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2006年05月投稿分

2006年05月31日

生物季節観測

 ヒバリのさえずりが初めて聞こえたのはいつか、梅の花が咲いたのはいつか、モンシロチョウが飛ぶのを初めて見かけたのはいつか、ヤマツツジが咲いたのはいつか、トノサマガエルを初めて見かけたのはいつか……。こういった動植物について30数種目もデータを取り続けている(これを生物季節観測といいます)ところがある。そこでは3時間ごとに、雲の形や量、それと肉眼で物体がはっきりと確認できる最大の距離はどれくらいかも観測している。もうお分かりでしょう、気象台や測候所です。
 きょうは党議員団で高田測候所を訪れ、そこでの仕事について視察してきました。高田測候所がどこにあるかはだいたい知っていたのですが、中に入って観測機器やデータなどを見せてもらい、説明していただいたのは今回が初めてです。観測機器のほとんどは初めて見るもので、とても興味深く、所員の方の説明にぐいぐい惹きつけられました。上空の風速や風向を1キロごとに調べるウィンドプロファイラは構内にあるドーム型の観測機器ですが、最初は星の観測をやるものかと思いました。
 高田測候所は開設されたのが1921年(大正10年)12月といいますから、85年の歴史を持っています。玄関前に枯れかかった1本の松がありますが、これは開設時に植えたものとか。現在は所長のほか、気象解説官、技術専門官など総員7名で仕事をしています。気象解説官から、城北中学校から要請されて2年生を対象に行った授業についても説明していただきましたが、国民の命と安全を守るために実に地道な仕事をしておられることがよく分かりました。
 きょうはハルゼミの鳴き声が初めて聞こえたとのこと、平年よりも10日遅いそうです。政府はこのほど、全国の40ヶ所でこうした様々な観測を続けている測候所を全部廃止する方針を打ち出しました。すでに上越地域の3市長、市議会議長が関係機関に存続の要請を行っていますが、私もきょうの訪問などを活かして一般質問でとりあげる予定です。


2006年05月30日

6月議会は7日から15日間

 きょう、議会運営委員会があり、6月議会の日程が決まりました。7日からはじまって21日までの15日間です。議案数はわずか17件、専決を入れても20件です。上越市議会は委員会中心主義で審議していますが、私の所属する文教経済常任委員会に付託されるのは食育推進条例と大潟漁港公有水面埋め立てに関する回答の2件のみ。3月や9月議会での膨大な案件と資料に比べたら、わずか7ページの委員会資料はさみしく感じます。
 議運のあと、議員団で議案の審査、請願の対応などについて夕方まで協議しました。協議対象となった案件では賛否をめぐって意見が分かれるものもあり、党県議団事務局に問い合わせたり、関係課に市民生活との係り実態をあきらかにしてもらうなどのことをやりながら、調整をしました。議会に仲間の議員がいない時と違って、こういうケースがあると判断はなかなかむずかしい。自分の意見を主張しながらも柔軟に対応する姿勢が求められます。
 夕方7時前に家に戻り、その後は夕食をはさんで3件生活相談で動きました。このところ、日中、吉川区内にいないことが多く、関係者の皆さんにはご迷惑をおかけしています。結局、きょうの活動が終わったのは夜9時過ぎとなりました。明日も朝9時から消防事務組合の会議などが続きます。書かなければならないものも溜まり始めました。無理をせず、がんばりすぎない、を心がけて乗り切りたいものです。


2006年05月29日

ついに大台に突入

 ひょっとすれば大台にのっているのではといういやな予感が当たりました。きょうは上越医師会館で健康診断でした。ここでの計測では、体重がまた2キロも増え、とうとう80キロ台に突入したのです。先日、父が私を見上げ、「おまん、いやに肥えたな」と言ったので、毎日のように見ている家族にまでそう言われるようでは一気に太ったなと感じていたのです。その前にも、一年前に買ったスーツのズボンをはいても窮屈さを感じるなど予兆はいくつかありました。運動不足と食べすぎ・飲みすぎ、これがすべてです。まずはもう1回、70キロ台半ばまで落とさなきゃ……。
 午後からは直江津港湾協会総会に出席しました。総会後の懇親会では、上越地域振興局長の村山秀幸さんにも言われました。村山さんがある企業の幹部に私を紹介してくださるときに、「この人はいまこそこんな体つきをしているけど、昔はソフトテニスの選手だったんだ」。参りましたね。さて、この懇親会では、思わぬ人との出会いもありました。わが家を50年前に建ててくれた大工のNさんの孫さんです。もちろん初対面。昨年、この人の父親にあたる方と会い、なつかしい話をしたのですが、その息子さんがりっぱな社長さんになって、この総会にもでていたのです。Nさんがわが家についてよく知っていたいたのにはびっくりしました。
 さて港湾協会の総会では、いくつか勉強させてもらいました。港に関する世界や日本の動向、直江津港の耐震化などは興味深く聞きました。そしてもう1つ、パワーポイントを使っての講演、これも参考になりました。カラフルな画面、盛りだくさんの表、赤や黄色の文字、これらは見る人の立場にたって使わないといけないことを学びました。とても大事な話をされているのに、スライドに映し出されるものはまったくといってよいほど役に立っていない。私もこういうことにならないように気をつけたいと思いました。
 もう1つ、書いておきたいことがあります。今朝、新潟日報を読んでいたら、めずらしい顔写真が目に入りました。私より1つ上で、高校教員だった佐藤恒雄さんです。数年前まで、パラグライダーをやりに尾神岳まできていました。時々、牛舎をのぞいてくれたのですが、ここ1、2年は音沙汰もなくぷっつり。どうしているのかなと心配していたら、なんと、中国は玉林市で日本語を教えていたのです。佐藤さんの書いた文章によれば、あちらでの生活は日本の昭和30年代を思わせるところがあるとか。ゆったりとした生活の似合う佐藤さんにはぴったりかもしれません。なにはともあれ、元気で良かった。


2006年05月28日

吉川小学校運動会

 あいにくの雨。朝のうち、グランドでできそうに見えた運動会も9時前からの雨で会場を体育館に変更せざるをえなくなりました。体育館はステージも2階観覧席も人でいっぱい。狭い会場ということもありましょうが、子どもたちの声はよく響き、とても賑やかでした。子どもたちの応援合戦や様々な競技を見ていると、子どもって、ものすごく元気だなぁと思います。声は大きいし、動きも早い。見ているだけで、こちらも元気になるような感じがしました。
 会場では、普段なかなか会えない人に会うこともできました。遺伝子組み換え実験問題でがんばっている天明さんとは、子どもたちを応援しながら情報交換しました。午後の部が始まってからのことですが、1人の女の子がわざわざ来賓席まできて声をかけてくれました。この子どもは数年前、牛のお産を見にわが家まできたことがあります。その際、お産まで時間があったので、おならの音のつくり方を教えてやったところ、とても喜んでくれたという記憶が残っています。どういうことであろうと、「おじさん、あのね……」と声をかけてくれる子がいる、うれしかったですね。
 ここ数日、気になっていた野の花があります。ミヤマヨメナです。漢字で深山嫁菜と書きます。漢字で書く名前も素敵ですが、数年前、ある小学校長さんに紹介してもらった時、一目ぼれしてしまいました。この花はいまが花時です。きょうは、源地区の杉林の中に入り、咲き具合を見てきました。花が開いているのは一部でしたが、雨に濡れた紫色の花はこれまでで一番濃い色のような気がしました。デジカメに撮ったものの、残念ながら、私のカメラでは実際の色よりは白っぽくなってしまいます。紫色をしっかりとらえらえるカメラを借りて、もう一度撮影したい。うまくいったら、掲載します。


2006年05月27日

関川・姫川連合水防演習そして元気塾

 朝6時45分に出発して糸魚川へ。海岸沿いの国道を軽トラで走りました。南風が吹いていたため、波もなく、とても静かでした。能生海岸では釣り船が何台もでていて、釣りをしている人たちの姿が見えました。ここでは釣りの風景がとても素敵だったので、車を降りて写真におさめました。糸魚川からの帰りの風景も良かったですよ。名立海岸では、海の中に米山と尾神岳が浮かんでいるように見えるポイントがあります。もし空が青く広がっていれば、「私の好きな風景」に加えたい場所です。
 連合水防演習会場は姫川の下流の河川敷。時々、強い南風が吹いて、会場は土埃が舞う悪条件となりました。でも、上越地方の妙高、上越、糸魚川の3市からの消防団員、行政職員、来賓だけでなく、地元の糸魚川市民も大勢参加していました。全体で3000人くらいは集まったのではないでしょうか。吉川方面隊も25人が参加しました。水防の連合演習は10年ぶりですが、私は初めての参加です。会場には糸魚川の市議会議員、それと妙高市の議員が多数参加していました。上越市議会からは副議長も入れてわずか5名、参加率が悪すぎましたね。
 今回の演習では、これまで見てきた消防の訓練とは違い、工法演習や救助訓練など実践的な訓練が続きました。水防工法は積み土のう工、シート張り工は見たことがありますが、木流し工、川倉工、月の輪工など初めて見るものが多く、とても勉強になりました。あとで聴いた話ですが、吉川方面隊の人たちは地元に戻ってから、もう一度積み土のう工の練習をしていたということです。こういう訓練のやり方こそ大事だと思います。
 午後から上越教育大学の講堂で上越はつらつ元気塾の第1回フォーラムがありました。映画『ふみ子の海』(市川信夫原作)の監督をした近藤明男さんの講演があるというので楽しみにして参加しました。スライドを使い、若い新聞記者との対談形式での話には撮影の苦労や裏話も出てきて興味深いものばかりでした。雨の音を消すため屋根に毛布を敷いたとか、コンピューターグラフィックを駆使して四季の景色をつくるなどの話を聴いたので、秋の上映では、こうした角度からも作品を楽しめそうです。
 作品の舞台となったのはこの上越の大地と海ですので、ロケ地となった場所も兵隊さんの花見など一部を除いてすべて新上越市です。稲田の雁木通り、大島区菖蒲の雪道、柿崎駅などのスライドが映し出されるたびにぐっとくるものがあります。吉川区に関しては大賀の棚田のスライドが3枚も使われました。安塚区や牧区などにすばらしい棚田があるにもかかわらず、吉川区の棚田が映画で登場するというのはとてもうれしいかぎりです。夕方、気になって大賀の棚田まで行きましたが、私がこれまで見ていたポイントではなく、スライドの構図に出てきた場所に行くと、私が見たことのない棚田風景が見られることがわかりました。ここは夕陽が美しい日にいま一度訪れてみようと思います。


2006年05月26日

老父に怒られる

 昨日、草刈りをして気分を良くしていたのですが、今朝になって父に叱られてしまいました。「オレが採ろうと思っていた笹まで刈っちゃ、ダメだねか」久しぶりに聞く父の怒りの言葉です。だいぶ痴呆がすすみ、このままどんどん弱っていく、そう思っていただけに叱られるとは意外でした。この分なら、まだまだ元気に暮らすことができるでしょう。ちょっぴりうれしくなりました。
 今朝はもう1つ、うれしいことがありました。国際啄木学会会長である近藤典彦さんの小論が「しんぶん赤旗」日刊紙の文化欄に掲載されていたからです。石川啄木と足尾鉱毒事件、水俣病についてふれたものですが、足尾鉱毒事件を詠んだ啄木の歌についての自分のこれまでの評価は間違っていた、田中正造の直訴状の内容を歌にしたものだったと率直に書いておられます。近藤さんのお人柄がにじみ出たいい文章だなぁと感心しながら、読みました。近藤さんからは先日メールをいただいたばかり。8月に松本市で会いませんかというお誘いでしたが、今回の小論を読んだら、すぐに会いたくなりました。
 きょうは午前中に市政レポートを作成し、その後は夕方まで「しんぶん赤旗」日曜版の配達と集金でした。途中、ある読者の方のところへ行ったら、庭にキンラン、ギンランが咲いていました。吉川区の山地の雑木林などにもあるということですが、まだ出会ったことがありません。ラン科の花で、会いたくてもまだ会えないでいる花は、この他にもクマガイソウがあります。数年前、カキランに初めて出会った時のような感激をもう一度味わってみたい。


2006年05月25日

ちょっとした肉体労働で気分転換

 やるべきことをやらないで眠った時の翌日はどうなるか。良く眠れず、早くに目が覚め、日中はズーッと、ぼっとしている。きょうはまさにそういう日となってしまいました。目が覚めたのは午前4時前です。議員団ニュースを書いてなかったことを思い出し、あわててパソコンに向かい、1時間半くらいで作って印刷。妻を送りながら上越地区委員会に印刷した物を持ち込む。ここまではよかったのですが、その後がいけません。市役所で新聞を読み、資料整理、原稿書きへと進む予定が途中でピタリと止まってしまいました。いうまでもなく、頭の機能が停止状態になったのです。
 議員控え室に赤ん坊の鳴き声や元気な女性たちの会話が飛び込んできて、目が覚めたのはお昼少し前だったように思います。まさか、と思いましたね。だって、控え室は市役所の5階にあります。そうとう高いところにいるので、隣の部屋からならともかく、外の人の声がすぐ隣からのように聞こえてくるとは思ってもみなかったのです。少し蒸していたことから窓を開けておいた、そのことを忘れていました。風が20メートルほど下の人間の声を上に運び、窓から入ってきたのでした。
 市役所を4時過ぎに出て、家に戻りました。天気も良いし、牛舎の周りの草刈をしなきゃ、そう思って帰ったのです。今年初めての草刈りでしたが、愛用している草刈機は一発でエンジンがかかりました。そして約2時間、家の周囲、牛舎脇の道、畑の中の道など、次々と刈り払いました。草は刈りっぱなしでしたが、この作業はどれだけやったかを目で確認できるのでいい。50センチにも伸びた草たちを刈り払ったあとの姿はきれいで、満足のいくものでした。やはり、肉体労働の方が合うのかなぁ。


2006年05月24日

新潟県党議員会議

 6月議会を前にして、県内の日本共産党市町村議が集まり、課題の確認や交流をしました。上越市議団からは4人全員が参加しました。高速道路を走って新潟市まで行ったのですが、田植えも終わり、周辺の景色はやわらかな緑色に染まっています。いまの時期は、どこへ行っても、ゆったりできる景色が広がっていますね。
 会議では、県委員長や自治体部長、農漁民部長の報告、それに新潟社会保障推進協議会(通称県社保協)事務局長さんの講演がありました。このうち県社保協事務局長・酢山省三さんの話は初めて聴きました。酢山さんは私と同じ学部の先輩で、詩人でもあります。小泉構造改革の中で進む「健康格差」の実態や「医療改悪法案」のポイントについてとても分かりやすく説明してくださいました。また、4月下旬、衆議院第2議員会館で県社保協が取り組んだ「新潟県医療・患者団体と県選出国会議員との懇談会」の模様についても報告してくださいましたが、社民党・民主党などと連携して闘うことができるなと感じました。
 交流の場では、何人かの議員がユーモアたっぷりに活動報告をしました。新潟市の小山市議は、国保料引き下げを求める直接請求署名運動についてふれました。命が大切にされない世の中にあって国保は命の砦となっている。有権者5人に1人の割合で署名を集める決意をのべ、地元へ飛んで帰りました。いつもきちんとした活動をしていくことで定評のある阿賀野市の宮脇市議、障害者福祉施設をまわって調査する中で、障害者自立支援法が「自立阻害法」になっていることを浮き彫りにしました。
 お昼休みはいつものように街に出て昼食。きょうも750円の日替わり定食を食べました。上野事務局長がご飯のお代わりをしたので私も食べたくなりましたが、ぐっとこらえ、新潟駅地下街にある文信堂書店へ。田辺聖子の文庫の新刊を探したものの見つからず、浅田次郎の『月のしずく』(文春文庫)を買い求めました。浅田文学は『鉄道員』しか読んでいませんが、表題となった「月のしずく」という短編では、主人公の佐藤辰夫に惹かれました。十五夜の晩に偶然転がり込んできた若い女性との癒しのドラマ。どういう展開になったかですって? 興味のある方は、自分でお読みください。


2006年05月23日

若い農業後継者

 早朝、うれしい電話が一本かかってきました。「橋爪さんかね。きょう、時間ないかねぇー、写真撮ってもらいたいがだでも……」。電話をかけてきたのは農業に熱心なKさんです。自分の住んでいる集落内で若い農業後継者(複数)が育っていることを目で見てほしい、そして市政レポートでも紹介してほしいというのです。きょうは、その後継者のみなさんが今年最後の田植えをする日でした。
 Kさんの案内で田んぼまで行くと、2人の青年が待っていました。「おはようございます。ご苦労さん」そう声をかけると、「おはようございます」という元気な声が返ってきました。よく見たら、1人は2回ほど会ったことがあります。昨年、吉川区に戻り、病気と闘っている父親を支え、がんばっている青年です。もう1人は初めてでした。でも2人の両親とも、私がよく知っている人たちでした。2人の青年は私の子どもと同じ20代、この年代の人たちが田んぼにいるだけでうれしくなりました。
 事前に声がかかっていたのでしょう、青年の1人が「(写真を撮る時)どんなふうにすればいいですか」と訊いてきました。「普通に仕事をしていてもらえばいいよ、こちらで(シャッターチャンス)考えるから」そう答えると、さっそく作業が始まりました。田んぼは5反区画。1人が田植え機に乗り、1人は苗箱を渡す。そして、田植え機がスタートしました。丁寧にきれいに植えていきます。そばで見ていたKさんはずっとニコニコしていましたが、その気持ちはよくわかります。うらやましくなりました。
 きょうは午前に総合事務所幹部の人などと当面の課題について意見交換した後、市役所で原稿書きの仕事をしました。途中、柿崎区選出の小関議員が私の議員控え室を訪問、昨日の議長人事のことなどで懇談しました。同議員とは「住民と共に合併を考える頸北議員の会」などでずっと一緒でした。同会では小関議員が会長を務め、私が事務局をしていたという関係です。所属政党はちがいますが、会っていると気持ちが落着き、話がはずみます。


2006年05月22日

議長・副議長選挙で新たな試み

 きょうは臨時議会。注目の議長・副議長選挙などがおこなわれました。朝9時前には議員控え室に入りましたが、緊張感が漂っていました。こういう雰囲気は久しぶりです。9時半を過ぎてからは、議長・副議長選挙に立候補を予定している無所属の会の山岸行則議員、政新の古澤弘議員、政和クラブの早津輝雄議員が各会派の議員控え室を次々と訪れ、「きょうは、よろしく」と挨拶回りをしました。杉本議員に「いつもこういう丁寧なことやっているの?」ときいたら、選挙前に、こういう挨拶回りをするのは上越市議会では初めてだということでした。
 こういう挨拶回りがやられた前段には、各派代表者会議での申し合わせがあります。今回の選挙では、選挙前に候補者が所信表明を本会議場でおこなうことができるとしたのです。すでに19日の夕方までに所信表明届けを上記の3氏が提出していました。これまでの議長・副議長選挙では、誰が出たいと思っているか公にはわからない。どういう考えで議長などの役職に就きたいのかもわからない。普通の選挙では考えられないことが議会という場でおこなわれていたのですから、この取り組みは「当たり前の改革」です。いうまでもなく、こうした試みは上越市議会史上初のこと、議会改革の歩みにしっかりと残ることでしょう。
 「私が議長(あるいは副議長)になったら、こういうことをやります」というのが各派代表者会議で申し合わせた「所信表明」演説です。時間は5分以内。登壇した3氏の演説はそれぞれ力の入ったものでしたが、興味深かったのは、この演説で議長候補2氏の違いがはっきりとしたことでした。
 議長候補の山岸議員は、一党一派に偏らない議会運営をするため、これまで所属していた市民クラブから離脱したことを明らかにしたうえで、「2つの主張」を展開しました。多くの苦難の末に合併した新上越市は合併後1年5ヶ月、人間で言えばまだよちよち歩きの段階だ。14市町村の一体感を醸成していくためにも、ここ2、3年の(市政)運営がカギを握っている。議会はその範を示さないといけない。古い慣習などにこだわり、現状に立ちどまっていてはいけない。新上越市に向けて議会の民主的運営をし、議会改革をすすめていきたい。新上越市はきびしい財政状況にあり、少子高齢化がすすんでいる。自主自立(の市政)が求められている。(そういうなかにあって、議会は行政のチェックだけでなく)さらに一層の政策形成能力を高めていかなければならない。議会としても政策研究の場を設けていきたい。原稿無しの演説は迫力満点でした。
 同じく議長候補の早津議員。先日まで最大会派・政和クラブの代表を務めていました。一番にのべた約束は、「木浦市政を支えていく、これが第一です」でした。新幹線、上沼道路、観光、農業などの課題の重要性をのべ、「行政と車の両輪となっていく」と語りました。次に、新上越市での一体感醸成について触れ、「合併を最終的に承認したのは議会だ。合併で約束したことをしっかり守っていくことが一体感醸成につながる」と主張しました。議会改革については、「つい先だってまで議論されていた議会活性化委員会の答申を実行していく。議員定数については検討委員会を設けて議論していきたい」とのべました。最後にのべたのは、議会の民主的運営に努めるということでした。
 副議長候補の古澤議員は、新上越市の課題について触れた後、副議長になったら議会をどうするかについて、簡潔に語りました。副議長は、議事運営に習熟すると同時に、議会が執行部と対等同格以上に対応できる権威と識見が求められているので、その修養に努める。
議会には行政を監視するという役割と同時に、議会として住民要望を実現するための立法活動などが求められてきているので、議会改革を推進していく。少数意見を尊重し、議会の民主的運営に努める。これらの内容のほとんどは、私たちの議員団と申し合わせたものです。本会議場での「所信表明」でのべたことで、私たちとの申し合わせは彼の公約となりました。
 さて、遅くなりました。選挙結果をお知らせします。議長選は投票総数48。このうち山岸議員が26票を獲得、早津議員は22票でした。よって山岸新議長の誕生となりました。副議長選は投票総数48。このうち古澤議員の獲得した票は35票でした。無効投票は13ありました。当選された両議員には本会議場での公約を守り、がんばってほしいと思います。4票差で議長に届かなかった早津議員、合併協議会準備会の時からの知り合いで、政治的な立場の違いはあっても個人的には親しく接してきました。本会議が再開され、議場に入ってくる時、私と目が合いましたが、ちょっとさみしそうでしたね。


2006年05月21日

上川谷でも田植え

 当初、杉本議員団長とともに東京都内で開催される地域組織のありかた研究会に参加する予定でしたが、新潟県党の総行動の最終日であることなどから、二人そろって欠席しました。それで、きょうは朝から午後1時頃まで、川谷地区で党勢拡大行動や市政レポート配布をしました。
 田植えは終盤を迎えています。吉川区で今冬3メートル80センチの積雪を記録した上川谷でも田植えが始まりました。上川谷の下坪である久保地内では、2軒の家で親戚の人も手伝いにきて田植えをしていました。1軒は代かき中でした。青空の広がる中、田んぼに何人も出て、田植え機やトラクターの音がする。とても気持ちのいいものです。
 上川谷では今回も歩いて市政レポート配布をしました。久保から上坪である岩野へ向かう途中、県道の上の杉の根本に道祖神があるのを初めて目にしました。この道祖神はMさんが嫁に着た頃、熱を出してなかなか下がらなかった時、夫であるKさんがお参りしてくれて、助けてもらったことのある神様だといいます。以来、Mさんはこの道祖神のそばを通るたびに手を合わせ、守ってきたそうです。今冬も大雪に押されて県道まで転げ落ちてしまったのを、やっとの思いで杉の根元まで運んだということでした。
 きょうは支部の仲間たちがハンドマイク宣伝をしてがんばってくれました。12ヶ所もやったというからたいしたもんです。あるところでは、5人もの人たちが出てくれて、話を聴いてくれたそうです。


2006年05月20日

無題

 議会人事をめぐり昨日までは何本も電話が来ていたのですが、きょうはピタリと止みました。日本共産党議員団の態度が確定したので、働きかけがなくなったということでしょうか。議長選に立候補を予定しているのは市民クラブを離脱して無所属となった山岸行則議員と政和クラブの早津輝雄議員の2人です。今朝の新聞報道では、きょう、明日の2日間、多数派工作が活発化するだろうとなっていますが、私のところについてはまったく静かです。
 きょうは妻を職場に送っていってから、市政レポートの印刷、新聞配達中心に動きました。午後からは霧雨が降り続け、帽子をかぶりながら回りました。きょう、区内には生協関係、法政大学関係の田植えツアーが入ってきています。その写真を撮ろうと考えていたのですが、生活相談が飛び込み、間に合いませんでした。法政大学のメンバーのみなさんとは会いたいと思っていたのですが、残念です。


2006年05月19日

議長・副議長選挙めぐり動き活発化

 きょうは朝からあわただしい一日でした。緊急議員団会議、議長・副議長人事をめぐっての他会派との交渉、市政レポート作成、マスコミ対応など夕方まで、忙しく動き回りました。時間をつくって、党支部の仲間と「新潟県党の総行動」で動くつもりでしたが、これは明日以降になります。
 議長・副議長人事は22日の臨時議会で行われます。その対応について党議員団でどうするか。話し合った結果、議会の民主的な運営にむけて動いてくれるなら、独自候補は立てず、他会派の候補を支持していくことを確認しました。こうしたなか、市民クラブから議長候補として山岸行則議員を擁立したいので協力してほしいと要請がありました。また、政新の幹部も党議員団控え室を訪れ、副議長候補に古澤弘議員を立てたい、ついては支持してほしいと要請しました。
 これをうけて党議員団では、杉本議員団長が中心になって、それぞれの候補と申し合わせる内容を文書化しました。議長候補と申し合わせた内容は、①議長には、議事運営に習熟すると同時に、議会が執行部と対等同格以上に対応できる権威と識見が求められている。議長としてその修養に努める。
②議会には行政を監視するという役割と同時に、議会として住民要望を実現するための立法活動などが求められてきている。議会改革を推進し、議会が全体として強化されるように努める。
③議長は、会派などの代表としてではなく、議会の代表として発言し、行動する。
④少数意見を尊重し、議会の民主的運営に努める、の4項目です。副議長候補ともほぼ同じ内容で確認しました。
 要請にきた会派の代表とは、お茶を飲みながら、今後は、一致点があれば協力していこう、研修なども一緒に出かけることを検討しようなどと話し合いました。議長選挙は政和クラブでも候補者を擁立するとのことで一騎打ちになりそうです。今回の人事を契機に議会が変わっていく予感がします。
 夜、NHK総合を観ながら夕飯を食べていたら、画面に突然、懐かしい顔が出てきてうれしくなりました。大学一年生の時、私の下宿をたびたび訪ねてくれ、人生論や恋愛論を語り合った笠井(旧姓丸山)友治郎さんです。「きらっとひかる新潟」という番組の中で彼は出てきました。新潟中央児童相談所長になって、虐待を受けた子どもたちのことを語っていましたが、語り口は彼特有のやさしさにあふれていました。笠井さんとは大学卒業後、列車の中で偶然あったことがありました。あれからもう20年は経っているでしょう。妻や子どもがそばにいたのに、テレビを観ながら、懐かしくて涙がぽろぽろ出てしまいました。どうしてこんなに涙もろくなったのか。


2006年05月18日

最後の文経委員協議会

 午前は文教経済委員協議会でした。5月22日に臨時議会があって、各常任委員会委員のメンバーが変わります。したがって、現メンバーによる文教経済常任委員の会議は今回が事実上最後です。私の場合、増員選挙による途中参加でしたが、この1年3ヶ月、いい勉強をさせてもらいました。いまのメンバーのなかには農業、建築、観光、スポーツなどに詳しい人がいて、個性豊かな質疑がたくさんありましたね。
 きょうの協議会のテーマは2つ。名立総合文化施設(仮称)の基本設計についてと名立区の風車展望台の羽根落下についてでした。
 前者のついては名立区の地域事業です。文化活動、公民館活動の拠点施設として5億5000万円かけて建設されるものですが、この事業費に関して、新市建設計画とは違った財政運営となるのではないかという誤解が生まれ空転しました。最後は合併推進課長だった野澤企画・地域振興部長が説明しましたが、地域事業というものについての勉強会になった感じでした。
 風車展望台の羽根落下の問題については11日と12日の現地調査に基づき、安全管理の甘さを問題にしました。幅130センチの展望台回廊に立って羽根を見上げれば、羽根が落下した時の危険な感じがぐっと迫ってきます。オープンしてから15年間の間に羽根が落下したのは今回で2度目。最初に落下した時点で、「羽根は落ちることがある」ことを前提にした安全対策を講じるべきでした。審議が終了してから、竹田産業観光部長に市内の観光施設の安全チェックをするよう要請してきました。


2006年05月17日

あれっ、尾神岳のニリンソウが……

 朝、「しんぶん赤旗」日刊紙を開いてびっくりしました。尾神岳のふもとでいま花時を迎えているニリンソウの写真が載っていたからです。先日、尾神岳のブナ林について、赤旗記者と話をしていたので、近いうちにブナ林かパラグライダーの写真が掲載されるだろうとは思っていたのですが、ふもとのニリンソウのことは頭にありませんでした。上手に撮影してあるので、夕方、記者が撮影したと思われる場所へ出かけてきました。とてもきれいに咲いていました。やはり、野の花はいいですね。
 きょうは午前中、上越市議員団で宣伝カーを動かし、高田地区、牧区、清里区、板倉区を回りました。上野事務局長は仕事の都合上、参加できなかったのですが、その代わり、日頃から日本共産党を応援していてくださる男性が1人乗ってくださいました。こういう協力は大歓迎です。農村部ではまだ田植えの真っ盛り、あちこちで田植え機が動いていました。苗運びなどの手伝いの人、植え直しをしている人などが手を振ってくださいました。
 午後からは当初の計画を変更し、議員団がそれぞれの持ち場に戻り、「しんぶん赤旗」の宣伝と普及活動に取り組みました。新潟県議会議員の五十嵐完二さんも上越市に来ていて、杉本団長が一緒になって活動しました。私は地元の後援会幹部の方と一緒に行動し、3軒の家で新たに購読していただくことになりました。この活動の中で、災害対策などの要望も寄せていただきました。この活動の途中、ニリンソウも見に行ったというわけです。


2006年05月16日

上越地区内3市の党議員研修会

 昨日から一泊二日で上越地区内3市の党議員研修会でした。会場は昨年と同じ妙高市のペンション、ボン・ネージュ。3月議会の総括と新市での議員団活動のあり方について出し合い、交流しました。集まった議員は6人全員、それに議員団事務局など6人、合計12人です。全員が発言しましたが、同じ党所属とはいえ、それぞれの活動や発言の仕方などに個性があって、とてもおもしろく、ためになる研修会でした。
 2日間の研修での一番のテーマは、広い新市の中で議員団活動の水準をどう引き上げるかでした。支部と議員団との連携を深め、元議員の協力も得て頑張る。そのために定期的な懇談、合同会議を開催する、党の姿の見えない旧町村がないようにすることなどを確認しました。でも最後まですっきりさせることができなかった問題もあります。全市民を対象にした民報(党の地域政治新聞)の発行です。編集内容と体制、資金など、3市とも悩みは共通でした。次回までの宿題となりました。
 昨日の夜は、ビールや酒も飲んで懇親会をやりました。私は出された料理をすべて平らげ、中ジョッキで3杯も生ビールをいただきました。がっちり飲んだせいなのか、同室となった上野事務局長とイビキの大合唱、いや大合戦かな。途中で目が覚めてからはまったく眠れなくなり、朝4時半頃から近くのスキー場、いもり池などの散策に出ました。スキー場付近で毛が変わり始めた野ウサギと出会いましたが、次に出会うのはクマのような予感がして、引き返しました。
 ボン・ネージュをきりもりされているご主人、奥さん、娘さんはとても感じのいい人たちでした。今回の訪問で、ご主人が文章を書き、短歌や写真も愛する人であることを初めて知りました。海外で撮った写真はいずれも素敵で、どんなふうにしたら上手になれるのか教えてほしいと思いました。ボン・ネージュの連絡先は電話0255‐86‐3309。


2006年05月14日

せめて、きょうぐらいは……

 きょうは議会だすけダメ、きょうは新聞配達あるすけダメ、きょうは人から頼まれていることがあるすけダメ、きょうはイベントがあるすけダメ、きょうは……。母にいろんなことを頼まれるたびに、きょうはダメを何回言ってきたことか。確かに以前より忙しくなったことは事実ですが、これを言うたびに申し訳なく思ってきました。きょうは母の日です。今朝、大島区の伯母のところへ「ネギの苗」届けてきてくれと頼まれた時も一度は断わりました。あとから、「午後なら何とかしてやられるよ」と言ったら、母はとても喜んでくれました。せめて、きょうぐらいは母からの頼まれごとにちゃんと対応してやらないと。
 午前、合併前上越市の住民を対象にした「日本共産党を語る会」では、衆院北陸・信越ブロック比例候補の山口典久さんと参院新潟選挙区候補の武田勝利さんが自らの入党物語や国会の動きなどを語りました。このなかで山口さんは、「母の日」に合わせ、母親についての思いを語り、参加者に感動を与えました。山口さんが子どものころ、お母さんが常に言っていたのは、「うちの子どもたちだけは絶対に戦争にやらない」でした。
 「信念を貫いて思い切り生きたい」と思っていた山口さんは、学生時代に日本共産党に入党しました。ところが、このことを知ったお母さんは、「お前はそのために産んだのではない。何もお前がそんなことをしなくてもいいじゃないか。周りの目もある」と泣きました。お母さんは共産党が大嫌いだったのです。「子どものころからのお母さんの教えを守ろうとしているんだ」と説得しても理解してもらえなかったそうです。そのお母さんも、山口さんが国政選挙に挑戦するようになったころに日本共産党に入党しました。息子の活動を通じて「しんぶん赤旗」を読むようになり、党への理解を深めていったのです。いまでは、お母さん(山口さんの実家に住んでいる)は、家の前にでっかい日本共産党掲示板を立て、民医連で喜んでボランティア活動をしているということでした。胸が熱くなりましたね。
 明日から2日間、妙高市で上越地区党議員の研修会です。したがって、明日の「見てある記」は休みます。


2006年05月13日

道と地域づくりを考えるフォーラム

 ありがたい、ありがたい話です。「しんぶん赤旗」の読者のひとりのAさんに会ったら、牛舎の中の片づけをさせてほしい、そしてそこにある堆肥をもらいたい、というのです。牛がいなくなっても、なかなか掃除もできずにきただけに願ったり叶ったりです。わが家にある堆肥は、牛舎内にあるものも堆肥舎のなかにあるものもとてもいい感じで腐っています。先日、Aさんは乗用車でこの堆肥を運び、家庭菜園に使ったそうです。この熱心さには驚きました。
 きょうは、新聞配達中心の活動でしたが、「雪国の未来を考える地域づくりフォーラム」にも出てきました。これは上越魚沼地域快速道路整備促進をねらったもので、会場となったリージョンプラザ上越コンサートホールは関係区の住民の皆さんで満杯でした。私が参加したのは泉田知事と木浦市長、そしてNPO法人女性みちみらい上越の野本幸さんの座談会を聴きたかったから。特に知事が道をテーマにどんな話をされるのか楽しみにしていました。
 知事は「道路をつくると人が来るというのは幻想だ。東京に近くなるという発想でいくとストロー効果で東京に吸い込まれてしまう。吸い込まれないような、魅力あるまちづくりが大事だ」「上沼道路はいのちをつなぐ道。30分以内に救急医療ができる地域にしていかねばならない」などと語りました。泉田知事の話を聴くのは妙高市での講演に続いて2回目です。前回はなめらかな話しっぷり、斬新な切り口などに惹かれましたが、今回はちょっと気になったことがありました。司会者が求める質問に答える際、話の内容が少しずつずれていくのです。議会論戦においては、こういう調子でやられると質問者はたいへんです。自分流ではなく、相手に合わせて議論を深めていくことが大事だと改めて思いました。
 フォーラムが終わってから、JAが開設した農産物直売所「あるるん畑」へ行ってきました。思っていたよりも狭かったですが、地域にたくさんの直売所がありますので、この大きさで十分だと思います。JAえちご上越の区域は広大ですので、当然と言えば当然ですが、味噌ひとつとっても、管内のものがたくさん展示されると見事ですね。「あるるん畑」では旧三和村村長の高倉さんや吉川区在住の職員さんなどと出会い、話をしました。


2006年05月12日

配達のピンチヒッター

 昨日来の雨が止んできょうは晴れ。まさに田植え日和でした。区内における田植えは連休中に山間部などでぽつぽつとはじまっていましたが、10日を過ぎて最盛期に突入しました。明日、明後日が最大の山になるでしょう。
 きょうは朝、妻を職場に送り、その後は市政レポートの作成と「しんぶん赤旗」日曜版の配達が中心でした。今週は田んぼで忙しい人のピンチヒッターで配達もしなければなりませんので、きょう、明日、明後日の午前くらいまでかかるかもしれません。きょうは、日頃の自分の配達区域と違う区域で配達したこともあって、なつかしがって話しかけてくださるお年寄りが何人もおられました。「きょうは、おまんに会えてよかった」こんなうれしい言葉も聞くことができました。また、この時ばかりと、生活相談を寄せてくださる方が2人もありました。たまにはこうして読者回りをすれば喜ばれるだろうなと思いながら、夕方6時半過ぎまでがんばりました。
 いつも連休頃に咲き始めるフジ、タニウツギが花を開き始めました。例年より少し遅めかと思います。野山は緑色が圧倒するようになりましたが、赤や紫、そして白などの色が見えるとまず間違いなく野の花です。来週は15日、16日と2日間、旧妙高高原町で党議員の研修会があります。勉強の合間にぜひ花の観察もと意気込んでいます。


2006年05月11日

風車の羽の落下現場へ

 事件や事故があったらまず現場へ。これは警察だけの話ではありません。議会活動も同じ。5日、シーサイドパーク名立の風車の羽が1枚落下したというニュースはドキッとしました。昨年もこの近くにある風力発電のプロペラの1枚が落下するということがあったからです。きょうは、その現場に出かけてきました。あいにくの天気で、濃い霧がかかっていて、海はまったく見えませんでしたが、落下した羽も落ちた時とほぼ同じ場所にあり、落ちた時の傷跡もちゃんと残っていました。総合事務所の方から説明もしてもらったので、どういう事故だったのかをイメージ豊かにとらえることができました。
 私が現場を見たかった理由の1つは市民や観光客の安全を確保する点でどうだったかです。風車の周りの通路から残っている3枚の羽を見上げた時、思っていた以上に危険性を感じました。間違って落ちた時に防ぐものがまったくなかったからです。羽はステンレス製でした。指でたたいてみた時の音は軽かったですが、長さは4メートル以上、重さは180キロもあります。ゴーデンウィーク中でしたが、通路を歩いている人の上に落ちてこなくて良かった。不幸中の幸いです。羽の落下の原因調査は約1週間後に出るとのこと。その結果を見た上で、安全対策についての提案をしていきたいと思います。
 この現場に行きたかった理由はもう1つあります。名立区の人たちがこの場所、この施設をどんな思いでとらえているのか知りたい。これは今回の事故原因を解明した後にどうすべきかを考える時に重要なポイントの1つとなります。そのためにはまだ一度も訪ねたことのないシーサイドパーク名立を訪ねなければ……。私が地元の尾神岳にたいして熱い思いを抱いているのと同じように、名立区の人たちにも共通した思いがあるのではないかと思ったのです。晴れていれば、佐渡や能登も見え、心地よい風も海から吹上げてくるにちがいありません。別の日に、また出かけてみようと思います。
 現場に行くにあたっては、小林総合事務所長といま1人の職員さんから同行していただきました。おふたりとも、雨の降りしきる中、一緒に歩き、説明してくださいました。隠すところがなく、率直な思いを語る、その姿勢は好感が持てました。


2006年05月10日

総務常任委員協議会

 きょうは議会役職改選前の「最後の」総務常任委員協議会でした。カッコをつけたのは、22日の臨時市議会までに、総務常任委員会に関係する何かがあれば開催される可能性があるからです。今回は、市の総合交通計画基本計画(案)、市役所分庁舎問題、高田駅前マンションの1、2階フロア購入に関しての協議がおこなわれました。
 一番熱の入った協議がされたのは、市の総合交通計画基本計画(案)についてでした。この計画では、合併して大きな市域となったなかで、市民の移動をどう確保するかが基本的な課題です。今回は中間報告ということでしたが、「郊外に住む者にとっては、公共施設、病院などを結ぶ交通網が重要になってくるが、いまのバス路線とはズレがある」「市の政策はさまよっている。自動車やめてバスに乗れと言ってもなかなかそうはならない。移動できない人をどう支えていくのかなど目線をしっかりつくり、どうしてもこれだけはということに限定した計画にすべきだ」などの意見が相次ぎました。
 注目された分庁舎整備についてでしたが、こちらの方は、財政の角度や庁舎機能の分散化などの視点から活発な展開となった前回の議論がかなり行政に影響を与えたようです。市としての今後の考え方については、「既存施設の有効活用を図り、現時点においては新たな分庁舎整備を行わない。今後、具体的に必要となってくる各種機能の拡充にあたっては、議会と協議しながら進めていく」と報告がありました。落着くべきところに落着いた感じがします。
 午後からは党議員団会議がありました。その後、にいがた県民教育研究所の方々が市役所にこられ、「子どもの安全をどう守るか」をテーマにした調査活動をされたので、ご一緒させていただきました。新潟日報などでも報じられた大町小学校の安全マップづくりについて、学校教育課長とともに、現場の先生が丁寧に説明してくださいました。危険箇所は「入りやすくて、見えにくい」など、子どもたちが実際に取り組んできた事例報告はとても分かりやすく、新鮮でした。


2006年05月09日

尾神岳北側は残雪がいっぱい

 市道の管理状況をよく見てほしいという声を複数の方から寄せていただきましたので、きょうは尾神岳から上川谷につながる市道を見てきました。尾神岳に上がるのは今年初めてです。木々がいっせいに芽吹いて、緑がとても心地よく感じられます。昨年の豪雨災害で崩れたところが危ないという声もありましたので、南側1ヶ所、北側1ヶ所の2ヶ所を確認してきました。南側は現在、通行には支障ないものの、強い雨が降った時にどうなるか心配になりました。早めに復旧工事をしてほしい場所です。尾神岳の峠を越えた北側はまだ2、3メートルの残雪でいっぱい。雪消えまでもう1ヵ月はかかるでしょう。あまり奥まで行けませんでしたが、昨年の豪雨で路肩が落ちたところは雪に押され、さらに崩れがひどくなっていました。ここも早めに手を打たないといけないと感じました。
 きょうは午前から青空が広がるいい天気になりました。尾神岳は、どこにカメラを向けても絶景写真が撮れるほど美しく輝いていました。とくに今の時期は、ブナ林が見事です。残雪は固く、歩きやすいので、市道をどんどん歩き、時にはブナ林に入って撮影しました。軽トラでゆっくり走っても分からないブナの美しさを、きょうは存分に味わうことができました。ブナ林の中では、雪の上に大量の赤い冬芽の殻と実が落ち、近くの沢の水の流れが大きく聞こえます。時たま、雪面を風が吹きぬけていきます。ブナ林で写真を撮り続けていると、時の流れも忘れてしまいそう。時計を見たのは、尾神岳に登り始めてから3時間以上も経ってからでした。
 このページの写真、久しぶりに入れ替えました。田んぼの代かきも終わり、田植えを待つばかりとなっています。また、「私の好きな風景」に「田んぼは夕陽で染まった」を掲載しました。


2006年05月08日

初めて聴いた知事の講演

 10日ぶり、いやもっと経っていたかもしれません、久しぶりに市役所に出かけてきました。昨日まで連休だったことを感じさせない活気がありましたね。ただ、午前ということもあったのか、議員控え室に来ていたのは私以外に2、3人という静けさでした。午前中は市役所の何人かの課長さんなどと連絡を取り、宿題となっている課題の整理をしたり、昨日読みかけた本を読んだりして過ごしました。
 いつもより早めに昼食をとり、午後からは、妙高市新井まで出かけ、泉田知事の講演を聴いてきました。いまの知事の話を生で聴くのは今回が初めてです。県議会の一般質問に対する答弁では職員が書いた原稿をそのまま読まず、自分の言葉で語るそうだ、と教えてくれた人がいたので、ぜひ一度、聴いてみたいと思っていました。会場の新井ふれあい会館ホールは満杯で、聴衆は通路から廊下まであふれました。動員の力かそれとも知事の魅力からきているのか、すごかったですね。
 知事の話は県が今年打ち出した「健康ビジネス連峰構想」と地域おこしが中心。落着いて、次々繰り出す言葉はなめらかでした。新潟県の少子化問題は全国と質が違う。新潟県の会社には本社が少なく、「従属」しているものが多い。話の仕方は断定的で、聴く者にとってはわかりやすかったかもしれません。話の中には賛同できないものもありましたが、私の考えていることと全く同じものがいくつもあり、興味深く聴きました。その1つは健康福祉の充実による雇用の創出です。呼んでもなかなか工場もこない中で、この分野で力を入れることの大切さを改めて感じました。
 妙高市は合併して2年目に入りました。知事は南アルプス市の事例に触れながら、妙高市の合併についても、「すばらしい選択だった。妙高市は全国区だ」と持ち上げていました。合併という選択がよかったかどうかは別として、上越市よりも多くの国民に知られていることは確かです。木浦上越市長は、市名変更を求める声に対しては極めて慎重ですが、上越市から参加した人たちの思いは複雑だったはずです。早く、「上越市って、どこですか」という言葉が聞かれないようにしたいものです。


2006年05月07日

本の浮気読み

 また、やってしまいました。1冊の本を読み始めて、読み終わらないうちに別の本を読み始める。この繰り返しです。連休中に読もうと買ってきておいた本は、岩波新書の『読書力』(斎藤孝著)と『スローライフ』(築紫哲也著)の2冊でした。きょうは『読書力』から始まって『スローライフ』へと読み移り、最後は本屋まで買いに出かけて落合恵子の『絵本屋の日曜日』(岩波書店)を読みました。いうまでもなく、読んだのは、いずれの本も途中まで。私の読書の「悪い」クセです。
 1冊目から2冊目に移ったのは、別のテーマの本を読んで、頭をちょっと休めようと思ったから。それがちょっとの「道草」で終わらなくなり、「脱線」「迂回」して、まさにスローライフ型読書になりました。ここでまた元の本に戻ればまともなのですが、本の中に挟まっていた新刊案内で落合恵子の本を見つけてじっとしていられなくなったというわけです。高田の本屋さんへ電話し在庫を確認すると、軽トラを走らせました。
 私は『水の時間風の休日』(福武文庫) を読んで以来、落合恵子のフアンになりました。『午後の居場所で』『母に歌う子守唄』(いずれも朝日新聞社)と読み進み、いまではもう完全にはまっています。本に書かれている文章の視点の良さに惚れ、あらゆるものに接する時の感覚もすっかり気に入っています。
 今回買い求めた『絵本屋の日曜日』も期待通りの本でした。100冊の絵本の紹介文とはいうものの、人の心の処方箋にもなっています。「『ねばならない』から解放されたかったら」「旅にでたかったら」「誰もわたしをわかってくれないと思ったら」など、自分のことと重ね合わせながら読むと、ためになるものばかり。きょう、最後に読んだ「一本の木に恋したら」では、尾神にある大きなブナの木とヤマザクラの木を思い出しました。ああ、いい本に出会った。
 


2006年05月06日

歩きを楽しみビラ配布

 午前は眠って、午後から上川谷へ。きょうの計画です。上川谷へは下川谷から県道崩落現場付近の山をのぼり、歩いて行きました。目的は2つ。8軒の家に市政レポートを配布すること、そして「上川谷の春…5月6日」をデジカメにおさめることです。家を午後1時過ぎに出て、約4時間かけてゆっくりと活動してきました。
 ここ1週間ほどのポカポカ陽気で、雪は本当によく消えました。田んぼや家の周りに雪が残っているとはいえ、もう時間の問題です。野の花が咲き乱れ、山菜も、ウドなんかはほうけているところもありました。8軒のうち、不在は3軒。1軒は野焼き仕事中でした。久保地内で数人が集まっているので、声をかけると、融雪に伴う土砂崩れで用水路がつぶされ、その対策を話し合っているところでした。
 昨年から、出かけるたびに発見のある上川谷です。きょうはあちこちでエゾエンゴサクの花を見かけました。きょう、デジカメで撮った野の花は9種類です。上川谷から旧川谷小中学校校舎周辺を見下ろすことのできるポイントも見つけました。青い空が広がっていればビューポイントになる場所です。下川谷のMさん宅で除雪機で木戸先の除雪をしている音がよく聞こえました。
 ゴールデンウィークで身内のものが訪れ、一時賑やかになった上川谷も、また普段の生活に戻ろうとしていました。耕耘機で子どもの荷物を運んで帰ってきたSさん、今晩から再び夫婦だけになります。「雪、消えたねー」と言ったら、「消えた、消えた」という言葉が返ってきましたが、なんとなく寂しそうに見えたのは気のせいでしょうか。
 きょう撮った写真は26枚。上川谷での議会報告会ではスライドにして紹介したいと思います。


2006年05月05日

山菜食べながらの囲む会

 きょうは夕方5時から牛舎前広場で「橋爪法一を囲む会」でした。近くの田んぼからは何台ものトラクターの音が聞こえるほど農作業が忙しい時期にもかかわらず、30人を越える人たちが集まってくださいました。この忙しい時になんでやるのかと思われるでしょうが、ウドなどの山菜料理を味わいながら議会報告会を、という後援会の皆さん方の企画、この時期を逃すとできないのです。議会報告あり、山菜あり、歌もある。もちろんアルコール類の持ち込みもオーケー、楽しい会になりました。
 牛舎前広場でこうした会を開くのは昨年に続き2度目。今回は白のシーツ2枚を使った大型スクリーンも活用して(もっとも、明るいうちはミニスクリーンで対応せざるをえませんでしたが)、議会報告や歌声をやりました。画面を使うと、みんながそこに集中してくださるので、とてもやりやすい。これまでは、いったん酒が入ると、さわがしくなってしまいがちでしたが、もうこれからは大丈夫です。
 私の報告は、今回もパワーポイントを使いました。新上越市の姿、深刻な市民生活の実態、木浦市政の特徴、党市議団のこれまでの活動を簡潔に報告しました。真剣に聴いてくださるので、話しやすかったですね。また、小田順子さんの朗読「むらさき花だいこん」も、いまの憲法改悪の動きに歯止めをかけたいとの思いと重なり、うけました。会の中では、発言を求める人もいて、「消防団の団員数も少なくなってきたので、消火栓を増やすなど初期消火にもっと力を」などの訴えもありました。日頃の活動に対する感想や市政への要望などを聞いて、意見交換できた点はとてもよかったです。
 昨年は参加者の顔ぶれもわからずに終わってしまいましたが、今回は、司会者が事前に番号札を配り、隣の番号の人を紹介するという工夫もしました。これで、参加者は交流しやすくなり、盛り上がりました。歌声については、今回も山岸協慈さんからギターで伴奏していただきました。歌った曲は「涙そうそう」「青い山脈」「北国の春」「仕事の歌」「小さな古時計」などでした。夜になれば暗くなるのに、照明を用意するのを忘れていたり、不十分なこともいろいろありましたが、最後まで楽しくやれたのは参加してくださった方々のご協力のおかげです。ありがとうございました。
 


2006年05月04日

五月晴れの下で街宣

 気分は最高。すばらしい天気でしたね。山々がすっきり、はっきり見え、新緑がとても美しい。この環境の中で党市議団そろって街頭宣伝に出かけました。本当は憲法記念日の昨日やりたかったのですが、九条の会などもあって、きょうにしました。街宣で回ったのは、直江津、高田、三和区、浦川原区、安塚区、大島区、吉川区、柿崎区、大潟区、頸城区です。午前9時から午後5時すぎまで、楽しく、回ってきました。残った区については、後日の計画です。
 私の喉がまだ本調子でないため、きょうの街宣では杉本議員団長が10ヶ所のうち8ヶ所で頑張ってくれました。杉本議員は、新潟県内の自衛隊員100名がいよいよイラクへ派遣されることになったことから切り出し、自民・公明などの改憲勢力が憲法改悪によってアメリカ主導のどんな戦争にも参加できる体制をつくろうとしていることを明らかにしました。また、教育基本法の改悪案提出はこうした体制の下地づくりであると訴えました。柿崎区などでは、こうした訴えに拍手がありました。きょうの街宣では、田畑で働く人たちなどがたくさん手を振ってくださり、うれしかったですね。
 樋口議員はほとんど1人でアナウンサー役をこなして頑張りました。私の声と違って、明るくさわやかな声です。それに選挙で鍛えられているので、原稿無しでも言葉が次々と出てきます。農村部では、彼女の声がよく響きわたりました。もっとも当の本人にとってはたいへんだったようです。杉の木を見ただけで鼻がむずむずしてくるらしく、「私、もうだめ」を連発していました。それでも花粉症に負けず、最後までやってくれました。
 きょうの街宣では、天気が良かったこともあって、素敵な野の花たちとも出会うことができました。旧東頸城の各区ではキクザキイチゲが満開でしたし、ヤマザクラが見事でした。党市議団のメンバーはみんな野の花が好きなので、きれいな花が目に入るたびに、宣伝カー内に歓声があがります。柿崎区、大潟区のハマダイコンの花も見ごろでした。野の花が好きな方、党市議団の街宣活動にぜひご参加ください。歓迎しますよ。


2006年05月03日

上越九条の会発足1周年記念集会

 憲法九条を守ろうの声が宗教界にも広がってきていることは聞いていましたが、きょうの発足1周年記念集会での記念講演の1つは、浄土真宗本願寺派の淨福寺住職・松山公昭さんのお話でした。先の大戦では宗教界も戦争動員に一役買ってきました。本願寺派の歴史の歩みを振り返りながら、平和への思いを語られました。数十年前、侵略戦争での日本軍の虐殺行為について言及したところ、その後、講演依頼がぴたりとなくなったと言います。それがいま、また講師として活躍されている。情勢の変化を感じました。
 会場の市民プラザのABCホールでは、三和区にお住まいの前山忠元吉川中学校教諭や旧大潟町議の佐藤忠治さんなどなつかしい人たちに出会いました。きょうの集会では、話を聞くだけでなく、「きょうの平和展」ということで工芸作品や絵画などが展示されていました。舟見研二さん、村山陽さんなど知っている人の作品も並んでいて、じっくり鑑賞させてもらいました。一緒にきょうの集会に参加した妻は、「歴史に学び、九条を守る輪を広げよう」と書かれた集会の幕の文字が気に入ったと言っていました。こうした会も、いろいろな能力を持った人が参加したくなる工夫があるとさらに広がっていきますね。上越九条の会は昨年百数十名で出発し、700人ほどになったと報告がありました。
 きょうの午前中、明後日の後援会の準備もかねて山菜採りに出かけてきました。これまでも2回ほど採ってきてはいますが、時間がないので、サッと行ってサッと帰ってこられる場所で間に合わせていました。きょうは2時間ほどかけて、山間部の谷間に入ってみました。驚いたのは谷や川の姿がガラリと変わっていたことです。昨年の水害で、崩れたり、すべったりしていたのです。デジカメを持っていけば重要な資料になったのに残念でした。山菜はウドとコゴメ、それにノノバ(ツリガネニンジン)をどっさり採ってきました。ノノバは太くていいものがありました。


2006年05月02日

第2次文化財調査

 市教委の第2次吉川区文化財調査が行われ、私も参加しました。メンバーは2月の第1次調査とおなじく、生涯学習推進課副課長の小島幸雄さん、文化財係長の中西聡さん、そして文化財調査審議会の植木宏委員長、地元の山崎文治郎臨時委員などです。今回の調査では、大乗寺の一石五輪塔、顕法寺大般若経、古文書などが対象でした。
 大乗寺の五輪塔については、町議時代に一度見たことがあります。市文化財として準指定されている五輪塔は2つで、そのうちの1つは公民館内に、いまひとつは神社の境内にあります。しかし、多くの石塔や石仏群について詳しい説明を聞いたのは今回が初めてでした。中西係長から謙信時代に大乗寺というお寺が大きな地位を占めていたことを聞き、びっくりしました。いま大乗寺というお寺は残っていませんが、古文書にはたびたび登場するお寺といいます。どこにあって、どんな役割を果たしていたのか、ぜひ調査してほしいと思いました。
 きょうの調査では、顕法寺関係の文化財が注目の的でした。古文書も大般若経も初めておめにかかりましたが、咳払いひとつできないほど緊張した雰囲気の中で調査はすすめられました。吉川町時代、町指定文化財の第1号となった大般若経は、事情により柿崎区のあるお寺さんから管理していただいていますが、できれば吉川区に置きたいと思いました。農業だけでなく、お寺も再編がすすんでおり、廃寺などにともなって文化財の管理者も移動するケースも少なくありません。私が議会などで提案してきた、寄託制度の活用が重要になってきていることを実感しました。
 大乗寺とちがって、顕法寺は山の中に残っています。9年ぶりに中に入れさせてもらいました。ここにはまだたくさんのお経の本や古文書、袈裟などが残っていました。調査にあたった人たちからはぜひ再調査すべきだという声があがっていました。このお寺から、みんなで顕法寺城址に登りました。これも市の準指定文化財になっています。途中、チゴユリ、ニシキゴロモ、イワカガミなどの花を楽しみました。あいにくの曇り空でしたが、城址からは日本海や猿毛城などを臨むことができました。初めて登った人たちは、眺望の良さに感激した様子でした。ここは春日山城とほぼ同じ182メートルの標高で、重要な山城だったといいます。
 市教委の吉川区内文化財調査は、準指定の文化財がもう1つ残っています。また準指定とはなっていないものの、重要なものもあるので、第3次調査が行われるとのことでした。調査をやるたびに吉川区の良さを実感できて、とてもうれしく思います。


2006年05月01日

第77回メーデー

 上越市のメーデーに参加するのは昨年に引き続いて3回目か4回目です。きょうは若い人や女性の人たちが目立った集会になりました。日本共産党上越地区委員会を代表して挨拶をしたのは伊藤副委員長、青年真っ盛りの彼の挨拶は若さと落ち着きがあって、とても感じのいいものでした。参加した労組の中にも20代、30代の人たちの姿が見えましたが、こうした人たちの姿がメーデー以外ではほとんど見ることができないのは残念なことです。
 主催者挨拶、来賓挨拶、決意表明と、集会はいつものパターンですすみましたが、いつもとちょっと変わった試みがあるとおもしろい展開をします。きょうも、プラカード審査があって、入賞した団体には金一封が渡されました。ここまではいつもどおり。そのあと、司会者から、「(金一封を)もらわれた方は、プラカード制作のエピソードなど一言お願いします」という呼びかけがあって、会場はドッと湧きました。そして思いがけない提案に、事前の準備などまったくなしの人たちが、生の言葉でそれぞれの思いを語り拍手を浴びました。
 その1人は新婦人のSさん。メーデー大賞に輝いた「咲かせよう9条の花 平和の花を」というプラカードは薄緑色の紙に文字が書かれ、たくさんの花がついていました。10人ほどの仲間たちとともに、3種類の紙を使い、新聞紙のカラー刷りの部分も使って制作しました。たった1枚のプラカードであっても、仲間とみんなで楽しく、いいものをつくる。Sさんのやさしい語り口もこのプラカードにぴったりでした。
 集会に先立って歌われた歌の中に、初めて聴く素敵な歌がありました。「ねがい」という歌です。広島市立大洲中学校三年生有志(2002年)の皆さんの作詞ということでしたが、歌詞も曲も平和の願いがあふれたいいものでした。「もしもこの頭上におとされたものが ミサイルではなく 本やノートであったなら 無知や偏見から解き放たれて きみはたたかうことをやめるだろう…」。CDがあるなら、今度、入手して覚えたいと思います。
 日本共産党文化後援会のホームページに私が撮った「季節の写真」が掲載されています。よそのHPに自分が撮影した写真が載ると、何となく、自分が撮ったものよりも良く見えます。不思議です。


2006年05月投稿分

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小さな町の幸せ通信