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2009年05月投稿分

2009年05月31日

悪夢と希望と

 朝起きても頭がすっきりしません。テレビを見ていてもすぐうつらうつらしてしまいます。考えてみると、昨日までの1週間はこれまでになく緊張した1週間となりました。
 何よりも井戸尻(屋号)の夫婦の突然の死は信じがたいものでした。昨日会った親戚の人たちも「働き者で指が太い人だったのう。この間、人生は真面目にコツコツと生きるに限るなどと話したばかりだったのに」などとびっくりしていました。愛知県からやってきた弟も昨日、事故現場を訪れてお参りしてくれました。現場では、事故当日の午前、近くで仕事をしていたというUさんから説明してもらったといいますが、みんな信じられないと言っていました。
 昨日の結婚式は、4月に続いての不幸があった直後だったこともあって、喜びもひとしおでした。これで流れも希望へと変わることでしょう。東京在住の中学時代の同級生(サントリー勤務)からお昼頃電話があり、秋に同級会をやろうということになりました。母はあきれるほど元気です。きょうは同級会だとか言って、大山温泉へ出かけていきました。


2009年05月30日

笑顔いっぱい

 きょうは次男の結婚式・結婚披露宴でした。私の子供としては一番最初です。準備は次男と連れ合いとなる彼女がやっていましたので、どんな企画で行われるのかとても楽しみでした。
 結婚式は家族、親戚、高校時代の友人、元職場の同僚など大勢の人たちが見守る中、牧師さんを中心にして厳粛に進められました。私と妻は最前列に座って参加しましたが、起立のタイミングを間違えるなど緊張しました。花嫁はとてもかわいく、喜びに満ちた表情です。白のタキシードを着た次男は背筋を伸ばし、いつもより背が高く感じられました。親が言うのもなんですが、二人ともなかなかの好青年に見えました。
 式が終わってからがサプライズ。チャペルを出てホテルのガーデン(庭)で参加者全員が風船を持ち、次男の合図でいっせいに飛ばしました。ガーデンはビルの谷間といった空間です。大空に飛び立っていく風船は希望を感じさせてくれ、いいものです。その後、同じ場所で記念撮影です。カメラマンは参加者を見下ろす位置から撮りましたので、参加者はチャペルを見上げる姿勢で撮れているはずです。次男によると、参加者へのお礼に使うのだとか。中学時代から「みんなで何かをする」経験を積んできた二人ならではの企画でした。
 披露宴は涙の連続でした。きょうの披露宴には85歳の母と90歳を超えている新婦のおばあちゃんも参加してくれましたが、二人へのプレゼントがありました。母は何も知らされていなかったようで、こぼれ落ちる涙をハンカチでふきつづけていました。新婦のおばあちゃんも泣きっぱなしでした。披露宴には4月に他界した父も写真参加です(画像)。母のそばで二人の晴れ姿をじっと見つめていました。そして、参加者のトップをきって長持唄を披露してくれました。もちろん、これは音声参加。孫の結婚式を誰よりも楽しみにしていた父の唄を聴いたら涙があふれました。
 披露宴では新郎新婦の成長した姿を確認できました。スライドを使っての二人の生い立ちやこれまでの付き合いの紹介はすべて二人で行い、アドリブも入りました。しゃべるのが苦手だったのに、いつのまにか余裕を持ってスピーチできるまでになっていました。これはこれまで勤めた会社の皆さんの指導のおかげでしょう。
 最後の新郎の挨拶。自分の名前に感謝しているという言葉を聴いてうれしく思いました。どんなに悲しいことがあっても、どんなにつらいことがあっても、名前のように生きていけば元気になれる。笑顔が出る、という話でした。そういえば、きょうも最初から最後まで笑顔がいっぱいでした。おめでとう!


2009年05月29日

思い出した戦争体験

 拙い文章でも書いておくもんです。先日の市政レポートで1945年5月5日の直江津空襲のことを書きましたが、これを読んだ柿崎区阿弥陀瀬出身の女性から、「あの記事を読んで空襲のことを思い出した」そう言っていただきました。こんな形で役立つなんて、うれしいことです。以下はこの人の話。
 空襲があった頃、私は信越化学に勤めていました。そこには外国の捕虜の人たちもだいぶ働いていました。溶鉱炉などで仕事をしていたように思います。お昼に弁当を食べていると捕虜の人たちがこれをほしがってね。空襲の時、米軍機は工場を直接狙ったのではなく、捕虜がいたからわざと外したのではないでしょうか。落ちたところにいた人たちは本当にお気の毒でした。爆弾が落とされてから、私の記憶では歩いて阿弥陀瀬まで帰ったと思います。私の家からは黒井の方面がよく見えたんですよ、当時は。黒井がやられたことはすぐ分かったのだと思います。私が家に帰ると、父は「生きていたのか。よかった」と言って抱きしめてくれました。
 この話を聴いて思ったのは戦争体験集の役割です。戦争体験を多くの人たちに知ってもらい、平和の大切さを広げていく。上越市では昨年、戦争体験をまとめ出版しましたが、今回の女性のように、これを読んで自分の体験を思い出したという人も少なくないはずです。体験集は1集で終わることなく、2集、3集と続けてほしいものです。
 きょうは晴れ渡り、米山、尾神岳がとてもきれいでした。「私の好きな風景」にこれらの写真を掲載しました。また、先日、お約束したクルマムグラの写真も掲載しました。いずれもトップページから入ってごらんください。


2009年05月28日

議会会議規則の一部「改正」手続きをめぐって

 携帯電話の能力が落ちてきているのか、それとも使い過ぎたのか。親戚の事故があった26日と葬儀のきょう、電池切れとなってしまいました。
 きょう、携帯電話をたくさん使うことになった最大の理由は議会対応です。党議員団の上野幹事長をはじめ何人かの人と議会会議規則の一部「改正」をめぐり意見交換をしました。意見交換したのは、二人以上の構成員がいないと会派としてはみなさないという会派の規定についてです。具体的には、今回の規則「改正」にどう対応するか、市民への説明責任をどう果たすかなどです。
 まず事実経過を説明しておきます。今回、地方自治法の改正に伴い一定の整備をする必要があるとのことで、会派の規定をどうするかを各派代表者会議で数回にわたって話し合ってきました。現状通り一人会派を認めるべきだという議論と二人以上の構成員がいないと会派としては認めないという意見がぶつかり合いました。私はもちろん前者の議論を展開しました。議会運営に直接関わるこういう問題は全会一致で合意していくべきですが、なかなか着地点が見つからず、最後は後者の意見が多数だということで、二人以上の構成員がいないと会派としてはみなさないという内容の規則「改正」案を話し合い、最終的には議会で「改正」手続きをとることになりました。
 いうまでもなく、これらの話し合いには私も参加してきました。会議記録を精査してみないとこれ以上つっこんで書けませんが、こういう「改正」が本会議で提案された場合、議員団としてどういう態度表明をするかを明確にしないで対応してきてしまった点があります。このことについては先日、議長に対して率直に伝えてきました。会議規則「改正」案をめぐる問題は後日、党議員団としての見解をまとめ、何らかの形で発表します。


2009年05月27日

涙雨

 一家の中で一人でなく二人が同時に亡くなり、その葬儀の取り持ちをするというのは初めてです。きょうは井戸尻(屋号)の父ちゃんと母ちゃんの納棺、通夜でした。忌中札を二つ立てる、焼香台の上に遺影を二つ並べる。もちろん、位牌も二つ、棺も二つです。一人だけでも悲しいのに、二人分のものを用意して儀式を進めるというのは悲しみを何倍にもします。その悲しみが最高潮に達したのは湯灌、納棺の時でした。

 まず湯灌。沐浴人(もくよくにん)に参列者の一人ひとりがアルコール液を含んだガーゼを渡し、母ちゃんの体を清めてもらいました。一巡りしたら、今度は父ちゃんの方です。父ちゃんのところを一巡りしてもガーゼが残りました。参列者は残ったガーゼで直接、二人の顔、手、足をふくことになりました。「父ちゃん、こんなに指が太かったんだ。ご苦労さんだったね」「母ちゃん、さみしいだろね。また会おうね」みんなが声をかけます。私は二人の足をふきました。父ちゃんの足を見たら、手術の痕が残っています。「また百姓しねかならんすけ」そう言って病院でリハビリをしていたことが思い出され、涙が流れました。

 続いて旅支度と納棺。この頃から、外は雨になりました。手甲(てっこう)、脚絆(きゃはん)などを着け、足袋を履かせます。これも母ちゃんから。次いで棺を用意し、遺体をみんなで支えながら仰向けにして棺の中に納めました。棺の中には杖も入れました。それから花です。葬儀屋さんの方であらかじめ用意してくださった花ビラ、参列者はまず二個ずつもらい、一個は母ちゃん、もう一個は父ちゃんの顔の周りに入れました。花は悲しみを深めます。父ちゃんの姉にあたる人が泣き始めてから、遺体が安置してある小さな部屋はすすり泣く声でいっぱいになりました。

 棺の中への花入れは今回、親族だけでなく、尾神や坪野地区の住民の方々にも参加してもらいました。地区住民のみなさん方も花入れでは、「まあ、まるで眠っていなるようだね」「いい顔してなる」「世話になったね。ゆっくり休んでくんないや」などと声をかけてくださいました。この時、外の雨はトタン屋根をたたくような大粒の雨となりました。花ビラを持った人たちが何人も言いました。「こりゃ、涙雨だ。父ちゃん、母ちゃんが死んでみんな泣いている」と。この久しぶりの雨、後でわかったことですが、吉川区でも山間部だけに降ったのでした。 
 


2009年05月26日

また悲報

 吉川区尾神の町内会長さん宅から電話がきたのは12時20分頃でした。わが家の親戚の井戸尻(いどんしり・屋号)の父ちゃんと母ちゃんが耕運機に乗っていて農道から川へ転落した、危ないようだからすぐに来てくれという連絡でした。ふたりを乗せた救急車が県立柿崎病院へ着いてまもなく、市役所から病院へ向かった私も到着しました。ふたりはすでに意識はなく、顔は変色、唇は紫色になっています。お腹がパンパンにはれていました。着いて5分後には死亡が確認されました。耕運機(荷台付き運搬車)と一緒に川に落ちた時、機械がふたりに覆いかぶさり、逃げ出せなかったのでしょう。溺死でした。
 
 現場(画像)は通称、「釜平(がまびろ)の橋」のすぐそばでした。私が子どもの頃、わが家の田んぼがあった近くです。今年は、この橋の近くに車をとめて何度か山菜採りをしました。私にとってはたくさん思い出が詰まった大事な場所です。まさか、そこで重大事故が起きるなんて。井戸尻の父ちゃんは一昨年、枝払いをしていた時に木から落ち、数ヶ月間にわたって入院しました。この時の転落事故については『春よ来い』第86回、「ギブスのお守り」に書いたことがあります。父ちゃんのことですから、「さあ、帰ってまんまにしようど」などと言って運転席についたことと思います。方向転換しようとした時なのか、それとも運搬車が坂道を下って橋に向かおうとした時なのか。その時、何が起きたのか、まだわかりません。いずれにせよ、運搬車は草を倒しながら川に転落していった。事故原因は徹底究明しなければなりません。二度とこういうことが起きないようにするためにも。

 ふたりは私の大事な後援会員です。夫婦ともに歌が好きで、わが家でも何回も歌ってくれたものです。市議選の時にはビラ配布、支持拡大などでどれだけ頑張ってくれたことか。今回はこれまでの支援に感謝し、私がお返しをする番です。葬儀にあたっては私が葬儀委員長です。つい先ほどまで井戸尻の家にいて、みんなで話し合いながら仕事を進めました。明日は夕方6時から「虹のホールおおがた」で通夜、葬儀は明後日の午前10時から同じ場所で行われます。

 


2009年05月25日

懐かしの版画集と思わぬところで…

 飾ってある彫刻や絵画を鑑賞する。展示してある特産物を見る。普段あまり行かない場所で会合があると、そこでブラブラする癖が私にはあります。きょうの県道新井柿崎線整備促進議員連盟総会が行われた高田の高陽荘でもそうでした。ロビーに展示してあった教育関係出版物の中をのぞき込んで、うれしくなりましたね。いまから18年前に当時の吉川町立源小学校の統合記念全校児童版画集が置いてあったからです。

 「ふるさと体験学習 みなもと」と題した版画集には1年生から6年生まで全員の作品が掲載されています。自分たちの住んでいる地域の歴史や言い伝えなどを親や集落の人たちから聞いて描いたものなのでしょう。尾神岳の「風穴」のこと、山中の旦那様についての言い伝え、薪を使ってご飯を炊いている様子、尾神の深田の池の開発と美田のことなどが子どもらしく、じつに生き生きと描かれています(画像)。会議が始まるぎりぎりの時間まで版画集を見させていただきました。

 さて総会ですが、昨年の取り組みを振り返り、今年度の方針と予算を決めました。今年度は県への働きかけをいつもよりも早めることを確認、6月下旬に現地調査を実施し、7月には県庁へ出向いて要望書を提出することになりました。

 総会後、上越地域振興局の地域整備部及び上越市の都市整備部の関係部長、課長などと意見交換会を行いました。上越振興局管内の道路関係補助事業は53億7800万円で、前年比0.8%プラスとのことでしたが、このなかで歩道整備や防雪柵設置、交差点改良等を進めていかなければなりません。県上越地域振興局の白石秀一地域整備部長は挨拶の中で、「主要地方道新井柿崎線は上越市の南北を結ぶ重要路線。改良率は99%だが、旧規格での話だ。歩道の整備率が36%にとどまっていることなどで明らかなように、まだまだ整備が必要。皆さん方のご意見も参考にして整備していきたい」とのべました(画像)

 きょうは地図上に整備要望箇所と関係写真を載せた資料が配布されました。住民の暮らし、安全にかかわる要望ばかりです。厳しい財政状況だけに、党派を超えて力を合わせて整備を進めていきたいと思います。


2009年05月24日

橋本正幸さんと一緒に「囲む会」

 ちょっと肌寒い天気となった日曜日でした。衆院新潟6区の予定候補である橋本正幸さんにも参加してもらい、「囲む会」を2会場で開催しました。いずれも小さな集落での開催でしたが、大勢集まっていただき、充実した会となりました。
 「囲む会」はどこの会場でも正式に始まるまで少なくても5分、長ければ10分ほどの時間があります。この時間帯をどうするか。きょうはこの春に撮った野の花の写真のうち24枚をひとつのファイルに入れ、スライドショーで見てもらいました。身近なスミレや珍しいサワハコベなどが入っているので、「見たことある」「何て花だね」などという声が次々と出ます。結構楽しい時間帯となりました。
 さて、本番。市政報告は私、国政についての訴えは橋本さん(画像)です。国保や介護保険など市民の暮らしに関わる問題は市政での実態をお知らせし、国政での制度改正の必要性をからませてお話しするとわかりやすくなります。たとえば国保税、上越市では1人あたり年間10万円を超えました。これを引き下げるためには、「一般会計からの繰り入れも大事ですが、年7兆円にものぼる大企業・大資産家減税をやめて、資力・財力にふさわしい負担にもどす。この一部、約4000億円を使えば1人あたり年間1万円下げることができるんです」とやる。参加された皆さんのうなずく姿が印象的でした。
 きょうの懇談では市長選、コメ政策の行方、特養ホームの増設、介護労働者の事態調査と労働条件の改善が話題になりました。橋本さんは、財源問題を説明するために小さなビラを配布して話をしていましたが、説得力がありました。

 


2009年05月23日

市長選への関心、一気に高まる

 午前は小学校の運動会でした。曇り空の下のグランドは少し寒く、持参したジャンパーを着て観戦しました。1、2年生の50メートル走の1年生の部。初めての運動会での競技に子どもたちも緊張していました。おもしろかったのは保護者の動きです。ゴール地点では保護者カメラマンがわが子の奮闘ぶりを記録しようと大勢集まります(画像)。こうした光景はわが家の子どもたちが通っていた頃(20年ほど前)にはなかったですね。
 きょうは土曜日。午後からはいつものように「しんぶん赤旗」日曜版の配達です。市長が昨日の記者会見で正式に三選不出馬の意向を表明したこともあって、行く先々で、「市長選はどうなるね」「おまんたの出番だ。がんばってくんないや」などと声がかかりました。仕事や暮らしで厳しい状況が続いているだけに関心が高いと感じました。
 きょうの新聞配達では運転席と助手席の間にニセアカシアの花を入れておいたので甘い香りが車内に漂い、快適でした(画像)。この香りをお伝えできないのが残念です。また、山間部で初めてアカネ科のクルマムグラと出合うことができました。近々、「野の花」コーナーに載せます。
 市政レポート1397号と1398号をアップしました。トップページからお入りください。


2009年05月21日

毎日、地震です

 男性陣が農作業だったということもあって、きょうの「橋爪法一を囲む会」の参加者はすべて女性でした。
 「囲む会」ではいろんな意見や要望が出てきます。議会報告が終わってからの懇談会は今回もたいへん活発でした。「7月からのバス運行では上下浜駅に行く路線が新設されるというが、電車との接続はうまくいっているか。また、バスは駅構内まで入るのか。高校生を送る自家用車が何台も行くと、バスが動けなくなるのではないか」「自分の家の近くにある道路は大型ダンプがひっきりなしに通っている。わが家は毎日、地震です。何とかならないものか」などとても具体的です。こちらもいい勉強になります。
 「囲む会」は今月はこれで4会場目。以前のように集中的に開催するのもいいですが、ひと月に数会場といった回数にするとスライドの手直しなどの時間的な余裕ができていいもんです。今月はもう2会場で開催したいと思っています。
 きょうは朝早くから市役所でした。定例の議員勉強会、きょうのテーマは議会基本条例です。事前に学習して、議員勉強会に臨みました。講師からは、「拙速であってはいけない。制度設計など、じっくりと考えて」「議員と市長が原稿を読み合うような質問はやめるべきだ。議会をどう変えていくかが大事」などの指摘がありました。今回の議会基本条例づくりについてはしっかり勉強していかないとついていけなくなりそうです。午後からは、議員有志の財政勉強会もありました。


2009年05月20日

あなたの情熱をうれしく思う

 新潟での会議、市議会主催の議会報告会と忙しい一日でした。党議員全員が平良木議員の車に乗り込み、新潟へ。行きの車の中での話題は今朝の「しんぶん赤旗」と新潟日報です。
 まずは赤旗。先日、日本共産党の志位委員長がアメリカのオバマ大統領に送った、核廃絶を訴えた書簡に返書がきました。しかも、「この問題にたいするあなたの情熱をうれしく思う」と書いてあります。樋口議員は何度も「すごいね」と言っていましたが、私もそう思います。アメリカも大きく変わっていく予感がします。
 新潟日報は一面の、木浦上越市長が三選不出馬の意思を固めたという報道です。22日の記者会見で退陣表明するだろうというのが大方の見方でしたから、びっくりでした。「なぜきょうの時点での報道となったのか。今度の記者会見は荒れるかも」「6月、9月の議会での一般質問はどうするか」など賑やかでした。新潟日報の記者からの電話取材もありました。木浦市長については、災害対策などこちらが出した意見や提案を党派関係なく検討してくれたことなど一定の評価をしていること、2期目の選挙での企業献金をめぐって説明責任を十分果たさず、それが契機となって議員などとの信頼関係が崩れていったこと、慎重な対応は理解できないでもないが、重要問題での決断力が欠けていたのではないか、そんなことを話しました。
 市議会主催の議会報告会は三和区での開催です(画像)。市民プラザでの15人前後を大きく上回る55人が参加しました。地元選出の市議が独自に参加を呼びかけたことが大勢の参加につながったようです。市民からの質問、要望は議会関連のものよりも河川改修、農道の舗装などどちらかと言えば行政向けのものが多く出ました。合併5年目の年ということもあって、「合併によってメリットはあったのか」「悪くなったことが多い気がする」など合併評価についての発言も目立ちました。


2009年05月19日

「発言09」に青木勝さん登場

 今朝の「しんぶん赤旗」日刊紙の1面、「発言09」に長岡市山古志支所長の青木勝さんが登場しています(画像)。青木さんは、『山村集落再生の可能性』(自治体研究社)のなかで中越大震災復興と集落再生などについてじつに生き生きと語られていたので、強く印象に残っている方です。
 きょうの「発言09」のなかでも中山間地問題や地域づくりを考える場合の大事なことをコンパクトにまとめて発言されているので、繰り返し読みました。「歴史の積み重ね、集落の温かさがあり、ほとんど自給できるコメ、野菜、山菜、加えて高齢になっても安全に暮らせるつながりがあり、街にはない美しい自然と景観がある。これが地域力だと思います」「自治のある地域づくりが大切です。地域個性が光るまちというのは、われわれが議論してきた合併の大前提です」「国土保全は、中山間地域に人々が住み、そこで生活することで持続可能になります」。いま上越市議会で中山間地問題を議論していますが、参考となる基本的な視点、議論のポイントがここにあると思いました。
 青木さんは私と同年齢の人です。にいがた自治体研究所の福島さんから「すばらしい人間だ」とお聞きしていますが、ぜひ一度お会いしたいものです。
 きょうは昨年まで一緒に議会活動をしていた人のお父さんの葬儀に参列後、デスクワークでした。高田からの帰り道、車の窓を開けて頸城郵便局付近を走っていた時、ニセアカシアの甘い香りが流れ込んできました。旧保倉川の河川敷に数十本あるニセアカシアの木の花がいま満開です。香りはそこからのものでしょう。
 ※画像が全部見れない場合は、「画像」のところを右クリックし、「対象をファイルに保存」してご覧ください。


2009年05月18日

春ゼミが鳴く

 昨日と打って変わって五月晴れ。気温もどんどん上がりました。暑いから車の窓を開けて走りました。窓を開けておいたおかげで今年初めての鳴き声をキャッチできました。春ゼミです。吉川中学校下の信号機のところで車を停めていたところ、学校の土手の雑木林の中から聞こえてきたのです。時間的には12時35分頃でした。続いて10分後、今度は小苗代集落のはずれの山の中からセミの声が聞こえてきました。こちらは中学校下よりも近くにいたらしく、かなり大きな鳴き声でした。録音しましたので、お聴き下さい。こちらをクリックしてください。
 きょうは午前中に市役所で党議員団会議、午後からは「囲む会」でした。団会議ではいろいろな話をしたのですが、議会改革の先進例を学ぶために団としては初めて遠くへ出向いて視察を行うことにしました。総選挙の日程をにらみながら時期を決めていきたいと思います。「囲む会」は高齢者が多い集落でしたので昼間の開催です。中山間地対策の強化、県道の改修、側溝の安全対策などでいくつも要望が出ました。


2009年05月17日

市議会主催の議会報告会

 昨日から2日間、上越地区党議員団の泊まり込み研修会でした。先日の市議選で当選した糸魚川市能生の池田議員も正式に加わって上越地区の党議員は9人ですが、このうち8人が参加して勉強しました。「懇親会付き行事の参加が多くなりまして…」ジョークを交えて生き生きと活動報告する池田議員の姿を見て、当選して本当によかったと思いました。

 きょうは午後から市議会主催の議会報告会でした。会場の市民プラザには15人ほどの市民の方々が参加してくださいました。参加者は昨年よりも少なかったものの、議長と4人の常任委員長報告が終わってからの質問、意見は活発でした。「後期高齢者医療制度についてもっと議論をしてほしい」「議会基本条例策定に今後、関心を持っていきたい。議員は住民から直接選ばれるのだから、所属している会派の人数が少ないということで発言制限をしないように願いたい」などの注文も相次ぎました。なお、県内で初めて議会基本条例を策定した新発田市議会の議長さんなどが視察にきておられました。

 夕方、妻の実家へ行き、義父を見舞いました。途中、ニセアカシアの花が咲き始めていたので、少しいただいて持参しました。花が開き始めると甘い、素敵な香りが漂います。義父や義兄が花房を鼻に近づけ、「うーん、いい匂いがする。蜂密と同じだ」などと言っていました。この花の蜜を集めた蜂蜜を毎年いただきますが、透明感があって、とてもきれいな色をしています。もちろん、味もいい。


2009年05月15日

議会基本条例策定検討委員会スタート

 市議会の基本を定める議会基本条例検討委員会がスタートしました。この検討委員会は議長の諮問機関です。冒頭の挨拶の中で山岸議長は、「地方分権時代にあって提案型の議会にならないと市民の期待に応えられない。約1年間精力的に議論してほしい」とのべました。
 検討委員会の委員長には創風クラブの内山米六議員、副委員長には政新の岩崎哲夫議員が選出されました。内山委員長は、「上越市議会の最高規範を検討していただくことになるが、市民に開かれ、親しまれる議会にしていきたい。先進事例も検討しながら上越市議会にふさわしい条例をつくりたい。ご協力を」と挨拶しました。
 きょうの検討委員会では、議会基本条例の検討方法について意見交換しました。私は、「上越市議会には先進的でいいところと改善すべきところがある。これまでの取り組みでいいところを生かして上越市議会ならではの条例にしていきたい。まずはどんな議会にすべきかよく話し合って大きな柱を決めていき、続いて細部に入っていったらどうか。途中、何回か、直接市民の声を聴くことも大事なことだ」と発言しました。他の委員からは、「その都度、会派に持ち帰って議論していくのではなく、選出された委員間討議を中心にしてやっていってほしい」「上越市議会の独創力のある、これで上越市議会は大丈夫だと言われるものにしよう」などの発言がありました。
 次回は今月27日午前10時からです。今後は月2回くらいのペースで検討していき、来年4月中の答申をめざします。

 きょうは五月晴れでした。特に午後からは1年に数回しかないような澄み渡ったいい景色になりました。新潟日報の1面に吉川区下町のレンゲ畑が写真付きで紹介されたこともあって、大勢の人たちが車に乗って畑を訪れていました。下町のレンゲ畑は2か所あります。掲載した写真は新潟日報で紹介された場所とは別のもう1か所の方です。この17日にはれんげ祭りも行われます。私は当日、議会主催の議会報告会があって参加できませんが、ミニコンサートもあってとても楽しい会ですよ。ぜひご参加ください。

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うれしいニュース

 先週から休まずに活動を続けてきた影響がここにきて出てきたようです。二日続けて夜はバッタリ、日記の更新は朝になりました。
 昨日はまずうれしいニュースが飛び込んできました。上越地区に県立高等養護学校を創設しようと動いている人たちが、その候補場所のひとつとして旧吉川高校を考えているというのです。昨日の吉川区の住民の一番の話題はこの話だったと思います。たまたま区内のあるお店に行ったところ、「高校がなくなってさみしいだけでなく、落ち込んだ雰囲気が漂っていたが、これで明るくなる」と大喜びでした。詳しい内容はしっかりとした情報を入手次第お伝えします。
 さて、昨日は一日中、吉川区にいて細々とした「やるべきこと」をこなしました。「囲む会」のビラ印刷と配布、草刈の準備などです。そうそう、散髪にも行ってきました。刈ってもらっているときにテレビは民主党の代表選、鴻池副官房長官のことなどをワイド番組で流していました。昼間、こういうテレビを見るのは久しぶりでした。もっとも、途中でぐっすりと寝てしまいましたが。
 きょうは、これから議会です。いよいよ議会基本条例についての検討が始まります。


2009年05月14日

合併前市町村ごとのデータ収集と分析

 数か月前、にいがた自治体研究所主催の講演会があった日のこと、講師を務める岡田知弘京大教授を囲んで何人かで今日の自治体問題について1時間半ほど話し合う機会がありました。
 その際、話題になったことのひとつは、地域活性化に取り組むにあたって、行政データについては合併後の新自治体ごとだけでなく、合併前の旧市町村ごとのものもキチンと収集し、公表させていくことが大事だということでした。
 先日の市議会中山間地対策特別委員会で、合併時の人口と4年後の人口を比較する資料が示され、見てびっくりしました。14市町村が合併してできた新上越市全体では3756人、1.8%の減なのに、旧安塚町、旧大島村はそれぞれ11%も減っていたからです。一番人口の減り方が少なかったのは旧上越市で、0.5%の減でした。人口減少が著しいところとそうでないところがある。この資料によって、新市全体では見えないものが見えたのです。ちなみに、私が住んでいる旧吉川町は340人減って、人口減少率は6.2%でした。
 当日の特別委員会では、この資料が示されたことによって、若者の人口減の流れを旧町村単位でくいとめる手だてを講じないといけないなどと議論が展開されていきました。この日の議論を振り返って、改めて、行政データの収集と活用について考えました。今年は合併して5年目です。農業や商工業などのデータについても、人口と同じように分析してみなければならない、そう思います。

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2009年05月12日

ツツジが見頃

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写真は吉川区名木山のTさん宅に咲くツツジ。昨日、市役所でツツジの見事な開花に見とれ(画像)、きょうは訪問した吉川区内各所で赤、白、桃色などのツツジを楽しむことができました。ツツジの花はいまが一番いいようです。Tさんのツツジは亡くなったおばあさんが数十年前、平場の農家に頼まれて田植えをした時にもらってきたものだそうです。わずか2本の小枝を挿木したところ、どんどん増えていまや前庭から土手にと大きく広がって咲いています。Tさんは、「ばあちゃんの形見だがね。きれいだねかね」とニコニコ顔でした。
 きょうは午前中にポスター張りをした後、「橋爪法一を囲む会」の準備でした。日程調整、案内ビラの作成と配布などに取り組みました。昨年までは2ヶ月間くらいの間に集中して開催してきましたが、今年からは毎月数か所で開催するやり方に変えることにしました。ここ数カ月は総選挙の前でもありますので、国政、市政どちらも語らなければなりません。日程調整ができれば、衆院候補の人にも参加してもらいたいなと思っています。


2009年05月11日

樋口了一の『手紙』

 ひょっとしたら糸魚川市議の鈴木勢子さんのところにも届いていたのでしょうか。連休最後の日に届いた岡谷市の毛利正道弁護士からのメルマガ、非戦つうしんミディア437に樋口了一の話題の本と曲『手紙』(本は角川書店)のことが書かれていました。
 「私は親に育ててもらったんだということ、それを思い出すだけで随分と、気持ちが楽になるかも知れない」というコメントが目にとまり、角川書店のHPの該当箇所を開いてみました。どんどん老けていき、体も頭も思うようにいかなくなっていく人の思いがひしひしと感じられ、じっとしていられなくなりました。そして、すぐに本とCDを求めて車を走らせたのです。
 CDもよかったのですが、本に書かれた短い文(歌詞)がとても気に入りました。特に、「いずれ歯も弱り 飲み込む事さえ 出来なくなるかも知れない」「足も衰えて 立ち上がる事すら 出来なくなったら」「あなたが か弱い足で立ち上がろうと 私に助けを求めたように よろめく私に どうかあなたの手を 握らせてほしい」という箇所は死んだ父の姿そのものです。歌詞は父の言葉のように思えてなりません。
 本を購入してから、声を出して何回も朗読しています。繰り返し朗読することによって、イメージは膨らみ、気持ちがやさしくなっていくことを感じます。


2009年05月10日

上越九条の会発足4周年記念集会

 このところ憲法9条を守ろうという集いが続きます。きょうは市民プラザで上越九条の会発足4周年記念集会があり、参加してきました。田植えの時期にもかかわらず100人近くの人たちが参加していました。
 メインはダグラス・ラミスさんによる講演(画像)です。ダグラス・ラミスさんは『世界がもし100人の村だったら』の監修者として有名な方です。「九条」を持つ国の国際貢献とは?…というタイトルでの話はすべて流暢な日本語ですすめられました。
 『世界がもし100人の村だったら』は平和や貧困問題などをものすごくわかりやすく世界に伝えた名著です。監修者であったダグラス・ラミスさんがどんな内容で、わかりやすく話をしてくださるのか楽しみにしていました。
 話の中で感心したことの1つは、日本が日米安保条約にしばられていることを踏まえたうえで発言されていたことでした。「アメリカがどこかと戦争をすれば、日本はその国と戦争をしなければならなくなる。日米安保があるかぎり国際貢献はできない」という発言はその典型です。また、アメリカのオバマ政権について、「先制攻撃の『権利』をやめていない」とのべるなど冷静に見ているのにも感心しました。
 ダグラス・ラミスさんは現在沖縄県在住です。日米安保の矛盾の集中点である沖縄から憲法9条や平和の問題をどう考えるかという視点は重要だと思いました。そして、最後に、「自衛隊が軍隊として誰ひとり殺していないことはすごいこと。戦後、日本国民が9条を守り続けてきたことは歴史上すごいことだ」と語りました。9条を守る活動の大切さを再確認できた、いい講演でした。


2009年05月09日

田植え本格化

 朝早くから「しんぶん赤旗」日曜版の配達でした。田植えが本格的に始まったので、きょうは、自分の配達区域の一部とふだんは他の配達員が配達している区域も配りました。朝早くからにもかかわらず、私の顔を見て、声をかけてきてくださる方が何人もいました。特に、きょう配達を代わった区域が多かったですね。「めずらしいねぇ、本人直々に来てくんなったなんて」といった調子の挨拶から始まって、先週号の市政レポートの復興基金のことや路線バスの変更、父のことなど次々に出てきます。配達を代わった区域の部数はわずか20部ほどなのに、配達終了までなんと2時間もかかりました。
 市政レポート1396号を掲載しました。市政レポートは来月の7日号で1400号になります。長年手書きで協力してくれた池田さんをはじめ、多くの皆さんの支えがあったからこそ1400号に到達できます。記念に、6月議会終了後、ささやかな祝賀会を行おうと思っています。この調子でいくと、今任期中に1500号に到達します。


2009年05月08日

もう1か月

 父が旅立ったのは先月の8日のことでした。あれからもう1か月も経ったんですね。時の流れは本当に早いと感じます。
 人間の気持ちというものは簡単に切り替えができないのでしょうか、いまだに父が死んだとは思えません。父が入院していた当時、市役所の行き帰りに病院へ立ち寄ってきました。それが1年4か月続いたこともあってか、何となく病院へ行きたくなります。病院へ行けば、父に会えるような気がするのです。
 一番さびしがるかなと思っていた母は元気です。毎日のように畑仕事に精を出す。山へ山菜採りに行く。お茶飲みに出かける。以前とまったく変わらぬ生活をしています。父に「早く帰ってこいや」と叱られないですむので、暗くなるまで外に出ていて、家族に気をもませています。

 さて、きょうは市議会の中山間地対策特別委員会でした。市役所の調査報告書、食料・農業・農村議員連盟の提言、特別委員会での調査と議論の3つを対比した一覧表をもとにして、委員会メンバーだけで課題整理をしました。
 一覧表は正副委員長が作成したといいます。こういう表があると、議論不足の分野、項目などが明らかになって便利ですね。きょうの委員会では、雪への対応、住民の健康維持、移動手段の確保、集落機能維持などの課題整理の中で「まだ不足しているところがあったらぜひ発言を」という委員長からの要請があり、これを受けて活発な発言が相次ぎました。
 私が発言したのは、冬期保安要員制度の維持と充実、拡大の必要性、保健師などによる保健集会の継続、防災・安全確保のための緊急通報装置、若者定住対策の強化についてでした。このうち、冬期保安要員制度関連では、「高齢化が進み、木戸先除雪などのへの援助が求められている」と発言したところ、「市道などから入った木戸先や民家周囲の除雪で人手が足りない」など他の委員の発言が続きました。また、合併後の過疎地の人口減対策は各区(旧町村)ごとの若者定住対策が必要ではないかとの私の指摘に、「合併して一番頭の痛いところだ」などと関連発言がいくつも出ました。
 次回の委員会では、きょうの議論を踏まえてさらに踏み込んだ課題整理と具体的な対策を話し合うことにしています。


2009年05月07日

野の花を食べて味わう

 いま山の木々で白い花を咲かせているのはウワミズザクラ(画像)です。私たちのところでは杏仁子(あんにんご)とも呼んでいます。昨日の囲む会への行き帰り、車中で、この花のことが話題になりました。サクラという名前が付いているけれども花の形は他のサクラとまったく違う。若い花穂と未熟の実を塩漬にして食べた時の味は格別だなどという話が出ました。毎年塩漬けにしているというAさんは、「早すぎても遅すぎてもいけない。適期は数日」と未熟の実を採るタイミングのむずかしさを言っておられました。私が塩漬けにした未熟の実を初めて食べたのは数年前、長岡市小国町法末の宿泊施設でのことでした。塩漬けにしたものを巻いた白いおにぎりは美味しかった。
 この時期の野の花で食べて美味しいのは、ウワミズザクラだけではありません。フジの花の酢もの、ニセアカシアの花の天ぷらもいいですよ。今年は自分でウワミズザクラの塩漬けとニセアカシアの天ぷらに挑戦してみようと思います。
 きょうは本当の連休明け。休み中に溜まった雑用の処理と生活相談で忙しい日となりました。午後の時間帯では議員自己改革勉強会もありました。議員間討議をどうすすめていくかをめぐって賑やかな議論となりました。
 


2009年05月06日

連休最後の日

 私の携帯電話のカレンダーでは、きょうの日は黒い数字となっています。つまり、休みではないのです。この誤りに気付いたのは昨日でした。「ほら、カレンダーを見てみなさいよ。ちゃんと赤になっているわよ」と妻に言われるまで平日だと思い込んでいたのですからどうしようもありません。
 いうまでもなく、私のスケジュールでは、休み明けの日程を入れていました。ポスター貼り、草刈、懇談会など。
 ポスター貼りは連休前にやるべき仕事でした。都合で延び延びとなっていたものです。枚数は10数枚でしかないのですが、一軒一軒、改めて承諾をもらいながら作業を進めましたので、いろいろな話が出て2時間近くもかかりました。意外だったのは、田んぼの水についてです。今年は雪が少なかったことから、水が足りないと思っていたのですが、ある地域で、「今年は昨年よりも川の水が流れていて助かる」という声を聞きました。一方、山間部では水不足を心配して早めに田植えをしているところもありました。
 「橋爪法一を囲む会」では、昨年の改選後の市政の課題と議会活動について30分くらい報告し、懇談しました。話題はどうしても新しい情報にもとづくものが中心になります。7月から予定されているデマンドバスや中越沖地震における神社の被害などについて質問がいくつも出ました。県道や市道の修繕が遅いのでなんとかしてほしい、などの要望も寄せられました。
 懇談会終了後、農道や畑の草刈りをしました。約1時間の労働です。気分は最高。暑くなって、半袖シャツ1枚になって作業を進めました。牛の乳を搾りながら町議をやっていたとき、「体を動かす労働で半日、机に座って仕事をするので半日」のときが一番体調がいいと感じていました。もっと体を動かす時間を増やしたいものです。


2009年05月05日

直江津空襲と平和を考える集い

 黒井公園での平和の集いに久しぶりに参加してきました。おそらく10年ぶりくらいでしょう。1945年(昭和20年)5月5日の直江津空襲で米軍のB29は信越化学直江津工場を爆撃目標としました。爆弾は目標をはずれ、黒井公園近くに落ちて3人が犠牲になりました。この集いは直江津空襲に思いを馳せ、犠牲者の鎮魂と平和を考えることを目的に開かれているものです。会場では小さな鯉のぼりが風を吸いこんで元気に泳いでいました。

 集いは地元でこの集いを中心になって準備してきた関川幹雄さんの挨拶からはじまり、児童文学作家の杉みき子さんの講演、地元詩吟愛好会のみなさんによる吟詠、参加者による戦争体験と平和の訴えと続きました。吟詠中、同じ愛好会の方と思われる女性が白い大洋紙に見事な水墨画を描くという感動の場面もありました。

 きょうの集いでは女性の皆さんが何人も発言され、心に残りました。女性の平和を求める思いの強さを感じましたね。

 発言者のひとり、関口サトノさんは90歳、張りのある若々しい声で、「女性に徴兵制が適用されなかったから生き延びてきた。夫は戦友に妻子を頼むという言葉を残しシベリアで亡くなった。私には同級生に20人の男性がいたが17人戦死した。男性はありったけ犠牲になった。私は満洲から引き上げてきて荒れ野原となった日本の国土を眺めてどうやって生きるべきかを考え、二度と戦争をしてはならないと大決心をした。精一杯、平和のために頑張りたい。助けて下さい」と訴えました(画像)

 また、爆弾投下の際、信越化学直江津工場で働いていたという大潟区在住の女性が投下された時の模様やその後どうしたかなどを明らかにし、注目されました。この方は、「会社で石灰窒素の袋詰めをしていた。防空壕掘りもしていた。お弁当を開こうとしたその時に爆風を浴びた。窓が破れたすごい電車に石灰窒素を浴びた汚い顔で乗って、みんなで泣きながら家に向かった。一緒に乗っていた都会の人が『泣いたってだめなんだよ。みんなが頑張ったんだからしょうがないんだよ。都会ではみんなが体験しているんだよ』となぐさめてくれた。(電車から降りてから)家に帰らずに担任の先生の所へ行った。担任の先生は瓦の破片を見せ、おい、みんな、いまこの爆弾がおったんだぞと教えてくれた。いま考えると平和っていいですね。体験があるからこそ二度と戦争はいやですね。平和を守っていきたい。来年も来たくなりました」と語りました。これまで黙って我慢していたことを一気に語り始めた、そんな感じの語りに圧倒されました。
 
 きょうの集いには日本共産党上越市議団全員が参加しました。他会派からは地元の佐藤敏議員も参加されていました。憲法を改悪しようという動きが強まっている中で、こうした平和を求める運動が静かに広まっていく、とてもいいことです。私もがんばらなくては。


2009年05月04日

下見

 妻と一緒に大島区、さらに十日町市松之山温泉へと出かけてきました。大島区は板山です。昨日、相模原市から従兄がわが家にやってきて、母を励ましていってくれました。そのお礼として母が竹の子の煮物を作ったとかで、それを従兄の実家まで届けに行きました。幸い従兄夫婦がいて、楽しいおしゃべりをしてきました。従兄からは少年時代にわが家まで柿もぎに来て、「柿を背負って帰ろうとしたが、真っ暗になってしまい、たいへんだった。その当時の歩いたルートを知りたい」という話がありました。私もそうですが、少年時代の思い出は探りたくなるものなのでしょうか。板山の伯母は山の根曲がり竹の子の皮むきをしていました(画像)。とても元気でいいやんべです。
 
 松之山は下見です。じつは、柏崎の義父を温泉に招待し、温泉付きの部屋に泊まってもらおうという話を妻のキョウダイなどとしています。「普通の温泉では体力的に無理だから、宿泊する部屋に温泉風呂があるといいね」ということになり、調べたところ、松之山温泉にそういう部屋があることが分かりました。
 
 きょうは松之山温泉の駐車場に車を止め、そのホテルに行きました。ちょうどお客さんが帰って部屋の掃除をする時間帯でしたが、女将さんが気持ちよく案内してくださいました。インターネットで調べた時に感じた以上に落ち着いていて、くつろげるいい部屋だと思いました。部屋には露天風呂がついていて、そこからは芽吹いて間もない木々が見え、小さな川の流れもあります。小鳥たちの声も聞こえてきました。これなら満足してもらえるでしょう。
 
 連休中とあって、きょうは温泉も食堂もいっぱいでした。お昼を大山温泉でと思っていたのですが、ここも満席でした。結局、お昼過ぎにわが家に帰って食事をし、テレビを楽しみました。映画、「おしゃれ泥棒」は初めて観ました。衛星放送は時々いい番組をみせてくれますね。

 そうだ。ひとつ書き忘れました。きょうの「しんぶん赤旗」日刊紙の「本と話題」欄に学生時代からの友人、弁護士の毛利正道著『平和的生存権と生存権が繋がる日 イラク派兵違憲判決から』(合同出版。1500円)が載っていました。「憲法を学ぶ」と題して取り上がられた何冊かの中でトップで紹介されています。そこでは、同書について、「同判決(昨年4月、名古屋高等裁判所が、自衛隊のイラク派兵を憲法違反と断じた判決)の画期的意義を力強く解き明かします。政府見解にもとづいて違憲性を認定したことが、政府に衝撃を与えていること。平和的生存権について、裁判所に法的措置を請求できる「具体的権利性」をもつ場合があるとしたことが、今後の運動に大きな力となること…。弁護士としての裁判経験にもとづいた説明は説得力があります」と高く評価されています。毛利弁護士のこれまでの本もそうですが、切り口の良さと多くの講演できたえた分かりやすさがこの本でも発揮されています。まだお読みでない方はぜひお求めください。


2009年05月03日

連休中に読みたい本

 2冊の本をこのほど入手しました。1冊は『赤倉ホテルのおばあちゃん』(古海法雲著・法藏館)、もう1冊は『山からの伝言』(最上一平著・新日本出版社)です。
 2冊とも今回の連休中に読みたいと思っていたのですが、古海さんの本は一気に読了しました。古海さんは先日の「宗教人と日本共産党との懇談会」の呼びかけ人のひとりです。壇づとめにこられた専徳寺の住職から、「古海さんは多方面で活躍されていて、上越では有名人ですよ」という話もお聴きしていました。あるところでこの本を見かけ、パラパラとめくり始めたところ、吉川区尾神岳(おかみだけ)の麓で明治16年3月に発生した雪崩事故のことが書かれていたのでびっくり。買い求めてすぐに読み始めました。伊藤ショウという一人の女性の歩みを通じて浄土真宗の教えについてわかりやすく書いてあるだけでなく、上越市や妙高市のいくつかのお寺が登場してきて、親鸞上陸の地であるこの上越がぐっと身近に感じられるようになりました。
 最上一平の本は『ぬくい山のきつね』(新日本出版社)が私が出合った最初の本です。私と心の波長がピタリ合う児童文学作家だと知り、新刊を楽しみにしていました。『山からの伝言』は今年の3月に出たばかりの本です。私が少年時代に経験した小正月などの行事や遊びが次々と出てきます。小正月の「成る木ぜめ」(柿や栗など実の成る木をナタなどで傷をつけ、いっぱい実をつけるよう祈る行事)など山形県でもあったんですね。まだ半分くらいしか読んでいませんが、先を越されたなと思いました。じつは私も同じようなことを子供向けの本にしたいと思っていたからです。じっくり読んで、私なりに伝えたいこととどこまで重なっているのか、探ってみたいと思っています。
 きょうは憲法記念日、党地区委員会の大型宣伝カーを借りて、上野公悦議員とともに頸城区、吉川区で街宣活動をしました。「憲法を守れ、暮らしに生かそう」と訴えましたが、田畑で働く人たちが次々と大きくてをふってくださるので、元気が出ます。


2009年05月02日

全段広告

 きょうの朝日新聞などに㈱NTTドコモが全段広告を載せました。「積極的に守り、築く、ケイタイの安心・安全」をテーマにNTTドコモの取締役執行委員 社会環境推進部長の中村克央氏とキャスターの木場弘子さんが対談したものが載っています。事業者としてケイタイの「安心・安全」をどう考えているのかを知るにはわかりやすい対談です。中村氏は上越市吉川区の出身。父親である中村市兵衛先生の次男で優秀な方だと聞いていました。大企業の宣伝とはいえ、郷土出身の知っている人が出てこられると、うれしくなります。
 紙面1ページすべてを使った全段広告は全国版なら四桁のお金がかかるはず。これをいくつかの全国紙に掲載するというのですから、金がなければできることではありません。そんなことを考えていたら、日本共産党中央委員会から地区委員会経由でファックスが届きました。明日の読売新聞に憲法記念日に合わせた全段広告を掲載するというのです。ドコモのように数紙に掲載とはいかず、一紙だけですが、それにしても党中央も思い切ったことをやるものです。具体的な内容はまだ分かりません。でも、明日の憲法記念日の宣伝で活用するビラの版下が届いていますので、おそらくこれとほぼ同じものとなるでしょう。明日の朝刊が楽しみです。
 きょうは山間部で約3時間かけて市政レポートの配布活動をしました。久しぶりに会った人も多く、父のことなどで話をしながらの配布となりました。まわりの山々の緑がきれいでしたね。


2009年05月01日

メーデーの日に

 地区労連のメーデー集会に参加してきました。きょうは五月晴れでまさにメーデー日和でした。メーデーは今回で80回目だそうです。上越地区の集会では、120人を超える人たちが高田の雁木通りプラザに集い、決意を新たにし、そしてデモ行進(画像)をして気勢をあげました。
 挨拶や決意表明などで目立ったのは「非正規労働者」「派遣切り」「雇用崩壊」、昨今の情勢を反映した言葉でした。デモ行進をしていた時のこと、高田駅前で茶髪の青年が行進をしている人たちにハイタッチを求めてきました。また、第四銀行の新築現場では仕事中の若い労働者がこちらのシュプレヒコールに合わせてコブシを空に突き上げています。小さな出来事に見えるかも知れませんが、若い人たちの変化を求める気持ちが高まっているなと感じました。
 集会が始まる前、時間があったので、雁木通りプラザの7階まで上がって景色を楽しんでいたら、管理人さんがやってきて、「屋上に上がりませんか。(閉まっていたドアを)開けますよ」と誘われました。
 屋上からは高田の町並みはもちろんのこと、直江津も、遠くの山々も見えました。四方を眺める時の案内板(画像・左の山が尾神岳)には山々の名前も入っていて、ベリーグッドでした。案内板の下の方には、東京、名古屋だけでなく、ニューヨーク、ワシントンまで矢印とともに書いてあります。どなたが作成したのかな、やりますねぇ。
 管理人さんは戸野目出身の人とか。私と同じく真宗大谷派の人で、東本願寺のことや昔の市のこと、中心市街地活性化のことなどたくさん話をしました。


2009年05月投稿分

2009年05月に投稿された全てです。

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