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2005年01月投稿分

2005年01月31日

また雪が降ってきた

 昨日までの好天がうそのようです。きょうは「冬にふさわしく」荒れました。雪も本格的な降り方に変わってきました。日中だけで20センチは降ったと思います。そのなかで「しんぶん赤旗」の集金、後援会ニュースの配布で動き回りました。回っていると声をかけてくださる方がずいぶんと増えてきた、そんな感じがします。


2005年01月30日

学生時代の友人も応援に

 「新潟から応援の人が来ているよ」。お昼少し前に「語る会」から戻ったら、新潟市のSさんとIさんが来ているという情報が入りました。うれしかったですね。いままで町議選ではカンパをもらったことがありましたが、直接応援に来てくれたのは初めてのことでした。定数1での選挙戦にじっとしていられなくなった二人の友人からは後援会ニュースなどの配布を手伝ってもらいました。
 きょうはこの他にもうれしいことがいくつもありました。元吉川高等学校の書道の先生だった早川大斗さんからは、「必勝」「ふるさとは母 ふるさとは命」と書かれた激励の書を寄せていただきました。先生とは個展で出会ったのが最初で、その後、妻が同じ職場になったこともあって、長いお付き合いをさせていただいています。早川さんの書には力強さがあり、見ているだけで元気が出てきます。2日の事務所開きで皆さんから見ていただき、皆さんに元気をおすそわけしようと思います。
 もうひとつ、6歳下の弟が絵を描いて激励に来てくれました。絵手紙用の葉書にはトウモロコシや母が作った干し柿、唐辛子、ハサ木、ホオズキなどが実にていねいに描かれていました。こうした絵はこれから発行するチラシにも活用する予定です。弟は中学時代、高校時代の同級生のところにも顔を出してくれたようです。子どものころから一緒に暮らしてきた弟は、私以上に父母を大事にしてくれています。ありがたいです。
 私のきょうの活動は「橋爪法一と語る会」と後援会ニュース配布でした。「語る会」はもう1箇所やって終わりになります。11月28日にスタートした「語る会」は合計47会場になります。他の予定候補も同じように小集会をやっていますが、住民の皆さんの生の声をお聞きできて、とても勉強になりました。この「語る会」で初めて知り、政策化したものもあります。


2005年01月29日

今年初のサルトコ

 いやに冷えたと思ったら、何から何までよく凍りつきました。水溜り、外の水道、雪など、みんなコチンコチンです。今年初めてのサルトコもできました。サルトコというのは、凍み渡りのことです。雪が凍って、キラキラ輝くようになれば、雪の上を自由に歩き回ることができます。今朝は「しんぶん赤旗」日刊紙の配達当番でしたが、雪の上を歩いてきたことを教えてくれる人もいましたし、ソリを持ち出して、遊んでいる子どももいました。サルトコをやった時の何ともいえない満足感は笑顔で分かります。
 きょうの活動の中心は新聞の配達・集金です。加えて支持のお願いをする、カンパのお願いもする、というスタイルでやったものですから、大忙しでした。これまで選挙のたびにカンパの訴えをしてきましたが、今回ほど集まり具合がいいのもめずらしいです。きょう一日だけで10万円近くになったのではないかと思います。もっとも、これだけいくつものことを同時に追求するととても時間がかかります。「しんぶん赤旗」日曜版の配達作業は終わらず、明日までかかりそうです。


2005年01月28日

市議選特集のページ

 昨日、書く材料が見つからなかった、と書きました。でも今朝になって考えてみたら、見つからなかったどころか、ここ1週間の間だけでも材料はあちこちにありました。「語る会」で出された要望、地域協議会委員選挙をめぐる動きなど、いっぱいあったのです。それらのことに気が付かなかったのは、だいぶ私の頭も疲れているということでしょうか。
 そんなわけで、市政レポートでは、マスコミでも話題になっている地域協議会委員選挙改善の課題についてトップで取り上げました。また、シニアパスポート(市の施設利用半額証明)の対象として吉川区の温泉施設などが一つも上がっていないことや温泉のポンプがこわれて利用できなくなっていることについても書きました。温泉施設、「ゆったりの郷」については総合事務所の担当グループを通じて調べてもらいましたので、最新情報を掲載できたと思っています。
 一昨年にスタートし、昨年の9月ころからは毎週掲載してきた随想「春よ来い」についてもがんばって書きました。区内をまわってみると、これを楽しみにしていて下さる方が多く、休む気になれません。今回は「つけ木」について書きました。先日、1時間ほど取材をしてあったので、2時間ほどで書き上げることができました。「春よ来い」は今回で45回目、来週、再来週は選挙のためお休みさせていただきますが、その後、再開したいと考えています。
 さて、このHPにようやく市議選特集のページをつくることができました。私が使っている編集ソフトはバージョンが古く、発行したチラシを自前ではJPEGにできないことなどから、ここまで来てしまいました。友人のパソコンで私のファイルを加工してもらい、とりあえず、主要なチラシを掲載しました。ごらんください。選挙勝利のために、ご意見や提案をいただけると助かりますので、よろしくお願いします。


2005年01月27日

原稿書きに集中できず

 太陽の光線がきょうのように温かいとうれしいですね。陽射しを浴びると、軽トラの中では暖房は要りませんでした。こんな日が続いてくれれば有難いのですが。きょうは下越からエサ屋さんがきましたが、新潟は雨、長岡は吹雪だったといいます。上越は晴れだったので、改めて新潟県は広いと思いました。
 きょうは原稿書きと決めていました。ところが、時期が時期ですので、次々と人が来ます。なかなか原稿書きに集中できませんでした。もっとも、書けなかったのは、他人のせいではありません。私がかかわる公的な会議はまったくなし、という中で、書く材料が見つからなかったのです。


2005年01月26日

顔写真

 選挙ポスターのレイアウトが決まり、来週のはじめには出来上がってきます。木田の印刷所で担当の方と打ち合わせた結果です。顔写真は、やはり写真屋さんが撮ったものの方がよかったですね。私のデジカメ写真よりも、はるかに鮮明で、いい感じに撮れていました。妻に見せたら、「これなら実物よりいいわね」というほどでした。
 きょうは「橋爪法一と語る会」の案内のために、2つの集落へ出かけてきました。ふたりの年配の方と話し込み、たっぷり2時間かかりました。時間がかかったのは、話が弾んだからです。先日書いた「春よ来い」の「こねり」のことからはじまって、昔のいろんな話や地震の話で花が咲きました。


2005年01月25日

「たった一人」のでっかい応援

 また「病気」が出てしまいました。忙しい時に本を読みたくなる「病気」です。昨日、長野県岡谷市在住の毛利正道弁護士のメルマガ・「非戦つうしん」に赤川次郎の『大人なんてこわくない』(岩波ブックレット)のことが書かれていました。おもしろそうだ、そう思ったらもう駄目です。選挙であろうが何であろうが読みたい気持ちを抑えることができません。それで、供託金を納める仕事を「引き受けて」高田まで行って来ました。もちろん、岩波の本がそろっている春陽館(本屋)に寄って、赤川さんの本を購入してきました。毛利さんは私の学生時代の友人です。大事な選挙前なんだから、本の紹介は選挙が終わるまでもうやらないようにしてもらいたいな。
 さて、きょうはうれしいメールをいただきました。「たった一人の応援団」というタイトルのメールの差出人は、旧吉川町出身の「風の又三郎」さんです。こんなメールをいただくと元気もりもりです。一人で喜んでいるのではもったいないので、全文を紹介したいと思います。
 ちょっとホノボノとした『小さな町の幸せ通信』というタイトルのホームページ
をある知人に紹介され、ここ数ヶ月、時々開いてみるようになりました。
 今日、私は15825人目の〝訪問者〟でした。このHPの中の『ホーセの見てある記』という記事では、地域の住民の皆さんと
本気になって接している橋爪さんの姿が手に取るようにわかります。同じ故郷をもち、同じ故郷で育った私には本当に共感させられる記事が沢山あります。橋爪さんの随筆『幸せめっけた』も、少し悩みながらとうとう買い求めるべく、
昨日メールを送ったところです。
 『私の好きな風景』とか『野の花』と言うページには、プロの写真家でも顔負けというショットもありますし、植物学者に近いような解説も多々あり、感心させられます。
 吉川町が上越市と合併して「吉川区」になったようですが、これから新しい風を吹き込んで、新しい自治体の発展に力を注いでくれるパワーを持っているのは、多分、この人じゃぁないでしょうか? 同じ故郷の出身者として、陰ながら橋爪さんの御奮闘をお祈り致しております。 故郷、吉川の皆さんにもっともっと新しい幸せがめっかる(見つかる)ように…、お金とか、物とか、何も送れませんが、「たった一人の応援団」として〝メール 〟(いや〝エール〟)を送ります。
 匿名希望/風の又三郎
 「風の又三郎」さん、ありがとうございました。


2005年01月24日

「…だこて」の横断幕も

 昨日、私の育った蛍場で夕陽を見ました。見た途端、とてもうれしくなって、デジカメにおさめました。何年か前に「夕焼け」という文章(『幸せめっけた』所収)を書いた時、祖父が死んだ時の夕陽の色にもう一度会いたいと思ったのですが、ようやく実現しました。雪があり、暗さもある。そして鮮やかな色。これだ、これだ、とドキドキでした。この景色は「蛍場から見た夕陽」というタイトルで「私の好きな風景」に掲載しました。
 きょうは延び延びになっていた選挙ポスターの作成など実務の遅れを取り戻すため動きました。最初、デジカメで私の顔写真を撮ってもらい、パソコンでポスターを作成する段取りをしていたのですが、拡大した時の顔写真が納得のいくものにならなかったので、最後は写真屋さんへ行くことにしました。いろんな角度からバチバチと撮ってもらいましたので、いいものが撮れたはずです。
 夜の選対会議はとても賑やかで元気のある会議になりました。22日の交流集会の成功で勢いが出つつあります。きょうの会議でも、「しょうし」「…だこて」などといった方言が話題になりました。今度、後援会事務所の中に「1人の代表を選ぶなら橋爪さんだこて」という横断幕がかかげられることになりました。この他にもアイデアが次々と出されました。こんな取り組みは初めて。楽しい雰囲気があってとてもいい。


2005年01月23日

増員選挙に挑戦している仲間がいる

 告示まであと2週間。きょうは「橋爪法一と語る会」を3会場でやりました。会場から会場へと移動するための時間が確保してありますが、この時間を利用して昨日までに終わらなかった「しんぶん赤旗」日曜版の配達をしました。これだけフル回転するとやはり疲れますね。
 私と同じく定数1の市議増員選挙に挑戦している仲間がいます。長野市(豊野町)の佐藤久美子さんです。佐藤さんは安塚町出身で、私の1期目の選挙ではアナウンサーを務めてもらいました。夜に電話したら、昔と同じく元気な声が返ってきました。彼女の選挙は私よりも先。ここで勝利すれば、私の勝利への勢いをつくってくれるのですが。頑張ってほしいと思います。
 「春よ来い」第44回は「こねり」です。市政レポートの紙面の制約もあって、今回はいつもより少し短めです。


2005年01月22日

初の後援会交流集会

 何と言ったらいいんでしょうか、みんな、すごい力を発揮してくれました。司会、事務局長の報告、こういう場での経験はほとんどないはずなのに、スピーチには真剣さがあり、ユーモアがありました。とくに昨年東京からやってきたばかりの事務局長の「私は〝何何だこて〟とか〝おまんた〟という言葉にとまどった」という発言は笑いを呼び、その後の流れをつくりだしました。元校長先生が〝こて〟の意味を解説してくれ、「一人の代表を選ぶなら橋爪さんだこて」は後援会員の合言葉になりそうです。
 交流会では、司会者の突然の指名にもかかわらず、何人もの人たちが応援の言葉、推薦の言葉をのべてくださいました。「いつも屁をしったようなことでも相談しているが、橋爪さんはなんでも応じてくれる」「レポートでいろんなことを知った…」などの発言は参加者の間に共感を呼び、橋爪応援の輪をつくりだしました。司会者も東京出身ですが、「実家が日本共産党議員の世話になり、助けてもらったことがある。共産党も応援してやってください」と訴えてくれました。
 後援会には歌と朗読がよく似合う。きょうの交流会では、この2つが会をさらに盛り上げてくれました。朝日池総合農場の平沢さんとトマト栽培の山岸さんのリードによる「久比岐の里」「花」の合唱は会の雰囲気をいいものにしてくれました。ふるさとを想い、人のやさしさあふれたまちづくりをしていくための元気をもらいました。小田順子さんは、私の『幸せめっけた』から「春さがし」を朗読してくださいました。これは自然の春のことを書いた一文ではありますが、ふるさと吉川の政治の春を求める後援会員の気持ちにぴったりでした。
 予想を超える50人が集まった交流集会、今後の運動の流れを変えてくれる、そう確信しました。参加してくださったみなさん、会を準備してくれたみなさん、ありがとうございました。明日からまたがんばりましょう。


2005年01月21日

松田解子さん追悼

 市政レポート通常号を印刷し終わってからのことです。もう一度、目を通してみて、こんな文言を使ってもいいのかという箇所が3箇所ほど見つかりました。結局、全部ボツ、印刷しなおしをしました。原稿ができたら少し寝かせておいてもう一度チェックする。この当たり前のことを怠ると今回のようになります。しばらくこういうことから遠ざかっていたのですが、やはり疲れでしょうか。
 「しんぶん赤旗」日刊紙を読んでいてある短歌が目にとまりました。作家の松田解子さん追悼の歌です。先月下旬に99歳で亡くなっていたことをまったく知りませんでした。松田さんとは大学4年生の時に、一度だけ会ったことがあります。ちょうど佐渡鉱山労働者のことをテーマにした卒論の準備をしていて、彼女の『おりん口伝』に出てくるある鉱山労働者について知りたかったからです。
 東京の自宅でいろいろお聞きし、頭の中を整理できました。忘れられないのは、帰り際の出来事でした。お茶菓子を広告の紙かなんかで包んでひねると、「食べなさい」と言って、渡してくださったのです。『おりん口伝』も良かったですが、都会でこういうやり方で物をもらうとは思いませんでした。感激でした。こんなこともあって、わが家の娘の名前は「りん」。松田さんのやさしさと芯の強さを少しでも分けてもらいたい、そんな思いで命名したのです。


2005年01月20日

カミナリがドカーンときた

 雪混じりの雨がだらだらと降った一日でした。市議選まであと2週間というところまで迫ってきました。おかげさまで風邪をひきそうになったものの、ダウンせずここまで活動できました。「語る会」もあと8会場です。宣伝戦、組織戦とも最終盤の様相となっています。緊張感が高まってきていますので、睡眠時間をとるようにして元気にがんばりぬきたいと思います。
 きょうは、午前中は市政レポート作成作業をやり、午後から市政レポートの配布をやりました。昨日は、山間部で雪の中を歩いてくたびれたのですが、きょうは平場だったので楽々でした。舗装した道を歩くのと雪道を歩くのでは大違いですね。でも、きょうは、カミナリで驚かされました。レポート配布中に何度もドカーン。ちょっとだけの停電が少なくとも2回ありました。また、雪下ろしかな。
 あさって、多目的集会場で後援会交流集会をやることになっています。大勢集めて勢いを示す決起集会は何回か取り組んだことがありますが、いろんな活動の交流をやるのは初めてです。どんな内容にするのか、後援会幹部と話し合ってみたものの、当初の段階では、いまひとつイメージが膨らみませんでした。しかし、小田順子さんの朗読、平沢さんのフォークソングが入ったことで豊かになってきました。楽しくて元気の出る交流集会になりそうです。時間は午後7時から、ぜひ出席を。


2005年01月19日

地域相談役会議

 昨日、上越市の「地域相談役会議」というのがスタートしました。この組織は各区の地域振興を円滑にすすめるために、市長がこれまで町村の首長(区によっては、助役や収入役の場合もある)だった人からアドバイスをもらおうというものだそうです。要綱による設置なので、市長の「補助機関」ではなく「私的諮問機関」という位置づけになっていますが、本当に必要な組織なのでしょうか。市長は各総合事務所の所長と相談してやったらいい…というのが私の気持ちです。
 この相談役は非常勤特別職で、歴とした〝市の職員〟です。市役所本庁で定例会に参加している時はまだいいのですが、各区の総合事務所に姿を見せた時にどういう役割を果たすか気がかりです。各区総合事務所の「最高幹部職員」として位置づけられていないのに、職員にはそういう感じで受け止められかねない、と思います。また、相談役の動き次第では、これから設置する地域協議会の存在意義が薄れてしまう可能性もあります。
 設置要綱第2条2には、「次条に規定する相談役会議を組織する人は、市長の命により、総合事務所その他の機関の長その他の職員に対し、当該機関の所管する地域に係る前項に掲げる事項について必要な助言を行うものとする」とあります。この条項が一人歩きしたら困るなと思って、地域振興課に問い合わせてみました。「市長の命により」というのがポイントで、市長の命令書もちゃんと出す、ということでした。命令書に記された範囲の中で助言を行う、あくまで市長を介して助言を行う。これが今後守られるかどうか、しっかり見ていきたいと思います。


2005年01月18日

この時期に甘柿

 きょうは2集落で市政レポートの配布活動をやりました。配布した時にありがたいのは、これまで発行したチラシについて生の声を聞けることです。今回も3人の人から前回の通常号やアンケート結果掲載の特集号についての感想を寄せてもらいました。「この忙しいのにどのようにして書くのか」「よくまとめたね」「前回のアンケートより厚くなったね。いろいろな意見があってとても参考になる」などといった声が出て話が弾みました。
 配布活動をしていて思わぬものとの出会いもあります。きょう出会ったのは、めずらしい甘柿です。この時期の甘柿というと、私は「こねり」という晩生種しか知りませんでした。小さな柿でしたが、1月の今頃までだったでしょうか、長持ちするので、少しずつ食べたものです。今回出会った柿は、昔からこの地にある品種ではないようです。「ふゆう」という名前らしく、大きさは横幅が5センチほどです。最大の特徴は、渋の上がりが悪いこと。このため鳥たちも見向きもしないとか。そのおかげでこの時期まで餌食にならずにすんだのでしょう。この時期に食べる柿はなつかしく感じますね。
 この柿について詳しいことを知っておられる方は教えていただけませんか。


2005年01月17日

市長への申入れ

 きょうも雨でした。雪はずいぶん消えましたね。さて、きょうは市長への申入れの日です。日本共産党上越地区委員会として新上越市全体の問題、牧区、吉川区、頸城区の地域要求をまとめ、市長に申し入れました。吉川区分は、これまでアンケートや「語る会」で出された要望をほとんど全部といってよいほど盛り込んだので、要望書はボリュームのあるものになりました。
 上越市役所で市長に申し入れをしたのは、吉川町議時代に一度ありましたが、市長室の隣の応接室で申し入れをしたのは今回が初めてです。ゆったりした椅子に座り、木浦市長と約30分のやりとりをしました。市長の対応はおだやかで、好印象でしたね。私の方から話をしたのは、雪害対策、過疎問題、それに特養ホーム入所待機者問題でした。このうち雪の問題では、豪雪対策本部の設置基準などの訴えを真剣な表情で受け止めていただきました。
 要望書に対しては文書で回答をしていただくことになっています。新市全体の問題でどういう答えが返ってくるか、吉川区分の要望がどれだけ実現するか、注目したいと思います。今回の申入れは出発点。回答次第では次の運動をしていかなければなりません。
 兵庫県の三木市議会議員、大眉均さんから興味深いメールをいただきました。大眉さんは、「春よ来い」を読んでくださったらしく、「 串柿はお正月の鏡もちの上にのせるので必ずいります。この10 個の串柿は真中に6個両端に2個づつにして吊るしますが、『ふう(2つ)ふう(2 つ)中むつ(6つ)まじく』とするといいませんか?」と書かれています。私の町ではどうなのか、調べてみたくなりました。


2005年01月16日

さいの神

 疲れがたまっているのでしょうか、今朝起きた時間は7時すぎでした。このところ4時間くらいしか眠らない日が続いていたのですが、体自身がいつもの不足分を取り戻そうとしたのかもしれません。ゆっくり眠ると、やはり気分は爽快です。人と話をしていても、自分の声に元気が出ていることが分かります。
 きょうは朝から雨。「語る会」は2会場で取り組みました。このうち1会場では、一人のお母さんが漬物を持ってきてくださいました。たくあん、みょうご、それにもう一品、とても美味しくて話も弾みました。小田順子さんもこれに合わせるように『幸せめっけた』のなかの「モコのばちゃ」を朗読、会場は昔を思い出して笑いの連続でした。懇談では、除雪の話がまたも出ました。ここ数日間の懇談会では必ず出るようになっています。
 さて、きょうは地元代石集落の「さいの神」です。集落の委員、子ども会、消防団の人たちが中心になってつくってくれました。今年の「さいの神」は風がまったくなかったこと、刈り取っておいたカヤが湿っていたことなどから、一気に燃え上がることはなく、おだやかに燃え続けました。ある人曰く、「今年はおだやかな年になりそうだ」。災害が多発した昨年のようにならなければ有難いですね。
 「春よ来い」第43回は「干し柿」です。ご一読ください。


2005年01月15日

応援者に広がりが出てきた

 きょうは雨。「しんぶん赤旗」日曜版の配達が中心の一日となりました。山間部では、歩く距離がぐんと長くなり、これまでより1時間以上長くかかりました。でも道路の除雪はきれいにされていたし、凍っているところがなかったので安心して車を走らせることができました。この時期の配達では、これが一番ありがたいです。
 さて「語る会」ですが、昨日の写真にも載せたように、朗読ボランティアとして活躍されている小田順子さんが応援に入ってくださっています。小田さんは坪野の出身、私より2級先輩です。小学校から中学校まで一緒で、私のことをよく知っていておられ、ふだんから『幸せめっけた』の朗読もしていてくださるので、とても心強い応援です。
 応援者はここへきてようやく広がりを見せてきました。日本共産党支持者だけでなく、いつもは自民党や社民党、公明党などを支持していて方々も支持に回ってきてくださっています。そのなかには校長経験者など著名人も何人もおられます。うれしいですね。


2005年01月14日

「語る会」は2時間近くにも

 市政レポート(よしかわ版)を待っていてくださる方がいる。それも大勢……。ビラ配布の際や「橋爪法一と語る会」で「いつも読んでますよ。楽しみなんです」「ためになるし、続けてね」などの言葉が次々と寄せられていますが、そういう言葉が耳に残っていて、レポートの原稿書きの励みになっています。選挙準備で猛烈に忙しいのですが、きょうも半日使って第1180号を書き上げました。「春よ来い」第43回もなんとか書きました。HPには16日にアップします。
 さて、市役所総務部の防災保安課に新市の豪雪対策本部設置基準についておたずねしました。今回の合併は編入合併ですので、これまでの基準が基本になるとは思いますが、上越市に吸収された旧町村のいくつかは豪雪地帯ときています。当然、これまでの基準を見直し、新基準が打ち出されているものと思っていたら、これから検討したいということでした。1月1日の合併なら、豪雪対策をちゃんと頭に入れておくべきでした。17日、木浦市長に会いますので、強く訴えてきたいと思います。
 「橋爪法一と語る会」は今晩で30会場目となりました。昨晩も今晩も懇談の中でいろいろな問題が出され、「語る会」は2時間近くにもなりました。今後のまちづくり、市政改革、少子化対策、あるべき市議の姿など懇談の中で学ぶことがいくつもあります。たとえば少子化対策、これまで県立柿崎病院にあった産婦人科がなくなり、近くにお産のできる病院がないこと、これは大きな問題だとの指摘がありました。懇談の中で学んだことは、次の会場での「語る会」に生かすことができ、私の訴えは豊かになっていきます。ありがたいですね。


2005年01月13日

雪害が出てきた

 昨日からの雪はたいへん重かったようです。きょう、わが家へやってきた人たちの話によると、あちこちで電線が切れていたとのことでした。私の区内では、杉の木がやられています。先の部分が大きくしなり、ポンと折れる。そういう被害が出始めています。
 昨日付で、川谷の積雪量は2メートルを超えたと書きました。この話をあるところでしましたら、こんどの上越市はどれくらい降ると豪雪対策本部が設置されるのか、と聞かれました。上越市の災害救助条例では、救助の実施要件として、
(1) 住家が滅失した世帯数が25以上に達した場合 (2) 前号の基準に達しないが、多数の世帯の住家が滅失し市長が特に必要と認めた場合
(3) 多数の者が生命又は身体に危害を受け、又は受けるおそれが生じた場合 、という記述があります。しかし、これだけでは分かりません。明日、市役所総務部に問い合わせてみようと思います。
 雪の影響で市議増員選挙の準備にも影響が出ています。きょうは後援会員まわりをしたのですが、雪のないときの半分くらいしかまわれませんでした。手を増やし、大雪になっても計画通りの活動ができるようにしないとたいへんです。投票日までちょうど1ヶ月となりました。ボクシングでいえば、最終ラウンドに入ったところでしょうか。


2005年01月12日

地吹雪

 今冬初の地吹雪、それも強烈なものでした。午前中は旭地区で行動しました。横殴りの風と雪で真っ白になり、先がまったく見えなくなる。車をストップさせざるを得ない事態が何度もありました。対向車がこなければいいがと心配しました。怖いですね。この吹雪で電柱は真っ白、道路にはあちこちに吹き溜まりができました。
 積雪量はわが家で50センチくらいです。牛舎の周りも雪でいっぱいになり、明日か明後日には、牛舎の屋根下の除雪をしなければならなくなりました。この忙しい時期に困ったものです。でも同じ吉川区のなかでも川谷のように2メートルを超えたところもありますから、これくらいで口説いてはいけませんね。
 ところで、きょうから吉川区のホームページに区内数ヶ所の積雪量が載ることになりました。これは、吉川出身の方が繰り返し行政側に働きかけた結果です。この方は、ホームページにライブカメラ映像を掲載するように求めてもおられます。2年ほど前、毎日のようにライブカメラをみているという教員の方と話をしたことがありますが、尾神岳を見てふるさとを思い、がんばっておられる方がいる以上、復活させたいものです。


2005年01月11日

顔写真

 きょうは新潟日報記者と待ち合わせ、顔写真を撮ってもらいました。多分、告示後に新聞紙上で使う写真なのでしょう。同じ人間の顔なのに一枚も同じ顔がない。選挙を前にして撮った顔写真の特徴です。不思議なものですね。
 選対会議があるというので、事務所の片づけをしました。何種類ものビラの残りやごみを処分したら、ようやく落着いた雰囲気になりました。なくしてしまったと思っていた資料も出てきて、助かりました。
 昨日の激しい雪は一段落して、今日の天気は雨でした。もっとも夕方からは、また雪です。明日の朝までにどれくらい降るのか。


2005年01月10日

お茶飲み会は楽しさいっぱい

 昨日は山間部が中心だった降雪、きょうは平場にもやってきました。朝からモコモコと降り、道路に積もった雪は30センチくらいになりました。除雪機でわが家の駐車場などの除雪をしましたが、作業をしている間に10センチくらい降るすごさでした。午後一番にブルもやってきて道路はきれいになりました。時々、青空も出てくれたので安心しました。
 午前中のビラ配布では、ある家でお茶をご馳走になりました。ちょうど女性の人たち4人がお茶飲み会をやろうというところでした。漬物、バームクーヘン、干し芋などを食べながら、楽しい話をいっぱいしました。昔の雪の降り方、ワラ布団の思い出、ワラ縄の宿題で賞をもらったことなどが話題で選挙は二の次でしたが、最後にさよならする時には、「ぜひ頑張って」と激励されました。
 「橋爪法一と語る会」、これまでも夫婦で参加してくださるケースがありましたが、きょうの会場では2組も参加してくださいました。二人で聞いてみたいという、その気持ちにどれだけ応えられたか、気になるところです。それと、もう一つ、ビラ配布をした時に、私と話をしたがる人がじわりと増えてきている気がします。これもうれしいですね。
 「春よ来い」の第42回「三ころ突き」を掲載しました。ごらんください。


2005年01月09日

本格的な降雪

 昨晩は星空でした。こういう時は次の日の朝、それも5時ころから雪が降りやすいもんだ、とある人が言っていましたが、そのとおりになりました。朝5時半すぎから新聞配達にでたところ、雪が降り続け、みるみると積もって、10数センチに。何度もスリップするもんですから、わが愛車、軽トラも40キロ前後しか出せません。おかげで日刊紙の早朝配達は1時間半以上もかかりました。
 「しんぶん赤旗」日曜版は、山間部で配達しなければなりませんでした。ところが、ここの雪の降り方が普通ではありませんでした。まるたき温泉から名木山へ向かったら、路面には20センチ以上の雪が積もっています。朝1回除雪したにもかかわらずです。石谷では「お茶を飲んでいってもらいたいけれど、これじゃ帰りが心配になるもんね」と言われるほど、さらさらと雪が降り続けました。山間部は昼間だけで40~50センチくらい降ったのではないでしょうか。
 こんな降り方は久しぶりに体験しました。ぜひカメラに。そう思って、石谷で撮った写真が掲載したものです。遠くから山賀源市さんがミノボシをかぶって歩いてこられたので、写真をと思ったのですが、なんと電池切れ。「大雪とミノボシ」の懐かしい風景は今回は撮れませんでした。それと、もう一つ、写真には入っていませんが、午前10時頃なのに、外灯も点いていました。それほど暗かったのです。すごい降り方でしたね。
 


2005年01月08日

閉町記念DVD完成

 市政レポート1月号外、明け方に版下ができあがりました。今回のレポートでは、Tさんから描いてもらったカットを一枚使わせてもらいました。似顔絵のタッチが私の描く絵と同じなので驚きました。吉川の風景カットも頼んであるので、もうすぐ出来上がるでしょう。どういう絵を描いてくれるのか楽しみです。
 きょうも、昨日に続いて「しんぶん赤旗」日曜版の配達をしました。地域によっては懇談会の案内文の配布もあります。それに新年の挨拶と支持のお願いです。いつもより時間がかかり、きょうも配達は終わりませんでした。明日の正午までかかるかも知れません。
 11月の閉町記念式典の際、吉川町の歴史、風景などがスライドで紹介されました。そのDVDが完成し、わが家にも届きました。パックの表紙も裏も尾神岳の写真です。やはり、吉川町のシンボルは尾神岳だったんだ、と改めて思いました。まだ合併してから8日目だというのに、パックの下のほうにある「新潟県吉川町」の文字がとても懐かしく思えます。面白いものですね。


2005年01月07日

市政レポート通常号作成再開

 正月休みも終わり、まわりはいつの間にか休みモードから仕事モードに切り換わってきました。先週の日曜日は「しんぶん赤旗」日曜版も休みであったので、市政レポート通常号は9日付が新年最初となります。きょうは、半日、レポートの原稿書きをやりました。なかなか書き進むことができません。休むと駄目ですね。そして午後からは配布です。新年の挨拶をしながら配達してきました。
 きょうの天気は雨、それも風を伴っての雨です。新聞配達には最悪の天気でした。アノラックは濡れる。新聞も濡れる。傘をさせばいいとお思いでしょう。ところが風が強かったので、それは不可能だったのです。
 区の総合事務所のホールへ行きましたら、朝8時現在の積雪量が公開されていました。下川谷78センチ、坪野48センチ、原之町5センチでした。きょうの日中の雨でずいぶん消えたことと思います。


2005年01月06日

なるほど、こういうふうに読まれるのですか

 23ページもの分厚い「住民アンケートの結果」は文字だらけです。「それでも配布すれば、読まれるよ」。私の、「こんなに字がいっぱいのものは敬遠されるんじゃないの?」との質問に答えて、そう言ったのは日本共産党上越地区のある幹部でした。アンケートに書き込まれた意見などをまとめただけなのに、毎回、話題になるのはなぜか。きょう、ある懇談会場でその理由を再認識しました。
 懇談会が始まる前でした。資料として1部だけ会場に持っていったのですが、それをYさんに見せたら、熱心に読んでおられます。そして何人もの人がいるにもかかわらず、声を出して読み始めたのです。「あった、あった。おれが書いたのがそのまんま載っている。○○番。ふるさとのために役立ちたい、それが真の政治家だと思います…(以下略)。男性、60代。これはおれだ」。こういった調子で全部読み上げてくださいました。
 意見などを書いた人がまず読む。自分の書いたものが載っていれば、うれしいですから、何回も読むことになります。書いた人は他人にも読んでもらいたい。だから、他人にも読むように勧めます。今回、回答を寄せてくれた人たちは約400人です。すると、少なくとも400人は読む。家族や友人に自分の書いたものを読むよう働きかけると、1000人くらいにはすぐなるでしょう。世帯数1500くらいの所では、たちまちベストランキング入りです。なるほど、こういうふうに読まれるのですか。


2005年01月05日

しっかり見ないといけない

 雨になったり、雪になったり…少し経つと今度は晴れる。きょうの天気はくるくる変わりました。朝6時ころは、車の運転をしていると前から雪が強く吹きつけ、ゆっくり走らざるを得ないほどでした。いよいよ本格的な冬将軍の到来か、と思ったのですが、夕方になってみれば、本日の降雪量は1センチ未満、心配しただけ損をしました。
 さて、総合事務所2日目。頼んでおいた資料をもらいに出かけてきました。その際、玄関脇の「四角い石」を見てドキッとしました。昨日、「吉川町役場という文字が四角い石に彫られていた」と書きましたが、違っていたのです。よく見たら、吉川区総合事務所という文字が四角いプレートに貼られているではありませんか。ということは、吉川町役場という文字も貼られていたのです。毎日何とはなしに見ているだけで、ちゃんと見ないと、こういう間違いをやる。やはや、やはや。
 きょうは市政レポート号外の準備で写真屋さんやホームセンターへ行ったり、原稿書きをしました。文字と写真、できあいのカットだけのチラシでは、いまひとつインパクトがない。最近、そう感じています。昔は自分で手書きのカットを描いたものですが、その時間的余裕がないので、同じ集落に住む20代のTさんに頼みました。彼が高校時代に文集に描いたカットの素晴らしさを知っているので、どんなカットを描いてくれるのか、とても楽しみです。


2005年01月04日

開所式

 きょうは仕事始めです。通例なら仕事始め式が行われるのですが、吉川区総合事務所では朝8時15分から開所式が行われました。総合事務所玄関脇には、これまで吉川町役場という文字が貼り付けられていた四角いプレートがありました。常山所長と山田次長がこのプレートの除幕をすると、現れたのは吉川区総合事務所という名前でした。これで吉川区総合事務所はスタートを切りました。また、これまで町章入りの旗を掲げてあったポールですが、きょうからは上越市の旗が掲げられました。
 開所式では、木浦上越市長のメッセージが常山所長によって代読されました。かなり長い文章でしたが、印象に残った言葉があります。「合併によって行政サービスが後退したと言われないようにしてほしい」「21万市民のために仕事をしているという自覚をもってもらいたい」。前者については、一般論として述べたつもりなのでしょうが、若者定住助成金制度など後退したものがいくつもあるだけに、空々しく聞こえました。
 吉川区総合事務所の一日目。事務所内に入ると、一階は、かなり混雑していました。その主要な原因は、印鑑登録証の交換にやってきた人たちです。一階とは対照的にがらんとしているのは二階でした。大晦日の「見てある記」に書いたように、旧産業建設課の多くがいたスペースは、この日も「目を向けられない」ほどさびしさがあふれていました。ここは図書館の分室を置くとの話です。早く本を並べて、少しでもさびしさを払拭できるようにしてほしいですね。


2005年01月03日

タヌキにやられた

 昨晩の時点で気が付いたのですが、牛舎内にある牛のエサ(配合飼料)があらされていました。それもちょっとやそっとの量ではありません。20キロ入りの袋を2つも破り、食い散らかしてありました。最初は子牛が脱走して食べたものと思っていたのですが、どうも真犯人はタヌキのようです。一匹のタヌキが一度に40キロ近く食べたとは思えません。タヌキの集団がやってきたのでしょう。とりあえず、エサ箱にタヌキが入れないようにしました。
 きょうは一日中、市政レポート吉川版の配布活動でした。内容は、住民アンケートで寄せられた意見などをまとめたものです。B4サイズで21ページにもなりましたが、毎回、このまとめを楽しみにしてくださる方たちがいます。「いつも読ませてもらっていますよ」と声をかけてくださった人が、きょうは4人ほどおられました。今回はどんな反応が返ってくるか、いまから楽しみにしています。
 朝の新聞配達の時、霧が発生していました。とてもいい風景でしたので、デジカメにおさめました。そのうちの一枚を「私の好きな風景」のページに掲載しました。タイトルは「霧のなかの電柱」です。ごらんください。


2005年01月02日

新年初の街宣

 見事な青空が広がった一日となりました。きょうは頸城区の上野公悦さん(前頸城村議)、大潟区の後藤紀一さん(前大潟町議会議長)とともに新春恒例の街宣活動をしました。すばらしい天気の中での街宣はとても気持ちが良いものです。音は通るし、外に出てくれる人もいます。窓を開けて手を振ることもできました。3人で、こんな天気なら毎日でもやりたいね、というほどの街宣日和でした。
 これほどの天気になると気になるのは尾神岳です。伯母ケ沢集落から見ると、西側の斜面の木々は、粉雪に覆われてキラキラと光っていました。時間があれば、写真撮りのために半日くらい欲しかった。車に同乗した後藤さんは、スカイトピア遊ランドから見た大潟区の海の美しさに感激、デジカメで何枚も写真を撮っていました。空も海もこれほど青いと見る者の胸を打ちますね。
 きょうの街宣では、これまで26年余の議員活動への支援への感謝とこれからのまちづくりの決意をのべました。何人もの人が家の外へ飛び出し、激励してくださいましたが、こういう姿をみると、「がんばらなければ…」という気持ちになります。1月になって、外の様子も変化が出てきました。熱烈な支持者なのでしょうか、室内用ポスターを外に張りだした陣営もあります。市議増員選挙まであと35日、熾烈な戦いになりそうな気配になってきました。
 数日前にお約束していた「住民アンケートの結果」を掲載しました。ご覧ください。


2005年01月01日

21万都市誕生

 きょうから上越地域14市町村が合併して新上越市がスタートしました。これまでの吉川町は上越市吉川区となりました。新上越市の人口は(平成16年12月1日現在・14市町村分)
212,364人で世帯数(同)は70,147世帯 にもなります。面積は972平方キロメートル、東京都の面積の約半分もある巨大都市です。このHPの名称も変更を検討しましたが、吉川区のことを中心にお伝えすることが多いのと、これまで使っていた『小さな町の幸せ通信』がやっと定着したということもあって、これまで通りとすることにしました。
 元旦のきょうは、午前9時から恒例となっている集落の新年会に参加しました。昨日で町議会議員及び農業委員を失職したので、お礼の挨拶をさせてもらいました。町議会議員は26年と1ヶ月、農業委員は27年と8ヶ月務めました。どちらもスタート時点は尾神集落にいましたが、就任していた期間のうち22年間はいまの代石集落での務めとなりました。私を支えてきてくださった地元の人たちに感謝、感謝です。新年会から戻ってからは年賀状書きと親戚への新年の挨拶回りをしました。昨年、年賀状をもらわなかったところは忘れやすく、今年も数件ありました。


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