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2004年08月投稿分

2004年08月31日

住んでいるところが無くなるわけではない

 上越地域14市町村の合併は来年1月1日となっていますが、関係市町村の通常の議員選挙は、きょう告示された三和村の議員選挙が最後となります。任期は3ヶ月あまり。確かに任期は短いですが、これから市町村間協議を行う地域自治組織をどうするのか、今後の村づくりをどうしていくのかなどについて大いに議論していく必要があります。ところが、候補者カーを出さない人が殆どで、ポスターを貼らない候補者も何人かいました。これではさみしいですね。というより情けない。
 この点、橋本陣営は誠実でした。事前に全戸を対象にした住民アンケートを取り、住民要望を聞き、公約をまとめ、チラシで宣伝する、街頭からも訴える、このごく当たり前のことを今回の選挙戦でも貫きました。橋本候補とともに出陣式で訴えた関口荘六元村長の「たとえ合併しても私たちの住んでいるところが無くなるわけではありません。住むところがあるかぎり、どのようにして住みよいふるさとにしていくかが問われています」という言葉が胸を打ちました。
 夕方、選挙戦は無競争が確定し、橋本さんの五選が決まりました。じつは、上越地域14市町村内での議員の選挙は、もう1つあります。来月7日告示の大潟町の補欠選挙です。きょう、三和村へ応援にやってきた大潟町の人が、「ひょっとしたらまたポスター作ってもらわなきゃならないかも……」と私に声をかけてきました。おそらく、地元支部で検討中なのでしょう。ポスター作成の手伝いがあればうれしいのですが、期待したいと思います。


2004年08月30日

第2回中央委員会総会

 きょうは、ぜひ読んでみたいと思っていた文書を読みました。26日、27日と開催された日本共産党の第2回中央委員会総会の決定です。先の参院選の結果をどう総括しているのか、これからの党活動をどう展望しているのか、ここ2か月ほどずっと待っていました。決定文書は草津温泉に出かけた28日付と29日付の「しんぶん赤旗」に全文が掲載されたのですが、読む時間がなく、きょうになりました。
 午後から一気に読んでまず感じたことは、支部段階からの選挙結果に対するさまざまな声をよく拾い上げているということでした。「二大政党づくり」は昨年の衆院選挙の時より弱まって、色あせてきているという情勢認識の甘さがあったのではないか。政策はたしかに良かったが、ポスター、チラシなどの宣伝物が有権者の心をとらえていなかった。こういったことは支部や地区委員会の会議などでたくさん出ていましたが、それらの一つひとつを分析し、総括に取り入れていたので、ホッとしました。
 今回の文書は、今後、日本共産党が生き残って、国民の党として発展できるかどうかがかかっているものです。「二大政党づくり」がますます強まるなかで、日本共産党の値打ちをどう発揮していくか、支部の仲間たちとしっかり読んで、支部計画をつくっていきたいと思います。
 「春よ来い」の第26回、「尾神岳で遊ぶ」を掲載しました。ご覧ください。


2004年08月29日

福祉型宿泊施設

 毎年8月の最終土日は温泉に行き、楽しいひと時を。妻の実家の親戚の人たちが毎年取り組んでいる親睦旅行に参加してきました。今年で4回目。私はこれまで搾乳をしていたので泊りがけの参加はできなかったのですが、搾乳をやめて和牛の繁殖だけにしたいまは公の会議などがなければ可能となりました。というわけで、今回は初めて泊りがけで参加しました。
 場所は草津の「かんぽの宿」。新潟勢と川崎勢が20数人集まって、一緒に風呂に入り、酒を飲み、語る。とても楽しい時間を過ごすことができました。川崎勢のほとんどは子ども時代、新潟の農村での生活体験があります。お盆などの思い出話で盛り上がりました。一晩泊まって、これはいいなと感心したのは、バリアフリーに意識的に取り組んでいる施設だということです。いたるところに手すりがあり、風呂も、部屋も障害を持った人が使える工夫がしてありました。これからの宿泊施設はこうなるのでしょうね。
 参加者の一人に妻の伯母にあたるミサヲさんの姿がありました。現在、特別養護老人ホームに入居しているとのことですが、正月とこの旅行だけはホームから離れて家族などと交流できるとあって、とても楽しみにしておられます。移動もお風呂も何人かも人たちが手伝います。そういうなかで、終始笑顔でみんなと懐かしそうに語り合うミサヲさん、「また、来年も旅行をしようね」と言う言葉が印象に残りました。年をとっても、障害をもっても、みんなが助け合い、旅行に参加できる、とても大事なことだと思いました。
 今回の旅行の手配から宴会の進行役まで、何から何まで中心になって頑張ってくれたのは妻の従兄にあたるMさん(写真後列右端)。新潟大学教授だった古厩忠夫さんとそっくりの人です。がんと闘いながらも、今回の旅行を成功させようと早くから準備をしてくれました。Mさんから、来年は手伝ってくれないか、と頼まれましたので、手伝う約束をしました。


2004年08月27日

県町村議長会主催の研修会

 新潟市で開かれた県町村議長会主催の研修会に参加してきました。多くの町村議員がバスで会場に行きますが、当町の場合もマイクロバスに乗っての参加です。高速道路を走って目に入ったのは稲、穂の色が白っぽく見えるところがかなりありました。これは明らかに台風15号の熱風によってやられたものです。大型の台風16号も北上を続けており、今後、新潟県に接近するかどうか、心配になってきました。
 研修会は新潟県知事とテレビ朝日ニュースコメンテーターの講演です。知事は来月の知事選不出馬を明らかにしています。自らの失政による財政破綻のなかで自信を無くし、オール与党体制も崩れ始めての決断だと思いますが、知事は、「やめる理由として気力をなくしたからだと言ったが、本当は気力がある」と発言。そのうえで、今後の新潟県について語り始めたものの、たんたんとしていて内容は無し。聞くに堪えないものでした。コメンテーターについては、ニュースステーションに出演していた人なので期待していたのですが、こちらの話も週刊誌なみの軽い話で、がっかりでした。
 明日、明後日は妻の実家及び親戚の人たちと群馬県へ行ってきます。義父らの呼びかけによる親睦旅行です。温泉につかり、ゆっくり語り合う時間をつくれれば、と楽しみにしています。というわけで、明日の「見てある記」は休みます。


2004年08月26日

稲刈り始まる

 まだ早すぎると思っていたのですが、役場近くの田んぼで稲刈りが始まりました。関係者の話では、きょうは農協のカントリーエレベーター試運転の日とのこと、おそらくはそれに合わせたのでしょう。人が刈っているとなれば負けてはいられない、というのが百姓気質です。次の土日には、かなりの人たちが稲刈りをスタートさせるかもしれません。
 こちらは町政レポートづくりをして、その後は「しんぶん赤旗」の配達・集金でした。ある読者のところで憲法改悪のことが話題になりました。この方は、1945年1月に出征されたAさん、町教育委員会がまとめた『語り継ぐ戦争体験文集』には出征の日の感動的な思い出を書いておられます。「憲法9条をなくしたら、とんでもないことになる。もし、何か運動するのであれば声をかけてほしい」とAさんは語ります。来週には、地元紙へ意見広告を載せる運動に協力してもらおうと思っています。


2004年08月25日

久々に合併問題特別委員会

 昨日、「気がかりは今後の天候」と書きましたが、昨日からかなり強い雨がところどころであり、稲の姿も変わりました。倒伏した稲が目立ち始めてきたのです。困ったものです。
 きょうは町議会市町村合併問題特別委員会でした。前にも書いたように関係市町村間で協議すべき重要事項がまだいくつも残されているし、合併に向けて町として整理しなければならない課題もある。というわけで、合併問題特別委員会はまだまだ続けなければなりません。今回のテーマは3つ。①地域自治組織についての市町村間協議にどうのぞむか、②新市建設計画に登載された地域事業のうち、来年度に取り組みを予定しているコミュニティプラザ整備とケーブルテレビ施設整備、これをどうすすめるか、それに③町有財産管理でした。
 地域自治組織について説明にあたった町側は、「地域自治区」しか頭にないらしく、今回は「合併特例区」についてほとんど説明も資料もなし。まず5年は「合併特例区」でいって、その後は「地域自治区」にできないかという提案に対しても理論的には認めたものの、実現の可能性は少ないとの答弁でした。少しでも住民と地域に役立つものに、という立場でもっと研究する必要があると思います。
 コミュニティプラザ整備事業は、いまの役場庁舎を支所ならびに地域づくり活動の拠点として整備するもの。役場内で検討をすすめてきた案が示されました。町づくり会議の事務所、図書館、ミニコンサート、ミニシアターホールなどのほか、手芸、工芸の創作室、展示発表室も提案されています。今後、地域づくり組織などで大いに議論してもらいたいものです。
 稲の穂も色づき始めてきたので、トップページの尾神岳の写真、入れ替えました。


2004年08月24日

作況調査

 農業委員会定例会が開催されました。議案はわずか1件。定例会後は恒例となっている作況調査です。これは稲刈り前に稲の作況がどうなっているのか調査するのが主たる目的ですが、ここ数年は転作作物、野菜などについても見て回るようになっています。
 今年の稲は、高温が続いたものの、昨年を上回る収穫がありそうです。委員の中には、「1俵(60キロ)は多いな」という人も。ただ気がかりは今後の天候です。雨が続くと、田んぼの稲が次々と倒伏することがまちがいない状況です。一部には、まだ穂が色づかない段階なのに、倒伏が始まっているものも見うけられました。
 農家の生産意欲は落ち込むばかりと思っていましたが、きょうの調査で意欲を持ち、新たな挑戦をしている人たちがいることを知り、励まされました。1つは大乗寺生産組合の山芋栽培。ここでは赤土だけでなく、もみがら、クンタンを使った場合に生育がどうなるかの栽培試験まで取り組んでいました。もう1つは河沢の江村一郎さんのイチジクの露地栽培です。苗木を植えてから3年が経過し、収穫が始まろうかというところでした。おそらくは初めての栽培だと思いますが、仕立てもしっかりしていて、いちじくの実もたくさん付いていました。近くの河沢農産物直売所に並んだら、ぜひ食べてみたい。
 夜、朗読活動を続けている小田順子さんと電話で話をしました。きょう、大島村旭地区で取り組んだ朗読会には、50人もの人たちが参加してくれたとのこと。絵本や郷土の文学の朗読をどう聴いたか、参加者の声をぜひ聞きたいものです。きょうの会の成功は、内山愛治村議をはじめ地元の人たちがしっかりと準備してくれたおかげです。


2004年08月23日

カラオケ・ゲーム大会

 きょうは地元集落の祭りでした。昼間は生活相談などで役場、弁護士事務所に出かけたので、今年の祭りの参加は夜だけとなりました。夜は恒例となっているカラオケ・ゲーム大会です。数年前までは一年の間に数回はやっていたカラオケも、最近はさっぱり。歌いこんでいない時には、これまで最も歌ってきた歌を、と決めて参加したのですが、残念なことにその歌、「青春時代」はありませんでした。それで今回のカラオケ大会では、酒を飲み、人の歌を聴くことに徹しました。それじゃ、つまらなかっただろうと思われるでしょうが、収穫がありました。私でも歌えそうな楽しい曲をひとつ見つけたからです。歌のタイトルはいまのところ秘密にしておきましょう。歌いだしは、「○○の降る夜はあなたと…」です。
 そうそう、昼間のことでひとつ書き忘れました。弁護士事務所からの帰り道、「合併問題を考える頸北議員の会」の小関信夫代表などと久しぶりに会いました。廃置分合議決後のそれぞれの町の動き、地域自治組織に関する市町村間協議の行方、県知事選挙の情勢などについて語り合いました。今月は日程がびっしりなので動きがとれませんが、来月に入ったら、頸北議員の会を開くことで合意しました。また、この時にはみんなで懇親会もやることにしました。合併慎重派の議員も、一時は落ち込んでいた感じでしたが、時間が経つなかで、元気を取り戻しつつあります。


2004年08月22日

野菜などに脱水症状

 朝晩だけでなく日中も涼しくなりました。これまで外に出る時にはタオルを必ずもったものですが、もうタオル無しでもいいようです。きょうは代石集落のお宮さん掃除がありました。明日の祭りの前にきれいにしようと各戸から1名ずつ出て、草刈り、ごみ集めをやりました。わずか30分の掃除ですが、広場や参道が生まれ変わりました。とくに参道は緑色のコケが広がっているのが分かるようになり、何人もの人が「いいもんだねぇ」と言っていました。
 午前は、昨日残った「しんぶん赤旗」の配達と集金でした。昨日、きょうと動き、読者の皆さんから出た話で一番多かったのは、19日から20日にかけて吹いた台風の影響です。畑のキュウリ、ナスなどは熱風が吹きまくったために脱水症状を起こし、今後の収穫は望めないという人がかなりいました。きょうまで知らなかったのですが、稲の中にも風の影響で色が変わり始めたものがあるとのことでした。これ以上、台風がやってこないことを祈りたいと思います。
 午後からゆっくり休もうと思っていたら、お昼休みに新井市議だった霜鳥さんから携帯にメールがありました。三和村の議員選挙に出馬予定の橋本正幸さんのポスターを作製してほしいという要請です。それで橋本さんのところへ出かけて写真撮影、その後は大潟町の南部堂(上野頸城村議経営のギフトショップ)に行って作業をすすめました。写真はA3にまで伸ばしたので、いまひとつですが、本人の真面目な性格が出た、まずまずのポスターになりました。


2004年08月21日

地域への誓い

 一昨日の佐賀県知事の講演の中で一番おいしい部分は、(全国知事会の話ではなくて)地域、地方の魅力をどう生かすかだった、という人が何人もいました。この部分は、講演の最後の15分のところだったらしい。じつは、この「最もおいしい部分」のところは、疲れがたまっていたのでしょう、不覚にも眠ってしまったのです。どんな話だったのかと気になっていたのですが、「しんぶん赤旗」日曜版を配達していたら、ある議員が「地域への誓い」というタイトルが付いた、詩のような宣言文を見せてくれました。
 「わたしたちが住んでいるこの地域(ふるさと)は わたしたちが良くすることも 悪くすることもできる」「もし この地域(ふるさと)を良くしたいと思っているならば 今すぐ始めたらどうだろう」「王貞治は868本のホームランを打ったが1319回三振した」「少しずつ 少しずつでいい ポコ・ア・ポコ 地域(ふるさと)のことを考えよう 好きになろう そして行動しよう」。読んで、すぐに、あっ、これだ、と思いました。合併が決まってさみしい思いをしている議員の胸を打ったのは……。さあ、元気をだしてがんばろうよ、と、手を引いてくれるような素敵な言葉に私も感動しました。
 夕方、家に戻ってから、さっそくパソコンを立ち上げ、「地域への誓い」を検索しました。古川知事の「地方の魅力をどう生かすか」という文章の最後の部分に「地域への誓い」という宣言が載っています。もちろん、もう一度、読みました。今度は、バックグラウンドミュージックとして流れる「明日に架ける橋」を聴きながら。二日遅れでたどり着いた「おいしい部分」を読みながら感じたのは、思想・信条の異なるこのような人とも一致点で共同できる日本共産党の活動家でありたい、ということでした。より良い地域づくりをめざしておられるみなさん、ぜひ、一度読んでみてください。


2004年08月20日

町村議員特別セミナー

 バスに乗って聴きに行ってきた全国町村議員特別セミナーは、とても興味深いものでした。特に昨日の2人の講演が面白かったです。
 岩手県滝沢村は全国で一番人口の多い(5万2000人)村ですが、柳村村長が語った自治体経営論はこれからの自治をどうつくっていくか、考えさせられるものでした。住民が主体となって地域の公共的な課題に取り組んでいく社会づくりが重要になっていくこと、行政は自律した住民の支援者であり、「顧客本位」の行政組織が求められているなどとして経営論を体系化しているのは新鮮でした。また、いま進められている市町村合併には誰が主役の合併なのか見えないとの指摘には共感を覚えました。その一方で、気になったこともあります。「住民本位」という言葉を使わず「顧客本位」という言葉を用いていること、それから議会のチェック機能にはほとんど言及せずに、「議会はもっと行政の応援をしてほしい」と述べられたことなどです。住民が主役のむらづくりをめざすなら、住民代表の議会の役割についてももう少し踏み込んで話をしてほしい、と思いました。
 二番手の古川康佐賀県知事。お笑いの吉本から来たのかと思わせるほどユーモアたっぷりの話ぶりには、こういうタイプの知事もいるのかと驚きました。もう少し話すスピードを落とし、間のとり方を学べば、もっと聴きやすいと思います。さて、この人の話で勉強になったのは、全国知事会の動きです。ちょうど三位一体改革をめぐって、知事会ですごく活発な議論が行われた直後ということもあって、生々しい話でした。田中長野県知事、片山鳥取県知事などが登場してから、知事会が〝闘う知事会〟へと変わり、多くの知事がそれぞれの見解を語り、議論し合うようになった。今回も義務教育費国庫負担金をめぐって激しい議論が展開された。結果的には、多数決によって、残念ながら、義務教育費国庫負担金削減の方向で知事会の方針が決まったとのことですが、自治省(当時)の方ばかり向いていて、「従順だった」、かつての知事会が、地方分権の時代にふさわしく変わりつつあることはとてもいいことです。
 夜、大潟町のある議員から電話がありました。きょうの臨時議会で日本共産党の後藤紀一議員が議長になったというのです。後藤議員が議長になるかもしれないという話は、3日の議長会主催の研修会の際、大潟町の保守系議員から聞いていたのですが、それが現実になるとは思いませんでした。しかも最後は抽選で決まったという話でした。市町村合併問題で熱い議論が続いた大潟町議会で、合併慎重派の、しかも日本共産党の議員が議長になったというのはすごいことです。さっそく明日の朝、後藤議員に「おめでとう」の電話をしたいと思います。


2004年08月18日

町政レポート作成

 明日、明後日と滋賀県大津市にある全国市町村国際文化研修所に出かけてきます。これは同所で行われる特別セミナーに、町議会の常任委員会研修の一環として参加するためです。佐賀県知事や岩手県滝沢村の村長など4人の講演がその内容です。朝早くからバスに乗って行くので、睡魔に襲われなければいいのですが……。目の覚めるような話を期待しています。
 研修参加に伴い、きょうは、いつもなら木曜日にやる仕事を前倒して行いました。主なものは町政レポート作成です。臨時議会、合併問題特別委員会、成人式のことなどを書きました。ついでに、これらの内容をホームページにも載せました。研修から帰った後の2日間は「しんぶん赤旗」日曜版の配達だけで精一杯となるだろうから、これも前倒しです。
 「春よ来い」の第25回「トコロテン」を掲載しました。8日付け町政レポートに書いたものに加筆しました。ごらんください。


2004年08月17日

体操日本復活

 観はじめれば仕事にならない。そう思って、ここまでオリンピックはスポーツニュースでしか観なかったのですが、きょうは体操男子の戦いをVTRで観ました。金メダルを獲得したことはニュースで知っていましたが、そこで、最後の最後で逆転して優勝した、と報道されたので、どんな試合展開になったのか、観てみたくなったのです。観はじめたら、やめられません。最後に勝つことが分かっていながら、床から鉄棒までハラハラ、ドキドキしながら観ました。
 それでも町政レポートの片面分くらいは原稿書きをすることができました。毎回、原稿を書く時には、ある程度の資料をパソコンがおいてある部屋に持ち込んでいます。きょうは、それらの一部を整理しました。本当は盆前に一度整理するつもりでいながら、なかなか手をつけることができずにいたのです。もともと、こういうことは不得手なのですが、整理をするには思い切って捨てる(処分する)ことが肝心。月末の資源ごみ回収日にはいつもより多く出すことになりそうです。


2004年08月16日

秋の気配

 一昨日の雨で秋の気配が感じられるようになりました。きょうの明け方は寒く、毛布だけでなく、布団をかぶらないと寝られないほどでした。昼間のセミの声、ミンミンゼミも少なくなった感じがします。その代わり、きょうはツクツクボウシの鳴き声を今年初めて聞きました。わが家の近くで鳴くツクツクボウシの声は、いつものことながら、「チョコチョコイース、チョコチョコイース」と聞こえます。夜は虫たちの鳴き声が一段と賑やかになりました。
 きょうの午前は生活相談と盆礼で動きました。生活相談にはお盆も正月もありません。困った時に相談する、だから、こちらにはいつでも飛び込んできます。先の水害で田んぼがらみの被害がかなり発生しましたが、この種の相談は今回の水害では2件目です。午後は久しぶりに町政レポートの作成の準備をしました。「しんぶん赤旗」日曜版の15日号は8日号と合併で発行されたため、先週は作成を休みました。休むと書くことが溜まると思われるかもしれませんが、面白いもので、休んだ後の最初の号はなかなかとっかかりにくいのです。きょうもレイアウトを考え、ちょっぴり書いただけで終わりました。
 夜は友人とともに上越市に出かけてきました。1月に亡くなったYさんの新盆なので、お参りをしてきたのです。連れ合いの方は、貯金通帳など各種名義変更をやるなかで、人が亡くなるということがどういうことなのかよく分かった、とても寂しさを感じていると語っておられました。亡くなった方は吉川町出身、お墓は尾神岳に近い、専徳寺の境内にたてさせてもらったとのことでした。


2004年08月15日

きょうも尾神岳へ

 昨日とはちがって晴れ上がり、さわやかな風の吹く日となりました。朝は涼しいというより寒い感じがしましたね。午前中は盆礼まわり、午後は相模原市から同級生とその家族が帰省するというので、時間をとりました。その同級生はキヨコさん、尾神生まれ、尾神育ちです。30年ほど前に群馬県へ家族ぐるみで転出し、住んでいた家はよその人が買って住んでいます。でもふるさとは1つ、こころ休まる場所なので、最近は毎年のように尾神にやってきます。きょうは、キヨコさんがくるというので、私と同じく町内に残っている同級生のトラオくんにも声をかけ、尾神岳で楽しいひとときを過ごしました。
 天気が良かったので、きょうはパラグライダーが20~30機、青空の中を飛んでいて実に見事。尾神岳のパラグライダー基地周辺で離陸する模様を見たり、散策を楽しみました。パラの基地では3、4機が横並びで風を待ち、飛び立つためにいい風が日本海側から吹き上げてくると次々と離陸します。その様子を見ているパラの仲間とお盆のお客で基地周辺は車を駐車するのもやっとでした。こんなに混み合っている風景は久しぶりに見ました。
 パラの基地の近くでは、山野草も楽しめます。いまはオトコエシオトギリソウツリガネニンジンなどが咲いています。なかでもツリガネニンジンは見ごろ、長年地元に住んでいたキヨコさんのお袋さんも見たことがないとのことで、薄紫色の釣鐘の形をした花を見て感激していました。この様子は写真に撮りましたので、「しんぶん赤旗」日刊紙に載せてもらおうかと思っています。
 もう1つ、パラの基地周辺でお奨めポイントは遊歩道です。ここはいろんな昆虫もいる、山野草もあり、木の実もある、そして展望台からの眺望は正に絶景ときています。同級生が来れば、必ず案内する場所の1つになっています。昨年も同じ時期にここに来ていますが、今年はセミの鳴き声が全くしないので驚きました。鳴き声はウグイスのみ。それとナナカマド、昨年は紅葉していたのに、今回はまだ、これからでした。多分、猛暑の影響だと思います。きょうの収穫はツノハシバミの実を食べることができたこと。これは木の実のなかでも絶品、くせのない味で、歯ざわりもいいので、昔はため池で水泳をした時に仲間と食べたものです。


2004年08月14日

道理で…

 朝8時すぎに出発して妻の実家へ。海水浴シーズンなので、いつもなら海岸道路をさけて山の中の道を行くのですが、きょうは雨、久しぶりに海岸の見える道路を走りました。実家には、妻の姉夫婦、その長男夫婦と子どもたちが川崎市から来ていて、とても賑やかでした。そこでの主役はもちろん子どもたちです。まだよちよち歩きの叶(かなう)ちゃんがとてもかわいいので、だっこすると、じっとして喜んでいます。オレも子どもにはもてると自己満足してよく見たら、わたしのむねのポケットに入っていた携帯電話のストラップをいじっているではありませんか。道理で動かないわけだ。
 午後からは小中学生時代の同級生が連れ合いとともに尾神に来るというので、一緒に尾神岳に登りました。あいにくの雨でしたが、パノラマハウスで畳の上にすわって、アケビやサルナシなど野にある食べものの話で盛り上がりました。その後、ふもとのスカイトピア遊ランドでインスタントコーヒーを飲んで、ため池や川で遊んだ時のエピソードなどを語り合い、楽しみました。飲んだコーヒー、ちょっと面白い味がすると思ったら、お湯でなく、麦茶のなかにコーヒーを入れたことが後になって判明しました。道理で……。


2004年08月13日

50回目の成人式

 きょうからお盆。午前は町内の親戚を盆礼で回りました。今朝から感じていたのですが、やはり、お盆ともなると急に活気づきますね。長岡ナンバー以外の車も走って道路を走る車の数が多くなりますし、普段見たことの無い顔の人とも出会う。小さな町だから、こうした変化にはすぐ気づきます。
 さて、きょうは吉川町の第50回成人式でした。吉川町が誕生した1955年(昭和30年)から毎年取り組んできた成人式がこれだけ回を重ねたことは、すばらしいことです。式典には72人の対象者のうち60人ほどが参加しました。すっかり定着した来賓の一言メッセージでは、「子育ての素晴らしさを知ってほしい」「人間は毎日変わっていく。自らバカの壁をつくるな」などの言葉がならびました。
 お盆に成人式をやるようになって、これまで何回か参加してきましたが、珍しいことに、浴衣姿、ジーンズ姿の人は一人もいませんでした。皆で何を着て参加するか相談したのでしょうか。二十歳の男性諸氏のスーツ姿はばっちりきまっていましたね。また、女性の皆さんのさわやかな服装も気持ちよかった。
 さて、わが家ではきょうの成人式を緊張して迎えた者がいます。次男です。地元に住んでいる者で実行委員会を組織し、成人式、その後の茶話会をどうするか何回も話し合ってきましたが、次男はその実行委員長、昨日も夜遅くまで準備をしていたようです。茶話会が終了後、いったん、家に戻った次男が「どうだった?」ときいてきましたので、「よかったよ」と言うと、とてもうれしそうでした。
  
  


2004年08月12日

墓参りの準備

 午前は父と一緒に墓参りの準備をしました。わが家の先祖の墓は、22年前まで住んでいた尾神にあります。竹を切り、花を活けたり、線香、ロウソクをたてることができるようにしてきました。この作業を父と一緒にするのは初めてのような気がします。竹をノコギリで切る時、父は「このノコギリ、切れないなぁ」というので、代わってみると、スッ、スッと切れます。父の腕の力が衰えていることを知り、さみしく感じました。
 午後からはNPO法人設立の登記申請について手伝ってほしいと要請があり、くびき野NPOサポートセンターや新潟地方法務局上越支局へ出かけてきました。法務局で手続きについて教えてくださった職員さん、どこかで見たことがあるなぁ、と思ったら、30年ほど前にお世話になったKさんでした。こちらは名札を見てKさんだと確信したのですが、Kさんからは「橋爪さんですよね」と言われ、とても懐かしくなりました。
 懐かしいといえば、夕方、このホームページのトップの写真を入れ替えようと撮影していると、近くに住むYさんから「兄貴、来てますよ」と声をかけられました。家に寄せてもらうと、同級生のススム君がニコニコ顔で待っていてくれました。こちらも30年くらい会っていなかったのではないかなぁ。しっかり握手してから、お茶をご馳走になり、同級生の近況について教え合いました。思いがけない再会で心に温かいものが充満した一日でした。


2004年08月11日

稲の匂いがする

 朝、杉田さん宅に向かって歩きはじめた時のこと。青い空に白い雲が浮かんでいて、ミンミンゼミが盛んに鳴いています。夏なのに、ちょっぴり秋の涼しい風も吹きはじめた。そして、杉田さんの葬儀の看板がすくっと立っている。あれっ、この感じ、どこかで一度味わったことがあるな、と思いました。高畑勲監督のアニメ映画・「おもひでぽろぽろ」だったかな。これまで大勢の人を送ってきましたが、こんな景色のなかで送るのは初めてでした。
 初七日が終わって家に帰ったら、もう夕方でした。7時近くになって、「買い物に付き合わないか」と妻に誘われ、町に出かけてきました。お酒を飲んでいましたから運転は妻、助手席に私が座っていたのですが、窓から稲の匂いが流れ込んできました。これは実が熟しはじめて出る匂いです。一年ぶりに味わう懐かしい匂い、いよいよ収穫の秋がやってきます。このぶんだと、例年より数日早い稲刈り開始となるでしょう。


2004年08月10日

世話役

 杉田国平さんの通夜は今晩、葬儀・告別式は11日午前9時からと決まり、朝から杉田さん宅へ行きました。家内(やうち)、親戚で葬儀委員会のようなものをつくり世話役の仕事をしました。尾神集落は私が住んでいたころの半分以下に戸数が減っていて、杉田さん宅の家内もほとんどが上越市などに転出しています。でも、こうした事態には駆けつけて手伝いをすることに。改めて、家内という仕組みに注目しました。
 亡くなった国平さんの奥さんは、足が悪いものの健在です。きょうは国平さんの枕元にずっと付きっ切りでした。国平さんと親交のあった人たちが次々と来られるなかで、奥さんは夫との一緒の時間をつくり、来客と故人の話をしている。その姿のなかに夫婦の絆というものを見たような気がしました。
 きょうは、日中、二度ほど雨が降りました。このうち一回は結構いい降り方で、道路に水溜りができました。田んぼを持っている人たちは、「金雨だ。田んぼの水は上から降るのが一番いい」などと言って喜んでいました。集中豪雨以降、町内では雷雨でちょっぴりお湿りのあったところもありましたが、きょうは雷なしでの雨でした。通夜が終わってから外へ出たら、とてもさわやかです。これも雨のお陰です。


2004年08月09日

炎天下でビラ配布

 相変わらずの暑さです。午前中は三和村で民報配布でした。炎天下でのビラ配布は久しぶりでしたので、大事なことをすっかり忘れていました。日よけです。白い帽子かなんかをかぶればよかったのですが、なんら対策をせずに、約2時間半歩いたら完全にグロッキー。もうろうとしながら家に戻りました。
 午後からは臨時議会、先日の豪雨災害関連予算などを審議しました。緊急性の高いものはすでに予算措置が終わっていて、専決処分してありました。こちらで把握していた災害にたいする予算はほぼ100%計上されていたので、安心しました。災害以外のもので審議されたのは、骨密度測定器、除雪ドーザの購入契約です。診療所に置かれる骨密度測定器が2000万円を超えるのには驚きでした。
 夕方、また悲しい知らせが入ってきました。尾神の杉田国平さんが亡くなったというのです。政治的には一貫して左翼に属していて、わが家が尾神にあった時から、ずいぶん世話になりました。また、長男夫婦の仲人を父がしたこともあって、事実上の親類付き合いをさせてもらっています。明日からお手伝いに行く予定です。


2004年08月08日

集落で草刈り

 お盆前に集落で取り組む仕事の1つに草刈りがあります。きょうはその日でした。朝6時半から草刈機を持って集まったのは30数人、農業用排水路、ため池周辺などの草刈りをしました。休憩を挟んで約2時間半、汗を流しました。陽射しの弱いうちにと、早朝からはじめたのですが、暑さは厳しく、風と木陰がなによりのご馳走でした。
 いつもの年なら草刈りだけで終わりです。ところが、今回は草刈りの後にもう1つ仕事が待っていました。川の近くの水路の泥上げです。先日の豪雨の時に泥流が流れ込み、水路にはたっぷりとお土産が残されました。しかし、大勢の力ですね、溜まった泥を角スコですくい、きれいにするまで30分足らず。あっという間に終わってしまいました。
 夕方からは高校野球と花火を楽しみました。野球は地元、新潟の日本文理が1点差の大健闘。度重なるピンチをしのいで頑張る試合展開になったので、とても面白く、目を離せなくなりました。今回の新潟代表は思っていた以上に力があり、落着いたプレーはトップレベルだと感じました。花火は隣の柿崎町であり、6キロほど離れたところから観ました。集落の皆さんが何人もきていて、柿崎町の海岸や米山の麓から上がる花火を堪能しました。


2004年08月07日

アブラゼミの羽化

 終日、新聞配達と集金でした。立秋だというのに、相変わらずの猛暑です。日よけのため、タオルで「あねさかぶり」をして動き回りました。長時間回っていると思いがけない出会いもあります。きょうは、赤沢という集落で、羽化したばかりのアブラゼミを見かけました。カラを抜け出したばかりだったのでしょう、大きな木の根本にしっかりつかまっていたセミの羽は白く、風に揺れていました。
 私の愛車、軽トラはクーラーが入っていません。きょうのような暑さの時には、両側の窓を半分くらい開けたまま走ります。こうして走っていると、いろんなものが飛び込んできたり、通り抜けるものもある。先日は、シャボン玉が入ってきて、スーッと抜けていきました。子どもが飛ばしていたのが流れてきたのでしょうね。きょうは、三ヵ字集落で、右側の窓からから突然お客さんがやってきて、私の顔にとまりました。これもアブラゼミでした。


2004年08月06日

高崎市で法事

 慌てるとどうなるか、よく分かった一日になりました。「しんぶん赤旗」日刊紙の配達当番だったのですが、寝坊したために朝5時半に出発。配達後、牛へのエサくれをして、風呂に入って着替える。そして、くびき駅には7時10分までにつかなければならないとあって大忙しでした。電車には何とか間に合ったのですが、ワイシャツは忘れる、持参した礼服は太る前のサイズのもの。おかげでズボンは途中で破れてしまうハプニングもありました。
 法事が行われた曹洞宗・長松寺というお寺は開闢(かいびゃく)後500年にもなるお寺で、歴史を感ずるものがいくつもありました。休憩をした部屋は、元々は徳川三代将軍家光の命により、忠長が切腹した場所で、高崎城より移築されたものとのことでした。もうひとつ、私が気に入ったものがあります。本堂にある天井絵です。体をくねらせた大きな、見事な竜が画かれていました。作者は江戸幕府画所(えどころ)につかえた狩野探雲。最近、葬儀や法事に出かけると、こういったものが目に入るようになりました。


2004年08月05日

千葉はやっぱり落花生

 きょうは、千葉県酒々井(しすい)町議会の皆さんが、まちづくり基本条例について学びたいと、はるばる訪ねてきてくださいました。上越市への編入合併が決まってから、初の視察受け入れです。合併後のまちづくりに、いまの基本条例をどう生かしていくのか、改めて考える機会になりました。酒々井町は佐倉市と合併に向けた話し合いをしているとのことで、質問は合併問題との関連を問うものがいくつもありました。
 酒々井町には、お酒が大好きな父親のために一生懸命働く孝行息子が酒を買えなくなって途方にくれていると、井戸から酒が出てきたという伝説があって、それが町名につながっているとのこと。ということは、酒の町の議会の皆さんが、酒の町にやってきたというわけです。不思議なご縁です。もっとも酒々井町の皆さんからいただいたお土産は落花生でした。千葉の親戚から毎年もらっているので、千葉県はやっぱり落花生の本場だな、と感じました。
 あすは高崎市へ出かけるので、午後からは町政レポートづくりをしました。ところが、きょうもべたつくような暑さです。なかなか前に進みませんでした。


2004年08月04日

干ばつ被害出始める

 先月の集中豪雨の後、雨らしい雨は降らず、猛暑が続いています。きょうは、干ばつ被害が出始めたという情報を寄せてもらったので、確認してきました。場所は尾神岳のふもと・坪野集落にある田んぼです。稲は、畦際の1メートルほどが枯れ、色が変わり始めていました。そうですね、人間の髪の毛が火にあぶられて、チリヂリになった感じです。田んぼの中は、しばらく水をもらえなかったのでしょう、かなり深いひび割れができていました。
 町内では、干ばつは何回か経験しています。最近では10年前、あの時は春先から水が無く、収量は平年よりも3~4割ダウン、大騒ぎをしました。あの時に比べれば、いまのところ、たいしたことなく終わりそうですが、問題は雨がここ一両日くらいの間に降るかどうかです。降らなかった場合は、きょう見たような田んぼが一気に広がることでしょう。
 午前中に大潟町の後藤議員宅まで出かけてきました。「しんぶん赤旗」に折り込むチラシ、党発行の定期購読雑誌を取りにいくためです。その際、大潟町議会の様子を聞いてきました。上越市の幹部やその他、いろんなところから合併慎重派の議員に対してすさまじい圧力がかかった、とのことでした。「圧力がかからなかったのはオレぐらいだったようだ」と言った後藤議員、その笑顔にはさびしさがにじみ出ていました。


2004年08月03日

朗読会の準備

 町内外で朗読活動を続けている小田順子さんが今月下旬に大島村で朗読会を行うというので、きょうの午前は、そのお手伝いをしました。手伝いといっても、案内チラシの作成が中心です。小田さんは、私よりも二級上の先輩で、小中学校が同じでした。これまで東頸城郡では、松代町と浦川原村で朗読会を実施してきた小田さん、大島村はぜひ取り組んでみたいところだったといいます。
 朗読会は、同村旭地区にある竹平集落の集会所で、24日(火)午後3時から。竹平集落は、私の母の実家があるところ。また、そのとなり集落・田麦には竹林寺というお寺があって、小田さんのお母さんの親戚筋にあたるとか。朗読会を現地で準備してくれる中心は、私の従兄の内山愛治村議です。そんなことで、今回の朗読会は、親戚のつながりのなかで生まれた会となります。
 小田さんが今回の会で朗読する話は、瓜生喬の「望郷」、斎藤隆介の「半日村」、そして私の『幸せめっけた』のなかの「お盆泊まり」「アヤノ伯母さん」など。この会での朗読を意識して、小田さんは、今年になって、2回ほど大島村旭地区を訪れています。開催地では、100世帯ほどに案内をして取り組むということですが、旭地区のことが出てくる話にたいしてどんな反応があるか、楽しみです。


2004年08月02日

米山団研の予備調査に参加

 やはり7月の梅雨前線がもたらした雨は凄まじかったんだな、と思いました。米山団研グループがきょう、実施した予備調査に同行しての感想です。場所は米山の北西部にある、柏崎市小杉集落付近の沢。多分、ここは7月16日か17日の豪雨でやられたのでしょう、沢のあちこちで土砂崩れが発生し、大量に流れた雑木や石が川の流れを変えたところもあります。板状摂理のみられる場所では、川底にあたる部分がごっそりとえぐりとられていました。
 大暴れした雨は、川や沢をけずります。その結果、思わぬところで露頭を発見することもあります。米山の山体をつくる鮮新世の火砕岩層と下位の中新世の小萱層の関係は不整合となっていますが、きょうの調査でも、新たな不整合露頭が見つかりました。これらは、いつ、どのように動いたのか。素人の私にはよく分かりません。しかし、グループの皆さんのコツコツとした調査によって、この大地のドラマが解明されるはずです。
 きょう、調査に入った場所は、ニホンカモシカのものではないかといわれている骨が見つかった現場のすぐそばです。みんなでそこへ行き、発見した人たちから説明していただきました。現場にはまだ、その動物の毛が散乱していました。まだ足の骨の一部が見つかっていないというので、さがしたら、「ひずめ」を見つけることができました。それだけではありません、川を下っていく時に、私たちの歩いた足跡の上に、ある動物の真新しい足跡がありました。しかも、これにはひずめがあるではありませんか。「ひょっとすると、カモシカが近くにいるかもしれない」と思い、とても緊張しました。


2004年08月01日

大潟町議会でも廃置分合可決

 残念なニュースです。頸北町村の中で最も合併慎重派議員が多い大潟町でも廃置分合議案が可決されたというのです。昨日は議長も討論に加わって事実上廃案としたにもかかわらず、きょう、再招集された臨時議会では8対7で可決。この間、何があったか分かりませんが、このニュースを聞いた時は信じられず、仕事も手につきませんでした。これで明日、合併推進派の多い上越市議会で廃置分合議案が可決されれば、14市町村合併は決まりです。それは、吉川町がなくなることを意味します。悔しさと寂しさでいっぱいですが、気持ちを切り替えて頑張りたいと思います。
 6月29日付け「見てある記」で紹介した中村睦夫さんのところの母ヤギが暑さに負けて具合が悪くなったのは、一昨日のこと。きょうはそのヤギを診てほしいというので、出かけてきました。ヤギもウシ科ですので、長年の牛飼いで得た知識が少しは役に立ちます。一昨日の時点で、高温時にどう対応するかをアドバイス。その後、獣医さんにもかかって治療してもらった結果、最悪の状況を抜け出して、ヤギは元気を取り戻しつつあります。
 ヤギを診てから、中村さん宅でお茶をご馳走になりました。そこでは中国から持ってきたトウモロコシとキュウリの種を蒔いて実らせたものや烏骨鶏(うこっけい)の卵、大賀生産組合で作っているキムチなどを食べさせてもらいました。興味深かったのはトウモロコシ、私が子ども時代に食べたトウモロコシにそっくりの味でした。いま出回っているものに比べれば、甘みは落ちますが、懐かしかったですね。
 その中村さん宅で、偶然、上越市の吉村恵美子さんに会いました。今年1月に亡くなった夫・洋一さんの納骨のことなどで親戚の中村さん宅へこられたとのこと。吉村さんは、上越タイムスに『ヤマボウシの花が咲いたよ』というタイトルで洋一さんの闘病記録を連載した女性です。何度か手紙のやりとりをしたことがあるものの、会ったのは初めて。吉川町米山に住んでいた時や連載時の想い出、洋一さんが大好きだったという尾神岳の魅力などについて語ってもらいました。


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