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2009年01月投稿分

2009年01月31日

雪割草がもう咲いている…

 「しんぶん赤旗」日曜版の配達中に薄紫色の花が見えたので何かと思ったら、何と雪割草(オオミスミソウ)の花でした(画像)。まだ1月です。木の陰でこっそりと花を咲かせていました。吉川区内では平場と山間部に群生地があります。この花はおそらく、その一方から持ってきて植えたものでしょう。私が知っているところは山間部ですが、ひょっとすればそこでも咲いているかもしれない。そう思ったら、落ち着いていられなくなりました。
 きょうは新聞の配達だけでなく、集金もしなければならない日でした。ある家へ行ったら、知っているお客さんがおられ、「一緒にどうだね」とお茶をすすめられました。そのお客さんは俳句愛好者のHさんでした。この方と一緒にお茶を飲むのは初めてです。私の妻の俳句や短歌も読んでいてくださるとのことで、五七五の世界の興味深い話を聴かせていただきました。吉川区では山崎文治郎さんが俳句愛好者のリーダー的な存在です。Hさんは、山崎さんが数年前お連れ合いを亡くされ、その後、発表された妻恋歌がお気に入りだそうです。そのひとつをご紹介しましょう。春雨や妻追憶の蛇の目傘。


初めてガス水道労組の旗開きに参加

 昨晩、初めてガス水道労組の旗開きに参加しました。日本共産党を代表しての参加です。参加者数20数人のこじんまりした集いでしたが、初めて出会った組合員のみなさんと市政に関するいろいろな情報交換ができ、良かったです。また、筒井代議士、小山県議、市職労、新教祖の代表など来賓の人たちとも話ができました。とくに、小山県議からは貴重な県議会情報を伝えていただき、日本共産党の竹島県議のがんばりなども確認できました。会場では、秋の市長選をめぐる動きについて関心が高まっているなと感じました。私たちの党としても早めに動きださなければなりません。
 昨日は中心市街地活性化対策特別委員会、文教経済常任委員会と続きました。中心市街地活性化対策特別委員会では旧高田共同ビル再生計画中の市道廃止をめぐり、川沿いの市道の拡幅、ビル南側に歩道を新設する案が市側から示されました。地元町内会での説明会も一昨日、昨日の夜に行われました。結果は後日、報告されるでしょう。文教経済常任委員会は小木直江津航路問題、直江津図書館問題、学校給食、㈱よしかわ杜氏の郷問題と重要問題が目白押しでした。市議団ニュースなどで内容をお知らせしていきたいと思います。


2009年01月29日

昼は県庁、夜は市民懇談会

 久しぶりに県庁へ行ってきました。豪雪対策のひとつとして県内外に知られている冬期保安要員制度の存続と拡充の要請をするためです。竹島県議、武田勝利衆院比例候補、十日町市議、津南町議らとともに担当課長などに働きかけてきました。
 同制度は生活道路の除雪や要援護世帯の除雪、急患対策などを業務とする人を冬期間配置するもので、豪雪地の住民にとってはなくてはならない制度ですが、2年前に実施要領が改悪されて、現在は15地区21人(県単事業として)に減らされてしまいました。国の集落対策の新たな展開のなかで、県も独自の検討に入っていることが今回の要請行動の中で判明しました。参加した議員はそれぞれ、「2年前に削減されたところも市や町で独自に設置して対応している」「保安要員がいるからいまの集落で暮らせる」などと訴え、存続・拡充を求めました(画像)。今後の動きをしっかりと見ていく必要があります。
 夕方からは党議員団主催の「中心市街地活性化を考える市民懇談会」でした。会場には30人を超える人たちが参加してくださいました。スライドで今回の中心市街地活性化基本計画の中身をお伝えした後、懇談会に入りました(画像)。「公金を投入して、かつてのような賑わいを本当に取り戻せるのか」「公共交通との関連が見えない。(中心市街地活性化の)エリアからはずれたところに比較的元気なところがある。そこに学ぶべきだ」「なぜ、いまさら中心市街地活性化を言い出したか」「中心市街地がこうなったこれまでの総括をやるのが前提だ」などたくさんの質問や意見表明が相次ぎ時間が足りないくらいでした。地元の動きとしては、街なか映画館再生委員会の方がとてもいい取り組みを紹介して下さり、まちづくりのあるべき姿のヒントを得たように思います。
 今回の懇談の中で、多くの市民の皆さんが旧高田共同ビル再生事業に関しては厳しい見方をされているなと感じました。これまでの商業政策の総括の必要性も浮き彫りになったと思います。残念だったのは、地元商店街の皆さんの参加が少なかったことです。より良いまちづくりに向けて一生懸命活動されているグループも街なか映画館再生委員会以外にもいくつもありますし、今後は、こうした人たちとも意見交換していきたいですね。


2009年01月28日

印刷4時間、くたびれたー

 昨晩から今朝にかけて冷えましたね。朝、資源ごみを出すために車を運転していた時のこと。うっかりワイパーを動かしたら、ゴムが取れてしまいました。フロントガラスに凍りついていたのです。朝、冷えた時は上天気です。きょうの午前中は米山(画像)がじつにきれいでした。
 きょうは午前10時半ころから夕方まで市役所で市民懇談会の準備などで動いた後、夕方から地元に戻って印刷に熱中しました。まだ、党議員団の12月議会報告を配布してなかったものですから、昨日の団会議で、大至急印刷することにしました。私の受け持ちは2万枚です。いやー、印刷のしがいがありますね。約4時間かけて片面だけ印刷を終わりました。裏面は明日やります。この印刷時間中、じっと印刷機についているのは面白くないので、インターネットで調べものをしながら印刷しました。普段、あまり訪れていないホームページも、こういう時は見ることができます。
 明日、急遽、新潟県庁へ行くことになりました。日本共産党県委員会が冬期保安要員制度見直し問題で県当局に申し入れをするということで、私にも参加してほしいと要請があったのです。明日の夕方には上越市に戻り、市民プラザで開催する党議員団主催の市民懇談会に出ますのでご安心を。


2009年01月27日

地域福祉総合拠点を視察

 朝から夕方まで市役所及び高田でした。29日は中心市街地活性化問題、来月5日は通学バス問題の市民懇談会です。いずれも党議員団主催のテーマ別懇談会の一環。遅れている宣伝物の作成、当日用のスライドづくりなどで忙しさがピーク状態となっています。
 ほとんど市役所での仕事でしたが、午前中、1時間ほど視察に出てきました。視察先は旧県立高田盲学校の敷地・校舎を利活用した上越地域福祉総合拠点です。施設整備基本方針では、①既存施設を利活用した老若男女、障害の有無を問わず、すべての人が集う施設にする、②だれもが使いやすい施設にする、③地域の施設や機関との連携及び調整・指導機能をもたせる、④地域に溶け込み、親しまれる施設にすることなどが掲げられていました。外から見たことはあっても、中へは初めてです。どんなふうになったか関心を持って参加してきました(画像は体育館を見ている時のもの)
 改築工事は最終段階にきており、とてもきれいになっています。中庭を囲んで3階建ての建物が東西南北にあり、そのなかに子どもからお年寄りの福祉、その他いろいろな空間があります。きょうは担当課長が案内役でしたのでついて行けましたが、初めて訪れた人にはちょっとわかりにくいだろうなと感じました。備品も入り始めていました。最新の備品です。地域の人たちとの交流スペースは畳が敷いてありました。でも壁は学校時代の構造のままでした。木の壁にして暖かさが欲しかった。ま、でも、施設は人が入って活用してみて評価できるようになります。老若男女、いろんな人たちが大勢集うようになってからいま一度行ってみようと思っています。
 


2009年01月26日

農業政策全体がどうなっているかを意識して

 午前は市議会中山間地対策特別委員会でした。テーマは中山間地域農業をどうするかです。市の農林水産部の幹部から上越市の農業の現状、主な施策、国の施策と最近の動向について説明を受け、質疑を行いました。
 これまで中山間地域農業について、個別の問題で質疑をやったことはありますが、きょうのように農業政策全体がどうなっているかを意識してやったのは初めてです。環境保全型農業の展開、中山間地域等直接支払制度の推移と課題、担い手の育成と確保、集落間連携など、とても勉強になりました。
 質疑では中山間地域農業の担い手問題に関心が集まりました。私は、「中山間地域が生き残れるかどうかは、若者の農業参入への思い切った支援ができるかどうかにかかっている。最低でも3年、できれば5年間、所得補償をする施策の実施と総合的な支援体制の構築を」と訴えました。若者の農業労働者としての職を求める動き、農業参入の機運が高まっている時だけに一時も早く、魅力的な政策を打ち出すことが必要です。当面、新年度予算編成が勝負ですね。
 また、見逃すことのできない動きとして農地制度改革プランをとりあげました。昨年12月の上旬に発表されたプランの中身は、国の権限の強化、農業生産法人以外の農業参入など問題だらけです。農業委員会としても積極的に関係機関へ働き掛けを行うよう求めました。
 きょうの中山間地対策の会議は午前中のみ。質疑が盛り上がってきただけに、1時間ほどの質疑時間では時間が足りません。もう2時間くらい、じっくりと議論できればよかった。もったいない。


2009年01月25日

㈱よしかわ杜氏の郷問題で地区別説明会

 昨年の12月19日に新体制ができた㈱よしかわ杜氏の郷について、市役所総合事務所は本日、吉川区内3か所で地区別説明会を行いました。ちょうど、市議会の定数問題での報告会と重なりましたが、地元ですので地区別説明会に参加してきました。
 総合事務所の説明では、市が今月9日に1億2000万円の増資を行ったこと、旧役員5氏が2100万円増資後、従来からの出資分を含め2175万円を市に寄付したこと、新役員の任期は当初説明してきた今期の残任期間ではなく、定款で定められた期間(取締役は2年、監査役は4年)となることなどが報告されました。会社法の関係で、会社役員の報酬もゼロというわけにはいかないことがわかったといいます。注目のジャパン・フード&リカー・アライアンス㈱との委託契約については150万円で結び、製造や営業などに関する調査、助言、提案をしてもらうほか、6月の末までの経営改善計画の立案で仕事をしてもらうことが明らかになりました。同社がお客を新規に開拓した場合は、売上の5%を成功報酬として払うそうです。
 説明会の参加者は全体で20人ほどでしたが、「新体制は暫定か。どんな経営計画でいくのか。いままでと違ったやり方をしないと成功しない」「2度と税金投入はしてほしくない。率先して自慢できる酒を造ってほしい」「酒蔵の門はとった方がいい。道の駅、ゆったりの郷などと一体化させ、吉川の顔にもっていけたらいい」「こんどこそはという思いでやってもらいたい。地元に愛される酒を」などの声が出ました。
 ㈱よしかわ杜氏の郷問題は12月議会で終わったわけではありません。総合事務所が自治基本条例を意識しているかどうかはわかりませんが、こうした説明会をやれば、市民の生の声を聴くことが出来ますし、市民との信頼関係もできていくはずです。大事な取り組みでした。


2009年01月24日

何かが雑じると…

 昨日のテレビで、とぎれとぎれの音楽を聴きました。じつに聴きにくい。ところが、このとぎれている部分に雑音を入れるとどうなるか。何とリズム感のある音楽として聴こえたのです。雑音が入ったおかげでよく聴くことができるというのは初めて知りました。これは耳の世界の話です。
 今朝は「しんぶん赤旗」日刊紙の配達当番でした。久しぶりの雪で、配達時間もいつもよりかかりましたが、夜明け前の時間帯に面白い現象を発見し、カメラに収めました。雪が降っていることによって、防犯灯の黄色い光がどこまで広がっているかよく見えたのです(画像)。何かがまじることによってよく見える。昨日のテレビをみていたから、こんなところに目が向いたのでしょう。
 きょうは午前中に「しんぶん赤旗」日曜版の配達をして、午後からは党支部の新年会でした。都合がつかない人が大勢いて困ったなと思っていたら、党外の人が何人も参加して下さり、良い会になりました。昨年の党創立記念の時の志位委員長の講演をDVDで視聴し、その後は自己紹介、近況報告、カラオケ、スライド上映などで楽しみました。


2009年01月23日

親子が毛布にくるまって寒さしのぐ

 二日続けて解雇問題の話を聞きました。きょうは日本共産党新潟県委員会の幹部が上越市を訪れ、労働基準監督署、市役所に申し入れ活動を行いました。時間の関係で私は、市役所の時だけ行動を共にしましたが、N社に勤務していたHさんの解雇打ち切りの話を聞いてひどいと思いました。Hさんは3月半ばまでの雇用契約だったのに1月上旬に切られました。家庭は子どもさんと二人暮らし、生活は厳しく、寒くても暖房費を節約せざるをえず、親子が毛布にくるまって寒さをしのいでいるそうです。五十嵐完二前県議は、「兼続の義と愛の精神に反するあってはならない行為だ。ぜひ支援を」と訴えていました。まったくその通りだと思います。


2009年01月22日

たたかいと料理と

 夕方から上越地区労連の旗開きでした。ここ数年、休まず参加していますが、加入している各組織の決意を聴きながら、改めて今年はたたかいの年だと思いました。私の隣に座ったNさんは、1月上旬に解雇されたばかりです。解雇撤回を求め、今月下旬には団体交渉をやり、その結果次第では裁判闘争も辞さないとの決意を語りました。Nさんには大きな拍手がおくられました。きょうは参加していませんでしたが、青年ユニオンに入っているHさんも裁判闘争になりそうだと聞いていますから、上越地区労連は同じ時期に2つの労働裁判闘争をやることになるかも知れません。
 旗開きではいろんな出会いがあり、興味深い話も聴けます。ひょんなことから私が先日、この日記で紹介した鍋料理が話題になり、ある組合事務局の女性から、「世界一うまい料理」のことを教えてもらいました。この方の話によると、その料理は、「大根サラダ」。大根を千切りにし、塩を少し入れしんなりさせる。それに細かく刻んだレタスとシーチキンを入れ、かき混ぜて出来上がりです。私でも間違いなくできそうな料理ですが、この方の家では、大きな皿に山盛りにして出しても子どもさんたちがあっという間に食べ終わってしまうとか。「世界一うまい料理」という言葉は、この子どもさんたちの評価だそうです。作ってみたくなりました。


2009年01月21日

米麺試食

 きょうは食料農業農村議員連盟主催の研修会でした。テーマは、いま注目の米粉促進です。江川技術士事務所の江川和徳さんの講演で、米粉がパン、すいとん、フライドポテト風お菓子、餃子の皮などいろんな分野ですでに活用されていて、食品として大きな可能性を秘めていることが分かりました。米粉を使った麺は米としておいしいからおいしい麺になるとはかぎらない。米としておいしくない方がおいしい麺になるといいます。面白いと思ったのは、蒸した後、蕎麦のようにのし棒で生地を広げて活用する方法です。これだと、遊び心も持っていろんな形で食べ物をつくれると思いました。
 講演会の後の昼食会では、初めて米麺を食べました。製麺用の新品種「越のかおり(北陸207号)」を使った米麺です。蕎麦と一緒に出され、食べ比べができるようになっていましたが、麺がきらきらしてきれいでしたね(手前が米麺)。コシが強すぎて、食べやすさは蕎麦には及びませんでしたが、コメの風味があって今後の改良次第ではどんどん伸びていく食品だと感じました。家へも米麺を持ち帰ったところ、妻やこどもたちは「おいしい」を連発していました。


2009年01月20日

デジタルテレビ難民

 どこでインターネットに接続してもブロードバンドが利用できる。どこで暮らしていてもテレビが見られる。どこにいても携帯電話が使える。平成22 年度末までに、これを市内全域で実現させようというのが上越市の情報通信基盤整備方針です。きょうの総務常任委員会所管事務調査の課題の一つは、この情報通信基盤整備がこれまでどこまで進んだか、今後の課題は何かでした。
 私は2つのことをとりあげ、市当局にただしました。ひとつは、昨年7月に国が定めた「地上デジタル放送への移行完了のためのアクションプラン2008」で、公共施設におけるデジタル化改修は平成22年12月末までに完了させることを目標にしているにもかかわらず、上越市では完了させる計画ができていないことです。いざという時の緊急連絡手段としてテレビが重要な役割を持っていることを認識していれば、アクションプランに沿って対応するのが当たり前です。担当課長は、「(目標時を越えた整備計画を持っているところは)住民に迷惑がかからない施設だと思っているが、計画が不十分だった」と認めました。改善の動きを注視していきたいと思います。
 もうひとつは、デジタルテレビ難民がでないように支援策をとれ、ということです。チューナーであれ、地上デジタルテレビであれ、ただではありません。昨今の経済情勢の中にあって、マスコミでも思うようにデジタル化が進んでいないと報道されていますが、障がい者や生活困窮者の方などがテレビを見られないという事態を生んではなりません。国のアクションプランでも生活保護受給世帯に対する受信機器購入などへの支援が盛り込まれていますが、この点についての報告がまったくありませんでした。国がどう出てくるかを待つのではなく、市内でどうなっているかを調査し、どういうところにどういう支援をしていくか決めるべきだと主張しました。答弁に立った中川副市長は、「ご指摘の通り、ある日突然テレビが見れなくなくなるというのはゆゆしき事態だ。事前に入念な準備が必要だと認識している。テレビが見れない世帯がなくなるように最善の準備をしていきたい」とのべました。どんな具体策が出されるか、これも注目です。


2009年01月19日

第1回臨時市議会

 朝から各派代表者会議、臨時議会、吉川区地域協議会と続く、忙しい一日でした。
 各派代表者会議では総括質疑と一般質問のあり方について話し合われました。このなかで、いくつかの会派から総括質疑の持ち時間を一会派当たり30分にしたらどうかとか、一般質問の持ち時間を1人あたり年間で1時間にしたらどうかなど発言制限の提案が出されました。こうした提案は議会運営の「効率性」の観点から出されたものかも知れませんが、市民の負託にこたえて徹底審議することの大切さを再確認してほしいものです。私からは「発言時間の制限は議会の自殺行為。これまでの議会運営については上越市議会小史に書かれているように、改革の積み重ねの中での到達点だ。もし、さらに改革を進めるというなら、分かりやすさを追求して、本会議場でのプロジェクター使用ができるようにしてほしい」と発言しました。きょうの話し合いをふまえ、次回の会議までに各会派で検討してくることになりました。
 10時からは臨時市議会です。緊急経済対策ということで市は、2億6037万円の一般会計補正予算を提出してきました。これに対して日本共産党議員団の上野議員など4議員が総括質疑で登壇し、予算規模、今回の対策の特徴、今後の方向性などについてただしました。
 上野議員は3番手でした。これまで実態把握、雇用確保でどう動いたか、緊急経済対策の総合性、市独自の緊急雇用安定対策助成金のねらいと今後についてコンパクトに質疑を行いました。このなかで、緊急経済対策として雇用対策、中小企業支援の2つにしぼった理由について市長は、市民生活に密着し即効性がある点をあげ、「市内の循環を促し、お金が広く行き渡るものと期待している。できるかぎりの最大限の対策としてお願いした」とのべました。今回の補正で最も注目されているのは緊急雇用安定対策助成金制度です。この制度では補助対象期間が3月15日までとなっていることから、上野議員は、「年度末になってさらに離職者が増える可能性がある。その時のことを考えたら、ぜひ存続を図るべきだ」と追及しましたが、「国、県の動向を踏まえ、制度の継続、拡充を検討していきたい」との答弁がありました。
 同議員にとって総括質疑は初めてですが、これまでのキャリヤを生かした、論理性のあるいい質疑になったと思います。
 地域協議会は地元の吉川区の会議を傍聴してきました。地域事業見直しについての諮問に関する会議の傍聴は大島区に続いて2度目です。気になったことがいくつかありました。ひとつは、地域事業費についての数字です。諮問そのものには数字は書かれていませんが、資料のなかに当初の計画で示されたものより2割カットされたものが既定のものとして掲載されていたのです。また、各区の学校等の修繕費が地域事業のメニューとして当初からあったものとして扱われていました。これは、合併前からの一連の経過を知っている者としては理解できませんでした。十分な議論をしてほしいものです。


2009年01月18日

上越民主商工会の青旗びらき

 今朝は冷え込みました。車の暖気運転をしている間に近くの農道や畑の雪の上を歩いてみました。「サルトコ」(凍み渡りのこと)ができるかなと思ったのですが、そこまでは凍っていませんでした。でも、雪の上を歩く気分はいいものです。ザッ、ザッという音をさせながらしばらく雪上散歩を楽しみました。
 さて、きょうは上越民主商工会の青旗びらきです。午前中に区内での用事を済ませ、病院経由で会場へ行きました。きょうは地元町内会の新年会に出席している上野議員をのぞき、党議員団の3人が参加しました。宮崎会長さんは挨拶で、「今年は民商にとっては正念場の年。消費税増税を許さず、中小業者の営業と暮らしを守るたたかいを」と訴えておられました。私も日本共産党を代表してひとこと挨拶させていただきました。
 懇親会の部では、最初に会員の方の尺八の演奏を聴きました。尺八の音を聴くのは久しぶりでした。新年の会にはムード的にぴたりと合う音ですね。お二方の演奏(画像)はむずかしいものだけでなく、「ふるさと」など身近な曲もあり、とても良かったです(音声はこちらからどうぞ)。会場では、70代の男性の方から、「橋爪さん、お父さん元気かね」と声がかかりました。初めて会う方からです。どなたかと思ったら、30年ほど前に牛の餌を運んでいた運送会社の方でした。わが家でよくお茶を飲まれたとかで、父だけでなく、母のこともよく知っておられ、うれしい出会いとなりました。会員さんからは、経営のたいへんさなどを教えていただきました。参加して良かった。
 夕方、妻から迎えに来てもらいましたが、妻は風邪をひいたらしく、元気がありません。そんなこともあって、12月に覚えた鍋料理を再度やりました。白菜、ネギ、里芋、竹輪、タラなどを入れて、じっくり煮たところで火を止める。そして、母がつくってくれたユズ入り味噌を入れて出来あがりです(画像)。今回もうまくできました。


2009年01月17日

新聞配達そして質問準備

 きょうは途中で床屋さんへ行ったほか、朝から夕方まで「しんぶん赤旗」日曜版の配達でした。山間部は今年初めて会う人も多く、新年の挨拶をしながらの配達となりました。先日の降雪以来、雪は中休み状態です。尾神岳のふもとの尾神集落であっても積雪は30~40センチほどで思った以上に少なく、びっくりでした。ある読者の人は「このまま春になる予感がする」と言っておられましたが、雪はたいしたことなく、終わるかも知れません。
 夜は上野議員のところへ行き、総括質問の準備をしてきました。すでに質問原稿の素案はできていたので、ふたりで「よりわかりやすく、コンパクトな質問にするために」原稿の整理をしたほか、再質問の組み立てなどについても話し合ってきました。上野議員にとっては初の総括質疑となります。明後日は永島議員、杉田議員に続いて3番目の登壇です。


政策立案過程は公開すべきだ

 昨晩は飲みすぎでダウンしてしましました。昨日は午前中に市政レポートを作成し、印刷後、「しんぶん赤旗」日曜版の配達に出かけました。午後からは大島区地域協議会の傍聴です。目的は市長からの地域事業見直しについての諮問の審議状況を見るためでしたが、その前に行われた克雪住宅協調整備事業の復活要望に関する議論を興味深く聴きました。
 克雪住宅協調整備事業については2008年度から廃止された事業ですが、大島、安塚、中郷の各区の住民や地元選出市議などから猛反発が起きました。そして同事業の復活を求める意見書が関係地域協議会から相次いで提出されていました。大島区地域協議会に対する市長の回答は、「本事業に寄せる多雪地域のみなさんの要望の大きさをここに改めて実感しています」「少子高齢化や過疎化が進行する中、屋根雪処理の危険防止など豪雪地における支援の必要性は十分認識しています。このことから、雪の多いところと少ないところの雪に対する負担の違いなども考慮しつつ、全市的に対応を検討していきたい」というものです。
 この回答書をめぐって、委員からは、「どういう内容になるのか」「検討するといってもどこまで進んでいるのか」「議会で決まってからの説明では遅い。もっと早くどうなるかを明らかにしてほしい」などの質問や要望が出されました。これに対する担当課長の答弁は、「まだハッキリした段階ではないので答えは控えさせていただきたい」の繰り返しでした。最終段階で課長は、「新年度予算の発表が2月20日頃になるので、その直近の地域協議会で説明させていただきたいと思っている」とのべていましたが、「なんでもっと具体的なことが言えないのかな。私たちはいま、こんな内容の制度にして皆さんの復活要望にお応えしようと考えております。いい制度にしたいと思っていますので、ぜひ皆さんのご意見をお聞かせ下さいと言えばいいのに」と思いましたね。
 協議会でのやり取りを聴きながら思いだしたのは、自治基本条例の第18条です。ここでは、「市政運営に関する情報を市民に積極的に提供するとともに、市民の意見の把握に努め、市民との情報の共有を図らなければならない」「市長等は、政策の立案、実施、評価及び見直しに至るまでの過程及び内容を市民に分かりやすく説明しなければならない」とあります。この条例をまともに解釈すれば、検討案が定まって予算計上する段階になったら、関係区地域協議会に説明しましょう、というのはおかしい。政策の立案過程を含め公開し、市民の声をしっかり聴いていくことが大切だと思います。


2009年01月15日

「合格祝い」

 午前中は胃カメラでした。午前9時過ぎには予約してあった医院へ行き、9時半から検査です。ベッドの上で横になり、胃カメラが口から食道へ、食道から胃へと入っていきました。自分の胃の中の様子を画像で見せてもらいながら、医者の説明も聞くというのは緊張します。胃カメラでの診断そのものは5分くらいで終わったのですが、麻酔が切れて、医者からの最終的な説明を受け、すべてが終わったのは11時半過ぎとなりました。心配したポリープはなく、結果はマルでした。大丈夫となると食欲が急速に出てきて、お昼は八宝菜とラーメンのセットを食べ、「合格祝い」をしました。
 午後からは市役所です。総括質疑の質問テーマを定めるために団会議で議論を重ね、事実経過や基本的なことでわからないことがあると担当課に訊く、それを繰り返しました。中身によっては、担当課と議論になることも。19日の総括質疑には上野議員から登壇してもらいます。


2009年01月14日

介護保険事業計画で骨太の議論

 歯医者、厚生常任委員会、党議員団会議と続くあわただしい一日でした。厚生常任委員会では、市が第2期障がい福祉計画(案)、第4期介護保険事業計画(案)、第5期高齢者福祉計画(案)を示しました。委員には事前に資料が配布されていて、しっかり読んできた委員の質疑は聴きごたえのあるものでした。
 市内には特養ホームに入ることのできない入所待機者が1200人ほどいます。新年度から3年間の計画期間中に整備を予定しているのは1施設100床です。現行の仕組みからいえば施設の整備拡大が保険料にはねかえってくることなどもあって、健康福祉部長は「かなりの決断」だとのべましたが、これに柳沢、平良木の2委員が「こんなことでいいのか」と反発しました。入所待ちで入れない人たちの立場にたてば当然の発言です。制度改正を視野に入れ、国にもっと働きかけを強めていく必要性が浮き彫りになった質疑でした。
 介護保険料についても質疑が集中しました。介護保険運営協議会が「極力引き上げを抑え、サービスを後退させることのないように」と答申している中で、市が打ち出した案は、第5段階の基準額で月額600円の引き上げ(率にして13.8%)、4950円でした。国が介護報酬3%引き上げについて具体化の方針を示した時に、5000円くらいになる可能性があるとの説明でした。過去2回も引き下げ、今回は世論に押されて引き上げを決断したのは政府です。柳沢委員の、介護保険料にはね返らないようにすべきとの主張に、部長が、「主張としては共感を覚える。そうしていきたいという希望を持っている」と答えました。「希望を持っている」というのが精いっぱいだったのかも知れませんが、「一緒にがんばりましょう」と言えば拍手が起きたでしょうに。
 注目の介護労働者の労働条件改善についても平良木議員などが質疑を行いました。私が2年前に一般質問で求めた市内の実態調査は集計作業に入っていて、3月議会前にはまとめられる見込みであることが明らかになりました。健康福祉部、特に介護保険課はこれまでも全国の先進を行く取り組みをしてきました。4月からの改定にむけて頑張ってほしいものです。


2009年01月13日

小さな番組紹介

 日本列島くらしのたよりは、新潟県上越市からの話題。きょうの「しんぶん赤旗」日刊紙のテレビ・ラジオ欄、「ラジオ深夜便」のところでこの文章を見つけました。「さて、なんだろう」と思って新潟日報や上越タイムスのラジオ欄を見ましたが、まったく紹介してありません。こうなると、気になってしょうがないのが私の性分です。放送は夜の11時20分から。災害時用(?)のラジオをひっぱりだし、ガーガー雑音が入った放送を聴きました。NHKのアナウンサーの紹介で登場したのは、何と知り合いのMさんでした。「そちらは、雪はいかがですか」という質問からはじまって「さいの神」のことに話題が進みました。今晩の放送は「さいの神」の話題だったのです。久しぶりに聴くラジオ、Mさんのアナウンサーとの落ち着いた話しぶりにも驚きましたが、ゆったりとした気分で楽しめていいもんでした。


2009年01月12日

レトリック感覚

 病院へ行った帰りに本屋に寄って『レトリック感覚』(佐藤信夫著)という本を買い求めてきました。先日、党頸城支部の新年会におじゃました際、70代のある女性党員の方から、「共産党の幹部の話は内容的に良いんだけど、もう少しレトリックを考えてもいいのでは」という発言がありました。簡単に言うと、「もっと聴衆を惹きつける話し方の工夫を」ということになりましょうか。その発言が心に残っていたからです。求めた本はこの女性が最近読んだという本です。
 家に帰って読み始めたところ、サッと読めるような内容ではありません。「なかなか難しいことが書いてあるなぁ」と言ったところ、妻が「じゃ、私に頂戴、読んでみるから」と言います。俳句や短歌をやっている人にとっては、読みたくなる内容らしい。というわけで、私が読むのはだいぶ先になりそうです。
 きょうは2つの病院を回り、親戚や友人を見舞ってきました。見舞いに行きたいと思いながら、なかなか行けなかったので、きょうこそはの思いで出かけてきました。そのうちの一人は大手術をしたばかりです。病室の窓から見える景色の解説を聴いたり、雪の少ない正月のことを話したりしました。普段はいさましい話をする人ですが、人や風景について語る姿にやさしさを感じました。早く回復してほしいものです。
 昨日から冬らしい天気になってきました。昨日、川谷へ行く時、わが愛車はラッセルしながら道をのぼりました。これは久しぶりのことでした。今晩もいい降り方をしています。雪おろしの雷も鳴っています。この調子でいくと、明日は除雪車が出動するでしょう。まだ自宅待機状態のわが家の除雪機も出番がようやくきそうです。


2009年01月11日

川谷冬まつりとサイの神と

 久しぶりにブルが出動しました。本格的な雪となったのは午前10時頃からです。空から雪がどんどん落ちてきて、あたりは暗くなりました。車を走行するにはライトが必要になるほどでした。そんな中を川谷地区へと車を進めました。11時開会の川谷冬まつりに参加するためです。
 川谷冬まつりに参加するのはこれで4回目ですが、会場の体育館に入って、あれっと思いました。昨年よりも地元の人が少ないのです。シズエさんは関東へ行っているし、基さんは亡くなっている。林のとうちゃんも来ていない。高齢化が一段と進んで体力が落ちたことなどから参加できない人が増えてきているのです。
 それでも今回も祭りは盛り上がりました。伝統の餅つきは三本づきです。三人でトントントンとつく音が体育館に響きました(音声はこちらをクリックしてください)。参加者の中で今年も大活躍だったのは法政大学の学生さんやOBの人たちです。準備から会場設営、その他、来賓のお茶出しまで手伝い、地元参加者の減った分を十分補ってくれました。うれしかったのは、学生の山岸さんが法政大学総長からもらったという表彰状を披露してくれたことです(画像)。同じ大学の堀内さんとともに表彰してもらったのは、川谷地区の一軒一軒を訪ねてまとめた論文だそうです。この披露の際、パッと立って二人の仕事をほめたのは木浦市長でした。市長が「こういうことこそ、地元の新聞に書いてほしい。また、ここへ帰ってきてもらいたい」とのべると、みんなニコニコでした。
 冬まつりは三部構成。餅つきと祝賀会のあとは雪上運動会、そしてサイの神と続きました。私は探し物競争でお茶と缶ビールをゲットしました。サイの神は今年も大きなものができ、記念撮影(画像)をしました。きょうは風もなく、点火したあとはゆっくりとまっすぐに燃え上がってくれました。
 私は川谷地区のサイの神に点火後まもなく、地元・代石町内会のサイの神へと急ぎました。こちらは午後3時が点火でした。昨年秋に刈り取ったカヤはわが家の牛舎内にしまってあったので、よく乾いています。勢いがあって、とてもいい燃え方をしてくれました。ボンボンという竹の割れる音もよく出ましたね(音声はこちらをクリックしてください)。みんなで酒を飲み、餅やスルメを焼いて楽しみました(画像)。最後は燃えカスで恒例となった墨塗りです。私の顔も真っ黒くされてしまいました。でもこれで、今年は健康でいられるでしょう。


2009年01月10日

行方不明だった本と写真を発見

 一昨年の中越沖地震、わが家でも水道管がやられたほか、家具、本棚などが倒れて、めちゃくちゃになりました。私たちの地方の方言で言うと、「かんもされた」という言葉になるのかな。この後片付けをしたのはしばらくたってからですが、その際、どうしても見つからなかったものがいくつかありました。1981年(昭和56年)に発行された雑誌と何枚かの写真です。それがきょう見つかったのです。
 発見した雑誌と写真(画像はその一部)は、妻が『おとうさんのしごと』という絵本を自費出版した当時のものです。NHKテレビやいくつかの新聞、雑誌などがとり上げてくれましたが、これは、私たち夫婦にとってはもちろんのこと、わが家にとっても宝物でした。この雑誌は妻の絵本を紹介してしばらくしてから廃刊になっていますので、わが家で見つけることができなければ簡単には入手できないものでした。それだけにうれしかったなぁ。きょう、最大の収穫です。
 きょうの発見は、党頸城支部で話をするスライドづくりの過程でのことでした。きょうの話のねらいは、私がどういう環境の中で育ち、日本共産党に入党していったのか、どんなことを心がけて活動してきたかを知ってもらい、「これなら共産党でがんばっていける」という気持ちを再確認してもらうことでした。話を楽しく、興味深く聴いていただくためにどういうスライドがいいか考えていた時、ふと思いついたのが行方不明になっていた雑誌と写真でした。きょう、話す機会を与えてくれた仲間に感謝です。


2009年01月09日

新年最初の日曜版配達

 ヒラタケ採りは予想以上に体力を消耗し、昨晩はぐっすりと眠ることができました。朝早く起床。一杯のコーヒーを飲み、市政レポートづくりをしました。これで、新年になってから2枚目です。前号では数字を間違えたり、漢字の変換ミスをしたりしてしまいましたが、今号では「うっかりミス」をしないように気をつけました。次の「しんぶん赤旗」日曜版に折り込むビラは市議団ニュースと2枚の市政レポートです。配達ポストごとに新聞の部数分を印刷するのですが、今朝は印刷だけでも1時間以上かかりました。印刷後にミスが発見されませんように。
 午前中に「しんぶん赤旗」日曜版を30部ほど配達しました。日曜版の配達は新年に入って最初です。1軒1軒、声をかけながら配達してきました。どこの家でも、「雪が少なくていいやんべだね」という声が出ました。いつも声をかけてくださる家で、定額給付金のことや市内の派遣労働者のことで質問されました。この方の話のなかには私の知らない情報が時々入っており、とても助かります。午後から生活相談が2件入ったため、山間部の配達については後援会の仲間に応援を頼みました。新聞配達は明日も半日はかかります。
 夕方、父のところに寄ったところ、マスクをしていました。ちょっと元気がありません。帰りしなに、「また来るすけ、帰ってもいいかね」と呼びかけましたが、いつものように首を縦にふりません。「ダメか?」というと今度はこっくり。帰らないでくれということを父がはっきり意思表示したのは入院後初めてです。明日、明後日とスケジュールはいっぱいですが、どこかで時間をつくって見舞ってあげたいと思います。


2009年01月08日

ヒラタケ採り

 このままではいけない。少しでも体を動かそう。午前中の精密検査の結果を受けて、そう決意しました。それで午後から友人を誘って、標高250メートルほどの山に入り、ヒラタケ採り(画像)をしてきました。
 ヒラタケは何度も食べてはいます。でも自分で採りに行くのは初めてでした。収穫はどうだったかというと、買い物用ナイロン袋に一袋、約5キロほど採ることができました。手触りといい、匂いといい、最高です。ヒラタケだけでなく、天然のナメコも少しばかり採れました。
 1月だというのに積雪はわずか20センチほどしかありません。春先の雪の上を歩いている感触がとても良かったですよ(友人と一緒に雪の上を歩く音はここをクリックしてください)。雑木林を約2時間半歩きました。運動をする時は楽しくやるのが大事と言われたことがあります。上り下りがきつくたいへんでしたが、本当に楽しかったです。


冬晴れ

 いま、病院から帰ってきたところです。父の病気が悪化したわけではありません。私が昨年の人間ドッグで要精密検査となっていたので、きょう、やっと出かけてきたのです。ドッグは毎年受けているのですが、肝臓、胃、胆のうに黄信号がついていて、いつもより精密検査の項目が多くなっていました。きょうの検査では、胃以外はなんとかパスしました。残る胃はポリープができているとかで、15日に胃カメラを飲んで調べてもらうことになりました。
 ところで、昨日といい、きょうといい、ほんとに暖かいですね。昨日は市役所の近くにある文化会館で介護保険運営協議会を傍聴した後、エレベーターのところまで行ったところ、目の前に米山と尾神岳の雄姿(画像)が見えました。雪のない正月は、個人的にはありがたいですが、いつまで続くのでしょうか。頸城区では、もうスイセンが咲いていました。
 朝3時過ぎまでスライドづくりをしていて、日記を後回しにしていたら、昨日分は書けなくなってしまいました。


2009年01月06日

4人の皆さんの活躍、ケーブルテレビで見ています

 昨日は夜遅くまで頑張ったので、今朝はなかなか目が開きませんでした。事実上の目覚めは早朝の電話です。公衆電話からかけてこられ、中身は多重債務についての相談でした。今年はこの種の相談が増えそうな予感がします。
 きょうは、党議員団で13区を駆け巡りました。雪が少なかったこともあって、ほぼ予定通りまわることができました。少ない時間の中でも総合事務所幹部と懇談できたり、住民の方とも意見を交わすことができました。ある区では、スクールバス運行について、どういう歴史的な背景があるのか教えていただきました。その時の保護者との合意を大事にした対応が必要との指摘もありました。こういう声は、今後の議論の中で生かしていきたいと思います。
 うれしかったのはお昼を食べたお店でのことです。そこの主人も奥さんも私たち4人に激励の声をかけてくださったのです。奥さんは「みなさんの活躍、ケーブルテレビでみていますよ。いろいろな問題とりあげてもらい、感謝しています。がんばってください」と言ってくださいました。そして、食後にはコーヒーをおごってくださいました。
 夕方は、妻と一緒に父にところへ。顔や頭の皮膚が何か所もはがれ、少しずつとれていくのが気になり、ピンセットを使いとってあげました。


2009年01月05日

負けちゃいられない

 昨日の新潟日報の10面に、岩塚製菓㈱の槇春夫社長、絵本作家の中村麻美氏、日本画家の大矢紀氏のてい談が掲載されていました。NHKの大河ドラマ『天地人』が始まるその日という絶妙のタイミングで、直江兼続の魅力を語り、ふるさと新潟の〝雪国の心〟を語り、岩塚製菓㈱が製造した「天地人紀行」に込めた思いを語る。見事なてい談でした(画像)
 「見事な」と書きましたが、ここには、『天地人』の放映を絶好のチャンスととらえ、ふるさと新潟をアピールする見本とも言うべきスタイルがあったからです。中村麻美氏は火坂雅志氏の『天地人』が新潟日報で連載されていた時に挿絵を描いた人です。そして大矢紀氏は与板出身の著名な日本画家です。てい談で中心に据えられていたのは、「謀略や裏切りが渦巻き、親子や兄弟間でさえ争った戦国時代に、義と愛の精神で民のことを考え続けた存在」「生き方は無欲そのもの。ぎらぎらした欲望はなく、あくまでも主君をたてて生き抜いた姿は、忠義以前に人間として素晴らしい」(大矢氏)などといった兼続の魅力です。そういうなかで槇社長が、米菓王国・新潟の土産ブランドにしたいと、お菓子の「天地人紀行」の宣伝をしっかりやっていたのにも感心しました。
 ただ、このてい談を読んで残念だったのは、直江兼続の活躍の中心舞台だった上越市のことが全くといってよいほど触れられていなかったことです。てい談をまとめたら、たまたまそうなっただけなのかも知れませんが、南魚沼市や長岡市与板のことが出ていて、上越市のことが出ていないのは納得がいきませんでした。きょう、このことについて市内のある金融機関の職員さんに話したところ、「そりゃ、中越にゆかりの人たちが話をすればそうなりますよ。上越の人たちはもっと宣伝上手にならなきゃ」と言われてしまいました。負けちゃいられませんね、上越も。


2009年01月04日

いつも風が吹いている絵

 上越市消防団の出初式を終えてから、新年になって初めて高田の町へ出かけてきました。大和デパート5階で開催されている村山陽先生の絵画展(6日まで)を観るためです。村山先生は私の高校時代の芸術の先生でした。私は直接習っていないのですが、高校時代から先生の絵には関心を持ってきました。
 会場には大きい作品や小さい作品が100点ほど展示されていました。実家が蹄鉄屋さんだったこともあって、その仕事の絵がとても力強く描かれているなと思いました。私もそうですが、親がやっている仕事には特別の想いがあります。展示されていた作品の中で強くひかれたのは、「なんにもだいらの樹たち」と絵本『はんの木のみえるまど』のなかの夕日の絵です。森の中の雪の色、赤というよりはピンク色に近い夕日、私の気持ちとぴったりで、その場にじっとしていたくなりました。先生の風景を描いた作品を観ていて、きょう、発見したことがあります。どの作品でも風が吹いているのです。絵には直接描いてなくても吹いているのです。それが絵に勢いを感じさせ、観る人をひきつけているなと感じました。
 きょうの絵画展には村山先生もおられました。会場で新潟日報事業社からこのほど発刊された『村山陽作品集』を買い求めた際、先生から少女の絵とサインをもらいました(画像)。先生がペンを持ち、絵を描かれる姿を見るのは初めてでした。少女の横顔を描かれているときの丁寧さ、先生のお人柄がにじみ出ていました。
 市政レポート1378号及び「春よ来い」第101回をアップしました。トップページから入ってご笑覧ください。


2009年01月03日

市政レポート新年号作成

 きょうは「しんぶん赤旗」日刊紙を配達した後、ほぼ一日中、パソコンで仕事をしました。明日付の市政レポート、事実上の新年号づくりです。市政レポートは普段、「しんぶん赤旗」日曜版の発行に合わせて作成しているのですが、新年号だけは年が明けないと書けません。年前ですと、どうしても気分が乗らないのです。
 でも、きょうはなかなか書き進むことが出来ませんでした。書けなかったのは裏面です。久しぶりに「春よ来い」を書くことにしていたのですが、組み立てが気に入らず、途中で書き直したりしていたら、午後になってしまいました。一応書き上げたのは午後2時すぎ。タイトルは「指相撲」、義父母と妻の間で起きた出来事をテーマにしたものです。すぐに印刷してもよかったのですが、新聞屋さんのところに持って行っても、明日の折り込みには間に合いませんので、もう一晩、文章を寝かせてみることにしました。
 一日中、家にいたおかげで、新聞をゆっくりと読むことができました。「しんぶん赤旗」日刊紙に掲載された経済同友会の終身幹事・品川正治さんのインタビューを面白く読みました。「労働者と企業と両方あって資本主義。年収200万円で、結婚して、子どもを育て、衣食住をなんてできない。そんな人の使い方をしていいのでしょうか」「共産党さんは、『ルールなき資本主義』から『ルールある経済社会』へとおっしゃいますが、私は次の段階のことも考えるんです。私は『人間の目で見た経済』に近づくため、つきつめて考えていくと、資本主義というシステムそのものにぶつかるんです」。こういう財界の幹部もいるんですね。
 明日は消防団の出初式です。生活相談をしたいと病院で私を待っている人もいますので、帰りはその仕事もしてきたいと思っています。


2009年01月02日

新春街頭宣伝

 新年に入って初めての街頭宣伝に出ました。きょうは市議団での共同行動です。雨や雪がまじった強風の中を頸城区、大潟区、柿崎区、吉川区、浦川原区、安塚区、牧区、清里区、合併前上越市の順で回りました。今回はアナウンサー専属の人がいなかったことから、流しスポット宣伝も自前でやりました。慣れないので、ちょっと力んだだけですぐ声がかれてしまいます。選挙などでいつもアナウンサー役をやってくださる方の苦労がわかりました。
 新春の街頭宣伝は合併後の上越市が範囲となります。新市の面積は「東京都の面積の半分」と憶えていますが、とにかく広いですね。それだけに回るたびに新たな出合い、発見があります。きょうは大島区内の保倉川の上流で、川の中を次々と雪が流れてくる光景(画像)を目にしました。議員団みんなで、「こんなの初めてだ。きれいだね」と話題になりました。安塚区から牧区へ抜ける時に小さいながらも素敵な滝(画像)を見つけました。さらに妙高市との境となる地域に入った時のことです。ここは、扇状地上にできた集落が多いのですが、山からの豊富な水をどんどん道に流して無雪化しているところがいくつもあることを知りました。
 宣伝が終わって上野議員宅でお茶をいただきました。ぜんまいの煮付け、昆布、ジャガイモと栗の入ったきんとんがとても美味しかったです。なかでも昆布はやわらかく煮込んであり、最高でした。「頭の毛の薄い人にはいいんだよ」との「激励」を受けたので、出された昆布の7割くらい、食べさせてもらいました。


2009年01月01日

年賀状書き

 新年おめでとうございます。今年は町内会の新年会当番が仕事始めです。6年に1回の割合でまわってくるのですが、会場の準備、酒の燗だけでなく、司会をやることになったのは今の町内会に移り住んでから初めてでした。新年になると、何をやるにも新鮮さと緊張感があります。開始から終わりまで約1時間、無事に終わってホッとしました。
 新年会が終わってから地元のお寺をお参りし、その後は、年賀状書きです。市内は公選法上返信しか出せないので、ついつい市外の親戚や友人のところまで書かずじまいになっていました。きょうは、妻の実家へも挨拶に行ったのですが、そこでも年賀状を書きまくり、夜になってようやく書き上げました。宛名だけでも準備しておけば楽なのに、そう思われるでしょうが、それがなかなかできません。
 妻の実家からの帰り道、偶然にも上弦の月とその下方に位置する金星がきれいに見えました。きょうは悪天候で見ることができないと思っていただけに感激でした。


2009年01月投稿分

2009年01月に投稿された全てです。

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