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2006年07月投稿分

2006年07月30日

梅雨明け

 きょうは朝7時50分から上越消防大会でした。場所は浦川原区の中保倉小学校のグランド。暑からず、寒からず、時々風がスーッと通り過ぎていく。ジージーゼミの鳴き声だけでなく、テント裏の土手からは秋の虫たちの鳴き声も聞こえてきました。そういうなかでの大会、一緒に参加した同僚議員たちは、「きょうあたり、梅雨、明けるんじゃないか」と言っていましたが、その通りになりました。気象台は「梅雨が明けたらしい」と慎重な言葉を使って発表しました。
 梅雨に入ってから1ヵ月半。気温が低く、日が照らない。時々大雨になるぞとおどしながら、雨ばかりがダラダラと降り続けました。もちろん、この梅雨明けを誰よりも待っていたのは農家です。ナスの花が咲かない、きゅうりなどのツルが溶けてしまう、イネの花の付きはどうなるかと心配していた皆さんは、きょうは笑顔でしょう。来月は日照も気温も平年並みとの予報です。そのとおりになってくれればありがたいですね。
 来月になればお盆が駆け足でやってきます。いそがしくならないうちにと思っていた原稿整理もできず、猛烈にいそがしい日が続きそうです。明日から3日間、市議会文教経済委員会で青森市などを訪れ、先進的な取り組みを学んできます。したがって、この「見てある記」も2日までお休みします。それまでお元気で。
 トップページの尾神岳の写真入れ替えました。今回から尾神岳の写真を入れ替える時には、写真の下に吉川区の様子をちょっと書き込みすることにしました。


2006年07月29日

栗山町ショック

 北海道栗山町議会が議会基本条例を制定したというニュースが流れたのは2ヶ月ほど前のことです。兵庫県生野町や新潟県旧吉川町などのまちづくり基本条例が広がる中で、これからのまちづくりにおいては、議会も住民、行政とともにまちづくりの担い手であるという流れはできていた。では、議会はどうあるべきなのか。これを具体的に示している条例をもっているところは、これまで皆無でした。そういうなかで栗山町議会がトップを切って条例を制定したのです。どんな経過で、どんな内容で制定されたのか知りたいと思ったのは当然です。きょうの「市民と議員の条例づくり交流会議2006」で栗山町議会の橋場議長が話をされるということを知り、東京は江東区のタイム24まで出かけてきました。
 議会主催で住民が参加する一般会議を行う、議会主催で議会報告会もやる、議会は自由な討議の場であるから首長などにも反問権を与えるなど、ごく当たり前のことでありながら、なかなか実現できなかったことが盛り込まれている。それだけでもビックリしたものですが、きょうの橋場議長の話を聴いて、すごいと思いました。分権時代にふさわしい行動する議会、住民に開かれた議会づくりが必要だ。議員は住民の皆さんの目線にふれなきゃダメです。住民にとって一番見えていないのは行政の中身ではなく、議会の姿なんです。議長の自信に満ちた発言に会場を埋めた参加者は圧倒されました。今後、全国の議会は議会基本条例を次々と制定していくでしょう。すでに三重県議会などで動きが始まっています。
 橋場議長の話を聴きながら思い出したのは、吉川町まちづくり基本条例づくりでした。町議会のメンバー全員で何回もワークショップをやり、意見を出し合う。議会として初めて、住民の声を聴きに懇談会を開いた。自分の町だけでなく、よその自治体の法務職員の知恵も借りたなど……。いずれもきょうの話に通じるものがありました。議員提案の条例制定の動きは、吉川町から飯田市など全国に広がっていることも確認できました。きょうの会議後の懇親会では、法政大学の廣瀬克哉教授やガバナンスの千葉茂明さんなどなつかしい人と再会しました。また、きょう、辛口の議員論、議会論を展開された大森彌東大名誉教授などともゆっくり話をすることができました。よかったです。


2006年07月28日

無題

 朝、妻を職場に軽トラで送ってから市政レポートを作成。その後、夕方までずっと「しんぶん赤旗」日曜版の配達と集金でした。配達はきょうだけで終わらせたいと思っていたのですが、いうまでもなく集金がある時は、読者の方と話をする時間が多くなります。山間部の配達はそっくり残ってしまいました。明日は東京で条例づくり交流会議があるので、残りは他の配達員の方にお願いすることにしました。
 それにしても、きょうは蒸し暑い日でした。午前中に雨が降ったこともあって、いやにジメジメ、ベタベタします。ある家では、土間のコンクリートが湿気で濡れて、ツルツルしていました。昔は湿気対策をしないでコンクリート打ちをしていましたので、こうなるのです。従姉のところへ行ったら、ちょうど枝豆をとっているところでした。茶豆とのことで、一袋もらってきました。もちろん、これがあれば発泡酒で喉の掃除が必要となります。「淡麗生」を一缶いただきました。
 明日は朝一番の電車で東京行きです。久しぶりに「市民と議員の条例づくり交流会議」に参加し、勉強してこようと思います。


2006年07月27日

重要課題がテーマの委員会

 新上越市には重要課題がいくつもあります。そして関係機関が悩み、模索している、そんな状況となっているものも少なくありません。きょう、午前の総務委員会で議論された公共交通もその1つです。電車、バスの利用者数は、この10年間に750万人(年間)から230万人に激減しています。その一方でマイカーは急増し、16万台に迫っている。この傾向は大型商業施設など市民の利用度が高いものが郊外にできることで加速されています。
 いま市では、「持続可能なまちを育み支える公共交通」を基本目標とした総合交通計画を策定中で、きょうの委員会では野澤企画・地域振興部長が中間報告を行い、委員の意見を聴きました。部長の説明では、これまで示したものよりもまちづくりを意識して、公共交通まちづくり戦略プランとして策定しているということでした。委員からは、「公共交通の衰退、マイカー増加、拡散型都市構造を悪循環としてとらえるのはいかがなものか」「公共交通と公共施設がバラバラではまずい」「行政がすすめる中身とギクシャクしないよう、総合計画との整合性を図るべきだ」などの意見が出ていました。
 午後は廃棄物処分場対策特別委員会、こちらも重要課題です。県が計画していた処分場建設予定地が地元住民の反対で頓挫しているなかで、新たな建設地をどう確保するかなどを話し合いました。市では年度内にこの問題を解決したいとしていますが、遅々として進まないという印象です。きょうの委員会では「建設適地というのは地元住民が賛成してこそ適地といえるのではないか」などの厳しい意見も出ていました。
 重要課題の審議を傍聴していて、いつも思うのは、自分ならちゃんと発言できるかということです。公共交通ひとつとってみても、残念ながら、深い議論はできません。持続可能な地域社会をつくるために交通の分野で必要なことは何か、と問われてもキチンと答えられない。重要課題がたくさんある中で、何から何まで分かる必要はないにしても、基本的なことをサッと言えるように勉強しなければ……。


2006年07月26日

新柿線議連の現地視察/前島密記念館/落語鑑賞

 午前9時から県道新井柿崎線整備促進議員連盟の現地視察でした。どこでどんな整備が必要か、あらかじめ各区選出議員から出されていた報告である程度分かっていたとはいうものの、やはり現地は見るものです。三和区錦の十文字付近、県道に歩道がないため、子どもたちは通学で田んぼ道を歩くといいます。青野十文字付近も、わずか100メートルほどですが歩道がない。こちらは冬になれば吹雪が子どもたちを襲います。県の担当者の説明の中にも、「歩道除雪機械の数が少なくて困っている」というのがありました。財政危機下の予算編成では、県民の命にかかわる予算を最優先すべきだということを強く感じた視察でした。
 郵便局の集配業務再編が大きな問題になっていますが、午後からは、日本共産党参院国対委員長の井上哲士議員、樋口市議などとともに「郵便の父」と言われている前島密の記念館を訪ね、樋口嘉和館長から説明していただきました。前島密は郵政事業を創める時、収支がトントンであればいいとしていたという話を聞き、利潤追求第一主義に走った小泉「改革」の不当性を再認識しました。その後、全国特定郵便局会の会長であった上越商工会議所の田中弘邦会頭と懇談しました。田中さんは、「民営化法案を決めた後、郵便局を具体的にどうするのか制度設計ができていない」「郵便局のネットは日本社会の良さをつくってきた」などと発言されていました。正規の懇談会が終わってから、樋口館長の話になりました。「よく勉強されていて説明がとてもうまいですね」という声が出ると、田中さんは「講演会も頼まれているようですよ」。樋口館長さんは吉川区在住、地域おこしの活動でも熱心な方です。吉川区の方が区外でも活躍されている姿を見るとうれしくなります。
 夜は高田日活で久々に落語を楽しみました。生の落語を聴いたのは、おそらく30数年ぶりかと思います。今回は、上越市の家族を紹介した、先日の「鶴瓶の家族に乾杯」の続きのようなもの。番組に出た鶴瓶、昇太に、地元出身の白鳥も加わって大いに盛り上がりました。会場となった高田日活は明治期に建造されたといいますが、なかなか雰囲気がいい。日活のポルノ映画だけをやっているんではもったいない場所です。懐かしい映画、漫才などにもぴったりです。


2006年07月25日

気象庁が3ヶ月予報を発表

 朝、傘を持って出かけました。市役所のマイクロバスに乗るとき、「晴れていると、この傘、忘れるんだよね」と話していたのですが、雨は早く上がり、午後2時半過ぎにバスから降りたときは、案の定、傘のことを忘れていました。「橋爪さん、この傘、あんたんじゃないの?」と言われて気づいた次第です。きょうは市議会の食料農業農村議員連盟の視察、視察地では天気が話題の1つでした。
 清里区北野集落のライスセンターは標高が200メートルくらいとのことでした。「今年は日照不足で、冷害にあいやすいのではないか」「標高が400を超えるとイネは危ない」などの声が出ました。合併前上越市の区域にある平場の高森という集落では、「加工ナスは1本に100個以上ならせれば、採算が取れる」という話から始まって、今年の長雨、日照不足を嘆く声がありました。北海道へ旅行したある議員は、イネが小さいのが気になった、冷害になるかもと言っていました。
 きょうは気象庁が3ヶ月予報を発表しました。それによると北陸地方については、この期間の平均気温は平年並か高く、降水量は平年並といいます。問題の
8月ですが、平年と同様に晴れの日が多く、 気温、降水量、日照時間はいずれも平年並となっています。この予報が当たれば、米もまずまずのできにはなると思うのですが。
 夕方、高田から妻を軽トラに乗せて家に帰るとき、夕陽が田んぼや杉林の緑を鮮やかに浮かび上がらせていて、とてもきれいでした。「この景色、どこかで見たことあるよね」「……」「そうだ、『おもいでぽろぽろ』だよ。あの高畑勲監督の映画の……」
いまの時期、太陽が輝けば、植物もエネルギーをいっぱい吸収して生長し、美しくなります。


2006年07月24日

社会問題解決さぐる2冊の本

 昨日のことで書かなかったことがあります。じつは堀井講演を聴いた後、すぐ本屋さんへ行き、堀井さんの『問題解決のための「社会技術」』(中公新書)を購入しました。どちらかというと理系の研究者が社会問題解決の手法について論じていることが新鮮で、「社会技術」についてもっと深く学びたいと思ったからです。同著は2年前に出版されたもので、本屋さんには1冊しかおいてありませんでしたが、入手できてホッとしました。この本には講演で使われた資料がいっぱい掲載されています。いうまでもなく、内容も講演とほぼ同じ。これで復習ができます。
 この本については、昨日から読み進んでいますが、私の悪いクセで、途中から、小宮山宏著『地球持続の技術』のことが気になり始めました。志位委員長は記念講演で、この本では「規制緩和の大合唱」を批判したうえで、「環境やエネルギーの問題のように、徐々に損なわれていく文明の基盤に対して人類全体が長期的な対応をしなくてはならないという状況において、市場はうまく機能するであろうか。そうは思えない。市場原理への予定調和的期待は、短期の視野で企業が対応する限り、成り立たないのではないだろうか」
と記述されていることを紹介していました。これが、どこでどんなふうに書かれているのかを知りたくなったということが第一ですが、同時に堀井さんの「社会技術」論と小宮山さんの理論では重なる部分があるのではないかと思い始めたのです。
 きょうは午前中、議員控え室で党議員団会議をやりました。食事をしてから、近くの本屋さんへ行き、『地球持続の技術』をさがしたところ、3軒目の本屋さんでようやく発見、購入してきました。まだパラパラとしか読んでいませんが、環境とエネルギーを基盤とした地球の持続という問題を本格的に追求した本として、座右に置くべき本の1冊になりそうです。専門分野を超えて社会問題解決にあたる、この点は、やはり、堀井さんの本と共通でした。午後からは資料の整理と読書をしました。
 夕方、吉川町議時代からお世話になっている地方自治研究者の辻山幸宣さんらと食事をしながら懇談しました。大潟区の地域協議会の様子を視察された直後だったことから、議会と地域協議会の話に始まって、男性の作る弁当の特徴、自治基本条例のことなどの話をたっぷりとききました。「議員経験のない協議会委員で専門的なことをよく勉強している人がいる。理事者追及型ではなく、みんなで話し合って解決策をまとめていくところがいいという声があった」「吉川町のまちづくり基本条例づくりでは議員がワークショップをやったが、これは全国でもここだけだ」「斎藤孝の三色ボールペンのメモもいい。私は1本で2色のカラーペンを使っている」「筋書きのない講演は終わってから筋書きができる」おもしろくて、ためになる懇談でした。


2006年07月23日

お見舞い/まちづくり市民大学

 これもやりたい、あれもやりたい。やらなければならないことはたくさんある。そうした時に、片っ端から見事に片付けていく人がいます。私はそんな能力はありませんから、「きょうはこれとこれだけは最低限やろう」と決めて過ごすことにしています。きょうは新潟市に行き友人を見舞う、上越市のまちづくり市民大学に出る、このふたつをやることにしてスタートしました。
 友人のKさんの手術は21日、無事終わっていました。高速バスに乗り、がんセンター病院に着いたのは午前10時頃です。普通、病院では10分ぐらいが見舞いの限度かと思っていますが、個室でもありましたし、きょうは、ゆっくりさせてもらいました。彼は「病院に1人でいるのはつらい」とも言っていましたし……。彼とは学生時代、同じ英会話研究会に入っていましたが、群馬県の赤城山のそばの大沼で合宿した時のこととか、同じクラスの誰々が県教委の幹部になっていて組合と対立しているなどたくさんの話をしました。几帳面な人で、昔の懐かしい写真もパソコンで整理しています。現在ロンドンに住んでいる友人や私の結婚式の写真もちゃんと整理されているのにはびっくりでした。新潟で会議がある時には、できるだけ寄るようにしたいと思います。
 まちづくり市民大学は、今年が10周年ということです。きょうは、東京大学の堀井秀之教授の「安全・安心な社会とは何か」という講演を聴きました。土砂災害、児童虐待、医療事故、食品汚染など今日の社会問題は複雑化しているので、簡単には解決できない。解決のためには工学的技術と社会的技術を組み合わせた「社会技術」が求められている。複雑な問題の全体を俯瞰(ふかん)する、文科系と理系の協働、分野を超えた知の活用などを特徴としたこの概念は初めて知りましたが、とても興味深く聴きました。
 話を聴いていて、高速バスでの出来事を思い浮かべていました。バスは越後交通でしたが、柏崎のバス停で運転手が代わりました。高速バスで、運転手が途中で代わったのを見たのは今回が初めてです。運転席から3列目に座っていた私は、その様子を見ていて感心しました。バスに入る時に、乗客に向かって「失礼します」と一礼し、運転席でバックミラーの位置などいくつかの点検をして、「たいへんお待たせしました」とまた一言。礼儀正しさと誠実さが伝わりました。それだけではありません。柿崎のバス停で乗客が降りようとしたときのこと、まだ停車していないのにお客が腰を上げるのをルームミラーで見て、「バスが止まってからお立ちください」とやさしく声をかけたのです。堀井さんは、安全・安心に関連して企業の社会的信頼についてもふれられていましたが、この出来事でよくイメージできました。
 高速バスの中では、19日に行われた日本共産党の創立84周年記念講演会の志位委員長の講演(「しんぶん赤旗」22日付)を全部読みました。最初は先に行われた第2回中央委員会報告と同じだろうと思っていましたが、この講演むけによく準備されていて、バスの中ではとうとう一睡することもなく、読み切りました。ぜひ一読をおすすめします。この中で東大総長の小宮山宏さんの『地球持続の技術』(岩波新書)が紹介されていましたが、堀井さんは、科学技術振興機構が5年間にわたって取り組んできた「安全性に係る社会問題解決のための知識体系の構築」の研究統括を小宮山さんから引き継がれたとのことでした。きょう、一日の動きの中でいくつも係わりのあることが出てくる。偶然とはいえ、おもしろいものです。
 きょうは家に戻ってから、牛舎の周りの草刈り、市議会報告の印刷(1万枚)もすることができました。だれもご苦労さんと言ってくれないので、きょうは発泡酒ではなく、特別サービスということにして、エビスビール1缶(350㏄)をいただきました。


2006年07月22日

大潟高柳線の平等寺地内で交通止め

 金曜日、土曜日は「しんぶん赤旗」日曜版の配達の日と決めています。だから、他の用事が入ると、とてもきつい。昨日はまる1日、会議がありましたので、市役所関係だけの配達しかできませんでした。それで、きょうは朝からずっと新聞配達のつもりだったのですが、午後から地区党の活動者会議もありました。だから、その時間を除いて、残りのすべての時間を配達に、ということになりました。
 配達をするなかで、ある読者の方がスコップ、一輪車を車に積もうとしているところにであいました。キョウダイの方が岡谷市に住んでおられますが、土石流が家の床下、家の周辺にたっぷり泥を置いていったということで、その除去の手伝いに行くのだそうです。そのキョウダイの方の隣の家は土石流に流されたとも聞きました。今回も梅雨前線豪雨は各地に被害をもたらしています。「こんな被害は初めてだ」という声を毎年各地で聞きますが、異常気象のせいだけにはしておけません。災害対策に本腰を入れない政治を変えなければダメです。
 きょうは配達の途中、主要地方道大潟高柳線の平等寺地内の交通止め現場(写真)を見てきました。ここも昨年の集中豪雨で路肩が崩落した場所ですが、工事が終わらないうちに、この間の雨で路盤に亀裂が生じ、とうとう軽トラックも人も通れない道になってしまいました。泉田県知事は災害対策に力を入れてくれる首長だと期待していたのですが、最近、ある方が、「中越地震被害や豪雨災害の後始末も終わらないのに県立野球場をつくろうとしている。おかしい」と言っておられました。この交通止め現場を見ながら、この人の言葉を思い出しました。
 名木山の県道の路盤沈下現場も見てきました。19日には杉の伐採が終わり、道路の幅を確保するためにすすめていた、山側の転作畑を削り、砂利をひいて舗装をかける仕事もすっかり終わっていました。まだ路肩は下がり続けていますが、これでしばらくは大丈夫でしょう。転作畑、杉林の所有者の方は吉川を離れ、遠くに住んでおられますが、「杉を切らせてほしい。畑を削らせてもらいたい」という要請に快く応えてくださいました。感謝です。


2006年07月21日

1日に5つの会議

 市議会自治基本問題特別委員会、議員懇談会、市議会学習会、郵政集配再編説明会、並行在来線問題ミニシンポ。これは、きょう私が参加した会議です。このほかに市政レポートの印刷があり、新聞配達もありました。夜9時半頃、家に戻って発泡酒(500㏄)を飲み始めたものの、全部飲み乾す力は残っていませんでした。朝4時頃から起きたのがきいたのでしょう。
 特別委員会はメンバーが変わってからの初審議でした。自治基本条例の制定については、市民会議のみなさんが20数回のデスカッションを重ね、素案をまとめるところまできています。今後は市民フォーラムを開催したのち、条例案をまとめる検討委員会がスタートすることになります。まちづくりの担い手を市民、市議会及び市の3者としていることから、議会が策定過程にも積極的にかかわっていくことが求められています。きょうの委員会では、全体のすすめ方の問題で急ぎすぎないことを事務方に求める声が相次ぎました。市議会がどうかかわっていくかについては、条例案を検討する委員会に議会が参加していくかをめぐって意見が分かれました。どういう形態をとろうとも、市議会の意見も策定過程に反映できるようにしたいと考えています。自治基本条例は自治体の憲法です。今春、全国の自治体で自治基本条例を制定したのは90自治体を超えました。
 郵政の説明会は、市議会が郵政省に対して郵便局の業務合理化に反対の意見書を提出したことを受け、行われたもの。説明役は信越郵政局の代表、高田郵便局の幹部でした。今回の業務再編について15分ほど説明があってから、きびしい質問が続きました。「冬場、山間部では5メートル近い雪が降るところもある。新聞は郵送になっているが、遅く届くようでは新聞とは言わない」「いまの郵便局を2つに分けたとしても、1つの会社に配達業務を委託すれば、いまの人員、態勢でやれるはずだ。なぜそうしないのか」。信越郵政局の説明者の口から、「私もそう思う」という発言が出るほど各議員の発言は説得力があるものでした。山岸議長は最後に釘を刺しました。「今回の説明でわれわれは納得したわけではない。もし計画をやろうというなら、一冬、試行してみてやるくらいの慎重さが必要ではないか」。
 印刷機は、なんとか使える状態になりました。でもドラムは借り物、印刷状態はいままでよりも悪く、元に戻るようになるまではもう少し時間がかかりそうです。時間はかかっても仕方ありませんが、カネがあまりかからなければいいがと心配しています。


2006年07月20日

上川谷で「囲む会」

 月曜日が休みで得をしたように思っていたら、あっという間に木曜日です。市政レポートの作成をしなければなりません。きょうは午後から「橋爪法一を囲む会」もあり、その準備もありました。というわけで、あわただしい1日になりました。午前は家で市政レポートのレイアウトを考え、囲む会で使用するスライドづくりもしました。明日の朝にはレポートの印刷をと思っていたのですが、残念ながら印刷機の修理が完了するのは明日の夕方になる見込みといいます。明日配布する分だけでもどこかで印刷してこないと。
 「橋爪法一を囲む会」は上川谷公会堂が会場でした。後援会の2人の人からも同行してもらい、約1時間半、議会報告、懇談などをさせてもらいました。ノカンゾウがたくさん咲いている会場には11人も集まっていただきました。スライドでは上川谷に咲く野の花、道祖神なども登場させましたが、地元と係わりのあるものが出てくると親しみが増しますね。懇談では、「主要地方道上越安塚柏崎線の交通止めの案内看板が少なく、しかもわかりにくい。間違ってくる人がたくさんある」「桜坂峠から柏崎の降りていく県道の草刈りをお願いしたい」「林道(市道)の草刈りを早めに」「バスは絶対無くさないでほしい。あれで生きていられる」などの声を寄せてもらいました。きょうの会では、後援会の小田順子さんから「お盆泊まり」を朗読してもらいました。そのせいなのか、終わりの挨拶をした時に、「楽しかった」という声が聞かれました。
 帰りに、後援会の2人と大島区板山の不動尊を見学し、その後、「日本一おいしいトコロテン」を食べてきました。気分よく家に戻ったのですが、留守電にショッキングな情報が入っていました。学生時代の大事な友人の1人、Kさんが明日、新潟のがんセンター病院で手術することになったというのです。癌の再発です。この情報は1級先輩である人から寄せてもらったのですが、夜9時半過ぎにKさんから直接電話をもらいました。「昨年、初めて癌であることを知った時よりもショックを受けた。ここ数日間は食べものが喉を通らなかった。放射線治療が効かないが、なんとか縮小させるか、せめてこれ以上進行させないようにがんばる」との話でした。来週、時間をつくって、Kさんに会いに行ってこようと思います。彼には、いつか尾神岳の絵を描いてほしいと思っていました。ぜひ、がんばってほしい。


2006年07月19日

建設企業常任委員会

 きょうは午前に市議会建設企業常任委員会、午後からは遺伝子組み換えイネ実験栽培中止を求める集会があり、久しぶりに市役所周辺に長くいました。
 建設企業常任委員会では、昨年確認された釜蓋(かまぶた)遺跡を歴史公園として残すことになったことから、これまでの新幹線新駅周辺整備計画をどう変更するかについて、地元との話し合い状況などが報告されました。これまでの全体計画では、新駅の東口、西口全体で約30ヘクタールとなっていました。市では歴史公園分5ヘクタールを減らした25ヘクタールでいくか、それともあらたに隣接地を5ヘクタール追加する、この2つの案を示して慎重に協議しています。地権者などを対象にしたアンケート調査では、ほぼ半々に分かれていました。
 質疑を傍聴していて、改めて釜蓋遺跡の存在価値の大きさを意識しました。釜蓋遺跡は、約1800年前の弥生時代後期から古墳時代初期にかけてのもの。「佐渡を除く新潟県内では初めて発見された平地の環濠(かんごう)集落」(市生涯学習課)といわれる極めて貴重な遺跡です。この遺跡の南方には、吹上遺跡(弥生中期~古墳時代)、国史跡の斐太(ひだ)遺跡(弥生時代後期、山地性の環濠集落)があり、まさに「弥生の遺跡ベルト地帯」となっていますが、新駅とこれらの遺跡群をどうつないでいくか、こういう全体の構想も膨らませながら新駅周辺整備を考えないといけないなと思いました。
 遺伝子組み換えイネ実験栽培中止を求める集会は、平日の勤務時間帯の開催にもかかわらず300名近い参加がありました。本裁判の経過説明では、実験をしているセンター側を理論的にはかなり追い詰めているなという印象を持ちました。問題は地元での盛り上がりがまだまだだということです。きょうの集会では、リレートークの前に、大潟区の平澤栄一さんと吉川区の山岸協慈さんが「百姓99」(平澤さん作詞)を歌いました。米山、尾神岳の見える農村を舞台に生きる農民の心意気を感じさせるすばらしい歌でした。
 雨は午前のうちに止みました。名木山の県道災害の現場では、杉の伐採が無事に終了しました。吉川区平等寺地内の県道に亀裂が入り始めたとのニュースもお昼頃に入ってきました。このまま梅雨明けになってくれればいいのですが、予報ではまだしばらくは続くとのことです。


2006年07月18日

石谷、下川谷を孤立させるなと関係機関動く

 やはりダメだ、どんどん下がっている。朝6時40分頃、名木山地内の県道の路盤沈下現場を見た瞬間、そう思いました。昨日の補修工事で平に砂利を敷いたはずの所が斜めになっています。側溝脇の地割れの幅も大きくなりました。それだけではありません。すぐそばにある杉の木の傾きがはっきりとわかるようになりました。写真を何枚か撮ってから、丸滝温泉の近くまで行き、携帯電話で区総合事務所の所長に電話で状況を知らせました。
 その後、区総合事務所の産業建設グループ長を誘って現場に戻り、現場を再確認。その足で区総合事務所に行きました。産業建設グループ長はすぐ関係機関と連絡を取ってくれましたので一安心して、急いで家に戻りました。じつは同級会で帰省していた弟を直江津駅まで送り、その後、市役所で議員団会議をやることになっていたからです。総合事務所長から現場写真をメールで送ってほしいと要請されていましたので、それをやってから、直江津駅に急行しました。
 議員団会議は樋口議員が厚生常任委員会の視察で不在のため、杉本議員と2人で直江津小木航路問題、新市名称問題についてどう対応するかなどについて協議しました。いずれも党としての態度、方針を決める必要がある重要問題です。前者については明後日の会議で第1回目の会議がありますが、新市の名称問題などは地区委員会でしっかり議論してもらわないといけません。会議の途中、防災局長、総合事務所長から名木山の現場の対応についてのその後の経過説明をしてもらいました。
 名木山の現場では上越地域振興局(新潟県)の関係課の幹部が昨日に続いてきょうも現地を調査してくれて、道路の半分は崩落すると判断したようです。そのため、地主さんとも連絡を取り、山側にある畑を2メートル50センチほど削らせていただき、危険箇所を迂回できる道にする工事に着手しました。私が午後3時半過ぎに現場に行った時には、すでにユンボが動いていました。朝、確認した杉はさらに斜めになっており、地割れは一層進んでいます。このままだと、杉が倒れて東北電力の配電線を切断し、その奥にある石谷、下川谷、上川谷の約30戸が停電することになります。そのため、明日の午前8時から杉の伐採作業が行われることが決まりました。雨は幸い大雨にはなっていませんが、いやらしく降り続けています。


2006年07月17日

雨は不気味で落着かない

 ここ数日間の累積降雨量は吉川区川谷、尾神の両観測所で180ミリ前後となっています。1日にまとめてこれだけ降れば大騒ぎになる、これは明白です。では3日間で180ミリならたいして問題ないかといえば、そうはならない。なぜ問題なのかといいますと、昨年の記録的豪雨の後遺症がまだ残っているからです。きょう午前に現地調査に行った名木山の道路の路盤沈下はその典型です。道路幅の3分の1ほどが昨日、きょうと沈下し続け、50センチくらい下がりました。下がった原因はまだ特定できませんが、道路わきの斜面は昨年の豪雨の時に縦横数十メートル崩落したままなのです。これが引っぱって沈下させている可能性があります。路盤沈下し続けている道路は石谷、下川谷集落住民にとっては生命線です。今後の降り方がとても気になります。
 きょうは午前中、区内の道路状況を視察し、午後からは党支部のみなさんと第2回中央委員会総会決定文書の学習会でした。ビデオを見て学習するという計画でしたが、テレビが悪いのか、それともテープが悪いのか、画面に登場する志位委員長の声は完全な「風邪声」でした。それでもみんなガマンして最後まで聴きました。雨の状況を気にしながら途中でコーヒーを飲みました。ここでも話題は雨、「この3日間、雨に振り回された」「そろそろ楽々させてもらいたい」などの声が出ていました。大雪の場合、警報の時よりも注意報になってからが要注意だという人がいますが、今回の雨は大雨警報から注意報になっています。はやく上がってもらいたいものです。


2006年07月16日

弟がやってきた

 雨は降ったり止んだりの繰り返しです。区内での累積降雨量は100ミリを超えていて、小規模な土砂崩れなども発生し始めました。今回の梅雨前線による降雨は、市内では吉川区がまたもや一番多くなっています。吉川区の山間部、特に川谷地区は土砂崩れひとつで孤立する可能性があります。また、平場は崩れやすい土質のところも多く、こちらも注意が必要です。ということで、総合事務所は所長を先頭に警戒体制に入りました。明日まで梅雨前線豪雨となりやすいというので、市役所は13区の総合事務所も含め常駐体制をとりました。
 きょうは朝一番に愛知県に住む弟から電話が入り、柿崎区で中学時代の同級会に参加するので急遽家に帰ると連絡がありました。この知らせを聞いて喜んだのは父です。このところ、「おじはどうした。生きているのか」と毎日のように言っていましたからね。夕方6時半過ぎに到着した弟は、父の手を握り、「とうちゃん、久しぶりだね」と声をかけました。大潟区に住む弟も加わって、一緒に母の手づくり料理を食べましたが、父は「若いしょ(衆)が3人になって部屋が狭くなった」と言っては笑っていました。突然やってきたいい日に父は大満足したようです。
 もちろん母も喜んでいました。いつもなら、母の歓迎料理は押し寿司なのですが、突然やってきたので、きょうは間に合いませんでした。そのかわり、キュウリの酢もの、山菜、塩スルメなどが並び、母の得意料理のライスカレーもでました。弟たちは、なつかしい母の料理を楽しみ、「この酢もの、ほんとうにうまいなぁ」などと言っていました。同級会で結構食べたはずなのに、また食べたくなる、母の料理はたいしたもんです。
 


2006年07月15日

梅雨前線活発化

 朝の8時から9時の間、夕方の5時半頃、そして11時過ぎ、このまま降り続けたらどうなるだろうと心配になる雨の降り方でした。昨年、梅雨前線豪雨で戦後最大級の被害をこうむったこともあって、吉川区住民は雨の降り方にとても神経質になっています。きょうも心配させられましたが、運が良かったのは大雨洪水警報が出ても雨が長く続かなかったことです。山は3回ありました。しかし、いずれも時間雨量にすれば30ミリを超えることはありませんでした。
 こういう雨にあると、どこへ行っても雨が話題の中心です。午前には区の戦没者慰霊祭が原之町の忍西寺でありましたが、「いやー、さっきはひどい雨だったね」という言葉が何回も出ていました。来賓で出席した木浦市長によると、上越市内では名立区、それから高田西部の正善寺で一番いい降り方をしたということでした。慰霊祭に出席したのは昨年に続き2回目です。参列者の中には「しんぶん赤旗」を購読していてくださる方が多く、目で挨拶してくださる方が何人もありました。
 夕方の雨は風を伴ったひどいものでした。これは危ないと思い、総合事務所に駆けつけたところ、山田所長と防災担当者がすでに詰めていました。私より少し遅れて事務所に入ってきた次長はズボンがずぶぬれでした。家から自家用車に乗るまでに雨にたたかれたそうです。雨による被害は、きょう現在はなかったようです。ただ、一部には地すべりの兆候が出ているとの情報も寄せられました。梅雨前線は明日以降も居座るようですので、要警戒です。


2006年07月14日

印刷機にトラブル発生

 運が良かったというべきか、悪かったというべきか。わが家にある印刷機がトラブルを起こしてしまいました。毎週発行の市政レポートと「6月の市議会報告」、「しんぶん赤旗」に折り込む分だけは印刷が終わっていました。しかし、日曜日に一般の商業新聞に入れる分は手付かずでした。修理業者の方にみてもらったところ、ドラム周辺で部品がはずれていて、ドラムの出し入れができない状況となっています。また、印刷にあたっては案内文が画面に表示されるのですが、その画面表示と印刷機の動きが合わなくなりました。コンピューター部分にもトラブルが発生しているのかもしれません。修理が終わるのは来週後半になる見込みとのことです。
 トラブルが発生したのは、樋口議員が市議団の「6月の市議会報告」を印刷中のことでした。彼女は自分が受け持った1万枚の表面を刷り上げ、裏面を刷り始めたところでした。冷房の効かない、天然クーラーだのみの部屋で汗びっしょりになりながら印刷していたのですが、このトラブルにはショックを受けたようです。「なんで私がさわっている時にトラブルになるんかしら」と言いながら、肩を落としていました。トラブルが夕方の5時を過ぎた頃だったため、樋口議員が印刷途中のビラを片付け、家にむかったのは午後8時過ぎになっていました。
 きょうの私は、午前中に市政レポートを作成し、午後から、「しんぶん赤旗」日曜版の配達でした。暑さが厳しく、軽トラの運転でも、新聞配達でもタオルを離すことができませんでした。2人の読者の方から、今度、暑気払いをやろうよと声をかけられました。こんな日には、夜、冷たい物をいただかないと疲れがとれません。350ミリ入りの発泡酒を一缶グイッとやりました。135円で癒されるのですから、安いもんです。


2006年07月13日

葬儀/集金/ビラ作成

 葬儀に出た時、一番の苦痛は畳の上に長く座っていなければならないこと。足や腰の悪い者にとっては共通の悩みです。これから解放されたらどれだけ助かることか。きょう出席した葬儀は、専用のセレモニーホールが会場でした。私にとっては、こうした会場での葬儀に参加するのは2度目ですが、リラックスさせてもらいました。席は全て椅子。そして、きょうのような蒸し暑い日でも冷房がきいています。長いお経も苦にはなりませんでした。でも、こういうところはお金もかかるんでしょうね。
 きょうは午前に葬儀に出席し、その後はなかなか集金できないでいた「しんぶん赤旗」読者を数軒訪問し、お茶をご馳走になり、世間話をさせてもらいました。久しぶりに会った関係もあって、最初の会話で必ず出てくるのは、「ふとんなったね」です。遠慮して言う人は、「貫禄つきなったね」。牛飼いをやめて、体を動かさなくなった分、運動しないことには、食べたエネルギーは体内に蓄積します。食べる量を減らすか運動をするか、そろそろどちらかを選択しないと「相撲界入り」することになってしまいそう。
 夕方は党議員団事務局の上野さんの所に寄って、6月定例会の市議会報告づくりの手伝いをしました。夜7時半近くまでかけて、ようやく終わりました。これであとは、杉本、樋口両議員のチェックを受ければ完成です。B4サイズ1枚の紙に3人分の活動を盛り込もうということですから、なかなかたいへんです。上野事務局長は仕事のかたわら、3日くらいかけて原案作りをしてくれました。こういう頑張り屋さんがいると助かります。
 確かにビラづくりの作業はたいへんですが、これを待っていてくれる人もいる。きょう、お昼を食べた食堂は、旧町村時代から日本共産党の影響力の弱いところにありますが、経営者の方とおしゃべりしたら、党市議団の市議会報告チラシをちゃんと読んでいてくださる方であることがわかりました。それだけじゃありません。ある人から、「一度、吉川の橋爪さんの質問の様子をテレビでみてごらん」とすすめられたというのです。まさか初対面の人からこんな話を聞けるとは思いませんでした。うれしかったですね。


2006年07月12日

全県党幹部、議員合同会議

 新潟市内で党幹部、議員合同会議でした。昨晩の11時頃から激しい雨が降りました。累計雨量は40数ミリだというのに吉川もかなり増水し、どうなるのか気にしながら新潟に向かいました。行きは阿部正義上越委員長の車に乗せてもらい、帰りは望月妙高市議の車に乗せてもらいました。
 経費がかかるので相乗りを、との県委員会の要請に応えた措置でしたが、車の中では様々な情報交換ができ、とても有意義でした。2人の妙高市議からは、妙高市斐太(ひだ)地区で行われた県議と市長による「県政、市政報告会」の話、毎週発行している市政報告の作成苦労話などを教えてもらいました。特に信越線脇野田駅近くにできる北陸新幹線駅周辺の開発計画について、妙高市長と地元県議の間で認識の微妙なズレがあるとの話は興味深いものでした。
 党幹部、議員合同会議の目的は先日開催された第2回中央委員会総会決定の徹底と15日からの集中行動にむけての意思統一でした。県委員長などから住民負担をめぐる最近の情勢の変化を教えてもらいましたが、深刻な事態が広がっています。新潟市では住民税についての市役所に対する問い合わせが3000件を超えたそうです。また、自立支援法によって、これまで負担ゼロだったものが25万円になった例などもあるとのことでした。医療制度改悪の影響もひどい。自殺した妻の葬儀の香典でやっと白内障の手術費用をまかなうことができた実例もあるとか。
 いつもこういう会議に出てうれしく思うのは、他所の地域で頑張る仲間の奮闘ぶりを聞いて元気をもらえることです。阿賀野市での病院を守る闘いは党派を超えて大きな盛り上がりを見せています。新潟市での国保料引き下げ条例制定を求める直接請求運動は、受任者が5000名を超えたといいます。すごい。来年の一斉地方選挙に出馬予定の人の決意を込めた報告も良かったです。負けないで、こちらもがんばらなければ……。


2006年07月11日

夏バージョン

 昨日から何か変わったと思いませんか。稲の緑の明るさ、空の色、雲の形……明らかに夏バージョンになった。そしてわが愛車、軽トラの運転もまた夏型に変わったのであります。車の窓を大胆に開ける、フロントガラスのところにはタオルをおく、こうしてベタベタした手を気にしながら運転をするようになりました。これから1ヵ月半くらいはこのスタイルでの運転が続きます。
 きょうは午前中、川谷地区と大賀で市政レポートの配布をしました。挨拶の言葉は「暑くなったね」「蒸すね」です。上川谷のMさんが豆畑で杭打ちをしていたので、何のためにとたずねましたら、「うさぎが入らないように」とのことでした。最近、野ウサギが少しずつ増えてきているそうです。Sさんのお宅では、タチアオイが見事に咲いていました。これはまさに夏の花です。きょうはクガイソウなどの写真を何枚か撮りましたが、いずれもチョウが花の周りを飛んでいました。タチアオイのところではチョウだけでなく、ミツバチも。みんな花が好きなんですね。
 午後からは市役所で議員団会議をやり、夕方は妻と一緒に「夜回り先生」こと水谷修さんの「さらば、哀しみの青春」と題した講演を聴きました。薬物、売春、リストカット、自殺などの実態を生々しく告発し、「教育は言葉ではない、知識でもない、行動だ」「子どもたちは花の種。大事に育てればきれいに咲く。子どもたちにもっとやさしい、美しい言葉をかけてやってほしい」と訴えました。時折、ジョークも入り、会場の聴衆にも参加してもらう講演は感動的でした。


2006年07月10日

市役所で生活相談と原稿書き

 今朝一番に見たニュースはW杯サッカーです。サッカーよりも野球派の私ですが、日本が敗れてからは実況中継はまったく観ず、ニュースやハイライトで観るだけとなりました。それにしても今朝のニュースでみたフランスのジダンの頭突きはショックでしたね。この決勝戦で引退する名選手に何が起きたのか、知りたくてネットで調べたりしましたが、彼も神様ではなく、生身の人間として弱点を持っていたということなのでしょうか。
 きょうは午後3時過ぎまで市役所で生活相談と原稿書きでした。生活相談では、カネをめぐるトラブルと家庭問題が増えてきているのが特徴です。根底には大企業の大もうけの一方で労働者が苦しめられているという現実があります。いまのような経済状況が続くと、様々な事件、悩みが多発するでしょう。市議団の6月議会報告づくりはもう一歩のところまできました。明日の議員団会議で目鼻をつけたいと思います。
 夕方、大潟区にある小山芳元県議事務所でお茶をご馳走になりながら、市民クラブの小関議員と情報交換しました。小関議員とは町議時代から一致点で共同行動してきた積み重ねがありますが、きょうも、県議選をめぐる動きとか、遺伝子組み換えイネをめぐる運動などについて情報交換してきました。自民党県議団が県議の選挙区について、ようやく合併後の新区割りやむなしになったことで動きは一気に活発化しています。上越市選挙区では保守系新人も近く名乗りを上げるようです。わが党も候補擁立を急がなければなりません。


2006年07月09日

きょうは日曜日

 時折小雨がぱらつく日曜日でした。梅雨時ですからしょうがありません。でも雨が降ると1週間分の疲れがドッと出てくるのは不思議です。「しんぶん赤旗」日刊紙を配達して、朝飯を食べたら、横にならずにはおられませんでした。眠って1時間ほど経った頃、党県委員会のTさんから電話がありました。近く行われる全県の幹部・議員合同会議に参加できるかどうか、6日、7日と行われた第2回中央委員会総会の幹部会報告を読んだかどうかとの問い合わせでした。
 じつは布団のところへ第2回中央委員会総会の結語を持ち込み、読もうとして寝てしまったのです。電話をもらってから、結語を一気に読み、その後、机に新聞を広げて幹部会報告を読みました。蛍光ペンを使いながらでしたので、2時間15分くらいかかりました。大会後の情勢分析や来年の2つの全国選挙方針をなるほどと思いながら読んだのですが、最後のところで、「常任活動家の健康と休養の問題について」ふれている部分が気に入りました。1週間に1回は休む。定期的に健康診断を受ける。休養と学習、家族との団らん、地域の人々との交流、文化的な営みなどを大切にする。ごくあたり前のことですが、これは議員とて同じことです。日曜日は日曜日らしく休んで次の日から元気に頑張る、そういう党風をつくらないといけないと思います。
 この幹部会報告を読んでから、私なりの休日を「堂々と」味わいました。野の花に興味を持っている後援会幹部の方を誘い、近くにある海抜150メートルほどの山に登りました。途中、ヒヨドリバナ、トリアシショウマ、ヤマユリ、オオバノトンボソウ、カキラン、オカトラノオなどに出会いました。いまの時期はラン科の野の花がとてもきれいです。きょうは、ヤマトキソウに出会えなかったのが残念でした。
 「春よ来い」の第66回「梅もぎ」を掲載しました。ご笑覧ください。


2006年07月08日

夏も秋も

 全戸配布用の市政レポートの印刷をした後、「しんぶん赤旗」日曜版の配達・集金に出ました。きょうはお昼前から猛暑となり、タオルで汗を拭きふきまわりました。台風の影響なのか、きょうの蒸し暑さは不快度100%、今年初めて味わう異常な暑さでした。気温も30度前後はあったでしょう。この暑さの中でもう萩の花が咲き始めていることに気づきました。秋の七草の萩です。いよいよ本格的な夏になると思っていたら、秋の準備もちゃんと始まっているんですね。
 夕方からは母校(高校)の校友会でした。1年に1回、同級生と会うことができ、先輩、後輩にも会える。それが楽しみで、数年前から、ほぼ毎回参加しています。毎回のように会う同級生の顔ぶれはほぼ同じですが、何人かは校友会で初めて会うことになります。今回は同じテーブルの正面に座った同級生が私の顔をまじまじと見ているので、どういう方か思ったら、市役所に勤めているとのことでした。私の顔は議員団ニュースなどでよく知っていたが、「まさか同級生だとは思わなかった」そうです。この人とは、職場における働きやすさについてや議員活動について語り合いました。
 会では、同級生を中心に同窓の人のいろいろな情報が入ってきます。同級生の世話役をやってくれているSさんは、吉川商工会で何度も講演しているということを聞きました。また毎回出席のIさんは、吉川出身の上越タイムス社長と親戚関係にあることもわかりました。話を聞きながら、世間は意外と狭い、どこかでつながりがあるもんだと感じました。きょうは疲れたので、2次会には参加せず、妻に迎えに来てもらいました。


2006年07月07日

七夕飾り

 金曜日には市政レポートを完成させなければならないとわかっていながら、いつも土壇場まで原稿書きが進まない。裏面まで作成する時は、前日から準備に入らないとダメです。今回は昨晩から本格的に書こうと思っていたのですが、疲れてダウン。結局、きょうの午後3時過ぎまでかかって作成しました。裏面には1ヶ月ぶりに「春よ来い」も書きました。一応印刷したものの、まだ文章は手直しが必要ですので、日曜日にアップする予定です。
 市政レポートを印刷してから「しんぶん赤旗」日曜版の配達に出ました。きょうは七夕です。区総合事務所や何軒かの家では七夕飾りがしてありました。願いごとを書いた短冊を見てみるとおもしろい。ブッシュの名前で「平和を」と書いた皮肉たっぷりのものがありました。「素敵な人との出会いがありますように」と書いた短冊の主は若い人のようでもありますが、ひょっとすればもっと年のいった人かも。私が書くのであれば、「素敵な人との出会いがさらに続きますように」かな。昨年2月に市議になってから、本当にたくさんの素敵な人たちとの出会いがありましたからね。明日も短冊を読みながら配達できると思うと楽しみです。
 空梅雨となっているなかで野の花が次々と咲いています。ヒヨドリバナ、トリアシショウマ、オカトラノオ、そしてきょうは、ねむの木の花が咲き始めているのを確認しました。鮮やかな紅色はいつ見ても惚れ惚れします。そういえば、そろそろ、カキランも咲くころです。吉川区にある野のランの中で私が好きなのは、ナツエビネとこのカキランです。今年はいい写真を撮ろうとねらっています。


2006年07月06日

Kさんの葬儀/小林古径内覧会/子育て支援データ

 きょうは4日に亡くなったKさんの葬儀でした。どこでもそうですが、葬儀に参列された顔ぶれを見て、初めて知ることがあります。Kさんは日農の活動を一生懸命やってこられた方ですが、活動仲間だと思っていた人が親戚でもあった、こんな「新事実」を発見しました。私とKさんとの付き合いは農業委員をご一緒させてもらったことが始まりでした。時々、ご自宅も訪れるようになり、花のことや竹細工のことなども教えてもらったものです。野草であるトウキやダイモンジソウの開花時期はKさんの庭にあるものでいつも判断していました。このホームページでは「竹細工を楽しむ夫婦」で登場してもらっています。Kさん、ありがとうございました。
 午後からは、小林古径記念美術館で明日から9月3日まで開かれる企画展「古径と模写…古典絵画との対話」の内覧会に出席しました。学芸員から今回の企画について説明してもらいましたが、古径のようなすぐれた画家もしっかり模写をやって作品を制作していることがよくわかりました。模写は集中力を要するもので、古径は、本を読むような感覚で古典絵画と対話しながら技術を会得していったとのこと。興味深かったのは、古径作品のひとつ、竹取物語の夜這については、源氏物語絵巻の夕霧が嫉妬している場面の構図のとり方などが影響を与えているという話でした。きょうの内覧会では、遅くまで残っていたら、村山陽さんや小林新二さんの解説も聴くことができました。幸運でした。
 夜は吉川区地域協議会の傍聴でした。子育て支援の協議の場では、合併前の14市町村が取り組んでいた次世代育成支援に関するニーズ調査の旧吉川町データが公開されました。すでに新上越市ではこうしたデータを活用して次世代育成支援計画をたてていますが、個別の旧町村分のデータを見るのは初めてでした。子どもが病気で保育所を休んだ時にどうしたかという質問に、「父親または母親が仕事を休んだ」と答えた人が58%もいる。町に対して充実を図ってほしい子育て支援はとの質問には、「保育所にかかわる費用負担の軽減」が61%でトップ、2番目は子連れでも出かけやすく楽しめる場所」が58%。先日、元教員の方から、子どもの遊び場の確保について注文されましたが、この問題でもちゃんと調査データがありました。「雨の日に遊べる場所がない」66%、「近くに遊び場がない」45%、なるほどと思いましたね。協議会では、今晩明らかにされたデータをもとに各委員が問題提起をして次回も議論していくということでした。


2006年07月05日

野蛮な行為に唖然

 発射準備を続け、アメリカなどに圧力をかける。おそらくそれ以上のことはしないだろうと思っていたのは私だけでしょうか。ところがそうした予想をくつがえしてミサイルを発射した。きょうの北朝鮮のやったことは絶対に許せない野蛮な行為です。百歩譲って、単なる軍事訓練だとしても、いつ発射して、着弾地点はどこになるという最低限の情報はあらかじめ明らかにすべきだったでしょう。着弾した地点に漁船はいなかったのでしょうか。ロシアと日本などの間を航行する旅客船はいなかったのでしょうか。そんなことはおかまいなしにミサイルを発射するようなことを続けているかぎり、この国は世界から信用されないだけでなく、相手にされないでしょう。
 北朝鮮がミサイル発射したことを知ったのは朝のニュースでした。テレビをつけたらこのニュースをやっていて、それから、このニュースが繰り返されました。おかげで、きょうは一日中、このさわぎに振り回される結果になりました。朝の連続ドラマ「純情きらり」を楽しみにしていた人たちは放映延期でがっかりでしたね。私は、日本の領海、領土に打ち込まれることはありえないと楽観してはいましたが、ニュースでは、「新潟から○百キロの地点に着弾」という言い方で報道されていましたので、「ひょっとしたら、日本の領海内に落とすという馬鹿なことをやるのでは」という心配もしました。地図で見ると、着弾地点から一番近かった陸はロシアです。住んでいるところから数十キロという海に落とされたナホトカの市民が大勢で北朝鮮領事館に押しかけたのは当然です。
 きょうは午前中、家で原稿書きの仕事をし、午後からは市役所へ行き、生活相談、議員団ニュースの作成をしました。議員団ニュースについては、6月議会以後、3人で交代で作成しようということを確認しています。ただし、樋口議員については、団ニュース作成で使っているソフトをマスターしていないので、私が援助することにしています。きょうは、「授業料として」メロン1個をもらいました。市役所でも話題は北朝鮮のミサイル発射でした。少しでも早く、詳しい情報を知りたいとパソコンでニュースを見ていた人が何人もいました。かく言う私も、無関心ではいられませんでした。夕方の5時半頃からは、議会事務局の局長、次長とともに議長室にあるテレビを見ました。「まもなく小泉首相が記者会見」という字幕が出ていながら、なかなか行われないのでおかしいと思っていたら、7発目のミサイルが発射されたということでした。もう、いいかげんにしてもらいたい。


2006年07月04日

アクセス数、50,000回突破

 2日の体育祭では多くの区民の方と久しぶりに会い、交流できました。その際、いろいろな情報も寄せていただきました。そのなかに旧吉川町時代に議員としてご一緒させていただいたTさんが健康を害されて、入院中との情報もありました。きょうは午前中、このTさんともう1人、旧吉川町時代の農業委員仲間だったKさんを見舞うため、2つの病院を訪れました。
 最初に見舞ったTさんは、先月上旬に血圧が異常に高くなって緊急入院されたということでしたが、とても元気そうなので安心しました。滋賀県知事選結果を喜び、「憲法、教育基本法改悪問題でがんばらないといけないな」と発破をかけられました。早ければ、今週末には退院の見通しとのことです。ビックリしたのはKさんです。これまでの病室(個室)には別の患者さんが入っておられたからです。残念ながら、Kさんは今朝ほど亡くなったということでした。数日前、病室で「がんばってくんない」と声をかけたのが最後となりました。
 ところで、私のホームページですが、きょう、アクセス数が5万回を突破しました。手づくりでホームページを開設してから、4年と2ヶ月経っての到達です。これまで訪問してくださった方々に心から御礼申し上げます。サーバーとの契約容量が15メガという制約があることなどから、議員団ニュースや市政レポートなどを掲載できず、読者の皆さんにはご迷惑をおかけしていますが、近々、新たな方法で掲載できるようにする予定です。今後ともご愛読くださいますよう、お願いします。


2006年07月03日

県内初の福祉有償運送、吉川区でスタート

 きょうはいろいろありました。きょうもかな。まずはNPO法人よしかわたすけあいのニュースから。同法人の事務所で午前、「福祉有償運送認証」の報告会及び走行式が行なわれました。私も、議会でこの問題をとりあげた経過もあって、来賓として招かれました。新潟県内で福祉有償運送認証書が出た第1号ということで、きょうはマスコミ関係者がずいぶんたくさん来ていましたね。上越市全域を福祉有償運送の特区にするという当初の方針から言えば物足りなく感ずる人もあるかもしれませんが、福祉車両でない乗用車などを使って要介護者などを低料金で運ぶNPO法人の取り組みを一部とはいえ可能にしたのは貴重な第一歩です。その第一歩を踏み出したところが吉川区のNPO法人であることをうれしく思います。よしかわたすけあいが福祉有償運送で対象とする人は53人。これから1ヶ月ほどの間に市内の5つのNPO法人も続くはずです。走行式では、「福祉有償運送車両」というステッカーを貼った車がスタートした時、涙を浮かべていたお年寄りが何人もいました。
 午後からは党議員団会議でした。党県委員会では、党創立記念日の15日からの3日間を集中行動期間に設定しましたが、宣伝と党勢拡大でどうがんばるか、佐渡汽船の小木直江津航路問題にどう対応するか、自治基本問題特別委員会にどう臨むかなどを話し合いました。このうち小木直江津航路問題については、上越市議団だけで方針を決めるのはいかがなものかということになり、県委員会とも相談した結果、佐渡市など関係議員団や党県委員会とも一緒になって、今月の18日に協議することになりました。
 議員団会議が終わってからは夕方まで、議員控え室で1冊の本を読み始めました。きょう、全国の書店に並ぶと宣伝されていた『こちら北国、山の中』(三上亜希子著、小学館)です。この本は、私が毎日訪問しているブログの1つ、「農家の嫁の事件簿」の中から日記、イラストなどを精選してまとめたもの。よしかわたすけあいの式が終わってから市役所に行く途中、本屋に立ち寄り購入してきました。三上さんのブログは、初めて見た時に一目ぼれしてしまいました。農家の暮らしや作業のひとコマひとコマを新鮮な目で見ていて、文章も読み手のところに気持ちよく、スッと伝わってくるのです。私も長年牛を飼っていたので、本に出てくる仔牛の誕生秘話や救命牛舎24時、サイロ詰め作業などの話はいろいろ思い出すところがあって、胸が熱くなりました。本当に良く観察してあり、文もイラストも写真も最高。おそらく、今晩のうちに読み終わってしまうでしょう。
 夜は党支部会議。同じ時間帯に、NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」(上越市高田編第2回)が放映されることもあって、同番組のビデオをとってもらい、会議終了後に観ました。今回のゲストである噺家の昇太さんが、中学生時代に会ったという市内の思い出の女性は誰かと思ったら、何と土橋防災局長の妹さんでした。土橋局長と同じく、やさしさが顔ににじみ出ている素敵な女性でした。きょうの放送では、旧清水市との交流が子どもたちの心にしっかり残っていて、カップル誕生にもつながったケースもあることが明らかになりました。姉妹都市などとの交流の基本は人間と人間の心の交流です。今回の放送では、そのことを改めて確認できました。


2006年07月02日

第2回吉川区体育祭

 合併してから2回目の吉川区体育祭が開催されました。時々小雨が降るコンディションだったため、やはりグランドではダメでした。区体育館をメイン会場にして、ゲートボールなど一部の競技はゆったりの郷体育館などで行われました。
 私は来賓兼選手、体育祭での種目としてはもっともハードで危険な10色綱引きに参加しました。わずか30秒間の競技時間。2つのチームが10本の綱を自陣営にどれだけ引っぱりこめるかを争う種目です。転倒する者が続出したものの、ケガをした人はいませんでした。わがチームは1回戦、2回戦とも4本しかとれず完敗でした。
 来賓席から観ていると、大玉・小玉送りや玉入れ・輪投げなどの単純そうに見える種目でも、日頃の練習、チームワークがものをいいます。慌てず、早く、着実に玉を送る、輪を投げる。対抗種目は、今回はどのチームも力が拮抗していて大熱戦が続きました。そのせいか、終了時間は予定よりも約1時間遅くなりました。
 夕方、久しぶりに地元町内会の参加選手の人たちと懇親会をやりました。350cc入り缶ビールを3本ほど飲んだだけで眠気が襲い、家に帰ってからはシャワーを浴びてひと眠りしました。先週の疲れをとるには、もう少し時間が欲しいですね。


2006年07月01日

梅もぎと蛍と

 父や母からの頼まれ仕事はたいがい突然やってきます。きょうもそうでした。昨日まで隣家の葬儀があったので、きょうは1日フル回転で動いて、「しんぶん赤旗」の配達、集金をやろうと思っていました。ところが朝8時前、母から連絡があり、「じいちゃんが梅もぎをはじめて、いま牛舎へハシゴをとりに行ったので手伝ってやってくれ」といいます。やっと歩いている身で、500メートルも離れた牛舎からどんなふうにしてハシゴを運ぶつもりだったのでしょう。運ぶのも無理ですが、それよりも心配したのは、ハシゴを梅の木にかけて上から落ちはしないかということでした。それで約1時間、私も梅もぎすることになりました。木には雨が残っていて、着ていたシャツもズボンも濡れましたので、シャワーを浴びて着替えました。わが家の梅は今年は豊作で、10キロほど採れました。
 今朝は「しんぶん赤旗」日刊紙の配達当番でした。どこへ行っても話題は昨晩の雨でした。「よんべなの雨、すごかったね。また去年と同じ降り方だね」「川谷の方、120ミリを超えたんだって。水の出はいつもより早かった」こんな声をいくつも聞きました。配達で回ったところでは土砂崩れなどの被害はまったくありませんでしたが、河川の水位は確かに上がっていましたね。とくにいま橋の架け替え工事中の柿崎区の桜町橋のところの水位が思っていた以上に高いのが気になりました。もう50ミリでも降ると危なかったのではないでしょうか。昨晩の大雨で、市役所防災局の職員や総合事務所の防災担当職員は役所に詰め、真夜中から警戒にあたりました。
 夜、妻と一緒に軽トラに乗って下中条集落の農業用水路へ行き、蛍の飛び交う姿を見てきました。もちろん今年初めてです。昼間の雨が草木に残っていたこともあって、たくさんは飛んでいませんでしたが、それでも、チカッ、チカッと飛ぶ蛍の姿は感動ものです。一匹の蛍は軽トラのフロントガラスにとまり、チカチカやってくれるサービスぶりでした。「子どもたちにも見せたいね」と何べんも言いながら、ゆったりとした時間を過ごしました。
 明日は吉川区の体育祭です。この分だと、グランドでは無理で、また体育館の中での競技となるかもしれません。ま、豪雨で延期よりはいいか。


2006年07月投稿分

2006年07月に投稿された全てです。

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