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2007年07月投稿分

2007年07月31日

中越沖地震被災者相談センターへ

 中越沖地震後、党柏崎市委員会の建物内に設置された日本共産党被災者相談センターに初めて出かけてきました。柏崎市へは4日ぶりです。震災から2週間が過ぎ、復興への動きがハッキリ見えてきました。米山大橋を越えてすぐ、目に入ったのは日本海フィッシャーマンズケープ(鮮魚を販売しているお店・写真は帰り道に撮影)の電気です。営業を再開したか、その準備をしているのでしょう。また、鯨波を過ぎると「東の輪海水浴場」「鯨波海水浴場営業中」という看板が新しく立っていました。復興への動きが見えるのはうれしいものですね。
 被災者相談センターが入っている党市委員会の建物は、これまで何回か訪れたことがありますが、大通りからの入口を間違えるほど周囲の状況が変わっていました。多くの民家の屋根はブルーシートで覆われ、基礎部分がやられている家もいくつか見えました。道路はあちこちで、舗装をはぎ工事中となっていました。市委員会の建物が緑色の判定(建物応急危険度判定の調査済みで安全とされたもの)となっているのは、地盤がよく、屋根は瓦葺でなかったからでしょうか。
 センターでは党中央委員会の有坂哲夫さんや原発問題住民運動センターの藤巻泰男さんなど懐かしい人と再会しました。有坂さんから、「上越市の被害も大きかったんだね」と言われ、びっくりしました。有坂さんは私のHPを見ていて、私の市政レポートもプリントして持っておられました。センターの皆さんとは、被害状況や関係自治体の対応などについて情報交換し、いろいろとアドバイスをしてもらいました。この中で、吉川区総合事務所が住家などの被害認定結果を関係者に通知したことは高く評価されました。早く知りたいという被災者の要望が強い中で、被災地全体の中でトップを切って通知していたのです。今後の問題では、関係自治体間では災害ごみ処理などの支援制度に差があるので、先進事例を広める努力が必要である点で一致をみました。また、住家等の被害認定の対応では、迅速であること、公正であることに加えて、被災者の納得のいく認定を求めることが大切であることを教えてもらいました。


2007年07月30日

なぜ負けたか分からぬ首相はみじめ

 参院選は自民党が大敗しました。安倍首相の「国民の皆さんにお約束したことを着実に行うことで責任を全うしたい」という記者会見での発言を聞いていて、「この人は国民感情がまったく分かっていない」と思いました。選挙結果を見て、安倍政権のやってきたことにたいする有権者の反発はない、敗因は別のところにあるとでも考えているのでしょうか。インタビューや記者会見で見せた、政権にしがみつこうとする首相の姿はみじめですね。
 選挙結果は万々歳ではありませんでした。国民年金問題だけでなく、政治とカネ問題など国民が大きな関心を持った問題のほとんどで、日本共産党国会議員団の働き、役割は大きかった、今回は伸びるだろうと期待していたのですが、そのことが日本共産党への投票と結びつかなかったのはとても残念です。国会で主役だったものがいつの間にか脇役になってしまったのは、二大政党論を今回も打ち破れなかった点にあります。私の地元の吉川支部では地震被害が出たにもかかわらず、国政選挙では過去最高の対話数を確保し、支持の約束をいただきました。吉川区がどうであったか、開票結果を見られないのはさみしい。
 さて、きょうは妻を職場に送り、その後、生活相談などをこなし、午後から人間ドッグでした。体重は昨年よりも3キロも増え、体脂肪率は26%にもなっていました。地震後の不規則な食事、バランスのとれていない食事を反映し、善玉コレストロールが標準以下でした。でも、心配した血糖値は思っていたよりも低く、初のメタボリック症候群の検査でもメタボではないとの判定でした。これは救いです。食事指導で、夕飯のご飯を茶碗の半分減らすようにと言われました。
 尾神岳の写真、入れ替えました。田んぼの色に注目してください。出穂しました。


2007年07月29日

葬儀後、またハプニング

 隣家の葬儀でした。今月はハプニング続きですが、この日もそうでした。導師を務められたお寺の住職が葬儀後、体調を崩され、初七日を分家であるお寺にまかされるという事態が起きたのです。葬儀が終わってマイクロバスに乗られる時、何となくふらっとした歩き方だったので、おかしいなとは思ったのですが、そう思ったのは私だけではありませんでした。
 葬儀、初七日、お斎とも話せる時間帯では、話題は地震でした。午後から、お寺さんは3人来られたのですが、3つの寺、それぞれ被災されていました。そのうち、ひとつのお寺は柿崎区にあるお寺で、お御堂だったのでしょうか、全壊だったといいます。応急危険度判定で赤紙張られたとか、家屋調査ではどんな調査が行われたとか、お寺さん同士での会話もにぎやかでした。
 このHPでは公職選挙法の関係から選挙に直接かかわることは公示後、いっさい書かないで来ました。この「見てある記」をお読みになって、不思議に思われた方もあったことでしょうが、ご理解ください。明日からは、また、自由に書くことができます。


2007年07月28日

葬儀の準備中も電話が次々と

 きょうは隣家のお通夜です。あすは葬儀。これらの準備で一日、隣家に詰めたのですが、度々、携帯電話が来て、その対応に終われました。
 電話は殆んどが地震被害に関するものです。日本共産党では柏崎市委員会に被災者相談センター(電話0257-20-0908)が設置してあって、その電話番号を市政レポートに掲載したところ、早速電話が行ったそうです。電話をかけた女性は地震後、3日間、車の中で眠った。いまも不安感が強く、家の中でも外に出やすいところで寝ていると言います。この方は家屋の被害判定で「一部損壊」となったが、そんなレベルではない。どうしたらいいかとも相談したとのこと。3年前の中越地震の時には、小千谷市だけでも千数百件の再調査依頼があったといいますから、上越市内でも、これからこうした相談が多くなるかも知れません。
 地元町内会では、きょうも大勢が参加して「もりよし」のおじいさんの捜索活動が行われました。おじいさんが行方不明になってからすでに1週間が経過しています。いまだ、発見されていないことからすると、誤って川や池に転落した可能性が高くなってきました。それとも、想像以上に遠くまで歩いていって、そこで倒れているか。いずれにせよ、町内会では、打つ手がなくなり、しばらく様子を見ようということになりました。残念です。
 夜遅くなって、竹島県議から、2日に上越市北部の被災状況を視察したいので、協力してほしいとメールが来ました。また、新潟市の地質の研究者の方からは、人家のないところの状況にももっと目を向けて調査をとのメールも来ました。やるべき課題が次々と出てきます。


2007年07月27日

真殿坂断層

 原発問題住民運動全国センターの機関紙の名前は「げんぱつ」。月1回の発行を続けていますが、中越沖地震後初めての号が送られてきました。原発の耐震安全性を問う記事がいくつも載っています。この機関紙のコラム・「警鐘」を読んでビクッとしたのは、「柏崎刈羽原発には、今回以上に被害を与えうる活断層がある。敷地地盤を切る『真殿坂断層』である」との指摘です。安全審査の段階では、この「断層の長さ24㌔を14㌔と過小評価し、5万年以内に活動した活断層であることも否定した」ともありました。以前、地学団体研究会の先生から、原発の近くに活断層があるという話を聞いた記憶が残っていますが、それがこの断層だったのでしょうか。こうなってくると、柏崎刈羽原発は安全性を確保した上で「封印」してほしい。
 さて、柏崎の話が続きますが、わが家が食べている卵は柏崎市の自然健康食品・丸長というところから宅配してもらっています。にわとりを平飼いしていて、卵は昔からのものと同じです。弾力性があって、黄身が盛り上がっている。この卵を食べると、スーパーで安売りしているものは食べる気がしません。この宅配は、本来ならば数日前に来るはずでした。これまで配達日を間違えたことは一度もありませんでしたから、中越沖地震でダメになったものとあきらめていました。ところが、きょう、留守に届いていたのです。いつもなら、普通のことなのに、なぜか、ジーンとくるものがありました。
 「春よ来い」第82回「お風呂」は、地震後、柏崎市の妻の実家へ行った時のことを書いてみました。また市政レポート1305号もアップしました。ご笑覧ください。


2007年07月26日

隣家のお父さん亡くなる

 お昼前の11時頃でした。隣家の長男、Hさんからの携帯電話が鳴りました。「橋爪さん、忙しいですか」と訊かれたので、「うん、忙しい」って言うと、「じつはオヤジ、さっき、息を引き取ったし、また世話になりたいんだわ」と言います。ひと月ほど前、松之山の老健施設に入れたと聞いていたので、だいぶ弱ったのかなとは思っていましたが、まさかこんなに早く亡くなるとは。びっくりでした。この間の冬は、トラクターに乗って除雪作業をしていたというのに、人間の一生って、分からないものです。
 そんなわけで、頭の中はてんやわんやです。柿崎区のお寺の住職を迎えに行く、死亡届を出す、町内会向けの葬儀日程を印刷するなどの仕事をしました。その合間に、行方不明者のことも気になりますし、何よりも昨晩の大雨の被害が出ないか気がかりでした。吉川は今年一番の水位となりました。もう1メートルくらい上昇すると、堤防越えでした。地震に、行方不明、葬儀、そして水害となれば、パニックです。
 市政レポートは選挙日程との関係があり、一日早く書くことにしていたのですがダメでした。原稿は3分の1くらい書いていたのですが、残りは夜の仕事になりました。急いでいたので、そそっかしい文章になっているかと思いますが、「春よ来い」の第82回も書いてみました。明日にはHPに掲載できるでしょう。


2007年07月25日

1週間ぶりに柏崎市へ

 3時間ほど時間をもらい、妻とともに1週間ぶりに柏崎市へ行ってきました。目的は病院と妻の実家の訪問です。病院は妻の診察でしたが、1週間前とは違い、いつもの静けさがありました。ただ、町の風景は一変してしていました。建物の応急危険度判定が進み、建物の殆んどに黄色や緑色の判定の張り紙がされていたからです。赤の判定はあまり見られず、そのかわり、壊れた建物が目に付きました。一番ひどかったのは原酒造さんの建物です。大きな建物がぐしゃぐしゃになっていて、再建できるだろうかと思いました。気の毒です。
 妻の実家は、いまだに水道が復旧していませんでした。先日訪ねた時には、水が出ると聞いていたのですが、それは管に残っていた水だったようです。お風呂も入れず、吉川区の長峰温泉に来たと言っていました。ただ、義父だけはベッド生活ですので、タオルで体を拭くだけといいます。気になったのは義父の体調です。自分の口から「きょうは具合が悪い。どういうわけか腹が減って困る」と繰り返し言っていました。本格的な夏がやってきて、体が暑さについていけなくなっているのかも知れません。
 さて、行方不明者の捜索についてです。町内会の大勢の人たちによる捜索は土日まで無し。きょうは近所の人や親戚、家族だけの捜索だったようです。午後3時過ぎに、長男のYさんのところへ携帯電話をしたら、柿崎区の川の中にいると言います。様子を見に行くと、養鯉業者の人たちが使っている大きなゴムズボンを履き、長い竹の棒を持ち、ひとりで捜していました。草むらや川のくぼみ等を突いて、確認していました。「気をつけて、無理しなんなや」と声をかけたのですが、涙が出てきてしまいました。「もりよし」のじいさんは、いったい、どこへ行ったのでしょうか。


2007年07月24日

捜索と現地調査と

 きょうは地元町内会独自の捜索活動となりました。みんな都合をつけてくれて、総勢30人に。原之町、大乗寺、下町の全世帯への捜索活動協力要請チラシの配布は一気に行われ、予定よりかなり早く終了しました。私もチラシを配布しましたが、私の顔を見るなり、地震の恐怖体験を語る人、被害への支援を求める人が何人もいて、配布はなかなかはかどりませんでした。
 午前10時半過ぎからは上越市議会食料・農業・農村議員連盟が農村集落排水施設の被害状況を視察するため、吉川区入りし、私も参加しました。いまや農村集排被害のシンボルとなった田尻地内の大きく陥没したマンホールは、視察のお決まりコースになりました。視察という名目でこの現場を訪れるのは、今回で4回目になります。毎回、マンホール周辺が下がっていくのが気になります。吉川区では管路などで被害が出ていますが、幸い、処理場はたいした被害もなかったので助かります。
 午後3時過ぎから、再び町内会の捜索活動に加わりました。参加者のひとりから、伯母ヶ沢よりも遠くへ行った可能性があるとの指摘を受け、柿崎区の東横山、旭平まで車で移動し、道路沿いを歩いて捜索しました。しかし、夕方になっても発見できませんでした。町内会では、明日からは池と河川の見回りを定期的に行ない、土日に再び大勢で捜索活動をすることになりました。


2007年07月23日

3日目になっても発見に至らず

 きょうも朝から捜索活動でした。平日にもかかわらず、消防団員は50人近くも集まってくれ、捜索範囲を広げて頑張ってくれました。私は町内会役員とともに「もりよし家電」のおじいさんの母親の実家があった集落に出かけ、実家のあった場所の周辺、墓場などを捜索しました。忙しくて、季節の変化についてはまったく意識していなかったのですが、きょうはエゾゼミ、ヒグラシの鳴き声を聞きました。梅雨明けを思わせるような天気の中で季節は本格的な夏になってきているんですね。
 県警ヘリは、きょうも捜索に加わってくれました。連続3日です。柏崎からの支援要請があるなかで消防署も出動してくれました。しかし、「もりよし家電」のおじいさんはきょうも発見できませんでした。警察、消防と一体になった捜索はきょうで終わりです。明日からどうするか、町内会で相談した結果、町内会独自に捜索活動を続けることになりました。そのため、夕方からは地元町内会の全世帯に協力依頼を出し、明日からの捜索に使うチラシの準備などをしました。
 さて、地震関連情報です。区内外の被害家屋の調査結果(23日午後5時現在)を市役所から教えてもらいました。吉川区の被災世帯は218世帯737人。全壊2、大規模半壊2、半壊10、一部損壊204となっています。作業所、土蔵などの非住家については、全壊80、大規模半壊14、半壊41、一部損壊103でした。上越市内の中では吉川区と柿崎区に被害が集中しています。こうしたなか、きょうは自民党の高鳥修一衆院議員と楡井辰雄県議が視察のため吉川区に入り、私も同行しました。


2007年07月22日

捜索続く

 警察、消防署、消防団、地元ボランティアなど約90人がきょうも「もりよし家電」のおじいさんの捜索をしました。朝7時から始め夕方5時過ぎまで行いましたが、残念ながら、きょうも発見できませんでした。夕方からは雨も落ちてきています。どこかにうずくまっているのではないか、病気を出して動けなくなっているかもしれない、そう思うと切ない思いがします。
 きょうは住民から寄せられたいくつかの情報を基に、20日の午後9時半頃、最後に姿が確認された代石と下中条間を中心にしながら、大出口川、大久保池、県市道、農道などを地上から、空から捜索しました。杖を使って歩くとはいえ、予想以上に遠くに行った可能性もあるとして、私と町内会の役員ひとりと、おじいさんの母親の実家があった伯母ヶ沢まで捜しに行きました。子ども時代、誰もが楽しみにしていた母親の実家への泊まりを思い出していたかもしれないと思ったからです。
 捜索は明日も続きます。県警ヘリは連続3日の出動です。明日は午前8時から捜索活動開始です。警察や消防団などの捜索は明日まで。もし、明日見つからなかった場合は、地元町内会で捜そうということになっています。早く見つかればいいのですが。


2007年07月21日

今度は行方不明者

 昨日書き込みした河沢地内の亀裂については、林業事務所などが朝から対応してくれて、夕方までに地すべりセンサーを設置しました。これで、亀裂のあるところが動けば反応します。昨日、消防団員などがブルーシートを張って応急処置はしてありますので、これで一安心です。自主避難した河沢集落の3世帯のうち、2世帯は夕方までに自宅に戻りました。残りの世帯も明日には戻るでしょう。
 朝、自主避難している河沢の公民館で従弟と話をして、家に戻る途中、私の地元集落の役員から声をかけられました。「もりよし家電」のおじいさんが昨晩から行方不明になっている、自分の家の周りにいないか点検してくれというのです。このおじいさんは私の父と同じ年齢ですが、心臓も肺も弱く、最近は物忘れがひどくなっていました。家に帰ってすぐ、牛舎や家などを点検しました。その後、区総合事務所と連絡をとり、警察や消防団の力も借りて約70人体制で捜索活動を展開しました。午後からは県警のヘリ、「はるかぜ」にも来てもらい、空からも捜してもらいました。残念ながら、夕方までには見つかりませんでした。心配なのは川に落ちていないかです。私の住んでいるところは水害の常襲地帯で、雨が降ると、増水しているかどうか見に行きたくなる人が多いのです。明日は川に入っての捜索活動も行われます。私は地元集落の公民館で対策委員の1人として動きました。
 市政レポートNO1304をアップしました。裏面には地震関連写真を掲載しています。ごらんください。PDFファイルは表面と裏面に分けてあります。


2007年07月20日

の2 中越沖地震情報⑧ 地震後初の雨に警戒

 一難去ってまた一難。夕方、自民党県議団の災害視察が終わってから、ショッキングな情報が入ってきました。河沢集落の裏山(海抜100メートルくらい)の尾根部分に亀裂が走っているというのです。亀裂の口は20センチほどで長さが40メートルにもなっている。下の民家が危ない。その民家は私の叔母の家を含む3軒です。ただちに現地に飛び、消防団の人たちや地元町内会のみなさんとともに対策に乗り出しました。
 とりあえず、亀裂にはブルーシートを張り、雨が入らないようにしてもらいました。地すべりした時に危険となる3軒の民家の住民と話し合った結果、近くの親戚の家や公民館などに自主避難してもらうことにしました。
 明日は朝早くから林業事務所の職員がやってきて、調査をしてくださることになっています。大きな雨が降らなければいいのですが、心配です。
 さて、きょう段階の吉川区の被害状況です。午前8寺30分現在のデータです。
 ●避難所開設 1ヶ所 
 ●けが人 18人(このうち1人はやけどで入院。他は軽傷)
 ●住宅の損壊 17件(うち危険4棟、昨日までの情報には土蔵等も入っていた)
 ●住宅の屋根瓦落下、壁落下、ひびわれ等 298件
 ●非住宅の屋根瓦落下、壁落下、ひびわれ等 432件
 ●灯油流失 25件
 ●道路陥没、段差、クラックなど 122ヶ所
 ●断水 なし 6時30分、全面復旧
 ●停電 なし 16日17時、すべて復旧
 ●交通止め  林道大下名木山線(崩土)


中越沖地震情報⑦ 水道復旧

 今朝までに上越市吉川区の水道は基本的に復旧しました。寝食も忘れ、風呂も入らず奮闘した水道局職員、業者の皆さんに心から感謝します。有線放送で、「万が一、にごりなどがあって飲めない場合は、総合事務所前に設置した応急給水拠点に水を用意してあるのでご利用ください」という呼びかけがありましたが、利用者は1人だけでした。総合事務所にこれない人もあるかもしれないというので、いま、給水車が昨日まで断水していた地域を回っています。(午前7時58分)


2007年07月19日

中越沖地震情報⑥ 上川谷の被害もすさまじい

 今回の地震では源地区の被害は少ないと聞いていました。ただ上川谷だけは別とのことでした。下川谷を過ぎ、2年前の梅雨前線豪雨で大きな被害が出た県道の近くまで行ってびっくりしました。北側の山が何ヶ所も大きな地すべりを起こしていたのです。赤茶色の地肌が出て、谷底には何本もの木々が落ちています。一瞬、中越地震のときの山古志の風景を思い出しました。上川谷の風景は一変していました。
 上川谷のすべての家を訪れ見舞いましたが、どこの家の人も地震の恐怖を語りました。「2階から長持が落ちてきた。よく怪我をしなかったものだと思う」「タンスから茶ダンスまで、みんな倒れてきた。夜の寝ている時だったら、どうなっていたか」「家の中がみんなガサガサになった。地震の影響もあるのだか、体の調子が悪い。一人でいるのが不安で、お父さんについてまわっている」「よそでお茶を飲んでいた。家に帰ったら、戸は外れ、壁が落ち、足の踏み場もなかった。やっと座る場所をつくった」。ある家では、「まだ橋爪さん、きなんねねぇと、みんなでうわさしていたとこだ」と言われました。待っていてくれるとはうれしい。
 地すべりしている現場も2ヶ所だけ見てきました。いずれも田んぼの畦が谷底に落ちています。田んぼの中にはひびが入り、植わっている稲も引っぱられて横になっています。畦もとを歩いていると、ぶよぶよしていて、一緒に谷底に落ちるのではないかと不安になります。地震から3日目、上川谷の人たちの多くは、まだ自分の家の田んぼがどうなっているか見ていません。地滑りを見て、再び切ない思いになるのどろうと思うと、かわいそうです。上川谷の地すべりの姿は「上越市内の新潟県中越沖地震被害関連写真」の中に2枚ほど追加掲載しましたが、ビデオでないとよくお伝えできません。
 さて、吉川区の被害状況です。午後1時現在のデータです。
 ●避難所開設 1ヶ所 3人自主避難(ピーク時は16人)
 ●けが人 17人(このうち1人はやけどで入院。他は軽傷)
 ●住宅の損壊 23件(危険6棟、要注意12棟、注意2、調査中3棟)
 ●住宅の屋根瓦落下、壁落下、ひびわれ等 282件
 ●非住宅の屋根瓦落下、壁落下、ひびわれ等 456件
 ●灯油流失 25件
 ●道路陥没、段差、クラックなど 101ヶ所
 ●断水 374世帯
      区内4ヶ所で飲料水供給中
 ●停電 なし(16日17時すべて復旧)
 ●交通止め  林道大下名木山線(崩土)
 水道については、明日の朝までに復旧する見通しであると有線放送でお知らせがありました。建築物応急危険度判定の要請は28件にまで増えてきました。夕方までの判定結果は、「危険」が8件(うち、住宅は4件)、「要注意」が15件、「注意」が6件となっています。判定要請は28件ですが、対象物件は29件です。


中越沖地震情報⑤ 上越市内における被害写真

 17日、18日と撮った写真の中から10数枚掲載しました。「上越市内における新潟県中越沖地震被害関連写真」というタイトルです。


2007年07月18日

中越沖地震情報④ 農業用施設にも被害が…

 昨日、農業用溜池の堤となっているところのひび割れを見てきました。この時は、今回の地震による農業用施設被害は、この他にはないだろうと思っていました。ところが今朝になって、別のところで田んぼのパイプ灌漑が機能しないようだとの情報が入ってきました。U字溝なども被害が出ているかもしれないとも。いまはライフライン復旧が最重要課題ですのでそういうところの調査には力を集中できませんが、今後の大きな課題の1つになるでしょう。
 さて、きょうの朝9時現在の吉川区被害状況です。けが人は5人増えて13人になりました。昨日の数字と比較してみてください。全体に数字が大きく動いています。ライフライン復旧で懸命な作業が続けられているのは水道です。夕方現在で、あと500世帯ほど残されていますが、川崎集落から河沢集落間の市道に埋設してある管の復旧工事が難航しています。写真は川崎地内で撮ったもの。
 ●避難所開設 1ヶ所 9人自主避難
 ●けが人 13人
 ●住宅の損壊 13件
 ●住宅の屋根瓦落下、壁落下、ひびわれ等 242件
 ●非住宅の屋根瓦落下、壁落下、ひびわれ等 387件
 ●灯油流失 23件
 ●道路陥没、段差、クラックなど 95ヶ所
 ●断水 東田中地区、勝穂地区、泉谷地区の一部
 ●停電 なし(16日17時すべて復旧)
 ●交通止め 市道長沢西線(17日11時に解除)
         林道大下名木山線
 なお、これまで要援護者の安全確認は614人を対象に行われています。これはすべて16日に完了しています。
 きょうは「しんぶん赤旗」日刊紙の配達終了後、柏崎市に向かいました。国道は大渋滞となっていたため、柿崎区の峠集落の一歩手前で林道に入り、柏崎市の市野新田に出て市街地に入りました。所要時間は約50分。いいルートを見つけました。柏崎に行ったのは妻を迎えに行くためです。妻は地震の前から同市にいたのですがが、彼女とは5日ぶりの再会でした。
 午後からは吉川区内の旭地区の被害実態調査、そして浦川原区で最も大きな住宅被害の出ている飯室集落へ。ここでは2階部分が完全に壊れているKさん宅に入らせていただき、要望をお聞きしてきました。この家では、地震発生時、居間でお茶を飲んでいたといいます。寝室の時計が午前10時15分(2分進んでいたとのこと)で止まっていたのが印象に残りました。きょう視察したところは、いずれも2階の屋根が瓦葺でした。屋根の構造と地震被害の関係には、もっと目を向ける必要がありますね。


2007年07月17日

中越沖地震情報③ 吉川区内の建物応急危険度判定他

 吉川区内の住宅被害は家具類が倒れる、散らばる、屋根瓦が落下するといった類のレベルだけではなく、家屋が傾いて危険になっているものなどがあることがわかりました。これは給水車がいるところに水をもらいに来た住民からの情報で初めて知りました。情報に基づいて朝の内に2軒の家を訪ねてきましたが、柱がいくつも傾いている、戸がねじれているなど極めて深刻な状態にあります。ただちに市防災局に問い合わせたところ、上越市内では昨日からこうした深刻な家屋被害の危険度判定の作業に入っていることを知りました。正式には建築物応急危険度判定といいます。被災した建築物の応急的な安全性の判定を迅速に行い、余震などによる人的被害を防ぐことが目的です。
 上越市内全体では40数件の判定が行われていました。吉川区内では、きょうの3件を含めて10件にものぼっています。集落別では泉谷3件、土尻1件、川崎1件、小苗代2件、片田1件、原之町2件となっています。判定結果は、「危険」という赤紙が張られた家が4件、「要注意」という黄色の紙が張られた家は6件でした。
 本日、午前8時半現在の吉川区の被害状況は以下のとおりです。全体として、昨日よりも広がっています。上越市内全体の被害状況は市役所のHPに掲載されていますので、ご覧ください。
 ●避難所開設 1ヶ所 12人自主避難
 ●けが人 8人
 ●住宅の損壊 10件
 ●住宅の屋根瓦落下、壁落下、ひびわれ等 138件
 ●非住宅の屋根瓦落下、壁落下、ひびわれ等 170件
 ●灯油流失 21件
 ●道路陥没、段差、クラックなど 65ヶ所
 ●断水 区内全域
 ●停電 10町内会(16日17時復旧)
 ●交通止め 市道長沢西線
         林道大下名木山線
 日本共産党上越市議団は市内の吉川区、柿崎区、大潟区、頸城区、三和区を回り、被害状況を視察してきました。浦川原区は明日、視察する予定です。なお、きょうの視察を踏まえ、日本共産党上越地区委員会の対策本部(本部長は阿部正義委員長、副委員長は杉本、樋口両議員、事務局長は私)は、夕方、上越市役所を訪れ、以下の申入れを市長に対して行いました。村山秀幸副市長および土橋均防災局長が応対してくれました。
 7月16日に発生した新潟県中越沖地震は、震源地にもっとも近い柏崎市を中心に、上越市においても深刻な被害を引き起こしています。貴職におかれては、ただちに対策をとられたことに心より敬意を表します。
 日本共産党対策本部は、16日~17日の両日、被災地にはいり被災状況を調査した結果をふまえ、下記事項について至急、対策をとられるよう申し入れるものです。
  1. 応急危険度判定において「危険」「要注意」と判定された家屋とその居住者に対して
 ① 判定の結果、何ができて何をしてならないかなど具体的な説明を、該当者に対しただちに、かつ丁寧に行うこと。
 ② 希望者には、必要な住居を確保すること。
 ③ 判定をためらっている市民に対し、適切な対応をすること。
 ④ 家屋の撤去費用・再建費用等に対する市の補助制度などを確立し周知すること。
  2. 要介護者に対する対応について
 ① 散乱した家財等の後かたづけの支援をもとめている人を把握し、行政として必要な支援を行うこと。
 ② 危険家屋居住者のみならず、家財の散乱などにより居住に困難をかかえている人たちへの対策を講じること。
  3. 道路等の被害に対して
  ① 幹線道路の修復はすすんでいるようだが、枝線等には危険箇所が残されている。安全対策を講じるとともに、至急、修復作業にとりかかること。
 ② ライフラインの確保に全力をあげること。
 以上


中越沖地震情報② 砺波市、荒川区から応援

 朝5時半過ぎに吉川区総合事務所へ行ったら、富山県砺波市、東京都荒川区から給水車が来ていました。感謝です。水道はまだ復旧せず、私も水をもらってきました。こういう時には、自家用井戸があると助かりますが、わが家では牛舎の井戸水が出ました。ただし、飲むには沸かさないとだめでしょう。ガスは使えます。
 昨日、区内に開設した避難所のうち、保健センター内の避難所には16人が泊まったそうです。他の2ヶ所の利用はありませんでした。
 これから区内の視察に出かけてきます。昨日はほとんど総合事務所につめていましたから、被害状況はこの目でしっかり見ておきたいと思います。午前10時からは党地区委員会と市議団合同で上越市北部の各区を訪れ、視察します。寄せられた情報によれば、家屋被害は数字で見る以上に深刻で、なかには家の中の柱が曲がってしまったところもあるといいます。


2007年07月16日

中越沖地震情報① 中越地震より大きな地震でした

 すごい地震でした。激しい横揺れでタンスや食器棚などが倒れ、部屋中のものがごっちゃまんざいになりました。長男とともにあわてて外に飛び出しました。吉川区総合事務所の震度計は震度6弱(計測震度5.8)を記録。中越地震と比べると、今回の方が揺れが大きく、吉川区では道路の隆起、住宅の一部損壊などの被害が発生しました。区内全域で断水したため、給水車に長い列ができました。わが家では父がディサービス、妻は柏崎へ行っていて留守でした。夕方までには全員の無事を確認しました。家がよくつぶれなかったなと思います。
 吉川区の被害状況(18時現在)は以下の通りです。
 ●けが人 4人
 ●家屋の一部損壊 6件(うち住宅2件、非住宅4件)
 ●屋根瓦落下、壁ひびわれ等 50件
 ●灯油流失 8件
 ●道路陥没など 8ヶ所
 ●断水 区内全域
 ●停電 10町内会(17時復旧)
 ●自主避難 9人
 水道は本管が6ヶ所ほど破損、復旧は早くて明日の午前中頃の予定。避難所は保健センター、旧源小体育館、旧旭小体育館で開設しています。


2007年07月11日

いよいよ明日から参院選

 9日からきょうまで家を空けました。市議会文教常任委員会の視察です。郡山市で学校給食、福島市ではキャリア・スタート・ウィーク(職業体験)、飯能市のまちづくり事業等を学んできました。このうち、福島市のキャリア・スタートは中学2年生全員を対象にした取り組みとなっていて、市内の主な団体がバックアップ、すばらしいなと思いました。職業教育で文科省表彰を受けたのもうなづけます。上越市での今後の取り組みをどうするかを考えるうえで大きな示唆を与えてもらいました。
 夕方からは吉川区内で旧吉川町時代の文化財保護委員会のメンバーのみなさんとの懇談会、懇親会に参加させていただきました。旧町時代の指定文化財が市の指定文化財に正式になり、名称、分類なども整理されて、今後の課題も見えてきました。自由民権運動の鈴木昌司、顕法寺関係はさらに調査が進むと、新たな展開も出てきそうです。13区の中で、きょうのような取り組みは吉川区が最初です。全市で文化財の再確認と保護の運動が高まりをみせてくれればいいなと思います。
 いよいよ明日から参院選です。貧困と格差の打開、憲法9条改悪ノーの旗を掲げて全力で頑張りたい。前にも書いたかと思いますが、今回の選挙戦では、日本共産党が議席を1つ伸ばすだけでも党首討論が可能となります。2つ増やせば議案提案権が獲得できます。どうぞお力添えを。なお、選挙期間中は公選法の関係もあってこのホームページの更新は基本的にはしません。選挙が終わるまでしばらく休むことになるかと思いますが、よろしくお願いします。
 「春よ来い」の第81回「五センチの母」を掲載しました。ご笑覧ください。


2007年07月08日

吉川区体育祭

 きょうは第3回吉川区体育祭でした。過去2回は雨のため、いずれも屋内での開催でした。きょうは曇り時々晴れの天気でしたので、ずっとグランドで競技が行われました。やはり、外は盛り上がり方が違いましたね。来賓席には時たま涼しい風が吹き、運動会としては最高のコンディションだったのですが、家に帰ってみたら、腕は真っ赤、頭はピリピリ、完全に日焼けです。これにはまいりました。
 いつものことながら、ひとたび競技に参加すると、夢中になります。来賓席からコートへ出て行って競技をしたのは、玉入れ、一升瓶レースなど3種目。このうち玉入れでは吉川地域づくり会議チームのメンバーとして上位入賞に貢献しました。チームの総得点は56点、このうち橋爪選手が獲得した点数は8点でした。一升瓶レースは60歳以上であることが参加資格となっていましたが、参加者が少なかったため、概ね60歳を越える人であればいいということに。私は四捨五入すれば「概ね」60歳になります。ということで、私も参加しました。
 明日から市議会文教経済常任委員会の視察です。明日は福島県郡山市に、明後日は埼玉県飯能市に宿泊します。パソコンは持って行きませんので、日記は休みます。悪しからず。


2007年07月07日

参院選公示目前

 参院選公示まであと5日。あわただしい日が続いています。私が市政レポートなどを印刷している間に、支部の仲間は「日本共産党はこんな政党です」パンフの配布、比例ポスターの準備、「しんぶん赤旗」の配達などで頑張ってくれました。今回は躍進の絶好のチャンスという受けとめが仲間に浸透していて、これまでだったら選挙本番にならないと進まなかった対話、支持拡大も前進しています。吉川区内での対話数は全世帯の3分の1を越えました。
 私の方は、印刷が終わってから、昨日の囲む会で要望の出た道路の陥没箇所の確認に出かけてきました。ポールを横にして、その下面とへこんでいるところを巻尺で計ったら、3センチもありました。これなら、ひとたび雨が降ると水がはけない、大きな車が通るたびに地震のようになるというのは理解できます。デジカメで写真を撮りましたので、明日にでも総合事務所、関係課に送信しておきたいと思います。測量ポール、巻尺、デジカメは道路調査の時には本当に活躍してくれます。
 きょうの大事な仕事は「しんぶん赤旗」日曜版の配達です。ある読者のところへ行ったら、玄関先でカキランが見事に咲いていました。花は10個以上付いていたように思います。上手に咲かせたものです。これを見て、じっとしていられなくなりました。毎年出かけている山に入り、カキランを撮影してきました。今回は、いつも咲いている場所とは違うところでも花を見つけました。自然の中に咲いているものは、花はせいぜい5、6個ですが、やはり、こちらの方が生き生きしていて最高です。この写真撮影のために要した時間は約30分。たったこれだけの時間で生き返ったような気分になれるのですから、ありがたいものです。
 市政レポートNO1302を掲載しました。ご笑覧ください。今回は裏面もあります。


2007年07月06日

「家庭ごみ懇談会」続く

 朝早くから午前11時過ぎまでかかって市政レポートを作成しました。先週号で、ごみ有料化に向けた市案の概要を掲載したところ、「橋爪法一を囲む会」などでたくさんの質問が寄せられたので、そのいくつかを書きました。市役所の生活環境課から調べてもらった県内の他市との料金比較及びこれまでより負担増となる区、負担減となる区はどこかについては新情報です。議員も知りたいはずです。
 さて、「橋爪法一を囲む会」ですが、今週はどこでも「家庭ごみ懇談会」となりました。生活環境課から45㍑、20㍑、10㍑、5㍑のビニール袋、バイオプラスチックの袋を借りてきたおかげで、昨日、きょうと説明はいくぶん楽になりました。きょうは、いまの吉川区の袋代との比較を参加者がやり、「いまより10倍も高くなる。こんなに上げて市のゴミ処理費はどれだけ助かることになるのか」などの質問が出されました。会場では、自宅での焼却、不法投棄の増加が心配だとの声が相次ぎました。
 もうひとつ、書いておきましょう。きょうは父の薬(昨日とは違う医院にもかかっているのです)をもらいに高田まで行きました。途中、高校時代の同級生の事務所を訪ねてきました。校友会総会の参加券をもらうためです。この同級生はまちづくりで活躍しており、時々吉川区などにもやってきて講演をしてくれています。きょうは、雁木の由来などについて興味深い話を教えてもらいました。雁木の、そもそもの出発は農家住宅の土間から始まった。雁木の「雁」は、雁木作りの家並みが雁行の姿に似ているところからきている、などといった話に引き込まれ、つい長居してしまいました。


2007年07月05日

バタバタの一日

 慌てちゃいけない。そう思いながら、正しい判断ができなくてバタバタしてしまいました。議員団ニュースのファイルを送信しようとした時の話です。作成したファイルの容量が35メガもあり、大きすぎて送信できなかったのです。それでスキャナで拾った表の解像度を落としたりして試したのですが、今度は表が読めなくなる。そうこうしているうちに時間はどんどん過ぎてしまいます。最後に、PDFファイルにして、やっと送信できたのですが、情けない話です。
 きょうはチラシ作りと雑用などで大忙しでした。父が通院している医院へ行って、薬をもらう。市役所でごみ担当から説明を聞き、市の案に出てくる大きさの袋を借りる。妻の勤務校の校長さんと話し合う。家に戻ってからは、議会報告会の準備でした。来週前半は市議会常任委員会の視察で県外に出かけてきます。その前にやっておくべきことも山ほどあります。全部はできないので、最低限やるべきことだけをやる。それを心がけて頑張りたいと思います。


2007年07月04日

ごみ有料化で質問攻め

 そろそろ梅雨前線豪雨がやってくる時期です。その前にやっておきたいと思いながら、やらないできたことが1つあります。それは、牛舎周辺の草刈りです。ひと月ほど前に一度刈ってあるのですが、その後、どんどん草が伸び、荒れ放題に。このままでは、大雨の時には障害になる可能性が高い。ということで、きょうはこの草刈りで頑張りました。だいぶきれいになったので、牛舎にやってくるタヌキたちもびっくりするにちがいありません。
 昼間は草刈り以外は、妻とともに病院へ行ったり、生活相談をしたりと動きました。軽乗用車で移動中、今年初めてという野の花と出会いました。1つはネムノキの花です。雨が降っていると見逃してしまう花ですが、大潟区でたくさん咲いていました。相変わらず色っぽいですね。もう1つ、まさか萩の花と、この時期に出会うとは思いませんでした。高速道路の土手で1ヶ所だけでしたが咲いていました。通り過ぎてから引き返し、デジカメで撮影してきました。こちらも素敵です。日曜日の議員団ニュースや市政レポートに使いたくなりました。
 今晩からまた連続で議会報告会です。もう15分後には始まるという時間帯に雨足が強くなりました。参加者は少なかったのですが、議会報告後の懇談会が盛り上がりました。特に、ごみの有料化で活発な意見交換をしました。ごみについては1日の市政レポート吉川版でお知らせしておいたこともあって、「いまの吉川の袋と比べて大きさはどうなのか。○○リットルの袋が一枚いくらといわれてもわからない」「これまでより安くなる区はどこなのか」「燃やせるゴミ、燃やせないゴミなど、それぞれ大きさによって一枚あたりの値段が違うが、色は全部違うのか」など質問が相次ぎました。しかし、こうした質問にほとんど答えることができず、調べてお知らせしますと約束してきました。こりゃ、明日からたいへんだ。


2007年07月03日

雪崩悲話/総合計画議論/学校給食学習会

 日曜日の新潟日報に掲載された報尽碑(尾神岳中腹にある)をめぐる悲話が話題となっています。地元の人たちの間では、この碑の話だけでなく、川谷地区で発生した雪崩災害についても話が広がっています。住民の皆さんの記憶に残っているのは昭和14年、15年、42年の雪崩で、いずれも下川谷の学校に通う子どもたちが巻き込まれました。ただし、15年の雪崩災害は2回あって、そのうち1回は名木山の民家が襲われ、大人の方も帰らぬ人となりました。私が記憶しているのは、昭和42年1月に上川谷で発生した雪崩だけですが、きょうは戦前の雪崩災害について地元の人から教えてもらいました。当時のことを記憶している人が何人かおられますので、さらに聞き取り調査をさせてもらって、遠くない時期にHPで書きたいと思っています。
 きょうは午後から議員団会議でした。昨日に続いて、第5次総合計画の改訂版について学習しました。計画の基本的な方向の議論の中で、前市長の時代に作成されたJプラン(ジェイプラン)との関係を指摘する声があったので、6年前のJプランを読んでみたら、今回の計画案の土台となっていることがよく分かりました。将来的には、東アジアにも視野を広げていくことが求められていることもうなずけます。この他、議員団の議論の中で関心が高かったのは基本理念についてでした。「上越市が持続可能な発展を遂げるためには、多様な市民や市内の各地区がお互いを
認め合いながら切磋琢磨し、それぞれの個性を魅力へと高めながら市外へ広く発信す
るとともに、市全体として調和ある輝きを放つような一体感の醸成が必要です」という視点は、地域自治区と市の関係においても大切なことだと感じました。
 夕方からは市職労学校給食調理員部会の学習会でした。この間、学校給食を考える会として取り組んできたことについて、3月議会の論戦と到達点、その後の教育長への要請、今後の課題を中心に30分ほど報告させてもらいました。一応、レジュメを作成して臨んだのですが、いったん、目を離すと、関係のない話をしてしまう悪いクセが出てしまいました。それでも、参加されている組合員の皆さんが真剣に聴いてくださったのは有難いことです。学習会が終わって、吉川区出身の人たちのところへ行ったら、「おまんの顔を見るとホッとするわ」と言われました。全市の関係者が集まる、こうした会に参加すると緊張するんでしょうね。


2007年07月02日

七夕飾り

 昨日、立てられたのでしょうか。朝早く、原之町の商店街を通ったら、七夕飾りが出ていました。地元の町内会などが長年取り組んでいますが、最初に見たときは、いつも「うわー、すごい」と思います。この飾りで原之町の通りは賑やかになり、生き生きとします。きょうは途中から生憎の雨となりましたが、多くの人たちを楽しませてくれたに違いありません。
 きょうは朝から夕方まで市役所の木田事務所で議員団会議、生活相談でした。議員団会議では、案段階の上越市第5次総合計画について勉強会をやりました。杉本議員団長が、「党員市長が策定するならこれでいいのか」という角度から読んでみようと提起、序論を読み合わせしました。議論しあう中で、上越市の歴史の書き方、具体的には現代についての記述はこれでいいのかと思いました。近代までとは違い、産業と交通が前面に出てくるのには違和感があります。また、住民参加型計画作りではあっても、集落段階から積み上げられたものではないのが気になりました。パブリックコメント、地域協議会での議論だけでなく、総合計画をテーマにした説明と市民懇談会を少なくとも13区と旧上越市の高田と直江津で開いてほしいと思います。市の最上位計画なのですから。
 夕方からは市内の病院に行きました。親戚のHさんが再手術をするというので、担当医から説明を聞き、同意してきました。その後、Hさんと話をするなかでビックリしたことがあります。6月議会の私の一般質問で、市道の側溝転落事故についてふれたことを、その被害者の方が知っていたことです。しかも、その方はHさんと同じ病棟で治療を続け、お互いに行き来している間柄でした。世間は狭いですね。


2007年07月01日

小型ポンプ操法で3位に

 やはり思ったとおりでした。上越市の消防点検で小型ポンプ操法競技に出場したチームはどこも一生懸命でしたが、上位に入るチームは他チームより一歩抜けているところがありました。きびきびしていてスピードがあるのです。1位、2位に入った中郷区方面隊と安塚区方面隊のチームの競技が終わった時には、来賓席のあるテントでは「こりゃ、はやい」「うまい」という声が上がっていました。吉川方面隊の源東田中分団のチーム(写真)は先日紹介したとおり、陸上競技で鍛えた団員もメンバーにいるとあってスピードは抜群。競技では見事に3位に入りました。じつは市政レポートのきょう付けで、参加したチームをほめたばかり。応援に来ていた出場団員の家族の1人に、「入賞すれば、来週も書くこて」と約束していましたが、2週連続で掲載しなければならなくなりました。めでたし、めでたし。
 消防点検の会場の来賓席に座っていたら、何人かの人に「今朝の新潟日報に載っていたね」と声をかけられました。載っていた記事は尾神岳中腹にある報尽碑にまつわる物語をまとめたものです。「碑は語る」というシリーズで大きく紹介していただきました。私に声をかけてくれた人たちは、6月議会の一般質問で、私や教育長がこの碑について語っていたことを憶えていてくれたのです。近年、真宗大谷派の僧侶のみなさんたちの働きかけで、雪崩が発生して27人の尊い命が奪われた3月12日に現場を訪ね、お参りをする取り組みが続いていますが、記事を書いてくれた記者は、これに何回か参加していました。碑がある現場には雪のない時も何回か訪れているのでしょう、現場の風景、雰囲気もよく分かる記事になっていました。これだけ書いていただいたからには、市の指定文化財になったこの碑をさらに多くの人たちに知ってもらい、観光や地域おこしにも活かしていきたいものです。
 市政レポートNO1301を掲載しました。ご笑覧ください。


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