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2004年09月投稿分

2004年09月30日

知事選告示

 雨が降って風が吹く。こんな中でポスターを貼る。まさに最悪のスタートとなりました。裏面がシールになっていないのはわが陣営だけでした。軽トラの中で、ポスターの裏面にボンドを塗って二つ折りにし、掲示板へ。風の弱まった時にタオルで板を拭き、ポスターをサッと開く。上の方からしっかりと押さえ、形を整える。貼ったら、タオルでポスターをこすり、画鋲で留める。こんなやり方で貼ったら、私の受け持ちの60数枚を貼るのに約5時間半かかってしまいました。最初の1時間くらいで雨が止んだからまだ良かった方です。雨が続いていたら、それこそ一日仕事になったことでしょう。次回からは、金がかかっても、ポスター裏面はシール形式にしてほしいと思います。
 きょうは月末。ポスター貼りを優先しましたが、「しんぶん赤旗」購読のお願いで1つの集落に入り、対話をしてきました。この中で、一般紙に折り込んでいる町政レポートをよく読んでいてくださる方に出会い、日曜版を購読していただくことになりました。きょうは、中学校の先輩で、川崎市に住むMさんから手紙が来ていて、この中でも、帰省した時に町政レポートを読み感動したということが書かれていました。B4サイズ1枚で、まだまだ工夫の足りないチラシですが、このように読んでいてくださる方があることを知るとうれしくなります。町政レポートは毎週発行で、木曜日の夜から金曜日にかけて作成しています。それでは、「見てある記」はこれくらいにして、レポートの原稿書きをしなくては……。


2004年09月29日

柿崎ドームでウォーキング

 道の駅で久しぶりに元教員のTさんに会いました。私が軽トラから降りた途端、「ちょっと、あんた、運動不足じゃないの?」と声をかけられました。最近、ばたばたしていて、ウォーキングの回数も極端に落ち込み、週1回くらいになっています。それでいながら、飲む機会が増えている。体重もこの夏場に3キロ近く増えてしまいました。久しぶりに私を見た人にはこの差がハッキリと見えるのでしょう。
 朝から小雨が降ったり止んだりのパッとしない天気。こういう日は時間がとれてもウォーキングは中止していました。しかし、きょうはTさんの一声が気になり、柿崎ドームへ。ここは数年前、雨の日、雪の日に通ったところですが、ランニングコースで約30分間歩きました。ちょうど吉川町の駅伝ランナー、Wさんも来ていて、声をかけてもらいました。
 きょうは、朝から古いポスターの撤去、集金などで動きました。明日から県知事選挙が始まります。一番の心配は、候補者ポスターが貼れるかどうかです。これまで30数年ポスターはりをやってきましたが、告示の日に台風がやってくるのは初めて。いまのところ(22時18分)、台風の気配はまったくなく、いつものように外からは虫の声が聞こえてきます。嵐の前の静けさか。
 


2004年09月28日

高崎市から従姉らが来町

 きょうは高崎市に住むHさん夫婦、Aさんの3人が吉川町へやってきました。6月に亡くなった伯母の葬儀などで世話になったと、吉川町の親戚に挨拶回りをするのが主たる目的です。それともう1つ、この吉川に来て、伯母のことや疎開時に遊んだことなどを思い出してみたいという思いもあったようです。わが家では仏壇で手を合わせて、先祖に伯母のことを報告したり、セピア色をした昔の写真を見てなつかしい話をしました。
 伯母には小学校へ入学する前に高崎へ養子に行ったという経歴があります。養父母の方々がとても暖かく育ててくださったようで、高崎での暮らしを始めてからの生活ぶりを時々写真に撮り、実家であるわが家に送ってきました。今回、わが家にやってきた3人は、それらの写真を見てとても喜んでくれました。伯母の水着姿の写真、結婚式の写真など、高崎の家には現存しないものを何枚も見たからです。いずれも初めて見たとのことでした。なぜ、これらの写真が高崎の家にないのか定かではありませんが、Hさん、Aさんは、たぶん伯父が戦地へ持っていったためではないかと言っていました。
 昼食後、3人と私、それに父も加わって、尾神へ行ってきました。尾神岳の遊歩道や20数年前までわが家があった蛍場を訪ね、散策しました。アキノキリンソウノコンギクツルリンドウなどを見つけたAさんは、野の花が大好きで、それぞれの花についてどこで最初に出会ったかなどを語ってくれました。蛍場には50数年前のことを思い出させる風景がまだ残っていたようで、Hさんは、「あの山を見ると、炭焼きに行っていた音治郎じいさんがフンドシひとつでぷらぷらと帰ってくる姿を思い出す」などと、感慨深そうでした。
 


2004年09月27日

重要課題はまだある

 合併まであと3ヶ月という時点ですが、編入する自治体議会と編入される自治体議会で審議のやり方にハッキリとした差が見えてきました。編入する側の上越市では、新市での学校統合はどうするかなど14市町村合併を視野に入れた質問が増えてきています。答える市長や教育長は、新市になっても市長であり、教育長ですので、「こうします」という答弁ができます。一方、編入される側の議会ですが、新市でどうするかは聞きにくいのが実情です。せいぜい、新市につないでほしいというレベルにとどまってしまいます。それどころか、ずばり、こうします、という答弁はもらえないと分かっているので、質問を控える傾向も出ています。一般質問に立った議員がたった1人だった議会もありました。
 合併までには、地域自治組織をどうするかについて市町村間協議を行うことや、これまでの行政の総括をキチンと行うなど、いくつかの重要課題があります。こうしたなかで、これまで住民と話し合ってきたので、住民懇談会を開く必要はないとしているところと今後、開催を予定しているところがあることが分かりました。いずれの選択をするかは、どうも首長の姿勢にかかっているようです。廃置分合申請の議決で区切りがついた、あとは行政と議会でやればいいとするのか、最後まで住民の声を聞いて決めていくのか、これは行政運営の基本の問題だと思います。
 
 午前に頸北議員の会の小関代表と会いました。会を2か月ほど休んでいましたが、情報交換は大事であることを改めて確認できました。来月上旬に会を開くことにしました。


2004年09月26日

シラネセンキュウ

 「しんぶん赤旗」の集金を午前に行い、午後から、町政レポート議会速報版と新にいがた号外を山間部で配布しました。この時期は、ツリフネソウノコンギクなど秋の花がたくさん咲いているので、楽しいチラシ配布となります。きょう一番気になった野の花はシラネセンキュウです。セリ科のなかでも細やかで、すっきりした美しさが魅力。毎年撮っているのですが、今年もカメラを向けてしまいました。
 シラネセンキュウは今年の8月下旬にも出会っています。場所は、長野県軽井沢町の白糸の滝周辺です。標高が1300メートルくらいありましたから、うちの町よりは早く咲くことはありうることだと思っていましたが、まさか1か月も差があるとはね。驚きです。この花は清水が流れるようなところ、日陰でじめじめしたところが好きですので、町内では山間部の方が目に付きます。
 きょうは、チラシ配布が終えてから、大島村板山まで足を伸ばしました。たまには伯母の顔を見てみたいと思ったからです。伯母は、畑でサツマイモを掘っている最中でしたが、手を休め、お茶をご馳走してくれました。今年の稲のとれ具合が悪いとか、合併に向けた村の取り組みが見えないなどといった話をたくさん聞いてきました。伯母が出してくれたゴーヤーの料理、どこかで食べたものと似た味だと思ったら、母が作るものと同じでした。姉妹でちゃんと情報交換しているのでしょう。


2004年09月25日

一枚の写真が…

 きょうは、午前に母の用事や妻の習い事の送り迎えをしたほかはずっと「しんぶん赤旗」日曜版の配達、集金でした。ただ、いつもとちがうのは、「しんぶん赤旗」に折り込む町政レポート議会速報版がすでに一般紙に折りこまれていることです。したがって、読者から「なになにの記事はおもしろかった」などという反応を聞くことができる。それが楽しみです。
 一番反応があったのは、郵政民営化反対の意見書提出を全会一致で決めたニュース、そこで使用した写真でした。写っているのは、職員数わずか2名の尾神郵便局です。すでにこの局は廃止となっていますが、写真を見た人の中には、そこに出入りしていた人も少なくありません。たった一枚の写真をきっかけにして、「局の前の道路においてあるバイクは局長さんのものではないだろうか」などいろんな話が飛び出しました。
 この写真は、20数年前、わが家が尾神岳の麓にあったころ、ある農業雑誌の方が取材に見えられ、その時に撮っていただいたものです。小さな郵便局であっても地域になくてはならない公共機関でした。郵便局があった当時と比べれば、いまの尾神集落の戸数は半減しました。「近くに学校もあり、郵便局もあった。それがなくなるとどうなるか考えさせられた」とはある読者。写真の大切さを改めて知った次第です。


2004年09月24日

みどりの山里 みなもと

 午前は農業委員会定例会、そして農業委員会だより編集委員会と続いて開催されました。この町の農業委員会も合併に伴い12月いっぱいでなくなります。編集委員会は最終号をどうするか、の話し合いでした。歴代の会長さんから思い出話を語ってもらう、80数回にわたって発行された便りを使ってこれまでの歩みを振り返る、などの提案が次々と出されました。
 お昼休みにNHKの連続テレビ小説「天花」を観ました。このドラマは、このごろよく観るようになりました。きょうも良かったですね。天花と竜之介のそれぞれの祖父が戦後の焼け跡でお互いの子どもたちを結婚させようと誓ったという思い出話、ぐっとくるものがありました。それと天花の父・信夫(香川照之)の結婚式での謝辞、何回も練習したスピーチは途中でつっかえます。さあ、どうなるかと心配したら、原稿から離れて稲作りの話へ転換し、稲に咲く小さな白い花にたとえて、天花と竜之介の結婚を祝福しました。ドラマとはいえ、ノー原稿で心を込めて語ることの素晴らしさを味わいました。いよいよ、明日が最終回、どんな展開で終わるのか、楽しみです。
 さて、うれしいニュースです。私が生まれ育った吉川町の源地区の皆さんが、「みどりの山里 みなもと」というタイトルのホームページを立ち上げました。みなもとの特産品や文化財、遺跡などを紹介しています。私の生まれたところですので、よく知っているつもりでしたが、遺跡がこれほど地域に広がっているとは思いませんでした。合併によって、こうした山間部がますます過疎化していくのではないかと心配されているなかで、この取り組みは地域を元気づける力になると確信します。ぜひ訪ねてみてください。
 最後はお知らせです。「春よ来い」の28回目、「地球儀」を掲載しました。ご覧ください。


2004年09月23日

農業に暮らせば

 しんぶん赤旗日曜版9月26日号を見てうれしくなりました。読者のページ(26面)に吉川町の25歳の青年の投稿が掲載されていたのです。タイトルは「農業に暮らせば」です。「私の住む吉川町は典型的な農村部の田舎町だ。ここにはお金はないが、生きていくに困らない水や食べ物ならまだたくさんある……」。田舎での農業挑戦を訴え、その条件整備を求めた文章はなかなかいい。筆者は誰だか分かりませんが、読み終わった時、一人の青年の顔が浮かびました。先日、民主県政の会のポスターを貼っていた時、そばの田んぼで稲刈りの手伝いをしていた青年です。「鈴木昌司」はおそらくペンネームでしょうが、自由民権運動で活躍した当町の偉人の名前も知っているとしたら、かなり勉強している人だと思います。一度、ゆっくり話をしたいものです。
 今号にはもう一人、知っている人が33面に登場しています。上越市谷浜に住む田中弘邦さんです。この間まで合併協議会でご一緒させてもらいましたが、酒造りの関係で私の父もお世話になった人です。田中さんは、元全国特定郵便局長会会長さん。最近、『国営ではなぜいけないのですか』という本を出版され、話題になっています。地元では保守系で通る有名人が赤旗に出ることに抵抗があっただろうと思ったのですが、私の方が考えが狭かったようです。田中さんいわく、「(郵政民営化を)やめさせるためには、自民党も共産党もありません。私は全方位です」。さすがだと思いました。
 あまりにもいい天気だったので、午後からデジカメを持ってまわりました。トップページの写真も稲刈り後のものに変えました。帰りには、米山さんがハッキリと見え、きれいだったので撮りました。この写真は「私の好きな風景」に「米山とコスモス」というタイトルで掲載しましたので、ごらんください。


2004年09月22日

9月議会終わる

 会期は明後日まででしたが、9月議会は実質的に一日早く終わりました。決算審査での質問は、合併で町がなくなるせいなのでしょうか、例年の半分以下だったように思います。私自身も、新市にどうつないでいくかという視点に立った質問をもっと展開すべきだったと反省しています。
 夕方、会費制で懇親会があり、参加してきました。参加者はこの議会の話だけでなく、吉川町が誕生してからの議会の様々な思い出話に花を咲かせました。一般質問の一回目を終わったら、さっさとどこかへ行ってしまったことなど、前町長(当時は議員)にまつわるエピソードはいっぱいあります。おそらく、きょうは天国で、「またオレの話をしているな」と苦笑いをされていることでしょう。
 そうそう、家から懇親会場まで歩いて行く時、ヤブツルアズキイヌトウバナノコンギクの花を見つけました。秋に咲く野の花は、これからしばらく、いろんな花が次々と咲いていきます。県知事選があるので、思うように野の花探しができないかもしれませんが、少なくとも5つくらいはこれまで出会ったことのない花に会いたいものです。
 夜は今議会で3枚目の議会速報を作成しました。できれば、明日の朝までに裏面も書きたいと思っています。まだ未完の「春よ来い」の28回目が書けるかどうかが問題です。


2004年09月21日

決算審査

 9月議会はきょう、明日と決算審査となっています。いつもなら特別委員会をつくり、10月から11月にやるのですが、今年は、合併を控えているので9月議会の中で審査することになりました。ところが、今回は質問の組み立てがなかなか難しい。というのは、いまの町執行部は今年いっぱいでおわりですので、来年度どうするかという質問が事実上できないときています。私だけでなく、他の議員もどう質問していくか迷いながら審査に参加していたように思います。
 そういう中で、合併に伴い、基幹型在宅介護支援センターが当町にはなくなり、地域型在宅介護支援センター1つになることがハッキリしました。いまでさえ、多忙となっている地域型センターが合併後もいまのスタッフだけでいくなら、介護保険サービス提供に支障が出ないとはかぎりません。担当課長は「基幹型がなくなる分、保健センター職員が頑張るので……」と言いますが、不安を感じました。
 昨日の夕方、長岡からの帰り道、車の中まで飛び込んでくる虫の鳴き声が話題になりました。とても高い音で、「リーリーリー」とやっているのは、外国からやってきたアオマツムシで、樹上で鳴いているとのことでした。それできょうは、草刈が終わってから、畑で注意して聞いていると、周辺の雑木林から「リーリーリー」の大合唱が始まりました。これまで、ずっと草むらで鳴いているものと思ったのですが、1つ利口になりました。


2004年09月20日

長岡で民主県政の会の演説会

 午後から民主県政の会主催の演説会参加のため、長岡市に出かけてきました。きょうの演説会では、①県内では小児科の医師が足りなく、少子化対策上、大きな問題であること、②破綻した県財政の建直しが問題となっているというのに、これまでの平山知事を支えてきた自民、民主、社民が推す候補者はいずれも、新潟空港滑走路を延長し、新幹線を新潟駅から新潟空港にまで乗り入れることを公約に掲げていることなど知ることができました。
 きょうの演説会では、最前列に陣取り、弁士とは5メートルくらいの距離のところで話を聞きました。日本共産党政策委員長の小池晃参議院議員、思っていた以上に腰の周りが大きい人でした。この人の話を聞くのは2回目ですが、ほんとうにユーモアたっぷりで分かりやすい。いずれは書記局長になる人だと思いました。応援弁士の長野県議・石坂千穂さんの話を聞くのは初めてです。軽快なテンポで田中康夫県知事誕生前とその後を比較し、悪政を変えることができることをレポートしてくださいました。近くにいたおかげで、石坂さんとは直接話をすることができました。
 演説会が始まる前に、受付をやっている方から、「橋爪さんに会いたいという方がおられます」と言われました。誰かと思いきや、何と京都市在住のTさんでした。Tさんは、吉川町立源小学校、竹直小学校で教師をされていた女性です。「演説も聞きたいと思っているけど、ここにくれば懐かしい人に会えるかと思って……」という言葉を聞きながら、がっちり握手をしてきました。長岡市の親戚に来ておられたとのことですが、思いがけない再会でした。


2004年09月19日

映画「千の風になって~天国への手紙」

 先日、BSN新潟放送の大倉修吾さんの話を聞いてからぜひ観たいと思っていた映画、「千の風になって~天国への手紙」を妻と一緒に観てきました。期待したとおりの素晴らしい映画でした。人間には人それぞれの死があり、悲しみの中身もみんな違います。しかし共通点が無いわけではありません。天国へ行った人へメッセージを送りたい、そしてできれば返事がほしい。映画はこの願いに応える構成となっています。終わるまでには、何度か涙があふれでて、頬を濡らしました。
 この映画は3つの具体的な死をとりあげ、死に至るまでのドラマを伝えるとともに、生の喜びをえがいています。身内の者の死に伴う悲しみを伝えるだけでなく、手紙を書いている人など死者の身近な人たちが、悲しみを乗り越えて生きていく姿が感動を呼びます。死と生は連続していることを改めて確認することができました。その意味では、映画の最後の場面が、天国への手紙を取材していた女性記者自身の出産のクローズアップとなっているのはとても良かったと思います。
 映画では青い、澄み渡った空、満点の星空など、何度か空が出てきます。すでに亡くなった愛する人を想う時、空は何かを伝えてくれます。空を流れる風が何かを運んでくれるのです。いまから40年前、私は初めて肉親の死を迎えました。祖父です。祖父が死んだ時は、医者を迎えに出ていました。「じいちゃんが死んだ」ということが伝えられた時、私も空を見上げました。夕焼けでした。じっと見ていたら、「あにゃ、元気出せや」という祖父の声が聞こえてきました。以来、夕焼けの空は私を励まし続けてくれています。
 この映画のエンディングソングも胸がいっぱいになる曲で、いつまでも心に残ります。この曲の元になったのは、吉川町の顧問弁護士でもある新潟市の川上耕さんのお連れ合いの死を悼む文集でした。それをまとめ、作詞したのが川上さんの友人で、作家の新井満さん、歌詞がとてもいいですね。
 私のお墓の前で 泣かないでください
  そこに私はいません 眠ってなんかいません
  千の風に
  千の風になって
  あの大きな空を 吹きわたっています
  秋には光になって 畑にふりそそぐ
  冬はダイヤのように きらめく雪になる
  朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
  夜は星になって あなたを見守る
 帰りの車の中で妻とこの映画について話をしました。私は確認できなかったのですが、歌っていたのは新井満さんだといいます。こんなに、やさしく、上手く歌える新井さんて、どんな人だろう。彼の本を読んでみたくなりました。


2004年09月18日

出版記念パーティ

 昨年亡くなった古厩忠夫さんの『Fゼミ通信』(同時代社)と『日中戦争と上海、そして私』(研文出版)の2冊の出版を祝って、東京の学士会館でパーティが開かれました。集まったのは出版関係の人たち、学生時代の友人、教え子、親戚など50数人。当初予定していた参加者が当日になって10数人も増え、開始時間1時間前に料理の追加をお願いするほどでした。参加者数だけでなく、中身の満足度も百点満点の出来だったと思います。
 古厩さんを囲む(?)こうした会に参加していつも思うのは、生前のお付き合いの広さと濃密さです。会を成功させようと一生懸命になる存在が必ずいますし、参加者の中には強烈な個性の持ち主が何人もいる。今回もパーティ開始時間を1時間間違え、遅れて参加、その後、ユーモアたっぷりに思い出話をしてくださった立命館大学のHさんもその一人、ほんとうにおもしろい人でした。もっとも時間を間違えたという点では、閉会時間を開会時間と間違えてやってきた愛知県の高校教師・Aさんの方が上手(うわて)でした。
 今回のパーティを企画してくださった方たちとの話し合いでは、酒を飲んで楽しい会になればいいね、ということでした。ただ一つ気がかりだったのは、お酒が入った後のスピーチを聞いてもらえるかどうかでした。でもすごかったですね、10人を超える人たちが次々とスピーチをしてくださったのですが、全員の話を集中して聞いてくださったのですから。どんな話が飛び出すのか興味津々だったこともありますが、司会をしてくださった近藤典彦さん、松本ますみさんの力が大きかったと思います。
 私の今回の任務は古厩さんを映像で紹介すること。参加者のほとんどがビデオで古厩さんが登場する企画の存在を知らなかったので、司会の松本さんの「それでは、これから古厩さんの講義を聞いてもらいます」の言葉には驚いた様子でした。にっこり笑って「おはようございます」といい、軽快な語り口で「森の水車」の歌詞について説明する姿など古厩さんの映像はインパクトが十分ありました。テープをダビングしてほしいという人まで出て、私はとてもうれしくなりました。


2004年09月17日

9月定例議会第2日

 べたつく暑さを感じた一日でした。早朝4時半過ぎから「しんぶん赤旗」日刊紙と日曜版の配達をスタート、議会の会議時間以外はお昼休みを含め、ずっと配達をしました。明日、東京へ出かけるので、それまでには終了させたいと思うのですが、できるかどうか……。
 朝の配達でヒガンバナを見かけました。ある読者の家の庭先で咲いていたのです。最近は自分の家で咲かせようという人が多いのか、朝だけで6、7軒で見かけました。この花ばかりではありませんが、時期が来ればいっせいに花を咲かせる、見事なもんです。この花の赤を忌み嫌う人もいるとのことですが、私は好き。特に黄色の田んぼとは合いますね。
 議会は2日目。一般会計補正予算審議で、道路改良の図面の提出を求めたら、提出までに1時間以上も時間がかかったのには驚きました。同時に、そういう図面を見てもよく分からない、と図面提出に疑問を投げかける人がいるのもびっくりでした。予算の裏づけなどしっかり確認していくことは議員の姿勢として大事なことだと思います。


2004年09月16日

9月定例議会初日

 きょうから9月定例議会がはじまりました。会期は24日までです。冒頭、議長が、「今定例会は、実質的には、合併前に様々な課題を審議する最後の定例会になる。大いに議論をしていただきたい」とのべました。最後という言葉はいろんなところで聞いているのですが、議場でこの言葉を聞いてもいまだに信じられません。心の中では、まだ吉川町議会は続く、と思っているのです。
 きょうは一般質問がありました。介護保険の見直し問題、新市の予算編成、地域自治組織の問題で町長に質問しました。質問を準備しながら思ったのは、介護保険の問題について、新市になった場合どうなるのか、どうすべきかについてあまり議論してこなかったということです。今回は、要介護者を抱えた家族の方や介護サービスに取り組んでいる職員の声を伝えようという思いで、質問を展開しました。
 新市の予算編成は、木浦上越市長がどういう姿勢であたるかが問題。同市長は、これまでの合併協議では、「編入であっても、新設の気持ちで」と対等、平等の協議姿勢を強調してきました。予算編成にあたっては、13町村の首長などと協議をしていくべきだというのが私の主張です。角張町長の気持ちも動いたように見えましたので、今後の動向に注目したいと思います。


2004年09月15日

横に飛行するヘリコプター

 秋晴れ。それも今年一番の秋晴れでした。明日から議会でいろいろと準備があったのですが、こんな良い天気の日に家の中にいるなんてもったいない。外へ飛び出し、写真撮影をしたり、草刈りをしたりと忙しい一日になりました。トップの写真はきょうの成果のひとつです。ここの黄色のコシヒカリも刈り取り直前、次回の写真からは稲の姿が消えてしまうことになるでしょう。
 お昼少し前ころです。おもしろいものを見ました。ヘリコプターが吉川町上空でホバリングをしたり、ゆっくりと横に飛行したりしています。こういう飛び方をなぜしているのか、遊んでいるわけじゃないでしょうから、そうでないとすれば、写真撮影か測量、あるいは捜索のいずれかでしょう。来年の市町村合併前の記念事業の一環として集落ごとに上空からの写真を撮る、こんな企画を立てた人でもいるのかな。
 ヘリコプターが去ってから聞こえてきたのはツクツクボウシの鳴き声でした。8月のような大合唱ではなく、ソロ、あるいは数匹の合唱でした。チョコチョコイース、チョコチョコイースと私には聞こえるのですが、おそらく今年最後の鳴き声となるのでしょう。ご苦労様でした。
 「私の好きな風景」に「転作ソバ」を掲載しました。この時期、田んぼの中の色は、黄色と緑と白。昔は黄色一色だったのですが、減反押し付けによって大豆の緑、ソバの白が仲間入りしました。減反政策は間違いですが、青い空の下で広がる黄色と白、そして緑。それらがつくりだす美しさは見事です。


2004年09月14日

世界のおかあさん

 きょうもイラクでテロによる爆発があり、40数人が死亡しました。そしてアメリカのパウエル国務長官が大量破壊兵器について、「いかなる備蓄も見つかっておらず、この先も発見されることはないだろう」という重大発言をしました。イラクなどで戦闘は、毎日のように報道されると慣れっこになってしまいます。そこで肉親を失って呆然としている人もいれば、怪我をして苦しんでいる子どももいる。慣れっこになってしまうとは、そうしたことが浮かばなくなってしまうことです。
 そうした慣れっこになっちゃいけない。戦争をしてはいけない、させてはいけない。そのことを教えてくれる歌に出会いました。国分寺エクスペリエンスの「世界のおかあさん」です。はじまりは ありふれた恋  ひとりの男と 愛し合ったこと……。7分あまりの歌をじっくり聴いていたら、どういうわけか、戦闘行為の下で嘆き苦しむ人々の姿が浮かんできました。世界のどの国にもいるおかあさん、子どもを産み育てる世界のおかあさんが涙を流すことがあってはならないという思いが広がっていきます。1つの歌がこんなに力を持っているとは驚きです。
 この歌の存在を教えてくれたのは、3日ないし4日に一度、「非戦つうしん」というメルマガを発信している岡谷市の弁護士、毛利正道さんです。「ホーセの見てある記」の読者のみなさんもぜひ一度「世界のおかあさん」を聴いてみてください。上段のリンクを張ってある「世界のおかあさん」をクリックしてくだされば、試聴できるホームページにたどり着きます。この歌が日本中に広がり、世界に広がれば戦争をなくす力が少しでも強まるはずです。


2004年09月13日

ビデオ編集作業

 牛舎の周りにシロバナサクラタデが咲いているのを見つけました。花の咲きぐあいから判断すると、もう何日も前から咲いているのかもしれません。この花は、秋に咲く野の花の中で大好きな花の1つです。ミゾソバの葉が緑色のジュータンのように広がっている畑の中に白く、光っている姿は見事です。今年はこの花が町内のどこに咲くのか調べてみたいと思っています。
 さて、きょうは9月議会を前にして、議会運営委員会と各派代表者会議が開かれました。昨年度の決算認定も今回の議会の中でやることになり、会期は16日から24日までと決まりました。八木議長が「今回の定例会は最後の定例会(実質的に)になるだろうから、はまってやってください」とのべました。そう言われると、やはりさみしいですね。合併前にしっかり議論しておくべきことは何か、頭の中を整理してかかりたいと思います。
 夜は友人の村松哲夫さんのところへ行き、ビデオ編集作業をやりました。この土曜日に、東京の学士会館で古厩忠夫さんの『Fゼミ通信』(同時代社)及び『日中戦争と上海、そして私』(研文出版)の出版記念会が開催されます。その際、故人を偲ぶために、これまでテレビで放映されたものの一部を参加者にみていただこうという企画があります。担当は私。今晩はビデオに詳しい村松さんから協力してもらって、7分30秒ほどにまとめることができました。目をぱちぱちしながら、笑顔で語る古厩さんの映像は多くの人に喜んでもらえることでしょう。


2004年09月12日

アベック当選ならず

 無風から一転して競争となった隣町の大潟町議会議員補欠選挙の結果です。合併慎重派の佐藤忠治さん、松田光昭さんの2人の候補がそろって当選できれば、と願っていたのですが、残念ながら佐藤さん1人の当選にとどまりました。にわか選挙の中では、組織的なバックがないと簡単には勝てませんね。ここ数ヶ月間、同じ立場で市町村合併問題に取り組んできたので、残念です。ただ、2人の得票合計は合併推進派の澤田候補の得票を500票近く上回りました。
 きょうは一日、9月議会一般質問のことを考えて過ごしました。じつを言うと、ここ1週間ほど大潟町の選挙に集中したこともあり、質問準備は全く進んでいなかったのです。準備をしながらずっと考えたのは、今年の12月31日で町が無くなるということ。質問するにしても、いまの執行部が関与できる問題にしぼらなければなりません。予算編成、介護保険などの質問をこういう制約の中でどう展開していくか、悩みました。


2004年09月11日

〝天国への手紙〟のエピソードも

 きょうは次男が通学している大学で教員父母交流会があるというので、妻とともに参加してきました。会場へ行くために山道を通ったら、ツリフネソウキツリフネ、オトコエシ、シシウド、などがいっぱい咲いています。車を運転しながら、「ほら、向こうに見えるのは○○だ。あの花の特徴はね、……」などとやっているものですから、時間が結構かかりました。目は完全に野の花モード、めずらしいジャコウソウの紫色の花まで見つけました。
 交流会では学科別に大学生活についての説明や最近の雇用情勢、就職状況などについて説明を受けました。興味深かったのは雇用情勢です。公共事業の激減で土木建築関係は最悪かと思っていたのですが、建築関係についてはリストラが進み過ぎて、手不足になっている状況も生まれてきているというのです。最新の技術を求める企業の姿勢ははっきりしていて、就職状況も良いというので安心しました。
 参加者全員を対象にした交流会では、BSN新潟放送の大倉修吾さんと気象予報士小杉みささんのトークショー。司会を含めて3人によるトークの中には、「いまの子どもは、一番遠くでも3メートルまでしか見ていない」など参考になる話がたくさん出てきて、ためになりました。もう1つ、ひきつけられたのは、〝天国への手紙〟についてのエピソードです。同名の本、映画の出発点は大倉さんの「ミュージックポスト」でした。大倉さん自身も、「素敵な娘をお月さんにお嫁にやってしまった」ということを初めて聞きました。


2004年09月10日

コシヒカリの刈り取り始まる

 今年の稲刈りも早稲品種が終わり、いよいよコシヒカリの刈り取りに移ってきました。早稲の収量は台風の熱風でやられたところ以外はまずまずのようです。コシイブキで10アールあたり10俵弱の収量があったという人もいます。今後のことを考えると、問題は天気です。先週の土日は雨、そして今度の土日の天気予報もいまひとつパッとしません。雨が続いたために、田んぼもだいぶ軟らかくなってきました。「これ以上、雨は降らないで」が稲作農家の願いです。
 きょうは午前中に町政レポートを作成し、その後は「しんぶん赤旗」日曜版の配達でした。夜は大潟町へ行きました。最終日の選挙戦、どうたたかうかについて話し合ってきました。


2004年09月09日

天国にいる女房に笑われないように 

 朝、妻が、「勤務先で使うから採ってきてほしい。何かいい花ないかしら」と言いました。もちろん、野の花です。ところがパッと浮かんできません。考えてみたら、ここしばらくウォーキングを休んでいます。どんな花が咲いているのかしっかりと見ていません。それで、近くの道沿いでさがしました。ツユクサ、ハギ、ヒヨドリバナ、シラヤマギク、オトギリソウなどが咲いていました。そのなかから、運んでいるうちにぐったりしないものをという基準で、ヒヨドリバナシラヤマギクオトギリソウの3つを選びました。新聞紙にくるんで渡した野の花、妻の勤務先でどんな風に受けとめられたのか、今度、聞いてみたいと思います。
 きょうも終日、大潟町で町議補選の支援活動をしました。3人の候補者が街宣車による宣伝活動を行い、吉川よりもまだ小さな面積の町はにわかに活気付いてきました。街頭演説を聴きに出てくれる人も少しずつ増えてきている、そんな感じがします。候補者の一人、Mさんは、2年前に連れ合いを亡くし、現在、娘さんと二人暮し。足が不自由ななかで、がむしゃらに頑張っています。きょうは、「天国にいる女房に笑われないように頑張る」と宣言しました。その言葉が気になり、半日の支援予定がとうとう夕方までになりました。


2004年09月08日

地域自治組織検討会

 上越地域14市町村の合併協議会では、これまで議論し、まとめた地域自治組織についての到達点を、廃置分合議決後に、合併関連三法に照らして検討することにしていました。先月半ばに行われた関係市町村の首長会議で、合併協議会に設置されている小委員会とは別に「上越市における地域自治組織の設置に関する検討会」を立ち上げることを決定していましたが、きょうはその初会合でした。
 私は今回は委員ではないので、傍聴者として参加してきました。きょうの会議で私が最も注目していたのは、地域協議会の委員の選出方法です。これまでの協議では、それぞれの地域で選挙を実施し、それをふまえて市長が選任することになっていました。その方法が、地域自治区なり合併特例区を設けた場合でも、法律上、可能かどうか。法律解釈は省令などが出た段階で分かるだろうと、ずっと待っていたのですが、合併協の高橋事務局長が総務省に問い合わせたところ、最終段階で「市長が選任する」となっているので可能ということでした。
 きょうの会議で事務局は、これまで小委員会で議論してきた到達点は、合併特例区を設置することとはなじまないとして、地域自治区設置を前提にした説明をしました。しかし、説明の歯切れは、いまいちという感じがしました。次回の会議までに、それぞれの市町村で、地域自治区を設置すべきかどうか、設置するとするならば名称をどうするか、検討しておくと決められました。また、次回の会議では、事務局が検討すべき事項の具体的な案を出し、関係市町村でもんでもらう形をとるとのことでした。しっかり勉強して対応しないと……。
 検討会は1時間ほどで終わりましたので、その後は夜まで大潟町で町議補選の支援活動をしました。これまで合併問題で一緒にやってきた2人の候補がそろって当選してくれればいいな、と願っています。


2004年09月07日

大潟町議補選、選挙に突入

 終日、台風の影響を感じながら過ごしました。朝から風が強まり、最も接近した夜が一番いやらしい吹き方になりました。モアッとして、風が東から吹き込む。これでは、人間も牛も不快指数100%です。明日の朝までに、何も無く通り過ぎてくれればいいのですが……。
 注目の大潟町町長選、町議補選は今日が告示。町長選は予想通り無競争でしたが、町議補選の方は無風から一転して競争となりました。定数2のところ、3人が立候補したのです。町議の通常選挙ではこれまで4回連続して無競争、競争となるのは7年前の町議補選以来で、ほんとに久しぶりです。夜は、「合併を考える大潟町民の会」のメンバーの候補者事務所で仕事を手伝ってきました。


2004年09月06日

ジュニア向けの本がおもしろい

 明日の大潟町の町議補選に「合併を考える大潟町民の会」のメンバー2人が立候補することになりました。定数2のところでの立候補、2人とも投票になってもたたかうと、意欲的です。正確に言うと、応援を依頼された昨日の段階で知ったのですが、すばらしい。しかも、残り3ヶ月あまりの任期の中で、2人ともはっきりとした目標を持っています。「こんどこそ、住民の意思が通る議会をつくりたい」「下水道問題、住民の立場で取り組んでいきたい」。がんばってほしいと思います。
 ここ1週間ほどの間にジュニア向けの本を2冊読みました。1冊は海野和男著『デジカメ自然観察のすすめ』(岩波ジュニア新書)、もう1冊は地学団体研究会編『地層と化石でタイムトラベル』(大月書店)です。前者は毎日デジカメを持って飛び回っている私にとっては絶好の入門書、植物や昆虫の撮影の仕方からデジカメで撮った写真の整理の仕方まで書いてあります。「ストロボを使う時は、背景に緑の葉や木の幹などがすぐ近くにあるカメラアングルで」など、とても実践的です。これで野の花の撮影もさらに楽しくなりそうです。
 『地層と化石でタイムトラベル』は小学校高学年向け。でも、大人が読んでもためになる本です。先日、草津温泉へ行った際、浅間山の鬼押し出しを見学してきたばかり。とても賑わっていたのですが、「これで爆発したら、どうなるんだろうね」と妻と話していたのです。それが数日後、爆発。地球の動きを感じながら、この本を読みました。中学時代、わが家の前にある海抜200メートルほどの山で貝の化石を発見して感動したものですが、戸隠山の高さ1800メートルの泥岩の地層からホタテガイの化石が出たと書いてあるのを読むと、大地のものすごい力を感じます。
 この本は「自然だいすき」シリーズの1巻です。読み進んでいるうちに、4巻『地震と火山のたんけん隊』(来年1月刊)は東京都在住の友人が編集に携わっていることが分かりました。私の結婚式の時に、わざわざ吉川町まで出かけてきてくれた人ですが、もう20数年会っていません。彼が、ジュニア向けにどんな文を書いているのかも興味があります。
 「春よ来い」第27回、「夏の終わりに」を掲載しました。これは、先日の草津旅行でのことを書いたものです。
 


2004年09月05日

カフカスの山の民

 なるほどね。今朝の「しんぶん赤旗」のコラムと特集記事を読んで、北オセチア共和国がどこにあって、どんな国なのか、やっとイメージがつかめました。ヨーロッパで一番高い山は、ロシア南部、カフカス山脈にあるエルブルース山(5642m)。同じ山脈の高峰カズベク山の北のすそ野に広がるのが北オセチア共和国……。世界を震撼させた学校占拠事件が起きた町は、高原の、ものすごく景色のいい町だと思います。同時に、苦難の歴史を持つ国であることが分かりました。
 新聞、テレビで事件を知ってまず最初にしたことは地図帳を見ることでした。新聞に概略図は出ていましたが、もっと詳しく知りたかったのです。ところが、わが家の地図帳は14年前に発行されたもので、北オセチアもウラジカフカスも載っておらず、話になりません。結局、インターネットで調べたのですが、私の検索の仕方が悪いのか、地理も歴史もいまひとつでした。
 カフカスが昔から大国ロシアと少数民族との紛争の地になっていて、トルストイの『コサック』に出ていることも初めて知りました。山の民はどこの国であろうが、人情に厚く、人懐こいというイメージを私は持っています。暴力の連鎖のなかでカフカスの山の民の苦しみがいつまでも続くのは許せないことです。武力による支配と、暴力に頼る抵抗の悪循環をいっときも早く断ち切って、対話による解決をめざしてほしいと思います。
 


2004年09月04日

いいもんだよ、生きるって

 きょう最大の収穫は水谷修さんを知ったことです。妻が見たいと言っていた番組、NHK教育のETV特集、「いいもんだよ、生きるって」を見て、初めて知りました。水谷さんは横浜市に住む夜間高校の教師で、若者の非行、薬物汚染問題に関わってきました。特に薬物問題では、深夜の繁華街のパトロールを通して、5000人もの若者たちに声をかけ、ふれあい、彼らの非行防止と更生に取り組んでいます。
 番組の中で放映された水谷さんの講演、若者からの電話相談などの様子を見て、「一生懸命に生きるって、こういうことか」と衝撃を受けました。若者と向き合う姿勢、自らの人生を生き抜く姿勢が真っ直ぐで、中途半端でない、そして暖かいのです。私は夜のテレビは眠くなるので苦手なのですが、この番組では、目が冴えてきて、途中からメモを取って見ました。
 薬物は人を3回殺す。心を殺し、頭を殺し、最後はいのちを奪う。薬物には2つの顔がある。ほほ笑みの顔と死神の顔。常用していた人の遺体を焼いても骨はぼろぼろになり、ほとんど残らない。若者の4人に1人は薬物に汚染されているという今日、薬物使用の危険性、いのちの大切さをこれほど強く訴えた話を聞いたことがありません。とても勉強になった1時間半でした。
 水谷さんの話し方はとても好感が持てました。若者たちとの関わりの体験、事実に基づいて、聴衆に語りかけながら話す。分かりやすくて、ぐんぐん引き込まれました。「いいかい、あらゆる悪の誘惑を断る方法を教えるよ。1つは話題を変える…次は壊れたレコードだ。…3つめは3D作戦…そして最後は逃げる。暗い方へ行ってはダメだ。明るく、広い、そして人の声がする方へ逃げるんだ」。いつか、講演を生で聞いてみたいものです。
 テレビを見ていて、一つだけ気になったことがあります。水谷さんの健康状態です。江川紹子さんのインタビューに答えている時に、何回も出た咳、大丈夫なのでしょうか。それと、目はきらりと輝いているのですが、何となく疲れが蓄積しているな、と感じました。無理をせず、たまにはゆっくり休んでエネルギーを蓄えてほしい、と思います。


2004年09月03日

無題

 今年から牛舎の周辺では除草剤を使わないことにしました。これまで一年に二回くらいは使っていたのですが、草が枯れた時の色がいやで思い切ってみたのです。ところが、今年のような天候だと、草はほんとによく伸びます。ちょっと草刈りをサボると、もういけません。草ぼうぼうで、まるで廃墟のような雰囲気が簡単に出来上がってしまうのです。きょう、牛舎近くの畑へよく来る人に、「おまんち、牛、完全にやめなったんだね」と言われ、「いや、まだ少しいるんだわね」と返答したものの、とても気になりました。近いうちに草刈りをしなくちゃ。
 きょうは、会議も無く、久しぶりに町政レポートの作成と「しんぶん赤旗」日曜版の配達・集金に集中できました。昨日から始めた町政レポートの作成は午後までずれ込んだのですが、稲刈りで留守の家が多かったことと、6時半ころまで頑張ったことによって、金曜日のノルマにしている部数をほぼ配達できました。目標としていることをやりきった時の気分は悪くはありません。夕飯時に、ビールを500㏄ほど飲み、一眠りしました。
 上越地域14市町村合併問題の当面の焦点は地域自治組織をどんな形にするか、各市町村の財産をどう管理していくかの2点だと思っていたのですが、新年度に向けての様々な取り組みの情報が入ってくる中で、「編入合併であっても、新設の気持ちで協議をする」という基本姿勢がどんどん後退していくのを感じています。成人式、自治基本条例、予算編成など上越市中心の動きになっていないでしょうか。また町村は町村で、「編入だからね」と最初から遠慮しているところがないでしょうか。早めに手を打たないと。


2004年09月02日

指定管理者制度学習会

 燃費が悪くなったと思ったら、鋼線がもうじき出てくるであろうと思われるところまでタイヤが磨り減っていました。私の愛車である軽トラの話です。元々はスノータイヤでしたが、かなり減っていましたので、雪が消えても普通タイヤに履き替えることなくここまできました。まあ、1年間に2万5000キロほど走る車ですから、しかたがないでしょう。
 きょうは上越地区の日本共産党議員が集まり、指定管理者制度について学習会をやりました。「公の施設」については昨年法律改正があり、3年以内に直営か、指定管理者による管理にするかの選択が迫られています。来年、合併する市町村にあっては、いま、これが検討されている最中ということもあり、関心が高い。自治労連の資料に基づき、住民サービスがどうなるかなど意見交換をしました。
 私の町でも、10数件の「公の施設」について指定管理者制度を導入することが検討されています。その多くは、介護予防拠点施設など福祉施設です。個々の施設について、経営状況が悪くなった場合、利用者に悪い影響を与えないかなどいろいろと心配なことがあります。様々な角度から十分検討して、対応したいと思います。


2004年09月01日

「折加美」の世界

 うわさでは聞いていましたが、これほどインパクトのある作品だとは思いませんでした。初めて梅津幸三さんの折の造形を見た印象です。見たのは、NPO法人「よしかわたすけあい」事務所の二階に展示してある作品です。なかなか言うことを聞かない牛を引っ張る人間に、牛のお尻を押す人間。この光景はまだ田んぼの耕作が牛に頼っていた時代をなつかしく思い出させるものですが、じゅうたんを使って見事に折ってありました。
 梅津さんは、新潟県清里村菅原で、「折の美術感・幸ちゃん」を立ち上げ、日常生活用品で造ったさまざまな折の作品を展示している人。最近ではアテネオリンピックに合わせて、「清里からアテネへの道」展を開催しています。これを鑑賞したある議員が「カルチャーショックを受けた」と言っていたので、いつか作品を見てみたいと思っていました。梅津さんのいくつかの作品を見たら、「清里からアテネへの道」展へ行きたくなりました。
 きょうは朝から、広範囲に動き回りました。農協、役場で用を済ませてから、直江津の党事務所などへ行き、ついでに上越市議会の総括質問を傍聴してきました。ちょうど、仲間である樋口良子議員が登壇していて、新幹線駅周辺開発、指定管理者制度などの追及ぶりを見聞きできました。私の町の9月議会は中旬になります。きょうの質疑でいくつかのヒントをもらったので、頭の中をぐるぐる回っていた問題の整理ができそうです。
 「私の好きな風景」に「五百万石」をアップしました。また、「夏に咲く野の花」にヤブランを掲載しました。夏の花は、今年はこれが最後になるでしょう。


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