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2005年03月投稿分

2005年03月31日

後藤竜二さんの『故郷』を読みたい

 上越市議会の政務調査費は議員個人月額1万2500円、会派月額1万2500円(いずれも04年度。05年度からは倍額になる)となっていて、実質的には1人当たり2万5000円もらえることになっています。きょうは、この政務調査費の04年度分の収支報告書を出してきました。議会報告経費だけでも金額的には軽くオーバーするのですが、一番困るのは、これは議員個人の費用、こちらは会派分と分けにくいものがあることです。制度的な改善をすすめていく必要がありますが、とりあえずは議員団内で、新年度からこの区分についてどうするか意思統一するようにしたいと思っています。
 日中、小国町の細井良雄町議と連絡を取り合いました。来月17日告示の長岡市議増員選挙を前にして大忙しのようです。いまは、「細井よしお物語」を配布し、集落懇談会を重ねているといいます。応援できることは何か、を話し合う中で、現地へ支援に入ることと「細井よしお物語」をHPに掲載することを約束しました。後者については、物語に掲載された写真が手に入れば、遅くない時期に実行できるはずです。29日付け「見てある記」で書いたように、感動的な内容です。お楽しみに。
 選挙後、激励やお祝いの手紙、メールをあちこちからいただきました。もうじき2か月になりますので、数も減りましたが、きょうは東京は目黒在住の方から手紙をもらいました。「しんぶん赤旗」日曜版の記事をきっかけにして、吉川町出身の友人から私の『幸せめっけた』(副題は「忘れられない故郷の記憶」)を入手し、夫婦で読んでくださったとのことで、手紙を書かずにはいられなくなったということでしたが、うれしいかぎりです。手紙には、この方の電話番号を書いてあったので、夜になってから、電話をしました。この中でとても興味深い情報を知りました。私の好きな児童文学者・後藤竜二さんにも『故郷』というタイトルの本があったというのです。すでに絶版になっているとのことですが、ぜひ読んでみたくなりました。どなたかこの本を持っておられましたら貸していただけませんか。


2005年03月30日

静岡からミカンが来ていた

 不動産登記法が変わったことは聞いていましたが、昨日まで、登記申請まで変わるとは思っていませんでした。法が変われば変わって当然なのに、慣れというのはおもしろいもので、従来どおりの申請でいいものと思い込んでいたのです。昨日、登記の相談に行かなければ、これまでのやりかたで書類を作って申請し、恥をかくところでした。
 きょうは、朝早く起きて登記申請書類を一式作成しました。法が変わってから初めてです。昨日、法務局で聞いたことを頭に入れたつもりでしたが、それでも疑問に思うことがいくつも出てきました。それでネットで調べて、確認しながら、ようやく作業が終わりました。これで大丈夫でしょう。
 午後からは久々に日本共産党上越地区委員会を訪ねました。そこでは主に市議会の議員団ニュースの手直しをしました。阿部委員長だか誰だか忘れましたが、静岡からミカンが届いているので持っていってくれと言われました。私のHPの増員選挙特集を見て、参考になったので、そのお礼として送られてきたものでした。同じ仲間でも、これだけ丁寧の人もいるのかと感心しました。


2005年03月29日

細井よしお物語

 午前は消防事務組合の臨時議会でした。議案の約9割は、市町村合併によって自治体名が変更されたことに伴う規約などの変更です。質問はなく、30分ほどで終わりました。その後は法務局、弁護士事務所と、いそがしく動き回りました。1ヶ月間、議会に集中したので生活相談がいくつもたまっています。議会が終わったら時間をつくるからね…、と言っていたその時がきています。
 あちこちと回って夕方、日本共産党柏崎市委員会に立ち寄りました。そこで、気になっていた長岡市議増員選挙(小国選挙区・定数1)の情報を聞くことができました。先月、小国町の共産党員集会で、「候補者の細井さんの紹介パンフはよく練って作ってくださいよ。その良し悪しが選挙を左右しますから」と生意気なことを発言してきたのですが、そのパンフも出来上がっていました。
 パンフ名は「細井よしお物語」。A4サイズの大きさで、わずか8ページのパンフレットですが、さっと読んで、「うん、これはいい」と思いました。細井さんとはもう30年くらいの付き合いがありますが、彼のやさしさ、ふるさとを思う心、家族愛、住民の立場に立った、まじめで精力的な活動には感心しています。パンフはこうした彼の良さが実に生き生きと書かれていて、胸が熱くなります。
 細井さんには知的障害のある子どもさんがいます。その子どもさんが保育所を卒園する間際に片言、「お父さん」というようになった時、涙が出たという話には感動しました。彼のすごいところはその先があることです。同じ障害のある人たちとだけでなく、障害の違いを超えて力を合わせ、福祉作業所を作ったのです。それだけではありません。自立をめざすグループホームづくりにまで発展させていきました。
 このほか、中越地震のときにお連れ合いの良子さんが行方不明になった時のエピソード、初めて町議選に出ることになった時、チェンソーで腹を切ってしまったことなど、読む人は、ぐいぐい引き込まれていきます。感動がいっぱいで、小国のこれからのまちづくりのことも見えてくる。このパンフが大きな力の1つとなって、4月24日の選挙では、ここでも勝利するにちがいありません。


2005年03月28日

予算議会終わる

 先月28日に始まった予算議会がきょう終わりました。1ヶ月もの会期の議会はもちろん初めてです。とにかく休まずに出席できて良かったです。わが議員団にはB型インフルエンザが入ってきていましたので、会期がもう5日ほどあると、どうなったか分かりません。毎日のように議会に通い、発言するのが日課になっていましたので、ともすると夢の中でも質問するかもしれません。
 雪対策など予算議会においてあらかじめ質問しようと思っていたことは、おかげ様で8割方できました。審議のテンポについていけなかったり、吉川とルールが違うことが分からずに質問できないものもありました。しかし、いくつか重要な答弁を引き出すことができました。今後の質問に生かせるデータも手に入りました。あとはこちらの勉強の問題です。もらった資料をよく読み、現地に足を運ぶ。面積972平方キロメートルの自治体は知らないことばかりですから。
 1ヶ月あったので48人の議員の顔はほぼ覚えました。残念ながらまだ名前をすっといいだせない議員が何人かいます。職員はこれからです。各部長のほか何回も答弁にたった課長の顔ぐらいしかまだ頭に入っていません。顔はだいぶ覚えたのですが……。議員、職員の中には個性あふれた人が何人もいます。私の持っていない能力を持っている人もいます。こうした人たちとゆっくり話をしてみたいものです。


2005年03月27日

キクザキイチゲ咲く

 朝からお昼まで赤旗日刊紙と日曜版の配達をしました。昨日と違ってきょうは、まぶしいくらいお天道様が照っていました。ある読者は、家の近くの山に入って雑木を切っておられました。昔でいう春木山です。めずらしいので写真に撮りました。いつか市議団ニュースかなんかで使いたいと思います。育苗ハウスの除雪をしている人もいました。聞くところによると、市の「緊急苗代消雪促進対策事業」の申請は吉川区でも出るとのこと、山間部での雪消えはなかなか進みません。
 午後から柿崎病院へ行き、叔父を見舞ってきました。16日に体調を崩し、緊急入院したのですが、もう3、4日で退院できるといいます。思っていたより短い入院ですみそうなのでホッとしました。叔父は、「今度はタバコを完全にやめて、酒は1週間に1回にする」と言っていました。几帳面な性格の叔父ですので、実行してくれるでしょう。
 病院からの帰り道、私の地元でキクザキイチゲが咲いているのが目に入りました。あまりに美しいので、赤旗編集部へ通信しました。午前中に撮れば、花が開いた状態で撮影できたのですが、残念です。でも開いていなくても、雪解け後の最初の花としてとてもかわいい。議会が終わったら、気分転換に野道を歩き、野の花探しをしようと思います。
 「私の好きな風景」に「春間近の雑木林」を掲載しました。ごらんください。


2005年03月26日

また雪が…

 参りましたね、こんな時期に雪が降るなんて。朝起きてみると、5センチほどの雪が積もっていました。雪の降り始めのころの雪質と似て、ビシャビシャして滑りやすい。午前に大潟区まで行ってきましたが、旭地区で車が1台滑り落ちていました。この雪のおかげで、「しんぶん赤旗」日曜版配達での交わす言葉は、「いまごろ降らんくてもいいがに。異常だね、今年の天気は」でした。山間部(下川谷)では25センチも降ったそうです。
 配達の途中、総合事務所によってみました。大勢いれば、集金できるかと思ったからです。異動内示も出たことだし、賑やかだろうと予想していたのですが、ほんの数人しかいませんでした。先日の市議会総務常任委員会では、総合事務所職員の残業問題が取り上げられていました。吉川の事務所でも、仕事がきつくなったという声も聞いていますので、こんどよく調べてみようと思っています。
 夕方からはキックボクシング・魄人選手の高田での祝勝会でした。ガウンを来て入場してきた時は、かっこよかったですね。祝勝会には吉川区だけでなく、上越各地から参加されていて、「当選おめでとう」と声をかけてくださる方が何人もありました。こうしたなかで気になることを耳にしました。13区から本庁へ行った職員のうち、何人かが精神的ストレスでまともに勤務できなくなっているというのです。こちらも実態を調べなくてはなりません。


2005年03月25日

夏ごろを目途に地域相談役会議解散へ

 今議会で焦点となっていた地域相談役会議が夏ごろを目途に解散する見通しとなりました。これは、きょうの総務常任委員会の場で中川助役が明らかにしたものです。同会議は、「市町村合併後の地域自治区における懸案事項、地域の振興に関する課題等への円滑
な対応を図り、もって市町村合併後の円滑な行政運営に資するため」(設置要綱)、当分の間、置くとしてきました。これまで総括質疑や一般質問では、地域自治区における懸案事項の解決の終期が見えるまで置くと市長は答弁してきました。きょうの委員会では、3月いっぱいで解消(解散)すべきだと主張してきた委員たちが集中してこの問題を取り上げ、解散しなければ市長の命取りになるだろう、などと攻めまくりました。
 


2005年03月24日

妻からのプレゼント

 一般質問の最終日でした。私は最後の28番目、みんな疲れているので、短く、コンパクトにまとめようと心がけました。テーマは県立病院改革問題、豪雪対策、そして子どもの安全の3つ。上越市議会では質問時間30分を守れば何回登壇してもいいと聞いていましたので、一問一答でやろうとしたら、それは採用していないということでした。結局、3つのテーマを1回目の登壇で全部質問する形になりました。想定外の展開となりましたが、柿崎病院存続で市長も関係市議などと連携して動くこと、雪害対策本部設置などの基準を見直すこと、などの答弁を引き出すことができました。
 あとで分かったことですが、妻が質問の様子をケーブルテレビで見たと教えてくれました。高田のあるお宅で、「きょうは、うちの連れ合いが最後に質問するんですって」と言ったことから、全部見ることになったとか。議員生活20数年ですが、妻が私の質問を見たのは初めてでした。「キンキン声でしゃべっているのではないかと心配したが、そうでなくて安心した。分かりやすかった」と言ってくれました。私としては、いくつも反省事項のある一般質問でしたが、この言葉で楽々しました。きょうは私の誕生日、妻の言葉がいいプレゼントになりました。これで、明日からまた頑張ることができます。


2005年03月23日

伯母がゼリー状のものを食べた 

 一般質問3日目。きょうだけでも7人の議員が質問に立ちました。時間にして約6時間半くらいでしょうか。さすがに疲れました。昨晩、党議員団ニュースを杉本議員と手分けして書いたのですが、その疲れが残ったままでしたので、時たま襲う睡魔とたたかいました。
 杉本議員が合併に伴って設置した地域相談役(旧町村の三役クラス各1名)不要論を展開しました。市長が当選した時に、前の市長から相談役になってもらわなくともやってきたのに、今回はどういうことだ、と。また、懸案の事項で相談にのってもらう必要があるというなら、これまで3ヶ月の間に、どうしても相談しなければならないことはあったのか、あったなら何か、と追及しました。答弁を聞いていて、相談役はいてもいなくてもいいのだな、と改めて思いました。
 午後、伯母が入院している病院から従兄の連れ合いが電話をくれました。伯母がどんどん良くなって、ゼリー状の食べものを食べるまでに回復したとのことでした。昨日見舞った時には、話す言葉もだいたい分かるようになっていましたが、栄養はすべて点滴で摂っている状況でした。それが、きょうは口から食べるようになったというニュースです。良かった、良かった。
 さて、明日は一般質問最終日。私がラストバッターとなります。おそらく夕方になるでしょう、私の登壇は。これから質問の準備です。


2005年03月22日

カナダから手紙

 きょうは一般質問2日目でした。2月の増員選挙で当選した議員も登場しました。柿崎区選出の小関議員の質問で注目したのは、新市建設計画の地域事業についてです。この地域事業については、いくつもの旧町村が平成17年に何事業、平成18年には何事業をやると年次計画を立てていました。ところが今回、市長は、旧町村が年次計画を立てたものは新市建設計画の年次計画ではないと答弁したのです。吉川区の場合、平成17年度に予定したものはコミュニティプラザ以外ほぼ全部が予算化されていますが、来年以降どうなるのか心配になってきました。
 一般質問は、14人まで終わりました。きょうは、いくつかの議案を今日中に通しておく必要があるということで、一般質問は午後4時過ぎでやめ、これらの議案審議、討論、採決が行われました。私は行政組織条例全部改正について反対討論をやりました。本会議場では初めての発言となりましたが、一般質問の時に10人近くいた傍聴者がみんな帰ってしまい、ちょっと寂しかったですね。でも、休憩時間に、保守系議員の一人が「いや、感動したよ」と私の討論をほめてくれました。ケーブルテレビでは討論も放映したということですので、少しは見ていた人もいるのかな。
 家に帰ったらカナダから手紙が来ていました。学生時代の友人Sさんからです。もう30年くらい音沙汰無しだったのですが、誰かが私のことを教えたらしく、「当選おめでとう」とありました。うれしかったですね。Sさんは卒業後、国際結婚をしてカナダに住んでいます。返事を出すにもどうしたらいいのか、よく分からないので妻に調べてもらうことにしました。


2005年03月21日

日本チャンピオン励ます会

 すごい選手が出たものです。吉川区出身の日本キックボクシング連盟ウェルター級チャンピオンが誕生したのです。先月26日のことでした。選手の名前は魄人(はくと・本名は市村洋平さん)。きょうは彼を励ます会でした。原之町町内会や区体育協会などが共催して盛大に開かれました。
 彼を見ていて気づいたことがあります。いつもアゴを引いて闘う構えをしていることです。隙を見せない、その姿勢と目の鋭さのなかに格闘技で生きている者の厳しさを感じました。もう1つ、礼儀正しいことも感心しました。どこで身につけたのか、会の途中で帰る人をちゃんと送りに出て挨拶する様子は気持ちの良いものでした。
 会の参加者の中に矢木民夫さんの姿がありました。日本ボクシング連盟バンタム級第5位までいったことのある元選手です。彼も吉川区出身です。矢木さんと魄人がファイティングポーズをとった時には、ドキッとしましたね。一瞬、火花が散った、そんな感じがしたのです。
 写真の右から3人目が魄人、矢木さんは前列左から2人目です。


2005年03月20日

今年もマンサクが一番

 やはり、今年も、一番最初に咲いた野の花はマンサクでした。吉川区の国田集落と大岩集落の間に市之瀬橋という長さ10メートルほどの小さな橋があります。この橋のたもとにマンサクの木があって、毎年、この木が黄色く変化するのを見てマンサクが咲く時期だということに気づくようになっています。きょうは、「しんぶん赤旗」日曜版の配達で通り、黄色い花を見つけました。昨年は2月22日でしたから、今年はかなり遅れています。
 きょうは1つ発見をしました。マンサクの木は、この橋のたもとだけでなく、橋から数メートル離れたところにも1本あるのです。細くて背丈もあまりない木ですが、花の写真を撮るには都合のいい場所にあります。今回は接写がうまくいかず、ちょっとピンボケとなったものの、マンサクの花の個性あふれるところはチャンと出ています。今年の野の花、第1号写真をごらんください。
 日曜版配達は、いつもより一日遅くなりました。遅くなったら、おもしろいもので、ふだん、なかなか会えない人に会うことができます。おかげで、あちこちでお茶をすすめられました。選挙後初めて会う人もいて、選挙の時の話や市議会の動きなどを語りました。手づくりのシュークリーム、手打ちそば、それと漬物、おいしいものをたくさんいただきました。


2005年03月19日

『早春 八海山』

 数日前、学生時代の友人である風岡準仙画伯から案内が届きました。新潟大学人文学部長室に飾ってある、彼の『早春
八海山』という日本画が公開されるし、その絵について話をするのでぜひ出かけてほしいと。きょうがその日でした。朝になって決断し、妻とともに新潟へ行ってきました。
 約2時間半車に乗って大学に。ところが旧人文学部は分かりましたが、いまの場所が分からず、迷いました。学部長室には開放時間ギリギリに到着でした。「おー、来た来た」と言って画伯は迎えてくれました。芳井学部長さんと挨拶を交わしたのち、彼の作品を前にして記念撮影をしました。広い学部長室の壁に畳1枚分の大きさの彼の絵がかけられておりました。なかなか似合います。
 講義室での彼の作品説明は約20分。パソコンを使っての説明で、彼の作品がカレンダーになっていることを初めて知りました。『早春
八海山』もいいですが、「雪がコンコン」シリーズの1枚は、ぐっとくるものがありました。やはり、私は雪国育ちの人間ですね。雪があり、棚田があるとホッとします。
 新潟ではまだ寄りたいところもあったのですが、きょうは新聞配達もあるのでとんぼ返りでした。ただ、しばらく柏崎の義父母の顔を見ていないので、途中、寄ってきました。二人とも、久しぶりに娘の顔を見てうれしかったようです。お茶をご馳走になっている時に義兄も加わり、「学生時代、落研(落語研究会)やっていた52歳の人で、カワなんとかいう人を知っているかい」と声をかけてきました。その人はテレビだかラジオに出ていたといいます。おそらく、私の知っているカワムラさんでしょう。いつか再会のチャンスがやってきそうな予感がします。


2005年03月18日

理事者席の裏側からメモ用紙が次々と

 きょうから一般質問です。朝10時にスタートして夕方6時まで8人が登壇しました。注目したことの1つは、市長の私的諮問機関である相談役会議が必要かどうか、です。13区の懸案事項を処理するには旧町村の幹部の力を借りたいというのが理由となっていますが、設置期間は「当分の間」となっています。「具体的にはいつまでか」と問われた市長曰く、「懸案事項の終期が見えないので、『当分の間』とした」。そんなことを言えば、何年もこの私的諮問機関が続くことになります。私的諮問機関といえど、年間予算は400万円くらいになります。総合事務所の所長がいて、地域協議会もある。その人たちがいるのに、いつまで旧町村幹部に頼ろうというのか、という主張は正論だと思いました。
 やりとりを聞いていて気になったのは再質問に対する市長の答弁でした。1回目なら分かりますが、再答弁でも原稿を読んでいる姿はいいものではありません。夕方、ある職員から、市長答弁用の想定問答集まで用意してあるようだ、と聞きました。議場では理事者席の裏側からメモ用紙が次々と渡されてくる。これでは、市長が自分の考えを自分の頭で整理して語ることができません。これを卒業しないと、10月の市長選では、市長としての資質が問われることになるでしょう。
 家に帰ったら、ある自民党支持者の方から新聞のコピーを綴じたものが届いていました。さきの市議増員選挙についての記事をきちんと整理してあるのには驚きました。この方は退職後、集落の役職をやり、国政選挙では自民党候補の応援を熱心にやっておられました。直接会っていないので、どういう意図で訪ねておいでになったのかはよく分かりませんが、ひょっとすると私を支持して動いてくださったのかも知れません。いずれにせよ、明日、お礼を言わなければ。


2005年03月17日

『前衛』編集長の足立さんからメール

 総務常任委員会3日目。会議が4日も連続すると、確かに疲れます。その結果、集中力も落ちてきます。きょうの審議では、防災関係で質問してみたいことがいくつかありました。たとえば、原子力災害時に使うヨウ素剤、吉川町の時には、診療所に保管しておいて、いざという時に配布する形になっていました。新上越市では「市民一人当たり2錠」と予算関係資料に書いてありましたが、どう配布するのか、改めて議論しておく必要がありました。ところがボーッとしていて、通り過ぎてしまいました。
 夕方、市役所から家に戻ってみたら、牛舎の電気が点いています。おかしいと感じて、スーツ姿のまま入りました。ウォーターカップがこわれ、誰かが直したあとがあります。電話で確認すると、農機具屋さんが来たとのことでした。毎年、冬になると、ウォーターカップのために大騒ぎを1、2回はするのですが、幸い発見が早かったようで、牛舎内が水だらけになることは避けることができました。運が良かった、と言うべきでしょう。
 昨日、書くのを忘れていたことが1つあります。日本共産党の理論誌・『前衛』編集長の足立正恒さんからメールが来ていたことです。同誌の4月号編集後記に上越市議増員選で勝利したことにふれているが、目にとまりましたか、という内容でした。足立さんは以前にも紹介したように、柿崎町(現柿崎区)の元町長、足立さんのご長男ですが、隣町の出身ということもあって、私の当選をとても喜んでくださり、当選直後にもメールをいただいていました。
 編集後記には、「財界のてこ入れで二大政党づくりが画策されても、定数1の選挙区で日本共産党が勝利したら、このたくらみは吹き飛んでしまいます。(中略)定数1の吉川区から立候補した橋爪法一さん当選のニュースに、編集部も沸きました。☆実は本誌の編集長が、吉川区の隣の旧柿崎町出身なのです。信じられないといった面持ちで、わがことのように喜んだのも当然です。この地域が、田中角栄の地盤だった旧越山会をも思わせる保守的政治風土の支配してきたことを、熟知しているだけに格別です。〝なにが可能にしたのか〟を良く見極めたいというのが率直なところです。(後略)」とありました。同誌の5月号には、私の選挙についての県選対部長の発言も載せてくださるとのこと、うれしいニュースでした。


2005年03月16日

総務常任委員会2日目

 伯母が入院している労災病院は市役所から10分くらいの所にあります。時間がある時には寄ることにしています。きょうは市役所へ行く前に寄りました。付き添いの人の話では、担当の医者は「予断を許さない状況が続いている」と言っているとのことでした。伯母にとっては、どうも昼と夜が逆転してしまっているようです。夜は痛みが激しく、体を動かしていて、その疲れが昼間に出て眠る。その繰り返しとか。
 きょうは総務常任委員会2日目。一日中、審議の様子を見守りました。この委員会だけではありませんが、合併協議との関連を問う質疑が多いように思います。きょうは旧13町村のうちの一部で年末に職員給与の引き上げを行ったことが話題になりました。合併する前に低い給与水準を引き上げようとしたこの行為は、法的な手続きには全く問題がありませんが、合併協議で十分詰めていなかったこともあって、マスコミにたたかれました。
 夕方、総合事務所の職員と情報交換をやりました。地元の区が抱えている問題、市議会の様子など次々と出されてくる話の中には、お互い、ためになる情報が少なくありません。これからは定例議会の前に、こうした情報交換をしていかなければいけないと思いました。


2005年03月15日

行政組織「改正」というけれど

 きょうから総務常任委員会です。午前は父の薬をもらいに出かけたり、伯母を見舞ったりしたため、傍聴できませんでした。午後からの条例審議を見守りました。ハイライトは行政組織の全部「改正」でした。5つの部から8つの部に増やし、いくつかの課や室の移動、新設がありました。市民の目線に立って見た時に、分かりやすく、使いやすいかどうかがポイントとなりますが、組織機構図を見る限りは複雑にしてしまったな、という印象を持ちました。審議を聞いていたら、その思いがさらに強くなりました。
 防災安全は危機管理を含め市政の最重要課題です。それにふさわしい位置にドンと置くべきでした。しかし、今度の「改正」では市民生活部の中の1つの課になりました。こじんまりとした感じがします。次世代育成支援は市政発展に直結する課題です。総合的な取り組みが求められていますが、次世代育成支援課、こども福祉課、男女共同参画推進課がバラバラになっています。雪対策室は道路管理課の下になりました。雪対策の多くが道路除雪であるにしても、これはないでしょう。合併によって豪雪地帯をかかえた新市としては、道路除雪、弱者支援、農業生産活動の維持などを中心にすえるとともに、利雪についても目を向けるようでないと。
 今回の全部「改正」は職員の間で何回か検討をしてきたといいます。素案の段階で、もっと市民の声を聞いていればこのようなことにはならなかったと思います。担当課は、課長を先頭に優秀な人が多いだけに残念ですね。
 「私の好きな風景」に「夕陽をあびた米山」を追加しました。ごらんください。


2005年03月14日

保守系議員から握手

 文教経済常任委員会3日目。朝10時から夜8時までの会議でした。きょうは産業環境部関係の新年度予算審議、土地利用計画と予算編成、農業委員会の農事協力員の仕事、苗代除雪などで質問をしました。このうち苗代除雪に関しては、雪害対策の一環として、災害救助法適用時の水準で補助することが約束されました。質問が終わったら、2人の山間部出身の保守系議員から握手を求められたり、「ありがとう」という声をかけてもらいました。うれしいですね、こういうのは。
 市役所へ行く前に労災病院に寄りました。伯母は昨晩、輸血してもらったとのこと、そのせいか、かなり元気になったようです。ただ、顔がかなり腫れていましたね。訪ねた時はちょうど、集中治療室から1人部屋に移動しているときでした。付き添いの人の話によれば、腹部に関しては腎臓がやられたものの、出血量が少なくなりつつあるといいます。あとは早く体力が回復し、頭の中の出血した部分の手術ができるようになればいいのですが……。
 家に戻ったのは9時すぎでした。妻がニコニコしているので、何か良いことがあったなと思ったら、昨日付の新潟日報に彼女の俳句が掲載されていることを職場で知ったとのことでした。昨秋から投稿を始めて、これで掲載されたのは2回目です。素人の私には、どこがいい句なのか、さっぱり分かりませんが、目出度いことであることにはまちがいありません。「良かったね」と声をかけ、「遠慮することなく」ビールをいただきました。


2005年03月13日

伯母が緊急入院

 朝早く電話が鳴ったので、何事かと思ったら、伯母が大島区あさひ荘(大山温泉)近くで交通事故にあって入院したとの知らせでした。近くに住む従姉とともに直江津の労災病院へ行きました。事故は昨日の夕方でした。あさひ荘の近くで乗っていた車がスリップし、対向車と衝突。後部座席にいた伯母は、頭と腹部を強打し、内出血していました。事故直後は、たいしたことがないと判断して家に帰ったものの、徐々におかしくなって救急車で運ばれたとのことでした。
 伯母は数年前に夫を亡くし、その後、胃の手術をしたものの、順調に回復していると聞いていました。それが、今度は事故、ほんとうに気の毒に思います。伯母は意識はありましたが、頭の左側をやられたために右半身が動かなくなっていました。きょうは午前中、病院で待機しました。でも、伯母の体力が落ちているので、手術するかしないかはしばらく様子を見てからということになりました。
 家に戻ってからは、当初予定していたことをいくつかやるつもりでいたのですが、なぜかぐったりしてしまい、ストーブのそばで3時間ほど眠りました。その後、明日の質問準備をし始めました。でも、夕飯を食べてからまたダウン。このところのハードスケジュールがかなりこたえているようです。人間の体というのは、1週間に一度は休息をとらないと続かないようにできているのでしょうね。


2005年03月12日

報尽為期碑

 1883年(明治16年)といいますから122年前のこと、尾神岳の中腹で東本願寺再建用材(欅の巨木)の搬出中、幅60m長さ約200mの大雪崩が発生し、27名が亡くなるという大惨事がありました。その日が、きょう3月12日にあたります。夕方、尾神で日曜版の配達をしていたら、ある読者からひとつの事実を教えてもらいました。真宗大谷派の人たちが毎年、この日に現場を訪れているというのです。今年は大雪にもかかわらず、安塚区や吉川区のお寺の住職数人がカンジキをはいて現場に行き、お参りをされたとのことでした。
 雪崩現場には、殉難者の追善供養のため、当時の状況と追悼の意が刻まれた碑が明治20年に建立されています。報尽為期碑(旧吉川町の指定文化財)といいます。現地を訪れた人たちの話では、この碑より雪が積もっていたといいます。私は雪のないときに何度かこの碑を訪れていますが、碑の高さは3~4メートルくらいだったと思います。それを超えているとなると、すごい積雪です。この時期ですから、しただまってきてはいると思いますが、よく行かれたものです。
 尾神のことでは、きょう、もうひとつ話があります。同級生のHさんが帰省していたのです。お盆には毎年のように会っていますが、この時期に会うのは久しぶりでした。2メートルを超えた残雪には、雪国育ちの彼もびっくりしたようです。しかも夕方からまた雪が降り出してきていましたので、どうなっているんだ、と言っていました。Hさんとは30分くらいお茶を飲み、関東方面の同級生の近況などを教えてもらいました。同級生はいつ会っても楽しい。


2005年03月11日

個性豊かな答弁にびっくり

 文教経済常任委員会は2日目。文教関係の審議がとても賑やかになりました。昨日から気づいていたことですが、この委員会で答弁に立つ人の中には個性豊かな人が何人もいておもしろい。ユーモアたっぷりに話す人もいれば、専門的な知識をさらりと説明して質問者を圧倒する人もいる。こちらの方から質問することを忘れてしまいそうになります。きょうのナンバーワンは文化財担当のKさんでした。桑取道という名前の由来について訊かれたKさん、「たしか○○何年の古文書に出ておりました」。思わず拍手をしたくなりました。
 さて文化財です。旧13町村の指定文化財は、とりあえず準指定文化財にしておいて、3年間で再調査することになっています。吉川区にも23ありますが、担当者は、きょうの審議で、こうした物件は格下げすることはないと明言しました。文化財調査審議委員も現在の11人に加えて、調査区域選出の臨時委員に協力してもらい、調査するということでした。臨時委員は複数のこともありうるということでした。吉川区内の調査は来年になります。できれば一緒に付いて行って、吉川区以外の人が文化財をどう評価するのか訊いてみたくなりました。


2005年03月10日

掘るまいか

 きょうから私の所属する文教経済常任委員会です。どんな小さなことでも質問をと事前にチェックをしていったら膨大な数に上ります。限られた時間の中で、質問者も私だけではない。そこで、事務局などに聞けばすぐ分かるようなレベルの問題はどんどんカットし、少なくてもこれだけは訊いておこうという問題にしぼることにしました。きょうは、このうちバス通学、図書館政策を取り上げました。
 児童、生徒は新市の中で1万8千人います。このうち小学校の児童は1万2千人ほどになります。児童の通学方法は基本的に徒歩、スクールバス、民間バス、電車の4形態です。それぞれどれくらいいるか、教育委員会が実態をつかんでいないのには驚きました。来週には調査結果がでてくることになっていますが、3キロ以上歩いている者の数も出てくれば、安全対策議論も一歩踏み込んだものになるはず。力が入ります。
 委員会終了後、頸城の希望館で上映された映画『掘るまいか』を観てきました。山古志村中山の隧道を手掘りしたドキュメント映像です。寝不足で意識がもうろうとした状態のなかでしたが、ハッとした場面がありました。田んぼの水をひくために横井戸を掘っていたところです。昨年、私の随想「春よ来い」シリーズの「横井戸」に書いたように、父も数十年前にやっていました。あの時と同じ光景をみて感動しましたね。
 「私の好きな風景」に「尾神岳と朝日」を掲載しました。ごらんください。


2005年03月09日

常任委員会協議会

 上越市議会の議案審議は委員会中心主義。本会議で総括質疑をやったのちに、関係する委員会で審議することになります。きょうで4つの常任委員会のうち、2つの委員会での審議を終えました。ちょうど、半分になります。自分の所属しない委員会でも出席していないと情報入手量が少なくなりますので、なるべく出るようにしていますが、人間の集中力には限界がありますから、疲れます。
 きょうは建設企業常任委員会が終わってから同委員会の協議会が行われました。テーマは直江津火力発電所関連の整備計画。道路、雨水排水、集会所、保安林などの整備計画が図面とともに示されました。今後、40年ほどの間に数十億円使えるという前提に立って10の事業計画が示されましたが、「いいかげんな計画だ」との声が強く、計画そのものをもう一度見直して出し直すことになりました。
 私が出された資料を見て最初におかしいと思ったのは、雨水の排水計画でした。全部、海に排水するのなら納得できるのですが、一部が南側の潟川に流すようになっていたのです。大雨になろうものなら、どうみても水であふれる小さな川に排水する。こんなことができるのかと頸城区選出の議員にささやきました。同議員が質問をためらっていたので、隣にいた杉本議員が「それならオレ聞くわ」。その後、いったん終わったはずの所属委員の発言も出て賑やかになりました。
 常任委員会の協議会はきょうが初めての参加でした。わずか40分ほどの協議会でしたが、通常の委員会よりも資料が生々しく新鮮です。こういう言い方をすると理事者側から文句が飛んできそうですけれども、「まな板の鯉」も生き生きしていて、料理しがいがある。常任委員会の協議会はこれからも予定されていますが、何が何でも出席しておく必要があると思いました。


2005年03月08日

フル回転

 きょうは朝からフル回転でした。日刊紙の配達、委員会傍聴、自治基本条例学習会、そして最後は生活相談と続きました。朝は午前5時半からで、相談が終わったのは午後10時半、さすがに疲れましたね。
 自治基本条例学習会では合併協議会のメンバーだった三和区、名立区の人や大島区の元総務課長さんなど懐かしい顔と出会いました。また、学習会に参加したことで、まちづくりの原則などを改めて考えさせられました。今後の論戦に生かせるかも。
 


2005年03月07日

2つの卒業式

 午前は吉川高校の卒業式に来賓として参加してきました。自分の子どもが卒業した時以外で、この高校の卒業式に参加したのは初めてです。吉川高校については来年(2006年度)から生徒募集が停止となり、3年後には閉校となります。在校生が卒業生を送る言葉の中で、「私たちは伝統を引き継ぎ…」とのべていたのですが、気のせいか、さみしさの漂う挨拶でした。吉川高校といえば、〝酒を造る高校〟として全国に知られていますが、今年も普通科の生徒が伝統をしっかり守り酒を造ってくれました。卒業式が終わってから、新酒づくりの現場を見てきました。とてもいい匂いが漂っていましたね。
 午後からは吉川中学校の26回目の卒業式でした。一番初めに、「ただいまから上越市立吉川中学校の…」という言葉を聞きました。吉川区で「上越市立」という言葉を耳にしたのは初めてのことです。ここの卒業式(卒業式後かな?)でのハイライトは卒業生の合唱です。市村学君の指揮の下、「旅立ちの日に」(小嶋登作詞、坂本浩美、松井孝夫作曲)を心を込めて歌ってくれました。「いま 別れのとき 飛び立とう未来信じて 弾む若い力信じて このひろい このひろい大空に」。いい歌詞でした。
 夕方、市役所で議員団の打ち合わせをやりました。請願、陳情への対応、議会推薦農業委員の選出方法、一般質問項目の整理などがテーマでした。今回から旧頸城村議の上野公悦氏にも参加してもらい、会議をやることになりました。彼からは事務局の仕事をやってもらうことになると思います。終わる頃から、咳が止まらなくなりました。どうも風邪をひいたようです。帰りにセブンイレブンに立ち寄り、風邪に効きそうな飲み物を買ってすぐ飲みました。
 


2005年03月06日

無題

 久しぶりの青空、とてもいいもんですね。デジカメを持って、まず撮ろうと思ったのは、尾神岳です。先日撮ったばかりですが、青空なしの写真なので気になっていました。きょうは最高の条件でした。撮影した写真を使いトップページの写真、入れ替えました。ごらんください。きょうは、昨日に続いて日曜版の配達でした。このところ、読者との対話がはずみ、普段の何倍も時間がかかります。そうでなければ、昨日で終わっていたのですが……。
 話の中で相手方が必ずといってよいほど出してくるのは、私の健康についてです。初めから無理をしないように。自分の体と相談しながら動くこと。心配してくださるのは、ありがたいことです。いま、どこかが悪いわけでもないのに、こうした声が次々と聞こえてくるのは、「頑張りすぎ」が目に見えるからでしょう。無理をせずに頑張る、このことを意識して活動を進めたいと思います。
 「春よ来い」シリーズ、久々に新たな話を載せました。第46回、「万年青」をごらんください。


2005年03月05日

機械のトラブル連発

 朝早く起きて印刷しようとしたら、製版がうまくいきません。何が原因か分かりませんが、前に製版した紙の排出ができず、つまってしまうのです。最後は何とか印刷できたのですが、予定した時間の2倍以上かかってしまいました。機械のトラブルは土日、祭日にやってくる。搾乳をやっていた時もそうでした。この変な巡り合せから抜け出せないでいます。
 「しんぶん赤旗」日曜版の配達の途中、牛舎に寄ると、父がやってきて、「ウォーターカップ(牛の自動給水器)がこわれて水が漏っている。直してくれ」。分解して、ゴムのパッキンがすりへっていることが確認できたので、修理は簡単です。ところが、パッキンの予備がありませんでした。仕方がないので、痛みの程度が比較的軽いパッキンで代用しました。
 夕方、坪野の「どんぐり村」で日本海に沈む夕陽を見ました。赤く、とても大きな夕陽です。デジカメを忘れていったので、ご紹介できなくて残念です。


2005年03月04日

世間は狭い

 学生時代の友人であるKさんから市議当選を祝うメールが来ました。彼は文学畑で学んだ人ですが、日本画の道を進み、各地で個展を開いています。近況を伝える文章と添付された写真を見て驚きました。故古厩忠夫教授の還暦を祝う会以来、お付き合いをさせていただいている現人文学部長と彼も付き合いがあったのです。しかも大学で授業もやり、学部長室には彼の八海山の絵が飾られているとのこと、私もぜひ一度、彼の授業を受けてみたくなりました。
 Kさんは、あちこちの友人に私のことを伝えてくれたようです。東京都品川区在住の女性からもメールが来ていました。彼女は私のHPをよく見てくださったようで、「私の好きな風景」の中の「花さき山」について、私の議員活動の原点ではないか、と感想を寄せてくださいました。どんな方かまったく分かりませんが、このように言われると、うれしくなります。
 きょうは厚生常任委員会3日目でした。私は午前中だけ参加し、午後からは原稿書きに集中しました。市政レポートの原稿です。一番時間がかかったのは、シリーズ「春よ来い」です。ここ1ヶ月くらい、政治的な文章ばかり書いていたためか、なかなか書けず、困りました。何回か書き続けると、また、勢いが出てくると思うのですが、予算議会中は質問準備に力を注がなくてはなりません。ま、しばらく、お許しを。


2005年03月03日

また横やり

 うれしいことが続いています。お昼休みに市役所の食堂へ行ったら、旧上越市内で仕事をしているMさんと偶然出会いました。吉川区から職場に通っているこの人は、「おめでとうございます」と言って私の手を握ってくれました。投票日から2週間が過ぎたのですが、時間が経ってもこうした出会いはうれしいものです。もう1つ、新潟市に住む吉川町出身者の方からメールが来ていました。それによると、「しんぶん赤旗」日曜版を県委員会から取り寄せ、50人からの方に私のことが載った記事を紹介してくださるというのです。1つの記事をこんなにも大切にしてくださるなんて大感激です。
 さて、きょうも厚生常任委員会でした。委員外発言を3回しました。発言したことは、関連や私が発言した方がいいことにしぼり、最低限にとどめました。私の所属する議員団から委員が出ているので、当然のことです。ところが、1回目の発言が終わったところで、委員長がまた横やりを入れてきました。「自分の会派から委員を出している場合は、その人に託すように」との発言です。私がそういうことを無視して発言を乱発しているなら分かりますが、そうでない状況下でのこの委員長発言はいただけません。委員長の「横やり」はどうも近くの誰かが渡したらしい。私も長く常任委員長をやってきましたが、こんな非民主的な運営姿勢を初めてみました。
 委員外発言は所属委員の発言が終わってから行うことができる仕組みになっています。議案審議の前に各会派では勉強会をやっています。それに基づいて委員が様々な質問や提案を行いますが、委員会での議論の発展の中で勉強会で気が付かなかった問題点に気付くこともある。それに今回の合併で広大な旧町村部が1つの自治体に加わりました。個性あふれた取り組みをしていた町村の実情を熟知している議員もいる。そういう人たちが委員外発言をすることはプラスになってもマイナスにはなりません。審議が活発になって、深みも出てきて、とても良いことだと思います。


2005年03月02日

初の委員外発言

 予算議会3日目。きょうから常任委員会審議が始まりました。厚生常任委員会から順番に行われることになっています。委員外発言もできるというので参加しました。党議員団の樋口良子委員がこの委員会所属なので、基本的には彼女にお任せなのですが、私に係わりのある件については発言することにしていました。指定管理者の指定については、合併協議会で決めた地域協議会の権限にふれる事例です。関係する安塚区、浦川原区の地域協議会で了解をとったかどうかを確認するため手をあげました。ところが、佐藤委員長は、「当委員会では委員外発言は認めておりません」と発言しました。樋口委員などの抗議で委員長はこの発言を撤回しましたが、私の初の委員外発言は、委員長のおかげで忘れられないものとなりました。
 夕方、家に戻ってみると、直江津在住のHさんから葉書が来ていました。葉書には、私の当選が自分のことのようにうれしいとありました。Hさんは、私の母校である元源中学校の教師だった方で、私の弟の恩師です。私は直接授業を受けたことはないものの、町議時代、たいへんお世話になった経緯があります。じつは、私の発行していた町政レポートのレイアウトをどうしたらいいか悩んでいた時にHさんが作成していた学級通信に出会い、迷いが吹っ切れたのです。そんなことで、私にとっても大事な先生です。先生、ありがとうございました。


2005年03月01日

傍聴席に頸北の友人の姿

 予算議会2日目。総括質疑も2日目でした。昨日から気になっていたのは休憩の取り方が普通でないことです。きょうもトイレをじっとがまんする羽目に。途中でぬければいいさ、と言われるかもしれませんが、ぬけられる状況ではありません。ともかく2時間以上も休まないというのは改善しないといけません。休憩時間に市の幹部の1人に聞いたら、私もトイレに行きたくても行けない、と話しておられました。議運のメンバーに改善を求めたいと思います。
 午後からの審議再開前に傍聴席に目をやると、旧吉川町、旧柿崎町、旧頸城村の議員だった人たちの姿がありました。なつかしいというか、うれしい気分になりました。せっかくですので感想を聞いてみました。「杉本さん、いくつもいい答弁もらったね」「質問も答弁も全体として長すぎる。もっとコンパクトにまとめられないものか」「何を聞きたいのか、どう答えるか、もう少し整理しないと、聞く方も疲れる」など、きびしい声が相次ぎました。


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