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2005年06月投稿分

2005年06月30日

党議員団で調査活動

 きょうは、党議員団で午前から午後にかけて今回の災害の実態調査をしました。災害発生後、総合事務所などでは災害対応で大忙しですので、できるだけ短時間で被害状況を聞き、現場を見て回りました。上越市内でも被害の大きかった柿崎区、吉川区、大島区、浦川原区を見ましたが、今回の大雨は尾神岳、兜巾山あたりで集中的に降ったようで、やはり一番被害があったのは吉川区でした。一緒に調査にあたった杉本、樋口両議員も吉川区内の代石、国田、川谷の状況には「これはひどい」の連発でした。
 吉川区内の被害状況については昨日、一昨日と私個人で見ていました。きょう、回って気になったのは、災害は現在進行形だということです。山間部ではあらたな土砂崩れが発生していましたし、昨日の写真の現場も土砂が動いていました。調査をしている途中からまた雨が降ってきました。明日あたりから再び梅雨前線がやってくるということですので、今後の動きに要注意です。特に今後土砂崩れが発生する可能性が高いと見てきました。新潟県土砂災害情報システムなどを活用して機敏な対応をしてほしいと思います。
 昨日夕方まで、完全孤立状態となっていた吉川区上川谷。大島区からのルートが昨夕開かれました。今日中には尾神岳からのルートもつながる見込みです。市役所ではワゴン車などの手配をして、住民生活に支障がないように対応しています。ただし、集落の中の3世帯は下川谷の静山荘(旧教員住宅)に避難しています。議員団では、この避難先も訪れ、お見舞いするとともに、要望を聞いてきました。昼間でしたので、実際会うことができたのは2世帯の2人だけでしたが、とても元気そうで安心しました。
 きょうの調査は災害現場を目で確かめることに力点をおいたものでしたが、調査はこれからも引き続きやっていきます。きょうの調査でも気象データの活用方法、各総合事務所の現地本部の体制、本庁との関係など研究課題がいくつもでてきました。しっかりがんばりたいと思います。


2005年06月29日

山間部の被害もひどい

 田んぼも道も河川も山もみんな滅茶苦茶です。この時期は大地は緑に覆われるのですが、あちこちに茶色の地肌が見え、豪雨によって削り取られたあとがしっかり残っています。午前中に区内の主な災害現場を見て回りましたが、記録的な豪雨がもたらした災害は予想以上にひどいものでした。東田中や国田の堤防決壊現場から奥は、きょう初めて入りました。道路は茶色、路肩が下のほうから崩れているところがある。田んぼは土砂が流入し惨めな状態になっている。一枚の田の畦が何箇所もぬけているのもある。沢水の通る場所に近い道路には必ずといってよいほど土砂が流れ込んでいる。そして一番すごかったのは上川谷の県道(写真)でした。ひと山全部が崩れて県道を押し流した、そんな感じでした。これでは復旧にはかなり時間がかかりそうです。
 今朝の赤旗日刊紙一面にわが家の牛舎から牛を避難させている写真が載りました。ちょうど、その作業中に赤旗記者の村上さんが新潟からこられたのです。この写真を見て心配し、メールなどを寄せてくださったみなさん、ありがとうございました。このページでお礼を述べさせていただきます。おかげさまで床上までは上がることなく、水はひきました。ボイラーなどいくつかの機械、機器が駄目になりましたが、わが家はいい方です。自宅は親戚の人たちが支援してくださり、畳をとって二階に上げるところまでやってもらいました。急な増水にもかかわらず、この程度ですんだのは運が良かった。
 午後からは党の仲間や友人が駆けつけてくださり、牛舎管理棟の一階の片づけを手伝ってもらいました。水につかったゴミはごみ収集袋の大サイズにして30くらいになりました。市役所からの情報によると、来週初めにはこれらのゴミを出せるようです。牛舎はまだ手をつけることができていません。牛舎内はふだんから片付いていなかったなかで、下条堰の方面から水やゴミが流れ込み、ぬけていく通り道になりました。すごいゴミの量ですので、災害調査が一段落してからとりかかろうかと思っています。牛を避難させてくださった家畜商の配慮により、牛の方はしばらく預かってもらえるので安心です。
 トップページの尾神岳の写真、入れ替えました。川の水、道路の色に注目してください。豪雨翌日の吉川区源の状況の一端を知っていただけるものと思います。


2005年06月28日

吉川大暴れ、記録的豪雨で人も牛も避難

 昨日は恵みの雨、きょうは一転してまさかの豪雨災害。夜中から雨足が速くなってきて吉川の水位はぐんぐんと上昇、朝6時半過ぎに吉川区総合事務所へ出かけました。そのころから風が強くなり、横殴りの雨となります。区内の川谷、尾神、村屋の観測所で1時間雨量が30ミリを突破しました。そして総合事務所のグループ長に招集がかかり、消防団吉川方面隊長も加わって対策会議を開き、7時半には警戒対策現地本部を設置することに(この本部は10時55分、災害対策本部になりました)。
 その後、降るわ、降るわ、川谷観測所では28日午前0時から17時までに330ミリを記録しました。村屋が274ミリ、尾神は295ミリ、原之町162ミリでした。豪雨になれば必ず警戒を要する民家などでまず発生した災害は、その後、予想以上の被害へと拡大していきました。国田、東田中で吉川の堤防が決壊、私の住んでいる代石では越水し、これまで経験したことのない水害になりました。区内での床上浸水は4、床下浸水12、孤立した民家は合計6世帯(大賀、代石)におよびました。自主避難した世帯も6世帯となりました。冠水、土砂崩れなどによる道路の交通止めが相次ぎました。農作物の本格的な調査は明日となりますが、水没した稲、転作大豆はかなりの面積になるもようです。これより詳しい被害状況は、被害状況メモをごらんください。
 尾神から代石に転居して23年目になりますが、この豪雨でわが家にも被害が出ました。牛舎および管理舎が水浸しになったのです。ちょうど木浦市長とともに総合事務所で打合せをしていた時に、家から電話があり、牛舎に水が流れ込んだとの情報が入りました。時間をもらって牛舎に急行、家畜商と連絡を取って牛たちを頸城区に避難させしました。除雪機、洗浄器などいくつもの機械は水没したのであきらめました。管理舎は床下浸水し、さらに増えそうだったので、党地区委員会から応援をもらって、印刷機、コピー機の移動などを手伝ってもらいました。
 今回の水害は合併後初めて経験する大災害となりました。河川改修の遅れが根底にあります。記録的豪雨とはいえ、改修がもっと進んでおればこんなことにならなかったでしょう。だから今回の災害は住民の安全を軽視した政災です。昨日、「市民と市長の対話集会」で原之町町内会長さんが要望したように、河川改修は急務です。また、市役所本庁と総合事務所の連携のあり方など検討すべき事項がいくつもでてきました。しっかり調査し、速やかな対策を求めていきたいと思います。


2005年06月27日

市民と市長の対話集会

 きょうはスケジュールがいっぱいでした。有線放送(吉川)での議会報告(29日朝放送)の録音、議員団会議、市議会報告の編集、市長交渉、そして最後は吉川区での「市民と市長の対話集会」でした。書くことはたくさんあるのですが、きょうは市長交渉と対話集会についてのみお知らせしましょう。
 市長交渉は県立柿崎病院に関するものでした。同病院の後援会準備会(仮称)メンバーである旧柿崎、大潟、吉川町長および柿崎、大潟、吉川3区選出市議が病院存続にむけた努力、協力を市長に申し入れたのです。具体的には後援会立ち上げにあたっての支援です。木浦市長からは、「市として最大限の協力をさせていただきたい」として、事務局の仕事にたいする支援、後援会運営費への一部助成の約束をいただきました。後援会は今年末、遅くとも来年1月ころには立ち上げができそうです。
 さて、「市民と市長の対話集会」です。前半は約1時間、市長が「新しい上越市の展望」と題して報告しました。合併してどういう市になったのか、いくつかの指標を示しながら、中山間地対策の重要性、個性を生かしたまちづくり、交通の要衝としての発展の可能性について語りました。データ的には興味深いものでしたが、話の中身はちょっと難しすぎましたね。これだけのことをことを話すなら、映像なども使ってやるなどの工夫がほしいと思いました。
 後半の対話集会では、原之町町内会長の石野さんを皮切りに11人が発言されました。河川改修、JA川谷店の存続、幼児医療費助成(通院)の対象年齢引き上げ、通学バス、通園バスの存続、保育料の引き下げなど吉川区住民の願いの代表的なものが出されました。みんな書きたいのですが、特に印象に残ったのは、石谷のSさんなど女性のみなさんの発言です。「地域70人の生活がかかった店をなくさないでください」「今度、サイの神に出かけてください」。いずれも率直で情のこもった発言でした。答弁ですごいと思ったのは、白石都市整備部長です。道路の陥没状況などよく現地を調査されたなかでの回答は説得力十分でした。それにしても合併前の2年前の冬に川谷方面の道路除雪状況を見に来ていたというのは驚きでした。たいしたもんです。
 きょうは久しぶりの雨となりました。お昼前からぽつぽつとやってきて、夕方からはずっと降り続けています。県内はこのままいくと大雨になるかもしれません。集会の最中も雨の音が気になりました。要注意です。


2005年06月26日

上越市消防団操法競技会

 午前は源地区で「しんぶん赤旗」の配達・集金でした。いつもより時間があったので2軒でお茶をご馳走になり、世間話を楽しみました。Kさんのお宅では、足利市の菓子屋さんの菓子を頂戴しました。菓子の包装紙に見たことのある文字が書いてあっると思ったら、相田みつをの字でした。なんでも相田みつをを経済的に支援したのがこのお菓子屋さんだとか。Nさんのところでは、めだかが水瓶のなかでかわいい動きをしていました。いろいろと説明していただいたのですが、気になったのはヒシです。久しぶりにヒシをみたら、子どものころ、近くの池で採り、ゆでて食べたことを思いだしました。
 午後からは、合併して初めての上越市消防団の大きな行事が春日野駐車場で行われました。操法競技会です。消防団全体では5000人になるそうですが、きょうは900人ほどの団員が参加して小型ポンプ操法などの競技を行いました。合併したばかりとあって、制服もいろいろ、ヘルメットには旧町村名が入っているところもありました。吉川方面隊は中央分団のメンバーが頑張りました。入賞こそしませんでしたが、きびきびした動きはとても好評でした。写真は吉川のチームのポンプ操法です。
 夕方、議員団ニュースをHPにアップしようとしたら容量が大きすぎて駄目でした。それでこの「見てある記」と「市と議会の動き」の古い部分をバッサリと削除しました。これで数ヶ月は持つでしょう。議員団ニュースはNO8、9、10、11をアップしました。また、「春よ来い」の第52回「新ジャガ」もアップしました。ごらんください。


2005年06月25日

上野實英先生の昔話

 猛暑が続いています。きょうは朝から「しんぶん赤旗」の配達と集金で動いたのですが、水不足を訴える声が相次ぎました。来月になれば降るだろうけれども、その時は大雨でまた災害だ、という声もありました。なかには、地震の後にはろくなことが起きないもんだと言い切る人も。きょうは暑いだけでなく、湿度も高かったようです。ズボンがべたべたして、気持ちが悪かったですね。
 赤旗読者の家庭を訪問するなかで、きょうは梅もぎをしている方が3人ほどおられました。ちょうどシーズンなのでしょう。でも今年は、梅の花の咲く頃の天候不順のために生り方が悪かったようです。区内で梅の木をたくさん植えた集落は山方ですが、ここも不作だったとのことでした。わが家の梅はどうなっているか、明日、出かけて確認してこようと思います。
 ある読者のところでお茶をご馳走になった時、ちょうど私の中学時代の恩師である上野實英先生もおられ、楽しいひと時を過ごすことができました。上野先生は、3ヶ月ほど前から有線放送で「吉川物語」という昭和史を毎月1回のペースでお話されています。1回目の放送は、牛による田起こしの様子でした。「シッ、シッ」「ドッ、ドッ」という牛への命令の言葉は臨場感たっぷりでした。方言もいっぺ使い、昔の農家の暮らしなどを紹介する。お年寄りの方たちにはたまらない懐かしさを与えているようです。
 まだ3回しか放送していないのに、有線放送を聞いた人から電話がきて、アンコールを求めるケースもあるほどの人気ぶり。一緒にお茶を飲んでいた人も毎回楽しみにしているとかで、「今度は稲のチクチクした感じや匂いについても話してくんないや」と頼んでおられました。先日は、あるおばあさんから、子どものころ歌った歌を聞いてくれと頼まれ、有線放送のアナウンサーと一緒にそこの家を訪ねたと言います。この番組はリスナー(聴取者)も参加する形でどんどん発展していくかもしれません。


2005年06月24日

市政レポートを郵送してくださる方も

 きょうも暑かったですね。30度は超えたでしょう。朝早く「しんぶん赤旗」日刊紙の配達をしていたら、2人の人から「良かったね」と声をかけていただきました。精密検査の結果をHPで見ていてくださったのです。ありがたいものです。きょうは区内のある事業所でも私のHPを毎日見ているという方があり、ヤマトキソウなど最近掲載した野の花の話をしました。区内でも徐々に読者が増えているのはとてもうれしくおもいます。
 さて、きょうは暑いなかで市政レポート(吉川版)の原稿書き、編集でした。先日、議会傍聴に来てくださった人に、「市全体のことも大事だけど、吉川のことを中心に書いてよ」と言われたことが頭に残っていて、6月議会で採択された意見書のお知らせは先送りし、区の地域協議会のニュースをトップにもってきました。市政レポートに掲載する記事をどうするかについてはまだ迷いがあります。いろんな角度からご意見をお寄せいただければありがたいので、よろしくお願いします。
 今号では「春よ来い」の第52回も書きました。最近食べた新ジャガイモのことを題材にして、地でとれる初物野菜の美味しさを書いてみました。昨日聴いた、イチコスーパー会長の竹内寿さんの話が余韻として残っていたので、その話の内容をずばり書いてみようと思ったのですが、文章の構成上、なかなか上手くいかず、やめにしました。第52回は2日間くらい寝かせて、次の日曜日にアップします。
 午後、市政レポートを印刷していたらAさんが訪ねて来て、「日曜版、読んでもらうことになりました」とうれしそうに語ります。Aさんによると、今回購読を約束してくださった方は、商業新聞に折り込まれる市政レポートを楽しみにしてくださり、区外で暮らしているキョウダイの人のところにまで郵送しているとのことでした。そこまでしてくれる愛読者がいるとなると、次号からはもっとしっかりした原稿を書かなければと思います。


2005年06月23日

上越農地協議会の研修会

 このところ蒸し暑い日が続いています。6月も23日だというのに梅雨入りのニュースはまだ先のようです。畑の作物はみんな水を欲しがっています。そういうなかで、キュウリ、ジャガイモなどが食べ頃になってきました。わが家ではタマネギの収穫をすませました。これから豆類なども次々ととれてきます。みんな旨い。朝どりのキュウリなど、旬のものの美味しさを満喫できるのは農村に住んでいる者の特権です。
 きょうは、その条件を生かした暮らしの大切さを訴えた人の話を聞いてきました。上越農地協議会の研修会でイチコスーパー会長の竹内寿さんは、畜産をもっと援助して有機栽培を重視する。そして、生産者の顔が見え、安心して食べられる物を作って欲しいと訴えておられました。6月議会での私の質問と重なるものがあり、とても興味深く聞きました。
 この研修会では吉川区出身の市役所農業振興課係長、笹川肇さんも「新たな食料・農業・農村計画のねらい」と題して講演していました。吉川町時代に集落営農、農業生産法人組織化に力を注いだ経験を土台に、大きく変わろうとしている国の農業政策の方向性を語る彼の姿は印象強く、頼もしいものでした。終わってから松嶋農業委員会会長が「吉川にはいいのがいるねぇ」と私に声をかけてきました。それにしても農水省が考えている政策は無謀です。


2005年06月22日

胃の精密検査

 昨晩8時から水も食べ物もとってはならないということになっていました。ようやく食事ができたのはきょうの午後になってから。こういうのは今年に入って2度目です。そこまで言えば、もうお分かりでしょう。きょうは胃の精密検査でした。精密検査はこれで3年連続です。最初は胃、昨年は大腸、そして今回は再び胃でした。「調べてもらうと、何かひとつはひっかかる年代になったんだわね。大丈夫、大丈夫」ある人にそう言われたものの、結果が出るまではあまりいい気分ではありません。でも、きょうの結果は「心配なし」。祝いに350cc入りビール1缶を飲みました。
 ちょっと昼寝のつもりで横になったら、2時間半ほど眠ってしまいました。それから大急ぎで議員団ニュースの編集をして一応出来上がりとしたのが午後5時半すぎでした。今回は樋口、杉本両議員の一般質問の記事です。2人から提出してもらった原稿を整理して編集する作業は思いのほか時間がかかりました。長い原稿をコンパクトにまとめたいと思ったのですが、なかなか上手くいきません。最終的な編集は杉本議員にまかせて夕方からの地域協議会を傍聴しに出かけました。
 上越市の地域協議会はいま全国から注目されています。先日、にいがた自治体研究所の幹部の方と話した際、京都のO氏、大阪のH氏など著名な学者が上越市に入って調査をしたがっているということを聞きました。大合併がすすむ中で住民自治の新たな展開が、私たちの住む上越市で始まっているというのです。学者の皆さんが注目しているのは、地域協議会委員の選任投票、それと協議会の権限だと思いますが、実際の会議の様子なども見てみたいとのことでした。ぜひこういう学者の皆さんとも意見交換させてもらいたいものです。


2005年06月21日

新潟で遺伝子組み換えイネの学習会

 朝7時過ぎに吉川中学校へ行きました。昨日の地震による校舎外壁のひび割れを確認するためです。先生に案内していただき、中庭からその場所の写真を撮影しました。ひび割れは1ヶ所だけでしたが、外壁が落ちると危険ですので、テープがはってありました。参考のため、当時の教育課長さんに聞きましたら、ひび割れの場所は数年前の耐震大規模改造工事では対象外となっていたとのことでした。
 きょうは遺伝子組み換えイネの学習会に参加するため新潟へ行ってきました。主催は新潟県生協連合会。推進側と反対側が40分ずつ報告し、その後、会場から双方に質問する形での学習会でした。反対側の天笠さんの話は17日に上越市文化会館で1度聞いていますが、研究センター(推進側)の説明を聞くのは初めてでした。推進、反対の双方が参加しての学習会はとてもいい取り組みだと思いますが、もう少し噛み合った議論のできる時間が欲しいと感じました。
 会場は新潟駅前のガレッソホール。会場には入れ切れないほどの聴衆がありました。学習会が終わって、私の隣に座っている女性を見たら、驚きましたね。学生時代の同級生で大豆トラスト運動をすすめているAさんだったのです。彼女は旧吉川町の棚田オーナーになったこともあります。駅前の「安兵衛」で一緒に昼食をとり、吉川の話や大豆、トマト、山菜などについてゆっくり話ができました。


2005年06月20日

また大地震

 また大きな揺れが来ました。中越地方の旧小国町、旧高柳町で震度5弱といいます。私は市役所5階の議会事務局で新聞を読んでいた時でした。「あっ、地震だ」「揺れてる、揺れてる」といった声が出て、事務局長はすぐテレビをつけ、Kさんはパソコンで震度、震源地などを確認していました。「震度5ならすぐ対策本部設置だ」という声もありました。このすばやさ、やはり昨年の大地震の経験があったからでしょうか。数ヶ月ぶりに味わった大きな揺れ、怖さはありませんでしたが、大きな地震発生の間隔の短さが気になります。
 夜に何人かの仲間と地震の問題で話し合いました。地学団体研究会のメンバーの方たちが昨年の中越大地震における上越地方の被害調査をやっていて、先週まとまったようだとの情報も入りました。また、耐震改造をした中学校の外壁の一部にひび割れが出たことがニュースでとりあげられていました。吉川区では十数年前の高柳の中越南部地震で墓石が転倒したり、がけくずれや地割れが発生したりしています。今回の地震も同じタイプの地震のようだ、さっそく明日にもカメラなどを持って調査をしようということになりました。
 午前は原之町の福正寺で元吉川町長の上野道隆さんの告別式でした。元町長さんということもあって大勢の人たちが参列されていました。どこでもそうですが、式の始まる前、それから式が終わってから出棺までの時間は参列者の交流の場になります。役場職員だったAさんから、「きょうの(ホーセの見てある記)、良かったよ。うろたえるなと言われたのはオレだったかもしれない」などと声をかけていただきました。元高校教員のSさんとは増員選挙後初めてお会いしました。「いやー、良かったですね。私は(当選を)確信していましたよ」。こういう場でも励ましてくださる方がいる、うれしいです、ほんとに。


2005年06月19日

上野道隆さん亡くなる

 朝、新聞を読みびっくりしました。元吉川町長の上野道隆さんの死亡記事が掲載されていたからです。最後にお会いしたのは昨年の秋ごろだったと思います。杖をついて原之町の清水フードで買物をしておられました。「お元気そうですね」と声をかけたら、「いやー…」と遠慮がちに答えておられたのを覚えています。この調子なら90歳代の半ばくらいまでは元気だろうと思っていたのですが、その後、体調を崩されたようです。
 上野道隆さんは私が町議になった時の町長さんです。一般質問で国際婦人年の取り組みなど「国際○○年」のことを何回もたずねたので、「橋爪さん、今度はナニ年だね」と言われたものです。上野さんのことで一番忘れられないのは、町長を引退されてからのことです。今から11年前の11月28日のことでした。矢澤町長(当時)が急死されてまもなく、役場にやってきた上野さんは、落着かない職員に大きな声で「うろたえるな(といった言葉だったと記憶しています)」とやられたのです。あの時の迫力はすごかった。
 これで私がお付き合いをした4人の町長のうち、3人が他界されました。合併して吉川町がなくなった年に元町長が亡くなる、何か時代の変わり目という感じがします。上野さん、ご苦労様でした。ゆっくりとお休みください。


2005年06月18日

ホタルブクロが次々と

 1週間があっという間に過ぎる、これは忙しい人なら、だれでも実感されているでしょう。では、1週間という時間の流れの中で何かが変わていくことを感じることができる人はどれくらいいるでしょうか。きょうは一日中、「しんぶん赤旗」日曜版の配達をしましたが、先週咲いていなかったホタルブクロが次々と咲き始めました。私の場合、野の花に興味を持つようになったおかげで、自然界の変化を敏感に受け止めることができるようになりました。
 ホタルブクロというと、昨年のことを思い出します。高崎の伯母が死んだのが丁度1年前の6月19日でした。伯母が大好きだったホタルブクロを伯母の生まれた蛍場でとり、高崎まで持っていき、枕元に飾りました。あれから1年経ったことをホタルブクロの花が教えてくれました。吉川区内の道路沿いでいま、この花が一番咲いているのは名木山地内の県道です。白い花だけでなく、紫がかったものもあります。道路の草刈が始まらないうちに訪ねてみてください。
 夕方、新聞の配達中に80前後のあるおばあさんに会いました。畑で野菜の苗かなんかに水をくれてきたらしい。軽トラをとめて、「どうしたね」と声をかけたら、「おら、おまんの顔を見るとホッとする」と言って笑います。それからしばらくオシャベリをしました。最近、お茶飲みしようさ、と言って誘ってくれる人がいなくなったので、さみしい思いをしている。それで、こっちから出かけることにしているが、たまには何か持っていかないとね……。さみしい思いをしているお年寄り、最近は増えてきています。


2005年06月17日

6月議会最終日

 6月議会が終わりました。委員長報告の後、討論をやり、採決でした。ワークシェアリング型入札をやった城北中学校校舎の工事請負契約については討論の中で、「制度はいいが、運用いかんによっては悪い制度になる」と述べ、経過措置もとらぬまま、一部業者に対して不公平な扱いをしたことを批判しました。この議案については、日本共産党議員団だけでなく、市民クラブの一部議員も起立しませんでした。
 本会議終了後、文教経済委員協議会が開催され、名立の風力発電の再開、安塚区のゆきだるま温泉利用料のNPO会員と家族に対する割引問題を協議しました。風力発電を再開するというから、事故の原因究明が終わり、安全対策もとられたものと思っていたら、科学的な原因究明はまだこれから。落下した羽(FRPでできている)の補強をやっただけで、万が一落下した時の安全策もとっていない。これじゃ、まるで実験です。納得できませんでした。
 ネジキヤマトキソウの花、アップしました。


2005年06月16日

ヤマトキソウ

 きょうは休会日。議会審議はお休みです。ゆっくり休んで明日に備えればいいのですが、やりたいことが溜まっていて、やはり忙しい1日になりました。朝は6時前から農道、畑の周辺の草刈をやりました。大勢のお母さんたちが通るところなので、時間をつくってやろうと思っていました。それがズルズルときょうまで……。きれいに刈り終わったところを見ると、気分はいいものです。
 ところが市役所にパソコンを持ち込んで原稿書きを始めたらコックリコックリです。久しぶりに草刈機を使ったおかげで、これまでの疲れがドッと出てきてしまいました。それで原稿書きをあきらめ、次に予定していた前島密記念館を訪問してきました。館長さんもすぐそばの郵便局長さんも昔からよく知っている間柄です。今回はゆっくりと説明を聞きながら前島密の足跡をたどることができました。前島密がいろんな分野で仕事をしてきたことは知っていましたが、鉄道事業にもタッチしていたのは知りませんでした。世の中の先を見てどんどん仕事を展開する、その姿勢はすごいと思いました。
 今朝の新聞にササユリの素敵な写真が掲載されていました。こうなるともう我慢できません。きれいなピンク色に誘惑されて山に入ってきました。春の早い段階で、殖えてきていることを確認していましたが、花はいつもより多く咲いていると感じました。ただし、もう盛りを過ぎていましたね。ササユリは薄いピンクのものと白いのがあるそうですが、今回初めて白色のものを見つけました。
 きょうの最大の収穫はヤマトキソウを見つけたことです。道から外れて数メートルというところに遠慮がちに咲いていました。一目でラン科の花と分かる姿は可憐でした。それにもう1つ、ネジキの花にも出会いました。最初はエゴノキの花と思っていたら、どうも花の形が違います。ネジキの花と知ったのは家に帰ってからのことでした。これらの花は明日の夜アップします。


2005年06月15日

一般質問終わる

 35人登壇した一般質問がきょうで終わりました。1日10人ずつを3回やって、最終日は5人、まあ、疲れましたね。答弁する側もたいへんだったことと思います。質問のラストはわが党の樋口議員でした。障害者自立支援法案、就学援助制度に関しての質問に対する市長や教育長の答弁は好意的なものでした。国の動きに左右されずに市民の利益にそって頑張ろうとする姿勢が見えました。拍手を送りたいと思います。
 そうそう、大事なことを1つ忘れていました。昨日は、4人の吉川区住民の方から傍聴にきていただきました。心から感謝申し上げます。こちらからの案内では私の質問予定日が2回もずれたにもかかわらず来ていただいた、とてもうれしく思いました。先日のサッカーの試合じゃないけれど、吉川区からの傍聴者ゼロの時と何人かおられる時とでは、質問する時の姿勢もがんばりもぜんぜん違います。ありがとうございました。
 議会は明日が休会日で残りはあと1日です。今晩は13区(旧13町村)選出の議員で「ご苦労さん会」をやりました。上越市議会のルール、合併協議会で決まったことと現実の姿、秋の市長選などたくさんのことが話題になりました。この会の会長さんは、中郷区の吉田議員です。今後、13区をまわって勉強会をやりましょうということになりました。次回が楽しみです。


2005年06月14日

私の出番

 きょうは私の出番でした。遺伝子組み換えイネの屋外実験、農業労働災害について6回くらい登壇して市長の見解をただしました。3月議会で最初から一問ずつ質問するのは駄目だというルールになっていると知ったので、今回は議会事務局からアドバイスをもらって1回目に全ての質問項目をさらりと質問する、その後は枝を広げないで具体的に詰めていく組み立てにしました。自分なりに採点すれば、ほぼ狙い通りの答弁を引き出すことができましたので、70点ぐらいはつけてもいいでしょう。あまりこういう質問のやり方を見たことのない人たちは、「議長、おかしいよ」「これじゃ一問一答だ」などと言って野次を飛ばしていました。
 うれしかったのは質問を終わってからでした。他会派(複数の会派)議員から「あれでいいんだ」「がんばったね」と声をかけてもらったことです。なかには、わざわざ共産党議員団控え室まで来て、「坂爪さん(橋爪と間違えたのでしょう)、良かったよ」と激励にきてくれる人もありました。有機農業を展開して循環型のまちづくりをめざしている上越市に遺伝子組み換え作物は似合わない、市民への説明責任を果たさないまま屋外実験をすることを認めるな、の訴えが共感を呼んだのだと思います。
 きょうも登壇者数は10人でした。昨日と同じく、ユニークな質問あり、ジョークありで、とても聞きごたえがありました。石平議員は1回目の質問で25分を費やし、生物多様性の確保と自然環境の保全問題をとりあげました。新市の様々なところへ出向いて希少生物などの調査をしっかりやり、自然環境保全条例の制定を訴える、見事な質問でした。森田議員、彼がユーモアあふれる質問をやる人だとは知りませんでした。オフィスアルカディア構想をただした際、新しくできた上越警察署を訪問した感想を語りました。「こういうところはあまりお世話になりたくないところですが…。尋問する部屋が12もあって、これなら(事件が)いっぱいあっても大丈夫」には大笑いでした。


2005年06月13日

個性あふれる質問続出

 まずはお知らせから。私の一般質問は明日の3番目になりました。早ければ午前11時過ぎからとなります。遅くとも11時半過ぎには始まるでしょう。ささやかな質問ですが、ぜひ傍聴においでください。遺伝子組み換えイネの屋外実験、農業労働災害の順に質問します。3月議会で上越市議会のやり方を学んだので、今回はできるだけ分かりやすい質問となるよう組み立てに工夫をしてみました。ただ、原稿を用意していないので、とんでもない方向へ行かなければいいがと、ちょっぴり心配しています。
 きょうは一般質問2日目でした。登壇した議員全員、個性を感じさせる質問をしたので、とても参考になりました。海岸侵食問題を取り上げた内山議員は、数十年前と最近の写真を持参して質問を展開したので、とても分かりやすいという声があがりました。農業問題のエキスパート、長井議員は、農業への熱い思いを彼ならでは言葉で語り、感動を与えました。質問は具体的にやると迫力を増す、その見本を示したのは佐藤議員の質問でした。情もあり、ユーモアもある。しゃべった言葉はエッセイ風で、おもしろく聞きました。
 いつもの調子でたんたんとやったのはわが党議員団の杉本議員です。合併後の地域自治のあり方を考える視点で、地域協議会、住民自治組織について質問しました。合併特例法が切れてからの13区の地域自治区、地域協議会をどうするかについて、市長は、条例で設置を決めていくことがありうると答弁していましたが、何らかの形で残す決意があることを知って安心しました。


2005年06月12日

キイチゴが食べごろに

 わが家の周辺はいまヤマボウシが白い花を咲かせています。全部で5、6本はあるでしょう。毎年、デジカメで撮影しているのに、純白の花びらを見るとまたカメラを向けてしまいます。花にぐっと近づいて撮影するつもりでヤブの中に入ったら、キイチゴが黄色い実をいくつも付けていました。たいした大きさではないのに、甘さは抜群、一粒口に入れただけでも口の中全体に甘さが広がります。自分では数個食べ、残りは牛舎周辺でカブトムシの幼虫をつかまえにきた近所の子どもたちにあげました。
 さて、きょうは午前に「しんぶん赤旗」の配達をやり、午後から板倉区へ出かけてきました。目的は4月の起きた農作業事故の現場視察です。畑から耕耘機ごと転落して死亡した場所は、県道新井柿崎線に近い農道沿いの集水マスでした。縦横1メートル40センチ、深さは2メートルくらいあったでしょうか、「こういうところに落ちたらまず助からない」と思いましたね。こうした危険箇所は私の区にもいっぱいありそうな気がしました。今度、調査してみたいと思います。
 夜は巨人・西武戦を楽しみ、大河ドラマ『義経』も観ました。ドラマが終了してから比叡山が映っていました。昨年、研修視察でそばまで行きましたので、とても懐かしく感じました。今度ぜひ訪ねてみたいと思います。歴史を辿ることのできる名所めぐり、いつかは実現させたいと思っていますが、いつになることやら。


2005年06月11日

『日本共産党救援センター物語』

 新潟市で憲法問題学習会があり、参加してきました。前半は上田耕一郎さんの講演、後半は県内各地での取り組みを学ぶ経験交流です。上田さんは私の父と同じ78歳ですが、元気いっぱいに憲法改悪をめぐる最新の状況とこれからの取り組みについて語りました。作家の井上ひさしさんらが「九条の会」のアピールを出したのが昨年6月10日でした。ちょうど1年たって、全国各地に2000を超える「九条の会」が誕生したといいます。だんだん、安保闘争の時のようになってきました。上田さんの話はいつも切れ味が良く、聞いた人は元気が出てきます。きょうもいい話でした。
 交流会では5人の方が発言されました。どなたの話も参考になりましたが、なかでも南魚沼市のある寺院のご住職の話と阿賀野市在住の作家・なかむらみのるさんの話が印象に残りました。ご住職は地域だけでなく、宗派の全国組織の中でも憲法改悪反対の運動をすすめておられます。「殺すな、殺されるな、殺すことを認めるな」という釈迦の教えの力強さをあらためて感じました。
 なかむらみのるさんは多喜二・百合子賞を受賞された作家です。「私の持ち時間は8分、原稿を用意してきたので…」とはじめた話はユーモアに満ちていて、楽しく聞けました。「ジュウイというのは獣医です」「あ、すみません、一行飛ばしてしまいました」。原稿を読んで聴衆を引き付ける名手としては旧松之山町の町議だった田辺尚二さん(故人)を知っていますが、なかむらさんもすごい人だと思いました。
 きょうは会場で2冊の本を購入してきました。上田さんの『憲法改悪反対・九条を守る』となかむらみのるさんの『日本共産党救援センター物語』(いずれも新日本出版社)です。後者は中越大地震で話題になったセンターの活動をルポ風にまとめたもので、正式には18日に発売になるのだそうです。帰りのマイクロバスの中で一気に読んでしまいました。
 「自慢話にならないように気をつけて書いた」(なかむらみのるさん)ということですが、プロローグでぐいっと引き込まれてしまいました。そこでは山古志村から来たという「丸顔でからだも丸い小さなおばあさん」のことが書かれています。「おばあさんはどこから」「山古志村だがね。おらとこは、家も牛も鯉も田圃も、みーんななくなった」そう言うと、おばあさんは大きく口を開けて笑った……。そして本文、自衛隊を定年退職した人がボランティアに参加した話、地元の党組織の動きなどたくさんのドラマは、感動の連続です。この本を読むと優しくなる。


2005年06月10日

一般質問始まる

 きょうは開会前に代表者会議があって、夏場の服装について協議されたとのことでした。ようやく、ノーネクタイ、ノー上着で審議できるかと期待していたのですが、出てきた結論は、議場においては上着を脱いでもよいというレベルのものでした。つまり、ノーネクタイとはならなかったのです。本来、議場における服装は各議員の良識にまかせればいいことで、約束事をすること自体いかがと思います。それにしても国会や県会など次々とクールビズがすすむなかで、きょうの結論、がっかりでした。
 今議会の一般質問がきょうから4日間の予定ではじまりました。通告者数は35人、これを4日で終了させるには1日あたり、9人のペースでやらなければなりません。きょうは、会議時間を午後7時近くまで延長して10人が登壇しました。おそらく2日目、3日目も時間延長でしょう。次の定例会からは、質問通告者数に応じた日程にしてもらいたいものです。一日10人というのは聞いている者も疲れの限界を超えるし、答弁する市長だってたいへんです。
 質問のなかでもっとも注目していたのは、遺伝子組み換えイネの問題をテーマにした質問です。遺伝子組み換えイネの屋外実験についての質問は研究センターの説明と瓜二つでしたが、北陸研究センターとの連携の必要性、上越地域の農業振興への思いは共感をおぼえるものでした。この人とも共同の可能性を探っていきたいと思います。ともかく、遺伝子組み換えイネの問題に対する市長の見解は、この質問で明らかになりました。おかげで、14日の私の質問の組み立ても見えてきました。頑張りたいと思います。


2005年06月09日

常任委員会審議4日目

 きょうは総務常任委員会でした。4日連続の会議ともなると、疲れがたまってきます。午前中は何とか目が開いていたのですが、午後からはもう駄目でした。自分の所属する委員会審議ではないのですから、眠い時は思い切って休んだ方がいいのかもしれません。会議が終わったのは午後6時半近くで、家に戻ったのは7時過ぎとなっていました。牛たちにエサをくれ、風呂に入ってあとは、横になりました。
 審議の中でこれでいいのかと思ったことがいくつかありました。その1つは、市が所有する建物などの管理についての議論です。合併協議では、13町村の財産は新市に引き継ぐ、当該区域における重要な施設の設置及び廃止等に関することについては市長が各区の地域協議会に諮問し決めていくことが確認されていました。しかしきょうの審議では、このことを忘れた、新市全体で統一を図る方向での議論が目立ちました。
 これでいいのかという疑問がわいてくるのは、行政の中枢にいた人たちも同じようです。総務常任委員会には、首長、助役経験者が3人もいます。そのうちの一人、清里区の笹川議員が予備費の使い方について疑問を呈していましたが私も同感でした。
 きょうの審議対象はたくさんありました。指定管理者制度、ケーブルテレビ、三セクの経営など、いずれも真剣な議論が交わされていました。なかでも眠気が吹き飛ぶ問題は、300億を超える保有額をかかえている市土地開発公社の経営です。頸城区の高森議員(旧頸城村助役)が、「こんなにもなっているとは思わなかった」と述べるほど厳しい内容です。今後の市の財政運営のことを考えたら、目を離すことができません。


2005年06月08日

常任委員会審議3日目

 建設企業常任委員会。きょうの審議でもっとも注目したのは大潟区内のパーキングエリアを活用して行われるスマートインターチェンジの社会実験です。スマートインターチェンジは、サービスエリア、または、パーキングエリアに設置するETC専用のインターチェンジで、全国28箇所で実験中または設置が検討されているといいます。従来のインターチェンジに比べて低コストで導入できるとのことですが、大潟の場合は約2000万円をかけて道路の整備や実験期間中の各種補助などを行います。
 実験は約3ヶ月。この間にどれくらいの利用者があるかなどの調査が行われます。審議を聞いていて、どうなっているんだと思ったのは、実験後、スマートインターチェンジが恒久化できるかどうかの具体的な基準がはっきりしていないことでした。例えば、安全な交通が確保でき、一日あたり500台以上の利用が見込まれれば恒久化する、こういったものがあってもよさそうなのに無い。これでは実験への取り組みも力が入りにくいと思いました。
 夜は北陸研究センターでの遺伝子組み換えイネの屋外実験についての連絡会でした。運営委員の構成、17日の学習会の準備などについて遅くまで協議しました。学習会の講師はジャーナリスト、市民バイオテクノロジー情報室代表の天笠啓佑氏で、会場は上越市文化会館中ホール。時間は18:30~20:30となっています。遺伝子組み換えの現状と問題点を分かりやすく解説してくださるとのことですので、ぜひご参加を。


2005年06月07日

常任委員会審議2日目

 きょうは厚生常任委員会審議でした。予算関係の議案はちょっぴりで、ほとんどは市が所有する福祉施設の指定管理者制度導入にかかわる条例改正議案でした。質問や答弁を聞いていて、本の数秒間の話が印象に残ることがあります。きょうは、田村健康福祉部長の答弁の中できらりと光る話を耳にしました。三和区の地域協議会が同区内の福祉施設(ディサービスセンター「美杉の里」)の指定管理者の選定方法に関して市長の諮問とちがった答申をしたというのです。諮問は公募でしたが、答申は社会福祉協議会の支所事務所がある「すいせんの里」と隣接しているので、それと同じく現在受託しているところに指定したらどうかというものです。地域協議会の存在感を示した話でした。
 きょうの委員会では、課長などが答弁する場所のすぐそばで傍聴しました。答弁する側に最も近いので、課長などの質問に対する反応も良く分かる。想定問答集や答弁メモが書かれた資料も中身は分かりませんが見えることがある。遠くにいては分からない、生々しいことを見聞きできて、とても勉強になります。きょう、答弁に立った課長や総合事務所長の中には、上越市議会の委員会での答弁は初めてという方もありましたが、分からないことは後で調べて知らせると、落着いた対応をされていました。こうした様子を至近距離で見ることができる、この場所がすっかり気に入ってしまいました。
 昼休み休憩に入って分かったことですが、きょうの委員会には、吉川区から初の委員会審議の傍聴者がありました。旧吉川町の3役を務められた方で、現在、長峰温泉「ゆったりの郷」の支配人さんです。と言っても、「ゆったりの郷」に支配人を再び置くことになったことはきょう初めて知ったのですが……。お昼休みに控え室で一緒にお茶でもと思ってさがしたものの、残念ながら見つかりませんでした。傍聴にこられた方はぜひ一声かけてください。休憩時間にお茶、コーヒーのサービスをしますよ。


2005年06月06日

常任委員会審議が始まる

 きょうから常任委員会審議が始まりました。私の所属する文教経済委員会がトップです。3月と違って審議日は1日と短く、あっという間に終わってしまいました。昨日の段階では質問は3つほどにしぼって準備しておいたのですが、内容的には発言しておきたかったことの半分くらいしか語ることができませんでした。その代わり、説明を聞いていて発言したくなり、取り上げた問題もありました。
 今日の審議でもっとも賑やかになるだろうと思っていたのは、城北中学校校舎建築工事の請負契約でした。例のワークシェアリング入札の最初となった大規模工事です。先日の総務常任委員協議会では、「制度は評価するが運用が問題だ」という声が多数を占めていたので、今日の審議が注目されていました。行政側は、議会や業者に対する説明不足をあっさり認めたものの、経過措置もとらずに最初から2年前にさかのぼって一部業者を入札対象からはずすことの不合理、不公平さを認めませんでした。質問も私と市民クラブの近藤議員の2人だけにとどまりました。
 質問が集中したのは板倉区の「ゑしんの里」記念館の建築工事や管理運営をめぐってでした。文教経済委員会の管内視察では、「親鸞の妻、恵信尼にかかわる施設として違和感がある」「経営を成り立たせることができるのか」などといった声がたくさん出ていました。市政会議の山崎議員の質問に始まって、この問題で質問したのは5人にもなりました。地元での活用を重視するとともに、親鸞、恵信尼さんを愛する人たちなどの訪問を受け入れしやすい条件整備が重要だと感じました。
 昨日アップしたつもりだった「春よ来い」の「母乳を飲めない仔牛」は送信ミスで掲載できませんでした。今度は大丈夫です。クリックしてみてください。


2005年06月05日

初めて菱ヶ岳へ

 ずっと前から登ってみたいと思っていた山の1つに安塚区の菱ヶ岳があります。きょう、やっと実現しました。杉本議員、旧浦川原村村議だった杉田さんとともに登ってきました。ゴンドラを降りてから頂上まで歩いて約40分です。あいにく、霧がかかっていて遠くにある海も山もまったく見えませんでしたが、とてもいい運動になりました。菱ヶ岳はきょうが山開きとあって、100人くらいの登山者で賑わいました。
 登山道はまだ残雪がたくさんあり、普段の登山道とは別のところも歩いたようです。雪は固くしまっていて、靴の裏から気持ちの良い感触が伝わってきました。霧はなかなか晴れず、景色が駄目だった代わりに、楽しむことができたのは花です。イワカガミ、ショウジョウバカマ、コブシなど馴染みの花の他に、イワウチワ、ブナ、モミジの花を初めて見ることができました。
 夕方、今度は妻と一緒に大出口(尾神岳中腹から湧き出ている名水)まで行ってきました。このHPのトップページの写真を撮ることが目的だったのですが、じつは、もう1つ気になることがありました。昨日の法事で、ある人から、「2週間ほど前に、山菜採りに尾神岳の沢に入ったら、カモシカとばったり会った」という話を聞いていたからです。ひょっとしたら会えるかもしれない、という思いを抱いていましたが、きょうは叶いませんでした。
 「春よ来い」の第51回、「母乳を飲めない仔牛」を掲載しました。


2005年06月04日

児童文学とは思えない…

 きょうは近くの家の法事でした。お経が始まる前に新聞配達を終わらせたいと思ったのですが、20部くらい残ってしまいました。明日の早朝に配達するしかありません。法事では旧三和村の村議だった橋本正幸さんと仕事をしていたという方と一緒になり、増員選挙の話などをしました。こういう時に共通の知り合いがいると、ぐっと身近に感じます。
 ビールやお酒をたくさん飲んだあとは眠るのが一番です。午後3時頃から約2時間、ぐっすりと眠りました。この睡眠のおかげで、夜はチラシの印刷、読書に励むことができました。2日前に送っていただいた後藤竜二さんの『故郷』を半分以上読みましたが、児童文学とは思えないほど大人の世界の問題が書かれていてひきつけられました。とうきび畑のなかでバキッときびをもぐたびにトンボたちが飛び上がる様子や昭和29年の台風15号との闘いの文章表現は見事で、付箋をつけながら読みすすみました。
 くぎりのいいところで「解説」を読み、えっと思ったことがあります。後藤さんの処女作は『天使で大地はいっぱいだ』(講談社)と書いてあったからです。この本も30数年前にある友人から送っていただいたもので、たくさんの想い出があります。どういうわけか当時送ってもらった本のカバーだけ残っていて、本体はありません。前にももう一度読み直してみたいと思い、インターネットで調べたのですが品切れでした。でも、きょう再び調べたら、今年の1月に増刷したらしい。早速注文しました。


2005年06月03日

6月議会スタート

 「長丁場になりますが頑張ってください」…朝一番に電話をくださったのは頸城区のOさんです。2回ほどしかお会いしたことのない方ですが、きょうから6月議会が始まることを新聞で知って励ましてくださる、ありがたいですね。会期は17日まで、実質的には10日間です。これまでの町議会は実質2日間でしたから、その5倍の長さとなります。
 きょうの本会議は午前10時に開始され、市長が提案理由の説明を約40分やって終わり。その後は、総務常任委員協議会が1時間10分あまり行われました。市議会の6月議会は初めての経験ですが、議長や常任委員長報告は無し、市長が3月議会以降何をやってきたかという行政報告もありません。近くの議員と「少しは行政報告やってもいいのにね」と話をしました。
 総務常任委員協議会でとりあげられたのは、安塚区で行われた地域協議会委員の選任投票において選挙運動ビラが配布された際、行政側に誤った対応があり、職員が処分された問題でした。職員に誤った対応があれば監督責任のある市長が陳謝するのが普通ですが、担当課長が協議会委員の選任投票の仕組みのなかで市長に責任はないとした発言をしていたのは理解できませんでした。
 午後からは党市議団で勉強会の続きをやりました。質問することが山ほどあった3月議会に比べると、質問事項は少なく、さみしいくらいです。その代わり、今議会では一般質問に登壇する人が35人になりました。一般質問の日として4日間確保してありますが、1日に9人ずつやるとしたら強行軍です。


2005年06月02日

後藤竜二の『故郷』入手

 2ヶ月ほど前、この「見てある記」で、東京在住の方から手紙をもらったことを書きました。「しんぶん赤旗」日曜版に掲載された私の当選の記事を読み、手紙を書かずにいられなくなったということでした。その人から、私の好きな児童文学者・後藤竜二さんにも『故郷』というタイトルの本があった、でも今は絶版になっているという情報を得ていました。その後、古本屋のルートでさがしたのですが、見つかりませんでした。あきらめ、すっかりこの本のことを忘れていました。ところが、きょう、その手紙を寄せてくださった方から『故郷』が送られてきたのです。しかも著者である後藤竜二さんのサイン入りでした。うれしかったですね。
 送られてきた『故郷』(偕成社)は古本ではありません。真新しい本でした。今年の5月に24刷目が出たのです。表紙には後藤さんの故郷、北海道の広い大地にトウモロコシが一本描かれています。初めて出会った本なのに、前に見たことがあるような感じがするのは、児童文学書で何回も出会ったことのある高田三郎さんの絵のせいでしょう。議会の質問の準備を早く終わらせ、一時も早く読んでみたくなりました。
 きょうは、市政レポート作成と質問準備で大忙しでした。先週、「しんぶん赤旗」日曜版の読者の一人に「あれ、今週は『春よ来い』はないの?」と言われ、「来週、書くわね」と約束してしまいました。その約束を何とか果たしました。すでに印刷したのですが、HPには、2、3日寝かせてから掲載する予定です。明日から17日まで6月定例議会です。私の一般質問は、14日の午後か15日の午前になりそうです。ぜひ傍聴においでください。


2005年06月01日

産後1週間経過

 仔牛が生まれて1週間になりました。母牛と分離して飼い、母乳の代わりに乳牛の初乳で作ったヨーグルトを薄めて飲ませています。おかげ様で元気に育っています。最初は仔牛をさがして落ち着きのなかった母牛も鳴かなくなりました。この仔牛の世話は父がやってくれています。自分が世話をしないとこの仔は駄目になる、そういった感じで受けとめているのでしょう。朝は5時ごろから心配し、牛舎にも早々とやってきます。老人会の日帰りのお楽しみ会も休むほどの熱の入れようを見ていると、父には牛が一番だと思います。
 さて、きょうは議員団の勉強会でした。遺伝子組み換えイネの問題をどうとらえるかの議論だけでもかなり時間がかかりました。基本的なことを党中央はどう見ているか、その確認のために、有坂農漁民局長に電話をしました。有坂さんは30年くらい前から農民運動一筋でがんばってこられ、私も20代の時から知っています。丁寧な説明は昔から変わりません。5分くらい話をし、資料も送ってもらえることになりました。勉強会では、政務調査費、地域自治区のことなども話し合いました。
 夜はビールを一本飲んでダウン。目を覚ましたら、テレビで元大関貴乃花の特集をやっていました。がんに倒れた貴乃花は70年代のヒーローで、私もフアンでした。落着いていてねばりのある相撲の影響か、私よりもいくつか年上だと思っていたのですが、まったく同じ年齢です。まだこれからという時に亡くなったのは残念なことです。最近、健康管理を怠っているので、これを機会に意識的な取り組みをしようかと考えています。


2005年06月投稿分

2005年06月に投稿された全てです。

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