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2006年09月投稿分

2006年09月30日

『純情きらり』最終回

 予想はしていたものの、桜子が死んだのはやはりつらかった。テレビドラマ『純情きらり』のことです。きょうが最終回。いつものように朝7時半から衛星テレビで観て、1週間分をまとめた放送でも観ました。このドラマを観ていてずっと思っていたのは、いのちの尊さです。脚本では戦争時のことが一番印象に残っていますが、きょうの最終回もこのことをしっかり訴えていました。
 結核のため、わが子を産んでも一度も見ることも、抱くこともできなかった桜子。死の直前、病室に映写機が持ち込まれ、無邪気な子どもの姿が映し出されました。「桜子、まだ眠っちゃダメだよ」と言われた桜子が、うっすらと目をあけ、はってきて大写しになるわが子にむかって手を伸ばす。感動でした。そして最終場面では、桜子がわが子へ伝えようと遺した文章が桜子の声で読み上げられる。「あっけない人生だったと言う人がいるかもしれないけれど、お母さんは十分生きた、十分輝いた。意味のない人生なんてない、輝かない人生なんてない」。見事な最終回でした。
 きょうは「しんぶん赤旗」日曜版の配達・集金でした。27日の一般質問をケーブルテレビを見ていてくれた人も何人かいて、「ありがとう、よかったよ。がんばってくんない」「初めて見させてもらったでも、たいしたもんだ」などと声をかけていただきました。「27日の午後に登壇する予定です」としか市政レポートでお知らせしてなかったものですから、午後から「いつ出てくるか」とずっと見続けた人もいました。次回からは、私の前に登壇する何人かの議員名も順番にお知らせするなどの工夫をしたいと思います。
 きょうはもう1つ、うれしいことがありました。夏休み中の総合学習で私にインタビューしてきた小学6年生のK君から手紙が来たのです。「ぼくは、橋爪さんがみんなの役に立ちたいという気持ちが子どもの頃からあり、そしていまではその夢がかなったことについて、とてもうれしいです。橋爪さんは新聞配達もしていらっしゃるので、とても体が疲れていると思うので、ぼくができそうなことがあればドンドン言ってください。力になれることがあればやるので、言ってください」とありました。K君、ありがとう。勉強も遊びもがんばるんだよ。


2006年09月29日

9月議会終わる

 1日から始まった定例議会は、きょうが最終日でした。委員長報告、討論、採決、請願も含めすべて終わったのは午後2時半頃でした。わが議員団は樋口議員が討論に参加しました。私が手を加えた原稿をさらに自分なりに読みやすいようにして、最終的なまとめをして読み上げました。会議が終わった後、保守会派の議員の1人がわが党の控え室に来て、「きょうは、ほめたじゃないですか。ああいうのが効くんですよ」。昨年度の市政のなかで評価すべき点があったことを反対討論のなかに少し入れたことが強く印象に残ったようです。
 今議会は3月同様、約1ヶ月の長丁場です。疲れましたね、率直に言って。夕方、東京から中学時代の同級生が帰省したので、同級生4人が集まり、飲みました。お盆に、柿崎区の大出口泉水を訪ねた時の写真がミニコミ紙に掲載されたことから、その話題から始まり、同級生たちの近況など楽しくおしゃべりしました。もっとも、私の方は、今朝は3時に起床したこともあって、途中でうとうとすることもありましたが、それもちゃんと気持ちよく受け入れてくれる、やはり、同級生っていいもんです。
 家に戻ったのは午後9時半過ぎ。帰りは歩いたので、今週は3回、ほどよい距離を歩いたことになります。メールがいくつも来ているのですが、疲れたので、明日の朝、返信することにしました。お許しを。


2006年09月28日

汽笛を聞いて走った

 ピョー、ピョッ、ピョー。午前11時20分でした。市役所の議員控え室にいたら、突然、汽笛が聞こえてきたのです。昨日出会った「ばんえつ物語号」が走っている。すぐバッグからデジカメを持ち出し、信越線の線路が見える第3委員会室へと走りました。しかし、体重80キロの人間のスピードはのろく、間に合いませんでした。残念ながら、列車は直江津駅に向かう小さな後姿を見せてくれただけでした。しかし、汽笛にこんなにもすぐ私の体が反応するとは驚きでした。もっとも、私と同じくカメラを持って走っていた人がもう1人いました。議会事務局の片田さんです。蒸気機関車は心を揺さぶりますね。
 きょうは「しんぶん赤旗」の集金をした後、明日の本会議での議員団の討論原稿を整理しました。原案は樋口議員が書き、杉本団長がチェックして、さらに私が錬るという形で進めましたが、なかなか作業がはかどりませんでした。当初予算審議段階での論点を思い浮かべながら整理しようとしたのですが、うまく書けないのです。昨年度は梅雨前線豪雨、2年連続の豪雪がありました。この分野で市当局は、私ども議員団の提案を正面から受け止めてくれ、県政、国政を動かす頑張りをしてくれた。ここらへんをちゃんと評価しないといけない。そう思ったのです。しかし、実際、登壇して討論するのは樋口議員、最終的には同議員におまかせすることにしました。
 夜は市政レポートの作成でした。市議会のHPの「過去の議会中継」で私の一般質問を振り返り、原稿書きをしました。画像を見ていると、論理の展開の弱さとか、頭のはげ具合などよくわかります。新しい半袖シャツはパリッとしていて、良かったです。それにしても便利になったものです。時間があったらごらんください。上越市議会のHPを開いたら、まず「議会中継」をクリックし、次に「過去の議会中継」をクリックします。そうしますとカレンダーが出てきます。この9月27日の所をクリックしてください。発言者の一覧が出るはずです。そこの8番目に私の質問がありますので、動画の再生ボタンを押してください。しばらくすると、素敵な男性の姿が見えてきます。


2006年09月27日

高田の町を歩いて…一般質問4日目

 一般質問最終日。さわやかな秋晴れの日となりました。朝は昨日と同じく高田まで軽トラで行き、妻の職場に車をおいてから、高田駅まで歩きました。きょうは天気が良かったので、少し遠回りをして、高田城の極楽橋のそばを通って公園内の岩野勇三などのブロンズ像を観賞しました。やはり歩いてみるものです。貫禄十分のソメイヨシノが何本もありました。また手当が必要なものも見受けられました。10年ほど前の桜サミットの時に植えられた木がしっかり育っていることも確認できました。ブロンズ像も良かったです。
 きょう歩いて一番うれしかったのは、大町の二・七市場を見ることができたことです。上越市内には柿崎区の一の日市など4つの市がありますが、高田地区の市を見たのは今回が初めてでした。魚や果物、生鮮野菜などがずらりと並んでいて、買物をしている人と売り手の人の会話があったかい。ここにはホッとする空間がありました。私が買いたくなる物も出ていました。やぶたけ(私の所では「あまんだれ」と呼ぶきのこ)です。朝採りのみょうがも枝豆もたくさん並んでいました。すぐ家に戻るのであれば、買いたい物ばかりでした。今度、議会のない日にゆっくりと買物をしようと思います。
 高田駅に着いたのは、歩きはじめてから40分後でした。2番ホームで直江津行きの電車を待っていると、反対方向から試運転の列車が滑り込んできました。蒸気機関車の「ばんえつ物語号」です。まさか、ここで会えるとは思いませんでしたね。初めて見たときのようにドキドキしました。石炭をいっぱい積み込んでいて、煙突からは煙も出ています。ただ、子どもの時に見たよりも少し小さく見えたのは気のせいでしょうか。SLが入ってきたのに驚き、感動したのは私だけではありません。何人もの人が携帯カメラを取り出し、磐越ものがたり号の雄姿を撮影していました。くやしいことに、私はカメラを市議会においてきてしまっていました。残念。
 さて、きょうは私の出番。午後6時頃と思っていたのに、予想よりも2時間も早く質問の時がやってきました。テーマは農業労働災害、市長の憲法認識と平和施策、そして学校災害です。耳鼻咽喉科の先生にたくさん話す時には水をしっかり補給してとアドバイスをされていたので、水を飲んだのですが、頭の回転はいまひとつで、しゃべる言葉の流れがちょっとスムーズではありませんでした。それでも市長や教育長から、「いまの憲法は世界でもまれな平和憲法であり、今日の日本の繁栄をもたらした礎となった。市政運営にあたっては、常に憲法の理念をすべての施策の根底に据えている」などの貴重な答弁を引き出すことができました。農業労働災害対策も学校災害対策も必ず前進することになると確信しました。
 私の質問の様子は上越市議会のホームページでご覧いただけます。ただ、ご覧いただけるようになるのは、28日の夕方になりそうです。


2006年09月26日

質問前日なのに…一般質問3日目

 きょうは妻を高田まで送り、駅まで20分ほど歩き、電車に乗って市役所に行きました。朝の早い時間帯に高田の町を歩いたのは久しぶりです。いつも軽トラの中から見ている高校生の通学風景、商店街の様子など、とても新鮮でした。駅には予定よりも早く着いたので、お土産品をゆっくり見ることができました。酒、お菓子など高田のお土産品はあまり変わっていないなという印象を持ちました。
 さて一般質問の方は、きょうは8人が登壇しました。市長の答弁が丁寧なのと、質問項目が多いことから、今定例会の一般質問はこれまでより時間がかかっています。一番長い人は1時間25分くらいかかったように思います。明日は夕方、私の番となります。きょうは質問を聞いていても、なかなか集中できませんでした。私の悪いクセで、自分の番が近づいてくると、他人の質問を聞いていても自分の質問と関連付けて聞く様になってしまいます。きょうは仲田議員が一問一答でブランド問題を掘り下げていたので、自分の質問を一問一答で展開するにはどういう流れがいいか、ずっと考えていました。
 夜は発泡酒を1缶飲んだら、リラックスムードに。質問準備はまったくせず、NHKの歌謡番組を観てしまいました。夏川りみ、大津美子などの歌を聴きながらうとうとしました。質問前日にリラックスしておけば質問にはプラスになる、早くそんなことが言えるようになりたいものです。


2006年09月25日

杉本団長登壇…一般質問2日目

 休み明けの議会。きょうも一般質問でした。初日は9人、きょうは8人登壇です。これだけ大勢になると後半の方になると疲れが出てきますね。質問者は遠慮なくやっていいのですが、まわりの「早く終わってほしい」というムードに押されてどうしても遠慮気味になります。
 きょうの登壇者の中にはわが議員団の杉本団長がいました。注目した指定管理者制度に関する質問では、これまでの取り組みの検証を促し、委託料の見直しや安全管理の徹底などを求めました。市長は、「更新時には競争原理を働かせ、経費縮減を図れるようにしていきたい」「再委託は単なる経費削減のためのものは認めていない。根幹的業務に付随するもので、市と協議のうえ、どうしてもせざるを得ないものにかぎってしているところもある」と答えていました。杉本議員ならではの質問はHPについてでした。「日経BP社のe都市ランキングで上越市は736市区中306位。この位置にとどまっている理由は、アクセシビリティが10点満点で3.2点、情報化政策が20点満点で7.6点しか取れなかったから。JIS規格に基づいて庁内基準をつくるなどの改善を」と訴えました。市長は、「とりだしやすく、より見やすく、高齢者などに配慮したものにしていく必要がある。検討課題が多くあるが、HPシステムの再構築に取り組んでいきたい」とのべていました。また市長は、こうした対策を進めるために、庁内横断的な統括部門の必要性を認めました。今回の質問は上越市のHP改善につながることでしょう。
 きょうの登壇者の中には前議長の市川議員もいました。今回の質問は6月に続いて2度目です。同議員は上越市の自民党の大幹部ですが、農業問題で気を吐く質問を展開しました。まず、最近の国の農業構造政策についてふれ、「国は企業農業に転じたが、果たしてこれでいいのか。小規模農業こそ、人間らしく生きられるのではないか」と疑問の声をあげました。質問内容も、多くは自らの農業体験に基づくものでした。市独自の農業センサス調査を求めた同議員、「調査の第一歩は農民の心を問うものが必要ではないですか。あなたは農業が好きですかきらいですか、というように」「農機具の調査にしても、習熟度や使用年数を問うべきだ」などと発言しました。稲の作付け適期に関しては、高田測候所へ行って過去30年間のデータを調べ、9月の中旬の方が下旬よりも平均で30ミリも雨が多いことを指摘しました。質問の模様を横から見ていたのですが、少し赤ら顔で、野武士を思わせるような雰囲気がただよっていましたね。農民魂も感じました。きょうの質問は政府農林水産省幹部や中央の自民党幹部に聞かせたかった。
 夜は党支部会議でした。今回は後援会員のYさんが特別参加し、きくちゆみさんが翻訳した『911ボーイングを捜せ』や9条の会について話し合いました。きくちゆみさんについては「しんぶん赤旗」日曜版に随想を書いたことがあるので、名前だけは知っていましたが、今回初めて彼女の活動について詳しく知ることができました。会議では、9条の会をもっと広げるためにがんばろうという確認をしました。


2006年09月24日

母と一緒に伯母のところへ

 上川谷へ市政レポートを配布するついでに大島区板山まで出かけてきました。母と一緒です。「板山へいぎたけりゃ、つんてくよ」朝早く、そう言ったら、母は畑に出かけて野菜に水をくれたり、土産に持っていくツルムラサキなどを採ってきたりしてバタバタしました。そのため、母は朝飯をろくに食べないで軽トラに乗り込みました。空は少し雲っていましたが、秋らしいさわやかな風が吹く中、ツリフネソウシラネセンキュウなどの野の花を見ながら尾神岳の市道(旧林道)を走らせるのは最高でした。
 午前9時ころ出発して、途中、市政レポートを配布、板山には10時半頃到着しました。板山は酒米の刈取りが終わって、コシヒカリがぽつぽつ始まるところです。伯母の家では来週からコシヒカリの収穫に入るとか。板山に着いてからは、伯母と従弟夫婦が応対してくれ、1時間半ほど楽しく過ごさせてもらいました。母と伯母はお茶飲み、私と従弟は近所の家の見学に出かけました。都会に住んでいた人が定年を契機に移り住んできたとのことで、古民家を改造して、お客を泊められるようにしてあります。農家らしさを残し、シンプルでとても素敵な家になっていました。昨日からイギリス人夫婦が泊まりに来て、きょうは稲刈り体験をしているとのことでした。ここではコーヒーをご馳走になりながら、ゆったりした気分にひたることができました。
 家に戻って間もなく、めずらしい人がわが家を訪ねてくださいました。柏崎市に住む元小学校長のTさんです。私に野の花のことをたくさん教えてくださった方です。大島区へ行くついでに立ち寄ったということでしたが、久々の再会でしたので、HPのことや登山の話、いま咲いているシロバナサクラタデなどについて楽しいおしゃべりをしました。Tさんの新しいHPには、野の花だけでなく山の写真もどんどん掲載しているとのことなので、今度ゆっくりと訪問させてもらおうと思っています。


2006年09月23日

コシヒカリの刈り取りは最終盤

 朝晩はグッと冷え込み、昼間はパッと晴れる。きょうは素晴らしい秋晴れでした。尾神岳、米山は、いつもは日照の関係から午後になってハッキリとした景色なりますが、きょうは朝から夕方まできれいな姿を見せてくれました。土曜日ですので、いうまでもなく、家にじっとしてはいられません。片手に「しんぶん赤旗」日曜版、もうひとつの手にはカメラを持ち、飛び回りました。
 市議団ニュースにシロバナサクラタデを掲載しましたが、きょうは、この花のカラー写真を持ち、配達・集金をしました。多くのみなさんが野の花に関心を持っているのには、びっくりしました。「赤い花をつけるタデは見たことがあるが、こんなにきれいなタデは初めて見た」「どこに咲いているのか案内してほしい」など次々と反応があったのはうれしかったですね。こうしたなかで、ひとりの読者の方がこの花を押し花にしたいとわが家にみえられたので、夕方、案内しました。どんな押し花になるのか、楽しみです。
 きょうも農家は大忙しでした。このところの天気続きで稲刈りは順調に進み、平場のほとんどの稲作農家はきょう、明日で終わります。秋晴れの下、最後の追い込み作業が行われていました。畜産農家がワラ集めの作業をしている光景も目にしました。牛を飼っている農家にとって、一番忙しいのは、サイロ詰めと、このワラ集めです。数年前まで、こうした天気の時には1日中、トラクターに乗って激しい作業をしていたので、手伝ってやりたくなります。
 このページの風景写真、入れ替えました。遠くにコンバインの姿が小さく写っています。ここは、きょうで稲刈りが終わります。これからは手前の田んぼから色が変わっていきます。


2006年09月22日

農業問題質問3連発…一般質問1日目

 きょうから一般質問が始まりました。登壇したのは9人です。午前10時に始まって、終わったのは午後7時半ころでした。途中、何回か休憩時間があったとはいえ、時たま、疲れから集中できなくなることがあります。隣の柏崎市議会では、1日の一般質問者数を6人以内にしたそうですが、上越市議会もこの点、学ぶ必要があると思います。
 注目したのは、政新(会派名)所属の3議員が連続して農業問題をとりあげたことでした。「市長、これから、政新の農業問題の質問の3連発になりますが、よろしく」と言って、最初に農業問題をとりあげたのは笹川議員、「棚田米を特別栽培米としてブランド化して、付加価値をつけるべき」と主張しました。市長は、「吉川区のように、直接、消費者団体と連携を深め、有利販売に結び付けていきたい」と答えていました。
 続いて登壇したのは田村武男議員です。同議員は、上越米が今年度、いまだに倉庫に大量に残っているとして、販売実績が低迷している現状を問いました。市長は、「年間消費量が減る中、消費者ニーズが多様化し、より安い米を求めている。北海道産の影響もある」とのべていましたが、いま、コメ市場では、ビールから発泡酒に移った時と似た、「コメ勢力図異変」が起きています。同議員は、「田んぼ中サテライト」の設置とともに、「基準反収の少ない棚田については、(減反しないで)全部作っていいですよ、というふうにして、上越らしさを出すべきだ」と訴えていました。
 三番手は長井議員、この人の語る一言一言は詩人のよう、しかも農業実践に裏付けられているから聴衆の心をつかみます。「幅広いコメづくりも生産者に求められている」として、農協が推進してきた「適期田植え」を批判、酒造好適米については、旧東頸城地域で「コシタンレイ」の作付けを広めて日本一の酒をつくってほしいとのべました。同議員は「中山間地の農業は宝の山。自分のコメは自分で売る。販売力なくして自立なし」だとも訴えました。聞き応えのある質問でしたね。


2006年09月21日

委員会室に音楽が…総務常任委員会3日目

 おそらく初めてでしょう、委員会室に音楽が流れたのは。きょうの総務常任委員会の午後の審議でのことでした。田村恒夫委員が「新しい上越市民の歌」について、「非常にいい歌です。ただ、私はまだ歌は聴いていないのですが、歌詞を見るかぎり、上越市という言葉が一つも入っていないのはいかがなものか」と質問しました。「それならば聴いてもらいましょう」そういって、CDプレイヤーが委員会室の中央部の窓際におかれ、流れたのです、新しい市民の歌が。♪山のめぐみ豊に 水は流れる 海のめぐみ豊に 風は光る……
 委員会室は静かになりました。男性(テノール)の歌声が委員会室に響き渡りました。私は昨晩、自分のパソコンで試聴したのですが、CDプレイヤーで聴いたのは初めてです。上越の大地をイメージできて、何か、このまちをよくしたい、という市民の気持ちが見事に表現されている。素晴らしい歌でした。聴き終わるか終わらないかというタイミングで杉本委員が小さな声で「はい、拍手」と呼びかけ、みんなが拍手をしました。そして再び田村委員が笑顔でさっと手をあげました。「それでは、私の感想をのべます。とてもいい歌ではありますが、私にはちょっと……」。それに対して野澤企画・地域振興部長が、「歌はなじみながら進むものです」と応じました。担当部課では、最初からこの歌を聴いてもらう計画だったようです。仕掛け人は部長かな。
 上越市の市民の歌は合併協議で見直すことが決まっていました。歌詞には直江津、高田が出てきても13区がぜんぜん出てこない歌だったからです。新しい市民の歌は検討委員会で何回も検討したうえで、歌詞が公募され、板倉区の上原みゆきさんの「このまち」が最優秀賞となりました。この歌詞を児童文学者の杉みき子さんが補作、「このふるさとを」という新しい市民の歌が出来上がったのです。作曲は後藤丹さん。今週末から市内の合唱団が練習を始め、12月上旬には市民に正式に披露するということでした。合唱という形で聴くと、どんな感じになるのか。なぜか、感動の予感がします。
 さて、きょうの総務常任委員会は最終日でした。いい質問がいくつもありましたね。バス運行対策費として昨年度、3億5600万円ほど支出(1世帯あたり5000円負担している勘定になる)されていますが、市川委員は「バスに乗らない人たちが議論しているのではダメだ。体で知って議論しないといけない。自分たちの路線は守る人たちの工夫が必要ではないか」と発言しました。また、笹川委員は金谷山にある「日本スキー発祥記念館」に2回、足を運び、その運営のついて発言しました。「合併前上越市の施設についても知らなくてはと思い見てきたが、案内のビデオは古く、前市長の映像と声が出てくる。映像もハッキリしないし、スクリーンも変えた方がいい」。いずれの質問も現場に足を踏み入れ、調査した上での発言、とても説得力がありました。


2006年09月20日

数字は語る…総務常任委員会2日目

 数字は政治の様々なことを語り、教えてくれます。例えば、きょうの自民党総裁選、得票率が目標の7割を下回ったことで、安倍晋三氏は自民党内で好き勝手なことをやれなくなりました。国民の中でも小泉のような爆発的な人気は生まれていないことがわかります。
 きょうの総務常任委員会は、総務部関係を中心に審議しました。その中で、いくつもの数字が市政の実態を浮き彫りにしました。注目した数字の1つは市役所職員の病欠者数です。昨年度は99人で、そのうち精神的な疾患による者は32人でした。32人の中には編入合併によって旧町村役場から木田事務所(多くの人は本庁と呼んでいます)に異動した者が21人もいます。私も何人かは知っていますが、まじめな人ばかりです。どうして精神的な疾患にかかったかについて専門的なことはわかりませんが、背景にはストレスを感じる労働環境がある、そう思って分析をする必要があります。
 町内会集会場の整備などに対する助成の数字にも注目しました。これは町内会が実施する集会場の新増改築やトイレ水洗化、冷房設備整備、耐震診断などに対して100万円を上限として助成するもの。昨年度は89件、4540万円の助成が行われました。内訳を見たら、わが吉川区は冷房設備の整備3件(29万円)のみ、板倉区や三和区などに比べたら件数、金額とも大変少ない数字です。吉川町時代にはなかった独自助成ですので、大いに活用してほしかったですね。農業集落排水事業が進んでいたからトイレ水洗化は終わっているし、などと件数の少ない理由を考えたのですが、PR不足は否めない事実でしょう。
 質問の中ですぐ答えの出なかった数字もありました。杉本委員が質問した、市内の被爆者数です。昨年は戦後60周年であり、上越市が非核平和友好都市宣言を行って10周年にあたる年でした。こういう基本的な数字がすぐ出てこないというのは、被爆者支援についての市の姿勢の弱さがあるからというのは厳しすぎるでしょうか。しっかりしてもらいたいものです。


2006年09月19日

集中審議?…総務常任委員会1日目

 委員会審議というものはおもしろいもので、1つのテーマをめぐって集中審議になることがあります。きょうの総務常任委員会がそうでした。上越市高田にある厚生南会館の取り壊し方針をめぐってほとんどの委員が発言したのです。発言内容は市の方針に正面から反対して改築または新築を迫るものあり、市の方針のこれまでを解説するものもある。また、今回の合併と今後の財政運営について、この施設を例に自分の意見を語るものもありました。おそらく、合併前上越市選出の委員は全員が発言したのではないでしょうか。
 厚生南会館は1962年(昭和37年)に新築し、すでに44年ほど経っている施設です。大ホールには1500人を収容でき、大会議室、中会議室もある。昨年度は9万7000人あまりが利用しました。来年3月末をもって指定管理期間が満了となることから、市では、施設の老朽化、安全性確保などの観点から、この施設の閉鎖及び周辺の代替機能確保などについて検討作業に入っています。
 議論は、検討内容はどのようなものかという佐藤委員の質問から出発しました。そして同施設が高田公園の中にあって高田地区のシンボル的な存在であるとして、永島委員が高田地区を意識した発言をしました。同委員は、「高田公園は最高の目玉。高陽会館壊します、南厚生会館壊しますといって、壊したままでいいのか。これでは高田地区の夢はなくなる。もっと市民の声を聞くべきだ」と迫りました。この発言で各委員の発言意欲に火がつきました。栗田委員は、「機能という面とシンボルという面がある。高田の人間にとってシンボル」だといってシンボル論を展開。田村委員は、「ボタンのかけ間違いがある。建物は壊す、そのあとはどうなるかわからない。これでは市民は納得しない」と訴えました。
 問題を整理する方向で議論は続きました。わが議員団の杉本委員は、「前の市長の時代の市の計画(平成13年)で、取り壊し方針が出て、次々と新たな施設をつくる計画が示されていた。この方針は現在も生きているのか」と切り出し、「直江津図書館・水族館については市民も交えた検討委員会がある。厚生南会館についてもこうした検討委員会が必要ではないか」と提起しました。深澤財務部長は、建て替えを前提にした直江津図書館・水族館と壊すことにしている南厚生会館では対応は違うとしながらも、「少なくとも一般市民を交えた説明の場をつくっていかなければならない」と答えました。山岸議長は「今回の問題は行革のシンボルだ。スクラップすべきは大胆にスクラップしないとこの合併はうまくいかない」と自分の意見を披露しました。
 きょうの議論をマスコミはどう書くのでしょうか。現在の建物は施設の管理者が毎日、目視して利用してもいいか確認しているほど安全性に問題があります。閉鎖するのは当然でしょう。問題は同様の施設を新たにつくるか、現在ある他の施設で間に合わせるかにしぼられてきます。新市建設計画と現在の市の財政運営状況を見つめたら結論はおのずとでると思うのですが……。


2006年09月18日

友人を見舞う

 心配された台風は新潟県を直撃することなく通過しました。雨もほとんど降らず、稲刈りをしている人たちにとっては、儲けものの日となったようです。土曜日からの3日間で田んぼの景色はずいぶん変わりました。わがふるさと吉川は、もう1週間もすれば、平場の稲刈りは個人経営の大規模稲作農家だけになることと思います。黄色い景色は急激に消え、土色が増える、そしてやがては、緑色になります。
 きょうは新潟市内の病院に入院している友人を見舞ってきました。同じ病院に大学時代の友人と吉川区内の友人が入院していることから、早めに見舞いにいきたいと思っていましたが、これまで出かけることができませんでした。きょうは、議会が一休みとなっているいまのうちにと思い、出かけてきました。2人のうち、1人は先月末に入院しています。無事手術も終わって順調に回復しているという情報でした。手術の影響で小さな声しか出ない状態でありながら、喜んでいろんな話をする姿はふだんのままです。出発前にシロバナサクラタデという野の花の写真を撮ったという話をしたら、身を乗り出してきて……。今度、現像してプレゼントしようと思います。もうひとりの友人は昨日退院したということでした。夜、電話を入れると、「強い薬の影響でたいへん」とのこと。2人とも大事な人、ぜひ頑張りぬいて回復してほしいものです。
 昨日、きょうと遠くまで出かけたことになりますが、新潟県はやはり米どころだなと思いました。昨日の津南への道は中山間地を通ります。きょうは高速道路で完全に平場地帯です。両者に共通していたのは、どこへ行っても黄色い景色が広がっていることでした。減反しているところがあるとはいえ、田んぼの黄色は依然として見事な広がりを見せています。
 このページの写真、昨日、入れ替えました。この次には田んぼの稲が消えているかもしれません。


2006年09月17日

新たな生命を産みだす力への賛嘆

 妻と友人の3人で、18豪雪で有名になった津南町まで出かけてきました。目的は同町の「農と縄文の体験実習館・なじょもん」で開催されている秋の企画展(10月15日まで)、「火焔土器の時代」をみるためです。県内各地から様々な土器や土偶などを集め、火焔土器の時代の暮らしと文化をさぐろうという、この企画展には吉川区の長峰遺跡から出土した小さな土偶も展示されているとあって、ぜひ訪れて見たいと思っていました。
 展示室には見事な火焔土器、黒曜石を加工した石器、男性を象徴する大きな石などがずらりと並んでいました。その中で注目したのは、やはり土偶です。土偶は1つのコーナーにそろえてありました。長峰遺跡からは3点出されていて、その中でも最も小さな妊婦の形をした土偶が中心部に据えられていました。わずか3.9センチ、私が市議会で紹介した全国でも最小級の土偶(写真)です。そして、その隣には、なんと最大級の土偶が展示されていました。
 私から言うのもなんですが、展示されていた土偶の中で一番は長峰遺跡の妊婦土偶です。解説のところでは、「上越市長峰遺跡から出土した土偶は、最小級の土偶であり、その表現手法はすばらしく、形態的特徴から出尻型を呈する中部高地に分布する資料に類似します」と書かれていました。女性の土偶は、「女性の妊娠・出産という新たな生命を産みだす力への賛嘆」ともありました。今回の展示で長峰遺跡出土の土偶の価値を再認識しました。これは、ひょっとすると、吉川区だけでなく上越市全体をアピールする力になるかもしれない、と思いました。
 津南町では参院選、衆院選に出馬したことのある党県委員会の桑原加代子さんから案内してもらいました。突然、電話したにもかかわらず、「じつはあなたと話をしたいと思っていたところなの、よかった」と言って、道案内から施設の案内までしてもらいました。「なじょもん」建設に至るまでの経過、河岸段丘など地形の説明など、研究熱心な彼女ならではの解説のおかげで楽しいひと時を過ごすことができました。


2006年09月16日

草刈りで汗を流す

 朝から午前いっぱい曇り空。昼の時間帯は雨がぽつぽつ降り、その後は再び曇り空に。コシヒカリを刈り始めた農家の人たちは、おそらく、一日中、空を見ながら仕事をしていたのではないでしょうか。きょうから18日まで3連休という人も多いはずです。ほとんどの人は、この3日間のなかでほとんど刈ってしまいたい、そう思っていることでしょう。だから、雨が降り始めたというのに、お昼の時間帯は12時40分になってもコンバインにつかまっている人たちばかりでした。
 私は早朝から「しんぶん赤旗」日刊紙、日曜版の配達でした。源方面については昨日、後援会の人たちに手伝ってもらいましたので、残った分は午後1時前に終了しました。そのおかげで、きょうは気になっていた仕事を1つやることができました。農道、牛舎の周りの草刈りです。春から2回刈ってあるのですが、すでに草ぼうぼうの状態です。2時間半くらいかけて刈り終わることができました。年内にもう1回刈れば、見苦しくはならないと思いますが、とても疲れます。
 夕方、作業が終わってから、すぐにシャワーを浴び、350㏄入りの缶ビールでなくて、発泡酒を飲んで横になりました。気分よく眠れました。やはり、体を動かす仕事をした後のいっぱいは最高です。こういう楽しみを誰が発明したかは知りませんが、ありがたい、ありがたい。


2006年09月15日

文教経済常任委員会3日目

 雨が続いていた後、晴れた日の気持ちのいいこと。きょうは久しぶりに雨が上がって稲刈り日和になりました。青い空には、いわし雲が横たわり、稲の上をそよ風が吹いている。妙高、火打など遠くの山々もハッキリと見えます。こんな日はカメラを持ってゆっくりしたいもんだと思いました。稲作農家の人たちはそれどころではありません。きょうこそはの思いで、暗くなるまで稲刈りに精を出していました。かくいう私もカメラを持ってどこかへ行くことはできません。文教経済常任委員会の審議があるからです。
 きょうの審議では体調を整えて臨むことの大切さを思い知らされました。じつは、一般質問通告、市政レポート作成など、きょうまでにやっておくべきことがいくつかあって、昨晩は2時間しか睡眠時間を取れませんでした。そのせいでしょう、部長の説明を聞いていても何度も集中力が途切れ、どこの説明かわからなくなる。質問をする時に思わぬ言葉が飛び出し、困る。質問相手の担当ではない問題をとりあげる、などの失敗を重ねてしまいました。
 具体例を1、2あげるなら、まず住宅建築促進事業。市では住宅建築の促進と定住の促進のために、これまでの住宅建築資金貸付のほかに2ヵ年限定で利子補給補助金を出しています。この問題では、建築不況の打開と若者定住のために少なくとも何年かは継続してほしいと訴えました。ここで想定していなかった「拡充」という言葉がポッと出てしまったのです。事前の調査では、現実的な提案は「継続」という方向でと思っていただけに、これは思わぬ言葉でした。でも、産業振興担当の佐野参事が柔軟な答弁をしてくれたので助かりました。
 合併して合併前の上越市の制度に統一された入湯税。吉川区の住民にとっては合併することによるデメリットのひとつだったので、入浴施設の管理運営のところできくことにしました。施設への影響からいきなり質問するのもいかがなものかと思い、市内における入湯税の基本的な数値、正確な課税、特別徴収者にたいする指導監督と展開しようと考えました。しかし金子観光振興課長や竹田部長と何回かやりとりをしているうちに、やっと、この委員会でこの人たちに詰め寄る内容ではないことに気が付きました。もっと早い段階で気づいていなければならないのに、私の頭は低速回転をしていたのです。
 ま、こういうこともあります、人間ですから。きょうの審議では、それでも、生の言葉が力を発揮した展開もありました。現場に足を運んでそこで見聞きしたことをそのまま語る中で、ボブスレーの安全確保については厳格な対応を求めることができました。住宅建築資金利子補給についても、私に声をかけてきた20代の青年の話を紹介したことなどによって継続への手ごたえを感じました。


2006年09月14日

文教経済常任委員会2日目

 このところ朝早く家を出て、暗くなってから吉川区に戻る日が続いています。吉川区の動きについては市役所にやってくる総合事務所職員がたよりです。昨日は敬老会のことや東京吉川会などの情報を聞きました。昨年、久しぶりに参加した東京吉川会の総会は、今年は来月15日だそうです。この総会に集まる人たちにとって最大のご馳走は、ふるさと吉川区の生の情報です。こちらから参加する人の中には写真やビデオなども持っていこうという人もいます。私もぜひやりくりして参加したいと思っています。
 さて文教経済常任委員会は2日目になりました。昨日に続いて教育委員会関係の案件の審議が午後2時過ぎまで行われ、その後、農林水産部関係の審議になりました。
 新上越市内には図書館が2、図書館分館が2、図書館分室が11あります。子どもの読書推進などソフト面の計画は良くできていますが、施設そのものの利便性、快適性を高めるなどの計画については不十分であるため、早急に作ってほしいと訴えました。小学校の図書については図書標準に達していない学校が54校中22校もあります。私の質問で、学校図書館の蔵書を増やすために、地方交付税で2300万円くらいきてもいいはずなのに実際は1500万円しか予算化されなかった実態が明らかになりました。合併した旧13町村の文化財が、市の文化財になりうるかどうかを判断するための再調査が進められていますが、吉川区を含む9区ですでに調査が終わりました。その結果をただしたところ、調査した物件全部が市文化財に指定される見通しだといいます。吉川区の23件も大丈夫でした。
 きょうは木曜日。市政レポート作成の日でもあるので、夜遅くまでがんばりました。


2006年09月13日

文教経済常任委員会1日目

 待ちに待った委員会の日がやってきました。自分の常任委員会の出番の日です。睡眠は十分とりました。十分とまではいかないにしても質問準備もやってきました。あとはコンパクトに、聞きたいことをズバッときけばよい。ところが委員会にはいろんな人がいて、予想もしないことが起きることがあるからたいへんです。きょうも、信じられないことが起きました。
 教育委員会関係の昨年度の一般会計決算審査の時でした。教育委員会の方で資料は出しましょうと答えているのに、委員会が多数決で出すべきでないとしたのです。私だけでなく市民クラブや市政会議の委員が出すべきという態度を表明してくれたのはうれしいことでしたが、他の会派の委員が「時期尚早だ」「ハッキリしないものが含まれているデータが一人歩きしたらまずい」等と言って反対したのには唖然としてしまいました。
 資料を求めるに至った私の質問は次のようなものです。本来市費で負担すべきなのにPTAや学校後援会のお金を投入している事例は昨年度、あったか。あったとすれば、どんなことにいくらくらい使ったかとたずねました。これは3月議会で教育委員会が調査を約束していたことでした。何回かやりとりをする中で、施設整備や図書費などで、それぞれ、いくらいくらあった。市が負担べきものかどうかわからないものと一体のものを含め、その額は約490万円ほどであるとの答弁が帰ってきました。是正の措置をとるべきものは是正の措置をとるとも答弁がありました。義務外負担ゼロに向けて大きな一歩を踏み出す答弁でした。ならば、この際、調査した結果をまとめたものを中間報告であってもいいからを出してほしい、私はそう言ったのでした。
 委員会が終わって、私の議員控え室に議員やマスコミ関係者などが数人やってきて言いました。「教育委員会が出すって言っているのに、議会の方が抑えるなんておかしい。議会は問題があれば解明していかなければならないのに」「こんなの、初めてみた。世間から笑われますよ」。委員会の様子をみていた人たちの中にもあきれた人たちが何人もいたのです。私の言っていることが正論であることを改めて確認できてホッとしました。


2006年09月12日

建設企業常任委員会3日目

 建設企業常任委員会の3日目でした。自分の所属する文教経済常任委員会前日でもあります。きょうは委員会の傍聴は午後の1時間ぐらいしかできませんでした。文教経済常任委員会質疑で必要な資料を関係課にお願いしていたものの整理をするなかで、どうしても事前に聞いておくべきことがあったりします。きょうはそうした準備作業に追われました。ある課長に、「きょうは委員会の方はよろしいんですか」ときかれたので、「いやー、出たいんだけど、こちらも戦闘態勢に入ったもんでね」と言ったらびっくりされていました。「戦闘態勢」というのは誤解を招きやすい表現ですが、自分の所属する委員会前日の緊張感の高まりを言ったまでのことです。
 きょうは、夕方、楽しみにしていたイベントがありました。国際体操連盟主催の創立125周年記念演技会がリージョンプラザ上越で開かれたのです。アジア各国から体操競技、新体操、エアロビクス、トランポリンなどのトップアスリートが演技する、しかもその中にはオリンピック金メダリストもいる。いつもテレビでしか観ていなかったので、感動の連続でした。里アンナの歌、「恋し恋しや」も良かったです。遠い昔のことを思い出させるような、やさしい歌声で涙が出そうになりました。それにしても青年の生き生きとした動き、今晩のように、たくさん見るとうれしくなりますね。体操のお兄さん、小林よしひささんの動きと笑顔、最高でした。
 2時間ほどの演技のなかで初めて知ったことがいくつもあります。その1つだけ書きましょう。日本体育大学体操部の集団演技が終わったところで、司会の森末慎二さんが言いました。いま、演技をしていた人たちのほとんどは高校時代、体操競技をやっていなかった、大学に入って、半年、1年でこうした競技ができるようになったのです、と。人間というのは鍛えれば成長することはわかっていますが、こんなにも短期間でハイレベルの技術をみにつけることができるとは思いませんでした。議会人としても学ぶことの多いイベントでした。


2006年09月11日

建設企業常任委員会2日目

 4つの常任委員会のなかで行政側からの提出資料がもっとも少ないのが建設企業常任委員会です。関係の部局も都市整備部とガス水道局だけですので、そうなるのが当然と言えば当然です。そうした資料について間違いが多すぎると委員会の初日に指摘したのは大ベテランの本城委員(市民クラブ)でした。実際のところ、訂正(その2)なるものまで出てくるとうんざりしてしまいます。地方自治法第230条の5項では、「普通地方公共団体の長は、第三項の規定により決算を議会の認定に付するに当たつては、当該決算に係る会計年度における主要な施策の成果を説明する書類その他政令で定める書類を併せて提出しなければならない」としています。法で定められた正式な文書であるという自覚を持って提出前にキチンとチェックをしてほしいところです。
 ところが、今度は議案にもミスのあることが判明しました。総務常任委員会で質疑が行われることになっている財産取得の案件です。たとえ1字であっても、所在や面積など基本的な事項にミスがあっては議案として重大な欠陥ありとみなされることはいうまでもありません。すでに議会に上程され、市長の提案理由の説明も終わっているとあって、その対応をどうするか、明後日、議会運営委員会が開かれることになりました。
 さて、きょうの常任委員会ですが、本城委員の公営住宅に関する質問に注目しました。同委員は修繕工事から安否確認にいたるまで具体的な状況を示して質問していました。南新町住宅が彼の近くにあることもあるでしょうが、実情や問題点を浮き彫りにする質問のやり方には感心しました。しかも、わかりやすい。同委員の質問によって、公営住宅でも入居者の高齢化がすすんでいることが明らかになりました。入居世帯の中で65歳以上の高齢者世帯が39.4%にもなっていて、トップは南新町住宅の44.8%といいます。「最近、住宅で2人の方がパタパタと亡くなった。建築住宅課と健康福祉部で連携を」との訴えは当然です。


2006年09月10日

ホームページに関する話題

 まとまりのない話でも役に立つことがあるんですね。先月23日、新潟で開かれた全県党議員会議での私の発言のことです。まったく準備していなかったテーマで司会者から発言を求められた私は、ホームページなどについて自分の経験をのべました。ここで私は、埼玉県や長野県の党組織に比べて新潟県の党組織はホームページの取り組みが弱い、ネット選挙解禁の動きがあるなかで、これでは選挙に勝てない。ぜひ県委員会が中心になって勉強会や交流会を開いてほしいと訴えました。反応はさっぱりと思っていたのですが、今晩、その会議に出席されていたKさんから電話がありました。あの時の話でいままで知らなかった橋爪さんの魅力(と言っていただきました)がわかった、私もホームページを立ち上げたいのでぜひ教えてほしい、と。がんばり屋のKさんですが、私と同じく機械は苦手の方です、ブログの利用をおすすめしました。
 偶然とはいえおもしろいものです、その電話が来てからしばらくして、茨城県のKさんからメールが届きました。そこには、日本共産党の理論誌『前衛』10月号に宣伝局次長の田村一志さんがホームページの積極的活用を呼びかける内容の論文を書いていますよ、という案内がありました。この論文は、埼玉県北部地区委員会が開いた「講演と交流のつどい」での田村さんの講演内容に加筆したものです。講演については、「しんぶん赤旗」日刊紙に要約されていましたが、全文を入手したいと思っていたところでした。さっそく田村論文を読み始め、一気に読み終えました。PSEマークのない中古家電問題や「リハビリ打ち切り」問題などでインターネットが威力を発揮していることや四国でのホームページ交流会の様子など、とても参考になりました。新潟でも田村さんを講師に交流会をやってほしいので、県委員会に働きかけたいと思います。
 きょうは午前に中学校の運動会に参加し、午後からは図書館分室へ行って、文教経済委員会での質問準備をしました。途中、激しい雨が降りました。昨日、きょうと稲刈りをしっかりやろうと思っていた人たちにとっては、切ない雨でした。
 
 トップページの写真、入れ替えました。


2006年09月09日

猛暑復活

 おそらく今年一番の暑さだったのではないでしょうか、強烈な暑さでした。ちょっと動いただけで汗が出てくる、この感じは久しぶりです。朝晩の涼しさを味わうようになってからの暑さは、夏場よりも体にこたえますね。テレビのニュースでは36度を超えたと言っていました。
 きょうは午前に市政レポート配布で上川谷まで行ってきました。出かける前、後援会のTさんに上川谷へ行くという話をしたら、「ぜひ連れて行ってほしい。県道の災害復旧現場を見たいから」ということでした。それでTさんのクーラー付きの車に乗せてもらいました。おかげで行き帰りは快適でした。それに尾神岳を通る市道は野の花がいっぱい、いまが盛りのツリフネソウは道にまで出て咲いていました。上川谷の工事はかなり進みました。現場の人の話によると、進捗率は55%ほどだといいます。
 家に戻ってからは、昼飯をがまんして2時近くまで「しんぶん赤旗」日曜版の配達をしました。早く終わらせて議会の準備をしよう、そう思って頑張ったのはいいのだけれど、一番暑い時間帯に配達に出たのが間違いでした。暑さに完全にやられてしまいました。ぐったりして何もやる元気がなくなってしまったのです。クーラー無しの愛車は夕方走らせるべきでした。どうも、最近はこういう判断がちゃんとできない。
 
 ぐったりしたのは私だけではありません。妻も昼寝したまま起き上がれませんでした。夕食はカレーということだったので、私が料理しました。出来上がりはまずまず、でも何かおかしいと思って良く見たら、ニンジンを入れるのを忘れているではありませんか。忘れていたのは、久しぶりにつくったためか、それとも暑さのためか。


2006年09月08日

建設企業常任委員会1日目

 朝から各派代表者会議が開かれ、議会で審議もしていないのに「身体障害者補装具等自己負担額助成に関する条例の廃止」を既定事実化して市の広報に載せた問題を協議しました。杉本団長からもらったメモによれば、再発防止を含めた対策を明確にする、どうしても議決前の案件を市民へ広報したいことがあれば、議会とその都度相談する。こういった内容で正副議長が市長に口頭で申入れることになったようです。これをうけて市長がどうでるか注目ですが、議会と行政の基本的な関係をふまえた対応をしてほしいものです。
 常任委員会審議はきょうから建設企業常任委員会になりました。最初に問題となったのは、決算審査のために市側が提出している「決算の概況」の記述のあり方でした。「今後の課題、反省点、目標が達成できなかった要因など」という欄があるのですが、そこで「不測の日数を要した」という言葉が多用されていたことから、もっと具体的に、わかりやすくという声が複数の委員から出ました。この「決算の概況」は他所の自治体のものと比べてもたいしたもんだと評価していたのですが、わかりやすくすることを意識してたえず努力していくことは大切なことだと思います。
 午前中、いわゆる「赤道(あかみち)」など法定外公共物の整理とからんだ用地買収や八千代地区交流施設の設計をめぐって、審査が延々と続きました。委員の質問に対して説明する課長などは言葉だけで答えようとしたのですが、なかなか理解を得られませんでした。この時、ふと思ったのは、現場の状況、手続きの仕組みなどをスライドで映し出して説明すれば、こんなことにはならないだろうということでした。委員協議会でパワーポイントを使って部長が計画を説明したことがありますが、委員会審査の場でも、そろそろこういった工夫をしてもいい。
 5日からの雨続きで稲刈りはまったく進みませんでした。きょうは朝から晴れ、稲作農家の人たちは、きょうこそはの思いで仕事をされたことと思います。帰りの時間はすっかり暗くなっていたので、どこまで進んだかはわかりません。軽トラの窓からは稲の香り・匂いが流れ込んできました。おそらく、この香りはコシヒカリのものでしょう。コシヒカリも刈り取りの時期が近づいた、早いもんですね。


2006年09月07日

厚生常任委員会3日目

 厚生常任委員会の3日目。開会前の議員の話題はもっぱら昨日の空転についてでした。「議会で決めていないことを決まったこととして市の広報に載せるなんてとんでもない」「単なる不手際とは違う。市議会を日頃から甘く見ているからこういうことが起きる」「市長はどういう気でいるんだ」などの声が相次ぎました。昨日は、助役が委員会で陳謝したといいますが、この問題をどうするかの決着は、明日の代表者会議で話し合われるとのことです。
 きょうの委員会も時間を延長して行われました。質疑はこまごまとしたことが多かったように思います。午後の休憩後の委員会では、途中で用事があった関係で説明員の後ろの傍聴席に座りました。ここは委員席から最も離れた空間だということもあって、傍聴している議員などのさまざまな声を聞くことができます。国保特別会計決算の説明の時に、ある議員が小さな声で言いました。「おれんとこなんて昨年は毎月4万いくらだで。まいったよ」。同議員は国保税の滞納者が4000人近くにもなっていること、その総額が10億円を超えていることなどにも驚いていました。国保税はとにかく高すぎる。そう思っている議員は結構いるようです。
 夕方から市政レポートの作成にかかりました。ところが右腕の手首が痛くて、なかなか進みません。どこかでくじいた記憶も無いのに、どうして痛くなったのか不思議でなりません。キーボードをたたきすぎたわけでもないのにどうしたことか。こまりました。


2006年09月06日

厚生常任委員会2日目

 厚生常任委員会の2日目でした。昨日に続いて健康福祉部関係の決算、条例などで論戦が行われました。
 小泉内閣の「改革」で最も泣いているのは生活困窮者です。樋口良子議員が扶助費に関連して、「実態をよくつかんで、制度改善に向けて声をあげるべきだ」と力説しました。同議員とは同じ控え室ですが、彼女を頼りに生活相談をしてくる人がたくさんいます。「夏場でも風呂を3日に1回にしている」など控え室で聞いた生の声を紹介した訴えに、中川助役は、「私どもではいかんともしがたい事務だが、実際の生の声をお聞きして、市長会などの場面で私どもの考えを上に伝えていく」と答えていました。
 基本健康診査事業が今年も問題にされました。基本健康診査、市民健康診査、どちらも昨年度より受診者が減りました。大潟区選出の柳沢議員が健康診査の通知方法の改善を迫りました。また、同区選出の内山議員も「楽しく元気な社会を築くには予防にウエイトを置くことが大事。関係者全員が受診できる体制づくりを」と訴えました。市は「夕方健診」「女性のための総合健診」などを含めて積極的だとみていたのですが、受診者数が減っていることは大きな問題です。
 夕方、児童文学者の杉みき子さんの『くびき野ものがたり』(上越タイムス社刊)の出版記念パーティがあり、早めに会場に入りました。そこで樋口議員から携帯電話で委員会情報が伝えられました。「身体障害者補装具等自己負担額助成に関する条例の廃止」をめぐって、委員から怒りの声が上がっているとのことでしたが、きっかけは同条例の廃止を既定事実化して市の広報に載せたことにあります。先日、私がこれに気付き、「こんな議会軽視を許してはダメだよ」と言っておいたのですが、委員の怒りは当然です。
 さて出版記念パーティは盛大に行われました。ものがたりは、上越タイムスに連載されている時から愛読していましたが、ふるさとを愛する多くの人たちに読んでほしいですね。杉さんは「ものがたりはひとりで書いている気がしなかった。妙高山など郷土のすべてが語りかけてくる言葉を翻訳して書いた。まだタネがいっぱいある。これからも書いていきたい」とのべておられました。これからが楽しみです。会では、高校が同窓である小中学校の校長さんたちや小川未明童話会の方などと親しく懇談させていただきました。
 きょうも雨。稲刈りは2日間ストップしました。


2006年09月05日

厚生常任委員会初日

 議会は、きょうから厚生常任委員会がはじまりました。きょうはまず昨年度の決算審査です。昨年1月1日に合併して初めて、通年で決算を見ることができるとあって、合併にあたって統一、あるいは段階的に統一させるなどとした事務事業が実際にうまくいったか、改善すべき点はないかなどの視点からいろいろな議論が展開されました。
 要援護世帯除雪費助成事業は、旧上越市の制度に統一するとした内容では山間部は不十分であることが合併直後の大雪で明らかになりました。それで昨年度からは機械除雪も対象となり、多雪地域にたいする援助額が増えました。降雪期を前に多雪地域とそうでない地域の線引きをしたのですが、この地域設定についてはなかなかむずかしく、柔軟に対応すると説明されていました。しかし、きょうの議論では、「柔軟に対応する」ための行政側の取り決め、意思統一はされていなかったことがはっきりしました。これではこまります。
 紙おむつ助成事業についての審査では、柳沢議員が、助成対象者が入院した場合でも助成が必要なケースに対しては給付できるよう改善すべきだと迫りました。また樋口議員は、アンケート調査で「自己負担による購入」がまだ52.9%もあることを指摘し、改善を求めました。両議員の質問に対して三浦健康福祉部長は、「総体的な在宅サービスのあり方もふまえ、検討してまいりたい」と答弁していました。
 9月に入って初めて雨が降りました。大きな雨ではないとはいえ、一日中、雨模様だったようです。稲刈りをする気でいた人たちにとっては、いやな天気だったことと思います。気温の方はずいぶん低くなったように感じます。朝晩は、もうクーラーは要りません。クーラーのない、わが軽トラもようやく窓を閉めて走れるようになりました。これで暑い、暑いといってぼやかなくてもよくなります。


2006年09月04日

総括質疑2日目

 総括質疑2日目でした。きょうは5人が登壇しました。1日目と合わせると8人登壇したことになります。これはおそらく上越市議会史でも初めてなのではないでしょうか。8月15日に最大会派の政和クラブが分裂して4会派になったことで、上越市議会の会派は議長を除いて9会派(日本共産党議員団、公明党は正式には党)になりました。まさに多会派時代到来です。
 政和クラブの分裂で新たに結成された4会派も、それぞれ代表を立てて総括質疑を行いました。新聞報道では「市長与党としてこれからも連携していきたい」というある議員の談話が掲載されていましたが、きょうの質疑では微妙な違いを感じさせるものがありました。新会派の1つ、毘風の早津議員は財政健全化の取り組み、防犯安全安心まちづくり条例制定の趣旨などをオーソドックスな形でただしていました。きょう、登壇したもう1つの新会派、自民クラブの小林議員は、合併後初めての通年決算について、「プラスだけでなくマイナスもあるはずだ」とマイナス面も明らかにするよう市長に再三迫りました。この違いは質問者の個性からくるものなのか、それとも市長に対するスタンスの違いからきているものなのか。
 市が今回提案した防犯安全安心まちづくり条例についての質疑はきょうも活発でした。市政会議の矢野議員は、「監視社会を助長しないか」「地域社会を壊すことにならないか」と問題提起し、同じ上越市でも人口密集地帯と農村山間部では安全安心の対応が違うとのべました。同議員は犯罪の最大の抑止力は警察力の強化だとも指摘しましたが、視点は新鮮でした。わが議員団の杉本議員は、まちづくりの視点から、まちづくりのそもそも論を展開しました。敵からの守りを意識した城下町高田の街の造り、学校の敷き地内に遊歩道を設置する話など、注目されました。安全安心の取り組みの議論をさらに深めていくうえで、きょうの質疑はいい刺激になるでしょう。
 きょうは思ったよりも早く質疑が終了したので、いつもより1時間以上も早く吉川区に戻りました。吉川中学校の近くの道路を走って目に入ってくる風景は毎日変わります。五百万石の稲刈りは好天に恵まれ、どんどん進みましたね。もう、終わりに近づいた感じです。


2006年09月03日

地域自治組織についての全国セミナー

 昨日から2日間、自治体問題研究所とにいがた自治体研究所が共催した全国セミナーに参加してきました。会場は大潟区の鵜の浜ニューホテル、テーマは「地域自治組織」についてでした。公募公選制を実現させた上越市に学ぼうということで県内各地だけでなく、全国から約140人の自治体議員、研究者、自治体職員、住民運動関係者などが集まりました。南は沖縄県から北は岩手県まで参加したのですからすごい。改めて上越市の地域協議会委員の「選任投票制度」(行政側が使っている言葉)に大きな関心がもたれていることを知りました。また、いくつもの報告、講演を聴き、これからの地域自治組織を考えるうえでも上越の取り組みが先進事例となることを再確認できました。
 きょうは午前8時から約1時間半、市の防災訓練が吉川区などを会場にして行われたこともあって、午前の部は1時間遅れての参加となりました。最初のプログラムは地域協議会委員との交流会です。ここでは柿崎区の5人の女性委員の話を聴くことができました。投票になるのであれば辞退するつもりだったけれど町内会の集まりで地域協議会や柿崎への思いを語ったら負けられないと思うようになったとか、協議会でゴミ袋の改善など身近な要求を取り上げて実現させたことなどを実に生き生きと語る。女性参画がいかに大切かを学ぶことができた発言でした。この交流会では、名立区の塚田正協議会長や昨晩同じ部屋に泊まった大潟区の委員、佐藤忠治さんも発言されました。地域協議会の今後のあり方を考えるうえで、とても参考になりましたね。
 今回のセミナーではいろいろな出会いがありました。初日、私の隣に座った女性は初対面ですが、私のことをよく知っておられるので不思議だなと思っていたら、私のところへ2回ほど電話相談してこられた方でびっくり。また、いつかおじゃましたいと思っている新潟市の特養ホーム「穂波の里」の上杉さんとも初めてお会いしました。今回のセミナーのテーマには地元の人たちも注目していました。合併協議会の時に一緒に議論した旧大潟町議会議長、村山さんなどなつかしい人たちの元気な発言も聴くことができました。会場で購入した『地域自治組織と住民自治』(自治体研究社)やセミナーのレジュメもしっかり読まなければ……。
 午後から伯母の見舞いを兼ねて「大地の芸術祭」の作品を観に松之山(合併して十日町市になった)の湯山まで出かけてきました。観たかったのは、吉川中学校で子どもがお世話になった前山忠さんの作品です。木端(こば)職人だった家をフルに使った、フレームを通してみる風景を楽しみました。四角形などのフレームをいろんな角度から覗き込んで、農村風景を見る。民家の部屋を見る。暗い部屋の四角い隙間から外を見る。覗き灯籠から庭を見る。小さな池に設置した四角い鏡に映る風景を見る。建物の中には地域の人たちの大切にしているもの、木端職人だった人の道具なども展示されていました。芸術をこんなに身近に感じられる、それも懐かしさとあたたかさとともに。一緒に出かけた妻も「来ていかったね」と言っていました。「大地の芸術祭」は9月10日までです。


2006年09月01日

9月議会総括質疑はじまる

 月が変わって9月。昨日とはわずか1日しか違わないのに、秋になったという実感がするから不思議です。ミンミンゼミの鳴き声は何となく弱弱しくなった感じがします。その一方で、草むらや木の上の虫たちの鳴き声が大きくなったように思えます。夕方、妻と一緒に帰ってきた時、夕陽がとてもきれいでした。頸城区のコシヒカリの「平原」を赤く照らした光景は、「秋だなぁ」と思わせるに十分な美しさがありました。
 9月議会はきょうから始まりました。総括質疑には3人が立ちました。注目したのは「上越市みんなで防犯安全安心まちづくり条例の制定について」の質疑です。われわれ3人の議員団では質疑対象としなかったことを他会派議員がとりあげました。この条例の市民への周知期間の長さについてです。施行は10月1日となっていますから、いまの議会日程でいくと採決した日を含めてもわずか2日しかありません。市長は「この条例は理念条例で、これまで取り組んできたことを後押しするもの。今後、概要版などを発行する他、いろんな機会をつうじて周知していく」とのべ、周知期間を長く取る必要性を認めませんでしたが、無理のある答弁だと感じました。議会にはいろんな考えの人がいて、いろんな角度から議論する人がいる。その大切さを実感した質疑でした。この条例は今議会の最大の焦点になっていきそうな気配になってきました。
 きょうは金曜日。「しんぶん赤旗」日曜版の配達をスタートさせる日です。昨日作成した市政レポートを手直しし、市役所へ行くまでに印刷を終えたいと思ったのですが、一般紙に折り込む分の印刷が終わりませんでした。明日は自治体問題研究所主催の地域自治組織についての全国セミナーが鵜の浜温泉で開かれ、泊りがけとなります。午前中に新聞配達を終わらせ、セミナーに参加するという強行軍ですが、どんな議論があるか、どんな人との出会いがあるか楽しみです。
 「春よ来い」第68回「操作番号」をアップしました。


2006年09月投稿分

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