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2008年05月投稿分

2008年05月31日

「ホウの葉」にのせた赤飯食べて昔話

 寒い一日でした。きょうは午前も午後も「しんぶん赤旗」日曜版の配達・集金でした。最初は長袖シャツだけで出かけたのですが、途中で引き返し、ジャンパーを羽織って動き回りました。明日から6月ですので、もうこんな寒さは卒業してほしいですね。でも、考えてみれば、昔もこの時期は寒くなることが多かったのかも知れません。手植えの時代、わが家の田植えは6月4日と決まっていました。田植えの日は必ずしも暖かい日だけではありませんでした。寒くてこごえている人たちのために、祖父・音治郎が畦元でたき火をしてくれた記憶が残っていますから。

 配達の途中、大潟区の朝日池総合農場の事務所に立ち寄らせてもらいました。丁度、これから赤飯を食べようかというタイミングでした。食べていかないかねと専務さんに誘われ、ご馳走になってきました。赤飯はホウノキの葉にのせてあります。私のところでは、「ホウの葉」と呼びますが、ホウの葉にのった赤飯は久しぶりでした。一緒に食べた人たちと、昔の田植えのことや「こびり」(小昼?)のことをたっぷり話しました。「苗を田んぼの中に投げ入れる役目を子どももやっていたが、よく、適度な間隔で投げ入れたもんだ」「苗運びは天秤棒でやった」「俺んとこはそいカゴだった」。そばにいた若い人たちも関心を持って聞いてくれたようです。

 夜、近くのセブンイレブンへ出かけ、注文しておいた本を取りに行ってきました。私が本を購入する場合、ほとんどは書店で買いますが、宅急便のブックサービスも活用してきました。後者については、自宅まで運んでもらい、代金プラス送料を払って受け取るのですが、今回初めて送料がただになる方法でやってみました。注文してから入手するまでの日数はブックサービスよりも2、3日余計にかかりますが、急がなければ安上がりです。今回は頸城区出身の法政大学教授・五十嵐仁さんの『労働政策』(日本経済評論社)を購入しました。


2008年05月30日

地域防災計画に原子力災害対策入る

 午前の早いうちに市政レポートを作成してしまう計画でしたが、HPの日記が復旧するまで落ち着かず、なかなか書き進むことが出来ませんでした。日記をベースにしてレポートの記事を書く。長年、このクセがついているため、日記が読めないと何も書けなくなってしまうのです。おもしろいものですね。今号では、27日の地域協議会初会合、21日の文教経済常任委員会で説明のあった酒蔵のこと、そして吉川小学校の運動会のことを書きました。明日、私のHPに掲載します。

 午後からは厚生常任委員会の所管事務調査でした。議題は地域防災計画と水防計画の見直しです。私たちの議員団では、これまで3年ほどの間に次々と発生した災害の教訓がどう生かされたかを中心にチェックしてきました。また、2月18日の厚生常任委員会における中間報告との関連やこれまでの議会での行政当局の約束が守られているかについても注目してきました。見直し案では、一般災害編の中ではありましたが、原子力防災について初めて記載されました。また、大きな市域をかかえる中で災害対策本部と現地災害対策本部の連携などを重視した記述となっています。全体として、大きな前進をしたと言ってよいでしょう。今後さらに知恵を出し合い、「進化する計画」(村山副市長)にしていくことが大切です。

 きょう、高崎市に住む従姉から何枚かの写真が送られてきました。そのうちの一枚は以前紹介したことのある伯父の出征時の写真(画像)です。従姉からの手紙で、この写真は昭和14年5月19日に撮影したものであること、また、伯父が海軍特別陸戦隊として上海へ行くことになったものであることなどがわかりました。写真に写っているのは一家6人ですが、伯父は昭和18年6月に戦死しています。この写真の中でまだ子どもだった従姉たちだけが健在です。一家は戦争によって、苦難の道を歩むことになりました。従姉からはホタルブクロの写真も送ってもらいました。もう、ホタルブクロが咲くころになったのですね。


市議選特集

 4月の市議選で発行した各種ビラをやっと掲載することができました。トップページの「定数1での市議選特集」をクリックしていただくと、3年4か月前の市議増員選挙、本年4月の市議一般選挙で発行したビラを見ることができます。まだ、画像がないものもありますが、これも近く掲載します。

 昨晩から今朝にかけてHPの更新作業をしているうちに消えてしまった日記が復旧しました。ご心配をおかけしました。これからもよろしくお願いします。


2008年05月27日

第1回吉川区地域協議会

 改選後初の吉川区地域協議会がありました。定数16人のうち、これまでのメンバーは5人、あとはすべて新人です。どんな雰囲気になるのかと注目しながら傍聴させてもらいました。最初の自己紹介のときから、自由に伸び伸びと語るところがあって、とてもいい感じでした。新しく選ばれた会長さんは矢沢源一郎さん、一人ひとりの意見を尊重してやっていきたいと抱負を語りました。副会長は山岸晃一さんと岩井栄子さんです。山岸さんは、「たいへんな重責を担うことになった。会長の後に付いて背中を押していきたい」、岩井さんは、「今回一番うれしかったのは女性委員が5人になったこと。副会長はしんどいと思うが、一生懸命務めさせていただく」と述べました(画像)。きょうの協議の中心は地域協議会の運営と地域協議会だよりの編集でしたが、率直な意見が次々と出て、とても活発でした。今後が楽しみです。

 きょうは久しぶりに本屋をのぞきました。目当ては岩波新書です。市内では高田の春陽館書店が岩波書店の本をバッチリそろえてあるので行きたかったのですが、時間がなく、市役所の近くで間に合わせました。目に入ったのは新刊です。『介護』(結城康博著)という新刊のサブタイトルは、「長生きはするなということか」。父のこともあり、これはぜひ読みたいと買い求めました。また、湯浅誠さんの『反貧困』は、私がいま注目している非正規労働者の問題解決のためにも買って勉強しておきたいと思いました。もう1冊はマンガです。西岸良平の『三丁目の夕日』(続映画化特別編)を求めてきました。本当は映画を見たかったのですが、時間がなく見ることが出来ませんでした。それでマンガで楽しもうというわけです。これから布団の中で読みます。

 明日は郷土料理を楽しむ会です。たまには家には帰らず、高田の町でゆっくりしたいと思います。ということで、明日の日記は休みます。


2008年05月26日

ビラの整理

 選挙後早急にやっておきたいと思ったことがいくつかあります。選挙前から選挙最中にかけて発行したビラの整理もそのひとつです。きょうはそれを重点的にやることにしました。発行したビラは市政レポート、吉川民報、後援会ニュースなどですが、そのうち、市政レポートは私の責任編集となっていますので、整理は簡単です。問題は他のビラです。他のビラのほとんどは集団で作成しています。印刷する時点のものは、ワードで作成してあるもの、パブリッシャーで作成してあるもの、イラストレーターで作成してあるものなど様々です。それらを今の時点でチェックし、整理する。簡単のようですが、なかなかはかどらず、夕方までかかりました。きょうの作業でこの整理はほぼ9割終わりました。あと、2日もあれば、ホームページに掲載できるでしょう。


2008年05月25日

室内運動会

 雨が降っても生き生きと頑張る。きょうの吉川小学校の運動会は、雨のため、吉川体育館で行われました。グランドと違って、動き回る範囲が狭かったものの、子どもたちはその条件の中で全力で競技をやっていました。おもしろいことに、体育館という限られた空間では音が大きく聞こえます。ちょっとした溜息も、応援の言葉もしっかり聞こえます。応援合戦の時の歌声は飛行機の爆音までは行かなかったけれどすごい迫力でした。競技をしている子どもたちの姿が間近で見られるのも室内ならではです。親子騎馬戦(画像)では、目の前で帽子を取り合う姿も見ることができました。親子一緒の競技は楽しそうでした。それにしても五色綱引きレースは激しい。

 きょうは日曜日でしたが、生活相談も2件あり、忙しい日となりました。このところ、相談は高齢者の方からのものが多くなっています。高齢になって田んぼ仕事ができなくなった、何とかしたい。役所からくる手紙を読んでもよくわからない。説明してほしい。若い世代の人と同居していれば、「これは、どうすればいいがだ」と声をかけ、それで解決するケースもあるでしょう。でも、それができない。日常生活のなかではいろんなな心配や不安が出てきます。そんな時に私の顔を見れば、話をしてみたくなるのだと思います。私のような者でも役に立つなら、大いに声をかけてほしいと思います。

 市政レポートの最新号をアップしました。ご笑覧ください。市政レポートはPDFファイルで掲載していますが、開けない場合は、読みたいファイルの上にポインタを乗せ、右クリックして「対象ファイルを保存する」を選択してください。デスクトップなどにいったん保存して、そこから開くと簡単に読むことができるはずです。4月の市議選のビラなどを掲載してほしいという要望もいただいています。近いうちに後援会ニュース、民報などを載せますので、お待ちください。


2008年05月24日

久々の雨で農家は喜んだ

 午後3時頃からポツポツと落ちはじめ、夕方には降る音がするほどの雨になりました。ほんとうに久しぶりの雨です。この5月は晴れの日が続きました。行楽には良いのですが、困ったのは農家の人たちです。「畑ものをするにも雨が降ってくれないと…」「まだ代かきができない。このままだと平成6年の干ばつみたいになるんではないか。田植えできるかどうか心配だ」などといった声が聞こえてきていました。この降り方で水不足が解消されるようになるかはわかりません。明日まで降り続け、まとまった量になってくれればいいのですが。

 きょうは千葉、埼玉から従兄弟たちが父の見舞いに来てくれました(画像)。ありがたいことです。朝3時半に出て、大島区の親戚をぐるりとまわって、病院へ。父の状態は安定傾向にありますが、機嫌のいい時もあれば悪い時もあります。きょうは調子が良かったのか、うれしそうでした。従兄弟たちとは、病院の待合室で、ゆっくり話をすることができました。刷りたての市政レポート改訂版を持参したことから、印刷機のことやこの日記のことなど楽しい話が続きました。日帰りでなければ、どこかで湯につかり、ビールでも飲みながら話を続けたかったなぁ。

 ここのところ、「しんぶん赤旗」の配達はとても時間がかかります。選挙のことや、市議会の様子などで話が弾むからです。きょうは、国民年金の加入状況の確認の手紙や市役所からの布団丸洗い・乾燥の再申請手続きなどで相談してくる人が何人かいて、その対応もしました。もちろん、お茶もご馳走になりながら。山の竹の子の煮付けや沢菜(サワナと呼びます。ミズナとも言います)の粕漬けもいただきましたよ。


2008年05月23日

花の匂い

 乗用車から降りた途端、甘い匂いに包まれました。足元にはたくさんの花が落ちています。そして頭上には……、やはりと思いました。ニセアカシアの木の枝が広がっていた(画像)のです。もちろん、白い花をいっぱいつけて。場所は大潟区の高速バス停車場入口付近です。いま、大潟区はあちこちでニセアカシアの花が咲いていますが、突然、こんな素敵な匂いを味わう場面に出合うと酔ってしまいます。この花はあと3日くらい持つかどうかというところでしょう。まもなく散るはずです。土手を駆け上がり、花を5房ほど採って車の中に入れました。こうすれば、2日間ほど甘い匂いを味わえるからです。

 このニセアカシアの匂いのことを妻に教えたところ、妻もまた花の匂いを味わってきた話をしてくれました。父の入院している病院から高速バスに乗るため歩いていたら、シロツメクサの匂いが漂ってきたというのです。シロツメクサというのは白いクローバーです。この花なら、わが家は牛飼いでしたから、よく知っているのですが、いい匂いがすることを知りませんでした。花が咲いているうちに、どんな匂いなのか確かめておきたいものです。きょうは気温が高くなり、25度を超えたところもあったようです。花が匂いを出すにはちょうど良かったのかも知れません。

 きょうは朝からパソコンとにらめっこでした。市政レポート作成で手間取ったのです。とくに裏面、「春よ来い」がなかなか書けませんでした。先日、伊勢崎市の伯母の葬儀などで聞いた話をもとに書こうとしたのですが、書きたいテーマにブレがあって、ぶらぶらしてしまう状態から抜け出せませんでした。ま、明日の朝までには、もう一回ゆっくり読みなおして、書き直しをすることになるでしょう。「しんぶん赤旗」読者の皆さんには、現段階での文章が載った市政レポートを折り込みましたので、日曜日の朝、新潟日報などの一般紙に折り込まれるものと比較してみていただけたらと思います。


2008年05月22日

市道調査続行

 暑い日でしたね。特に車に乗って動いている場合は、窓を開けるか、冷房を入れるかしないとがまんできない気温の高さでした。こうしたなか、4時間ほど区内の市道を中心に見て回りました。選挙カー並みにゆっくり走り、路面状況、安全施設、修復作業が終わったところはその状況などを観察します。すでに地域から要望のあがっている場所もあります。こういうところは降りて確認することにしていますが、結構時間がかかります。きょうは路肩のひび割れ(画像)、T字路における側溝のふたの破損(画像)、歩道の陥没などを記録してきました。区内全体を回るにはもう半日くらい必要です。

 


2008年05月21日

文教経済常任委員会で上野議員初質問

 市議選後、初めての常任委員会が行われました。厳密には臨時議会の時に、各常任委員会とも正副委員長を決めるために数分の委員会をやっているのですが、市政の課題を審議する本格的な委員会は、きょうの文教経済常任委員会が最初でした。課題は直江津図書館・社会教育館整備基本計画(案)とよしかわ杜氏の郷(株)の経営問題です。

 この委員会にはわが議員団から上野公悦議員が委員として出ています。教育部長による直江津図書館等整備計画(案)の説明が終わった途端に、サッと手をあげ、「事業工程(案)の流れを見ると無理がある。もっと住民合意を得るための時間が必要ではないか」などと次々質問しました。よしかわ杜氏の郷の問題は、正午を過ぎてからの審議となって、本格的な質問は次回にとなりましたが、そこでも積極的に発言しました。旧頸城村議としてがんばってきた人だけに、落ち着いた、鋭い角度からの迫り方は注目されました。

 夕方からは市内高田地区の党後援会の会費制ご苦労さん会です。高田地区のこうした会に参加させてもらったのは初めてでした。ほとんどは顔なじみの人たちでしたが、「会社にいる吉川の人に票を頼んだら、昔から橋爪さんだと言われてうれしかった」「ホーセの見てある記、毎日見てチェックしていますよ」などと声をかけてもらいました。オードブルと家庭で作ってくださった料理を食べ、ビールや酒を頂いて、午後9時9分の電車で帰りました。いやー、楽しかった。

 遅れましたが、17日、日本共産党文化後援会のホームページに吉川後援会の「山菜と焼肉料理、音楽を楽しむ会」の写真を4枚も掲載していただきました。雨が降った関係で、薄暗い牛舎車庫内での開催となったのですが、こうして改めてみると、何となく歌声喫茶のような雰囲気が漂っています。ぜひ、訪問してみてください。


2008年05月20日

伊勢崎の伯母の葬儀

 朝出る時はポツポツ、電車を降りた伊勢崎市では小雨、そして告別式や繰り上げ初七日法要が終わったときには晴れている。亡くなった伯母は91歳でした。父のキョウダイのなかでは一番上の姉で、よく稼ぐ人でした。農作業であろうが、家具店の商売であろうが一生懸命がんばってきた伯母にとっては最高の天気です。普通なら「ゆっくり休んでください」と言うところですが、これから鉢巻をしめてがんばろうとする伯母を見送る、そんな雰囲気がありました。

 伯母の遺影は90歳に到達した時に市が敬老記念として贈ってくれたものを使っていました。目がしっかりしていて、顔の表情は働き者であった父親・音治郎とそっくりでした。4年前の6月に亡くなった伯母も普段は違うように見えたのですが、亡くなった時の顔はやはり親と同じでした。不思議なものですね。火葬場の控室で昼食をとった時、私の席の周辺には何組ものイトコ夫婦がいて、戦争時代にわが家に疎開したした頃の思い出話で賑やかでした。家の周りに池が二つあって、たしかグミの木があったはずだとか、下の水車のところで遊んだなどと、とても生き生きと語ります。そこでも音治郎じいさんが何回も出てきました。

 帰りの電車のなかではめずらしく眠りませんでした。伊勢崎の家で少し横にならせてもらったのがよかったようです。新幹線の座席の前に小冊子があります。内舘牧子のエッセーや秋田県小坂鉱山のまちづくりのことが紹介してあるものです。これを読みふけりました。ここでは近代建築やアカシアをたくさん植えて甘い香りのするまちづくりをしていることが書いてあって、ひき込まれました。アカシアの開花時期は私たちのところよりも10日以上遅いようです。毎年、アカシアの花の匂いを嗅いで、いい気分を味わっていますが、外に出て楽しみたくなりました。


2008年05月19日

議長・副議長候補と申し合わせ

 市議選後初の臨時議会が開かれました。20日以上も過ぎてからになったのはゴールデンウィークをはさんだことが主な要因ですが、災害など緊急事態があるかもしれないことを考えればもっと早く開会させたかったですね。

 きょうの臨時議会は初議会ですから、議会人事が中心です。議長、副議長は選挙の結果、山岸行則、古澤弘議員が続投することに決まりました。私たちの議員団では、昨日の段階で各候補と選挙にあたって数項目の申し合わせをしました。内容は、①議長(副議長)は会派などの代表としてではなく、議会の代表として発言し、行動する、②議長として重要な政治決断が求められる場合は、双方が十分意見交換を行う、③少数意見も尊重し、議会の民主的な運営に努める、などです。

 選挙の結果は議長については、白票が1で、あとはすべて山岸票でした。副議長では、大量の白票が出たのでびっくりしました。古澤票が35、白票が10、そのほかに小林克美票が2、橋爪票が1出ました。私の名前は他会派のどなたかが書いてくださったものです。

 明日は群馬県伊勢崎市です。父の一番上の姉にあたる伯母が亡くなり、葬儀に行くことになりました。病院で父に死亡報告をしようか迷い、結局、伯母が具合が悪くなったので見舞いに行くというウソをつきました。何か言付けないかとたずねると、「ない」と答えました。きょうは、調子がいまいちでした。


2008年05月18日

久々に応援弁士

 夕方から柏崎市で党演説会でした。よその市町村まで出かけて行って演説会の弁士を務めたのは、おそらく旧大潟町で後藤紀一さんの応援をして以来でしょう。ひょっとしたら、20年くらい前になるかも知れません。それだけに緊張感がありました。「演説時間は10分、長くて15分でお願いします」と言われていたので、一応、10分用の原稿を用意してみました。上越市議選の結果と選挙戦の特徴を国政とのからみのなかで話す、そういう組み立てにしてしゃべり始めたのですが、結局、原稿はそっちのけ、時間は1分オーバーしてしまいました(画像)。訓練が足りません。それでも、聴衆の皆さんは真剣な表情で聴いてくださいました。この経験を来る衆院選に生かそうと思います。

 弁士は私がトップ、あとは武田勝利さんと山口典久さん(画像)です。弁士の控えの席でおふたりの様子を観察することができました。おふたりとも、原稿やメモをしっかり用意されています。山口さんは新聞の切り抜きも持参されていて、演説会が始まる直前まで、どう話をするかの最終チェックをしておられました。演説は聴衆をひきつける話題を出す、話す中身はやさしく、わかりやすくが基本です。おふたりともベテランでとても参考になりました。山口さんは、「忘れることのできない柏崎についての2つの思い出」から語り始めました。子どもの頃、家族旅行でやってきて、民宿に泊まります。そこで出された鯛、しっぽがぴょんとはねて弟が泣き出した。その話はまるで向田邦子のエッセーのようでした。中越沖地震で柏崎市内の山本団地の人たちと一緒に運動したことにふれ、「みんなで力を合わせれば、必ず政治を動かせる」、この大事なことを教えていただいたのも柏崎でした、と続けました。来る衆院選で国民の生活を守るには日本共産党の躍進がどうしても必要です。しかし、まだ日本共産党の実力が弱い。そこで、長野市のある団地で毎月1回、2年間も続いている「お茶飲み懇談会」の話を例に挙げながら、「日本共産党が大きくなれば地域はやさしくなる」「暮らしはこう変わる」という話を語りました。うなってしまいました。

 うれしかったのは柏崎の義父母も義姉も、それに妻まで演説会に来てくれたことです。途中からの参加でしたので、私の話は聞かずじまいでしたが、みんな、いい表情で聞いてくれました。義父は酸素ボンベ持参です。知り合いの人から、声をかけてもらって、にこにこ顔でした。これでまた、元気が出るでしょう。


2008年05月17日

研修会には電車に乗って

 昨日は高田から電車に乗って妙高高原へ。たまには電車もいいもんですね。ゆっくりと走るので、線路沿いの景色を楽しめます。以前、長野から直江津に来る途中、ニリンソウの群落を電車で見た記憶が残っていたのですが、その場所は中郷区内(旧中郷村)であることがわかりました。白い花を咲かせるニセアカシアはいまが満開です。新井や中郷など海岸部からかなり奥に入ったところでも咲いているのは新発見でした。ミツバチたちはここまでおっかけて来ているのでしょうか。

 さて、妙高高原で開催された北陸信越ブロックの党議員研修会、とてもいい研修会でした。井上哲参院議員の国会報告では、大連立の予行演習も行われているという指摘に注目しました。国民の変革を望む声をおかしな方向に持っていかせない努力を意識的にやらないといけませんね。柳浦党自治体局長の話では、「綱領を語り、日本の前途を語り合う大運動」を進めるうえでも、上越の頸城、吉川の取り組みが評価されていることを知り、うれしくなりました。埼玉県議の再選挙、上越市議選挙の選挙結果については、ニュージーランドの平和運動家のオブライエン氏からもお祝いのメッセージが日本の平和組織に届いていることが明らかにされました。各地の取り組みを聞いて、山口典久衆院比例候補を一回で当選させるために、「語る会」「集落懇談会」の取り組みをどうするか、私の支部でも新たな発展が求められていると感じました。

 妙高高原からの帰りも電車でした。偶然、柳浦局長と相馬エイ村上市議も一緒でした。柳浦局長のお連れ合いの実家は旧新井市内とのことで、お連れ合いのお母さんの顔を見ていくとのことでした。相馬さんとは選挙戦のことや昨年亡くなった桑名義夫さん(元新潟県農村労組書記長で、私の初の町議選挙で応援に来てくれた人。村上では、非常勤講師として絵画の指導をしていた)の思い出話をしました。桑名さんの個性あふれた四角い文字を思い出しましたが、小さな日記帳にびっしりと書く人だったといいます。いまから30年前の吉川町でのたたかいの記録を見せてほしく思いました。


2008年05月16日

北陸信越ブロックの党議員研修会へ

 昨日は各派代表者会議などの会議が開かれ、主な役職がほぼ決まりました。正式には19日の臨時議会で決まりますので、具体的な氏名は、臨時議会後にお知らせします。

 昨日の各派代表者会議では、特別委員会を当面、新幹線・交通対策、廃棄物処分場対策、中山間地対策の3つにしぼって設置することを決め、その後、特別委員会の正副委員長の人選などを行いました。私は市議会の運営については各派全体が(平等に)責任を負う体制にすべきだとの観点から、当初、中山間地対策特別委員会の委員長を要求しましたが、合意を得られませんでした。話し合いのなかでは3つの特別委員会のどこかの副委員長でも仕方がないといいましたが、それも実りませんでした。今回の人事の決め方は、常任委員会は常任委員会、特別委員会は特別委員会と分離させて行われました。この結果、常任委員会でのポストを要求しなかったわが議員団は正副委員長ポストゼロという事態になりました。これは、これまで議会の役職全体を視野に入れてポストを決めてきた上越市議会の民主的な伝統からいっても大きな問題です。速やかな是正を求めて行動していきたいと思います。

 議長、副議長の人選はこれまでの山岸、古沢氏の続投という方向で動いています。議員団では、各候補と議会運営に関する協定書をとりかわすことでほぼ合意、きょう、午前、協定書を交わす予定です。

 夕方からは妙高高原へ飛びます。日本共産党の長野、新潟など北陸信越ブロックの議員の研修会があるからです。今回も泊まりとなりますので、ブログの発信は遅くなります。


2008年05月15日

小国との交流会

 昨晩は市内の温泉で長岡市小国町党組織・後援会との交流会でした。家には帰らず、今朝は電車で市役所に来て、そこから発信しています。小国町の組織との交流会はこれで3度目、細井市議との長い付き合いもありますが、今回は先の市議選で大きな支援をしていただいたことから、選挙戦を振り返るいい機会になりました。私の方で、選挙前から選挙後まで撮影したスナップ写真をスライドにして話をして、その後、いろんな分野でがんばった人たちのスピーチを聞きました。吉川から参加した後援会員さんは芸達者が多く、会の終わりごろになってから、民謡、歌謡曲、民話(画像)が次々と出て、なかなか万歳をできませんでした。みんな生きいきしていて、とてもいい交流会になりました。

 昨日の市議会の動きですが、議長・副議長をめぐって動きが活発になってきました。各派代表者会議が終わってから、私たちの議員団も加わって、2年前に共同歩調をとった4党・会派の代表がどう対応するか意見交換をしましたが、新しい議長が誕生するのか、これまでの正副議長が続投するのか、すぐにはまとまりそうもありません。きょうの昼も昨日の続きの会議を持つことになっています。
 


2008年05月13日

久々にビラ配布

 朝から3集落で赤旗号外の配布をしました。ビラの中身は後期高齢者医療制度の廃止を訴えたものです。どこの家でも、「よかったね」と選挙結果を喜ぶ声を聞き、気持ちよく配布活動をすすめることができました。「おら、心配で眠らんねかった。もう共産党がどうのこうのという時代じゃないね。暮らしが一番」と言ってお茶をご馳走してくださったのはNさん、独り暮らしの方です。Nさんからは緊急通報システム、安否確認センサーを見せてもらいました。

 午後からは党県委員会川俣副委員長を講師に議員活動についての学習会を議員団でやりました。「地方議員全国会議」の報告をもとに、「議員活動論」を実践的に学ぼうと4人とも真剣でしたね。「そもそも党の議員の任務とは何か」「議員活動でぜひ頭においてほしい7つの提案」など2時間余りにわたって学習しました。川俣副委員長は福島富さんが県議だったころに県議団事務局にいた経験がある人です。「バクロの質問か、要求を具体的に前進させる質問か明確にする」「担当者からよく聞いて、答弁内容や行政の論理を事前に把握する。二の矢、三の矢を準備する」など福島元県議から学んだという質問準備の仕方や工夫の話は興味深いものでした。

 きょうは緑が美しい日でした。ビラ配布の時に偶然一緒になった社会福祉協議会の職員さんと田植えの時期の見事な景色について話をしたら、無性に風景写真を撮りたくなりました。お昼休みの時間帯に、大潟区と頸城区の田園地帯を車で走り、何枚かの気に入った写真を撮ることができました。「私の好きな風景」にそのうちの1枚を掲載しましたので、ご笑覧ください。


2008年05月12日

初議会もテレビで放映されることに

 議員団会議、代表者会議、支部会議と会議の連続でした。団会議では前回決めた会議内容にそってレジュメを作成し、話を進めました。うれしかったのは市議団ニュースです。次号は樋口議員の当番なのですが、彼女は団ニュース作成でいつも使っているソフトでビラをつくったことがなく、どうなるか心配でした。ところが、平良木、上野両議員が応援し、昨日のうちに原案を作成し、議員団会議に検討材料として持参してきたのです。これで4人が交代しながら団ニュースを発行する土台はできそう、ああ、よかった。

 代表者会議では各会派の議員控室、常任委員会委員数、一部事務組合議員割り当てなどが確定しました。私たち日本共産党市議団は4つの常任委員会全部に入れます。会議の進行役に、「共産党さんは(委員配置数の希望を)どうされますか」と聞かれたので、「オール1でお願いします。通信簿と同じです」と答えたら、「すべて一番じゃないの」という声が飛びました。議員団控室はこれまでどおりです。きょうは上野、平良木さんが掃除をしてくれました。さて、議長・副議長選です。2年前は激しい動きがあったのに今回は極めて静かです。上越市議会の代表にふさわしい人格と民主的な議会運営を貫ける人を選ぶ。そこにむかって、しっかりと対応していきたいと思います。

 代表者会議の終わりの方で議会事務局からうれしい報告がされました。19日午前10時から行われる初議会について、上越ケーブルビジョンと話し合った結果、テレビ放映されることになったというのです。インターネット中継は残念ながら予算の関係で実現できませんが、前回の代表者会議で私が主張したことが実りました。議員団控室に戻るなり、「初議会はテレビ放映されることになったよ」と言うと、「オーッ」という歓声があがりました。これで、議員団ニュース(「各派代表者会議で初議会もテレビ放映をと主張した」と樋口議員が書いた)は書き直しです。こういう書きなおしだったら、何回やってもいい。


2008年05月11日

母の日に

 若い人の葬儀はつらいものがあります。まだ50歳という若さでした。市議選が始まって2日目に親戚のMさんが病院に運ばれたと知ったのはつい先だってのことでした。そろりとお見舞いに行かなければいけないなと思っていた矢先に、亡くなったとの連絡が入りびっくりしてしまいました。具合が悪いと言われてはいましたが、まさかこんなにも早く逝くとは。

 事情があって、葬儀はこじんまりとしたものでした。出棺直前、棺の中に参列者全員がきれいな花をたくさん入れました。Mさんの、父親ゆずりの垂れた太い眉を見て、数年前の正月、Mさんのお袋さんが囲炉裏端で串餅を焼いてくれたことを思い出しました。いまごろ、天国でお袋さんが涙を流して彼を抱いていることでしょう。

 きょうは母の日。私の母も妻の母親もお陰様で元気です。たまには、母の日のプレゼントをしようと、妻と一緒に買い物に出かけました。柏崎の義母には、足が痛いというので座イスを、花の好きな私の母にはブーゲンビリアを贈ることにしました。妻の実家では、電気カーペットの上で横になったら、ぐっすり。ろくに話もしないで、2時間あまり眠ってしまいました。午前はぐずついていた天気も夕方には晴れ上がり、田植え後の風景(画像)がとてもきれいに見えました。


2008年05月10日

「しんぶん赤旗」日刊紙の学習・党活動版に上越市議選のことが掲載

 今朝は「しんぶん赤旗」日刊紙の配達当番でした。大潟区にあるポストに取りに行き、きょうは、まず、学習・党活動のページをめくりました。というのは、先の市議選についてこのページで大きく報道してもらったからです。定数1、2の選挙区でどう勝利したかをリアルに伝えてあります。この記事を書くために、赤旗記者が何日も上越市に滞在して取材していました。原稿(案)ができると、現地の党組織にもみてもらってさらに練る。そうした過程を経て掲載されたものだけに、じっくり読みました。集落懇談会の取り組みなどを飾ることなく書いてあるので、「これなら、うちでもやれる」と思っていただけるのではないでしょうか。

 さて、話はがらりと変わって、田んぼのことを少し……。吉川区ではすでに田植えが始まっています。きょうは賑やかでしたね。あちこちの田んぼで田植え機が動いていました。田植えは当初の予定よりも少し早くなっていますが、最近の高温で苗が急速に伸びていることや台風が近づいていることが影響したようです。うれしく思ったのは河沢での田植え風景です。機械に乗っている人、苗を運んでいる人、軽トラで移動している人など作業にあたっているメンバー、いずれも30前後の若い人たちばかりでした。こういう年代の人たちが田んぼ仕事をしているのを見ると、何となくホッとします。


2008年05月09日

うれしい声かけ二つも

 昨日の頑張りが体に来て、きょうは朝からぐったりでした。市政レポートの作成も思うようにはかどらず、お昼までかかってしまいました。午後からは「しんぶん赤旗」日曜版の配達・集金とあいさつ回りです。ある家におじゃましたところ、長野県からタケノコを採りにきたご夫婦に会いました。会ったとたんに、「いや、よかった、よかった。おめでとうございます」と声をかけていただき、びっくりしました。聞くと、私の本を読んでいてくださった方で、選挙がどうなるかと心配していたというのです。いくら吉川とかかわりのある人とはいえ、隣の県の方からも喜んでもらえるなんてうれしいかぎりです。

 きょうは演説会の弁士を頼まれました。隣の柏崎市の党組織が主催する演説会だといいます。選挙では、何人かにお手伝いをしていただきましたので、できるだけ要請にこたえようと出席の返事をしました。日時は18日、午後6時から。臨時議会の前の日ですので、議長選などの展開次第では、他会派との協議なども場合によっては必要となるかも知れません。ま、いそがしい日となるでしょうが、弁士にと声をかけていただけるだけでも幸せです。電話をかけてきた持田市議には、「演説はうまくないので、あまりあてにしないでほしい」と言ったものの、いいかげんな話もできないし、しっかりと準備をしなくては……。


2008年05月08日

改選後初の各派代表者会議

 市議選が終わってすでに2週間が経とうとしています。ゴールデンウィークがあったこともあって、初議会に向けた動きがやっと本格化してきました。きょうは改選後初の各派代表者会議でした。私が市議になってから各派代表者会議に出席したのは、今回が2度目ですが、1度目は杉本前団長の代理でした。今回からは日本共産党市議団の団長として、ずっと出席ということになります。会派結成届が11出ており、今回はその代表16人が出席しての会議です。議題は議員控室をどうするかから始まって、議席、議長・副議長選挙、常任委員会委員・特別委員会委員の選任、各種組合議員の選挙などについて話し合いました。

 きょうの会議で決まったのは臨時会の日時と議長・副議長選挙についてです。臨時会(初議会)は5月19日午前10時から、会期は1日と決まりました。議長・副議長選挙は候補者が所信表明演説を行って、投票により決めることになりました。この方式は2年前に続いて2回目です。所信表明演説の申し込みは16日の金曜日夕方まで。これから1週間、議長・副議長をめぐって動きはにぎやかになるでしょう。議席や常任委員会委員の選任などその他はほとんど各会派に持ち帰り、検討することになりました。次回は12日です。いくつかの会派では、きょうの会議を受けて、直ちに会議を開催していました。私どもも議員団会議を開き、次回までの検討事項について話し合いました。

 会議の中で私が発言したのは、初議会のJCV放映についてです。事務局から放映無しとの説明を聞き、「議長などの候補者の所信は市民に(テレビでも)公開すべきだ」と主張しました。JCV放映は臨時会については無しと聞いてはいましたが、それは初議会や議長選挙のある臨時会まで含めてのことだとは思っていませんでした。私の認識不足ですが、これはなんとかしなければなりません。テレビ中継をどうするかは事務局で検討することになりました。インターネット中継については初議会の分の予算措置はしてないということです。残念ながら今回はご覧いただけません。

 議員団会議が終わってから昼食を食べ、昨日に続いて13区総合事務所回りです。昨日は所長や次長と懇談する時間もとったのですが、きょうは挨拶だけにして、懇談は後日、改めてすることにしました。きょうは、三和区を皮切りに8つの区を回って挨拶してきました。各事務所で1分くらいの挨拶ですが、さすがに疲れましたね。車の運転をしてくれた上野幹事長はもっと疲れたはずです。でも、車中は4人、みんなおしゃべり好きで、楽しい会話でいっぱいになります。このメンバーだと、どんな議員団活動になるのか想像できます。楽しみになってきました。


2008年05月07日

団結し、学び、行動する議員団めざして

 きょうは午前中、党議員団会議でした。先回、ある程度イメージを膨らませていた団会議について、さらに意見を出し合い、どういう内容で会議を持つかを深めました。その結果、団会議の主な課題は、①質問、討論など議会対策、②「議会と自治体」誌掲載論文、赤旗掲載の論文などを使った学習会、③党建設の計画と実践、④管内視察、⑤議員団ニュースの検討、⑥生活相談など、その他の課題とし、毎週1回、一日かけて行うことを確認しました。毎回の学習会、議員団ニュースは各議員の持ち回りとなります。会議のレジュメは私が用意しなければなりません。しばらく、試行錯誤の連続となるでしょうが、がんばりたいと思います。

 さて、午後からは13区総合事務所回りです。いつもとは逆の順番で、きょうは、名立、中郷、板倉、牧、清里の各区総合事務所を訪ねました。4月1日の異動で幹部職員の替わったところもあり、新鮮な感じがしました。途中、牧区の渡辺靖子元村議の御宅におじゃまをしてお茶をご馳走になってきました。渡辺さんはいつもおいしい漬物等を出してくださるので、みんな楽しみにしています。きょうは孟宗竹の子をスライスして、酢で煮た(?)もの、ソバ粉の団子などを出してもらいました。酢の効いた竹の子スライスは絶品でしたね。明日は午後から、旧東頸城、頸北の各区総合事務所を訪れる予定です。

 夕方、妻と一緒に病院へ。父はここ1週間ほど、熱が上がったり、下がったりしています。きょうも37度8分あり、看護師さんに手当てしてもらいました。数日前も37度5分になり、心配しましたが、痰が肺に入ってしまうのかも知れません。熱がある時の父は元気がなく、これまで繰り返し聞かされてきた「家に帰りたい」「酒を飲みたい」「たばこを吸いたい」という言葉はひとつも出ません。意味不明の言葉をいくつかボソボソと言うとまどろむ、そういう状態が続いています。


2008年05月06日

10数年ぶりに学生時代の友人と再会

 連休最終日。ずっと気になっていた学生時代の友人と再会することができました。人生のいろんな場面でアドバイスをしてもらい、いつも励まし合っていた大事な友人です。選挙後まもなく、「上越市の結果を日刊紙で読みました。すごく詳しく伝えていましたね。貴方の奮闘振りが目に見えるようで嬉しくなりました。とにかく地道で誠実な活動が人の心を動かしているのだなあと思いました」とメールをくれました。時間をつくって会おうねといいながら、なかなか会う時間をつくれないでいたら、あっという間に10数年が経っていました。

 定年まであと2年、子ども好きな友人は小学校の校長先生になっていました。糖尿病と闘い、少しやせた彼に、「ちょっと顔が変わったんじゃないか」と言おうと思っていたところ、彼から先に、「顔、変わったな」と言われてしまいました。こちらは太りすぎによるものです。大学での同窓、同級生情報は、私よりも彼の方がたくさん持っています。同級生のなかには自分の子どもと別れて第2の人生を歩き始めた人もいました。学校以外の場で最も楽しんでいるのは畑仕事だそうで、何でもつくっているという彼の意欲にはびっくりでした。待ち合わせた親不知のピアパークで約2時間、楽しいひと時をすごした後、海沿いの国道を通って帰ってきました。ピンクの花をつけるタニウツギがもう咲きはじめましたね。

 


2008年05月05日

強い雨風の中で「山菜料理…囲む会」

 「雨が降らなければいいが…」と朝からずっと心配していました。「焼肉と山菜と音楽を楽しみながら橋爪法一を囲む会」を計画していたからです。不安は的中、開会前から雨になり、開会後は強い雨風が吹きまくるという最悪の天気になってしまいました。でも、後援会員の人たちの頑張りはすごい。事前に雨も予想して、牛舎の車庫を会場にしつらえる。テントを張って焼肉の場所をつくる。テントの屋根に雨がたまれば、水を払う。強い風が吹けばテントを支えている竹棒を守る。そして会場内に料理を出したり、会の運営もする。後援会員のみなさんの動きを見て、「この人たちがいたから当選できた」と改めて感じました。

 山菜を食べて…囲む会は今回で4回目。毎年、いろんな人たちが来てくださいますが、今回は大潟区在住でオカリナ演奏グループに所属している石塚晴夫さんから演奏をやってもらいました。強風の中ではありましたが、なつかしい文部省唱歌や「瀬戸の花嫁」など誰もが知っている曲を聴かせてもらいました。石塚さんは高校時代からずっとお世話になっている人です。会を大きく盛り上げていただきました。いつも頑張っている後援会長さんは、初めてギターの山岸協慈さんと組んで、「イマジン9」の朗読(画像)をしてくださいました。今度、9条の会の場で、この2人で、戦争反対、憲法9条を守れと朗読をやるといいます。酒が入ったところでも聴きごたえのあるものでしたので、9条の会では盛んな拍手を受けるでしょう。

 今晩の会(画像)には大勢の会員さんたちが次々と手をあげて発言。「国体を前にして吉川区の道路の整備の不十分さが言われている。通勤道路の整備と合わせて、すぐに手をつけてほしい」「車の運転免許証の書き換え、柿崎でできるように」など要望がどんどん出てきました。これはこれまでの会には見られなかったことです。それだけ、私に対する期待が大きいということだと受け止めました。区外から駆けつけてきてくださった人も、「橋爪は絶対落とせない人だと思ってがんばってきたが、これからは橋爪さんを監視しながら応援していきたい」と激励の言葉を寄せてくださいました。ほんとうにいい会になりましたね。がんばりますとも、もちろん。


2008年05月03日

水不足を心配する声も

 晴天が続いています。きょうも「しんぶん赤旗」の配達・集金、あいさつ回りが中心でした。今年は雪が少なかったこともあり、川を流れる水量はずいぶん少なくなっています。すでに田んぼに水が入り、ほとんどの集落で代かき作業が始まっていますが、水が少なくて代ができるかどうかと心配されているところもありました。そろそろ、ひと雨ほしいですね。

 きょうは、午前中に2時間くらい時間をとって山菜採りに出かけました。明後日の「焼肉と山菜料理を食べて語る会」の準備です。ウドはすでに最盛期を過ぎていて、手ごろのものをさがすのに苦労しました。ねらいどころは雪消えの遅いところです。沢をどんどん登り、何とか材料を確保できました。採り終わってから、後援会長さんの家で美味しいうどんをご馳走になりました。

 明日は選挙疲れをとるために夫婦で遠出の予定です。自然を満喫してきたいと思っています。新緑のなかを歩き、野の花写真をたくさん撮る。料理は新鮮な海の幸を食べたい。そして適度にアルコールを体内に注入できれば、大満足なのですが。日帰りになるか、宿泊するかはまだ未定です。宿泊する場合は、日記を休みます。


2008年05月02日

樋口議員は建設企業常任委員会

 「しんぶん赤旗」日曜版の配達を午前10時過ぎから午後2時近くまでやりました。この時間帯で配達できたのは、総合事務所職員分を除くとわずかに20部。これだけ時間がかかったのは選挙のおかげです。「吉川区では間違いなく勝つとは思ったけど、頸城の上野さんすごかったね」「おまんた4人になって、これから議会の委員会、どうしるがだね」「いまから次の選挙のこと考えて、議員活動しないとたいへんだよ」などたくさんの声を寄せていただき、会話はどこの家でもはずみました。この調子だと明日の配達も簡単には終わりそうもありません。

 午後からは党地区委員会事務所で議員団会議でした。議員団長を私が再確認した後、任務分担、常任委員会所属などを決めました。幹事長に上野公悦議員、会計は樋口良子議員です。もっとも難航すると思われた常任委員会については思いのほかすんなりと決まりました。総務常任委員会が私、厚生常任委員会が平良木哲也議員、建設企業常任委員会が樋口良子議員、文教経済常任委員会が上野公悦議員です。長年、厚生常任委員会にいた樋口議員いわく、「私が建設企業だなんて、びっくりするわよ」。団会議では、党の基本的な方針をしっかり学ぶこと、みんなで助け合って活動を進めることなどを確認しました。議員団ニュースは4人が順番で作成します。

 団会議が終わってから、杉本前団長の送別会をかねて懇親会をやりました。会場は直江津のあるお鮨屋さん。ご主人は柿崎区の上直海で生まれ、吉川高校を出たといいます。それだけでぐっと身近に感じました。美味しい寿司を食べてからは、カラオケにも行きました。選挙で疲れているはずなのに、みんな、マイクを握ったら、まあ、生き生きと歌い続けて……。私は別として、ひとり5、6曲は歌ったでしょう。歌を聴きながら思ったのは、選曲ひとつでも個性がある。おもしろい議員団になるなということでした。5人が歌った曲で印象に残った曲、ひとつずつあげると、「ノラ」(樋口)、「野風僧」(上野)、「イエスタディ・ワンス・モア」(平良木)、「坊がつる讃歌」(杉本)、「夕焼け雲」(橋爪)。では、また。


2008年05月01日

第79回メーデー上越集会

 きょうも暑い一日となりましたね。午前はあいさつ回り、午後からはメーデー上越集会、病院、原稿書きと忙しい日でした。あいさつ回りのなかでは、初めて聞いた市議会議員選挙に関する情報がいくつかありました。若い有権者のなかで、「今度は共産党だね」という動きが起きていたというのです。どの程度の広がりかはわかりませんが、労働環境の改善や子育て支援強化を訴えた者としてはうれしいことです。選挙期間中、高齢者のみなさんからは、「年金と後期高齢者医療制度で頭にきた。もう自民党はたくさんだ」という自民党支持者の声を聞いていました。有権者のなかでは大きな変化が起き始めているように思います。

 メーデー集会とデモは高田で行われました。今回は日本共産党を代表してあいさつするようにと頼まれていました(画像)。事前に頭の中で考えていたのは、市議選に関することと、市内の非正規雇用に関して実態をあきらかにして正規雇用を増やすたたかいを呼びかけることでした。ところが、途中からまったく考えてみもしなかった内容へと話が展開していきました。たぶん、車の中で「綾小路きみまろの爆笑トーク第3弾」を聞いたのが影響してしまったようです。デモでは先頭で横断幕を持つ役目を仰せつかりました。初めての経験です。シュプレヒコールをやるにも気分が良かった。

 一日の仕事が終わって、久しぶりに「ゆったりの郷」で温泉につかってきました。デモなどで汗をかいていたので、全身をよく洗って、風呂にゆっくりと入る。いいもんですね。温泉を出たのは午後9時過ぎです。駐車場では、カエルの大合唱が聞こえてきました。明日は雨が降るのかも知れません。


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