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2003年09月投稿分

2003年09月30日

不気味な痛みが走る

 きょうは町内の山間部で議会報告チラシと新にいがた(日本共産党新潟県委員会発行の地域政治新聞)号外の配布活動をしました。道沿いでは、シラネセンキュウサラシナショウマが白い花を咲かせていました。
 山間部はまだ稲刈りの真っ最中、平場ではまず見ることのできない悪戦苦闘がありました。長雨の影響で田んぼにコンバインを入れることができず、バインダーで刈って、稲を畦まで出す。そこで、コンバインを使い脱穀する。こういったやっかいな作業をやっていた70代のMさんと話をしました。Mさん曰く、「昭和40年代に、ハサにかけてあった稲が芽を出したことがあった。あの時の長雨にくらべれば、まだいい」。
 ところで、この活動中に、困ったことになりました。左足にいままで経験したことのない不気味な痛みが走ったのです。車を運転していて、左足をあそばせている時でした。足の血管中の血がドクン、ドクンと流れるのが分かり、それと同時に痛みがズンと来るのです。きょうは、この痛みを何回も感じました。血管障害なのか、それとも腰からきているのか、いずれにしてもこのまま放置できない状態になってしまいました。近日中に医者にかかりたいと思います。


2003年09月29日

輪読会

 台風が日本の南側を移動したためでしょうか、天気予報はきょうも外れて何度も激しい雨が降りました。
 午前は後援会ニュース配布と視察受け入れの準備をしました。視察は、議員提案という形では全国で初めて成立したという吉川町まちづくり基本条例についてです。来月は視察日程が決まったものだけでもすでに4件、そのほかいくつか問い合わせがきています。吉川町の条例に関心を持っていただけるだけでもありがたいことですが、これまでのいきさつからいって、説明役をしなければならない私にとっては、総選挙に向けた諸活動がそのために制約されるのはつらいところです。
 午後は上越市で日本共産党上越地区委員会の役員、議員の合同会議。今回は総選挙までに宣伝、組織活動をやりきる作戦ですが、その取り組みの遅れをどう打開するかがテーマでした。私の場合は、市町村合併関係の会議、相次ぐ視察の受け入れなどと重なることが多く、これまでの選挙で経験したことのない激しいスケジュールとなりそうです。マスコミが小泉自民党対新民主党の争いを演出し、消費税の大増税と憲法第9条の改悪を阻むうえで欠かせない日本共産党の役割を無視しているだけにうかうかできません。応援よろしくお願いします。
 夕方の搾乳が終わってから、支部の仲間で日本共産党23回大会決議案の輪読会をやりました。一人で読了するのは大変だし、みんなで一気に読んでみようかという話になり、久々の輪読会となりました。所要時間は約3時間。私はすでに黙読していたのですが、声をだして読むのもいいものです。消費税を導入して15年、この間の消費税の合計が136兆円で、同じ時期に法人3税の減収は131兆円にもなっている。少年事件、少年問題の背景の1つに、自分を大切な存在だと思う感情(自己肯定感情)が深く傷つけられているという問題がある。自己肯定感情が乏しければ、他人を人間として大切にする感情も乏しいものとならざるをえない。こういった、重要だと思ったことや、「おやっ」と思ったところに蛍光ペンで線を引いたら、とてもにぎやかな文書になりました。


2003年09月28日

選挙モードに

 昨日と同じくきょうの午前中もパッとせず、時たま雨が落ちてくるといった天気でした。カントリーのコシヒカリ受付は29日までとなっていますから、まだ田んぼにコシヒカリが残っている農家の人たちは気が気でなかったことでしょう。私の勝手な見方かもしれませんが、午後から動き始めたコンバインのスピードがいつもより早い気がしました。
 今朝、「しんぶん赤旗」日刊紙を配達している時に、町の景色が少し変わっていることに気づきました。公明党がポスターを張り出したのです。これで、町内のポスターは、保守系新人のポスターがまだないだけで、ほかは出揃ったことになります。来月10日解散に向け、各党の動きが活発化してきました。私も午前中は後援会資料の配達で回りました。私が「しんぶん赤旗」日曜版を配達していない地域を回ったこともあり、何軒もの家でお茶をごちそうになり、選挙情勢や市町村合併の話をしました。市町村合併への関心は急に高まってきているとの印象を持ちました。
 妻に誘われ、午後から上越市の大和デパートで開催中の久比岐野陶芸展を見に行きました。こういうところへ行くと、まず気になるのは吉川町の人の作品があるかどうかです。あると、なぜかホッとし、それを応援したくなります。今回は、140あまりの作品のなかで吉川町の人の入選作品が2点ありました。下町の片桐由美さんの花入と原之町の薄波辰二さんの花瓶です。薄波さんについては、以前、福寿荘へ行った時に、焼き物教室で鉢巻を締めてがんばっている姿を見ています。焼き物教室で学んだことが実を結んだのですね。大きな拍手を送ります。


2003年09月27日

タニウツギが狂い咲き

 きょうは朝から晩まで「しんぶん赤旗」日曜版の配達、集金でした。天気予報は、きょうから来週の半ばまで晴れとなっていました。ところが9時半すぎから雨が落ちてきました。困ったのは、稲刈りをしようとしていた農家の人たちです。「露がきれるのを待って、さあ、始めようかという時にこの天気だねかね。まったく、与太雨(よたあめ)だ」と言っている人がいましたが、気持ちは分かります。この与太雨のおかげで午前中の稲刈りはできなくなりました。
 午後の配達中、車を走らせていたら、ピンク色の花が目にとまりました。まだ見たことのない野の花かな、車をとめて見ると、何と春に咲くタニウツギではありませんか。このところ、暑くなったり、寒くなったりとおかしな天気が続いていたので、いまが春、と間違えたのでしょう。
 夜は、後援会ニュース、候補者リーフなど後援会員のみなさんのところに届ける物資の袋詰め作業をおこないました。仲間の一人がブルーベリーの実をもってきてくれたので、食べながら作業をすすめました。やはり今年の天候を反映したのでしょうか、いつもより味が薄いような気がします。それでもうまかった。


2003年09月26日

町農業委員会定例会では…

 午前は、時たま雨がぱらつく曇り空。朝9時から農業委員会が開催されました。いつもは午前10時開会なのに、1時間早いのは、「露のあるうちに会議を終え、稲刈り作業ができるように」という考えからです。しかし議案には、農地関係だけでなく、14市町村合併がおこなわれる場合、農業委員会組織をどうするか、その基本方向を議論するものがあったので、短時間では終わらない定例会となりました。
 一昨日の頸北最寄の農業委員会会長、職務代理、事務局長会議では、その会のまとめ役をやっている吉川町の小野寺会長が、「14市町村の農業委員会を3つの農業委員会に再編する具体案を示すので議論してほしい」と提案し、了承されていました。定例会では小野寺私案と上越市の農業委員会事務局がまとめたとされる2案(1つにする案と2つにする案)の資料を元に活発な意見交換がおこなわれました。
 このなかでは、「町村部の委員をほんの数名にする場合には、事務局の役割がいままでより大きくなる。現地調査だって、事務局にやっておいてもらわないと、委員ではまわりきれない」「委員会数を少なくして支部機能を充実するといったことが書いてある案もあるが、どんな権限を付与できるのか疑問だ」など、農業委員会の役割を現在よりも後退させないようにという立場の発言が多くありました。
 小野寺私案は、①上越市と名立町、②頸北5町村、③東頸城3町村、清里村、板倉町、中郷村の3つの農業委員会に再編するものとなっていて、上越市農業委員会事務局案よりも各町村で委員を多く出せるのが特徴です。定例会では、「農地行政も地域農業振興もしっかりやることのできる農業委員会に」という声が強く、小野寺私案を基本にして今後、13市町村の委員会と話し合いを進めていくことを確認しました。
 午後は天気予報が当たり、雨があがって、稲刈り日和となりました。私は、「しんぶん赤旗」日曜版の配達と集金で飛び回りました。


2003年09月25日

体重550キロの牛が3万8000円

 昨日に続いて雨。今年はほんとうによく雨が降ります。朝の搾乳時、牛舎脇の牧草地に出てみたらシロバナサクラタデが咲き始めていました。初めてこの花に出会ったのは昨年でした。花の形は桜にそっくりで、しかも艶があるので強烈な印象が残ったものです。今年のシロバナサクラタデもすばらしい。しなやかな淡いピンク色の花は雨に濡れ、一段と美しさを増していました。
 きょうは長岡家畜市場の開催日。わが家からも1頭出すことになり、父が家畜商の車に乗せてもらいついて行きました。わが家の牛は、牛乳の出が悪く、肉牛としてセリにかけることにしたものです。体重約550キログラムもあるのに、やはり、「くず牛」とみなされたのでしょう。競るものは1人もいなく、結局、付き合いのある家畜商に引き取ってもらいました。その値段、5万円。運賃など諸経費を引くと、3万8000円にしかなりませんでした。BSE問題がにぎやかな時には1頭500円ということもありましたから、それに比べればいいのかもしれませんが、それにしても…。
 午後からは週間町政レポート第1107号の原稿書きをしました。9月議会のことでまだお知らせしていなかった「市町村合併と災害対策」の部分のやり取りと県農民連が提出した、「農家が意欲を持って稲作に取り組むことのできる米政策の実現を求める意見書」の提出を求める陳情書について取り上げました。この内容は、一部修正したうえで、日曜日に、私のホームページの「町や議会の動き」に掲載しますのでごらんください。


2003年09月24日

農業委員会の合併問題で話し合いました

 曇り時々雨。午前は頸北地域の農業委員会会長、職務代理、事務局長の会議が吉川町役場で開催されました。テーマは農業委員会の合併問題です。7月29日の会議では、14市町村の合併にあたって、複数の農業委員会設置でいくことなどを確認していました。その後、14市町村の会長、事務局長会議などで検討が進み、1つの農業委員会をめざす流れが強まってきています。きょうは、そうした情勢のなかでどう対応するか、意見交換をしました。
 意見交換は、上越市農業委員会事務局がまとめたという、①14市町村農業委員会が1つになった場合、②頸北4町村とその他の2つの農業委員会になった場合の組織イメージ図をもとに進められました。「農地部会の下に3つの支部をつくる案になっているが、支部といっても、これは現地調査部隊にすぎないのではないか」「農業委員会は、農地行政だけじゃない。地域農業の振興面で果たす役割が大きいのに、その角度からの議論が十分されていない」「よそが1つにという形になっているなかで頸北だけで農業委員会を設置するのは難しいのではないか」などいろいろな意見が出ました。今後、各町村の9月定例会で議論してもらい、10月の10日頃に再度集まって検討することになりました。
 午後、これまでの印刷機を処分し、中古ではありますが別の印刷機を設置する作業を手伝いました。その後、長峰温泉・ゆったりの郷(電話025-548-3911)で湯につかり、整体をしてもらいました。体がいつもより楽になった感じがするので月に何回か通ってみようと思います。


2003年09月23日

長崎明さんの傘寿を祝う会

 きょうも秋晴れ。私が卒業する時に新潟大学の学長であり、卒業後も自治体研究所などの活動でいろいろとお世話になっている長崎明さんの傘寿を祝う会が新潟市のホテルで開かれました。農業・農村問題の研究、県革新懇談会など幅広い活動をされているだけあって、県内外から200人を超える大勢の人たちが参加しました。
 受付を済ませ、五十嵐県議と難病医療費問題で話し合っていたら、学生時代の先輩で、詩人の酢山省三さんから声をかけられました。
 「橋爪、急な話で悪いんだけど、学生時代お世話になった者を代表して
 スピーチ頼むよ。他にいないんだ」
 「弁護士の足立さんがいるじゃない。酢山さんだって適任だと思うけど…」
 「おれも大役があるんだ。みんなで橋爪にってことになったし、頼む」
結局、根負けし引き受けることにしたのですが、心の中はおだやかではありません。主催者代表の挨拶、今成真理子さんのピアノ演奏、そして陶山さんがナレーター役をつとめたスライド上映の時も落ち着いていられませんでした。
 かなりお酒が入ってから私の出番がきました。にぎやかすぎて、このままでは誰一人私の話を聞いてくれないと思ったので、大きな声でしゃべりました。
 「吉川町で牛を飼っている橋爪法一でございます。学生時代は学園民主化
 闘争がもっとも活発な時で、私はほとんど勉強しておりません」
その後、青年団時代に山田良一さん(現在、町社会福祉協議会事務局長)と一緒にトレパンと長靴姿で長崎先生のご自宅にお邪魔し、講演会の講師をお願いした時のエピソードや県知事選挙で社会党の古屋秀夫さん(故人)や杉田惣平さんなどと一緒に長崎さんを推した話をさせていただきました。あまり上手くはしゃべれませんでしたが、長崎先生がニコニコ顔でうなづいておられたので安心しました。
 祝う会では思いがけない人とも再会しました。2月の末に夫を亡くされたばかりの古厩喜美子さん。牛舎を訪ね、わが家の牛乳を飲んでくださった坂本典子先生。それに経済学の臼井晋先生などと再会を喜び合いました。「傘寿を祝う会」のおかげで懐かしい人たちと話ができ、たくさんの元気エネルギーをもらってきました。(写真は左から小菅フサエさん、長崎先生、私、古厩喜美子さん)
 ところで、高速バスに乗って新潟へ行く途中のこと、数年前、新潟大学病院で初めて生体肝移植手術をうけた児玉義明さんを励ます会でご一緒したNさん(長岡市在住)と再会しました。彼女との会話で、私が知らなかった耳寄りの吉川町情報を1つもらいました。長峰温泉・ゆったりの郷(電話025-548-3911)の整体師さんがとても上手で、彼女を含めて定期的に訪れている人がいるという情報です。ひょっとしたら、私の左足のしびれがとれるかもしれません。明日にでもかかってみようと思います。


2003年09月22日

第2次小泉改造内閣スタート

 ビューティフル・マンディ。昨日の雨で大気の汚れも洗い流され、遠くの景色がとてもきれいな一日になりました。『ビューティフル・サンディ』をヒットさせた田中星児の歌が聞こえてくるような、さわやかな秋晴れでした。町内では、チャンス到来とばかりに田んぼに出た農家の人たちがコンバインの音を響かせていました。
 きょうから、「しんぶん赤旗」の集金をはじめたのですが、あまりにも美しい尾神岳にひかれ、山間部へ。私のホームページのトップページ写真を撮りに行ったら、ちょうど稲刈りがはじまるところです。コンバインの姿が見えるように、いつもの位置よりも3メートルほど離れた場所から尾神岳を撮りました。人がいると尾神岳の景色もずいぶん違ってくるし、田んぼなどの大きさがイメージできますね。
 今回の集金時の話題は9月議会のことが中心です。ある読者のところでは、ディ・サービスセンター「あじさいの家」の改築の話からはじまって最後は市町村合併について話し合うことに。佐渡島よりも大きい新市になった場合、各町村にいる保健師はどうなるか。地域密着型の保健体制は崩れるのではないか、との不安の声が寄せられました。
 きょうは、小泉内閣の第2次改造がおこなわれた日でした。テレビでは、小泉首相が「改革推進内閣」だと言っていましたが、史上最悪の「国民生活ぶっつぶし内閣」です。町役場で久しぶりに会った元教員のAさんは、「まだ3年もこんな政治が続くのかね、年金生活者はたまったもんじゃない」「うちの子ども(教員)は夜の9時、10時にならないと帰ってこない。とにかくいまの教員は忙しすぎて、子どもにどういう力をつけていったらいいか考えている余裕もない」と語っておられました。話を聞いていて、日本共産党大会決議案に書かれていた「社会の道義的な危機」のことを思い出しました。
 夜は、明日予定している五十嵐県議との打ち合わせの資料づくりをしました。


2003年09月21日

ブレザー着用

 気温16度。朝から晩までこの低さが続きました。昨日、半袖シャツから長袖にしたばかりなのに、きょうは、その上にもう1枚着ないではいられない寒さに。日中はブレザーを着て動きました。
 午前11時過ぎに上越市に向いました。上杉謙信ゆかりのお寺、春日山の林泉寺でお茶会があるというので、妻のアッシー君を務めました。車を運転中、私が左足をさすっていることに気づいた妻が、「どうしたの」と聞いてきてからしばらく健康談義をしました。じつは、このところ、左足が時々しびれるのです。このため、私の立っている時の姿勢にも影響が出ていることが昨日分かりました。議会報告チラシに掲載した私の写真を見ると、明らかに右肩が下がっています。どうも、無意識のうちに左足をカバーしているようなのです。
 妻が茶会に出ている約3時間の間に、ラーメン屋で食事をし、その後、本屋、そして日本共産党の地区委員会事務所をまわりました。林泉寺の駐車場にもどってから約1時間半、車の中で、日本共産党の第8回中央委員会の決定を読みました。ここ数日は議会だったので、きょうは、この読了をめざしました。いつものクセで、まず結語を読んで総会の雰囲気を掴む。それから一番最初のところへといきます。農業に関する記述、「社会の道義的な危機を克服する提案」など興味深いところがいくつもあり、町行政の改革に生かせるヒントもありました。もうすぐ読了です。
 


2003年09月20日

県議と連携へ

 きょう、人と会った時の挨拶言葉は「寒くなったねえ」。久しぶりに長袖を着て飛び回りました。わが家の牛舎内の扇風機も、回さないでよくなりました。「暑さ寒さも彼岸まで」といいますから、普通ならこれからどんどん寒くなっていくのですが、異常続きの今年はどうなるでしょうか。
 昨日で9月議会は終了しました。議会が終わったあと、いつも気になるのは、住民のみなさんからの反響です。議会の一般質問は有線放送で実況中継、さらに再放送も流れています。私どもの「町政レポート」速報も一般紙に折り込んである。ですから、必ず何らかの反応があります。
 きょうは、「しんぶん赤旗」日曜版の配達の途中、難病患者の方からお礼の言葉とともに切実な訴えを寄せていただきました。「見てください。こんなに難しい書類なんですよ。複雑で理解できないし、全部読まない人もいます」「私の場合は、これまで1か月1000円ですんだのが何倍にもなります」「国は土木工事などでずいぶんムダなことをやっているのに、なんで私たちのような者にこんなことをするのでしょう」「どうせ今回の見直しで、私たちが医者にかからないようにして、金をケチるつもりなんです」。そう言ってその方は、特定疾患医療継続申請関連資料を次々と見せてくださいました。
 驚いたのは、窓口である上越健康福祉環境事務所(上越保健所)の文書です。10月1日から切り替えられるというのに、特定疾患医療受給者証の継続交付申請の提出期限を「平成15年9月30日(火)必着」としてあることでした。しかも、その下に、「ただし提出期限間際に書類の提出があった場合、受給者証の交付が遅くなる可能性がありますのでご了承ください」とあります。なんと無責任な文書か、腹が立ってしょうがありませんでした。
 夜、この問題で日本共産党の五十嵐県議に電話をしました。五十嵐さんとは23日に新潟市で開催される「長崎明(元新潟大学学長)さんの傘寿を祝う会」で一緒になることがわかりましたので、その場で話し合うことにしました。難病医療費問題は、県議と連携し、場合によっては国会議員とも連携して解決を図っていくことになりました。


2003年09月19日

質問準備は休養が一番

 朝、配達された「しんぶん赤旗」日刊紙を広げたら、米山(よねやま・標高993メートル)をバックにした黄色い田んぼの風景写真がすぐ目に飛び込んできました。この間の日曜日に柿崎町上直海(かみのうみ)で私が撮った写真です。接写モードで撮ってみたら、コシヒカリの穂がとてもきれいだったので、赤旗編集局にメールで送っておいたのですが、こんなに早く掲載されるとは思いませんでした。
 さて、きょうは9月定例会での議案審議本番。昨日、十分休養をとったので体調はベストに近い、質問準備もある程度はできている。そんなわけで審議を楽しみにしていました。
 まず最初にとりあげたのが情報公開の促進です。来月からまちづくり基本条例がスタートすることでもあり、情報公開の徹底、共有化の促進は重要課題の1つです。まず一番行政情報を持っている町長から情報公開を前進させるべきだ、として町長交際費、公務日誌をホームページで公開するよう迫りました。また政策の形成過程、町政における意思決定過程を公開することが求められているとして、この点で、何からやるか検討するよう求めました。いずれも町長は、検討を約束しました。
 次は難病医療費助成問題。一般質問でもとりあげたのですが、今回は制度見直しに伴い必要となる医療券・受給者証の更新手続きの遅れ一本にしぼって追及しました。これは、窓口は保健所ですが、当町関係者については、まだ6割の人が更新手続きをしていないという実態になっています。手続きの流れ、更新手続きに約2か月という時間がかかることを明らかにしたうえで、関係機関に働きかけるよう求めました。住民の命にかかわることは絶対曖昧にしない、その構えで迫ったのが功を奏し、町長は働きかけをすると言明しました。
 
 この他、上越市への編入合併に向けた取り組みの問題点を浮き彫りにした指定文化財についての調整作業、次世代育成支援事業などについてもほぼ予定通りの回答を引き出すことができました。やはり、質問の前日は欲張ってたくさん本を読んだりするよりも、ゆっくり休むのがいいようです。


2003年09月18日

クルマバハグマ

 早朝、「しんぶん赤旗」日刊紙の配達をしていたらヒガンバナが咲いているのが目に入りました。毎年、この時期になると不思議に思います。この花、普段はどこにあるかさっぱり分かりません。それが、彼岸が近づくと急にニョキニョキと出てきて、赤い花をパッと咲かせるのですから。
 町内では、最近、畑や田んぼのあぜなどでも見かけるようになりましたが、調べてみたら、この花は雑草の生育を阻害したり、地中のモグラやネズミを寄せ付けない毒素(アルカロイドというのだそうです)を持っているとありました。きれいだということもあるでしょうが、こういう働きも考えてふやしている人もいるんですね。
 午前は市町村合併問題特別委員会。上越地域合併協議会の幹事会で示された「会議運営に関する規程」などの素案について助役と企画開発課長から説明を受け、意見を出し合いました。
 興味深かったのは、会議を円滑に運営するため、協議会に「会議運営委員会」を設けることにしてあることです。これは、法定合併協議会準備会での私の提案を参考にしたものだと思いますが、本来、会議の運営については会長、副会長などで構成する「役員会」が責任を持って対応するのがスジです。上越市議会などで、協議会規約に「役員会」は必要なし、と言っていた人たちがいました。こういう人たちは今回の「会議運営委員会」をどんな思いでみているのでしょうか。
 会議が終わってから、道之下・町田林道へと車を走らせました。朝、ヒガンバナを見たときに、「ひょっとすると例の花が咲いたかも…」と第六感が働いたからです。例の花とは、クルマバハグマ。6月ころから花のつぼみを観察し続けてきました。8月10日の段階では「もう1週間で咲く」と予想したのですが、その後、何回も訪れても空振りでした。きょうは、そばまで行って、「やったー」と声を出してしまいました。ハグマ特有の花火が開いたような花が咲き始めていたのです。私がこの世に生まれてからこの花を見たのは、もちろん、きょうが初めてでした。
 午後からは、明日の議案審議の準備をしました。


2003年09月17日

一般質問当日

 一般質問はこれまで90数回やっていますが、何回やっても緊張します。きょうは朝3時前に目が覚めてしまいました。どういう質問の組み立てにするか迷いがあり、それが不安となってよく眠れなかったのだと思います。
 起きてから本を読むことにしました。北海道町村会発行のブックレット『地方自治のシステム改革』(辻山幸宣著、全文38ページ)は以前、読んだことのあるものでしたが、質問にも関連することが書かれているので再読しました。読みはじめてびっくりしたのは、この間から注目している東大の神野直彦教授の主張に辻山先生が共感を寄せておられることでした。
 神野先生は、「システム改革の時代」という言葉を使いはじめた人。最近読んだ先生の著書、『希望の島への改革』では、市場原理主義と中央集権型政治を排し、人間の絆で結ばれた「協力社会」をつくるべきだと訴えています。いまの政治の駄目なところをしっかりつかんでいて、これからの政治のあり方を考えていくうえで大いに参考になるものだと思いました。
 まちづくり基本条例の策定でお世話になった辻山先生と神野先生の主張がリンクされたことで、私の頭の中では、新しいまちづくりのイメージがより豊かになりました。しかし、これを一般質問のなかに組み入れようとしたことが間違いの元でした。
 イメージは膨らんでいても、自分の言葉で整理されていない状態でしたから、質問の展開がうまくいかず、途中で汗がどっと流れ出てきたのです。しかも、昨日、考えていた質問の最後の詰めもほとんどしないで質問時間を終えてしまいました。というわけで、きょうの一般質問の出来はぎりぎり60点。やはや、やはや。一般質問でめざした答弁は、一般会計補正予算審議のなかでもらいましょう。


2003年09月16日

一般質問前日

 秋晴れ。ここのところ朝晩の気温がぐんと下がり、肌寒いくらいです。本当に秋らしい天気になってきました。
 町内のコシヒカリはすっかり色づき、もう数日で収穫を迎えます。私の気のせいか、今年のコシヒカリの穂の色は黄色というよりは少し赤みを帯びていて、昔の稲の色にそっくりです。これまで収穫した早稲品種の収量は、胴のふくらみが弱く、例年よりも少ないという声が聞こえてきますが、コシヒカリの外見からは心配ないように感じます。
 さて、明日は一般質問。質問準備は最終段階です。これまでの作業で、一応、質問原稿は書いてあります。問題は3回ある質問の機会をどう生かし、質問のなかで何を獲得するのか。答弁内容を予想し、質問の展開をイメージする。答弁のどこに切り込んでいくのか。こういったことが十分できた時とできない時でずいぶん違います。
 質問テーマの最後はまちづくり基本条例です。あれこれ考えていたら、1つのことが気になりました。吉川町議会が初めて議員提案した「義務教育における義務外負担禁止条例」です。これについては、学生時代に羽仁五郎の『都市の論理』を読んだ時に初めて知り、感動した記憶が残っています。いろんな場で、この感動の体験を語ってきたのですが、この本自体は失くしてしまい、手元にありません。
 気になったのは私の記憶に間違いはないだろうかということです。質問を準備している時に、ある若手研究者から「今度、その本を読み直して見ます」というメールをもらったことを思い出したのです。間違いなく吉川町議会のことが載っているか。確認のために柏崎市立図書館まで車を走らせました。図書館の蔵の中から出してもらい、650ページからの本をめくりました。さがすこと20分、ありました、ありました。わずか2行あまりでしたが、623ページに載っていました。これで、一安心。私の質問準備はずいぶん回り道をします。


2003年09月15日

おこらない 

 仕事の進み具合がどんなにゆっくりであっても「遅すぎる」と言って
 おこらない。
 朝から何回も同じ話を聞かされてもおこらない。
 同じことを繰り返し聞いてきてもおこらない。
 大きな声で話しかけてきてもおこらない。
 機械の操作などで初歩的なミスをしても、「何でこんな間違いをするんだ」
 と言っておこらない。
 たいして重たくないものを持てないでいる姿を見てもおこらない。
 約束したことを忘れられてもおこらない。
 半年ぐらい前のこと、車の中で、わが家の父の仕事ぶりや動作などについてあれこれ言ったときのことです。田村憲世町公民館長さんに言われました。「みんな年をとっていけばそうなるんだから、おこっちゃいけないよ。年寄りは自信を無くしちゃうじゃない」。
 まったくその通りなんです。おこっちゃいけないんですよね。元気でいてくれるだけでもありがたいのに、息子の仕事まで手伝おうというのですから。そのことを分かっていながら、急いでいる時などついつい大きな声を出してしまいます…。
 きょうは敬老の日。おこらない、おこらない。


2003年09月14日

連続更新50日

 この「見てある記」をはじめたのが7月27日。内容はともかく、まず毎日書く習慣を身につけよう。そう思って、「どんなに忙しくても、どんなに疲れていても50日目までは毎日書く」ことを目標にしました。その50日目がきょうにあたります。
 正直言って、よく続いたな、と思います。一日の活動の締めくくりとして、夜遅くなってから書くことが多いものですから、12時をまわることはしばしばです。うとうとしながら書いたこともあります。酔った時でも書いています。そんなわけで、おかしな文章になっていることも何回かありました。それで、文章的にあまり自信がない時には、書いてすぐ送信はせず、翌朝送信するようにしています。
 まだ読者は少ないのですが、読んでいてくれる人からの励ましが書き続けるエネルギーとなります。川崎市に住む親戚からは、「続けるのはたいへんだろうけど、がんばって」とメールをもらいました。町役場でも「毎朝、必ず開いて見ていますよ」と声をかけてくれる人もいます。昨日は、大潟町のある農業生産法人の社長さんが、「毎日、どんな生活しているのか、分かるね。楽しみにしているよ」とわざわざ電話をくださいました。このほかにもたくさんいただきましたが、こうした励ましがあるとやめるわけにはいきません。50日目以降は、無理をせず、時には休みもいただきながら書き続けていきたいと思います。
 きょうは、日中は秋晴れでした。昨日のような暑さを経験したあとのこともありましょうが、暑さとさわやかさが同居している天気でした。昨日、やり残したポスター張りは午前と午後にそれぞれ1時間ほどかけておこないました。他党のポスターは自民党から衆院小選挙区で出馬を予定している人のものと民主党の衆院議員のものが張ってありますが、こちらの政党ポスターと大演説会案内ポスターが目立つようになりました。
 夜、うれしい電話がありました。横浜市に住む中学時代の後輩からの電話です。「日曜版読みましたよ。吉川町のことが載っていてうれしかったです」。ふるさとを離れて暮らしている人からの反応第1号です。おそらく全国には、「しんぶん赤旗」日曜版を読んでいる吉川町出身者がかなりいるはず。その人たちが今回の記事を読んで、元気になってくれれば最高です。


2003年09月13日

猛暑のなかで

 きょうは第二土曜日。資源ごみのうち、ビン類、缶類、ペットボトルの回収日です。先月出さなかった分もあったため、かなりの量になりました。缶とペットボトルはつぶして出すことになっているので、いつもより早めに起きて足でつぶす作業をしたのですが、汗びっしょりになりました。たいへんなのは缶よりもペットボトル、これがなかなかうまくつぶれてくれません。作業をしながら思いました。いまのうちはいいけど、年をとったらこんな力仕事はできない、と。
 台風の影響で、きょうは朝から気温がうなぎのぼり、今年1番か2番の暑さになりました。
 午前は、タオルを首に巻いて、山間部で「しんぶん赤旗」日曜版配達とポスター張りで汗を流しました。昨晩の雨で空気中の汚れがとれて尾神岳がきれいだったので、途中で、このホームページのトップページで使っている尾神岳の定位置からの写真を撮ることにしました。前回は8月27日撮影でしたから、稲の色が黄緑から黄色に近づいてきたはずです。ごらんください。
 さて、山間部ではどうしても野の花が目に入ります。2週間ほど前から咲き始めたツリフネソウはいまが盛り、どこへ行っても見事に咲いています。きょうはゲンノショウコも目に付きました。小さなかわいい白い花があちこちで咲いていました。今年初めて見た花もあります。ミゾソバです。花は2つだけでした。赤やピンクのきらりと光ったこの花がいっぱい咲くようになるのは、秋が深まったころ。花を追っていくだけでも、季節の変化を感じとることができます。
 昼寝をして、「さあ、ポスター張りに出かけよう」という時になって、空模様がおかしくなってきました。それで、予定を変更して病院に出かけて親戚の人を見舞ったり、悔やみに出かけたりしました。


2003年09月12日

議運そして各派代表者会議

 台風の影響でしょうか、きょうは、朝からむし暑い日となりました。午前は「しんぶん赤旗」日曜版の配達でフルに動き回りました。途中で中村トミさん・八木シゲさん姉妹のそば屋、『自然処 田舎』(電話025-548-2474)に寄せてもらったら、お客さんたちの見える場所に二人のことが載っている日曜版の記事が張り出してありました。あるお客さんに、「カラーコピイーで拡大して額に入れてかざったら」と言われたとか。トミさんは、「とてもわかりやすい言葉で書いてもらい、うれしかった」とニコニコ顔でした。
 午後からは、9月議会に向けた議会運営委員会と各派代表者会議が連続して開かれました。会議で最も話題になったのは、吉川町の9月議会のことではなく、隣の柿崎町議会の市町村合併特別委員会がまとめた最終報告でした。
 同報告は9月末で任期切れとなることから、これまでの審議をまとめ、新議会に引き継ごうというもの。新聞報道では、「旧町村エリアを単位とする行財政運営の仕組みの確立を」「合併の期日は平成17年3月31日とする」「自治基本条例は新市になってからの協議を待たず、早期に作成する」ことなどが入っており、一部は法定協準備会で確認したこととは違った内容となっています。各派代表者会議では、「最終段階で思い切ったまとめをしたね」「同じく任期切れとなる東頸城の町村議会がどうするかな」「法定協準備会の事務局もびっくりしただろう」などの声が相次ぎました。
 夜、ビールを一缶(350cc)飲んだらまたもダウン。「自分で飲んだ缶くらい自分でかたずけなさい」という妻の声が聞こえてはいたのですが…。ここ数日の寝不足がたたったみたいです。一眠りしてからパソコンを立ち上げたら、長野県松川村の日本共産党村議、井川のぶ子さんと上越市の友人から励ましのメールが届いていました。がんばらなくちゃ。
 (注)法定協準備会では、①合併方式は上越市への編入合併とする、②平成17年1月1日を合併期日とする、③自治基本条例については合併前に骨組みをどうするか話し合う、④議員定数については特例を使う(在任特例とするか、定数特例とするかの論議は定数特例の方が多数を占めたが、正式に決まってはいない)などを確認し、正規の法定協に申し送ることとしていました。


2003年09月11日

トミさんとシゲさん姉妹のことが日曜版に

 数日前からきょうの日が来ることを楽しみにしていました。先日、君塚陽子さんという「しんぶん赤旗」日曜版の記者が国田の中村トミさん・八木シゲさん姉妹を取材しましたが、その記事が今回の日曜版(9月14日号)に掲載されることになっていました。きょうはその日曜版が大潟町の新聞屋さんに到着する日。
 朝5時、日刊赤旗の配達当番だった私は、新聞屋さんへ着くとすぐに日曜版を1部取り出し、車の中でめくってみました。ありました、ありました、なかほどの見開きページにかなり大きなスペースを使って中村トミさん・八木シゲさん姉妹のことが載っています。
 車のルームランプの下で読みました。80歳と77歳の二人が毎日そばを打ち、元気に頑張っている。その元気の秘けつ、そば屋を開いたいきさつなどが丁寧に書かれています。取材に同行していましたので、取材内容の一部は承知していましたが、役場の産業課やシゲさんの長男・孝一さんからもちゃんとコメントをとってあるのを知り、さすがだな、と思いました。トミさん、シゲさんの思いをしっかりつかんだとてもいい記事でした。
 心配だったのは、私が撮った写真です。記事にぴったりの写真になっているかどうか、不安でした。でも、印刷された写真を見て安心しました。トミさん、シゲさんの明るさ、誠実な性格を感じとれるまずまずの写真だったからです。家に帰って、妻に見せたら、「あんたの顔がよほど面白かったんだろね」。妻もトミさん、シゲさんの笑顔が気に入ったようです。
 きょうは朝晩の搾乳以外は、ほとんどパソコンに向っていました。一般質問の原稿書きです。まだ三分の二しか書いてありません。明朝までにどこまで書けるか。最近、自分が遅筆であることを意識したら、ますます書けなくなりました。


2003年09月10日

一難去ってまた一難

 天気予報どおり、曇りから雨になりました。ひょっとしたら半日くらいはもつかもしれない、そう思って稲刈りに出た人たちにはかわいそうな天気でした。
 先日、第四胃の位置がずれて手術した牛は、その後の回復が順調で、きょう午前にはめでたく抜糸するところまできました。ところが、今度は、手術をした隣の牛が急性乳房炎にかかり、獣医さんから治療してもらいました。熱は40度、1つの乳区がガチガチにかたくなっています。これまでの経験から言うと、簡単には直りません。ようやく出荷乳量が元に戻ると喜んでいたのに、がっかりです。
 午前10時前、役場に行ったら、小野清教育長が「最近、ある家から駕籠(かご)を寄贈してもらった。昔、嫁さんが乗ってきたもの」という話をしてくださいました。「たまには、政治的なことと係わりのない、おもしろい話題を町政レポートに書きたいな」と思っていたので、すぐ飛びつき、写真を撮ってきました。花嫁が駕籠に乗って婿さんの家にいく、という時代があったことはまったく知りませんでした。
 午後から一般質問の準備を前日に続いてやりました。昨日の段階で、頭の中でグルグル回っていた質問内容は、夕方になってやっと整理できました。質問テーマは、市町村合併問題、難病医療費助成、まちづくり基本条例の3つです。市町村合併問題は、法定協への参加という新段階での町長の基本姿勢をただすことにしました。一般論だけの空中戦にならないようにするため、災害対策と文化財保護という具体的な問題を引き合いに出し、市町村合併問題を議論する組み立てにしてみましたが、うまくいくかどうか。
 夜は町政レポートの作成作業に着手しました。いつもより一日早いのですが、明日、一般質問の原稿書きに集中できるようにするためです。
 


2003年09月09日

質問準備

 二日続きの晴れ。しかも30度前後の強烈な暑さでした。役場へ2回行きましたが、桜の木の下に車をとめました。わが軽トラは、「暖房完備、冷房なし」ですので、木陰が最高の駐車場所なのです。
 17日から9月定例議会はじまります。きょうは議会の準備で一日を費やしました。私の場合、議会準備というと、議会中にバタバタしないでいいようにすることからはじめます。印刷機のインクの在庫の点検、議会速報の印刷に使う紙の購入、議会速報に掲載する写真撮影、牛のエサの手配などをまずやります。質問の準備はそれからとなります。そんなわけで、きょうは質問準備の前の段階まで終了させ、何を質問するかだいたいの構想を練るところまでいきました。明日はいよいよ原稿書きに入ります。
 今夜は月と火星がランデブーするというので外に出てみました。全体的に雲の多い空でしたが、月の下のほうに小さく光っている火星を確認できました。望遠鏡のないわが家では、肉眼でしか楽しむことができません。こんな時は、望遠鏡のひとつでもあれば…と思います。


2003年09月08日

寿命を迎えた?印刷機

 きょうはいい天気でした。稲刈りが始まってから一番の日だったといってよいでしょう。それにしても田んぼがやわらかくてたいへんですね、コンバインを入れるのには。近くの刈り取ったばかりの田んぼでは、コンバインのキャタビラの跡はまるで戦車が走り回ったよう、ひどいな、と思いました。
 午前は、ある事務機メーカーのセールスマンから印刷機について話を聞きました。じつは、わが家の印刷機の調子が悪く、まともに印刷できない状態が続いています。いまの印刷機は10年前に導入したもの。写真の写りがよくて評判になったこともありました。10年間に約158万枚ものチラシを印刷し、大活躍してくれたのですが、近年、時々故障するようになってしまいました。さらに修理して使うか、それとも機械を更新するか、決断をせまられています。
 午後はポスター張り。来月4日に新潟市で開催予定の演説会の案内ポスターです。政党ポスターも明後日にはくるというので、それを頭に入れながら張ってきました。きょうは自民党総裁選挙告示日、この選挙の結果によっては総選挙も早まるかもしれません。


2003年09月07日

自然がないと遊べない世代

 朝の搾乳が終わってパソコンに向っていたら頸城村の上野公悦村議から電話がありました。パソコンで民報を作成中に、使いたいフォントが出なくなってしまったので教えてほしいとのことでした。それで、午前中は彼の家に出かけてトラブルを解決し、合併問題などの話をしてきました。交通事故で長期入院していたにもかかわらず、退院したらすぐに議会報告を出そうと情熱を燃やしているのには感心しました。
 久しぶりに自分の時間をとれたので、午後から妻をさそって尾神岳の頂上まで登ってきました。尾神岳の頂上に登るのは、8月16日以来のことです。前回は中学時代の同級生と一緒でずいぶん楽しい思いをしたので、一度は妻にも雰囲気を味わってほしいと思っていました。軽トラの中で妻が言いました。あなたは、自然がないと遊べない世代の人間だと。子どものころ、自然を相手に思いっきり遊んできた人間としては、そう言われて悪い気はしません。このところ、自然の中でいろいろな楽しみを発見するようになったのも事実ですし……。
 今回は秋の野の花が真っ盛り、デジカメを持ちながらぞんぶんに楽しんできました。尾神林道を少し上ったところからオトコエシ、ツリフネソウ、キツリフネ、メマツヨイグサ、ハギなどが見事に咲いています。キツリフネは6月の末ごろから咲き始めていたので、ひょっとしたらキツリフネとツリフネソウの「競演」が見られるかもと期待していましたが、実際に目の前にしてみると、予想していたよりもはるかにきれいで満足しました。それに、野の花については妻も関心をもっているので、花談義を楽しむことができました。
 尾神岳は、もうすっかり秋のたたずまいを見せています。ミンミンゼミやエゾゼミが鳴いてはいましたが、あの真夏時の賑やかさはありません。空気もひんやりしていて、もう半そで姿で登るのは駄目ですね。歩いていて気になったのは、自然の中の食べ物です。ヤマボウシの赤くなった実を食べながら、ヤマブドウ、サルナシなどの実があるかどうか確認して歩きました。まだ早すぎたので、下旬あたりにもう1回、登って見ようかと思っています。
 夜遅くなってから、浦川原村へ出かけてきました。2期目をめざした杉田昭一さんは、きびしい戦いの中で滑り込みました。よかった、よかった。
 


2003年09月06日

晴れるか晴れないかが最大の関心事

 朝4時すぎから「しんぶん赤旗」日刊紙と日曜版配達をスタートさせました。朝の搾乳までに日刊紙を終了させるだけでなく、日曜版も30部くらいは配達しておきたかったからです。それに、昨晩の会議で頼まれた「後援会ニュース」を印刷して浦川原まで届けに行かなければならないということもありました。休みなしにがんばって7時前に家に戻ってきたまではよかったのですが、ちょっと横になったら、なんと1時間近くも寝てしまい、びっくり。搾乳待ちの牛たちも遅いので驚いたことと思います。
 搾乳をはじめていたらまた雨が降りはじめました。しかも風もある。稲刈りをする時期、このような降り方が農家に一番嫌われます。朝の搾乳後、再び「しんぶん赤旗」日曜版の配達にでました。コメをつくっている読者と話をすると、、やはり気になるのは「きょうの天気」でした。今朝の雨については、「きょうこそはという時に降るんだよね、いつも」「雨風は稲を倒すすけ、やだね」とみんながくどいていました。朝のうちに雨が降っても、その後、少しでも晴れて、風が吹いてくれれば稲刈りが可能になります。しかし、きょうはその「すこしでも晴れ」る時が一回もありませんでした。


2003年09月05日

悪条件のもとで稲刈り本格化へ

 昨日に続いて晴れ。2日にはじまった町内での稲刈りが本格化してきました。5反区画の整理された片田の田んぼですら、端の方はコンバインのキャタビラが埋まってしまい、これから先どうなるのか心配です。昨日、新潟市での研修の帰り道、西蒲原のあるところでまだ黄色くなっていない稲の刈り取りが行われていました。これを見て、誰かが「今年は天候不順であるため、晴れた天気の時には、早め、早めと刈り取りがすすめられる可能性が高い」といっていましたが、そうならないためにも天気は続いてほしいですね。
 「しんぶん赤旗」日曜版の配達で役場に行ったら、農業委員会の合併問題について新たな動きが出ているという話を聞きました。14市町村のうち、頸北の町村をのぞいた町村の農業委員会幹部の方たちは、1000平方キロメートルもある14市町村の区域に農業委員会が1つでもいいと考えておいでだというのです。農地行政ひとつとってみても分かるように、「農地の状況がよくわかり、作り手の方も分かる」という範囲で農業委員会が設置されていることが大事です。大いに議論しなければなりません。
 きょうも一日の大半を浦川原村ですごしました。このため、「しんぶん赤旗」日曜版の配達は、いつもより半日以上遅れています。


2003年09月04日

トミさんとシゲさんの写真撮影

 きょうは、さわやかな晴れ。朝の搾乳後、「自然処田舎」にトミさんとシゲさんをたずねました。1日に「しんぶん赤旗」日曜版の君塚陽子記者が取材した二人です。じつは、あの時、時間の関係でそば打ちの写真が撮れませんでした。たずねた時間が遅すぎたのです。それで、私がその写真を撮ることになりました。
 写真はカラーで、しかもかなり大きなサイズで紙面に載せたいということでしたので、緊張しました。二人の持ち味が出ていて、写真は大きく伸ばしてもぶれない。それを意識して、三脚を持ち込んでの撮影となりました。改めて気づいたのですがトミさんとシゲさんはよく笑います。ジョークも飛ばします。おかげで笑顔いっぱいの写真が撮れました。
 午後からは県町村議長会主催の年1回の全県議員研修会でした。ほぼ毎年参加していますが、評論家が講師となることが多く、話が上手であっても議員活動に直接役立つものが少ないのが、これまでの参加した時の実感でした。今回も、期待感より義務感で参加してきました。
 
 今回の講師は重村智計拓殖大学教授と評論家の森田実氏の2人。重村氏の話は「朝鮮半島情勢と日本の対応」というタイトルですが、中身は北朝鮮による拉致問題と政府の対応をあれこれ言うだけで、まるでテレビでのコメントの続きをみているような感じでした。森田氏の話も評論、「日本再生への道」というタイトルならば、もっと本格的な深みのある話をしてほしかったと思います。だいたい、新民主党対自公連合の構図で政局が動くと見ていること自体がご粗末でした。
 それでも森田氏の話には、いくつか聞くに値するものがありました。例えば、小泉内閣の下で重要問題がないがしろにされているという指摘。1つは巨大な失業、しかも若年層の失業が圧倒的に多い。これでは社会は回っていかない。当然のことです。2つは、日本が急速に犯罪社会に転落しつつあるということ。検挙率も20%を切っている実態といいます。森田氏の「こういうことをやらない政権は駄目です」の言葉が重い。
 夜は浦川原村で選対会議。投票日まであと2日、有権者の支持をもう一回り広げて勝利を確実なものにしたいと思います。


2003年09月03日

後援会ニュース配達

 朝の搾乳後、浦川原村議選の支援活動に出かけました。午前中は一昨日の大雨の再現、激しい降りとなりましたが、このなかで後援会ニュースの配達活動のお手伝いをしてきました。
 この村で後援会ニュースを配達するのは今回が初めて。後援会員の家をさがすのに骨が折れました。軽トラの中で住宅地図を広げ、目標とする家にどうたどりつくか考えます。それから雨が小降りになるのをまって配達する。思った以上に時間がかかりました。
 配達をしながら何人かの人と対話をしました。「悪い雨だねえ」「止んでもらわんと、みんな困る」。村政の話をしなければならないのですが、どうしても大雨の話になります。どれくらい降ったか。役場も調査に出たことなどが話題になりました。
 こういう活動で面白いのは、普段、お目にかかれない仕事とか、個性的な人に出会うことです。ある集落で、車庫の中で竹細工をしている人に出会いました。70歳は過ぎているでしょう、いろいろな工具・道具を並べて鳥かごを作っておられました。竹ひごは太く、いかにも頑丈そうなかごです。その人のかごづくりをじっと見ていたら、にっこり笑って「○○さん、書くよ」。
 午後からは日本共産党上越地区委員会の拡大常任委員会に参加しました。ここで午前中に見聞きした雨の話が役に立ちました。14市町村が合併して新市になった場合、きめ細かい災害対策は可能かをめぐり議論が発展しました。この議論の成果は近日中にチラシとなって現れます。


2003年09月02日

チラシづくり(3)

 昨日の雨はどこへいったのか。きょうは太陽が顔を出し、ビールがほしくなるほど暑い日になりました。例年なら、いまの時期に雨が降ると、その後はぐっと涼しくなるのですが、異常気象と言い切ってもよいでしょう、牛舎内は大型扇風機をフル回転させなければならなくなりました。
 
 きょうの私の仕事は午前も午後もチラシづくり。いかにして「分かりやすい文章」を書くかで悩んだ1日になりました。例えば、介護保険にかかわる政策提言をまとめる文章のところでは、どうなったか。
 在宅介護サービスの利用が利用限度額を大きく下回っている現実について、最初の文言は、「利用料も高額であるため、在宅介護サービスの利用が利用限度額を大きく下回る水準にとどまっています」でした。
 ケアマネージャーの報告書ならこれでよいのかもしれません。しかし、普段、介護保険と関係のない生活をしている人が読んで理解できる表現ではありません。何人かの人に読んでもらい、検討した結果、最終的には、「利用料も高額であるため、介護サービスの利用をひかえ、がまんしている人が大勢います」となりました。
 このほか、「分かりやすい文章」にするために、きょうのチラシづくりで学んだのは、「だらだらとした説明をしない」「長めの文章での主語の位置」などでした。チラシづくりは集団的な検討をしながらやるといい。きょうは、それを再認識させられた1日となりました。
 最後にうれしいお知らせを1つします。先日、第四胃の変位で手術した牛は健康を取り戻し、エサの食い込みも良くなりました。明日からは、この牛の生乳も出荷します。


2003年09月01日

「防災の日」は豪雨でした

 昔から「二百十日は危ない」と言われていますね。きょうは、その通りになりました。朝4時半に「しんぶん赤旗」日刊紙の配達に出ましたが、激しい雨が続き、吉川の氾濫の予感がして気持ちが落ち着きません。配達の途中、建設課長補佐と出会い、「いまのところ大丈夫そうだねかね」「これで止んでくれればね」と声を掛け合いました。
 7時ころから再び激しい雨。搾乳中に、牛舎周辺の側溝は水であふれ、畑にも水がどんどん入り込んできました。こういう状況は今年初めてです。前日朝8時からの24時間雨量は100ミリを超えました。搾乳後、軽トラで被害状況の確認に出ました。吉川橋上流にある畑が水没しているのをデジカメにおさめ、役場で全町的な被害状況を聞きました。その後、道之下地内、吉井地内(写真)の土砂崩れ、越水被害の現場を視察、私が気づいた点や地元の要望などを建設課、産業課に伝えました。
 午前11時半過ぎから、「しんぶん赤旗」日曜版記者の取材に同行しました。東京からやってきたのは君塚陽子さん。車の中で、私のホームページに掲載した尾神岳や野の花などについて語ってくれました。また、今回の取材について、私に聞いてみたらと言ったのは、日本共産党中央委員会の有坂哲夫農漁民部長だということを聞き、懐かしくなりました。有坂さんは、20年ほど前、酪農民の運動などでお世話になった人です。
 今回の取材は敬老特集だそうです。国田の中村トミさん、八木シゲさん姉妹のソバづくりにかける想い、戦争体験、長生きの秘訣などが9月14日の日曜版に約1ページを使って紹介される予定です。戦中、東京から9人も疎開してきて苦労した母親のこと、奉公先の雑炊店で2キロ、3キロにも及ぶお客の列を見て、「百姓だったら食える」と思ったという話などがどんなふうにまとめられるのか、楽しみです。
 午後3時すぎから村議選支援で浦川原村まで出かけてきました。いよいよ、明日告示です。日本共産党の候補者は、直江津の「水月」という看板屋さんに勤めている杉田昭一さん。まじめにコツコツと住民のために働く人です。ご支援を。


2003年09月投稿分

2003年09月に投稿された全てです。

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