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2006年08月投稿分

2006年08月31日

チャンスはやってきた

 数日前からずっとねらっていたことがあります。尾神岳をバックに黄色く実った五百万石のりっぱな、これぞ酒米という姿を撮ることです。晴れて、できれば青空の時に撮りたい。ところが、なかなかいい天気に恵まれませんでした。尾神岳は午前は太陽光線の関係でパッとしませんので撮影は午後になります。午後の時間帯に吉川区にいる時でないとダメですが、そのチャンスがきょうやってきました。五百万石はきょうから稲刈りが始まりました。稲の穂をしっかりとらえ、稲穂の大きな広がりも撮る。コンバインの姿も小さく入れてほぼ思い通りの写真を撮影することができました。写真は「しんぶん赤旗」日刊紙に掲載したいと思い、送信しました。
 きょうは午前中に市政レポートをほぼ書き上げ、午後から約1時間ほどデジカメを持って区内を走り回りました。昨日まではどこかの温泉にでもと思っていたのですが、きょうのようにスカッとした天気になると、建物の中にいるのはもったいない。今年最初の稲刈り日和の風景を撮りました。このページの写真もきょう撮影したものと入れ替えましたので、ご覧ください。
 夜、地区委員会から電話が入りました。前衛9月号の大幡論文を読んだ福井県の党幹部が、吉川区における党活動の経験を学びたい、資料があればなんでも送ってほしいと言ってきているので対応してもらいたいとのことでした。党吉川支部や後援会の活動はまだまだ不十分ですので、何かはずかしい気分ですが、とりあえず最近発行した市政レポート吉川版を送ることにしました。参考になればうれしいのですが……。


2006年08月30日

議会モード

 「この人、まだ議会モードになっていないんだから」A議員が私たちの議員控え室にやってきた時、樋口議員が私のことをそう言いました。議会モードと言うのは、生活のスタイルが議会のことに集中するようになっていることをいいます。私だけでなく、多くの人はこのモードを重視しています。このモードが確立できていないと、しっかりとした議会論議ができないからです。
 「いや、議会が始まれば議会モードになるよ」と言い返したのですが、どう見ても私の体の周りからはそういう雰囲気が漂っていないのですから、しょうがありません。短時間とはいえ、山に入って写真を撮ってくる。議会初日3日前でもビラ配布を時間をかけてやっている。議員控え室では西岸良平の漫画『三丁目の夕日』を読んでいる。こういう姿だけみれば、ふだんの生活モードと言われてもしかたがないところです。
 でも、でもです。私の場合、議会前にやるべきことをやっておかないと議会に集中できないのです。いつもの議員団ニュース、市政レポート作成をやる。赤旗購読代金の集金をする。こういったことから、私の私的な「仕事」まで期限のあるものはやっておきたい。そして疲れがたまっていれば疲れをとっておきたい。こうしたことを納得のいくまでやって初めて議会モードへの切り換えが可能となるのです。
 きょうは議員団ニュースの作成、主要地方道新井柿崎線についての上越地域振興局地域整備部長との交渉などがありました。あすは市政レポートを昼間のうちに書き上げ、できれば近くの温泉につかりたい。そうして明後日から完全に議会モードへ転換です。がんばらなくっちゃ。


2006年08月29日

忘れられない記憶

 きょうは朝から大賀集落及び川谷地区のビラ配布でした。途中でお茶をご馳走になったりしたこともあって、38世帯回るのに約4時間かかりました。日頃からお連れ合いが「うちの父ちゃんは物忘れがひどくて困っちゃう」と言われているSさん宅でお茶を飲んでいた時のこと、話が昭和42年1月17日の雪崩の話になった途端、Sさんは当日のことをびっくりするほど詳しく語り始めました。
 この雪崩では川谷小学校に通う上川谷の児童生徒12名が生き埋めになり、ラジオなどのニュース(たぶん臨時ニュース)で放送されました。私は当時高校生、高田の南本町の雁木を歩いていて、このニュースを聞き、胸がドキドキした記憶があります。後で「全員救出」のニュースが流れた時、ホッとしたものです。現地の親たちがこの雪崩で切ない思いをしたことは言うまでもありません。Sさんのうちでは2人の子どもが雪崩にあいました。家で2人以上生き埋めになったのは3軒、第一報が入ってきた時どうしたか、一番最後に救出された女子児童はかなり下まで流されていて発見が遅くなったことなど、鮮明に憶えておられました。
 Sさんは別の雪崩についても語りました。久保のうしろの山から発生した雪崩が谷を下り、1軒の家に到達したことがあること、すぐ上の家はかろうじてセーフだったこと。自分が生まれる前にも雪崩があって人が死んでいるらしいことなどです。この話を聴いて、この地域が土石流の危険箇所の指定を受けていることを思い出しました。現在は地すべり防止のダムなどが数ヶ所つくられていますが、大丈夫なのか不安になりました。
 家に戻ったら、長岡市のAさんという方から葉書が届いていました。まったく知らない方ですが、私とほぼ同年代だといいます。この方はいま、私の『幸せめっけた』を読んでいてくださり、「私の原風景とぴたりと重なり、涙して読んでいます」との言葉を寄せてくださいました。葉書には、長岡市の中央図書館には、わたしのこの本が5冊そろえてあるとも書かれていました。ありがたいですね、こういう葉書がもらえるのは。


2006年08月28日

総括質疑の準備

 父のところにリースの電動ベッドを入れて4日目。朝、父の寝室をのぞいたら、「ほら、こうやって動くがだ」と言ってコントローラーで操作し、ニコニコしています。「どうだ、楽かね」とたずねると、「うん、楽だ」。父のふだんの寝起きする様子を見ていなかったので断定はできませんが、今春、牛舎で転んで、仔牛にのぼられた時から腰の具合がまずくなったようなのです。その時点で、腰の負担が軽くなるようにしてあげればよかったなと反省しています。
 きょうは議員団会議でした。総括質疑で何をどういうふうにとりあげるかで4時間ほどかかりました。ひとつは昨年度の一般会計決算をどうみるかです。新市建設計画との対比でどうだったか。合併後の初年度にふさわしい行財政運営だったか。杉本議員が用意してきてくれた表を見ながら3人で長時間話し合いました。また防犯対策に特化した安全安心のまちづくり条例をどう見るかも時間がかかりました。全国的に見るとかなりの自治体で同種の条例が制定されていますが、有事立法や個人情報保護との関連を問題にした議会も少なくありません。私が一番気になったのは、「犯罪の防止に配慮した構造、設備等を有するようにする」という文言です。道路や建物などが監視カメラだらけにならなければいいがと心配しています。わが議員団からは杉本団長が総括質疑に立ちます。
 きょうは午前から夕方までずっと控え室でした。市役所を出た途端、ムッとする暑さ。残暑もおだやかになってきたかなと思っていたのに、軽トラを運転していても、手はベタベタでした。夜のテレビニュースによると、平年よりも5度も高かったといいます。どおりで暑いと思った。


2006年08月27日

飲み食いをガマンして……

 昨晩の飲み疲れが午後までひきづりました。初めて参加した「結い祭」がとても楽しく、ついついたくさんいただいてしまいました。そばにいた総合事務所のT参事に「おまん、飲むようになったねぇ」と「感心」されるぐらいですから、相当いただいたのでしょう。これで翌日もう一回がんばると体のどこかに赤信号が出る状況でしたので、きょうはぐっとがまんしました。
 きょうは午後から党議員団の上野事務局長の地元で後援会の焼肉大会がありました。いろんな野菜、肉、海産物が持ち込まれ、美味しそうなものばかり。もちろん飲み物も……。アルコール類も氷の入った水の中で冷やされ、「うまいですよ、飲みませんか」という顔をしていました。でもビールは飲まず、ウーロン茶でのどを癒し、ピーマン、かぼちゃ、たまねぎなどの野菜中心でがんばりました。それにしても、ここの後援会は元気がいい。政治を語り、飲み、笑う。その様子は上越市内の党後援会の中でもナンバーワンかも。
 夜は「橋爪法一を囲む会」でした。党の理論政治誌・『前衛』9月号大幡論文に、私のパソコンを使った議会報告会のことが紹介されていたこともあって、今回は糸魚川市の党幹部2人が視察をかねて参加してくださいました。会の方は、私の報告の後、ボブスレー事故やプール事故について質問が相次ぎました。やはり、子どもを持っている人たちは大きな関心を持っているんですね。また合併後の市の広報活動に関連して発言があり、私が発行している市政レポートについては、吉川産のとれたての情報、身近な話題に関心が集まっていることがよくわかりました。レポートに掲載した焼肉大会の写真を大きく映し出したら、楽しい話がどんどん広がりました。
 家に戻って妻とテレビを見ていたら、メタボリックシンドロームを取り上げていました。内臓脂肪について、様々な角度から紹介されていて、とても勉強になりました。布団の上で仰向けになり、そっとお腹の出っ張り具合を見てみました。思ったよりも出ていなかったものの、平とはいきませんでした。うーん、やはりダメか。


2006年08月26日

小さな運動会

 きょうは川谷地区の運動会です。地区とはいっても全部で戸数は32戸しかありません。子どもはわずかに2人、あとは大人ですが、70代、80代が多い。そこで毎年8月の最終土曜日に運動会をやっています。暑くて、疲れるからということもあって開始は午後3時から。種目はダンボールでつくったA3くらいのボードを次々とつないでどのチームがいち早くゴールできるかを競うものから始まって、瓶釣り競争、紅白対抗玉いれ、綱引き、パン食い競争、一気飲み競争、早くいっぱいレースと盛りだくさんです。約2時間、笑いや歓声の絶えない楽しい運動会でした。
 ここの運動会の参加は昨年に続き2回目。一番の特徴は、ほのぼのとした雰囲気に満ちていることです。瓶釣りレースでビリになっても釣れるまで励ます、パンに食いつくのがうまくいかなければ、食いつき方を何人もの人たちが教える。方言丸出しで野次もあたたかい。だから高齢者世帯が多くても、少しでも動ける人はみんな参加しているのです。正月のサイの神行事と同じく、運動会もみんなが楽しみにしているいるんですね。もうひとつの特徴は法政大学の学生、OBなどでつくっている人間環境ネットのみなさんが参加し、競技にも応援にも加わっていてくれること。高齢化がすすむこの地区の運動会が成立しているのは、地域住民の熱意とこの人たちの応援があるから。きょうも大活躍でした。
 私は昨年とうとう最後まで釣り上げられなかった瓶釣りの競争と一気飲み競争に出ました。来賓挨拶で、「今年は何としても瓶釣りができるようにがんばりたい」と発言していたのですが、今回は釘がうまく瓶のなかでひっかかり、何と第2位。大きな拍手と賞品をもらいました。一気飲みは、ジュース、コーラ、酒ワンカップ、ビール350㏄のいずれかを早く飲み、早く走ってゴールした者の勝ち。ただし飲み物は走り始めて5メートルほどのところに置いてある封筒のなかの紙に書いてあります。どれを飲むことになるか分からないところがおもしろい。私はジュースでしたが、ビールなどよりも飲みにくいんですね。このレースでは最下位となってしまいました。それでも大満足の運動会でした。
 運動会が終わってから、人間環境ネットのみなさんが中心になって、体育館で「結い祭」が行われました。これにも参加し、みんなで飲んで語りました。20代の人たちがものすごく盛り上げてくれたのはうれしかったです。体育館の外には「越後よしかわやったれ祭り」で使った稲穂竿灯の一部が点灯され、花火も打ち上げられました。こうしてわが家に着いたのは10時少し前となりました。


2006年08月25日

生の言葉の魅力

 人間の発する言葉は生き物です。するすると出てくることもあれば、やっと出てくることもある。言葉はさまざまな表情を見せてくれますが、大事なことは何を言っているのか、その思いも含めて聞き手にしっかりと伝わることです。きょうの市民と市長の「現場でトーク」で語った吉川区の住民のみなさんの言葉を聴いて、なるほどと思う場面が何回もありました。
 昨年の水害で冠水してしまい通行止めとなった国田地内の県道。市長や関係部長に八木司さんが県道を嵩上げして道幅もとってほしいと訴えました。たまたま数台の大型ダンプが通過して行くのが目に入った八木さんは、「いま大型車は対向車の動きを見て停まって待つか行くかを判断しているが、私たちとしては真ん中に白線が入った道にしてほしいんです」。タイミングよく、しかも「真ん中に白線の入った道」とはよく言ったものです。
 ゴミの不法投棄が相次ぐ吉川区内のある県道では、これまで18回も回収作業をしたという地元の町内会長さんが1回目の訴えを終え、がけ下を見ながらポツリと言いました。みんなで道を歩いて下っていた時です。「冷蔵庫やベッドなどでっけもんも困るけど、一番困ったのは紙オムツだったね。水を含んで膨らんでいて重たくて、しかも臭い」。捨てる人間の良識の無さ、回収作業の大変さが直感できる言葉でした。この言葉にすぐ反応したのは市長です。「しかし、世も末だなぁ」。
 被災した人は目だけでなく音の記憶も残っているんですね。昨年の水害で大きな被害の出た代石町内会の会長の保坂年明さんは、堤防から畑へ、民家へと流れ落ちる水の音を記憶していました。市長を前にして緊張した面持ちで訴えました。「わたしらのとこは2年に1回、水害があるがです。すぐそこの堤防のところから川の水がザーザーいって聞こえたのには本当にびっくりしました」。市長は河川改修のスピードを上げることが重要だと答えていました。


2006年08月24日

父を連れて医院へ

 父の怪我は思ったよりも軽いようです。きょうは午後から医院に連れて行き、ギプスの型どりをしてきましたが、介助すれば歩けますし、楽しみにしているディサービスに行ってもよいという許可を医師からもらいました。もっともわが家では、これまで以上に要介護者のいる家であることを意識した取り組みが必要となります。これまで議会で訴えてきた手すりの設置などの住宅改造をいよいよわが家でもやることにしました。また、電動ベッドも借りる段取りをしました。
 きょうは午前中は党議員団会議で、9月議会の市長の提案理由の説明を読み合わせ、総括質疑で何をとりあげるかの検討にも着手しました。午後は父の付き添いが終わってから黒井へ。樋口議員の担当地域であったのですが、私がかつて勤めた土地家屋調査士事務所での経験と知識を生かせる内容でもあったので加わりました。この生活相談では、きょうの現地調査を踏まえて明日の夕方、市役所担当課と交渉することにしています。
 夕方、吉川区内で軽トラを走らせたら、稲の匂いが窓から流れ込んできました。ふるさと吉川は、いよいよ収穫の秋を迎えます。


2006年08月23日

父が腰椎圧迫骨折

 家族から携帯電話が来るとドキッとすることがあります。父や母に何かあったかと心配になるのです。きょうも新潟から列車に乗って柿崎に向かっているときに長女から電話がありました。不安は的中。父が腰椎を圧迫骨折して熱を出し、病院へ連れて行ってきたというのです。全治1ヶ月。入院はしないで通院で治すとの医者の説明だそうです。母によると、朝、寝室で「ドデーン」という音がしたとのことでした。どうやら、その時にやったらしい。長女からは、わが家は風呂場、玄関など段差がいっぱいあり、転びやすいので、手すりをつけたりなどの改造をしないとダメと言われました。
 きょうは新潟で全県党議員会議でした。井上哲士参院議員の講演を初めて聴きましたが、よく準備されていて、住民運動と結んだ国会での論戦が生き生きと語られました。議会での質問は国民の苦難の解決や願い実現に役立つように錬る。この当たり前のことをちゃんとやらなきゃ、と改めて感じた次第です。私の方は杉本市議団長から、「子どもの安全に関する調査と活動」について発言するように要請されていて、行きの列車の中で準備していったのですが、田村自治体部長から会議の場で「強く大きな党づくり」について発言を求められました。でも準備無しの発言はなかなかうまくいきません。まとまりのない発言になってしまいました。
 帰りの列車の楽しみは読書ができること。今回は新潟駅の文信堂で相田みつをの『いのちのバトン』(角川文庫)を購入して一気に読みました。この本では、相田みつをの作品ひとつごとに作家である立原えりかの解説が載っています。いつも、相田作品は読むたびに考えさせられることが多く、感動しますが、立原えりかの解説もわかりやすく、素敵な文章でした。よく調べてあって、見事だなと思ったのは「蜩(ひぐらし)」という作品の解説でした。みつをのお兄さんは戦争に行って若い命を奪われました。子どものころ、お金が無いので飴を買わずに兄弟で紙芝居を見ていた時、弟がいるので逃げられず、お兄さんは紙芝居のおじさんにみんなの前でなぐられます。夏の夕方の、蜩のカナカナという声はセミとりに連れて行ってくれたお兄さんを思い出させたのでした。


2006年08月22日

ショートメールで生活相談

 誰かが言ったものです、お盆を過ぎた雨はひと雨ごとに涼しさをもたらすと。昨日、きょうと降った雨はまさにそのとおりでした。雨が降ったあと、少しずつながら涼しくなっていく気がします。しかし、きょうの雨はひどかった。午後2時前に市役所を出て、吉川区へ向かう途中、激しい雨に襲われました。当然ですが、軽トラの窓を閉めました。しかしクーラーのない車は蒸し風呂状態に。シャツもズボンも汗びっしょりで、台無しでした。この次に買う車は絶対クーラー付きにするぞと決意させられた雨でした。
 毎週数件の生活相談を受けますが、きょうはめずらしい生活相談を受けました。内容もさることながら、携帯電話のメール、しかもショートメールを使っての相談でした。私の携帯電話の番号は吉川区内では公開していますので、電話はよくかかってきますが、ショートメールを使っての相談は初めてでした。私はふだん、ショートメールを使いませんので、50字以内でやり取りすることの難しさを実感しました。丁寧に伝えようとするとすぐ50字をオーバーしてしまいます。それで何回も手直しをして送信。きょうはいい勉強をさせてもらいました。これからはこういう文明の利器を使っての相談も増えてくるのかもしれませんね。
 きょうは介護、医療関係の生活相談に応じ、伯母の見舞いなどをした後、吉川区に戻って赤旗購読代金の集金や資金繰りで動きました。夜には秋の虫の鳴き声がハッキリと聞こえてくるようになりました。酒米、五百万石の穂は黄色くなり、重たそうに垂れています。とり入れの秋はもうすぐです。


2006年08月21日

金雨

 ちょうど市役所に行こうかという時でした。久しぶりの雨が降りました。小粒の雨が降り、舗装道路も濡れました。田んぼの上には霧雨のような感じで降り注いでいます。稲にとってはシャワーを浴びているようなものです。うれしそうでした。出穂も終わり、猛暑が続く。稲も水を飲みたがっている。こういう時の雨を、わたしたちのところでは、「金雨」(かなあめ)と言います。ほんとうにいい雨でした。もう少し降り続いてくれればもっといい。
 さて、きょうは、お盆が終わって初めて市役所へ行きました。党議員団会議が始まるまで時間があったので生涯学習課に小島副課長を訪ね、調査を依頼していた件の結果について聞いてきました。それは吉川区長峰遺跡で出土した長さ3.9センチのミニ土偶について、完形品として全国最小かどうかという点です。調査の結果は、残念ながら「ノー」でした。新潟県内でも長岡周辺の遺跡でこれよりも短いのがあったそうです。この土偶は、はじめから首のない土偶ですが、かけてなくなったものではないので、これも完形品ということになります。しかし長峰遺跡のミニ土偶は、全国最小とはならなかったとはいえ、妊婦の形をした土偶の中では小ささ、形のよさ、可愛さという点では一級品です。さらに調査を進めたいということでした。
 きょうの会議は党議員団会議、月例議員懇談会などでした。15日に政和クラブが解散して4会派になったことで、議員控え室、本会議場の議席、常任委員会構成、委員会の役職などに影響が出てきています。18日の各派代表者会議で話し合われたものの、持ち帰り事項もあって、きょうの会議となりました。月例議員懇談会は常任委員会の視察の報告が中心でした。議員だけに報告するこの形式には、昨年、本会議でやるべきだと主張したのですが、改善には至っていません。暑かったためか、早く終わってほしいというムードが流れていた会議でした。


2006年08月20日

集落の祭りでも稲穂竿灯

 朝、小苗代集落の神社前の旗揚げ風景を車から見て、「あれっ」と思いました。近くの市道に「越後よしかわやったれ祭り」の時と同じ、ペットボトルを利用した稲穂竿灯がいくつも並んでいたからです。やったれ祭りの感動を自分たちの町内会での祭りで再現させたいという人がいて、お盆の15日にみんなでつくったのだそうです。個数は80個近くもありました。夕方、小苗代町内会の方から、「ぜひ見に来てくんない」と有線電話。行ってみると、竿灯の灯りは、やったれ祭りの時のものよりも柔らかな感じがしてとても素敵でした。いやー、お見事。この取り組みは今後、吉川区全域に広がっていく予感がします。
 きょうは午前に生活相談などで動き、午後からどこかへ行き、ゆっくりする予定でした。ところが、テレビで高校野球の決勝戦を観はじめたことで動けなくなりました。最初は2時間ちょっとで終わるものと思っていたのですが、すごい投手戦になり、延長戦へ。延長戦では点が取れそうでどちらもとれない、ハラハラドキドキの大熱戦が続きました。特に15回、早稲田実業の斎藤投手の140数キロの直球勝負はすごかった。今年はプロ野球を観る意欲がすっかりなくなっていたのですが、きょうの試合を見て、野球の面白さを追う気持ちが高まってきました。明日は再試合、田中、斎藤、ふたりの投手の熱の入った投球をみたい気もするが、選手生命のことを考えるなら、休ませてあげたい。
 子どもの夏休みも最終盤です。ひとりの小学生が夏休みの宿題、「吉川区で頑張っている人にインタビュー」の対象に私を選んでくれました。なぜ議員になろうと思ったのですか、議員になってよかったこと、大変だったことは何ですか、これから吉川区のためにどんなことをやりたいですか。質問項目はおかあさんと一緒に考えたのでしょう。5日に行われた中郷区の縄文資料館オープンの際の吉田議員の見事な子ども向け挨拶のことを思い出しながら、小学生がわかるような言葉で答えようと思ったのですが、なかなかむずかしい。まだまだ訓練が足りないようです。


2006年08月19日

強烈な暑さ

 おそらく、この夏一番の暑さだったと思います。強烈でした。きょうは一日のほとんどを新聞配達に費やしたのですが、時々涼しいところで休みたくなる、というより休まないで続けていたら、どこかで倒れてしまいそうな感じがしました。こんなのは今年初めてです。午前11時にはすでに35度を超え、午後2時頃、村屋のある家の玄関先で36度でした。ここは日陰のところでしたから、陽が降り注ぐところは37度以上だったはずです。
 きょうは久しぶりに勝穂地区でも配達しました。通常の配達員の人の都合で、今回だけ交代したのです。あるおばあさんは懐かしがって、「どうしてなるかと心配していた。忙しいのだろうけど顔が見えないとさみしい。新聞やレポートは隅々まで読んでいる。もう体が弱って外仕事はいっさいできないので、読むのが一番の楽しみだ」と声をかけてくださいました。また、ある50代の人は、私を見るなり、「こんなにでっかくなってどうしたが」。やはり、半年ほどの間にまた太ったようです。
 配達の途中、柿崎区の峠まで足を伸ばしました。じつは、先日、妻の実家へ行った時の帰り道、色の濃いツリガネニンジンの花を見つけたのです。その時、何枚か撮影してきたのですが、ピントがいまいちだったことから、再挑戦しようと思っていました。現場へ行ったら、確かにまだ花は咲いていましたが、最盛期を過ぎ、一部は枯れてしまっていました。来年まで待つしかありません。おしいことをしました。
 夜は大潟区で上越市北部ブロックの党幹部の会議でした。いよいよ、お盆後の活動が本格化します。


2006年08月18日

落雷で通信不能に

 昨日の夕方、落雷があり、有線放送電話が使えなくなりました。同時にパソコン通信も不能となりました。保安器などがやられていたそうです。本日、午前10時10分、復旧しました。ご心配をおかけしました。
 きょうは午前中に市政レポートを作成し、午後から印刷、「しんぶん赤旗」日曜版の配達に出ました。お盆直後は書くことがないことが多かったのですが、昨日、区の地域協議会があったので、それで書くことには困りませんでした。当初10月に予定されていた吉川区のコミュニティプラザのオープンが大幅に遅れることになったこと、越後田舎体験で横浜市の中学生がやってくることなどを記事にしました。
 午後から市役所職員労働組合の総会に来賓として出席しました。樋口議員などから「橋爪さんの顔をみたいと思っている人がいるから、今回は出て」と言われ、参加したのです。250人ほどの組合員を来賓席から見渡しましたが、私の知っている組合員は吉川区と柿崎区の総合事務所のメンバーくらいでした。委員長挨拶の中でメンタルヘルスで悩む職員の増大が指摘されていたのが印象に残りました。懇親会では新旧委員長などと話ができました。


2006年08月17日

ボブスレー調査

 一昨日、市内の金谷山ボブスレー場で子どもが前を走っていた子どもに追突し、重傷を負うという事故が発生しました。市内にはこのほかにも3ヶ所ボブスレー場があるので、昨日から現地調査をしてきました。本来なら議員団で調査をと思ったのですが、それぞれ予定が入っていて、私だけ単独の調査という形になりました。その代わり、きょうは休暇中の妻にも同行してもらい、名立区シーサイドパーク、金谷山、安塚区キューピットバレーの各ボブスレー場を歩いて調査しました。理系の知識については、妻の方が私より上、私の気が付かないことを指摘してくれるので助かりました。きょうは時たま雲に覆われることがあったものの、30度を超える暑さで、ぐったり。腕もきょうの調査で赤く日焼けしました。
 市内の4つのボブスレー場は、名立区と金谷山については市直営、吉川区と安塚区については指定管理者制度による管理となっています。管理の仕方は、看板ひとつとってみても4つのボブスレー場で微妙な違いがありました。利用者向けの注意書きが錆びて見えない、文字はハッキリはしてはいるが文字色が黄色でしかも難しい漢字が使われている、こういうところがありました。今回の事故を契機に利用者の安全確保の視点から、「カーブ 減速」という文字を「カーブ スピードおとせ」にするなど、さっそく改善措置をとっているところもありました。
 追突事故などの防止のために各ボブスレー場とも工夫をしていました。初めての人にはよく説明をする。最初の30メートルでブレーキのチェックをする。50メートル走らせたところで、そのまま走らせるかどうかの最終的な判断をするなどです。走行者の間隔は30メートル以上とることになっているところがほとんどですが、実際には、最初の段階で100メートルの間隔をとっていても、走行者のブレーキ操作によって追突する可能性があります。一番大事なのはコースのところどころに監視員を配置し、危険がある場合に適切な声かけをすることだと思いました。
 軽トラを走らせながら妻と話したのは、私たち50代の人間といまの子どもでは、子ども時代の遊びにおける危険感覚に違いがあるのではということでした。われわれの時代には、野山を駆け巡り、たびたび怪我もして、「どこまでやったら怪我をするか」を学んでいました。いまはそういう機会がぐんと少なくなってきているように思います。それだけに安全対策もいまの子どもたちがおかれている状況にあわせていかないといけません。堀井秀之さんの講演、「安全安心のための社会技術」を思い出しながら、2日間の調査の整理をしなければ……。


2006年08月16日

猛暑の中で

 昨日に続いて猛烈な暑さでしたね。35度はあったでしょう。運転席、助手席の窓を全開していても、わが軽トラは熱風が入ってくるだけ。唯一、涼しいと感じるのは木陰の中を走る時です。あとは全部ダメ。外に出る環境ではありませんでした。こういう状況でしたので、東京から帰省している同級生と会うことにした場所は柿崎区の大出口泉水でした。尾神岳の山体の中から何十年もかけて出てくるという水は冷たく、1分間以上水の中に手を入れていることはできません。地元在住の同級生と相談して、ここで会うことにしたのです。
 私は2人の同級生より一足先に大出口に到着。そこでは上越の名水を回っているという1人の女性と出会いました。一緒に坂道を登り、吉川区や大島区などの名水のこと、野の花のことなどを語り合いました。缶ビールを冷やしたところへ同級生2人と東京から来た同級生のお連れ合いがやってきて、「あれ、この人、奥さん?」。初対面の女性であっても、野の花の話をすると、私は5分くらいで夫婦の雰囲気をつくってしまうようです。みんなで笑ってしまいました。
 ここでひと休みをしてから旭平へ。同級生の友人がやっている岩魚の塩焼き屋さんで、岩魚の塩焼き、岩魚・ニジマスの刺身、それにトコロテンを食べました。残念ながら、私は車の運転をするのでビールなし。それでも、楽しかった。タバコと肥満の関係の話から始まって、ひもじい思いをした昔のこと、同級生の近況などをたっぷり聞き、また語りました。この休憩所からは米山が見えます。雲ひとつなかった青い空に白い雲が急に出たことから話題は雲に。雲が出来、その雲が消えてなくなる。「おい、あの雲、流れて行かないで消えたど」などと言っては、はしゃぎました。50代半ばの同級生も自然の前では小学生と同じです。みんなで感動しました。
 きょうは謙信公祭の初日。市内各地の城址で午前9時から杉の葉を燃やし、狼煙(のろし)を上げました。きょうは狼煙を上げるには最高の天気でしたね。晴れ渡っていたので煙をしっかり確認できます。吉川区では、顕法寺城址で狼煙が上げられました。柿崎区の猿毛城址から上がった煙が見えた時はうれしかったです。吉川観光協会の長谷川彰会長が携帯電話で春日山城址にいる人と連絡を取ったところ、狼煙の煙は6ヶ所で確認できたといいます。顕法寺城址には30人近い人が登り、狼煙上げを実行。加藤大助吉川小学校長からは顕法寺城址の解説をしてもらいました。


2006年08月15日

妻の実家へ

 そこまでやらないだろうという思いがありました。首相が8月15日に靖国神社を参拝することです。国内世論は反対、中国、韓国などの反発も必至で、日本外交の今後のことを考えたら取り返しのつかないマイナスになる。それでもやるんだから普通の感覚ではありません。「いつやっても批判するんだから」と記者のインタビューに平然と答える小泉首相の様子を見ながら、なぜかもうひとりの政治家の顔が浮かびました。北朝鮮の金正日総書記です。きょうの朝からのテレビ報道を見ながら、日本の戦後は終わっていないどころか、危ない方向へ突き進もうとしていることを感じました。
 きょうは親戚の挨拶回りでした。吉川区内で4軒回った後、妻とともに柿崎区の峠を越えて妻の実家へ出かけてきました。海岸沿いの国道が混んでいるので、お盆には、この山道をいつも利用してきました。きょうは例年よりもたくさんの乗用車とすれちがいましたが、この県道の草刈りがほとんどやられていないのにはびっくりでした。道に草がはみ出し、危険がいっぱい。こんなのは結婚してから初めてです。財政危機下の泉田県政の一端を見た思いがしました。県民のいのち・安全対策を後回しにして野球場建設を優先する県政は改めてほしいものです。
 妻の実家には川崎市に住む義姉夫婦とその子どもなども来ていて、久しぶりに再会しました。きょうは35度近い猛烈な暑さだったこともあり、ビールがうまかったですね。妻の実家では、ある新聞を読みました。じつはお盆前に、吉川区内の戦争体験に興味を示していたマスコミ関係者がいました。その人は吉川町時代に教育委員会が編集して出版した「戦争体験集」に関心を持っていて、体験談を書いた何人かを取材していました。その関係の記事が載っていないかと思ったのです。残念ながら、さかのぼっての確認はできませんでした。一日中、いやなニュースが流れる中、救いだったのは峠から柏崎方面を見たときの美しい景色です。田んぼの稲が黄色くなりはじめ、青空には力強い白雲がある。いつか「私の好きな風景」に載せたいと思います。


2006年08月14日

恒例の尾神岳遊び

 午前は昨日の宿題です。市政レポートの配布の残り、約25軒分を3時間かけて配りました。時間がかかったのは、何軒かで話し込んだから。体調をくずしているMさんとは、入院した場合にそなえてヤギの乾乳をどうするか、野の花の魅力などについて語り合いました。生きているマムシを2本くださったSさんとは、マムシの焼酎漬けの仕方を教えてもらいました。きょうはお盆ということもあって、帰省している人が何人もいました。また、初盆を迎えて親戚が大勢寄り、法事の準備をしている家もありました。
 午後からは中学時代の同級生と遊びました。尾神岳のふもとにある遊ランドで飲み食いしてから、尾神岳に登りました。きょうは風の具合も良く、パラグライダーが10機くらい飛んでいました。昨日、撮影に失敗したツリガネニンジンの花、きょうはうまくいきましたよ。それに、クサボタンもばっちり撮れました。一番うれしかったのは、めずらしいチョウ、アサギマダラの撮影に成功したことです。遊歩道を歩いている時、後から飛んできたのです。花の写真を撮るつもりでカメラを用意していたことが撮影につながりました。数年前にも撮ったことがありましたが、今回は羽根を広げたところを近づいて撮ることができました。いつものことながら同級生とは、同級生の近況を教えあいながら、木の実をさがしたり、花を見たりして楽しみました。
 夜、メールをチェックしたら、茨城のKさんから届いていました。そこには前衛9月号の大幡選対局長インタビューに吉川支部のことが載っていることが書かれていました。じつはまだ読んでいなかったので、すぐに読みました。昨年の市議増員選挙後の支部活動について大きく紹介されていて、ビックリ。しかも、「強く大きな党をつくる」点で「吉川支部に学ばされている」と書いてあります。昨年の党員拡大や集落懇談会の取り組みを評価されてのことですが、今年はなかなか前進できないでいますので、ちょっとはずかしい。がんばらなきゃと思いました。Kさんからのメールでは、私のHPの取り組みにも目を向けてもいいのではないかとも書かれていました。私のHPの良し悪しはともかく、党中央や地区委員会などは議員、機関のHPについてもっと重視すべきだと思います。
 「春よ来い」の第67回「帰省」を掲載しました。


2006年08月13日

夏の貴婦人

 とうとうお盆です。お盆までにはやっておかねば、と思っていたことをやり残したまま迎えてしまいました。きょうは日頃なかなか会えない人などの新聞代を集金し、市政レポートの手配り地域の配布を始めました。また、2軒ほど盆の挨拶に行ってきました。
 尾神岳の市道を通って上川谷へ行く時、妻も軽トラに乗せて行きました。途中に咲いているツリガネニンジンなどを見せてあげようと思ったからです。キキョウ科のこの野の花は「夏の貴婦人」とも言うべき素敵な花です。尾神岳や米山の登山道などで見ることができます。きょうは毎年行く場所で咲き始めたばかりのツリガネニンジンを撮影しました。ところが家で見てみたら、焦点が開花した花ではなく、つぼみに合ってしまっていて失敗。また撮りに行くしかありません。きょう、妻が一番感心したのは、オニヤンマのようです。私は何回も行っているので、オニヤンマと出会う場所は全部頭の中に入っています。「ほら、このカーブを過ぎるとオニヤンマが飛んでくるよ」と予告して数秒後に出会うオニヤンマ、きょうは数十匹にものぼりました。
 野の花ではツリフネソウ、クサアジサイにもお目にかかりました。ツリフネソウは今年初めてです。いつものことながら、赤紫色の花は色っぽいですね。


2006年08月12日

お盆人口

 「しんぶん赤旗」日曜版の配達、集金でフル回転しました。どこの家でも帰省客らしい姿が見え始めました。明日になればぐんと増えるでしょう。家の近くに駐車してある車が増え、家の中も活気に満ちています。今年はバタバタしていたため、お墓掃除も親戚の人にやってもらいました。8月という月はあっと言う間に過ぎていきますね。もうお盆になるのかと感じた1日でした。
 いつもこの時期になると思います。吉川区の人口は本来、お盆に吉川区に寝泊りしている人口なのではないかと。ほとんどの家で子どもの姿が見える。老人世帯はぐんと減り、何軒もない。夕飯時には焼肉などの匂いが家の中から外に漏れ出し、明るい笑い声も聞こえてくる。車の数が多いのがちょっと苦になりますが、あとは、あるべき吉川区の家庭の姿です。ふるさとに生まれたものがふるさとで生きられる政治があれば、少子高齢化対策なんて言葉は出てこなかったはずです。
 配達の途中、国文学や日本史研究をやっている杉田美登(すぎた・よしのり)さんの実家でお茶をご馳走になりました。杉田さんは萩原恭男さんとともに『おくのほそ道の旅』(岩波ジュニア新書)を書いた人で、毎年、芭蕉が歩いた「奥の細道」を歩き続けています。ちょうど帰省中、杉田さんからは東北の地を歩いて撮った写真を見せてもらいました。また、近くにある古道を案内してもらいました。春になったら、全部を歩いて確認しようと思います。杉田さんによると、吉川区にある山城は吉川町史に掲載されたもの以外にもあるといいます。この点も確認したくなりました。それにしても、ナタを持ち、草をかき分け、さっさと歩く姿は父親の勘太郎さん(故人)とそっくりでした。


2006年08月11日

塩尻で「偲ぶ会」

 昨日から2日間、長野県塩尻市へ出かけてきました。私たち夫婦の仲人をしてくださった古厩忠夫さん(故人)の墓参りと故人の学生時代の友人のみなさんによる「偲ぶ会」への参加が目的でした。最初は軽トラでと思ったのですが、連日の猛暑を考え無理と判断、列車で行ってきました。行きは4時間50分、帰りは4時間の旅。帰りの松本・長野間だけ特急に乗り、あとは各駅停車の普通列車でした。そのおかげで、車窓の景色をゆっくり観ることができました。夏休み中とあって、列車の中では旅をしている親子にも会いました。全国でも数少ないスイッチバックの駅、二本木駅では小さな子どもが、「あれーっ、電車もバックするんだ」とびっくりして声をあげ、車内にはとてもいい雰囲気がただよいました。感動の旅行をしている人たちもいるんですね。
 塩尻市北小野は初めて訪ねました。標高が800いくつとか。朝は気温が18度にも下がり、やはり高原は違うと思ったものです。古厩邸に集まったメンバーは大学の名誉教授、講師、出版社社長などいろいろ。夕方から深夜1時近くまで飲み、語り合いました。話の中身も靖国問題から子ども時代の思い出まで、じつに多様で、興味深いことばかりでした。そういう中で、「えっ、そうなの?」と言いたくなるような話をいくつも聞きました。葛飾北斎は春画も赤富士も同じ真剣さで描いているとか、故人の古厩さんの結婚式に謝国権の『性生活の知恵』を持ち込んだ人がいたなどです。このメンバーの人たちとはまたゆっくり話をしたい。
 きょうは吉川に戻ってきてから日曜版の配達を1時間ほどやり、夕方からはNPO法人よしかわたすけあいの夏祭りに参加しました。たった2日間だというのに、吉川の風景に変化が生まれているのには驚きました。酒米の五百万石の穂が丸く、たれてきたこと、ススキの穂もあちこちに出てきたことなどです。たすけあいの夏祭りでは焼肉等を食べ、ビールも飲んでたっぷりオシャベリを楽しみました。でも2日間連続で飲むと疲れます。家に戻ってバタン、キュウでした。


2006年08月09日

臨時議会

 指定管理者が突如会社を解散し、市の観光施設などの利用が宙ぶらりんになる。先月半ば、板倉区でこういう事態が発生しました。官から民への流れが強まるなかで、あってはならないことが起きたのです。宙ぶらりんと書いたのは、これまでメインとなっていたレストランやファミリー動物園の運営が出来なくなったことを指しています。きょうの臨時議会では、総括質疑や委員会審査の場において、「業者を選定する委員会では経営改善の努力を条件に選定した」など新たな事実がいくつか判明しました。そして住民サービスを低下させないためには、指定管理者の当該施設の経営だけでなく、指定管理者自体の経営状況がどうなっているかを把握できる仕組みづくりなどの課題も浮き彫りになりました。7日の党議員団会議での議論が役に立ったと思います。
 正規の議案ではありませんでしたが、学校などのプールの安全対策についても報告があり、文教経済常任委員会で議論になりました。新潟県がチェック項目であることを見落としていたというプール排水口などにおける吸い込み防止金具は市内のプールでも数ヶ所未設置であることが明らかにされました。政府関係機関から何度も通知が出されても繰り返される痛ましい事故、安全確保のためにプールの利用を開始する前、日常管理などでのやるべきことがキチンとやられない、この状況を打開するには、これまでと同じことをやっていたのではダメです。堀井秀之さんの言う「安全安心のための社会技術」がいまこそ求められています。今回のプール事故を意識しながら、もう1回、「問題解決のための『社会技術』」(中公新書)を読んでみようと思います。
 夕方、上越市のHPを開いたら、「新潟県福祉のまちづくり条例について」が新たに掲載されていました。これは私が6月議会一般質問でとりあげた課題です。このような形で質問後、すみやかにやってもらえるのはうれしいですね。ユニバーサルデザイン室のスタッフのみなさん、ありがとう。明日は、塩尻市北小野へ行って泊まりますので、「ホーセの見てある記」は休みます。


2006年08月08日

チラシ作り

 真夏日が続きます。きょうも猛暑でした。今年は、これまでミンミンゼミの鳴き声を聞いていなかったのですが、市役所に向かう途中、頸城区で車の中まで聞こえてきました。ミンミンゼミが鳴くと夏真っ盛りという気がします。もっとも暦の上ではすでに立秋、手紙では、残暑が厳しい日が続いております、と書くことになります。
 今週は後半に行事が集中していて、10日、11日と長野県へ行くことにしています。そのため、議員団ニュース、市政レポートの作成は、きょうやっておかないとお休みになってしまいます。午前から議員控え室で、原稿書きに取り組みました。原稿を書きながら気になったのは、プールでの事故です。先日、頸城区の希望館で堀井秀之さんの「安全安心のための社会技術」という講演を聴いたこともあって、なぜ悲しい事故が繰り返されるのか、ネットサーフィンをしてしまいました。それで原稿書きの仕事はあまり進みませんでした。これで明日はたいへんです。
 夕方、スーパーに寄ったら、宮崎県産のコシヒカリ新米(5キロ入れ)がもう出ていました。こちらはまだ穂が出そろっていないというのに早いものです。先日、新潟産コシヒカリと北海道産のナナツボシなどと味比べをしてから、もっと他所の米の味を確かめたくなりました。もう少し小さな袋で出ているところがあれば、食べてみたいと思います。軽トラを運転していてもハンドルがベタベタする、こういう時にスーパーに入る目的はいうまでもありません、350㏄入り135円の飲み物を買うためです。


2006年08月07日

党議員団会議/プール調査/国体開催決定報告会

 午前は2週間ぶりの党議員団会議でした。9日の臨時議会対策が中心です。今回の臨時議会では、板倉区にある市観光施設の指定管理者が経営破たんしたため、市が直営で管理を継続するための一般会計補正予算、条例一部改正、それに直江津小学校校舎改築工事の契約が議案です。官から民へ、という流れが強まる中で指定管理者が破綻した事例は、上越市では初めてのことです。今回の事件をどう受け止めるか、今後の市施設の管理のあり方、住民サービスとの関連などで杉本団長が総括質疑をすることになりました。また議案にはないものの、市内のプールにおける設備の不備がみつかっていることから、これにどう対応するかも話し合いました。
 昼食後、杉本団長は総括質疑の準備で控え室に残り、樋口議員と私はプールの現地調査に出かけました。2時間ぐらいの間の調査でしたので、排水口の蓋の不備などが明らかになったプールのうち清里区プールなどの視察は断念し、高田公園プールと春日小学校プールにしぼって調査してきました。高田公園プールに出かけたのは高校時代以来です。当時、私が泳いだ50メートルプールは使用してなく、25メートルプールだけを使うようになっていました。問題の排水口の蓋は鉄製で一部サビていました。消毒に使う塩素のせいです。このプールについては市の1回目の調査では異常無しとされていましたが、その後、県の調査で蓋が固定されていないことが判明したという経過があります。私たちがプール内に入って調査した時点では、すでにステンレス製の棒とボルトで固定されていました。市の担当課長からお詫びの言葉と説明があり、事実関係は見えてきました。あとは、なぜこういう管理になっていたのかということを整理をしておく必要があります。春日小学校では、校長と担当課長が立会いました。ここもすでに修理されていました。そして、水も張られていました。子どもたちにとっては、プールは夏休みの楽しい思い出をつくる施設です。安全性を確保したら、早く使えるようにしてあげたいものです。
 午後はもうひとつありました。トキめき新潟国体上越市開催決定市民報告会です。文化会館大ホールに大勢が集まり、開催を祝いました。会場に入る時に、吉川小学校の中嶋郁雄君と両親にばったり会いました。郁雄君は保育園時代に町政レポートに何回も登場してもらった児童です。彼は『トキめき新潟国体』ジュニアポスターコンクールで優秀賞に選ばれ、表彰式に出席するため来ていたのでした。入賞作品の「頂上までがんばるぞ!!山岳」は岩を登る2人の男性の様子をしっかり描いていました。このコンクールでは、吉川区から柳澤咲妃さんが佳作に入っていました。祖父にあたる久さんは農業委員時代の仲間です。声をかけると、とてもうれしそうでした。


2006年08月06日

猛暑の中で草刈り

 きょうは地元集落の草刈りの日でした。各戸から1名ずつ出て、共同で水路、溜池周辺、農道の土手などの草刈りをしました。集落での草刈りは年に3回くらいあるのですが、この内、お盆前の草刈りだけ、非農家を含めてやることになっています。時間は朝7時半から10時頃まででした。暑かったのと昨晩遅くまで飲んでいたことが影響して、途中で休憩した時には、そのまま眠りたくなりました。でも、一緒に作業をした人たちの話がおもしろくて眠りませんでした。昨晩、新潟のビッグスワンまで出かけてSMAPの公演を聴いてきたけど音響効果がいまいちだったとか、草刈りをしている場所ではタラの芽の採れる所が何ヶ所もある、毎年確認しているのに誰かに先を越されてしまうなど、40戸ほどの集落でも、いろんなことをやっている人がいますね。
 共同作業が終わってから牛舎の周りの草刈りをしました。この前、暗くなったので、中途半端にしていた残りです。ここでも約1時間頑張った。牛舎周辺はこれで2度目の草刈りが終わりです。すぐそばの農道もきれいになりました。全ての作業が終わり、シャワーを浴びて横になったらもういけません、ぐったりしてもうろうとし始めたのです。そのまま3時間くらい寝たでしょうか。普段から農作業をしなくなり、たまにやるとぐったり、暑さのせいもあるとはいえ情けない話です。
 夕方は、この夏初めて柿崎区東横山にある大出口まで行き、水を汲んできました。今年は雪が多く、梅雨時の雨も長かったことが影響しているのか、水量が多く、近くの水路を流れ落ちる音が大きく感じられました。水は相変わらず冷たい。ポリ容器に水を汲む時、冷たくて手を離したくなるほどでした。美味しさも抜群です。これでわが家では、しばらく美味しい水とお茶を飲めるでしょう。


2006年08月05日

やったれ祭り、過去最高の盛り上がり

 どこに、こんなに子どもたちがいたのか。吉川区にはこんなにも若者がいたのか。そう思うほど、若い人たちの参加が目立ちました。きょうの第9回越後よしかわやったれ祭りは原之町商店街をうめた、すごい人出で賑わいました。よさこいソーランあり、マジックあり、お神輿あり、くじ引きあり、木遣り唄あり、屋台もたくさん出ました。そして評価がどんどん高まっている、ペットボトルを利用した稲穂竿灯は約400基、晴れた夜空に美しく輝きました。やったれ祭りはこれまでずっと参加してきましたが、過去最高の盛り上がりををみせたと思います。
 祭りを準備してきたのは実行委員会の人たちです。このまちをよくしたい、楽しい賑わいをつくってみんな仲良くしたい、子どもたちにふるさとの良さを知ってもらいたい、実行委員会の人たちの思いは祭りのいろんなプログラムなどにあらわれていました。昨年の水害以来、難儀している上川谷の人たちを特別招待したこともそうですし、子ども神輿もそう、胸にぐっとくるものがありました。企画して準備した人たちと参加した人たちの思いがひとつになって、がんばって吉川で生きていこうね、という気持ちを高めました。一昨年より昨年、昨年より今年と、越後よしかわやったれ祭りは、毎年バージョンアップしています。区外からやってきたある人が、「手づくりの祭りで、この盛り上がりはすごい」と言っておられたのを耳にしましたが、うれしい評価でした。
 きょうは午前に床屋さんへ行き、午後から中郷区にオープンした縄文資料館のイベントに参加してきました。この資料館は、全国でもめずらしい縄文時代だけの土器や石器などを展示する資料館です。6月からオープンしていますが、きょうは中郷区内外からやってきた子どもたちが古代米を食べ、勾玉や土器をつくって学ぶ、「楽校」が開かれ、市長や市議会文教経済常任委員などが訪れました。資料館では生涯学習課の小島副課長から縄文土器の特徴、基礎知識を教えてもらいました。縄文の甕(かめ)はなぜ軽いか、石棒や玉抱三叉文などにみられる健康的なエロチシズム、こうした説明を聞いたおかげで、今後、縄文時代の遺物を興味をもって見ることができそうです。
 きょうのイベントには中郷区の年配の方々も参加しておられました。同じ文教経済委員会所属の田村武男議員の高校時代の同級生の人たちでした。会話の中での、「今度の同級会にコヤマモトエがくるそうだ」という言葉を聞いてびっくりしました。「いま、コヤマモトエと言いませんでした?」と私がたずねたら、この人たちも驚いたようです。まさか、こんな形で大島区出身の私の従兄の同級生とお会いできるとは思いませんでした。世間は狭いですね。


2006年08月04日

稲の出来はいまひとつ

 1週間のうち3日間も外に出ていると、あっと言う間に1週間が過ぎてしまいます。きょうは早めに市政レポートを書き上げ、日曜版の配達にと思っていたのですが、雑用でバタバタしていたこともあって、とうとうお昼前までかかってしまいました。視察の簡単な報告と昨日の街頭演説のことを中心に書きました。地元の話題をもっと書かねばと思っていたのですが、今回は取材の時間がほとんどありませんでした。ま、こういうこともある、と思って割り切るしかありません。
 日曜版の配達に出て、一番の話題はこの暑さです。汗がにじみ出て、体はべとべとする。「いやー、ばかあっついねぇ」「これがほんとの夏かね」こんな会話が挨拶代わりでした。夕方になっても30度を超えているところがありました。
 この暑さに関連して話題として出てくるのは稲の出来です。7月の長雨による日照不足、低温の影響なのか、稲の出来はいまひとつだという評価が多く、酒米の五百万石、わたぼうしではいもち病も発生しているといいます。コシヒカリも穂のはしりが見えてきました。あと1週間もすれば、穂が出そろうことでしょう。稲の出来で思い出しました。東北の岩手、青森の稲です。視察地へ行く途中、電車の窓から見えた稲は極端に生長が遅れていると感じるほど背丈の短いものでした。青森では、例年よりも3週間も遅れているという話もありました。完全に冷害です。8月は太陽がさんさんと輝く月であってほしいですね。


2006年08月03日

ホームページが役に立った

 初心者マークがついたホームページでも役に立つことがある。それがわかると、とてもうれしくなります。きょうの午後、初めて吉川区入りした衆議院比例北陸信越ブロックの日本共産党予定候補、山口典久さんは、街頭演説でこう切り出しました。「橋爪さんのホームページでは野の花などがいっぱい掲載されていて、いつか吉川区を訪ねてみたいと思っていました。きょう、ようやくそれが実現しました。吉川区内をぐるりと回ってみて、ほんとうにすばらしいところだと思いました」。猛暑の中、平場から源地区に入り、坪野親水公園の水を飲み、柿崎区東横山経由で勝穂地区にと進めた宣伝カー。山口さんの目には、真夏の吉川区のすばらしい景色が印象に残ったようです。代石での街頭演説には、平日の午後4時という中途半端な時間にもかかわらず、20数人の方々から参加していただきました。ありがとうございました。
 きょうは、私のホームページについて、もうひとつ話題を提供できます。20日くらい前でしたでしょうか、上越地域水道用水企業団の事務局の方が議員控え室においでになり、「正善寺ダム湖周辺と柿崎川ダム周辺に咲く花のパンフレットを作成したい。ついては、橋爪さんのホームページの写真を活用させていただけないか」という要請がありました。もちろん、どうぞご活用くださいと返事をしておいたのですが、きょう、そのうちの正善寺ダム湖周辺版のパンフレットが届けられました。私が撮った写真を8割ほど採用していただいたということです。遠慮されて、解像度を落とした画像をそのまま使用されたのはもったいない気がしましたが、ダム湖周辺の自然観察で市内の子どもたちがこのパンフレットをみながら、「ねぇ、この花、ツリフネソウだよね」なんて言葉を交わすかもしれないと思ったら、とてもうれしくなりました。
 私のホームページに掲載された写真は、これまでも吉川町閉町記念スライドなどで活用していただきました。私のところには、野の花の写真だけでも約300種類、解像度を落としていないものがあります。もし希望される方があれば、遠慮なく声をおかけください。写真といえば、今朝の「しんぶん赤旗」日刊紙の東海・北陸信越のページに、米山をバックにしてヤギが草を食べている写真と文が掲載されました。梅雨明けした日に、朝日池総合農場の直売所で私が撮影したものです。


2006年08月02日

3日間の視察終わる

 私の所属する市議会文教経済常任委員会の3日間にわたる視察が終わりました。今回は青森市のコンパクトシティ、秋田県の地産地消の取り組み、仙北市角館の桜を中心とした観光施策の視察でした。いずれも全国に先駆けた取り組みをしていて、出かけて良かったと思いました。近いうちに感想などをまとめてこのページなどで掲載しますが、きょうは最後の角館についてふれておきましょう。
 角館は桜で全国的に有名な町です。昨年合併して仙北市角館になりましたが、ここは合併しても角館で宣伝しないと全国には通用しないほどこの名前が浸透しています。天然記念物として指定を受けているしだれ桜は151本、江戸時代の雰囲気を伝える武家屋敷とぴたり合います。担当者に「ここのまちの観光のキーワードはなんですか」と問うたところ、帰ってきた言葉は「歴史」でした。古き良きものをしっかり受け継いで未来につなぐことを大事にする、この姿勢は学びたい。
 武家屋敷は朝食後1回、市役所職員から説明を受けてから1回と2回見て回りました。コバ葺き、草葺の屋敷と庭は良く手入れされていて、江戸の時代空間に入った感じがしました。よく残していると思いました。武家屋敷の中には「たそがれ清兵衛」の撮影でも使われたところがあります。高田の夜桜、歴史を生かした角館の桜、取り組みの違いが見えましたので、今後のまちづくりに活かしたいと思います。
 印象に残ったのは市役所観光課長のおだやかで、やさしい顔。この顔は桜のシーズンになるとまったく変わるといいます。「死ぬ覚悟でやる」という彼のその時の顔を一度見てみたいと思いました。歴史案内人組合、ライブカメラなど学ぶべき点はいくつもありましたが、何よりもいいなと思ったのは、草葺の武家屋敷に住んでいたサムライたちが「いまも生きている」ことでした。草葺の家で皮細工をしていた男性、説明役の男性、われわれと同じ服装をしているというのに、いざという時には刀を抜くこともある、そんな雰囲気が漂っていました。上越新幹線、東北新幹線、秋田新幹線を使っての旅行は便利ではありましたが、やはり長旅、家に着いたらぐったりしました。


2006年08月投稿分

2006年08月に投稿された全てです。

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