夜は痛くて眠れなかったのでしょう、いくぶん疲れた目でしたが、私を見てくれています。「来たぞ。間に合ってよかった」と言いながら、彼の手をギュッと握りしめ、再会を喜び合いました。お連れ合いの話では、私が来るというので、モルヒネは待ってもらったということでした。それから夕方まで、彼の家にパソコンをとりに行った以外は、病室にいました。学生時代のこと、慶応病院での免疫療法のことなどたくさん話ができました。驚いたのは、肩で息をするほど苦しみながら、「奥さん(体調を崩している)は大丈夫か」などと他人のことを心配していることでした。いったい、この男はどこまで優しいのか。Kさんはここ1週間が山場だといいます。何とか乗り切ってほしい。


2007年04月17日

暴力は許せない

 NHKの歌謡コンサートがはじまってまもなくでした。パソコンのある部屋から居間に戻ると妻が「いま、緊急放送があったみたい」と言います。テレビでは長崎市の伊藤一長市長が銃撃されたことが文字で放送され、その後、歌謡番組は中止されて、現場からの生放送に切り替りました。市長は呼びかけても反応がない状態だ、と繰り返し報道されていました。眠気が一気に吹っ飛びました。思想的な背景があるのか、個人的な恨みがあるのか、まだ分かりませんが、どういう理由にせよ、許せません。怒りを感じながら、しばらくテレビに釘付けになりました。
 きょうは、政務調査費の報告期限が迫っていることから、関係資料の整理をしたり、生活相談などで動きました。一番時間がかかったのは携帯電話の機種変更です。じつは2週間ほど前から携帯の調子が悪く、データが消えないうちに交換しなければと思っていました。どうしたらいいのかは、次男に相談し、一緒に行動してもらう約束をしていました。きょう、やっとそれが実現したのです。いくつかの携帯ショップをまわり、いままでと同系列の機種に決めたのは夕方でした。決め手はわが家の部屋の中でも通話できること。電波の関係を優先させなければならないのは残念ですが、仕方ありません。うれしいのは、いままでよりも軽いことです。明日の夕方には新しい携帯電話になります。


2007年04月16日

ウドは急速に伸びた

 昨日に続いて、きょうも、柏崎市でハンドマイク宣伝でした。昨日私が使用したハンドマイクは昨夕使った人がそのまま持って行ったため、急遽、予備のものを用意してもらいました。ところがこれは音が途中で切れるなどのトラブル続きで、6回ほどやってやめてしまいました。本体そのものに不具合があるのか、小雨の中で使用したのが悪かったのか、いずれにしても使いものになりませんでした。こういう運の悪い時は心理的にも影響するらしい。上越への戻り道、まもなく柿崎に入るところまで車を走らせたら、カバンを事務所に置き忘れてきたを思い出しました。まいりました。
 夕方、尾神地内でウドを数本採ってきました。今年の初物です。じつは県議選が終わった翌日、宣伝カーを走らせた時に伸び具合を確認しておいたのです。あの時は3センチほどだったものが、きょうはもう25センチほどに生長していました。1日に3センチくらいずつ伸びた勘定になります。この調子ですと、北向きの斜面でも来週あたりはウドが最盛期になるものと思います。夜、後援会の幹部の人たちに相談し、今年の「山菜料理を楽しみながら橋爪法一を囲む会」は予定よりも大幅に早め、4月29日(日)午後5時から、橋爪牛舎脇広場で実施することにしました。会費は例年通り500円、事前申し込みは不要です。当日、都合のつく方はご参加ください。


2007年04月15日

フクロウも鳴いている

 先日、ウグイスの声を聞いてから、鳥たちの鳴き声に敏感になったようです。朝、5時頃でした。フクロウのホッ、ホッ、ノリツケホーセという鳴き声が聞こえてきました。この鳴き声の中に、私の名前のノリとわが家の屋号ホーセが入っているので、子どもの時から、このフクロウは大好きです。きょうは夜9時頃にも鳴いていました。鳴いている場所は北側の山林と南側の山林、どうやら最低でも2羽いるようです。
 きょうは朝から午後1時頃まで柏崎で街頭宣伝でした。事前に演説例やデータをまったくもらっていなかったので、最初はとまどいもありましたが、3回ほどやるうちになれてきました。あまり人は出ていなかったので、どれくらいの人が聞いてくださったか分かりません。明日も行くことになっています。話を聴いてくれ、拍手をしてくれた人が2人いました。この2人の拍手がなかったならば、明日出かける気持ちは小さくなっていたかもしれません。感謝です。
 夜は楽しみにしていた県議選の反省会でした。旧頸北地区の人たちを中心に50人ほどが集まり、楽しいひと時を過ごしました。上野公悦さんや後藤選対事務局長からは、「多くの人たちから励ましをもらっている。残念な結果にはなったが、今後のたたかいに役立つ財産がいくつもできた。がんばろう」と挨拶がありました。集まった人たちの紹介はユーモアに満ちていて、笑いの連続でした。朗読ボランティアの小田さんは斎藤隆介の『ベロ出しチョンマ』を朗読、大工職人のUさんはハーモニカで「赤とんぼ」など3曲を演奏して盛り上げてくださいました。持ち寄った食べ物の中に「ふきのとうの入ったおにぎり」があり、話題になりました。私のところに来るまでになくなってしまったので、今度、提供者のNさんのところでご馳走になりたいと思っています。


2007年04月14日

尾神のしだれ桜の見ごろはいま

 「尾神のしだれ桜の満開は来週後半」と書きましたが、きょう、現地で確認したら、すでに見ごろを迎えていました。濃いピンク色の花がほとんど咲いて、強い風に大きく揺れていたのです。きれいでしたよ。私の目では、2、3日の内に満開となる感じがしました。写真として撮るには明日あたりが一番かもしれません。問題は空模様です。きょうの天気は悪くなかったのですが、私が行った時には曇り空でした。こうなると、写真に撮ってもいまひとつです。明日は晴れて青空が広がってくれればいいのですが、どうなるか。
 きょうは午後3時から「まちづくり吉川」の観桜会でしたので、朝早くから新聞配達をしました。しかし、あちこちで「道草」をしたおかげで終わりませんでした。「道草」するきっかけになったのは、ある家の裏山に咲いていたニリンソウの白い花が目に入ったこと。緑色の草の中にいくつもの花が咲いている風景にひき込まれ、そこへ行ってみると、ワクワクしました。ニリンソウだけでなく、カタクリ、トキワイカリソウ、エゾエンゴサクが咲いているじゃありませんか。配達は中止し、しばらく、野の花の撮影時間になってしまいました。その後、村屋という集落で、村松哲夫さん宅のしだれ桜が見事だったので、これもいろんな角度から撮影しました。ゆっくり撮影していたら、村松さんちの政子さんからとても美味しい赤飯をいただきました。
 きょうの観桜会は強風の中で行われました。風が冷たくて、体が冷えます。こうなれば体を温めなくてはなりません。防寒着もホッカイロもありませんでしたので、手っ取り早い方法で対応しました。アルコールを使って体の内部から温める方法です。会場では、豆腐やコンニャクを焼いて売っているグループのところが暖かいので、大勢人が集まりました。屋台や子どもたちが喜ぶゲームがあったからでしょうか、今回は、風が強い割には結構人出があったように思います。スタッフの皆さん、ご苦労様でした。


2007年04月13日

桜の本場からわざわざ尾神のしだれ桜を観に

 うれしい電話がありました。昨日、高田の桜は満開になったと測候所が発表していましたが、その桜の本場である高田から1人の年配の方が私のHPを見て、わざわざ尾神までしだれ桜を観に来てくださったというのです。尾神のしだれ桜はまだ花がつきはじめたばかり、満開は来週後半でしょう。その方には、しだれ桜だけでなく、これから次々と咲く尾神岳周辺のヤマザクラの美しさについても宣伝しました。
 きょうも朝はビラの作成でした。午後からは「しんぶん赤旗」日曜版の配達です。選挙のお礼の挨拶も兼ねながら、久しぶりにゆっくりと廻りました。「おらも協力させてもらったがだけど残念だったね」「7000から更に伸びると思っていたのに、伸びなかったので、信じられない思いだった。これでめげずに次回は勝ってくんない」などたくさんの声を寄せてもらいました。こうした励ましのおかげで、元気になります。明日も半日かけて読者周りをしようと思います。
 夜になって、商業新聞に折り込むビラ(市政レポート吉川版)の印刷をしました。印刷を始める前になつかしい声が聞こえてきました。カエルたちの鳴き声です。まだ大合唱にはなっていません。遠慮して鳴いているような低い声でした。きょうの昼間はトラクターの音も聞こえてきました。いずれも、春が来たことを実感させてくれます。


2007年04月12日

ウグイスが鳴き始めた

 ひと眠りしてからビラの原稿を書こう、そう思って布団に入ったら、朝になっていました。起こしてくれたのはウグイスです。ホーホケキョというきれいな声にはいま一歩といった感じの鳴き声でした。でも、いいもんですね、ウグイスが鳴くのは。何となくうきうきした気分にしてくれます。今朝はこのウグイスともう1種類の小鳥の鳴き声を確認できました。高田測候所の生物季節観察によると、昨年、ウグイスが鳴き始めたのは4月10日(平年は3月31日)でしたから、昨年より2日遅いことになります。きょうはウグイスに助けられて、市役所に行くまでに2枚のビラを作成することができました。
 きょうは午前中が市議会政治倫理条例検討委員会、午後から文教経済常任委員会の管内視察でした。管内視察では4月にオープンしたばかりの教育プラザと城北中学校を訪れました。このうち城北中学校は党議員団で訪問して以来、2度目です。校内を見学した後、中野敏明校長から〝新生〟城北中学校をどういう学校にしようとしているか、説明してもらいました。地場産の杉をたっぷり使った教室や村山陽さんなどの絵画を観たばかりということもありますが、「緑と芸術に囲まれ、木のぬくもりを感じる学校」など3つの基本コンセプトについての説明は説得力がありましたね。「感性の鋭い時に、いいものに出会う。その環境づくりが大事」「生徒と地域の距離が短い関係になることが大切だ」などの言葉が印象に残りました。
 城北中学校では、もうひとつ重要な取り組みの報告がありました。学校教育課長と中学校の教務主任が同校で試行として取り組んでいる学校給食調理部門の民間委託の現状について説明したのです。私が3月の常任委員会審議で問題にした検証項目の整理はすでに行なわれており、きょう、初めてその関係文書を見せてもらいました。じっくり分析してみたいと思います。こちらからも注文したいことが出てくるかもしれませんので、今後、新たな検証項目を提案した場合、検討してもらえるかと質問したところ、「検討する」との回答をもらいました。


2007年04月11日

ビラがなかなか書けなくて…

 午前から市役所で仕事をしました。選挙期間中は木田事務所には一度顔を出しただけ、それ以来でした。まずは生活相談です。選挙期間中に寄せられた相談のうち、時間のかかるものはきょうまで待ってもらいました。私だけでは問題解決に至らないので、専門家の力も借りることにしました。なかなか関係者と連絡がとれず、時間がかかりました。
 続いてビラづくりです。まだ県議選の総括が終わっていない段階で、後援会員向けに書くビラです。県議選でのご協力に感謝するとともに、参院選に向けてさらに力を貸してほしい。それを中心に据えることにしました。しかし、選挙の結果をどう見るかが読者の最大の関心事です。それを書かないわけにはいきません。確かに参院選、衆院選の比例区得票よりも1000票から2000票増えてはいるものの、もう少し伸びてもよかったのではないか、そんな思いがあって、文も見出しもまったく書けませんでした。
 午後からは常任選対会議でした。ここでは県議選の結果についてどう見るかの議論がされることになっていました。地区委員長から率直に意見を出してほしいという声かけがあったこともあり、とてもにぎやかな会議になりました。「善戦、健闘という言葉は使わないでほしい」「市町村議員選挙以外でこんなに燃えたのは初めて。上野さんを擁立してみんな一丸となった」「増員選挙での後援会づくりの教訓を生かせず、運動の広がりをつくりだせなかった」「参院選に向けて財産はいっぱいできた。支持者台帳に基づく支持拡大、有権者規模の宣伝、他党派を上回る宣伝など自信を持っていい」「有権者の声を聞くと、意外な結果だったと言う。選挙での盛り上がりを票に結び付けられなかった」「対外的に出す文書では、事実をありのまま伝え、有権者の気持ちに合ったものを出して」。ここには書ききれないほどたくさんの発言が出ました。とてもいい会議になったと思います。
 この会議を受けて、阿部地区委員長がビラの原稿案を作成することになりました。それをもとに最終的には私が作成します。やはり、午前の段階では無理でしたね。


2007年04月10日

新潟で「山村再生」(仮題)編集委員会

 久しぶりに新潟市へ行きました。柿崎発8時47分の特急に乗り、長岡から新幹線に乗り移って10時には新潟着。偶然、吉川区から新潟へ通勤している人と出会い、新潟までずっと話を続けました。中身は合併して吉川はどうなったか、いまの上越市をどう思うかなどです。おかげで、「もう着いたか」と思うほど早く新潟へ到着しました。これまで新潟への通勤なんて考えてみたこともなかったのですが、1時間ちょっとなら十分通勤圏です。
 新潟は「にいがた自治体研究所」での会議でした。ここで長崎明理事長、福島冨副理事長など7人で限界集落対策に関するブックレットを発行するための編集委員会が行われました。新潟県政の重要課題の1つとの認識から、県内の様々な動きをコンパクトにまとめ、再生策を提起していくことがねらいです。編集委員会のメンバーには、農村現場において農協の営農指導の第一線で活躍していた人、農山村計画策定に携わってきた人などがいて、活発な話し合いが2時間以上にわたって行われました。たたき台では、私も執筆者の1人になることになっています。
 会議の中では、どういう視点で、どんな内容にしていくかが中心でした。これまでの国や県などの各種調査や県内での様々な取り組みなどが紹介され、どんな本にしていくかのイメージもふくらませることができました。単なる政策提起の本にしないで、そこに住む人たちの生き方にもふれた明るい本にしたい。そんな声も相次ぎ、連休明けには吉川区で現地調査もおこなわれることが決まりました。この調査で本のイメージもさらにふくらむことでしょう。


2007年04月09日

の2  街頭宣伝に

 県議選の結果を受け今後どういうたたかいをしていくか、昨日の夜、地区幹部などと決めたことは街頭宣伝にいち早く出ることでした。きょうは市議団全員と後藤紀一旧大潟町議長が朝9時に上野公悦さんの家に集まり、旧上越市内、柿崎、大潟、吉川、頸城、大島、浦川原の各区を回りました。途中、大山温泉で一風呂あびて休憩したこともありますが、夕方5時過ぎまでかかりました。まだ選挙が終わったばかりで、宣伝カーには市民の皆さんは敏感に反応してくださいます。たくさんの激励、元気をもらって帰ってきました。
 明後日には第1回目の総括会議が開かれます。早めに教訓を引き出し、15日からの後半戦に活かそうと、夕方、議員団や支部の仲間と意見交換をしました。支部が主役になって、これまでにない大規模な宣伝戦を展開したことなど、いくつもの財産ができたことを確認しつつも、「上越をどうするかの押し出しが弱かった」「市議団が他党派と協力、連携する中で住民要求実現の努力をしているのに、県議選ではそういうスタンスを示せなかったのはいかがなものか」などたくさんの声が出されました。総括会議は引き締まった会議になるでしょう。柏崎市の党組織からは、さっそく市議選の応援要請も来ました。忙しさから、しばらく、解放されそうもありません。


その1  県議選、上越市区は届かず

 ご無沙汰しておりました。10日ぶりの書き込みです。まずは残念なニュースから。昨日の県議選上越市区(定数5、立候補者7)においてわが党が擁立した上野公悦候補は6位に終わり、議席には届きませんでした。得票は7721票、得票率7.9%です。県議選上越市区における党候補の初議席をめざしていただけに、くやしい思いでいっぱいです。私は夜9時頃から、党地区委員会事務所に出かけ、仲間たちとともに開票を見守りました。
 県内では日本共産党から5人が立候補し、複数議席を目指していました。合併後の新しい区割りの中で現職が落選し、長岡市・三島区で新人竹島良子さんが当選しました。私としては、うまくいけば4人当選できると期待していたのですが、予想外の展開となりました。こういう結果になった原因はどこにあったのか早く分析し、一斉地方選の後半戦での躍進につなげていきたいものです。政策宣伝に責任を持たされた者としては、「定数5人の中の1人は共産党、上野を」の訴えを浸透させることができなかったのはなぜかが気になります。宣伝戦、組織戦とも勝利の勢いがあったところと弱かったところが出た点も指導の問題として反省しなければなりません。
 全国的な状況はまだよくわかりませんが、うれしかったのは長野県岡谷市の毛利栄子さんが定数2の選挙戦でトップ当選したことです。前回も2位で当選でしたから、すごいことです。彼女の夫である正道さんは私の友人で、彼のメルマガによると全県的にも定数2での3人当選を含め、7人当選したといいます。京都や大阪、高知などでも定数1、2で当選が相次いでいると情報が入ってきました。早く、こうしたところのたたかいの教訓を学びたい。
 


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