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2009年02月投稿分

2009年02月28日

初めて「あさひ雪あそび」に参加

 雪割草にばかり気がとられていて毎年、開化日がいつになるか調べていたマンサクのことをすっかり忘れていました。今朝、このことに気づいて、牛舎のそばにある木を見上げてみたら、もう満開一歩手前でした(画像)。10日くらい前には開花していたのでしょう。ちなみに昨年の開花が3月2日、一昨年が暖冬のため2月8日でした。
 きょうは朝早くから「しんぶん赤旗」日刊紙・日曜版の配達と集金で動きました。午後からは住民団体「まちづくり吉川」の「学びinまちづくり吉川」に参加してきました。きょうのメインである料理研究家の井部真理さんの講演は今回も食育がテーマ、「繊維質たっぷりの食事を」「地産地消にこころがけて」の話はいい話でしたが、スライドがよく見えなかったのは惜しかった。恒例となった休憩時間のだんごまき、町内会長連絡協議会長さんなどとともに私も参加させてもらいました(画像)
 そして夜は大島区旭地区で行われた「あさひ雪あそび」へ。川谷の人たちから「一度は見てきない。おらも行くがだ」と誘われたのです。きょうは上々の天気でしたので星空、会場である「庄屋の家」脇の広場には500人近い人が出ていたのではないかと思います。とにかく大勢でした。
 大島区旭地区は母の故郷、3人の従兄たちが地域づくりなどでがんばっています。従兄たちのうち2人は屋台(テント)の中で餅売りです。孟宗竹をけずり串をつくるのでたいへんだったといいますが、餅を炭火で焼き、竹の串にさして「ふき味噌」をつけて1個200円。どれくらい用意したのかわかりませんが完売でした。もうひとりの従弟は寸劇に登場(画像・右から3人目が従弟)、マイクの調子がいまいちで、声がよくとおらないなかでがんばりました。かっこいかったど。
 「あさひ雪あそび」ではカラオケ、レクダンス、寸劇、三味線、花火など盛りだくさんの内容でした。地元の人たちがみんなで楽しみ、賑わいをつくり、地域外の人たちと交流を深めていく。これは「越後よしかわやったれ祭り」と通じるものがあります。いい取り組みでした。
 ※久しぶりに「私の好きな風景」に2枚の写真を掲載しました。ごらんください。


2009年02月27日

総括質疑聞き取り調査

 朝、市役所へ行く前に母を連れて病院へ。じつは、2月上旬に予約してあった眼科の治療のことをすっかり忘れていたのです。結果的に予約なしの診療となったので、お昼ごろまでかかったとのことでした。私の方は、最後まで付き合う時間がなく、帰りの家までの送りは弟に頼みました。診察結果を聞くと、母の眼は思ったほど悪化しておらず安心しました。
 市役所では、総括質疑の通告内容について、関係課から聞き取り調査(いわゆる質問どり)をうけました。予算編成と総合計画、国保予算、地域活性化・生活対策交付金などについて、なんだかんだで4時間近くかかりました。問題によっては、こちらの勘違いがあったり、課長と議論になるものもありました。なかには通告内容の書き方ひとつで市長答弁を準備する担当課が変わったものもあります。
 きょうの聞き取りで当初描いていた質問の展開とかなりちがったものがいくつも出ました。明日、明後日のいくつかの予定をこなしながら、もう一度準備できるか、ちょっと心配になってきました。私の総括質疑の順番は9番目、4日の午後の予定です。ケーブルテレビ、インターネット中継されます。


2009年02月26日

八十路の灯り

 びっくりしました。長岡市在住の星野四郎さんから一冊の本がおくられてきたからです。星野さんは元農業試験場の先生です。30年ほど前になります。茨城県の酪農家で、「二本立て給与法」の実践と普及に努力されていた鈴木茂さんから牛のエサ給与法を教えていただいた私は、吉川の牛飼いの仲間と一緒に長岡市の農業試験場を訪問しました。目的は野草であるススキの研究をされていた星野先生に会うためでした。当時、牧草地をほとんど持っていなかった私たちは山野にあるススキに注目していました。ススキを牛のえさとして有効に活用する方法を学びたい、その思いで試験場に出かけたのでした。
 驚いたのは、その時、たった一度しかお会いしたことがなかったにもかかわらず、私のことを憶えていてくださったからです。私の方は、その訪問で、ススキは一年に何回も刈ると絶えてしまうことなどを学びましたので憶えていますが、まさか、ごく普通の酪農家のことをおぼえていてくださるとは……。本にそえられた手紙には、「農業試験場で一度お会いしました。『幸せめっけた』と最近の議会活動に感動し、冊子をお贈りします」とありました。うれしかったですね。
 おくっていただいた本は『八十路の灯り』というタイトルの歌文集です。短歌あり、小論ありの150ページ。まだ読み始めたばかりですが、星野さんは農業研究者としてだけでなく、歌人として、平和運動家としても活躍されていることを初めて知りました。表紙のあとに写真とともに10首の歌が掲載されています。そのなかに、医療生協の親子グループの芋掘りについて歌ったものがありました。「スタートの 合図またずに とびだして 芋づるを引く 子らの喚声」。私のお気に入りです。


2009年02月25日

資源ごみ当番

 今朝は2か月に1回まわってくる資源ごみ当番でした。私の地元町内会では2人体制で順番を決め、午前6時半から7時までに出してもらうようになっています。
 きょうはプラスチックと紙製容器包装の回収の日です。昨日の党議員団勉強会で「ごみヘルパー」について話題になっていましたが、高齢者世帯の方にはごみの分別はむずかしいことなんだと改めて思いました。たまたま一人の方が持ち込んだ「資源ごみ」が重そうなので中味をみさせてもらったところ、プラスチックのほかに普通の紙ごみなどが入っていたのです。ごみの分別、ごみ出しのヘルパーが必要なことがよくわかりました。
 いまひとつ、ごみとは全く関係ないことですが、当番をやっていてわかったことがあります。目の前にある県道の舗装の切れ目(横断している)があるところは大型車が通ると地震のような揺れが発生するのです。今朝は柿崎方面から観光バスが通過したとき、激しい揺れが起きてびっくりしてしまいました。これでは、近くに住む民家の人たちが切ながるのも無理はないと思いました。
 
 きょうは市役所へ9時までに行き、党議員団の勉強会、上越地域消防事務組合議会に出てきました。消防議会では、08年度の一般会計補正予算と09年度の一般会計予算が中心議題です。消防庁では昨年から、消防機関における新型インフルエンザ対策検討会議を立ち上げ、中間とりまとめを発表していますが、当消防事務組合の予算で初めて新型インフルエンザ対策に関する予算が計上されました。ただ、本格的な対策はこれからという感じがしました。新型インフルエンザ発生時の消防・救急体制を維持するための対策の検討は、消防・救急機関にとって喫緊の課題ですので、早期に対策を確立して中味を明らかにしてほしいものです。


2009年02月24日

糸球体ろ過量

 昨日の地域協議会で初めて聴いた「糸球体ろ過量」というのが気になりました。そもそも何が問題なのか。自分の数値はどうなっているか。昨年11月に行った人間ドッグの結果データを見ても「糸球体ろ過量」という言葉はありません。そこでインターネットで調べてみました。共同通信社の「最新医療情報」によれば、「糸球体ろ過量(GFR) 糸球体は腎臓にある毛細血管が球状になった構造体で、血液をろ過している。ろ過の能力を示すのがGFRで、腎臓が何パーセント機能しているかの指標となる。血液中の老廃物であるクレアチニンの検査数値と年齢、性別から推定。数値が大きいほど機能が残されていることを示し、慢性腎臓病(CKD)の5段階の病期分類にも使われる」とあります。そこで改めて人間ドッグ結果データをみると、腎機能検査の中に今回から(eGFR)という検査項目が入っていることがわかりました。私の数値は77です。慢性腎臓病の5段階の病期分類でみると、「2期 GFR 軽度低下」ということになります。ひょっとすると60ちょっとかなと思っていたのでホッとしました。でも要注意ですね。
 
 さて、きょうは市議会中山間地対策特別委員会でした。午前中に財団法人大島農業振興公社を視察し、その後、菖蒲地区のみなさんと懇談させてもらいました。
 農業振興公社では、初代の大島区総合事務所長だった江口さん(退職後、ここで勤務)から案内をしていただき、鉄骨温室(ハウス)を見学をしました。豪雪地帯でありながらハウスをやっている。まず、そのことに驚きました。同公社では5年前から市内公共花壇の花苗を引き受けています。公共花壇だけでも6万7000鉢、そのほか「花とみどりの協議会」などにもほぼ同じ数量を出しているそうです。ハウス内ではサクラソウとシネラリアがきれいに咲いていました(画像)。ハウスでは、このほか、メロン、イチゴ苗、オータムポエムもやっていて、頑張っていました。農業振興公社は山間地の農地の守り手としてもなくてはならない存在です。耕作を依頼される農地は条件不利の地域のものが多く、経営的に厳しいと聞きました。どういう形で支援していったらいいのか、検討が必要です。
 
 菖蒲地区のみなさんとの懇談会。訪問したメンバーの自己紹介の際に、「戸籍上は吉川区尾神で生まれたことになっていますが、実際に生まれた場所は大島区の嶺です。ここにおられる岩野議員とは仲良くさせてもらっていますが、れっきとした内山系統の人間です」と言ったら、会場は爆笑。「この人は『のうの』の親類だ」という声も聞こえました。会の中では、「ソバの産地づくり交付金をせめて1万円上乗せしてほしい」「直接支払が終わってしまうと、田んぼをやめる人が何人も出てくる。これからどうしたらいいものか悩みの種だ」「(14市町村が)合併しても市役所(木田事務所)に行ったことがない。総合事務所にもっと金と権限を渡してほしい」などの声が次々と出されました。


2009年02月23日

新年度予算発表

 市の新年度予算発表の日。国の第2次補正の関係もあって、09年度の補正予算も追加提案されてくるという極めて異例な形になりました。財務部長から08年度の補正、09年度の本予算、09年度の補正の関係を説明してもらいましたが、なかなかむずかしかったですね。
 毎年、新年度予算発表の際には、これまで自分たちが主張してきたことがどうなっているかに関心が向きます。子ども医療費、妊婦健診などで一定の前進がみられました。雇用の問題でも正規職員を前倒しして採用するなどの措置もとられます。その一方で、今回も総合計画の実施計画が示されないなどいくつかの問題点があります。審議にあたっては、市民生活を守る立場から全力を尽くす決意です。
 夕方からは吉川区地域協議会でした。08年度から市役所の健診、保健指導体制が変わり、どうなっていくのか心配していましたが、きょうの健康福祉部長などの話を聞いてすっきりしたというか、今後の取り組みが頼もしく感じられました。
 簡単に言うと、こうです。上越市の介護保険にかかる費用は年間160億円、医療にかかわる経費は約800億円。二つ合わせて上越市の1年分の一般会計予算に匹敵する。要介護者は10614人いるが、そのうちの7割は循環器系の病気に起因する。上越市の健診の結果分析、レセプトの集計と分析をすすめることで科学的な対応が見えてきた。血圧、糖代謝、LDLコレステロールのほか、重要なのは腎機能の糸球体ろ過量(腎臓における血をこす能力)だ。ここに注目して健康づくりにまい進していきたい。医療や介護を要しない健康づくりに向けて、真剣な取り組みが始まっているなと感じました。


2009年02月22日

酒飲み受難

 きょうになったら、足が痛みます。昨日、あちこち歩き回ったせいでしょう。
 午前から「しんぶん赤旗」の配達・集金活動をしました。足が疲れた話をあるお寺で話したところ、「京の寺詣りは歩き疲れるんだよね」。言われてみれば、妙心寺にしても境内の広さは甲子園球場が8つも入る大きさだと案内役の人から聞きましたから、当然です。
 集金をしていておもしろいなと思ったのは、ここのところ、酒飲みの人が中川財務大臣のおかげで迷惑をしているという話です。飲みすぎで醜態をさらした大臣のことが報道され、「そういえば、あんたも…」と、もうすっかり忘れられたはずの昔話を持ちだされたとか。うっかり、大笑いしてしまいました。
 明日は上越市の予算が発表され、3月議会の日程を決める議会運営委員会も開かれます。いよいよ予算議会です。


2009年02月21日

東本願寺へ

 初めて東本願寺へ行ってきました。わが家は真宗大谷派専徳寺の門徒ですので、一度は行ってきたいと思っていました。やっと実現したというわけです。
 京都駅から歩いて5分。お城のような大きな建物がそこでした。松の木があり、池があって、塀にはこれまた大きな看板が目に入ります。「今、いのちがあなたを生きている」。親鸞聖人750回御遠忌のテーマです。
 まずは阿弥陀堂へ入り、お参りをさせてもらいました。朝の9時頃でしたので、お参りをしている人はほんの数人でした。そのなかにグレーの防寒着をきて、リュックを背負っている女性がいました。おそらく身近な愛する人を失われたのでしょう、長時間にわたってずっと手を合わせている姿が強く印象に残りました。
 御影堂は修復工事がほぼ終わっているとはいえ、まだ大勢の建築工事の人たちが仕事中でした。阿弥陀堂から御影堂への渡り廊下に東本願寺再建の用材を運んだという大橇(そり)、鼻橇が置いてあります(画像)。明治16年3月12日、尾神岳の中腹で大きなケヤキ材を運んでいる時に雪崩が発生し、27人が犠牲になった事故がありました。その時にも使用されていた橇だということです。事故の当日運んでいた用材は上野實英先生の最近の研究で吉川区川谷から出たものであることが明らかになっていますが、説明書きはまだ修正してありませんでした。
 接待所の近くに「いのちのかたち」というコーナーがあり、そこの展示されていた作品にひかれました。心に障がいを持っている人たちによる粘土などの作品です。縄文時代の遺跡から出土した埴輪・土偶のような作品もあれば、独創的で宇宙のどこかから持ち込まれたようなものもありました。どんな形をしていようとも、いずれも生命力あふれたものばかりでした。
 東本願寺での用を済ませてから、時間がありましたので、妙心寺の三門(山門ではなく三門。天井の飛龍図等が23年ぶりに公開された)、衡梅院(山水図)、仁和寺の金堂・経蔵にも行ってきました。これらは通常、非公開文化財ですが、今回、3月18日まで特別公開の対象となっているものです。贅沢な時間を過ごさせてもらいました。


2009年02月19日

憲法を守る共同センターの要請活動

 朝、8時45分までに市役所へ行かなければならない。そう思って5時に鳴るように目覚ましをかけたのに、布団からぬけだしたのは何と6時過ぎでした。大慌てで「しんぶん赤旗」日刊紙を配り、着替えたら、もう7時50分。昨日のようなひどい路面でなかったので8時30分過ぎには市役所に到着できましたが、ひやひやしました。
 市役所へ早く行ったのは「憲法を守る新潟県共同センター」の皆さんの要請行動に同席することになっていたからです。党議員団の他のメンバーは風邪ひきさんがいたり、親の介護、胃の精密検査などでそろってだめ、都合がつくのは私だけでした。センターの皆さんと合流したのは8時40分。新潟の川俣幸雄さんが一番乗りでした。
 きょうの要請の場では、中川副市長などが丁寧に応対、上越市役所の雇用と地域経済、平和を守る施策についてくわしく説明してもらいました。緊急雇用対策として採用した臨時職員が50人ほどになったこと、緊急雇用安定対策助成金の支給件数が14件となっていること、市の正規職員の採用の前倒しをすることなどは初めて聴く情報でした。また、私たち議員団や民主商工会などの働きかけで、小規模修繕契約希望者登録制度における対象を「50万円以下」の工事から「130万円以下」に広げたことなども明らかにされました。センターのみなさんによると、上越市の取り組みは他市よりも積極的だという評価でした。おおいに頑張ってほしいものです。
 きょうは要請活動が終わってから、議員控室でビラ書きでした。明日、議会の月例議員懇談会など、いくつかの会議が終わったら京都の東本願寺へ行ってきます。したがって、明日の日記は休みます。


2009年02月18日

荒れた天気の中、全県党議員会議へ

 昨日からきょうにかけての天気は大荒れでした。昨日は市役所から家に戻ってびっくり。市役所周辺では降雪量はたいしたことがなかったのに、道路も車庫前も40センチ以上の積雪となっていたからです。そのため、もうこの冬は使うことがないだろうと思いこみ、一度はバッテリーをはずした小型除雪機を出動させました。この冬、小型除雪機を使ったのは初めてでした。
 きょうは朝から新潟へ。全県党議員会議でした。昨日からの荒れで高速道路の路面には雪が残っていて、「低速道路」になっていました。そのため、新潟に着いたのは予定よりも1時間近く遅れてしまいました。路面のひどさはこの冬一番でしたね。
 会議は、3月議会対策が中心課題です。雇用確保、後期高齢者医療制度と資格証明書、国保など重要問題について問題提起や情報提供があり、参考になりました。きょうの会議では、いうまでもなく総選挙対策も重要テーマのひとつでした。小日向県委員長からの報告は、最新の動きに基づくもので毎回聴きごたえがありますが、きょうはめずらしく、小林多喜二のことを書いた三浦綾子の小説、『母』の一節から話がはじまりました。多喜二のことを聴くと、気持ちがしゃんとします。
 会議の休憩時間に、上越市吉川区出身の佐藤真澄新発田市議から市政レポート(ますみ版)をふた月分ほどもらいました。毎週発行を続けてついに100号を突破、私の「『幸せめっけた』の真似をはじめた」(佐藤市議)という「ますみ物語」も105回になっていました。読みやすいビラに仕上がっているとほめたら、お連れ合いの茂さんの協力のおかげだとか。いい父ちゃんもらったなぁ、真澄さんは。


2009年02月17日

信濃町廃棄物最終処分場予定地に断層

 長野県信濃町で動きのある廃棄物最終処分場建設問題で、党妙高市議団の皆さんと上越市議団全員で下流域の水土里ネット関川水系(関川水系土地改良区)を訪れ懇談してきました(画像)
 同ネットは昨年来、上越地方の反対運動の中心になり、農林水産団体をまとめる役割を果たしてこられました。冒頭、太田三男理事長が、「建設を計画している業者は下流域の農林水産業者に対して説明しないでいいという姿勢だった。私たちは連絡協議会をつくって署名活動などの運動を進めてきたが、行政もようやく重い腰をあげた。3月3日に署名簿を持って長野県と業者のところへ行く。向こうの出方がどうなるか、いまのところわからないが、何はともあれ断固反対だ」と挨拶されました。
 続いて同ネットの玉井英一事務局長がなぜ信濃町の最終処分場計画に反対してきたのか、最新の情報も含めてこれまでの経過を説明してくださいました。玉井事務局長によれば、「春先の融雪期の地滑りなどで関川が汚染される可能性があり、ここを一番懸念している」とのことでした。玉井事務局長は元県庁マン、望月妙高市議とは顔なじみです。丁寧でしかもわかりやすい話し方をされるので、好印象を持ちました。
 懇談の中で注目したことのひとつは信濃町が山形大学の川辺孝幸教授に依頼した建設予定地周辺の地質調査結果です。昨日、川辺教授から信濃町に報告された内容によると、建設予定地は数十万年前の地層の上に岩屑流堆積物が堆積し、さらにその上に崩壊堆積物や野尻ローム層が堆積していて、崩壊しやすい地質構造となっています。しかも、いくつもの断層、伏在断層があることが確認されています(川辺教授の地質図・地質構造図)。川辺教授は、「地震動によって大規模な地滑り・崩壊を起こす危険性をもった地域」だとしていますが、これは重大な内容です。
 昨日、新潟県と妙高市、上越市が長野県に申し入れた内容と関連する動きについても話題になりました。この申し入れは、①上越地域の農林水産関係者が意見を表明できるようにすること、②上越地域の農林水産関係者が懸念している事項に対して説明責任を果たすよう業者に指導すること、③建設計画について適宜適切な情報提供をお願いしたい、というものです。このなかで長野県の廃棄物対策課長が、3月に施行される新たな廃棄物条例によって、「県外からも生活環境保全の見地から意見を言うことは可能」と説明しています。また、新潟県内の地元紙報道ではわからなかったのですが、信濃毎日新聞は、建設を計画している業者が、新たな条例施行後に改めて設置手続きを始める意向を示したと報じています。こうした事態を受けて、こちらがわの運動も考えていく必要があると、意見交換をしました。
 
 きょうはこのほか、午後から「中山間地域における集落間連携推進大会」が行われました。清里区櫛池地区農業振興会が取り組んできた集落間連携を全市に展開し、農地と地域農業を守ろうという趣旨です。リージョンプラザコンサートホールには中山間地域をかかえる区内から350人ほどが集まりました。
 清里区櫛池地区農業振興会の小山文男会長と羽深明治事務局長の話は先日の市長と市民の「現場でトーク」でもお聴きしましたが、ふるさとを守ろうとする愛情と哲学に満ちています。すごい取り組みだと思いました。
 市役所農業振興課の笹川肇副課長は、「集落間連携による中山間地の振興」についての市の方針を説明しました。同副課長は、「取り組みの基本は集落にある。どうやったら地域を守っていけるか、その手法のひとつとして集落間連携を考えていただきたい」「櫛池地区農業振興会に行って、パソコンをみてたまげた。中山間のシステムがあり、その横に農地・水のシステムもあった。これからは地域全体で事務能力を持たないと国県の補助事業に乗れない」とのべました。方言丸出し、間をいかした堂々とした語りはますます快調でした。
 会場には市議会の中山間地対策特別員会のメンバーも何人か参加していました。きょうの大会の内容も踏まえて大いに議論していきたいと思います。


2009年02月16日

防雪柵は効果抜群

 冬に逆戻りしました。夕方、高田をまわってわが家へ向かったのですが、この冬、初めての地吹雪に遭遇。きょうの雪の降り方は「横降り」、風に運ばれ、横から降ってくるのです。防雪柵が設置してあるところを通る時にはホッとしましたね。防雪柵があるところは雪がたまらずアスファルトが出ている状況でした。やはり、防雪柵は効果抜群ですね。日中、議員控室から吉川区の方角を見た時には、灰色で雪がどんどん降っているのかなと思いました。ところが市役所周辺や高田よりもわが家周辺は少ない積雪でした。ただ、区内の山間部は久しぶりに除雪ブルが出動したそうです。
 きょうは午前から議員団会議でした。当面する議会の課題について議論し、その後、議員団ニュースの作成にかかりました。


2009年02月15日

ビデオを見て拍手

 昨日に続いて、きょうも朝からいい天気でした。気温は15度くらいになったのではないでしょうか。午前中は後援会ニュースの配布などをしたのですが、動いていても気分が良かったですね。わが家の近くでも小鳥たちがやってきて鳴き声を聞かせてくれました。(録音した鳴き声は)たぶんヤマガラです。
 午前中で党活動は終わり。午後からは休みです。妻の実家へ遊びに行きました。先日から、懐かしい写真データやビデオを整理しているのですが、義父母にもみせてあげたいと思っていたのです。私の子どもの時からの写真は妻も初めて見たものも含まれていました。いまよりも体重が20キロも軽い青年時代の写真を見て、「これは誰?」にはまいりましたね。父の病院での様子も見てもらいました。
 一番好評だったのは、20数年前のビデオ映像です。妻が子どもたちに父親の働いている姿を見せようと作成した絵本についてのビデオです。長女、長男が仔牛と遊んでいる映像を見て(画像)、「この顔、よく憶えている」と義父母も大喜び、終わった時には拍手までしてくれました。今度、父の状態がいい時に、同じものを見せてあげたいと思っています。


2009年02月14日

父の誕生日

 きょうは父の誕生日です。一昨年の12月に入院して以来、父の病院生活は414日になりました。率直に言って、よくここまで持ったものだと思います。病院のスタッフのみなさん、お見舞いにきて励ましてくださったみなさんに心から感謝いたします。
 病院へは市政レポートの印刷と新聞屋さんへの持ち込みを済ませてから、妻と一緒に行きました。私たち夫婦は午前に、午後からは母と長女が見舞いましたので、父にとってはいい日になったことと思います。「じいちゃん、きょうから82歳だよ。たいしたもんだね」と声をかけたら、こっくりして喜んでいました。きょうは記念に写真を撮り、父との会話も録音しました。写真(画像)をごらんください。頭の毛は伸びたままです。じつは、お風呂がある先週の木曜日に、すっきりした頭で誕生日を迎えたいものだと床屋さんにお願いしてあったのですが、発熱のため先送りせざるをえませんでした。熱は下がっていますので、次の月曜日には刈ってもらえるでしょう。
 さて、きょうはバレンタインデーでした。妻と長女からチョコをプレゼントしてもらいましたが、この他に81歳の女性からもいただきました。電話でお礼を言ったら、「私、初めて男性にチョコを送りました」。チョコはマレーシア産のもので、なかなかおいしい味でした。


2009年02月13日

『密謀』

 総務常任委員会の視察の際、読書家の小林克美議員から教えてもらいました。兼続のことなら藤沢周平の『密謀』(新潮文庫)が面白いよと。今回のNHK大河ドラマ『天地人』の原作は火坂雅志の同名の著書ですが、「藤沢周平の小説ではどんな書き方をしているのだろう」「兼続の動き回った舞台は『蝉しぐれ』のようにていねいに書かれているに違いない」そう思って、きょうから読み始めました。
 いきなり、「信越の国境いに生まれて、北に流れ下る川がある。川は西の空につらなる妙高の山々、東にそびえる黒倉、鍋倉の山塊の重圧から遁れるように…」と書いてあります。昨年、廃棄物最終処分場問題で信越の国境を視察してきたばかりなので、最初の数ページの現場風景は良く分かります。藤沢文学の魅力のひとつは風景描写だという人がいますが、その通りだと思いました。
 いうまでもなく春日山城についても書いてあります。「本丸に通じる道をひとつ曲がると、不意に深い木の間の陰にかくれてしまう。前面には頸城野の眺望がひらけているが、背後は道の通いもない丘のつらなりで…」こんな風に書いてあると、実際に歩いて本の内容を確認して見たくなりますね。
 そしてわがふるさとの山についても書いてありますからうれしくなります。春日山城の本丸から東の方角に目を向けると、「北東の空を障壁のように区切るのは、米山を北端とする尾神、鍋立、長倉の山々である」とあります。さらに読み進むと、「四方の道は、要所に配置した堅固な支城によって守られている。北上する道は米山峠を中心に顕法寺城、猿毛城、旗持城で固め、関東筋には直峰城、室野城、犬伏城が配られている」。もう時間が経つのを忘れそうです。いい本を紹介してもらいました。
 きょうは「春一番」が吹いたようです。生暖かい風が吹き、私にとっては切ない日となりました。じつは数日前から、目がかゆくなり、鼻水が無意識のうちにスーッと下りてくるのです。昨年、突如襲ってきた花粉症がまたきたのかも知れません。「しんぶん赤旗」日曜版の配達もマスクをしながらとなりました。


2009年02月12日

『一握の砂』を朝日文庫版で読む

 国際啄木学会の前会長、近藤典彦さんからメールが来ました。『一握の砂』を朝日文庫版で読む…というタイトルでブログをはじめたというお知らせです。近藤さんとは『Fゼミ通信』(古厩忠夫著)の編集などでこれまで5回ほどご一緒させていただきました。いつも若々しくて、しかも楽しい人です。これまで啄木の研究者として何冊もの本を出版されていますが、今回、もっともっと多くの人に読んでもらいたいと思い、ブログをスタートさせたといいます。
 9日のブログでは、「特に10代後半から~40代の人たち、とりわけ1700万人を超えるという非正規雇用労働者の方々に、啄木の歌集『一握の砂』を読んでもらいたいと思います。小林多喜二の『蟹工船』が働く人を使い捨てにする社会を告発し、その社会にあって闘うことを訴えた小説であるとすれば、『一握の砂』はそういう社会に生き、闘う人の心(胸のうち)を表現した歌集である」と書いておられます。まだ、はじまったばかりですが、おもしろいですよ。一度訪問してみてください。
 さて、きょうは午後から「トキめき新潟国体」を成功させるようと頑張っている市民団体と市長との「現場でトーク」がありました。これまで国体に関するイベントに参加できないでいたので、何とか時間をつくって2時間ほど参加してきました。
 国体は上越市にとって、今年度の大きな取り組みのひとつです。国体を盛り上げようと頑張ってきた柿崎区の満田恵美子さんと清里区の横山文男さんの報告にひきつけられました。
 満田さんはこれまで取り組んできた花いっぱい運動やマスコット「トッキッキ」の制作・販売だけでなく、昭和39年の新潟国体での思い出も語りました。当時、柿崎町はテニスの町として有名で、国体のテニス競技の開催地に。宿泊施設が足りず、遠くから参加した選手には民家に泊まってもらい、その家の人たちが家族ぐるみで応援したといいますが、それが誇りになっている。今回のハンドボール競技でも、開催地となったことを誇りにできるよう頑張りたいと決意をのべました。
 横山さんは、リハーサル大会で延べ10日間ほどボランティアとして関わった体験を生き生きとのべました。このなかで横山さんは、「駐車場係のところには食堂から名所がどこにあるかまでなんでも問い合わせがくる。ボランティアと行政は情報を共有していくことが大事だ。駐車場の地図には番号をつけた方がいい」など秋の国体に向けた改善提案をいくつも語り、注目されました。とにかく、一生懸命でしたね。
 休憩に入る前に、トランポビクス(画像)のインストラクターの指導で体をほぐす体操をしました。音楽に合わせて、手や足をたたいたり、首をねじったり(これじゃ、表現が貧困かな)。久しぶりに運動したのですが、インストラクターの笑顔にひかれて、最後までやれました。音楽に合わせて体を動かすのがこんなに楽しいとは思いませんでした。


物忘れ外来患者?

 ああ、情けない、情けない。今朝、日記の更新やメールチェックをしようとしてもつながりませんでした。原因がなかなか分からず、とうとう30分以上もばたばたしてしまいました。じつは、昨晩、この日記を書き始めたころ、雷が激しくなったので電源を切り、ネットの接続もできないようにしたのですが、そのことをすっかり忘れていました。最近、こんなばかばかしい失敗を何回かやっています。そろそろ、「物忘れ外来」にかかった方がいいのかも知れません。
 昨日は父を見舞い、普段なかなか時間が取れなくてできなかった用事をいくつかこなしました。父のところへは毎日のように行っていますが、最近、気付いたことがあります。「どこか悪いところないかね。風邪ひきなんな。がんばるんだよ」など、ありきたりの励ましの言葉を何度も繰り返すといらいらした表情を見せるのです。会話らしい会話もできず、どうしても同じ言葉で声をかけることになっていますが、先日、母が私と同じように励ましの言葉を言っていたところ、父がいきなり、「分かってるわ」と大きな声を出したというのです。
 そこで、ここ数日間は、その日の出来事などを伝えることにしました。家のそばのケヤキの枝が大きくなったので、枝を切ってもらった。梅の木が白い花を咲かせ始めた。どこどこのじいちゃんと会った。議会の用事で新潟へ行ってきたなどです。まだ、喜んでいるかどうか分かりませんが、しばらくこの調子で続けてみようと思っています。
 最新情報をひとつ。糸魚川市の市議会議員、新保峰孝さんがホームページを立ち上げました。ささやかな幸せが大事にされる社会であってほしい…というメッセージが新保さんの人柄を感じさせます。時々綴る「思いつくままに」が面白いです。


2009年02月10日

「トキめき新潟国体」で総務常任委員会

 きょうは午前10時から総務常任委員会でした。秋に行われる「トキめき新潟国体」では、上越市内ではソフトボール、体操など11種の競技が行われます。きょうの委員会では、リハーサル大会の結果、競技会場の整備計画、宿泊体制などが報告され、質疑が行われました。
 質疑が集中したのはソフトボール会場のグランドコンディションです。昨年9月に行われた全日本女子ソフトボール選手権では、3日目が降雨により最悪の状態となったことから、「水はけの良いグランドになぜ整備しないのか」「整備できないなら、市内の中学校などの暗渠のあるグランドに移動して試合をした方が良いのではないか」などの声が上がりました。簡素であまり金をかけない国体にする方針は理解できますが、予定されている市内のソフトボール会場の整備の遅れが浮き彫りになった質疑でした。
 私はリハーサル大会での反省点・指摘事項に関して説明のなかったものについて、課題があるならどう対応するか明確にするよう求めました。また、参考資料として配布された「競技名と競技方法」に関連して、観客へのサービスとして、誰がどんな競技をしているのか、見どころは何かなどの情報を提供することの大切さを訴えました。
 午後からは県立柿崎病院後援会の情報交換会でした。藤森院長がスライドを使って病院の取り組みについて報告し(画像)、隣接する特別養護老人ホーム「よねやまの里」のスタッフのひとりが各種サービスの状況について説明してくださいました。当初計画されていた施設の中に入っての案内は、インフルエンザ対策もあって実現できませんでした。楡井後援会長からは、許可病床数について言及がありましたが、同病院の「リハビリ訓練室」確保の道が開かれそうです。後援会の顧問、役員さんたちとの交流では、病院のリハビリの取り組み、医師確保などが話題にのぼりました。


岡田知弘先生と新潟市で再会

 市役所からの発信です。昨日は、にいがた自治体研究所の創立20周年記念講演会があり、新潟市へ行ってきました。講師は京都大学の岡田知弘先生です。『山村集落の再生の可能性』(自治体研究社)の出版で一緒に仕事をさせていただいた方です。講演前に1時間半ほど時間をとっていただき、これからの地域自治、地域経済のあり方をめぐり、研究所の福島副理事長さん、自治体職員の人と一緒に意見交換させてもらいました。
 この中で、合併して大きくなった自治体の都市政策をつくるうえで、「地域小区分データ」(上越市でいえば、13区、旧上越市となりましょうか)を生活、経済などでとり続けていかないと科学的な分析ができないこと、唐津市などで合併の評価に関する住民アンケートを実施して興味深い結果が出ていることなどを教えていただきました。これらは、今後の議会活動に生かせる貴重なアドバイスにもなりました。
 講演は、「全国に広がる地域・自治体再生のいぶき」(副題は「道州制」・「地方分権改革」への対抗を考える)と題して1時45分にも及ぶものとなりました。麻生内閣の支持率が急落するなかで「起死回生」策として「道州制」「地方分権改革」が前倒しされようとしている情勢や財界などの唱える「道州制」の限界と問題点などについて展開されました(画像)。私が思っていた以上に、「道州制」の動きが急ピッチとなっていることやこれまでの地域政策の失敗が大規模に再現することになりそうなことを知り、市議会でも本格的な論戦をしていかねばならないと思いました。
 記念講演会には関川村の名物村長、平田大六さんも駆けつけ、祝辞をのべられました。吉川町時代に2回ほど平田さんの講演を聴いたことがありますが、「トキが1ヶ月も関川村にいたのは住み心地がいいところだからで、誇りだ。急にトキがいなくなってからは村長が猟師を集めて撃ち落としたのではとうわさされたが、その後、新津で発見されてホッとした」など相変わらずユーモアたっぷりの、聴きごたえのあるスピーチでした。


2009年02月08日

山でも雪割草が咲いていた

 先日の日記で、ある家の庭に薄紫色の雪割草が咲いていたことを書きました。あれからずっと雪割草のことを考えていました。「ひょっとすると、山でも咲いているかもしれない」と気になってしょうがないのです。きょうは「しんぶん赤旗」の集金をした後、時間をつくって、山間部の雪割草群生地に行ってきました。
 標高250から300メートルくらいの低い山ですが、雪はほとんどありません。40分ほどかけてゆっくり登って目的地に着くと、ポツンポツンと小さな花が見えます。雪割草です。やはり、山でも雪割草は咲いていました。例年よりもひと月は早いでしょう。なかには花ビラが傷んだものもありましたから、1月下旬ころから咲いていたのかも知れません。このところ毎年のように雪割草を見に出かけるのですが、いつも初めて出会ったような感動をおぼえます。今年も白、薄紫、ピンクの花を確認できました。「よし、いいぞ、いいぞ」そう思いながら何枚も写真を撮りました(画像)
 きょうは午後から高田地区と頸城区で日本共産党の「新春の集い」がありました。両会場とも盛り上がっていましたね。平良木議員、上野議員ともスライドを使って議会報告をすることになっていましたので、参加者の皆さんから春を呼ぶ花、雪割草をスライドで見ていただきました。
 明日は糸魚川市で泊まりますので、日記は休みます。


2009年02月07日

山間地域に学んだ学生の論文発表会

 たいしたもんです。法政大学のふたりの学生による論文発表会のことです。旧川谷校体育館できょう、地域の人々や大学の仲間たちなど70人ほどの参加のもとで行われました(画像)
 ふたりの学生は4年生の山岸拓さんと堀内しげみさん、「聞き書きによる農業と年中行事」というテーマで昭和30年代の川谷地区の農作業のことや行事などについてスライドを使って紹介しました。聞き書きをしたふたりにとって30年代の山村の暮らしは驚きの連続だったようです。牛や馬が農家の一員として大事にあつかわれていたこと、田植えでは女性の方が植えるスピードが速いことなどを報告すると会場では、うなづく人もいました。ふたりは、田んぼの畦にまで大豆が植えられるなど、地域農業が「いい循環で回っていた」ことも知ります。また、地域の暮らしの中に「結い」がしっかりと根付いていて、支えあいの伝統があることも浮き彫りにしました。
 明るい陽射しが体育館に差し込み、スクリーンはよく見えませんでしたが、ふたりの心をこめた、丁寧な語りは会場に人たちの心をゆさぶりました(画像)。会場からは時々、拍手が起きたり、「本当のことだ」という声も出ました。発表後の感想を求められて石谷のSさんは、「自分史を聞かせていただいたような半日でした。希望が持てました」とのべましたが、地域の人たちはみんな同じ気持ちだったのではないでしょうか。
 山間部はいま、「限界集落」といわれるほど高齢化が進んでいます。しかし、その集落に入ってみれば、自然や農業を大切にし、支えあいを重視した人間らしい暮らしの原点を見出すことができます。そこに焦点をあてたふたりに拍手を送ります。ふたりの学生には注文もありました。「小さい田んぼであっても農家は田んぼごとに名前までつけて大事にしていたことを付け加えて」「いまの農業がなぜこうなったかも調べてほしい」などです。最後に、山岸さんが言いました。「発表会をして良かったです。ぼくは絶対ここをつぶさない。ここを守っていくことを約束します」。胸が熱くなりました。


2009年02月06日

トップの役割そして職員のプロ意識

 市議会議員の視察はたいがい先進的な取り組みをしている自治体へ行くことになります。3日から5日までの市議会総務常任委員会の視察もそうでした。今回は電子自治体としての取り組み、納税しやすい仕組みづくりで頑張っている4つの自治体を訪ねました。上越市にすぐあてはめて実施できるかどうかは別として、いずれの自治体でも発見があり、鮮度の高い情報を入手できました。
 埼玉県川口市では、電算関係の投資が財政圧迫要因のひとつになっていること、今後の電子自治体づくりは全国共通の基盤の中で行い、全国のどこへ行っても使える共通のシステム構築が求められていることを学びました。同市は本格的な情報システム改革を進めるにあたって、市長から担当者レベルまで全庁的な合意形成を重視している点も注目でした。市長と総務省の担当官が改革について対談を行い、それを職員に見てもらい方針を徹底していったという説明を聴いて、どんな市長さんか、会ってみたくなりました。
 神奈川県藤沢市。全国で初めて税金をクレジットカードで納付できるようにした自治体です。軽自動車税の納税率が低くて、納税率向上をめざす取り組みの足を引っ張っているとして、クレジットカード納付の実証研究をやったうえでスタートさせました。市役所に行けない人、金融機関に行けない人、特に若年層を意識した取り組みだそうです。説明してくださった納税課主幹は、「小さな失敗は次の改良の糧になります。市民から怒られるのも糧です」「全体の窓口を広げていくことで収納率は上がります」と自信たっぷりでした。
 千葉県松戸市。ここは行政改革の元祖自治体です。ここでは、SWOT分析を活用して総合計画の実施計画を策定しているというので視察に行きました(画像)。説明にあたった政策調整課の職員から冒頭、「じつは平成13年に上越市さんが行革ランキングがトップ(グループ)だということでお世話になりました」と言われたのでびっくり。いうまでもなく、いまのような財政状況が厳しい時代に自治体運営をしていく時、事業や計画づくりで「選択と集中」を明確にしていかねばなりません。同市では、新潟大学の大住莊四郎先生の力も借りて、SWOT分析を自治体向けに修正して実施計画づくりに活用しています。松戸市の強み、弱み等を分析しながら、事業を「成長」「改善」「回避」「撤退」の4つに分類していく手法は興味深いものでした。
 最後の視察地は埼玉県北本市でした。人口約7万人という小さな都市ですが、「日本一の納付環境の構築」をめざしている市として全国から年間50件を超える視察団が訪れています。藤沢市の職員さんから、北本市の取り組みについてある程度情報を得ていましたが、政策推進課情報担当職員の説明に圧倒されました。窓口、口座振替に加え、コンビニでの収納、クレジットカードなどでも納税が可能で、市県民税の徴収率は埼玉県内40市でトップを3年続けています。納付環境整備が進んでいることだけでなく、情報システム改革も聴きごたえがありました。住民サービスの向上、セキュリティの向上、管理・運用コストの削減を柱に市役所の窓口連携システムができていて、申請書に何回も同じことを書かないで済むようにしてありました。よく、「ワンストップで住民サービス向上を」という声を聞きますが、「ワンストップをやると職員が対応できなくなる」とバッサリでした。
 今回の視察では、トップの果たす役割の大きさを改めて確認するとともに、説明してくれた職員のプロ意識の強さに感動しました。


通学支援制度新基準づくりで市民懇談会

 市政レポートの作成、印刷に手間取り、「見てある記」の更新が遅れました。昨日は視察が終わっても家に帰らず、そのまま党議員団主催の市民懇談会に出席しました。今回のテーマは通学支援制度の見直し問題です。柿崎区の会場には吉川区のPTA役員のみなさんをはじめ、大潟区、頸城区の地域協議会委員さんなど20数人が集まってくださいました。遠くは、牧区からも参加者がありました。ありがとうございました(画像)
 合併前の14市町村の通学支援制度は、大きく分けて、民間バスを利用する場合に補助をするという方法とスクールバスを運行するという二通りでした。しかし、対象とする児童・生徒の通学距離、保護者の負担などは様々で、簡単には統一できない状況でした。それで、合併協議では、合併後5年間は現行通りとし、2009年度までに新基準を作成することを決めたのです。市教委ではこの合併協議事項を踏まえ実務的な準備を進め、昨年の春からは保護者説明会の開催、アンケート調査などに取り組んできました。そして新基準案を保護者などに示し、再び保護者説明会、アンケートに取り組んでいます。
 昨晩の懇談会では、上野議員がスライドを使ってこれまでの経過や党議員団の考えを説明し、その後、意見交換をさせてもらいました。これまで、市教委の説明会に2回参加してきましたが、市教委の説明会以上に率直な意見や疑問が次々と出てきて、とても勉強になりました。
 たとえば、合併協議での合意事項では、補助対象距離については、旧上越市が2校で実施していた「小学校3キロ以上、中学校5キロ以上」で統一することが書かれていますが、2つの学校でこうした補助が出るようになった背景、経過を教えてほしいという質問がありました。統一する元になったところについて詳しく知っていませんでしたので、言われて初めて「確かに大事なことだ」と思った次第です。通学手段について市教委は、民間バスが運行されているところは民間バス、運行されていないところ、または運行されていても利用が困難なところはスクールバスという方針案を示しています。しかし、実態としては、「冬はほとんど使えない」「使うようにすると部活が思うようにできない」などの問題点があることも出されました。市教委主催説明会の持ち方についても注文が相次ぎました。「参加しやすい時間帯にやってほしい」「説明資料は当日配布ではなく、事前配布を」「説明はもっとわかりやすく」等です。
 私が昨晩の懇談会でどういう反応が出るか注目していたのは、「市教委の受益者負担論はおかしい。児童・生徒のバス通学は無料に」という私たちの主張についてでした。一部に負担はあってもいいという声がありましたが、何人もの保護者から「ぜひ実現してほしい。がんばってください」と激励され、喜んでいます。「通学バス受益者負担論」には、「学校統廃合で市には十分『受益』があったはず。市の職員に1週間くらいバスに乗ってもらい、受益があるかどうか体験してほしい」との反論もありました。
 昨晩の懇談会については何人かの市民から問い合わせがあり、「柿崎だけでなく、私たちのところでも開催して」という要望も寄せられています。議員団で、今後の取り組みについて相談して対応していきたいと思います。


2009年02月04日

藤沢から

 藤沢市からです。日記を休むつもりでしたが、ホテルのロビイのパソコンから送信します。
 昨日は埼玉県川口市で視察しました。同市は埼玉県内2番目の都市で、50万人の人口。かつてはキューポラのある街として有名でしたが、いまはその面影がまったくありません。キューポラを壊した跡にマンションが次々と建ち、人口は40年ほどの間に倍に膨らみました。
 今回の視察では、情報化が進む中で、情報システムのコスト削減と住民満足度の向上をねらった改革について学びました。自治体改革の中で民間で流行っているSWOT分析を採用している実例を聞いたのは今回が初めて、興味深く聴きました。詳しいことは時間が無いので後から書きます。
 きょうは、これから藤沢で視察後、松戸市で再びSWOT分析を学びます。時間です。


2009年02月03日

3日から5日まで視察です

 本日、3日より市議会総務常任委員会の視察です。川口市、藤沢市、松戸市、北本市を訪れます。日記は家に戻るまで休みます。


2009年02月01日

議員定数に関する意見を聞く会

 市議会の議員定数に関する検討委員会(滝沢逸男委員長)が先週の日曜日、きょうと連続して市民の声をお聴きする会を開催しました。先週は吉川区総合事務所の地区別説明会に参加し欠席させてもらったため、きょうはやりくりしてこの会の板倉会場と浦川原会場(画像)に参加してきました。
 どちらの会場も60人ほどの市民が集まり、会場はいっぱいになりました。テーマは市議会の定数、選挙区を今後どうしたらいいか。会は検討委員会を代表して笹川栄一副委員長がこれまでの経過を説明、その後、議員定数、選挙区のあり方に分けて市民からの意見をお聴きするという流れで進められました。2つの会場とも発言は多く、特に浦川原会場はまだ終わりそうもない雰囲気が残るほどでした。
 合併前、編入される旧町村では、地域の代表を出せるようにということで合併特例法に基づいて定数特例2回、旧市町村を選挙区にして48人の市議を選ぶ仕組みを主張し、合併協議で合意してきました。合併して5年目。市議増員選挙、定例選挙と2回の選挙を経て、今後は地方自治法に規定された法定数内(上越市の場合は上限が38人)での選挙となります。
 市議会の定数や選挙区のあり方についての市民のみなさんのご意見を聴いて思ったのですが、合併によって住民サービスが削られるとか、周辺部として取り残されるされるのではという危機意識が依然として強いですね。板倉会場では冒頭、「合併してメリットが見えてこない。水道料、下水道料が上がり、税も上がった。農道整備はしてもらえない」(清里区の方)という発言があり、浦川原会場では「限られた人数にしぼってしまうと市の中心部からだけの議員になる。周辺部から出ていけなくなる」(浦川原区の方)等の意見も出されていました。
 市議会議員は地区代表か全市代表かという議論も活発でした。合併協議の段階では、旧町村内であまり聞くことのなかった意見がきょうは出ました。「地区から議員が出ていないということを言う段階ではなく、いまは全市一体になって考えるべきだ。地区にこだわった議員では役に立たない。全市を回って活動を」(清里区の方)「近所の人に頼めばいいという時代は終わりだ。地区制をなくして市全体を考えて良くしてほしい」(安塚区の方)等です。
 これまで、日本共産党議員団では「全市1区、定数は38人で」と主張してきました。きょうの市民の皆さんの声をもとにして、さらに議論を深めていきたいと思います。
 


2009年02月投稿分

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