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2003年08月投稿分

2003年08月31日

よそから学ぶ

 きょうも朝から一日中雨。なにか秋雨のような肌寒さを感じます。日曜日でしたが、午前は「しんぶん赤旗」の集金、午後からは浦川原村で村議選挙政策についての検討会でした。
 昨日に続いて外側から自分の町を見る話の第2弾。よその自治体の選挙政策を検討していると、自分の町はどうなのだろう、と振り返ってみることが多く、とても勉強になります。
 例えば、きょうの検討会で話題になったのは、市町村合併で各町村が独自に出している土地改良工事費への助成金がどうなるかでした。多くの自治体では、土地改良をした場合、受益者の負担を軽減するために一定の助成金を出しています。関係農家は合併でこの負担がどうなるか心配している。そのことが検討会でわかりました。
 
 投票が終わったばかりの松之山町からの報告によれば、今回の町議選で複数議席を維持し、県内一の議席占有率(20%)となった勝因の1つは、住民の願いに密着した政策提言でした。そこでも、町がこれまで土地改良工事費への年間1300万円の助成金が新市に引き継がれるかどうか、関係者が不安を持っていることに注目していました。
 合併問題を考える場合、多くの住民のみなさんは、かかわりのある具体的な問題で、現在と合併後を比較します。その比較をしたくなるものをこちらから一方的に示すのではなく、住民とよく対話をする中で十分把握する。そのうえで、比較情報を提供し、解決策を住民のみなさんと一緒に考えていくことが大事。検討会でそんなことを考え、帰ってきました。


2003年08月30日

作柄は楽観視できない

 議員をやっていて、「よその自治体で見聞きすることによって共通の問題がよくわかる」という経験をすることがあります。きょう、東頸城郡大島村を訪ねたのですが、冷害の深刻な実態を聞き、驚きました。
 私が訪ねた大島村の集落は、標高が300メートル位のところにあります。吉川町の山間部とほぼ同じではありますが、奥地に入っている分、冷え込みがきつく、その影響がコメにも出たのでしょう。従兄弟の話によれば、「酒米の五百万石は穂の三分の一は実が入っていない。コシヒカリも実の入りが悪く、全体の作況は10年前よりも悪い」というのです。
 27日の農業委員会の調査結果については、「山間部のコメは10年前の冷害の時に比べるとずっといいと見てきました」と書きました。しかし、そんな楽観的な見通しでいいのか、大島村での話を頭に入れながらいま一度山間部の田んぼに入ってみようと思います。
 きょう、大島村へ行ったのは、親戚に野菜などを届けるよう、母に頼まれたからです。ほとんど寝たきりになった伯母もちょうど施設から戻ってきていました。半年以上会っていなかったのですが、顔が一回り小さくなり、かわいくなった感じがしました。
 会うと、これまでならとても喜んでくれて、たくさんおしゃべりをするのですが、今回は、「ばあちゃん、元気でいるんだよ」という呼びかけに「はい!」と一言だけ。私の顔を見ても誰だろうという顔をしています。「じゃ、またね」と言って、伯母の短い髪をなでていたら涙が出てきてしまいました。


2003年08月29日

特別委員会プラス全員協議会

 町議会の市町村合併特別委員会と全員協議会が行われました。メインは合併協議会(法定協)の議会委員の選出。規約で決まっている議長のほかに2人の議員を選ぶことになっていました。2時間近い話し合いの結果、法定協準備会の議会選出委員と同じ顔ぶれの市町村合併特別委員会の正副委員長である吉村副議長と私が選出されました。
 2時間近くもかかったのは、「法定協設置に反対した議員(私)を送り込むことはいかがなものか」という意見があり、各派代表者会議や各派の会議が断続的に開かれたからです。法定協は、「合併の可否も含めて協議する場」(八木議長)であることは総務省も認めているところですが、このことを感情的に受け入れがたい議員があったようです。
 最終的には議長裁定を全会派が受け入れ、決まったのですが、ありがたかったのは、私の法定協準備会委員として果たした役割を評価する声が合併賛成派の人を含めかなりあったことです。吉川町議会を代表して送り込まれていることをこれからも意識しながら、吉川町民のためにがんばっていきたいと思います。
 先日、初めてナツエビネに出会いました。数年前、一般質問で「吉川町の希少植物保護」をとりあげたことがありました。独り占めしたくなるような美しさがありますが、レッドデータブックでは絶滅危惧Ⅱ類として記載されているものです。見かけたらそっとしておいてあげましょう。
 「ホーセの見てある記」について「読むには文章が長すぎる」というご意見をいただきました。短く書けないような内容の時もありますが、「できるだけコンパクトに」を心がけたいと思います。ご意見をお寄せください。


2003年08月28日

牛の手術

 エサのくれすぎか、暑さのせいか、1頭の牛が数日前よりエサをぜんぜん食べなくなりました。獣医さんの診断では第四胃変位だそうです。牛には胃が4つありますが、第四胃の位置が本来のところからずれてしまったのです。それで、きょうは、午後から手術をすることになりました。
 手術することになった牛は体重が約600キロあります。1人や2人では、動かすこともできません。酪農家が町内に10軒くらいあった時は、一声かければ何人も集まってくれたものですが、いまはそうもいきません。それで農業共済組合と農協からそれぞれ1人ずつ応援に来ていただき、手術をしました。私と父も入れて総勢5人の手術体制です。
 
 何日もエサを食っていないので弱っていると思いましたが、どうしてどうして、体力はまだ十分ありました。牛舎内から手術する場所まで引っ張っていく時はなかなか動きません。一番大変だったのは、写真のように寝せることでした。このように倒さないと手術できないのですが、麻酔を打ったというのにふんばってしまい、なかなか倒れてくれません。おかげで、こっちは汗びっしょりとなりました。
 手術はいろいろな話をしながら進められます。獣医さんと応援に来てくれた2人は、昨日は隣町の柿崎町酪農組合の総会に出てきたとのこと。だから、それがまず話題になりました。夕方の搾乳に帰ったのは誰々だけで、あとは全員が1次会から2次会へと連続して参加したとか、カラオケへ行ったとかの話が続きました。
 面白い話をしてくれたのは農協のNさんです。彼は5年ほど前にバイクに乗っていて、交差点でタクシーと衝突。手術をする時に麻酔を打たれたといいますが、手術をしていた医師たちの会話が記憶に残っているというのです。それは、手術をしている最中にもかかわらず、仕事が終わったら焼肉を食べに行こうという話でした。この話を聞いたNさんは、「余裕だな」と思ったといいます。
 さて、手術ですが、約1時間半で無事終了しました。胃の中にガスがたくさん入っていて、「これじゃ、エサ食えないわな」と獣医さん。ガスを抜き、第四胃を正常な位置にしばりつけました。切り口の縫合も終わり、足をしばっていたロープを解こうとした時、この牛は元気なんですね、解き終わらないうちに立とうとして動き回り、大変でした。
 夕方の搾乳前に、手術した牛を牛舎内に連れてきました。その時の牛の足の運びが軽やかなこと、やはり普段、自分が寝起きしている場所が一番いいらしい。私はその歩き方を見て、この牛は助かるな、と思いました。
 


2003年08月27日

皮をむいてみないとわからない

 町農業委員会恒例の作況調査が行われ、参加してきました。この調査はコメの出来具合を中心に、転作作物などについても生育具合などを見て回ります。旭地区では直播の稲と大豆の出来、吉川地区では転作ソバ、源地区では山間部の稲がどうなのか、に重点をおいて見てきました。
 テレビでは、お昼に全国的な作況について報道していて、北海道、東北3県は「著しく不良」、新潟県は「やや不良」とされていましたので、当町ではどうなのか、心配したのですが、稲姿はまずまずでした。ただ、参加者が共通して指摘していたのが、「皮をむいてみないとわからない」でした。
 昨年は豊作だったコメ。どうしてもそのイメージで稲姿を見てしまいます。今年は長雨が続き、冷たい夏だったことが影響しているのでしょうか、昨年よりも幾分、穂の長さが短い。特に酒米・五百万石、いつもならこの時期、穂が重く垂れ下がり、堂々とした実りに惚れ惚れするのですが、それがないのです。また、出穂の時期がばらばらで揃っていないのも気にかかるところです。皮が厚く、粒が一回り小さいのではないか、その不安がよぎります。
 長雨で転作ソバは、ほぼ全滅に近い状態でした。天気が出るのを待って種をまいたのですが、その後も雨が降り続きました。水がたまっているような中ではどうしようもありません。芽が出たとしても根ぐされをおこすだろうというのが参加者の見解でした。
 山間部のコメは10年前の冷害の時に比べるとずっといいと見てきました。あの時は、海抜400メートルくらいのところの田んぼ、冷え水が出る田んぼ、まともに穂が出ない状況でした。今回は21日にすべて出穂しています。
 問題はこれからの天気です。とにかくお天道様が出てくれて、田んぼを乾かしてほしい。稲にたっぷり日の光を浴びせてほしい。もし、これまでのような悪天候が続くならば、「やや不良」から「不良」に落ち込むことは必至だ、小野寺会長の言葉が重く響きました。


2003年08月26日

バリさん、がんばったね

 東頸城郡松代町へ行ってきました。十日町市、松之山町、松代町津南町など6市町村の地域を越後妻有郷(えちごつまりごう)といいますが、そこを舞台にして第2回大地の芸術祭が開かれていて、松代町で展示されている作品を見に出かけたのです。
 3年前の前回は妻と一緒に松代町の会場を訪れ、松代町商店街にあった作品群が気に入りました。説明をしてくれた地元の人との会話の楽しさも忘れられず、今回の祭りでも商店街を訪ねることにしました。
 ただ、今回は、友人のバリさんと2人で出かけたことから、3年前とは一味違った鑑賞となりました。バリさんは、昨年暮れに小脳からの出血で倒れ、病院に数ヶ月入院。現在は通院、リハビリの毎日を送っています。
 先日、バリさんの奥さんに「今度、バリさんを連れて一緒に『大地の芸術祭』に行ってこようと思うんだけど、どうだろう」と言ったら、「助かるわ、連れてって」ということになりました。きょうは、幸い、午前に雨が上がったので、午後から軽トラックに乗って出かけてきました。
 ほくほく線まつだい駅に着いたのが午後1時ちょっと前。そこから歩いて商店街に展示されている作品を見て回ることにしました。バリさんは軽トラに積んできた最新式の歩行器を使って歩きます。段差がない所を目でさがしながら、ゆっくり、ゆっくりと。
 「新しい病院は、俺みたいなもんのことを考え、段差はないね。それに平らだしさ」。バリさんは歩き始めてすぐそう言いました。一緒に歩いてみて、初めてわかったのですが、足に障害のある人が歩くってたいへんなことなんですね。車が来ないか。前に障害物がないか。道は上っているか、それとも下りか。平らか、それとも斜めか。こういったことを総合的に判断し、前に進まなければならないのです。
 幸い、商店街は車の通りも少なく、作品鑑賞するには好条件でした。それに3年前とは違って、道路の端の部分に1メートルほどの幅でレンガ色の細かい材料で舗装された道が用意されていました。
 興味深く鑑賞したのは、吉川中学校で美術教師をしたことのある前山忠さんの「視界」、土壁のやわらかさと温かさを生かした村木薫さんの「修景プロジェクト」、外米輸入を皮肉った「アメリカ米万歳」、大阪教育大学・星ゼミの「饒舌な金物店」。やはり、知っている人の作品や日常生活に密着している作品は身近に感じるし、親しみが持てます。
 バリさんは、思った以上に元気でした。ある民家の庭先にたくさんの花が咲いていたので、「これ、マツバボタンだったっけ」と聞いたら、「こういう時には人に聞くにかぎる」と言って、そばを歩いていた若い女性たちに、「ねえ、これ、マツバボタンだよね」。また、雪の写真を展示してあるお店では、「雪肌」という素敵な写真が気に入り、「これって、どう見ても女の人のお尻に見えるなあ」と言って笑います。病気を出す前とまるっきり同じでした。
 ある小間物屋さんの前のベンチに座って休んでいたら、お店の奥さんが「あんたがた、どこからきなさったね」と声をかけてきました。「吉川町からです」と言うと、「吉川なら知っている人がいる」と話がどんどんすすみました。その人が知っている人の名は、E子さん。私たちもよく知っている人で、話が弾みました。E子さんは子どもの時から頭がいかったという話から始まって、今晩予定されている民謡流し、明日の祭り、カラオケの話など楽しくおしゃべりしました。
 3年前の時には、80歳近い女性が気品あふれる態度で作品解説をしてくださり、感動した記憶があります。今回は、小間物屋さんの奥さんから松代の商店街の面白さを教えていただいたような気がします。とにかく、自分の住んでいる町に誇りを持っている、それがとても印象に残りました。
 バリさんは、いつも隣の集落まで歩く練習をしているそうです。この日は、たっぷり2時間、作品を観たり、おしゃべりをしたりして歩き回りました。商店街の端の方へ行った時、「ここで待ってるかい、車持ってくるし」と言ったら、「いや、駅まで俺も歩く」。とうとう全部を歩ききりました。
 バリさん、がんばったね。


2003年08月25日

人生の先輩たちの興味深い話

 きょうは午前から東頸城郡の大島村、さらに柏崎市へと車を走らせました。大島村から柏崎市へ行く時に、初めて高柳町の石黒地区を通ってみました。石黒については、「大きなケヤキの木が何本もあるところ」「ドブロクの産地として有名だったところ」ということを繰り返し聞かされてきたのですが、ケヤキは見当たりませんでした。山奥の割には、道路がよく整備されていて感心しました。
 昨日、きょうと興味深い話をいくつも聞きました。いずれも私よりも長い人生を歩み続けてきた人の話です。
 話の1つは、サイレンの音についてでした。昨日の地質調査の現場近くには発破を予告するサイレンが鳴る所がありました。ちょうど、お昼を食べている時間にサイレンが鳴り、この音が甲子園球場の高校野球でも聞けること、さらに空襲警報と同じであることへと、話が広がりました。
 柿崎在住の仙田先生は、このサイレンの音を聞くと長岡空襲のことを思い出すと言います。実際には爆撃機が自分の頭の上を飛んでいっただけで、被災しなかったのですが、あのときの空襲警報がこのサイレンと同じ音でした。サイレンの音を聞いてから、1週間くらいは、怖くなると防空壕に逃げ込んだとのことでした。私のように、戦時のサイレンの音を聞いていない世代は、抵抗感がまったくありませんが、音を聞いたらすぐに空襲とリンクしてしまう世代の人たちもいる。戦争体験というのは一生引きずっていくものだということを知りました。
 2つ目はヤマボウシの木についてです。春の比較的遅い時期になって、白いきれいな形の花をつけます。いまそのヤマボウシの実が熟し、赤くなっています。ここまでは私も知っていました。
 赤い実を採って食べるうちに、この木の材質が極めて硬いことが話題になりました。地質調査をされていた渡辺先生の話では、餅つきの時の杵としてこの木を使ったとのことです。さらに、きょう、柏崎市の親戚で聞いて驚いたのは、スキーの板としてもこの木を使ったというのです。材質をしっかり掴んで暮らしに生かす努力をしていた時代があったのですね。
 3つ目。大島村へ行く時に、わが町の中心部である原之町から最も山間部にある上川谷まで一人のお年寄りを車に乗せました。92歳の塩崎英雄さんです。塩崎さんからは、昭和42年1月17日に通学途中の子どもたちが雪崩にまきこまれた時の生々しい様子、さらに健康と歩きの関係を教えてもらいました。
 36年前の雪崩は、私が高校2年生の時のことで、忘れることのできない事故でした。当日、ラジオで知ったのですが、塩崎さんの娘さんもこの雪崩にまき込まれていたといいます。雪崩発生の知らせをうけて、塩崎さんは一旦家に戻り、スコップをもって現場にかけつけたそうです。酸欠状態に陥る寸前だった娘さんたちは幸い、軽い雪が滑って発生した雪崩だったおかげで無事救出されたとのことでした。
 この事故は、私がふるさと吉川町を離れて暮らしていた時に、切ない思いで聞いた最初のニュースでした。自分のふるさとを語るときに何回もこの事故のことを引用させてもらいましたが、事故にあった子どもさんの親から当時の話を聞いたのは今回が初めてでした。
 健康はやはり足から。塩崎さんが健康で長生きできた要因の1つは、歩いて足を鍛えていたからだ、ということを今回再確認できました。コメの検査員をやっていた塩崎さんは、一時期、川谷から尾神岳の中腹を通って柿崎町の黒岩まで歩いていたといいます。往復に要した時間はなんと5時間だったとか。その塩崎さんいわく、
 「いやー、人間は足から弱ってくるもんだね。どうも昨年あたりから足が弱ってきちゃって…」
私なんか、もう足の痛みがきているというのに、すごいもんだと思います。
 


2003年08月24日

「鏡の肌」

 2ヶ月ほど前、新潟市に住む地学研究者の大野先生からメールをいただきました。今年の夏も尾神岳で調査をやるから半日でも1日でも参加してみませんか、というお誘いでした。調査は、正式には米山団体研究会の調査で、略称米山団研といいます。団研は1963年(昭和38年)にスタートし、今回で第35次、スカイトピア遊ランドを基地にしての調査は昨日から始まっていて、26日まで続きます。
 きょうはこの調査に朝から夕方まで同行させていただきました。米山と尾神岳には、急峻な山体がこぼれでたような「はり出し部分」がありますが、それが、いつ、どのようにしてできたか。山体をつくっている鮮新世の火砕岩層が下位層の上を滑ったのではないか。どうもそこには、きゅるんきゅるんした「鏡の肌」があるのではないか。今回の調査はそうしたことに注目したものです。
 午前の調査は柿崎町黒岩地内の大きな露頭でおこなわれました。この露頭は、砕石業者の現場で見られるもの。ある先生は、「このくらいの露頭だといいねえ、けちな露頭じゃ全然わからん」と地層を削っておられました。
 私には専門的なことは分かりませんが、明らかにずれがある地層やたまねぎの皮のようになった風化した岩石などが印象に残りました。専門家の先生方は、この露頭を詳しく調査し、泥岩の上を火砕岩が滑ったとおぼしき跡を見つけられたようでした。
 午後からは、この露頭でみられた地層の動きを確認できる場所をさがして周辺の沢に入り、山を登りました。地表に出ている岩石をハンマーでたたいたり、元は田んぼだった縁を削ってみるなどの作業をしながら進みました。
 注目すべき発見があったのは午後3時過ぎのことでした。「おい、あったぞ、泥だ」。その声を聞いて、みんながその周辺の地層断面をいっせいに削り始めます。畳1枚分くらいの広さの断面には、泥岩とその上にのった火砕岩の層がくっきりと浮かび上がりました。あとは、午前に見た露頭よりも下の方で、同じ構造の断面を見つけることができれば、結論付けができるとのことでした。
 私が米山団研の調査に同行したのは、今回が2度目になります。山の中に入るのは疲れますが、とても充実感があります。それは大好きな尾神岳を科学の知識でより豊かにとらえることができるし、ワクワクするような大地のドラマを知ることもできるからです。例えば午前に見た大きな露頭は、大規模な柱状節理の上の方にあるのですが、そこで硫化水素をエネルギーとする海底火山域特有のシロウリ貝属の化石が出るという話を聞きました。深海に棲む生き物がマグマの動きで尾神岳のふもとまで押し上げられた。すごいなと思います。
 


2003年08月23日

市町村合併問題への関心高まる

 きょうは朝からフル回転でした。地元集落公民館前での資源ごみ回収の当番、しんぶん赤旗日曜版の配達と集金、妻の親戚筋の人たちとの親睦会、これらを通常の牛の世話とは別にやろうというのですから、大忙しとなるのは当然のことです。
 今週と来週のしんぶん配達では集金もします。この集金は、手間暇がかかりますが、読者の皆さんと接する絶好の機会です。この日を待って生活相談を寄せてくださる方が結構多く、昨日ときょうだけでも3件ありました。
 読者の皆さんが、しんぶん赤旗や町政レポートの内容などについて感想を語ってくださるのもこの集金のときが多いような気がします。
 いつも丁寧にしんぶん赤旗を読んでいてくださるAさん。お金をもらい、挨拶して帰ろうとした時に声をかけてこられました。
 「この前のあれ、よかったですね。私、切り取っておきました」
 「あれって、なんです?」
 「ほら、医療費のこと書いてあったでしょ」
 「はい、はい、入院した時のお金のことね」
 「私らも、もう年でしょう、いつ入院するか分からないし、入院して
 (差額ベッド)料金よこせといわれても困るし、他人事じゃないと思ってね」
 Aさんが話題にした記事というのは、6月15日付と7月27日付日曜版に書かれていた「知らないと損 差額ベッド料 こんな場合は払わないですみます」でした。しんぶん赤旗をこんなふうに活用していてくださるのは、とてもうれしいものです。
 きょうは、19日に一般紙に折り込んだ町政レポート1100号を読んだ人が何人も話しかけてこられました。この号は、合併問題についての臨時議会での議論をお知らせしたものですが、何か、いままでがまんしていたのが、がまんしきれなくなって話しかける、そんな雰囲気が共通してありました。
 
 まずYさん、この方とは馬が合うというか、話し始めると時間がたつのを忘れてしまうほど楽しくおしゃべりしてしまいます。このYさんとの会話の一部です。
 「読ませてもらいましたよ、この間の…。考えさせられましたわ」
 「ありがとうございます。全部、読んでくださったんですか」
 「はい」
 「うれしいですね。正直言って、裏面(私の反対討論全文を掲載)は読まない
  人が多いと思っていたんですよ。でも、何人もの人があれを読んだって
  教えてくださって…」
 「これまで町が出す情報って、合併しなければ駄目だの一点張りだった
  でしょ。おかしいと思い続けてきたんです」
 
 長年地域おこしでがんばってきたKさんの話も、町政レポートの裏面を読んだ話からはじまりました。
 「あの長い文章、読んだでね」
 「ありがとね。どうでした、読んで」
 「この町なくしたくない、という思いが伝わってきた。おらもずっとそう思って
  いたんだけれど、そういう話ができないような雰囲気があったでしょ、
  いままで。合併に賛成か反対か、ちゃんと調査してもらいたいね」
 「町は、アンケートですらやろうとしていないんだよね」
 「ふんだすけさ、やるべきだこてね」
 こうした話を何人もの人としました。この調子で多くの皆さんが語り始めれば、合併問題もいい議論になっていくと思います。もっと町民の皆さんの中に入っていかなければならない、と感じました。
 さて、夜は妻の親戚筋の人たちとの親睦会、柏崎市の「簡保の宿」で盛大に行われました。総勢25人くらいになったでしょうか、とても楽しい会でした。この会は3年ほど前から年に1回のペースで開催されていて、私は仕事の関係もあって今回が初参加でした。
 妻の従兄弟にあたる人から、ぜひ挨拶をと求められ、5分ほど話をさせていただきました。搾乳という仕事をしているので、これまで遠方で開催されていた親睦会には参加できなく失礼したこと、3年前に出版した本(『幸せめっけた』恒文社刊)を買っていただいた御礼、さらに義父が私をどう見ているのかについて語りました。
 挨拶の最後の部分は、結婚当初の思い出話です。妻の姉の連れ合いであるTさんが私の隣に座っておられたので、Tさんからも立っていただき、
 「じつは柏崎のお父さんに、俺んちの婿殿は、公家さんと山賊だ、と言われ
  ました。ご覧いただければお分かりのように、私が公家で、こちらが山賊
  です」
と言うと大笑い。Tさんは川崎市に住んでおられ、身なりもきちんとしたハンサムな方、いうまでもなく、こちらが本当の「公家さん」です。
 結婚後、20数年。髪がすっかり薄くなり、太って「貫禄十分」の「山賊」は、挨拶が終わってから、妻の親戚の人たちと大いに飲み、語り合いました。


2003年08月22日

チラシづくり(2)

 きょうも蒸し暑い日でした。久しぶりに30度を上回ったのではないでしょうか。これまで涼しい日が続いていただけに、実際の温度以上の暑さを感じます。お昼ころ、役場のロビーで休んでいたら、外の水溜りでスズメが頭を水の中に突っ込んだり、羽を水につけた状態でブルブルと震わせたりして遊んでいました。
 さて、きょうは金曜日です。朝からしんぶん赤旗の日刊紙、日曜版の配達に出ました。ところが、いまひとつ気分が乗りません。原因は、昨日作成した町政レポートにありました。
 私には、長年の間に、配達しながら町政レポートをチラッと見る癖がついてしまっていますが、今回のレポート、瞬間的に見た時の印象がよくありません。特にトップニュースにした成人式の見出しと写真の印象が暗く、まるで葬式のような雰囲気をつくりだしているのです。
 14日の「見てある記」に書いたように、今年の成人式そのものは、明るく楽しい雰囲気の中で終わっています。それと私の書いたニュースにギャップがありすぎます。どこにメスを入れたらいいのか。私の結論は、「真夏の成人式に57人」という見出しそのものが、ありきたりで、しかもその文字が大きすぎるということでした。
 町政レポートは白黒印刷です。どんなに明るいニュースでも黒インクで印刷されることになります。オレンジやピンクなら、大きな太い文字でも冷たさや暗さを感じることがありませんよね。黒はそうはいきません。字体や文字の太さによっては暗さもある。威圧感もあります。
 そこで、朝の搾乳前のしんぶん赤旗の配達は最小限にとどめ、搾乳後にレポートを作り直すことにしました。再考の結果、見出しは2段としました。上段は教科書体に近い字体で「笑顔がいっぱい、楽しい雰囲気でした」、下段は「真夏の涼しい成人式に57人」とし、文字そのものに網をかけてみました。
 見出し文はいまひとつではありましたが、当初のものに比べれば、うんとよくなりました。黒色の持つ威圧感は和らぎ、成人式のニュース全体が伸び伸びして見えます。こうして町政レポート1101号の改訂版が出来上がりました。


2003年08月21日

チラシづくり(1)

 蒸し暑い一日でしたね。きょうは、午前に週刊町政レポートの作成をしました。次の土日にいろいろイベントが重なっているので、いつもより半日ほど早い出来上がりです。午後からは、例のウオーターカップの部品がくるのを待っていることができず、とりあえず現在使っていないものと取替えてもらうこととし、農機具屋さんに来ていただきました。
 町政レポートは前回の号でちょうど1100号。毎週書かなければなりませんので、何号になろうと単なる通過点なのですが、やはり区切りとなる数字の号は気になります。普段よりも気合が入ったチラシづくりとなり、町民の皆さんに伝える中心内容を何にするか、レイアウトはどうするか、ずいぶん悩んで作りました。
 手書きで作成していたころは、全体構想を練るために、白紙に鉛筆でアウトラインをスケッチしました。見出しと写真、カットの位置をどうするか、そこまで決まれば全体像が見えてきます。いまは、マイクロソフト社のパブリッシャーというソフトを使ってのチラシづくりですので、「ページ全体の表示」の中でこの作業を行っています。
 チラシを読んでもらえるかどうか、それは第一印象で決まる。そのことを学んだのは、直江津東中学校の「ぽぷら」というタイトルの学級通信でした。作成者は、私の母校、源中学校の教師をしたこともある藤田英夫先生です。
 私が「ぽぷら」を初めて見たのは、1号から200号までをまとめた縮刷版でした。ひとつひとつ見ながら、衝撃を受けたのは、同じレイアウトの通信がないことでした。一枚一枚すべて独創的な見出しとレイアウトで作られていました。どの通信も、生徒たちが手にした時、読んでみたくなるものばかりでした。
 藤田先生とは年賀状をやりとりするだけのお付き合いですが、一度お会いして、チラシづくりについていろいろ教えてもらいたいと思っています。もし、今後発行する町政レポートに大きな変化が生まれていたら、それは藤田先生から何かヒントをもらった時かもしれません。


2003年08月20日

トラブルだけでなくうれしいニュースも

 ビールを飲みたくなる2大要因は暑さと疲れ。これはあくまで私の場合ですが、きょうは、2大要因がちゃんと働き、お風呂上りにおいしくいただきました。もっとも、350cc1缶だけでしたが…。
 雨はあがったものの、牛舎内のトラブルはきょうも続きました。昨日、故障したウオーターカップが2度もおかしくなり、牛舎内が水浸しになりました。水を汲みだしたり、掃除したりでヘトヘトになりました。
 原因はウオーターカップ内のゴム製パッキンが疲弊していることにありました。直ちに部品を送ってもらうように手配したのですが、到着は明後日といいます。いつもなら予備の部品で手当てできるのに、今回は在庫をきらしてしまい、パッキン到着までウオーターカップから目を離すことができません。たびたび牛舎へ行き、水があふれ出ていないか確かめています。
 さて、トラブルの話はこれくらいにして、うれしいニュースを2つお知らせしましょう。
 1つは子牛に関することです。きょうは、長岡市の家畜市場開催日。わが家からは生後40日くらいのメスを出荷しました。体重は76キロ。おかげで、結構いい値段で売れました。成牛の肉は相変わらず価格が低迷していますが、子牛については回復基調にあるようです。
 わが家で子牛を育てる担当は父。初乳や粉ミルクをどれくらい飲ませたらいいか、独自のエサ設計をしていて、大きく育てるのがとても上手です。きょう、出荷した子牛については、大きくしただけでなく、ペットのように飼いならしました。
 この間のこと、「とうちゃん、ちょっと来て見れ」と父が大きな声で呼ぶので、行って見たらびっくりしました。父が「ホイッ」と子牛に声をかけると、前足の2本を上げて立とうとするのです。こういうのは初めてでした。
 もう1つはハガキです。昨日、町政レポートの1100号を発行し、臨時議会の様子を書いたのですが、私の討論内容に感動したというハガキをいただきました。差出人は、私と所属政党は違いますが、市町村合併の動きに憤りを感じておられる方です。
 小さな町ですので1500部を一般紙に折り込めば、ほぼ全世帯に届けられます。折り込んでから1日以内に反響がある場合は、その町政レポートは及第点。前回の「デイ・サービスあじさいの家の改修整備は急務」に続いて、こうした反響があるのはとてもありがたいこと、元気が出てきます。
 きょうは会議などの予定もなく、自分の時間がとれました。この時間を利用して、「私の好きな風景」のページに「ラジオ体操」など3つの写真エッセイを載せました。ご覧ください。


2003年08月19日

トラブル続発

 今朝も強い雨。これで3日連続です。
 昨日の場合は、牛舎周辺で水が多くなって心配させられましたが、今朝は牛舎内部で水騒ぎをしました。朝5時ころ、外へ出ますと、牛舎の中からシューッ、シューッというかなり大きな音が聞こえてきます。
 牛舎へ入ってみると、案の定、ウオーターカップが壊れて水が飛び出していました。わが家の場合、牛のエサをくれる場所は5頭ごとに細長い槽になっているのですが、そこは水でいっぱい。低いところ、低いところへとめざす水は飼槽から牛床、後ろの糞尿溝、さらには通路へとこぼれでていました。
 とにかくウオーターカップを直さなければなりません。水道の元栓を締め、ウオーターカップを分解、部品のチェック、ごみの除去を行い、約20分かけて修理しました。その後は、飼槽内の水をくみ上げ、掃除。水でびしょ濡れとなった牧草やワラも片付けました。
 水はどうも数時間前からこぼれていたようです。牛舎内の掃除を終えてから、尿溜めを確認したら、ここも満杯になっていました。これほどひどくなる前に教えてくれればいいのに…。牛たちは、牛舎内でお産があったり、脱走した牛が辺りをさまよったりしている場合は、全頭が鳴き声をあげ、教えてくれます。ところが水のトラブルの場合は、不思議なことにまったく知らん顔をしているのですから、困ります。
 牛舎内の糞尿溝に溜まった水をなくすためには、とりあえず尿溜めの満水状態に手を打たなければなりません。ところが用意したギヤーポンプが、これまた故障、ほとんど使い物にならないものですから、まいりました。
 こうして朝の搾乳前に大仕事をさせられ、それだけで1日分の仕事をしたような疲れを感じました。考えてみれば、いま使っている牛舎は建ててからもう20年を過ぎています。建物も、いろんな機械もガタがきている。これからはトラブルは日常化するかもしれません。
 きょうは午前に農業委員会の現地調査がありました。非農地証明申請地の現地を見て、現状はどうなっているか、農地以外の地目になっている状況は止むを得なかったのか、などを調査しました。同行した人たちと、「合併して範囲が広くなれば、こういった調査もまともにできなくなるね」と話し合いました。農業委員会の合併問題もじわりと浸透してきています。
 午後はお盆前から依頼されていた選挙ポスター作成。パソコンで選挙ポスターを作るのは、昨秋の自分の選挙を含め、これで3回目。少しずつ上手になってきました。問題は、パソコンの技術よりも美術的なセンスの無さです。先日も妻とデイトをした時に、白っぽい服装に真っ黒な靴を履いていたら、「もう少し何とかならないの」と言われてしまいました。長年かけて培ってきたわが「センス」、何とかなるわけないじゃないか。


2003年08月18日

牛の「葬式」

 昨晩から今朝にかけてかなり強い雨が降りました。搾乳前に降雨状況を確認するため外を回ってみたら、牛舎脇の側溝から水があふれだし、堆肥舎周辺の水位がゆっくりと上昇しつつあります。たぶん、吉川の水位が上がり、水がはけなくなってきていたのでしょう。
 昨日から降り続いた雨は今年一番の降水量でした。台風が近くに来ても、たいしたことがなかったのに、こんな時に大雨とは、稲作農家泣かせです。わが家から町役場までの田んぼでも、酒米の五百万石が寝始めているところがありました。
 これから収穫期までの雨は、倒伏によって減収になるだけでなく、刈り取りそのものを難儀なものにする可能性が大きく、農家に嫌われます。役場である農家の人に会ったら、「今年は大型の機械は無理なんではないか。こんなに雨が降るんであれば、もっと田んぼを乾かしておけばよかった」とぼやいておられました。
 さて、きょうの一番の仕事は牛の「葬式」でした。15日の夕方に死亡した牛は、お盆の最中であったので処理業者に引き取ってもらえず、きょうまで延び延びになっていました。普通の夏なら、暑さで腐乱状態になり、悪臭が漂うはずでした。冷夏のおかげもあって、死廃牛の体はあまり痛んでいませんでした。
 いつもより少し早めに朝の搾乳をすませ、中之島町にある処理業者に連絡。幸い、朝一番に取りに来てくれるとのこと、これなら午前10時ころまでにはすべてが終わると安心しました。
 業者のトラックは、9時半過ぎに到着しました。直ちに、ユニックで牛をつりあげる作業に入りました。車を横付けできる位置に死廃牛をおいていたので、トラックに乗せるまでわずか5分、「葬式」はあっという間に終わりました。人間とちがって弔辞も電報も無し。車に乗せ終わったときに手を合わせるだけの「葬式」です。処理料金は2万5千円でした。


2003年08月17日

合併談義

 朝から一日中雨が降りました。昨日のようなからっとした天気を味わった翌日に、こうした天気がやってくると、何日も連続して雨が続いた時と同じ気持ちになります。早くやんでくれと。
 午前は浦川原村で民報の配布。吉川町と接している山間部の集落を約2時間ほどかけて配りました。
 雨の中での配布活動は、チラシが濡れないかと気を使います。たまたま、車の中にナイロン製のファイルがあったので、それにチラシをはさんで持ち歩くと、配りやすいことが分かりました。この方法は、ナイロン製の買い物袋に入れるよりも便利ですので、みんなに紹介しようと思います。
 午後は、最初に、あるご家庭を訪ねました。お盆前に、「橋爪さんと話をしたいことがたくさんあるんですけど…」と言われ、「臨時議会が終わったらおじゃまします」と約束していたのです。
 ちょうど、里帰り中の人もおられ、ふるさと吉川町のことが話題になりました。中心は、市町村合併です。
 「吉川町が上越市などと合併して何かいいことあるんかね。どう考えたって、
  過疎が進むよ。そう思わんかね」
 「そう、思いますよ」
 「吉川町から議員は一人になるんだって?」
 「いや、まだ正式に決まったわけではありません。ただ、これまでの協議から
  いうと、定数特例でそうなる可能性が大きいです」
 「とにかく、一人ってのは、いけないね。どうしても一人だというなら、支所長
  に強力な権限を持たせ、議員と一体となって吉川町を守るべきだと思うな」
 「確かに、このままではいけないという声も出てきています」
 「そうでしょう、住民投票やればいいんですよ」
 
 自民党籍があるというこの人は、なかなか面白い人で、選挙では予想が外れたことがないと言うほどの選挙好き。吉川町出身の人が、合併の動きをこのように心配していてくれる、とてもうれしく思います。
 続いてある商工業者の方のところを訪ねました。たまにはお茶を飲んだら、とすすめられ、いただいたのですが、ここでも合併のことが話題になりました。
 「俺はね、吉川単独では駄目だと思っているけど、上越市などと大合併したら
  商工業が台無しになるよ」
 「そうだと思いますよ。役場がなくなるというのは大きいですよ。この町の町内
  純生産額は約85億ですが、町の一般会計だけで約35億ぐらいあります
  からね。影響はちっちゃくないです」
 「問題は支所だね、ここがどれだけ権限を持つか、どれだけの機能をもつ
  か」
 「この間も、議会でその話をしたんです。町長は一定の予算を持った支所
  をというんだけれど、どれくらいの予算を持つべきだと考えているかって…」
 「20億ぐらいは欲しいわね。そうそう、おまん、これまでチラシに書いてきた
  ことまとめて配らんかね、金かかるだろうけど」
 「これまでのものをまとめた形になるかどうかは決めてないんですけど、合併
  によってどうなるか、合併しなかったらどうなるか、分かりやすい文書を
  作って配布したいと考えています」
 マスコミで法定協の参加をめぐる議会の取り組みなどが紹介されたせいか、合併問題への関心が急速に高まりつつあるようです。こうした高まりに対応させ、日本共産党の活動もヴァージョンアップさせていかねばなりません。


2003年08月16日

同級生

 16日になって、やっとお盆休みらしい一日を過ごすことができました。一昨日、東京で働いているヒサシ君とメールをやり取りし、同級生で一緒に遊ぶという約束をしていましたので、トラオ君をさそって3人で尾神岳のパラグライダー基地周辺でぶらぶらしてきました。
 きょうは快晴で、遠くの海や県境の山々を望むことができる幸運に恵まれました。先日、顕法寺城址で、「吉川町からも佐渡島を見ることができる」ことを知りましたので、パラグライダー基地から米山方向を見ると、見えました、見えました、佐渡島が…。島の大部分は米山に隠れてしまいますが、小木町になるんでしょうか、島の一角がはっきり確認できました。
 3人で尾神岳からの眺望をゆっくり味わいながら、おしゃべりを楽しみました。同級生情報を交換したり、昔話をしたりしたのですが、一番の話題になったのは海です。
 「分校へ通っていたころ、分校の近くから海が見えたよね。あのころ、海が
  はるか遠くにある感じがしたこて」
 「そう、そう、遠かったよな。この世の果てがあの水平線の向こうにあるような
  気がした。その海へなかなか行けなくて、いつかあの海に行ってみたい
  という思いを抱いていたね」
 「おらたりにも城山と呼ぶ山があってさ、そこから海が見えた。行きたかった
  よね」
 いまなら、車を30分も走らせれば海まで行くことが可能ですが、私たちの子ども時代は貧しかったですね。バスに乗ることだってめったになかったし、親に海へ連れて行ってもらうことが「許されない贅沢」だという自覚がありました。乗り物に乗らずに、歩いた場合、ものすごい時間がかかる。そう思っていましたから、海はあこがれてはいたけれど、遠い存在だったのです。
 パラグライダーの基地から展望台へ向いました。年齢的には50代に突入しているにもかかわらず、歩いているうちに3人は、完全に「子ども」に戻ってしまいました。エゾゼミが遊歩道周辺の木々の中ではげしく鳴いています。子どものころ食べた木の実もある。自然と歩くスピードがゆっくりになります。私たちは耳を澄まし、目を輝かせて、あたりを観察しはじめていました。
 「いたぞ、いた」。最初にエゾゼミの姿を発見したのはヒサシ君でした。トラオ君も私もそっと近づき、さがしました。
 「どこ?」
 「おう、あれか」
 50代の「子どもたち」はもう夢中です。次々とセミを見つけると、3人で確認しました。そうこうしているうちに、偶然、飛んできたセミを私が右手でキャッチ、「ホーセはすごいなあ」とほめてもらいました。こうなったら止まりません。遊歩道の空間をスーッと飛んでいくオニヤンマを捕まえようと必死になりました。
 展望台からの眺めは、まさに絶景でした。妙高、火打、焼山から信州との県境の山々、トッキン山、黒姫山、さらには柏崎の山々まで見えました。展望台周辺の雑木林は、すでに葉の色を変えはじめているものもあり、名前は分かりませんが、赤い実をつけた木やナナカマドの実が目立ちました。
 「子どもたち」は、展望台から尾神岳の頂上へと歩くことにしました。ヤマブドウを見つけると、まだ緑色の実を口に入れ「ああ、すっぺ」。ミヤマツの木もありました。
 「ミヤマツの木は、昔の場所にまだあるかねえ」
 「ねえだろう、でも、別の場所にあると思うよ」
 じつは、地元に住んでいながら私は、尾神岳は、展望台までしか登ったことがなく、頂上を目指すのは今回が初めてでした。途中で、キンミズヒキツリガネニンジンなど夏に咲く野の花に出会いました。興奮したのは、薄紫色の大きな花を見つけたときです。ソバナです。まさか、尾神岳の遊歩道でソバナに会えるとは思いませんでした。花自体は知人の家の庭で見せてもらったことがありましたが、野に咲くものを見たのは、それこそ初めてだったのです。
 頂上へと続く道はよく整備されていて、とても歩きやすいので感心しました。途中からはブナ林になり、森林浴もできます。展望台から20分くらい歩いたでしょうか、北側の雑木がなくなり、パッと明るくなる場所にでました。そこが尾神岳の頂上でした。頂上からは米山の姿がとても美しく見えました。7月から供用開始したばかりの柿崎川ダムも見えます。黒岩集落の家々の屋根が赤く塗られていて、頂上から見られることを意識しているようにも見えます。なかなか似合います。
 3人は、その後、スカイトピア遊ランド(電話025-547ー2221。元の源小学校水源分校を改築した宿泊施設)で昼食をとり、また、おしゃべり。歩いて楽しんだ、いろいろなことを思い出し、「こんなに、いいところがあるなんて、うれしくなるよね、ほんとに」と気持ちが一致しました。そして最後は、やはり市町村合併の話になりました。この町は、絶対なくしたくねえ。


2003年08月15日

欠陥規約

 合併臨時議会最終日。討論原稿を書くのに朝2時過ぎまでかかったのですが、不思議なものですね、緊張感というものは。まだ、議会が始まるまで7時間あまりあるというのに、眠気がさすどころか、頭がさえてくるのですから。
 朝の搾乳をいつもより30分ほど早く済ませ、役場へは会議開始時間の45分前に着きました。すでに市町村合併問題特別委員長の吉村さんが着いておられましたから、私は先着2番目でした。吉村さんの場合は、きょうの会議をとりしきる緊張感、私の場合は、質問する側としての緊張感があったのだと思います。
 きょうは、最初に特別委員会審議、それから本会議審議へと続きます。特別委員会では、冒頭、「激励」電話事件に関する上越市長への申し入れについて八木議長が報告、その後、審議に移りました。
 ここでは、合併した場合、支所が具体的にどうなるか、地域経済がどうなるかに重点を置いて質問をおこないました。財政シミュレーションなどで、合併協議会準備会事務局が全体的な職員削減数値を示していましたので、それに照らして支所の職員規模がどうなるか。支所機能についてどうあるべきだと考えているか。町役場がある場合、ない場合の町経済について質問しました。
 町側の答弁にはまったく具体性なし。合併した場合、吉川の支所にどれくらいの職員が配置されるかも、町経済に深刻な影響を与えないためには、少なくてもどれくらい、支所が予算をもっているべきかについても数値的なことはいっさい明らかにしませんでした。
 さて本会議、合併協議会設置についての審議が午前11時15分から行われました。私は、合併の理由、住民サービス、まちづくり基本条例と町民意思の確認、合併協議会規約などについてとりあげました。
 ここでの質問の重点を合併協議会規約にしぼりました。規約は合併協議会設置議案と一体不可分のものですが、合併協議会準備会の経験から規約がどうあるべきなのか、いくつか思うところがあったのです。特に、役員として、会長、副会長、監事を置くものの、役員会を設置する規約になっていないことを問題にしました。
 合併協議会の規約は、準備会の規約がベースになっています。準備会の全体会議では、会議が暗礁に乗り上げた時に事態をどう打開するか検討する機関がないために混乱する場面が2度ほどありました。準備会の広報紙の内容についてもめた時と新市の名称論議が沸騰した時でした。
 全体会議をやる場合、事前に会長、副会長がしっかり打ち合わせをして会議にのぞむ。会議が混乱した時や、政治的な判断が求められる時に直ちに会長、副会長が会議を開き、対応策を協議する。準備会の段階では、規約上、役員会がなかったために、この当たり前のことがキチンとやられていませんでした。それどころか、副会長が会長に質問してみたり、統一見解が求められている時にバラバラの発言をするといった事態があったのです。
 合併協議会規約に役員会設置の規定があるかないかは、人間の体で言えば、心臓がまともに動くかどうかにかかわる大きな問題です。ところが町長答弁は、準備会で運営上問題があったことを認めながらも、関係首長会議でも、よその議会でも役員会設置が問題にならなかったので、規約を直すことは考えていない、というものでした。このまま、合併協議会を立ち上げていけば、遅くない時期に必ず、役員会設置がない欠陥が浮き彫りになることでしょう。
 討論は、私の他に3人が立ち、その後、記名投票を行いました。結果は、当初の予想通り、反対が私だけで1、賛成は14でした。
 臨時議会が終わったら、疲れがじわりと出てきました。それを加速したのが、夕方の搾乳前のできごとです。牛舎の管理棟で休んでいたところ、父がやってきて、「とうちゃん、牛死んだでや」と言うのです。急いで牛舎へ行ってみると、この間から体調をくずしていた牛がえさ箱に首を投げ、横たわっていました。
 獣医さんや共済組合と連絡をとった後、死んだ牛を牛舎の外の涼しいところに運び出しました。お盆休みの最中ですから、死廃牛を処理してくれる会社も休み、3日間ほど、そのままにするしかありません。トラクターで牛を運び出した時、牛舎内にいた牛たちがいっせいに鳴きました。仲間の牛が死んだことがわかったのでしょう。
 ああ、疲れた…。
 


2003年08月14日

成人式

 夏はどうした、夏は。ある週刊誌を見ていたら、こんな文章が目に入ってきました。きょうは、まさに、「夏はどうした、夏は」といいたくなるほど涼しい日となりました。おそらく最高気温も25度までいかなかったのではないでしょうか。
 午前は、昨日に続いて盆礼で親戚まわり。とは言っても、時間の関係で、妻の実家へ行ってくるだけで精一杯。義父に「なんだ、もう帰るのか」といわれるほど、短時間の訪問となりました。
 妻の実家へ行くとき、車の窓を少し開けるだけで、冷房効果十分。それほど気温が下がったのですね。途中、笠島、鯨波などの海水浴場を通過しましたが、お客はさっぱりで、いつもの渋滞は全くと言ってよいほどおきていませんでした。
 午後2時から町の成人式がありました。今年の新成人は73人。例年、浴衣姿が4、5人あるのですが、やはり、この涼しさの影響でしょう、今年は一人だけでした。夏の成人式は、服装が多彩で、気楽に参加できる雰囲気があっていいですね。
 式そのものは、よその自治体と同じく、約30分でおわりました。ここ数年、定着しつつあるのが来賓者全員による一言ずつのお祝いの言葉。今年は、事前に準備してきた人が多く、個性あふれる言葉が続きました。
 トップバッターは教育委員長さん。21世紀の人口問題に触れ、「人口が減っていくのは日本だけ、ぜひみなさんからがんばっていただきたい」と、子づくりのすすめとも受け止められる発言で会場の緊張した雰囲気をやわらげてくださいました。
 次は議会の副議長。私よりも髪が薄くなっている副議長が、「みなさんはとても若々しく輝いて見えます。私も輝いています」と述べると、笑いがドッとおきました。
 このほかの発言は、
 「人がつくったレールに乗るのではなく、人間らしさを追求して」
 「自分を大切にするとともに、他人をおもいやる心を持ってください」
 「どんなに苦しいことがあっても、生きることを忘れないように」
 「帰ってくる場所があるのは幸せ。いつまでも自分が生まれたところを
  大切に」
 「私たちの生活を守るためにもたくさんの子どもを持ってください」
などでした。
 私のお祝いの言葉は、
 「カラオケに行った時に、私が必ず歌う歌は(森田公一の)『青春時代』。
  青春時代は、みなさんの年頃から死ぬまでが青春時代だと思っています。
  どんな出会いがあるか、いつもワクワクしながら生きています。ともに、
  がんばりましょう」
でした。事前に準備していた話は、「花は色、人はこころ」だったのですが、教育委員長さんと副議長の話を聞いて、すぐ変更しました。何でこういう話をしたのか、自分でもよく分かりません。なんでだろう、なんでだろう…。


2003年08月13日

本当の激励電話

 朝の搾乳前にメールチェックをしていたら電話が鳴りました。こんなに早くから誰だろうと、受話器に表示される電話番号をみましたが分かりません。まあ、いいかと思い、電話にでると、東頸城郡のある住民の方からでした。
 「今朝の新聞に載っていましたね、あなたがたの議会のことが…」
 「そうですか、私、まだ読んでいないんです。そういえば、昨日、新潟日報の
  記者が取材に来ていましたから、日報ですか」
 「そうです、日報です。あなた方の議会が上越市長のところへ抗議に
  出かけたと、大きく載ってますよ」
 「まあ、抗議というところまではいきませんでしたけど…」
 「いや、私ら、この記事見てね、何か胸がすく思いがしました。がんばって
  ください」
 こういう電話ならいつでも歓迎です。対等だの、平等だのと、口では言いながら、上越市中心の編入合併の動きになっていることを懸念し、何とかしてほしいと願っている人たちがいる。そのことを知って、とてもうれしくなりました。
 新潟日報の朝刊の4面には、
 「合併進行状況問い合わせ 『慎重に』 吉川町議会 上越市長へ要請」
 という見出しで、昨日の特別委員会での私と町長のやりとり、市長への要請内容などについて書かれていました。上越市長の「激励」電話問題は、新潟日報のほか、上越タイムス、朝日新聞などにも掲載されました。
 きょうは、もうお盆。合併問題で連日動き回っているせいか、お盆入りの実感はまったくありません。それでも、親戚への挨拶回り、お墓参りだけはしないわけにはいきませんので、時間を気にしながら動きました。
 親戚の仏壇で手を合わせていたら、隣の部屋からチユおばあちゃんの声がします。「誰だね、誰?」というので、「おれだがね、ノリカズ…」と答えながら部屋に入れてもらいました。
 90歳を超えたチユおばあちゃんは、最初、私が誰だか分からなかったようですが、分かってからは、次々と話をしてくれました。1年に1回、多くて2回ぐらいしか会いませんので、話したいことがいっぱいたまっていたのでしょう、どんどん話が出てきます。
 「おれは、いつ死んでもいいがだでも、生きているうちは、かちゃの世話に
  ならなきゃならないが。かちゃがいなけりゃ、おれは、一日も生きて
  いかんね」
 「デイ・サービスには1週間に1度世話になっているがさね。いろんな人に
  会えるすけ、うれしい。そんだでも、おまさん(お前さん)もご苦労さんだね」
 「子どもも孫もおれのとこ来てくれるすけ、ありがたいわね。いっぱい話
  できるしね。この間もモトコが来たし、オサムも来た」
 「篤さんちのばちゃは、達者だね、おらと同じぐれなのに、まだ畑の草取り
  してなるそうだ。家のまわりには草一本はえてねえてがだねかね」
 叔母とチユおばあちゃんと3人で、お茶を飲みながら思いました。お盆というのは、先祖と交流する期間だけれども、先祖が音頭をとって日ごろなかなか会えない人同士が会い、話をさせてくれているんではないかと。


2003年08月12日

「激励」電話

 昨日、遅くなってから、とんでもないことが起きていることが判明しました。今回の編入合併で編入する側の木浦正幸上越市長が大潟町長に、議会での(法定)合併協議会の設置議案の可決を急ぐよう電話したというのです。日頃から、「今回の合併は編入合併ですが、新設合併の精神で、対等・平等に協議をしていきます」と言ってきた人がこういうことをやるのですから、あきれてしまいます。
 大潟町議会は、当初、昨日の午前だけで審議を終了し、採決する予定でした。それが14日まで延び、12日に採決予定の上越市議会より遅くなる。そのことに苛(いら)立ったのでしょうかね。どうあれ、こういう時に、よその議会の審議促進に言及するのは、明らかに自治権の侵害です。
 大潟町の情報を耳にした時、私の頭の中でポッと浮かんだことがあります。それは、昨日、上越市議会の審議を傍聴後、エレベーターで下りようとした時のことでした。近くにいた上越市の幹部の一人が声をかけてきました。
 「橋爪さん、もう(臨時会が)終わったの?」
 「まだですよ。うちは15日までです」
 「本当に15日になるの?」
 「なりますよ」
 「ええっ!」
 このやりとりが終わるか終わらないうちに、その幹部が階段をかけあがっていったのです。それが思い出されたのです。
 ひょっとしたら、うちの町にも電話がきているのではないか、そう思った私は、朝のうちに町の幹部に確認しました。いやはや、驚きましたね、吉川町にも上越市から働きかけがあったのです。それだけではありません、頸城村にも、柿崎町にも電話がいっていたことが、上越市議会の審議で明らかになりました。
 きょうの議会は市町村合併に関する調査特別委員会、午後2時からでした。審議に入ってすぐ手をあげました。
 「昨日、たいへん残念な事態がおきました。上越市役所側が、当町にたいして(法定)合併協議会の設置議案の審議を急ぐようにとも受け止められる電話をかけてきましたね。いつ、だれが、どんな内容の電話をしてきたのか。また、それをどう受け止め、どう対応したのか、お答えいただきたい」
 これにたいして町長が答弁に立ちました。
 「昨日、上越市の合併推進課から企画課長に電話がありました。できるだけ早めにというお願いがあったそうです。他町村のことなのに…、と憤慨しました」
 事実は委員会本会議の場で確認されました。それで、議長に私の方から提案しました。「こうなったら、上越市に抗議すべきだと考えますが、いかがですか」。これにたいして「代表者会議で検討します」と議長が答え、委員会審議を中断することになりました。
 代表者会議では、「文書で抗議をすべきだ」「向こうがどう言ったのかも確認する必要がある」などいろんな声がでました。また、断続的に各派の会議も開かれ、議会としての対応が決まるまで約2時間かかりました。
 最終的にまとまったのは、こちらから上越市長のところへいって事実確認をし、真意を確かめ、今後二度とこういうことのないように口頭で申し入れる、でした。そして委員会のきょうの審議はここでやめ、当議会を代表して議長、副議長、そして私が上越市役所に出向くことになりました。
 上越市議会ではちょうど合併議案の討論が行われている真っ最中でした。本会議が終わるのを待って、木浦市長、高橋企画部長に会いました。議会全員協議会があるというので時間はわずか10分しかとれませんでしたが、議長だけでなく、副議長と私も話をさせてもらいました。
 市長は大潟町などへ電話を入れたことを認めましたが、「町村長さんたちとは、日ごろから綿密に連絡を取り合っています。電話はそういう中でのもので、激励の電話です」と言いました。私から、「合併協議会の審議をするこの時期に電話をすることがどういうことなのか考えていただきたい」と言うと、「私も議員(新潟県議)をやったことがありますから分かります」とも。そのうち、市長秘書とおぼしき人が「市長、全員協議会が始まりますので…」と声をかけてきました。
 最後に、「ともかく慎重にお願いします」と申し入れて終わりましたが、合併特例法にもとづく合併は、市町村の自主合併です。市町村が合併するか、しないかを自らの判断で決定する、これを最大限尊重する事が大事であることを、上越地域法定合併協議会準備会の会長を兼ねている上越市長から自覚してもらわないと、この先、大変です。
 きょうは、隣の頸城村で合併関連議案の審議、採決が行われ、15対1の賛成多数で可決。同じく隣の柿崎町も18対1の賛成多数で可決。上越市議会は、賛成24、反対2で可決でした。当町の議会は、13日、14日は休会、15日に審議再開です。


2003年08月11日

臨時議会初日

 暑さと低温の入れ替わりをくりかえす中で体調をくずす牛が数頭出ています。ここ1ヶ月くらいの生産乳量は1日あたり約250キロですが、この影響で1割ほどダウンしました。どんな天候になろうが、それに耐えうる健康な牛づくりをする。その基本をしっかりとやらずに、牛たちに仕事をさせてきた「しっぺいがえし」かもしれません。
 きょうから臨時議会が始まりました。議案は、(法定)合併協議会の設置についてと関連予算を盛り込んだ一般会計補正予算です。町の将来がかかった内容を審議するのですから、町議会史に残る重要な臨時議会となります。
 8日付けの「見てある記」で、「結局、招集日当日に(提案理由の説明を文書化したものを)配布することになりそうなのですが、そうならば、1日目は、提案理由の説明をやったら、それでお休みにして、質問などの準備時間を議員に保障すべきです」と書きましたね。初日はこのとおりになりました。提案理由の説明の文書は議場の各議員の机の上に配られていて、提案にあたって、町長がこれを読み上げました。きょうは、その後、議会運営委員会で審議方法を確認しただけで、終わりです。
 それぞれの自治体の歴史に残る議案の審議にあたっては、事前に提案理由の説明を文書で配布しておき、質問準備の時間も保障する。この当たり前のことを実現できたことをうれしく思います。
 午前11時ころには議会が終わったので、吉川町と同じ日に臨時議会を開催している大潟町議会をたずねてみました。そうしたら、大潟町議会でも同じことがとりあげられ、問題となっていました。町側が、提案理由の説明にあたって、それを書いた文書を配らなかったことに反発の声があがっていたのです。結局、大潟町では、当初の予定を変更して14日まで会期を延長して、「提案理由をまとめた文書」を町側が議会に示し、審議を続けることになったということです。
 午後から、上越市議会を1時間ほど傍聴してきました。ここでは1週間ほど前に「合併協議会設置についての提案理由の説明の要旨」(実際は全文)が全議員に配布されていて、この日は総括質疑が行われていました。
 審議の様子はそれぞれの議会によってちがっていいのですが、驚いたのは、答弁風景です。議員が再質問をしているときに、課長や部長などがメモを書き、市長の手元に何枚も重ねられるのです。市長はこのメモの束を持って登壇し、答えていました。私の目には、市長がこのメモの束を消化しきれずに答弁しているように見えました。市長はもっと自分の言葉で、のびのびと答えてもいいのではないか、そう思います。
 メモといえば、私も上越市議会でのやりとりをメモしてきました。上越地域法定合併協議会準備会の会長である市長の答弁には、参考になることがいくつもありました。これらは、今回の臨時議会での私の質問に大いに役立つはず、いい質問準備ができました。


2003年08月10日

日曜日

 まさに台風一過、青い空とやかましいほどのセミの大合唱が戻ってきました。今年は日照不足と低温で、10年前のような冷害騒ぎになるのではないかという声も出はじめていましたが、これから暑い日が続けば、稲の作況もよくなっていくことと思います。
 さて、きょうは日曜日。日曜日くらいは自分の思うように過ごしたいと思っていますが、このところ、週末に会議やイベントがあり、なかなか自分の自由時間がとれません。私の場合、日曜日に休んで気分転換しておかないと次の週は駄目、どうしても元気エネルギーが底をついてします。
 そんなわけで、上越市での生活相談を終えてから、回り道をして、町内にある林道町田・道之下線をゆっくりと走ってきました。もちろん、車です。ねらいは野の花と林道からの眺望です。
 林道へ入ってまもなく、道端に白い花がいくつも咲いています。ヒヨドリバナの遅咲きかと思ったら、オトコエシです。秋の花が次々と咲き始めているんですね。
 ところで、前々からぜひ見たいと思っている花が1つあるのです。名前はクルマバハグマ。葉が丸く輪になっていて、強烈な個性を感じさせ、もうふた月ほど前から観察を続けています。花のつぼみができてからが長く、なかなか花の姿を見せてくれませんが、どうやら来週には開花を迎えそう。とても楽しみです。
 昨日の風と夜中に降った雨で大気の汚れが吹き飛んだのでしょうね、眺めの方も予想したとおり、とてもいい。遠く上越市の海を見たら、めったに見られない景色です。それで、久々に、顕法寺城址に登ってみることにしました。
 顕法寺城址は、海抜182メートルしかないにもかかわらず、とても高さを感じます。海は青く、船が動いているのもわかります。船だけではありません、遠くに見えたのは。初めて気がつきましたけれども、吉川町からも佐渡島が見えるんです。これには驚きました。この眺望は、「私の好きな風景」に加えなければ…。
 昼ごはんを食べてからは、チラシの作成、そして明日の質問準備をしました。「1時間ほどの元気エネルギーの補給」のおかげで気分よく仕事ができました。


2003年08月09日

台風被害なし

 朝5時前、牛舎へ行って温度計を見たら28度もありました。台風によるフェーン現象が起きたのでしょう、この夏では最も暑い夜でした。昨日から台風被害が報道されていますが、被災された皆さんには心からお見舞い申し上げます。
 私は午前から午後1時過ぎまで、しんぶん赤旗日曜版の配達・集金。台風で荒れ模様の天気にならないうちに配達だけでも終了させたい、そう思って車を走らせました。時たま、強い風が吹きましたが、雨はパラパラ、心配したような悪天候にならず助かりました。
 2時ころ、台風は暴風圏がなくなり北上中、とテレビで見て安心しました。四国や関西のような雨が降り、風が吹いたらどうなるか、吉川が氾濫しないか、これまでたびたび大騒ぎしているだけに不安でした。町内では、ちょうど、コシヒカリの花が咲き始めたばかり。稲作農家も台風被害の心配がなくなって、喜んでいることと思います。
 昼ご飯を食べてから浦川原へ。来月2日告示の村議選を前にした支援です。候補者の杉田昭一さんは、2期目をめざして奮闘中。訥弁ですが、決して威張らない。頭は低く、まじめにコツコツと村民のためを考えて行動する人です。
 この人間的な魅力と村民の心を捉える政策があれば勝利できると思いました。杉田さんと、それに元議員の宮川さんを交え、これまでの成果と今後の村政課題について話し合いました。子育てがんばろう条例制定にいたった経過、村内のすべての家庭に配布された災害危険箇所掲載の地図、市町村合併問題への対応などが話題になりました。
 3人で話し合った結論。村民アンケートで出されている要望を整理し、こうすれば実現できるという公約(案)にまとめ、まず村民の皆さんに示す。そして皆さんの意見を聞いて案を練り上げる。来週の前半には、公約がまとまりそうです。
 話し合いが終わって、普段着の杉田さんの姿をカメラのおさめました。本棚のところで撮ったのですが、すぐそばに掛けてあった色紙が目にとまりました。
 愛しきかも  雪げのみずにそよぎつつ  堅香子さきぬ  越乃春の香
 この歌は浦川原村出身のプロレタリア歌人、山田あきの作品です。雪国の春の情景がありありと目に浮かんできますね。
 


2003年08月08日

議会運営委員会

 台風が接近しつつある影響でしょうか、うだるような暑さの一日になりました。きょうから日曜版配達をするのですが、配達に使う車は暖房付、冷房なしの軽トラックですので、こんな日ほど切ない日はありません。タオルを片手に持って、流れ出る汗をぬぐいながら配達をしました。
 午後は議会運営委員会。11日に招集されている臨時議会の会期、審議方法、採決の方法などについて話し合いました。
 話し合いの結果、会期は11日から15日までの5日間。全議員で審議し、採決は記名投票とすることになりました。私の記憶では、2日以上かかる臨時議会はこれまでありませんでした。今回が初めてです。
 今回の臨時会は、法定合併協議会の設置という、町の将来に大きく係わる議案の審議が行われる議会です。私は、「今回の臨時会は普段の臨時会とは違った重大な議会だ。町長の提案理由の説明は事前に配布してもらいたい。それにもとづいて質問をしたい。質問や討論の準備時間もとってほしい」と主張しました。
 町長の提案理由の説明の事前配布については、議運委員長が町側に申し入れることになりました。ところが、町長の提案理由の説明はまだ完成しておらず、まだ手直しの必要があるとか。招集をしておきながら、提案理由の準備ができていないというのは信じられません。結局、招集日当日に配布することになりそうなのですが、そうならば、1日目は、提案理由の説明をやったら、それでお休みにして、質問などの準備時間を議員に保障すべきです。
 夜は北部農業集落排水処理組合の総代会。新役員も決まり、私は組合長をやめることになりました。組合長は実質的に4年間務めさせてもらいました。町内では最も遅くスタートした組合でありながら、当初の予定よりも早く、工事も終了し、供用開始となったのは関係者の協力のおかげでした。


2003年08月07日

法定協設置臨時議会の招集日決まる

 法定合併協議会の設置について議論する臨時会が11日に招集されることになりました。各地の町村議会臨時会の新聞報道を見ながら、今回の臨時会では厳格な姿勢で議案審議にのぞまなければとならない、と思っています。
 上越市議の杉本敏宏さんがメルマガで「市民から市町村合併についての意見を聞く会」(上越市議の有志が主催)の様子を伝えてくれました。参加した市民の関心は高く、出だされた意見は多彩でした。その中での市民の声がとても参考になります。
 ◎「市の説明会にも出たが、よく解らなかった。解らないから市民意向調査に回答しようがない」
 ◎「議員定数はどうなるのか。特例を使う理由は何か。財政にどの位貢献するのか」
 ◎「これ以上、子孫に借金を残したくない。合併して財政力は良くなるのか。16年間の財政試算では不足。20年間の見通しが必要だ」
 ◎「歳入が減るのであれば、歳出を減らす工夫が必要だ」「他町村の負債も背負うという情報提供を」
 ◎「中郷村には遠慮してもらったほうがいい」
 ◎「14市町村一気にではなく、段階的にできないのか」
 ◎「広くなってサービスはどうなるのか」
 ◎「行政や議会だけで決めるのは問題だ。住民投票を実施する必要がある」
 ◎「合併したら議員として責任がもてるのか」
 読みながら、自分が主催者の一人なら、これらの質問にどれだけ答えられるだろうかと思いました。これまで自分なりに町民の皆さんに情報提供をしてきたつもりだけれど、まだまだ不十分です。それだけに、上記の意見の最後の方の2つがいつまでも心に残りました。住民参加がきちんとやられていないなかで、議会で決めていいのか。議員として責任ある対応をしたのか…。
 午前は朝の搾乳後、役場で情報収集、午後は町政レポートを作成しました。そして夕方の搾乳がすんでから、新潟市へ行き、弁護士から生活相談についてアドバイスを受けてきました。暑くて忙しい一日でした。


2003年08月06日

携帯電話

 とうとう携帯電話を買うことになりました。買わされたと言った方が正確でしょうか。わが家の子どもたちに「携帯を持ってくれ」と強く要請され、しぶしぶ返事をしたのが数日前でした。そして、きょうは、子どもたちが私の携帯電話を買いに出かけたのです。
 もともと私は、携帯電話を持つことには抵抗がありました。いまより4000円くらい支出が増えることが第一の理由です。確かに便利だとは思いますが、現在ある普通の電話だけでも、そう不自由はしません。もう1つ、携帯も持っていれば、どこへ行っても追いかけられる、そうなれば、私の自由はなくなるというのが、これまで持たなかった理由です。
 ところが、1週間ほど前、わが家の子どもの一人が身の危険を感ずる事件に遭遇しました。その時、私を必死になって捜したそうなのですが、私と連絡をとれたのは数時間たってからでした。「じいちゃん、ばあちゃんだって、もしものことがあっても、連絡とれないよ。困るよ」。この訴えに返す言葉はありませんでした。
 きょうは、午後から板倉町で中頸城郡町村議長会主催の研修会があり、参加してきました。国の生産調整研究会の委員をやっていた新潟県農林水産部の三浦技監から、新しく政府・農林水産省が打ち出したコメ政策について、裏話を含め話していただきました。
 興味深い話がいくつもありましたが、ひっかかったのは、学校給食でのコメ利用について過小評価されていたこと、MS米が生産調整強化にあまり影響していないと言及されたことです。
 いまの学校の子どもたちは、パン食にならされた世代の子どもです。だからこそ、なおさら、学校給食でコメを食べることが、食生活でコメを定着させるために重要なのではないでしょうか。子ども時代の食の経験は将来の食生活を決定づけるという栄養学者の話を私は信じます。
 農業団体の情報では、外米の年間輸入量は77万トン(2001年)で、これは作付面積に換算すれば15万haにもなります。MS米が減反拡大につながっていないと見るのには無理があります。政府だって、WTO交渉でMS米の削減を主張しているのです。「MS米が減反面積に影響していない」ということを言ったら、交渉の前提がくずれることになると思うのですが、どうでしょう。
 研修会が終わってから、板倉町公民館の図書室を訪れました。どんな本がおいてあるのかなと眺めていたら、「ふるさと探訪」というコーナーがあり、そこに私の『幸せめっけた』がありました。貸し出しカードには4人の方の名前が書いてありました。よその町でもこんなに読まれているとは……。うれしいものですね。


2003年08月05日

『にいがた絶景との出会い』第3弾農村風景

 きょうは一転して雨。こんなふうに雨が降ってくれると牛飼い農家としては助かります。暑い日が続いて体調をくずしかけていた牛も、一息つくからです。雨で一時期、湿度が上がったものの、午後からは涼しさを感ずるようになりました。
 朝の搾乳が終わってから、病院へ行きました。じつは胃がん検診で要精密検査となり、10日ほど前に胃カメラをのみました。医師から「小さなふくらみがあります。たぶん大丈夫だとは思いますが、念のため、一部をとって検査に出すことにしました」と言われました。その時の生体検査の結果を聞きに行ったのです。
 結果は異常なし。正直言ってほっとしました。もし、手術でもするということになれば牛の世話をどうするか、しんぶん赤旗の配達は…などと次々と心配なことが頭に浮かんでいました。
 妻との会話もこのところ、健康に係わることが多くなりました。「あんたは、ご飯を2杯も食べて、そのうえビールも飲む。それじゃ、太るわよ。ビールを飲むんならご飯は1杯にしなさい」。もっともな話ですので反論はできません。そんなわけでここ2日間ほどビールは止めていました。でも、「異常なし」の結果を祝い、今晩は350cc入り缶ビールを1本いただきました。明日からはまた、ひかえたいと思います。いや、ひかえます。
 ビールで祝いをしたくなったのには、もう1つ理由がありました。待ち続けていた村上雲雄さんの写真集が送られてきたからです。病院から帰ってきて、郵便受けに冊子小包があるのを確認したら、じっとしていられません。お昼ご飯を食べるのも忘れて隅々まで見ました。
 今回の写真集は、『にいがた絶景との出会い』シリーズ第3弾、《農村風景》(新潟日報事業社刊・1800円)。この中には、尾神岳や棚田など吉川町の風景が8枚も入っていることが事前に分かっていましたので、どんな出来上がりになっているかとても楽しみにしていました。それに、私の書いた「私の好きな農村風景」という短い文も掲載していただきましたので、本の中でどんな感じになっているか気がかりでした。
 尾神岳の棚田風景は靄がかかっていましたが、写真集の中のものは、全体として晴天のときのものが多いだけに、自然な感じがして好感が持てました。気に入ったのは、尾神集落と高沢入集落の冬の風景です。雪をかぶった柿の木の風景がぐっと心に迫ってきます。子ども時代の雪の中で遊びまわった記憶とリンクするからでしょうか。
 村上雲雄写真集『にいがた絶景との出会い』シリーズ第3弾、《農村風景》は、私のところでも扱いますので、ご希望の方はご一報ください。
 『私の好きな農村風景』 橋爪法一
 私には、見た途端に胸が熱くなる農村風景がいくつかある。
 山村の丸木橋はその1つだ。小さな川に丸太の木を2、3本渡し、縄などでしばっただけの簡単な橋。橋としての姿が美しいとか、周りの景色とつりあっているということで惹かれるのではない。丸木橋を見ただけで子ども時代の暮らしが次々と浮かんでくるからだ。
 もう40年以上も前の話になるが、当時、農家の人たちはどんな山奥の田んぼでも沢から水を引き、場合によっては横井戸まで掘って大切に管理していた。わが家にも、釜平川(がまびろがわ)という川を渡ったところにそうした棚田が数枚あった。丸木橋はそこにかかっていた。春から秋までの田んぼや畑の仕事では必ず渡った。それだけではない。山菜採り、山芋掘り、さらにはアケビ採りなど子どもも大人もみんなが使う大切な橋だった。だから、橋は、地域の人たちがみんなでつくり、みんなで守っていた。
 1年の間に何十回も渡っていた丸木橋なのだが、渡る時はいつも緊張した。特に忘れることができないのは、雨が降った後に堆肥や刈り取った稲を背負って渡る時のことだ。川の流れを見てはいけない。「オレは男だ。怖くなんかない」と自分に暗示をかけ、前を見て渡った。緊張からつま先に力が入った。渡りおえた時の安堵感はいまでも鮮明に覚えている。
 野の花風景もたまらなくいい。不思議なことに50歳になる頃から、ゆっくりしたテンポの暮らしを意識するようになった。それと同時に、歩くスピードでしか見えない小さな花などが見え始めてきた。
 私の大好きな絵本の1つに、斎藤隆介の『花さき山』がある。赤や黄色、水色などの花がひとつひとつ咲き、山全体が花いっぱいになる場面が出てくるが、美しい花はどうして咲くのか、その答えを私はこの本から教えてもらった。
 人間、やさしいことをすれば花が咲く。つらいことをしんぼうして、自分のことよりも他人のことを想ってがんばると、そのやさしさと、けなげさが花になって咲き出す。辛く苦しい時、この絵本によってどれだけ励まされたことか。
 その『花さき山』が自分の生れ育ったふるさとにもあると確信を持ったのは、カタクリ、キクザキイチゲ、オオバキスミレの群落を見た時だ。野の花は、ひとつポツンと咲くものもいいが、みんなの中で、みんなとのつながりの中で咲いてこそ美しさを増す。人間の社会だって同じではないだろうか。私の子ども時代の暮らしのように、みんなが地域の人のことを心配し、助け合う。そんな光景が農村のあちこちで見られる社会をつくりたい。


2003年08月04日

猛暑来襲

 じりじりした暑さがやってきました。やはり35度を超える暑さはちがいます。牛たちのなかには体全体で息をしているものもでてきました。人間様は朝から夜までずっとクーラーをつけっぱなし。それでいながら、「きょうは暑さが強烈でした」なんて書こうというのですから、わがままというか、ぜいたくというか…。
 一ヶ月ほど前になりましょうか、上越市出身で現在東京在住の絵本作家・川端治さんと上越市は寺町在住の児童文学者・杉みき子さんの対談を聞く機会がありました。この時、川端さんが、「私のところでは電気の契約は15アンペアーでやっていますよ。いま、電力不足だとかいって騒いでいますが、みんながこのくらいでやっていれば電力不足にならない」と語っておられたのを思い出しました。
 いまはほとんどの家庭で、電力に頼った暑さ対策をやっていますが、町内をまわってみると、様々な工夫をして涼しく暮らしている家が結構ありますね。家のまわりに木を植えてたくさんの木陰をつくる。ヨシを利用して日光の直射を避ける。窓や戸を開けて、家の中に風の通り道をつくる。こんな工夫をもっと真剣に追求すれば、電力消費量もずいぶん違うと思います。
 きょうは午前中は選挙向けチラシの作成、午後からは上越市で「合併協議会設置についての議案」にどう対応するかの勉強会でした。すでに提案理由を書いた文書が配布されている自治体もあり、とても参考になりました。あとは、自分の頭のなかで、どういう論戦をしていくか、しっかり準備すること、これしかありません。


2003年08月03日

200人の島のホームページ 

  前日同様、きょうも暑かったですね。牛舎内では大型扇風機をフル稼動させました。暑さと高い湿度に弱いのがホルスタインの特徴です。わずか2日間暑さが続いただけで3頭もの牛が濃厚飼料を食べず、ぼおーッとしています。
 朝の搾乳が終わってからいっときパソコンに向かいました。おとついの篠田伸夫講演で紹介された全国で一番小さな自治体、東京都青ヶ島村についてもう少し知りたいと思ったからです。「青ヶ島」で検索してびっくりしたのは、200人のこの島でもちゃんとしたホームページがあることでした。
 太平洋上に浮かぶ東西3キロ、南北2キロの小さな島。「21世紀の青ヶ島プラン」では、「小さいけれどまとまりのよい島、新しい桃源郷を、これまでの積み重ねの上に創造していきます」と宣言し、「やる気人口」を増やそうとしているのがとても気に入りました。いつか訪問してみたいと思います。
 妻に誘われ、午前10時過ぎから上越市へでかけました。ちょうど高田公園では「はす祭」の最中。まず、裏千家の茶会で煎茶をいただきました。夏にふさわしく、涼しさを意識した茶会で、冷たいお茶に、掛け軸、生け花が見事に調和していました。掛け軸は會津八一の書、「一声や 妙高かけて 燧山」。説明によれば、會津八一は一時期、板倉町の有恒高校にいたことがあり、その頃の書ではないかということでした。
 茶会から県展へ。南厚生会館等で開催中の県展では、写真と版画を中心に鑑賞してきました。写真は、やはり農村風景を撮ったものに目が行ってしまいます。はさ木を撮った写真に小さく写っていた犬と散歩をしている人の姿、朝もやの中でいくつもの表情をみせる田んぼ…。足を止めて、妻と感想を語り合うのも楽しいものです。
 そうそう、絵画の中に懐かしい人の名前を見つけました。桑名義夫さん、村上市出身の人です。桑名さんは元新潟県農村労働組合の書記長をやっていた人で、私が初めて町議に立候補した時に、遠方からわざわざ応援にきてくださいました。彼が作成してくれた「土方の賃金はいますぐ千円上げられます」は、個性あふれる文字と迫力のある内容で大きな話題となったものでした。
 午後は生活相談、それから入院している友人を見舞いました。


2003年08月02日

越後よしかわ・やったれ祭

 朝8時には気温27度。ぐんぐん気温は上がって久しぶりに夏らしい天気になりました。朝の搾乳が終わってから夕方まで、しんぶん赤旗日曜版の配達・集金にまわっていましたが、何軒かの家では、「梅干し」や「干ぴょう」を干しておられました。
 「梅干しを干す」「干ぴょうを干す」というのは日本語としておかしいのですよね。でも私の家では、どういうわけか、子どもの時分から、「梅干しを干す」「干ぴょうを干す」でとおしてきました。ですから、「梅を干す」「ヨウゴを干す」では、大きなザルや莚(むしろ)の上で干しているイメージがわかないのです。
 きょうの暑さは、湿度が高かったのか、べとべとした感じが強く、歩いているだけで背中から汗が出てきました。こうした時は、木陰で休むのが一番。山間部で涼んでいたら、道端にゲンノショウコの小さな花が見えました。そういえば、今週はナツズイセンが花どきを迎えています。ナツズイセンはヒガンバナ科の花のなかでは一番早く咲き、お盆ころにキツネノカミソリ、そして彼岸のころにヒガンバナと続きます。
 午後からは越後よしかわ・やったれ祭。夕方の搾乳がすんでから1時間ほど出かけてきました。この祭は、商工会や地元原之町などが中心になって取り組んでいるもので、今回で6回目。吉川町の夏祭りとして、すっかり定着しました。
 普段は人通りのまばらな原之町商店街通りも、この日ばかりは多くの町民が繰り出し大賑わいです。竿燈があり、御輿もある。それに、よさこい・ソーランのグループが力強い踊りで祭を盛り上げます。吉川町の人口は約5600人ですが、少なく見積もっても全人口の2割くらいの人たちが、この祭に参加しているのではないでしょうか。
 祭に出かけてみて驚くのは、この町にも若い青年たちが大勢いることです。ほとんどは顔も名前もわかりませんが、祭の主役はやはり青年たちです。それにカラフルな浴衣姿の子どもたちも、どこから集まってきたのかといいたくなるほど、たくさんいました。
 私のすぐそばで祭を見ていた若い夫婦がいました。お父さんに抱かれた小さな子どもさんは、ハッピ姿で鉢巻をしたかわいい男の子でした。近くで太鼓の大きな音がするにもかかわらず、すやすやと眠っていました。こんな祭の風景を見ていると、このふるさと吉川町にも未来があるな、と思います。
 (【お願い】どなたか、やったれ祭の夜の光景をデジカメで撮った人がおられましたら、1枚送信していただけませんか)


2003年08月01日

量出制入

 朝4時半起床。しんぶん赤旗日刊紙と日曜版の配達に出ました。金曜日のしんぶん配達は、作成したばかりの町政レポートを折り込んで配ることになるのですが、その内容に間違いがないか、誤字脱字などはないか、いつも気になります。どういうわけか、このところ、印刷し終わってから大きな間違いを発見し、印刷しなおすことが続いています。
 今週の町政レポートにも誤りがありました。7月にオープンしたばかりの特別養護老人ホームの名前を「よしかわ・ほほ笑の里」と書いてしまったのです。しんぶん配達の途中で「ほほ笑よしかわの里」が正式名称であることを確認しがっかり。でも、そのおかげで、見出しや文面を再検討することになり、改訂版は当初のものよりもパンチのきいたチラシになりました。
 午後からは頸北議長会主催の全議員研修会。全国町村議長会の篠田伸夫事務総長が講師ということなので楽しみにしていました。講演の内容は、例の西尾私案や地方制度調査会中間報告にふれながら市町村合併にどう向き合うかを考えさせるもので、中身が濃くて、とても参考になりました。以下、私がおもしろいと思ったことをメモしてみました。
 平成の大合併の出発点は、平成11年8月の自治省次官通達だったが、ここでは小規模町村つぶしはなかった。ところが平成13年の骨太方針第一弾で、市場原理、競争原理の哲学が強調され、その影響が市町村合併にも及んだ。
 町村の合併は議会の議決を要する。団体意思を決定するということだ。合併の原則は2つある。第一の原則は、自主的に判断すること。第二の原則は、合併はあくまで手段であって、理念のある合併でなければならない、ということ。
 明治の合併には近代化という理念があり、昭和の合併には民主化とい理念があった。昭和の合併では、中学校を経営できる規模にという目標もあった。
 しかし、平成の大合併には理念がない。政府・総務省のかかげる5つの理由も理由にならない。「高齢化社会への対応」は、広域連合がすでにやっている。「多様化する住民ニーズに応えるため」に、外部の専門家集団、NPOを使うことも始まっている。広域課題の消防、ごみ問題も一部事務組合でやっており、問題はない。
 経済と財政は違う。いま、盛んに言われているのは、「歳入に合わせて歳出を考えないと、とんでもないことになる」だが、これは「量入制出」(入るを量って出ずるを制す)の考え方で間違い。大事なのは、「量出制入」(出ずるを量って入るを制す)の考え方だ。国民にとって必要最小限のサービスは何か、それにはいくらかかるか、そのためにはどうしたらいいか、という考え方が重要なのではないか。神野直彦東大教授の財政論に学んでほしい。
 「三位一体の改革」は、地方への財源移譲は先送りし、地方交付税をなくしてしまおうという方向で進んでいる。地方交付税の財政調整の仕組みは重要なもので、国と地方の財政調整をする垂直的財政調整機能と自治体間の調整をする水平的財政調整機能がある。
 現在の「自立しうる自治体=受け皿論」の背景には、「小規模自治体を成り立たせているのは交付税の財源保障機能」だとしてそれにケチをつける議論がある。自治にとっては不幸な話だ。全国で最も小さな自治体は東京都の青ヶ島だが、人口200人の村ですばらしい取り組みをしている。
 地方自治体には「行政体としての機能」と「政治体としての機能」がある。「行政体としての機能」に力点をおいたのが西尾私案だ。「住民は行政サービスを受けるもの」という住民観はおかしい。いまの時代は、住民自体がサービス提供の主体になってきている。阪神大震災のボランテイア活動から「自助、互助、公助」を学んだが、公の仕事を国民もやれるという目覚めが始まっている。


2003年08月投稿分

2003年08月に投稿された全てです。

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