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2006年04月投稿分

2006年04月30日

災害復旧工事は連休返上

 昨日ほどいい天気ではありませんでしたが、きょうも一応は晴れました。午前は尾神周辺でヤマザクラを撮ろうと出かけたものの、なかなか太陽さんが姿を見せずパッとした明るさになりません。それにうっすらと黄砂がかかっていたのではないでしょうか、遠くの景色がかすんでいました。ヤマザクラは、雪の深かったところを除きすでに終盤です。残念ながら、気に入った写真は撮れませんでした。それにしても、他県ナンバーの車が昨日よりも増えましたね。山菜採りに行く車も多くなりました。
 軽トラで災害復旧現場付近に来て、驚きました。昨日だけでなく、きょうも工事をしていたからです。市之瀬橋のすぐそばでは河川の災害復旧工事が、国田では田んぼに流れ込んだ土砂を片付ける作業が行われていました。田んぼでは田打ち、代かき作業が本格化しているので、災害復旧の工事をやっている人たちも追いかけられている感じがしていることと思います。写真は昨日、東田中で撮影したものです。
 正午からチユさんの段払いでした。正信偈をみんなで読み、お参りをしました。まだ小学校へ行っている子どもたちがハッキリとした声を出して読んでいるのには感心しました。ビールもいただき、酔いが回ったので、車で動き回るわけにはいきません。家に帰ってからは妻の運転で買物に出かけてきました。また体重が増えたので、普段着用のズボンが小さくなってしまったのです。胴回り94センチは明らかに太りすぎです。ビールを飲んだ時にはご飯を食べるな、少なくしろ。言われた時にはそうだと思うのですが、なかなか実践できません。
 「春よ来い」第64回は「春を呼ぶ花」です。ご笑覧ください。


2006年04月29日

連休初日

 うらやましいなぁ、しっかり休める人は。きょうからゴールデンウィークということで、吉川区内の道路はいつもよりも車が多く走っている感じがします。おそらく帰省客でしょう。天気は晴れ。休みであれば、山に入ってのんびり山菜採りでもしたいですね。きょう、一番増えたのは、田んぼのトラクターの数。どこへいっても田打ち、代かき作業のトラクターの姿がありました。
 きょうは市政レポートを印刷したあと、「しんぶん赤旗」日曜版の配達・集金でした。昨日、桜の話を聞いたせいか、どこへ行っても桜が目に入りました。吉川区の山間部、源地区はいま、ヤマザクラが見ごろを迎えています。白色、ピンクがかったものなどとてもにぎやかに咲いています。明日の午前、天気が良ければ、ヤマザクラの撮影に出かけようと思っています。
 配達の合間を縫って、映画「わたしの季節」を観てきました。この映画は長岡市在住の映画監督、小林茂さんの作品です。重い障害を持った人たちやその人たちを支える人たちの命の輝きを追い求めた、この映画の主な舞台は第二びわこ学園。粘土細工などで魅力的な作品を制作しつづける人たちの姿を見たとき、人間の持ち合わせている能力、可能性をもっと大事にしなきゃいけないと思いました。この映画では、映像と共に流れていた音楽がとてもいい感じでした。ややもすると、暗く重い雰囲気になりやすい場面で流れていた歌、好きになりそうです。


2006年04月28日

吉野しだれ桜

 昨日書けなかったのに寝て起きたら書けるようになった。そんなことって本当にあるのかと思われる方もあると思いますが、私の場合、あるのです。もっとも締切りが近づいたため、文章の良し悪しを考えずに書いてしまうという点もありますが……。「春よ来い」の第64回はこうして書き上げました。次の日曜日にはHPに掲載します。それまで2日間ほど寝かせると、また直すべきところも見えてきます。文章は生き物、十分な睡眠時間を与えることによって元気が出てきますから不思議です。
 きょうは「しんぶん赤旗」日曜版の配達・集金でした。途中、吉川区山方のHさんのところで桜の話になりました。4日ほど前に安塚区在住の写真家・高波重春さんがやってきて、境内にある桜の写真を撮っていったというのです。この桜は、吉野しだれ桜といって、背丈は2メートル50センチくらい。開花した花びらとつぼみ、そして葉の組み合わせによって独特の美しさがつくりだされ、ちょっぴり匂いもします。区内では数本しかないめずらしい品種とのことでした。
 高波さんについては、お名前だけは知っていたのですが、時事通信社から『桜』という写真集を出しておられることは知りませんでした。随筆家としても有名な串田孫一さんも桜についての文章をこの写真集に掲載されています。今度じっくりと読んでみたいと思います。高波さんは、この時期は桜の花を追って、あちこちに出かけて撮影しておられますが、吉川区内山間部のヤマザクラもその対象の1つということでした。尾神地内の屏風山のヤマザクラに惹かれている人は、けっこういるんですね。


2006年04月27日

今年のウドはかたいという人もいますが…

 朝、杉本議員から電話で、安い軽乗用車があるので見に来ないか、と声をかけてもらいました。それで、長女と一緒に出かけてきました。まだ8万キロしか走行してなくて、車体もエンジンもしっかりしています。何よりも値段が手ごろです。慣れないオートマではありますが、29万キロ乗った、いまの軽乗用車に比べればずっといい。というわけで、気になっていた長女の古い車を入れ替えることにしました。長女は、「いまの車をばらすのはさみしい。どこかで有効に使ってもらえないかなぁ」と言っていました。
 午後からは「しんぶん赤旗」の購読のお願いで3軒ほど回りました。農家はこれからが農繁期です。忙しい時期ですが、1軒の農家の方から、「読んでみましょう」と約束していただきました。回った3軒では、市政レポートをよく読んでいてくださり、わざわざ綴じておいてくださる方もありました。2軒でお茶をご馳走になり、ウドの粕和え(?)もいただきました。今年のウドはかたいという人もいますが、出されたものはとてもうまく、2皿もご馳走になりました。帰り道、わが家の田んぼだったところで10本ほどウドを採ってきました。手ごろの大きさに生長してきています。
 夜は「幸せめっけた」の原稿整理と市政レポート作成でした。原稿書きが進まず、睡魔が襲ってくる。こっくりしながらパソコンに向かっていたのでは、はかどりません。早めに布団の中に入ることにしました。


2006年04月26日

検査結果は「悪性ではない」

 喀痰検査及び病院での喉のTV撮影の結果が出て、きょう、医師から説明を受けました。喉に何かが残っている感じが依然として続いていて、声がかすれやすい状態であることから、覚悟して臨んだのですが、医師からは、「痰が取れにくくなってはいますが、悪性の病気ではありません」との言葉をもらいました。午前の勤務を休んで病院までついてきた妻もホッとした様子でした。
 喉のTV撮影写真ではバリウムが正常に流れていることが確認できましたし、再度、鼻からカメラを入れて喉の具合をみてもらいましたが、こちらも異常なしでした。ただ、気管支の入り口付近で痰がバランスよくたまっているものの、取れにくくなっています。この点については、12年前までタバコを1日あたり3箱吸っていた影響や、喉に無理がかかっていることを指摘されました。水分を十分補給して痰を取ることにも気を配る必要があるとのことでした。今後は街頭演説を連続してやることなどはできるだけ避け、水分補給をキチンとすることにします。
 さて、きょうは、読んでみたいと思っていた本を入手し、一気に読みました。筆坂秀世氏の『日本共産党』(新潮新書)です。著者はセクハラ事件を起こし、参院議員を辞め、最後は党から離れていった人ですが、私は数年前の議員研修会で、一度だけ言葉を交わしたことがあります。落着いて、論戦力のある、すごい人との印象を持ったものでした。それだけに昨年、『週刊新潮』に「日本共産党への『弔辞』」と題する「特別手記」を掲載し、党に敵対する立場を明確にした時にはがっかりしました。
 今回、この本を購入したのは、不破前議長や浜野副委員長の反論文を読んだ時に、本の具体的な内容を読んでみたくなったからです。事件を起こした相手方へのお詫びの言葉がないなど反論文の通りでしたが、私が気になったのは彼の人間性です。確かに頭が良かったのでしょうが、高校入学の経緯を書く時に、中学校の先生が「秀世君は勉強が良くできるので…」と書く、この感覚はいただけません。それともう1つ、宮本議長退任の経過などを書く時に事実経過を丁寧に追う姿勢がないことも気になりました。あの論理的で明快な話をしていた議員時代からは想像できないものです。
 反論文の中で不破さんは、「筆坂氏の次々持ち出してくる“本当の姿”なるものに1つ1つ付き合うつもりはないが、私の立場上、どうしても触れる責任があると思う2、3の点についてだけ、発言しておきたい」として、宮本議長退任の経過や自衛隊論などを取り上げ、的確な反論をしていますが、選挙総括の仕方、党建設など「次々と持ち出してくる“本当の姿”なるもの」についても、このままにしておいていいものだとは思えません。責任ある立場の人が赤旗などで事実に基づいて反論を書いてほしいと思いました。


2006年04月25日

安塚区では残雪2m以上のところも

 桜前線は南から北へと動いていく。日本列島全体でみればその通りです。しかし、小さな範囲では必ずしもそうならないことをこの目で見てきました。きょうの夕方、安塚区の北の方から南の方に進み、キューピットバレースキー場まで行ってきましたが、残雪の量がどんどん多くなり、桜は満開状態から開花一歩前という状態に変わっていきました。南の方に行くほど標高が高くなるところでは、こういう具合になるんですね。
 きょうは午前中、「しんぶん赤旗」代金の集金でした。午後からは、にいがた自治体研究所の、地域自治区と地域協議会の問題での現地調査に杉本議員とともに同行しました。これまで同研究所では大潟区でも現地調査をしてきています。今回出かけたのは、ガバナンスで紹介された安塚区です。総合事務所の岡次長さんなどから地域協議会の取り組み、NPO法人・雪のふるさと安塚の活動などについて説明していただきました。どちらもスタートしてからまだ2年目、課題はたくさんあると感じました。
 総合事務所での調査を終えてから、苗代除雪の状況などについても視察してきました。一番南の須川では、まだ雪が2メートル以上残っていました。昨年よりも残雪は多いということでした。そういう田んぼをブルやユンボで除雪して苗代を確保していましたが、すぐそばには雪ががっちり残っていて、冷たそうでした。気温もかなり低かったですね。こういうところでは生育障害が出ないかと気になりました。


2006年04月24日

尾神岳も米山もかすんで見えず

 お葬式で一番心配したのは天気でした。特に雨に降ってほしくなかった。朝から強風が吹き、雨もぱらついていました。しかし、出棺の時にはおだやかないい天気に変わり、安心しました。頸北斎場へ向かうマイクロバスからは、新芽が出始め、山桜の咲いた雑木林がよく見え、「ばあちゃんもいい時に死んだね。雪も無いし、田んぼも忙しくなる前。景色もいい」などという言葉が聞こえてきました。
 火葬が終わり、チユさんのお骨があがったのは、ちょうど正午でした。収骨にあたっては家族、親戚全員で骨を拾い、骨箱におさめます。97歳という高齢のせいか、全体に骨の量が少なく、足の骨などはまるで紙のような感じでした。ハシで拾おうとしてもぱらぱらとこわれてしまいます。喉仏も見つかりませんでした。収骨が終わって再びマイクロバスに乗った時、黄砂がひどくなっていました。米山も尾神岳も薄黄色のかすみにおおわれ、まったく見えませんでした。
 夜は党支部の仲間と月末及び連休中の活動の打ち合わせをしました。調子の悪かったテレビデオも今晩は正常に作動し、これまで観ることのできなかった24回党大会ハイライトをやっと観ることができました。「しんぶん赤旗」で報じられていた鳥取県の80歳代議員・西川さんや福島県の畑中代議員の発言には全員で大笑いでした。ユーモアたっぷりで、ドラマに満ちていて、観れば元気が出てくるこのビデオ、支部の仲間や後援会員のみなさん全員に観てほしいと思いました。


2006年04月23日

お通夜で

 きょうは朝からずっと葬式の準備でした。部屋を仕切っていた戸を外す、長年使っておられたベッドを片付ける、玄関前の植木鉢を移動させる、こういった作業は大勢でやったので、2時間足らずで終了しました。その後はパソコンを使って、焼香順を決めたり、初七日の席を考えたりしました。こういうことは、たびたびあるわけではないので、どういうのがベストなのか、迷います。
 夕方からは納棺そしてお通夜です。お通夜では参列者全員でお経を読み、その後はお坊さんの法話を聴きました。仏教ではわれわれは凡夫である。みんな世間体を気にして生きているが、世間体の奴隷になってはいけない。いまの世の中は資本主義だ。いい化粧をしたい、ゲーム機がほしいなどと購買欲を宣伝であおられる。そういうのに負けないで、つましく生きることが求められている。また、いまは民主主義の時代でもある。多数決の原理の尊重をいわれるが、多数決で決めたことが正しいとは限らない。そのいい例が先の大戦だった。法話をのべられたのは真宗大谷派のご住職、話の最後は平和の大切さを訴えられ、感銘しました。
 法話のあとはお酒を飲んで、いろいろなご馳走をいただきました。ここの従弟のところに嫁いできたNさんは長野県諏訪地方の出身です。酒の肴に、わかさぎの佃煮などめずらしい食べものも出てきました。お酒の銚子は4合入りとあって、これまためずらしい。話題になりました。親戚の人たち、地元の人たちとの会話では、市議会の動きなども話題になります。現在進められている河川の災害復旧工事の状況、今冬の雪対策のあり方、農業新政策など、たくさんの質問が寄せられました。おかげで、たくさん飲んだ割には眠気ゼロでした。


2006年04月22日

ウドの初採り

 ソメイヨシノの満開状態が続いています。きょうは3月下旬のような寒い1日でしたが、この寒さが花時を持続させているのでしょうか。新聞配達をしていても、話題の1つは桜です。「ウソが食べなかったので今年の桜は花がいっぱい付いている」「高田の夜桜もいいが、村屋の村松さんちのしだれ桜もいい」。この分だと、あと3日はソメイヨシノやしだれ桜を楽しめそうです。
 さて、きょうは、夕方、初めてウドを採りました。源地内の南向きの斜面に10本ほど20センチくらいの長さのものが出ていました。まだ少し早いので、このうち3本だけ採ってきました。新聞配達の途中に思いついて採りに行ったので、鎌などの道具はありません。手だけで採ったものですから、上手には採れませんでしたが、美味しそうです。
 家に戻って数分後、ヤスイ叔母さんのところのチユおばあさんが亡くなったとの連絡が入りました。わが家の大事な親戚の1つです。ただちに駆けつけ、家族や親戚の皆さんなどと夜10時半ころまで葬儀の相談をしました。亡くなったチユさんは97歳、吉川区では長寿番付で10番以内に入っていました。体が次第に弱り、7年前からは叔母がずっと世話をしていました。駆けつけてくださったお坊さんは、こうした事情を聞くなり、「そうですか、大往生です。ご苦労さんでした」と叔母に声をかけておられました。


2006年04月21日

うれしいことの連続

 「しんぶん赤旗」日刊紙の配達当番でした。大潟区の新聞屋さんまで取りに行くのですが、新聞と一緒に『議会と自治体』誌の5月号がおいてありました。ただちにめくりました。私が書いた「私の工夫、私の挑戦」という文章がどうなっているか見たくなったからです。ゲラの段階で一度、読んでいるとはいえ、印刷され、本の中の一部になっているのをみるとうれしくなりますね。サクラタデの写真もカットもきれいに掲載してもらいました。あらためて読んだ自分の文章、地域政治新聞の果たす役割を土台にした構成にすればよかったなとも感じましたが、それは別の機会にきちんとやりたいと思います。願わくは、私の文章を読んだ読者のみなさんの中から、「これくらいのことで載せるなら、俺の方がもっとおもしろい工夫をしているよ」という人が1人でも出てくれますように。
 『議会と自治体』誌の今号を手にして、もう1つ、うれしいことがありました。長野県松川村の前村議の井川のぶ子さんの「アルプスのふもと、ちひろ美術館の村」という文章が私のすぐ前のページに載っていたからです。数年前からお付き合いさせていただいている、まだ60代の、とても素敵な方ですが、彼女と腕を組んで歩いているような気分になりました。1ページをフルに使っての文章はいつものとおり、わかりやすい。また、今号に掲載された、少し左の方が下がっている有明山の写真、これもよかったですね。何よりもうれしかったのは、選挙での予想外の厳しい結果にもかかわらず、元気を出して、自分の住んでいる村の魅力を全国に紹介する文章を書かれたことです。また井川さんに会いたくなりました。
 きょうは、昼間、全議員懇談会、夕方からは頸城、柿崎、大潟、吉川区の日本共産党後援会主催の「講演と花見の会」でした。夕方からの会には、50人近くの人たちが冷たい雨が降る中、出かけてくださいました。衆院北陸・信越ブロックの比例候補である、山口典久さんの演説を初めて聴きましたが、人の心をやさしくつかむ力を持ったすばらしいものでした。グアムへの米軍基地移転費用をめぐる日本政府の体たらくをきびしく批判すると同時に、3人の子どもへの愛情、教育への想いを語る。そこには平和と人間愛がしっかりと結びついているなと感じました。
 花見は頸城区百間町の栄恩寺が会場でした。外は雨でどうなるかと心配したのですが、栄恩寺さんがお御堂を会場に貸してくださいました。しかもストーブまでつけて暖めておいてくださったのです。ありがたかったですね。ライトアップされたしだれ桜は本当に見事でした。雨に打たれてさみしそうな感じ、これも桜のひとつの表情でしょう、いいものです。会場では頸城区の女性後援会員の皆さん方がちらし寿司、漬物を用意してくださいました。1000円会費ではもったいないような美味しい料理でした。感謝です。そうそう、もう1つ、うれしいことがありました。栄恩寺は真宗大谷派のお寺ですが、お御堂には全国9条の会のカラーポスターがはってありました。真宗大谷派寺院の平和への姿勢は、しゃんとしていますね。
 「私の好きな風景」に「吉川区総合事務所の桜並木」掲載しました。


2006年04月20日

野山がだんだん緑色になってきた

 平日、吉川区にほとんどいることができる日というのはあまりありません。きょうは、朝、妻を職場に送り届けてから、吉川区で過ごしました。原稿書きが中心でしたが、区内の災害復旧現場や市道の痛んでいる箇所のチェック、そして気分転換もかねてコピー用紙を買いに出かけたりしました。当たり前とはいえ、出かける先々で知っている人に出会うと、なぜかうれしくなります。
 きょうは時たま太陽が顔を出したものの、寒い1日でした。山間部ではうっすらと雪が降ったそうです。午後、尾神集落にある大きなしだれ桜を撮ってこようと出かけたところ、旧吉川町役場職員だったHさんとばったり出会いました。Hさんは区内外で活躍しているアマチュアカメラマンで、しだれ桜を撮影していたところでした。私が到着した時には、雪が舞うことはなかったのですが、Hさんは雪の舞うなかでのしだれ桜を撮ったとのことでした。どんな写真なのか、早く観させてもらいたいものです。
 私がねらっていたのは、近くに残っている雪や屏風のような山をバックにしてしだれ桜を撮ることでした。残念ながら、現場に着いた時にはそれまで見えていた青空が消え、曇り空になってしまったので気に入った写真にはなりませんでした。青い空と白い雪、ピンクのしだれ桜といった組み合わせの写真を撮る絶好のチャンスと思ったのですが……。
 ここ1週間で木々の芽吹きがかなり進みました。わが家の周辺の色もだいぶ緑色が増えてきました。山間部では川沿いにコゴミの姿も見えました。いよいよ本格的な山菜シーズンがはじまります。来週は時間をつくって山菜採りにも出かけてきたいと思います。


2006年04月19日

日本共産党草加市議員団が上越市を訪問

 さすがは埼玉県党だと思いました。党の女性議員をどんどん増やし、日本共産党の女性議員が全県で100人を超えたというニュースは何年か前に聞いていました。きょう、上越市を視察のために訪問された草加市の日本共産党議員団は4人のうち、女性がなんと3人です。議員団長も幹事長も女性でした。たいしたものです。
 草加市の議員団が上越市にこられたのは、地域自治区と地域協議会について学ぶためということでした。説明役は野澤企画・地域振興部長で、約1時間半にわたって、上越市の合併に至るまでの経過や都市内分権の考え方について語りました。私もこれまでの経過などについては知っているつもりでしたが、合併協議会事務局の中心にいた人から聞く話の中身はとても興味深いものでした。上越地方の商業圏域を意識して合併の枠組みを考えた、地域事業費算定にあたっては貯金も借金も計算して不公平にならないようにしたなどといった話は、草加市議団のみなさんにとっては新鮮だったようです。団長の大野議員は、「合併にいたる経過をふまえて地域協議会を説明してもらい、分かりやすかった」とのべていました。
 昼食は直江津のハイマートの中の食堂でした。昼食を食べながら、杉本議員とともに草加市議団と交流しましたが、市町村合併に対するスタンスなどで意見交換しました。草加市議団は昨晩、市内に宿泊したとのこと、もっとゆっくり交流できればよかったなと思いました。振り返ってみると、昨年2月に市議になってから、新潟県外の党議員団と上越市議団とで交流したことはありません。たまにはそういう機会も持ちたいものです。


2006年04月18日

田打ち始まる

 雪が消えてから、農家が見ているのは田畑の乾きぐあいです。乾くのを待って田畑を打ち始めるのです。きょうは下町地内で数軒の農家がトラクターで田打ちをしている姿が見えました。こういうのを見ると、次の土日には作業がパッと広がることになります。JAがすすめているのは来月中旬に田植えすることですので、これから田んぼはもちろんのこと、畑もにぎやかになります。
 きょうは先週に続いて病院で喉の検査をしてきました。バリュームを飲んでTV撮影をする。わずか10分ほどでしたが、写真選びなどで30分ほど待たされました。結果は来週出ます。依然として喉のつかえ感があるので、原因がはっきり判ればいいのですが……。午後には歯医者にも行きました。これから6月議会までの間に治療を終えたいと思っています。
 午前の検査と午後の歯医者の間に「幸せめっけた」の古い原稿を整理し始めました。本に掲載されなかった40くらいの随想の中から10数本選び出し、「春よ来い」の中の気に入ったものも加えて1冊の本にする作業の一環です。現段階の構想では、140ページくらいの、手軽な読み物にしたいと思っています。この編集作業も6月議会前には完了させたい。


2006年04月17日

カエルの歌が聞こえました

 春がやってきて暖かくなったんですね、やはり。夕方、牛舎の外にいたら、数匹のカエルたちの合唱が聞こえてきました。もちろん、今年初めてです。この合唱が大規模化すると、歌ではなく雑音に聞こえてしまいますので、いまの規模がいいですね。ケケ、ココ、ケケ、コココ。冬眠から覚め、久しぶりに外に出たカエルたちの合唱は耳にやさしく入り込んできました。
 きょうは党議員団の団会議でした。団と各議員の政務調査費の報告が出そろったので、団の新年度の活動をどうするか、予算をどうするか、阿部党上越地区委員長も含めて検討しました。今年は9月上旬に、上越市で「地域自治区と地域協議会」についての全国的な規模での研究集会が予定されています。地元としてどう対応するかが問われています。連休明けには妙高市、糸魚川市の党議員と泊りがけで大会決定等の学習会をやることにしました。議会報告だけで莫大な経費がかかるので、先進地調査、自治研集会などの調査研究費が足りない、どうしたらいいかと話し合いました。
 団会議が終了してから、杉本、樋口議員とともにわが家で市議会報告の残りの印刷作業及び仕分けをやりました。昨日のように1人でやっているのと違い、おしゃべりをしながらの作業ですので、時間はあまり気になりません。途中、樋口議員が買ってきてくれた美味しいコーヒーゼリーを食べて休憩しましたが、夕方にはすっかり終わりました。この作業が終わったことで、3月議会にやっと区切りをつけることができました。


2006年04月16日

6分間の印刷中にできたことは

 風が強く、時折雨がぱらつく天気でした。これでは、桜を見に出かけた人たちも大変だったでしょう。私に関しては、「しんぶん赤旗」日刊紙の配達とコピー用紙を買いに出かけた以外は、ずっと印刷機と付き合いをしました。印刷は党市議団の市議会報告チラシです。私の担当はB4サイズ2万枚ですので、両面刷ると4万回となります。500枚を6分で印刷するペースで続けましたが、きょうは1万2000枚ほど両面を刷り上げました。残りは片面8000枚です。
 最近の印刷の仕事はずいぶん楽になりました。一昔前のように、インクの調節もしなくていいし、リズムにのれば、けっこう早く、楽しくやれます。ま、一番、手のかかるのは、両面を刷る場合に、片面を刷った後に紙を整えることでしょうか。でも、これは30年以上やっていますので、私はプロです。紙に空気を入れて、あっという間にトントンと整えることができます。
 最初の片面を印刷をする時には、6分間の印刷中にいろんなことができます。きょうは、事務所内のナイロン系ゴミと燃やせないゴミの分別、雑誌の整理をやりました。雑誌は、古くなり、もう読むことのないものを紐に縛るのですが、時たま、気になる記事に出会ったりして、けっこう時間がかかります。すぐには捨てがたくて、今回改めて読んだのは議会活性化に関する小論でした。そもそも議会活性化とは何かから始まって、「質問取り」の評価、議場でのパソコン導入など興味深いものがいくつもありました。
 昨日の、私の拙い文章を読んで、2人の方から励ましと慰めの言葉を寄せていただきました。ありがとうございました。


2006年04月15日

もう、牛たちは…

 もう、牛にエサをくれる時間になったかどうか考えなくていい
 もう、発情がきたかどうかを観察する必要もない
 もう、牛たちの後ろの後始末(糞尿)をしなくていい
 もう、お産が始まったかどうかという心配をする必要も無い
 もう、牛舎の水が凍ったかどうかも心配しなくていい
 もう、エサ屋さんへお金を払うお金があるかどうかも心配しなくていい
 もう、牛舎の臭いが漂っていき、人様に迷惑をかけていないか考えなくていい
 もう、牛たちの脱走はない
 しかし、
 もう、牛たちの鳴き声は聞こえない

 2006年4月15日撮影。
 わが家に最後まで残っていた牛たち。このほかに仔牛も1頭いた。


2006年04月14日

直江津戦略プラン

 直江津地区の人口減少率は38.8%で、旧安塚町、旧牧村なみだ。こういわれるとびっくりするでしょうが、昭和50年から平成12年までの25年間のデータはそうなっています。この極端に落ち込んだ市街地をいかにして生き返らせるか。市はこのほど、『直江津地区まちづくり戦略プラン』を策定し、総務常任委員協議会で説明しました。基礎データ、地元ヒアリングなどで現状をしっかりおさえ、課題を整理して打ち出されたものは、駅とまちをつなぐなどの基本方針と10項目の基本戦略です。
 「実際のデータにあたって方向性をきちっと出している」「基礎だけつくっておいて、あとはみなさんでお作りくださいよとなっていて、未完成交響楽としての魅力がある。いままでにない遊びのある計画だ」。『戦略プラン』に対する総務常任委員の評価はとても高いものでした。鉄道の町ならでは魅力を生かし、都市観光の視点もとり入れて、市民が輝くまちを復活させる。野澤企画・地域振興部長の説明や各委員の意見を聞いていてとても勉強になりました。きょう『戦略プラン』を手にしたばかりですので、簡単には評価を下せませんが、急激に過疎化がすすんだ原因分析も入っていれば、さらに読み応えのあるものになったでしょう。
 きょうの委員協議会では、説明にプロジェクターも使われました。こうした審議で使われたのは、私が市議会に出てからでは初めてです。野澤部長の語りのうまさもありますが、分かりやすく、説得力のあるものでした。これを受けての委員の議論も積極的で、内容の濃いものが多かったと感じました。きょうの審議風景を見ながら思ったのは、常任委員会審議のあり方です。説明だけでなく、質問にもパソコンやスライドを使いながらやれたら、まちがいなくいい審議ができる、そう思いました。議会活性化委員会でも話し合ってほしいですね。


2006年04月13日

自治基本問題調査特別委員会

 きょうも1日、会議でした。午前の自治基本問題調査特別委員会では、自治基本条例制定に向けた議論が行われました。現在、市民会議で検討が重ねられ、素案作りが最終盤を迎えています。これが終了すると、市民会議のリーダー、専門家、各種団体代表などが入った検討委員会で条例案づくりが行われることになっています。きょうの会議では、「素案を市民の中に持ち込んで、もっと広く、市民の声を聞くべきではないか」「議会と市民会議で意見交換できる場を持てないか」など意見や提案が次々と出されました。
 自治基本条例は自治体の憲法といわれています。それほど重要な条例ではありますが、市民の中にいまの動きが伝わっているかというと、ほとんど伝わっていません。HPでの情報発信、フォーラム開催もけっこうですが、市長の市民トークなどで重要な柱としてとりあげたらどうでしょう。吉川町まちづくり基本条例づくりで勉強になったことの1つは、法律についてはまったく素人の人たちの中から、きらりと輝く提案や提言がいくつも出てきたことでした。多くの市民が読んでみたくなる、わかりやすい条例、市民の暮らしの中に息づく条例をめざして取り組みを強めていきたいものです。
 午後からは、議会活性化委員会での各党各会派の提案についての党議員団の検討会でした。この委員会でとりあげるべきものと、そうでないものをキチンと区別した上で、対応することにしました。きょう、一番検討の時間がかかったのは、常任委員会の所管事務調査のあり方、活発化です。参考文献もひっぱりだして勉強しました。きょうは、このほか、定例会ごとに出すことにしている「市議会報告」のレイアウト、原稿内容の確認などをやりました。


2006年04月12日

柿崎病院後援会発足

 家畜商が牛を引き取ることになっていた予定日はきょうでした。しかし、都合により数日遅れるとの連絡がありました。きょうで牛の世話をしなくてよくなると思っていたので、困ったなという思いもありますが、なぜかホッとしています。牛たちのわが家における最後の写真を昨日撮ったのですが、エサを食うのに集中していて、あまりいい写真となっていなかったので、これでもう1回撮り直すことができます。
 きょうは午前が市議会の食料農業農村議員連盟の定期総会、午後は県立柿崎病院後援会の設立総会でした。
 食料農業農村議員連盟の活動は、昨年の途中から13区選出の議員が加わったことで、活気が出てきたようです。特に実際に農業をやっている人が何人も新たに入った影響は大きいと感じました。私は、昨年度に引き続き農産物生産部会に入って活動することになりました。
 さて柿崎病院後援会、ようやく発足しました。市議会で一番最初に病院「改革」による柿崎病院廃止の危険性を訴えたものとして、とてもうれしく思います。後援会準備会の中心になってきた旧柿崎町長・楡井辰雄さんは、主催者代表として挨拶に立ち、「柿崎病院はこれまで地域に根ざした大事な病院として、がんばってきた。後援会は旧3町長、市議などが呼びかけ準備を進めてきたが、これまで山あり谷ありだった。これからは3区3万人の市民が一緒になって力を合わせ、大事に育てていきたい」とのべました。
 きょうの設立総会に集まったのは各区の町内会長など約30人です。会則を決めた後、役員や各種規程、予算などを決めて総会そのものは30分足らずで終わりました。その後で、病院関係者が情勢報告をしてくださいました。県立病院改革の動きにふれながら、深刻さを増している医師不足について話されたことが強く印象に残りました。眼科の後釜がいない。内科は本来3人体制なのだが、いま2人でやっている。1年に8000人の医者が誕生するが、2年分のドクターが足りない。特に中小病院の医師がいなくなってきている。高齢化社会の中にあって、地域の医療機関の果たす役割が大事になってきているので、こういう後援会の力を発揮して、病院を伸ばしていただきたい、と訴えておられました。
 後援会が発足したことにより、これからが存続と機能維持の運動の本番となります。
 
 青空が広がり、山がハッキリと見えるいい天気でした。このページの尾神岳の写真、入れ替えました。


2006年04月11日

『わたしたちの上越』

 先日、市教育委員会が合併後初の社会科副読本を作成しました。『わたしたちの上越』というタイトルで、小学校3、4年生向けのものです。新しい上越市を子どもたちにどう教えるのか、とても興味があり、きょうはこの副読本を一気に読みました。小学校中学年向きとはいえ、私の知らないことがけっこう盛り込まれていて、とても勉強になりました。副題は「もっともっと知りたいことがいっぱいある!」となっていますが、大人であれ子どもであれ、新上越市を知りたい人はぜひご一読を。
 土地の様子を学ぶところでは、航空写真と地図を並べて対比させていますが、こういうのはふだん見ることのできないものです。「工場ではたらく人びとのしごと」では直江津のかまぼこ店にスポットをあて、とても詳しく紹介しています。この工場では個人の注文にも応えていること、原料となる魚のすり身を外国でつくられたものを使っていることなど初めて知りました。下水やごみの処理の仕組み、市内の主な用水などについての知識もこの副読本でしっかり頭の中にたたきこんでおきたいと思いました。大熊川や別所川を横切る際、上江用水は川の下をくぐる仕組み(サイフォン)となっているところなどは見に行きたくなりました。
 それにしても読みやすく編集してあります。写真がいっぱいで、身近な人や風景などが出てくるのでうれしくなります。それに似顔絵カットは登場人物に良く似ていて好感が持てました。久保田農園の久保田さん、杉田みそ屋さんの奥さんなどほんとうにそっくりです。この副読本で、子どもたちは新上越市についての知識を広げ、理解を深めてくれることでしょう。ただ一部にこれでいいのか疑問をもったところもありました。たとえば、米の生産量は市の統計要覧などで合併後のデータがわかっているのに、合併前上越市の数値を使っています。ごみの量もそうです。それともう1つ、子どもの立場にたてば、もう少し狭いエリアでの副読本もほしくなりますね。


2006年04月10日

議員活動経費は市の「政務調査費」を大きく超えた

 相変わらず寒い日が続いています。ソメイヨシノはなかなか開花しないですね。でも今朝、高田の北城町を通ったら、一本の木だけでしたが、赤く膨らんだつぼみに白いものが見えました。明日あたり、太陽さんに「そろそろいいんじゃないの」と声をかけられれば開くような気がしました。
 さて、きょうは午前中に県立中央病院へ行ってきました。3月議会でひいた風邪による喉の痛み、というより軽い違和感がいつまでも消えないので検査してもらうことにしたのです。きょうは鼻からカメラを入れてもらい、診てもらいました。医師から、大丈夫でしょうが念のため、ということで喀痰検査とレントゲン検査をすすめられました。来週、再来週と検査、診察が続きます。この年になれば、どんな病気がやってきても不思議ではありません。早め、早めと対応していかないと……。
 午後からは政務調査費の報告期限が迫っているので、そのまとめをしました。まだ最終チェックはしてありませんが、60万円ほどのお金を使っています。その中心は広報費です。私の場合、毎週発行している市政レポート発行費用がばかになりません。紙代、インク代、新聞折込料などです。昨年度はこの他に議会報告会にまつわる経費もたくさんかかりました。昨年、政務調査費が15万円から30万円になったことで、お金が余って「事実上の報酬」になるのではないかという人もいましたが、とんでもありません。30万円を越えた部分はすべて持ち出しとなっています。これらは近く、明細をお知らせします。
 夕方、家に戻ると、『議会と自治体』誌編集部から先日の原稿のゲラが届いていました。一つひとつの文章を丁寧にチェックし、練り上げ、分かりやすく、読みやすくする。一連の作業を見て感じたのは、出来上がった本の文章をもっと大切にしなければいけないということです。「ま、こんなもんでいいや」と中途半端にしないで、いいものにするために、印刷に入る直前まで、とことんねばる、こういう編集の努力を思い浮かべながら同誌を読もうと思います。これからは。なお、私の原稿は同誌5月号の「私の工夫、私の挑戦」シリーズに載ります。


2006年04月09日

道普請

 午前は道普請でした。朝の8時から11時までみっちり3時間、農道のくずれた場所を直す作業をしました。作業をして、改めて昨年の水害のひどさを感じました。堤防を越えた川の水が田んぼを次々と襲い、農道を乗り越え、さらに下流へ下っていく。その流れがどういうルートだったかを農道の痛み具合だけでも分かるのです。きょうの普請では、水でえぐりとられた場所に土のうを積み、田んぼに流入した土砂を農道に戻す作業でした。
 こういう作業をしていると、一緒に仕事をしている人たちといろいろ話ができるのでいいですね。今年は3月のうちに農道に砂利を敷いたが、市の「原材料支給・機械借上げ制度」を活用したので、助かった。柿崎病院存続はでっかい問題、絶対なくしちゃいけない。夜遅くなって、一般質問の再放送を偶然観た。「橋爪法一と語る会」で聞かせてもらえそうな話をきけたので、今年の「語る会」のイメージを膨らませることができました。
 午後からは、上川谷へ市政レポート配達に出かけてきました。冬、関東地方へ行っていたSさんも戻っていて、その分、活気が出た感じがします。雪解けが進み、残雪の高さは私の背丈より少し高い程度になりました。写真を撮る時、土手を見たら紫色のスミレが見えます。集落内で初めて見つけた花でした。帰り道、野の花に注目しながら、軽トラを走らせました。上川谷と角間の間では、スミレの他に、ショウジョウバカマ、カタクリを見つけることができました。こうした花を見ると、長い冬が終わったんだなと思います。
 久しぶりに「春よ来い」を更新しました。第63回は、「巣立ち」です。ご笑覧ください。


2006年04月08日

『詩のこころを読む』

 すごい雨風と黄砂。きょうの天候です。「しんぶん赤旗」日曜版の配達をするには最悪でした。軽トラの運転では、ハンドルを両手でしっかり持っていないと風で飛ばされる感じがしました。傘も差せないので、なるべく雨にぬれないようにと、車から降りて配達する時は、走りました。この風が今年初めて黄砂を運んできました。車のフロントガラスはちょっと経つと、泥で汚れました。気を使ったおかげで夕方、終わった時はもうぐったりでした。
 夜は日本共産党と後援会合同の旧頸北地域ブロック会議でした。21日午後6時半から頸城区の希望館で、山口典久衆院比例代表候補を迎えて、「党を語る会」を開催します。その内容の検討などの準備が主なテーマです。国政の情勢と日本共産党の役割については山口さん、市議会報告は私が担当することになりました。10分ほどで議会報告ということですから、しっかり準備しておかないと、あっという間に時間が来てしまいます。でも終わった後には、しだれ桜をみて懇親会をやるとのこと、楽しみです。
 昨日から茨木のり子の『詩のこころを読む』(岩波ジュニア新書)を読み始めています。詩だけでなく言葉はすべて、感情の奥底から発したものでないと他人の心に達することはできない。濱口國雄の有名な「便所掃除」などの詩の解説を読みながら、改めて感じています。
 それにしても、茨木さんが使う言葉は洗練されていて具体的です。短くても決まっています。濱口のこの詩の解説でも、「詩たらしめたものは終わりの4行なのです。(中略)飛行機にたとえていうと、一つひとつの労働描写のつみかさねは、じりじり滑走路をすべっている状態で、だんだん速度をはやめ、或とき、ふわっと離陸した瞬間が終わりの4行なのです」「言葉が離陸の瞬間を持っていないものは、詩とはいえません」と書く。こんな文章を書けるようになりたいと思います。


2006年04月07日

牛舎内で飼っている全頭手放すことに

 サクラのつぼみが赤く、大きくふくらんできました。妻の職場は高田の夜桜の会場近くにあるのですが、花をひとつだけ見つけたそうです。この調子でいくと、日曜日か月曜日には開花となるでしょう。夜、高田の街中を軽トラで走りました。一番にぎやかだったのは飲み屋街のある仲町でした。これは歓送迎会の関係でしょう。高田公園はこれからといった感じで、お客さんの入りは少なかったですね。
 きょうは市役所の議員控え室にお客さんが見えました。高田公園の花を見に行く途中だとかで、NPO法人よしかわ・たすけあいのメンバー8人が寄ってくださいました。控え室を訪ねてこられた人たちの規模としてはこれまでで一番です。本会議場、委員会室を案内し、市議会の説明をしました。8人のうち、7人はまったく初めてだそうで、なかには、「いいところを見せてもらった。これで、いつお迎えが来てもいい」などと言う人もいました。
 夕方、頸城区の家畜商Oさんと久しぶりに会いました。和牛の相場は比較的安定していると聞きました。わが家の3頭を見てもらった結果、来週前半には引き取ってもらうことにしました。さみしい気もしますが、現実問題としてキチンと世話できない状態になっていますので、やむをえません。牛舎内で放し飼いにしていた仔牛は、きょうから、つないで飼う形にしました。いままで自由にしていたのでおもしろくないのか、この牛は夜遅くなっても大きな声で鳴いていました。
 気になっていたトップページの写真、入れ替えました。田んぼの雪がすっかり消えています。これから、ここの茶色が農作業の進展に伴い、いろんな色に変わっていきます。


2006年04月06日

小中学校入学式

 入学式にふさわしい天気というのがあるとすれば、きょうの天気がそれにあたると思います。ちょっぴり冷たい風が吹いているけれども、空には青空が広がっている、そんな天気です。こうしたなか、吉川小学校では40名が、吉川中学校では57名が入学式を迎えました。同じ入学式でも、小学校と中学校では違いがあって、それぞれの味というか雰囲気がかもしだされていると感じました。
 まず、小学校。初めての入学式とあって、保護者の参加姿勢が積極的です。夫婦で参加している人たちが多く、男性陣はビデオカメラ持参、新入生が式場に入ると一斉にカメラが回りだします。
 新一年生も、みんな、これから何が始まるのか、という感じで落ち着きがありません。でも返事が良い。加藤校長が挨拶で、「誰とでも仲良くしましょう」「自分でできることはじぶんでしましょう」と呼びかけると「はーい」という元気の良い返事が体育館に響きました。
 児童代表による歓迎の言葉では、新6年生なのでしょうか、堂々とした挨拶をしているので驚きました。挨拶するために演壇に立つと、マイクの位置を話しやすいように直しました。この動作が大人びているので、すごいなと思いました。「きょうから皆さんは吉川小学校の仲間です。やさしいお兄さん、お姉さんがいて、楽しいことばかりです。仲良く過ごしましょう」という言葉もしっかりしていました。
 中学校の入学式は、小学校に比べるとあっさりしていました。保護者も安心して生徒の入学式を見守っているのがよく分かります。参加した保護者の中で動いているビデオは1台もありません。
 永井校長の励ましの言葉では、「みんなが仲良く、何事も一生懸命取り組むことを意識して」がメインでした。何事も吸収できる柔軟な能力を身につけてほしい、先輩たちが素晴らしい成績を残してきたことも知っていただきたい、という言葉もありました。
 新入生を代表して森美智さんが決意をのべました。「中学校に期待しているのは体育祭、音楽祭などの行事です。小学校より迫力があります。部活にも期待しています。新たな気持ちで勉強して、1日1日を全力でがんばりたい」と結びました。
 


2006年04月05日

雪消え

 山ほどあった雪がなくなりました。これはわが家の牛舎周辺の話です。最後まで残っていたのは、牛舎と管理舎の間でした。除雪機で飛ばしてできた雪の大きな山も、ここ数日の間にみるみると消え、ついに無くなったのです。昨年12月12日の降雪が根雪となりましたから、113日間、雪があったことになります。長い冬でした。
 きょうは日中、高田まで行ってきたほかは家で原稿書きをしていました。『議会と自治体』誌に書いたのは、1985年からずっと書き続けてきた市政レポート吉川版(当初は町政レポート)のことです。どういう背景の中で創刊し、どんなことに気をつかいながら編集してきたかをまとめました。最初に書いた原稿が生き生きしていないので、書き直していたら、結構時間がかかりました。このほか、議員団ニュースの編集もやりました。
 明日は地元の小学校と中学校の入学式です。卒業式の時は議会中だったので、これだけは出席して祝福してあげようと思っています。


2006年04月04日

政府交渉

 意外と思われるかもしれませんが、きょう、28年の議員生活で2度目となる政府交渉に参加してきました。長年、搾乳をしていた関係で、東京まで出かけて政府交渉するというのは、特養ホーム(大潟区にある「しおさいの里」)増床問題での交渉1回きりだったのです。今回は党新潟県委員会と長野県委員会が、一緒になって、雪対策の強化の要請をしてきました。地下鉄の霞ヶ関駅から地上に出た時、目に入ったのはサクラの花と芽吹いたばかりのケヤキ(だと思う)の木でした。そこには、私たちのところよりも数歩進んでいる春がありました。うれしかったですね。
 今回の政府交渉には新潟、長野の自治体議員10人と衆院比例候補の山口典久さん、井上哲士参院議員などが参加しました。交渉は、今冬の豪雪でぶつかった諸問題を関係省庁ごとに行いました。最大の課題は今回の豪雪をふまえて、地域と集落にマンパワーと除雪機械をどう配備していくかでした。政府には、この視点に立った施策が無いので、党新潟県委員会政策委員長の川俣幸雄さんや村山邦一十日町市議などが積極的に発言して要請しました。いつものことながら、村山さんの訴えはリアルで説得力があります。きょうも松之山の積雪がまだ3メートル40センチもあること、過去の豪雪と比較しても残雪が多いことなどを明らかにして、対応を迫っていました。長野の自治体議員も、アメダスの観測点が豪雪の実情をよく反映していないことなどを浮き彫りにしていました。とても勉強になりました。(写真は井上哲士参院議員のHPからお借りしました。私は後列中央にいます)
 私は農林水産省での要請で発言させてもらいました。苗代、農道などの除雪への支援の仕組みを国としてもつくるよう訴えたのですが、旧東頸城地域の苗代除雪の写真を持ち込んで、中山間地での稲作を守るためにも是非実現をと迫りました。3メートル前後の雪をどかしている写真には、農村振興局、生産局などの関係者が驚いていました。当初、「農道は集落などの共助でやってほしい。苗代など個人の除雪費支援は考えていない」などと言っていた人たちも心が動いたようです。引き続き働きかけていきたいと思います。
 今回の交渉の最後は文部科学省でした。「平成18豪雪」を「豪雪に際して地方公共団体が行う公共の施設の除雪事業に要する費用の補助に関する特別措置法」の対象として早期に指定し、教育施設の除排雪経費について支援をしてほしい、という要請だったのですが、この特別措置法の指定基準が今回のような豪雪被害をまったく反映できない時代遅れのものであることが判明しました。基準観測所の総数は全国で40、そこの最大積雪深が昭和6年から同35年までの各年の最大積雪深の平均値の1・5倍を超えるところが基準観測所全体の2割以上にならなければダメ。こんなことでは話にならない、早期に改正すべきだという強い声が何人もの参加者から出たのは当然のことです。
 日本共産党文化後援会のHPに、私が撮影した「季節の写真」を2枚掲載していただきました。吉川区尾神地内、釜平川の流れと雪割草の写真です。私のHPとちがい、写真が大きくなります。ぜひご覧ください。


2006年04月03日

新年度スタート

 市役所は、きょうが新年度最初の出勤日です。辞令の交付などがあって、議会事務局も、挨拶がいっぱい。用事があって出かけた農業振興課や秘書課でも異動があり、新鮮な空気が流れていました。さすがと思ったのは、職員の座席図です。数日前から準備してあったにせよ、出勤日の初日に、本庁、総合事務所など、すべての市役所職員のものが出来上がっているので、びっくりしました。
 きょうは午前中、党の議員団会議でした。先日、私が代理出席した、議会活性化委員会の報告を行い、各会派から提案された検討事項について、少し議論しました。総括質疑の時間制限をする。一般質問の時間を20分に短くする。常任委員会での「委員外発言」を制限するなどの提案があったことを報告したら、「これでは不活性化対策になってしまう」との批判の声が相次ぎました。議会の権能を発揮して、市民の立場に立った活動を進めるにはどうしたら良いか、真剣に検討しなければなりません。
 午後からは明日の政府交渉の準備で動きました。大島区総合事務所を訪れたら、同区の菖蒲の積雪が2メートル60センチになっていました。ここ数日の雨風でかなり雪消えが進んだようです。それにしても、4月になっているのに2メートル50センチ以上もある、これはひどい。苗代除雪、農道除雪も始まっていましたが、JAが勧めている5月半ばの田植えができるのだろうかと心配になりました。母の実家では、苗を出すハウスの除雪を昨日までに終えたということでした。


2006年04月02日

春会議

 午前は地元町内会の春会議でした。ここで、祭りや草刈りなど1年の町内会の計画を決めます。また、行政と係りのある話も出ます。一番議論になったのは資源ごみ回収についてでした。回収のあたっては、回収場所に当番が2人ずつ付くことになっています。その当番を1人ずつにできないかとか、冬場の紙類の回収回数を考え直したらどうかなどの声が出ました。合併して、ごみ収集・回収方法が変わって1年、ほぼ定着したかと思っていたのですが、まだ迷いや悩みがあることがわかった会議でした。
 午後から妻が軽トラを使ったので、めずらしく、ずっと家にいました。浦川原区の方が生活相談にみえたほかは、パソコンで仕事をしました。最近撮れた写真で良いものは、ホームページに載せました。「日の出」など3枚です。ごらんください。このほか、市議会の議会報に掲載する一般質問の原稿も整理しました。締切りよりも2日も早く提出したのは異例のことです。議会事務局から感謝されることでしょう。締切りが迫っている原稿はもう1つあります。これを今晩と明日で仕上げなければなりません。
 外は強風が吹いています。サクラはこれからですので、ちょうどいいかも。明日は議員団会議、そして山間部で苗代除雪などの視察をしてこようかと思っています。風が静まればありがたいのですが、どうなることやら。


2006年04月01日

成人式

 朝早く、次男が新潟市へ引っ越しました。私は「しんぶん赤旗」日刊紙の配達当番だったので、見送りはできませんでしたが、長女と長男、それに母と妻が見送ったそうです。次男を可愛がっていた父はお盆にはまた会えるからと言って、コタツから出なかったとのことでした。これでわが家に残ったのは6人となりました。わずか1人とはいえ、一番元気の良かったのが減ったことで、わが家は火が消えたようになってしまいました。
 きょうは午後から上越市の成人式でした。新成人は2500人くらいいるそうですが、そのうち2000人近く出席したのでははないかと思います。合併後の成人式はこれで2度目になります。会場となったリージョンプラザの入り口は着物姿の女性でいっぱいでした。式典は新成人の代表3人の「誓いの言葉」と市長、市議会議長の挨拶だけ。これだけ大勢が集まると集中してもらうのはたいへんです。議長がそこらへんも頭に入れて、「歴史を学んでほしい」という1点だけ強調した話をしたのは正解でした。式典は約30分で終わりました。
 式典終了後は「しんぶん赤旗」日曜版の配達と集金をしました。天気は昨日までの荒天がしずまり、青空が広がりました。どこでも話題になったのは、昨日までの雪のことです。「もう、あんで終わりだこてね」「山向きは2メートル以上あるすけ、たいへんだね」といった調子です。ケーブルテレビで一般質問の再放送をしているということを聞いたことがありましたが、偶然、私の質問をみたといって、話しかけてきた人が5人もいました。夜9時過ぎの再放送ということでしたから、時間帯がよかったのでしょう。それにしてもありがたいことです。


2006年04月投稿分

2006年04月に投稿された全てです。

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