« 2005年04月 | メイン | 2005年06月 »

2005年05月投稿分

2005年05月31日

遺伝子転換イネの屋外実験強行

 とうとう、遺伝子組み換えイネの屋外実験が実施されました。上越市稲田にある中央農業総合研究センター・北陸研究センターが屋外で遺伝子組み換えイネの実験をするのはこれで、2度目といいます。同センターには午前8時頃から、農家や農業団体、消費者団体のメンバーなどが次々と集まり、15分頃には100人以上になりました。そして、「遺伝子組み換えイネの栽培中止」を求める連絡会の構成団体の代表が次々と「屋外実験やめよ」の訴えをしました。日農、農民連、新潟県総合生協、市民生協にいがたなどが団結して行動したのは画期的です。
 センターは説明責任を果たしていない、もっと分かりやすく説明を、と要請していたのは新潟県、上越市、JAなどでした。先日のJAえちご上越農協の総代会で組合幹部が反対の立場を表明したということも耳にしています。泉田知事は記者会見で、「良く住民の皆さんとコンセンサス(合意)をつくって頂く必要がある。それが出来ない中で強行するということはいかがなものか」という発言もした。ひょっとしたら、行政や農協も顔を出してくれるのでは、と期待したのですが、姿は見えませんでした。
 センターの説明では、きょうの田植えは、午前9時45分開始でした。ところが9時頃から、実験に抗議をする農民らがどんどん増え、200人近くになったように思います。センター側は何か不安に思ったことでもあったのでしょうか、時間前に田植えを始めました。これで参加者の怒りが一気に高まりました。金網で隔離された田んぼの周りの道から、「やめてください」「上越のコメをどうしてくれるんだ」などといった声が飛びました。また、道路で田植えの説明をするセンター職員に、農民らが「あなたたちはウソの説明をしている。(導入)遺伝子は玄米では発現しないと言ったじゃないか」など厳しく迫る一幕もありました。
 遺伝子組み換えイネの屋外実験については、反対の声は一段と高まってきました。27日の要請行動をした際、「私たちは科学者なんです。(交雑防止などの措置はとってあるので)私たちは粛々と(実験を)やります」とのべたセンター側に、この実験をやめさせるには、6月下旬の本年2回目の田植えまでに運動をさらに盛り上げることが必要です。6月議会の一般質問も、こうした運動の発展に役立つものにしなければなりません。しっかり準備して臨みたいものです。
関連記事


2005年05月30日

県委員長を迎えて支部会議

 月曜日は忙しい。定例の会議などがあるだけでも一日のスケジュールが埋まるのですが、きょうは母に頼まれて大島区板山の伯母の家まで出かけてきました。メロンやトウモロコシなどの苗を届けるためです。これから植える野菜の苗の大半があるとあって、伯母は、「まるで苗屋さんのようだ」と言って喜んでいました。豪雪で雪消えが遅く、まだ集落の沢には残雪がありました。でも田植えはほとんど終わっていました。
 議員団ではきょうも勉強会をやりました。午前は議案の検討、午後からは現地調査でした。直江津港の埋立地の土とり場である有間川からはじまって、親鸞聖人ゆかりの場所などを訪ねました。まわってみて、改めて上越市って広い、と思いました。これまで行ったことのない場所がたくさんあって、歴史に記録されたものだけでもすごい数に上ります。時間があれば、もっとゆっくりと見てみたいと思いました。
 夜は党県委員長を迎えての支部会議でした。委員長が、「一度、吉川の会議に参加してみたい」と言われたので、きょうの日を設定しました。とにかく普段どおりにしていてもらえばそれでいい、という話でしたので、いつもの調子でリラックスしてすすめました。委員長はカステラを土産に持ってきてくださいました。新潟の美味しいカステラを食べながら、委員長の「日本も世界もどんどん変わっている」という話を聞きました。
 第3回中央委員会後も中間選挙で日本共産党が前進していること、その中で、「定数1の吉川区などで勝利したことが影響を与え、定数1、2でも勝てる。定数3や4では勝てて当たり前といった雰囲気がでてきた」と委員長は語りました。また、ここ数年間に南米諸国で革新的政権が次々誕生しているが、日本共産党とベネズエラの政権との交流が様々な影響を与えているという話を興味深く聞きました。支部の仲間も大いに語り、楽しく有意義な会議になりました。


2005年05月29日

小学校の運動会

 数日前から春ゼミが鳴いています。田植えが終わり、山々もすっかり緑色に変わるともう初夏となります。このセミの鳴き声は、これから暑くなっていくよ、という合図のような気がします。野の花ではニセアカシアが最盛期を迎えています。大潟区や柿崎区の高速道周辺はもう終わりに近いようですが、頸城区の旧河川敷、吉川区の山々ではいま一番輝いて見えます。このニセアカシアが咲いている時の蜂蜜は透明色に近い、いいものが採れるそうです。
 さて、きょうは午前中、吉川小学校の運動会に参加してきました。グランドで見た子どもたちは、きらきらしていて、可愛いですね。激しくて面白い種目は、親子騎馬戦と10数本の綱(長さ10メートルくらいか)の奪い合いでした。後者は自分の陣営に綱をたくさん確保すれば勝ちとなるものです。夢中になって、体を引きずられた子どももいました。でも怪我はありませんでした。ご安心ください。
 午後からは妻と一緒に叔父の見舞いに行きました。手術後の経過は順調で、もう付き添いはいらないといいます。病院内を一日に何回も歩いて、健康づくりをしているそうですが、手術をしてこれほど早く、歩き始めるのは驚きです。この調子でいくと、1ヶ月もたたないうちに退院できるかもしれません。
 久しぶりに「野の花」を掲載しました。ナナカマドとニセアカシアです。どちらも花の写真をいいタイミングで撮ることができなかったものです。ご覧ください。


2005年05月28日

分かりやすい説明

 朝、友人から、今朝の朝日新聞の新潟版見たかね、と聞かれました。遺伝子組み換えについて良く書いてあるよと言います。わが家は地元紙ですので、朝日をとっている人のところへ行って読みました。読み始めてアッと思いました。昨日、北陸研究センターで、「中学1年生でも分かる説明をすべきだ」と主張してきたばかりでしたが、そのお手本となる文章がここにあったからです。
 「遺伝子組み換えとはある生き物が持つ遺伝子を、別の生き物に組み込んで、新たな性質を持たせる技術です」「より早い馬のサラブレッドをつくるために、動物で最もスピードがあるチーターの遺伝子を掛け合わせようとする、こんな実験に似ているのかも」…こういった感じの文章が一面の約半分を使って書かれていました。分かりやすい文章であるだけではありません。事実を丁寧に追い、組み換え遺伝子の作り方や今回の実験については図も使っています。これも実に効果的です。記事の内容全体に賛成しているわけではありませんが、全部読んで、説明力のすごさにうなってしまいました。
 この記事は「土曜特集 気になるニュース」に書かれたもので、県内の様々なニュースをわかりやすく解きほぐすのがねらいとか。こういう文章に接すると、私がこれまで遺伝子組み換えイネについて書いた文章は、私の理解不足にくわえて説明の不十分さがあるので恥ずかしくなります。「気になるニュース」のような記事をいくつも読み、報道記事の書き方を勉強したいと思いました。
 さて、きょうは一日中、「しんぶん赤旗」日曜版の配達と集金でした。田植えも一段落した農家が多く、かなり集金できました。木浦市長が吉川区に来てどんな挨拶をしたとか、これまでより検診に金がかかるようになった、などいろいろな情報も教えてもらいました。市長は秋の選挙をかなり意識して動いている、そういう印象を持ちました。こうした様々な情報がこれからの議員活動の役に立ちます。
【お知らせ】
 日本共産党上越市議団では30日(月)午後、6月議会に上程される議案の事前調査を兼ねて、視察を行います。視察場所は有間川の土取り場
、小川未明生誕地、文学館予定場所、親鸞聖人上陸の地、浄興寺、ゑしんの里(板倉区)、吹上遺跡です。参加を希望される方は、当日12時45分までに市役所5階、日本共産党議員団控え室までおいでください。歓迎します。


2005年05月27日

北陸研究センターへ試験中止要請

 遺伝子組み換えイネの問題で世論が動き始めていますが、一昨日、泉田知事が記者会見で、「先ず実験の内容、どういう影響があるのかということがきちんと周知されていないから、…(中略)…県からも申し入れを行っている。そもそも風評被害が生じるようなものなのかどうかを含めて、良く住民の皆さんとコンセンサス(合意)をつくって頂く必要がある。それが出来ない中で強行するということはいかがなものかというふうに思っている」とのべました。この発言をどう受け止め、対応していくのか、(上越市にある独立行政法人中央農業総合研究センター)北陸研究センターの動きが注目されています。
 こうした中できょうの午前、「にいがた食と農と健康、教育のネットワーク」、えちご上越農協労働組合など5団体などの代表約20人が同センターを訪れ、消費者・生産者・関係者などの合意を得られない段階での実験の強行は即時中止するよう申し入れました。センターの研究官の代表は、「私たちは科学者ですから」という言葉を使い、今回の隔離ほ場試験栽培の目的や安全性について語っていましたが、稲作農家がどう思っているか、消費者がどんな思いで今回の試験栽培を見ているかというのは、あまり頭の中に入っていない感じがしました。だから知事発言も、全然響いていませんでした。科学者はどうあるべきかを考えさせられましたね。
 午後からは市政レポートの作成でした。昨日中に作る予定でしたができず、きょうになってしまったのです。きょうまで延びたからには、できるだけ鮮度の高い情報をと、遺伝子組み換えイネについてのきょうの動きを書きました。それに柿崎病院後援会設立に向けても新たな動きがあったので、これも掲載(市と議会の動きのページに掲載)しました。きょう配達した読者にとっては、一般紙よりも早い情報をお伝えできたことになります。いつも、これだけのスピードで書ければいいのですが……。


2005年05月26日

6月議会の議案検討

 無事にお産してくれたので楽々できるかと思っていたのですが、とんでもないことが起きました。母牛が仔牛におっぱいを飲ませてくれないのです。足でける、体で押す、角をむける。仔牛が母牛に近づこうと何度も挑戦するのですが、まったく寄せ付けません。こういうのは初めてです。このままでは仔牛が弱っていくばかりなので、近くの酪農家から牛乳を分けてもらい、「子育て」することにしました。
 市議会では議会運営委員会が行われました。6月議会の会期は3日から17日までと決まりました。委員会では、請願、陳情などについても話し合われたとのことです。注目したのは、議長が「自然災害被災者に対する住宅再建支援制度の確立について」の意見書提出を議長発議で出したいと提案してきたことです。これは4月の議員懇談会の際に、わが党議員団の杉本議員が、上越市議会が不採択とした請願の内容と同趣旨の決議を議長は議長会で賛成した、どうなっているんだ、と指摘したことに応えたものです。
 お昼の少し前から、議員団で議案の検討をはじめました。3月に予算がでたばかりですので、補正予算は少しです。議案数も少ない。ということで、夕方までには企業会計決算以外の検討はほぼ終わりとなりました。来週初めには、残りの議案を検討し、議案と関係のある施設などを視察しておこうということになりました。


2005年05月25日

無事出産

 待ちに待った牛のお産、きょう、無事に終わりました。母牛が尻尾を上げたり下げたりして落着かなくなってから約3時間後、和牛の仔としては大きいオスが生まれました。なかなか出てこなかったので、仔牛の足をロープでしばり、父と一緒に引っ張り出しました。お産は昨年の10月以来です。予定日よりも9日遅くなったこともあり、心配になりました。無事に生まれてホッとしています。
 きょうは伯父の手術の日でした。伯父に、「手術の時は行くからね」と約束していたのですが、何と牛のお産と完全に重なってしまいました。高田の県立中央病院に駆けつけた時には手術が終わっていました。こちらもうまくいきました。いまはいろいろなものを点滴するチューブをつけていますが、2、3日後には歩くことができるようになるそうです。病室からは米山と尾神岳がよく見えるので、伯父も気持ちが休まるだろうと思います。
 夜は大金辰三さんの憲法問題講義第2回目を受講しました。改憲の動向と世論の現状、改憲私案に見られる共通点、いまの日本の社会で何が起こっているか、など分かりやすく話していただきました。前回同様、レジュメには新聞切抜きなどたくさんの資料がついていて、とても勉強になりました。会場にはワゴン車に大勢乗って出かけてきた頸城区のグループもありました。分かりやすくて、おもしろい、と評判になっているので、受講者はまだ増えそうです。


2005年05月24日

直江津港湾協会の通常総会

 上越市議会では、議員がまとまって医師会館へ行き、健診をうけるようになっています。昨日から3日間設定してあり、各議員はそのなかの一日を選んで受診することになっていますが、きょうは、私の受診日でした。健診はこれまで数年間、医師会館で半日かけてやってきました(旧吉川町の事業)ので、きょうもその覚悟で出かけました。でも実際にかかった時間は1時間あまりでした。これまで受診した時に比べて、肺活量、聴力など受診項目が3つほど少ないこと、医師の診断がないこともありますが、こんなに早いとは驚きでした。
 午後からは直江津港湾協会の通常総会でした。合併して海があり、港もある自治体の議員になったので、勉強させてもらうつもりで参加しました。興味深かったのは、総会後の講演です。環日本海経済研究所の三橋郁雄さんが、「日本海側港湾の将来像」と題してお話されましたが、ロシア、中国経済がどんどん成長し、北東アジアが元気になっていること、中国のある人が「最近、東アジアの各国にナショナリズムが台頭してきている」と指摘しているという話は新鮮でした。また、環日本海地域のことをいわれたのでしょうが、この地域の各国は「同じ船に乗っている」という思想を待つべきで、日本が大人になって、この地域のリーダーシップをとるべきだ、との主張はうなづけました。全体的に見て、小泉外交の愚かさが浮き彫りになる話でした。
 講演の内容とは関係ないことですが、もうひとつ、分かったことがあります。19日の東京での研修会で、「これは何だろう」と思った、福島県旧三春町長の伊藤寛さんの話のレジュメについてです。四角い枠に書き込まれたカードみたいなものがいくつも並んでいて、面白いレジュメの作り方だと興味を持ったのですが、きょうの三橋さんの講演でも使われました。これらはパソコン、プロジェクターを使い話をする時のものだったのです。画面と同じものをレジュメにする。今後、議会報告会などでは、この方法を採用したいと思っていますので、とても参考になりました。
 「私の好きな風景」に「田植え後間もない頃の朝」を掲載しました。


2005年05月23日

にいがた食と農ネットも実験中止要請

 わが家の牛は出産予定日を過ぎたのに、なかなか産んでくれません。おかげでここ数日は、いつお産がくるかを気にしながらの活動となっています。人に迷惑をかけてはいけないので、お産がはじまった時のことを考えて手は打ってあるのですが、落着かないですね。
 きょうは、「にいがた食と農と健康、教育のネットワーク」(常任代表委員、坂本典子氏ほか2名)が市当局に対して、「遺伝子組み換え稲」の圃場実験の即時中止を求める緊急要請を行いました。それに同席しました。この行動には15人ほどが参加しました。「すでに風評被害がはじまっている」「消費者は遺伝子組み換えと聞いただけで買いません」。北陸研究センターが4月29日に行った説明会に参加してきたという農協労働者や生協の人たちの発言には迫力がありました。
 対応した中村修治農林水産部長は短時間で丁寧に説明していましたが、「安全で必要な実験」という、これまでの評価を変えませんでした。「安全で必要な実験だが、市民にもっと分かりやすく説明をすべき」という市の姿勢に各種団体から反発の声があがってきていますが、政府農水省の方針に追随した姿勢をとり続けると、木浦市政に大きな影響を与えることも予想されます。
 同ネットの皆さんは、27日午前9時、北陸研究センター(上越市稲田)で実験中止要請を行います。ぜひご参加を。


2005年05月22日

尾神岳初登り

 午前は「しんぶん赤旗」日刊紙配達後、山菜採りに出かけました。雪消えの遅い場所をねらっていったら、出たばかりのウドが何本も手に入りました。この分だと、まだしばらく楽しめそうです。ワラビもいいものがありました。こちらはカヤ野原にあったのですが、先客があったようで、量的には、そう多くは収穫できませんでした。まあ、こういう時もあります。
 尾神岳(757m)に登りたい、そう思いながらなかなか実現できませんでしたが、きょうは午後から思い切って行ってきました。今年の初登りです。こちらも雪消えが遅いこともあって、トキワイカリソウなど平場で1ヵ月ほど前に見た花たちが咲いていました。マンサクの花もまだ咲いていましたよ。雪が残っていて、山はまだ完全には緑色になっていませんでした。
 今年初めて食べたコシアブラ(こちらは木の芽)、尾神岳でも数本見かけました。これでしっかりと覚えましたので、来年からは、どんどん採ることができるでしょう。尾神岳にはノノバ(ツリガネニンジン)もあることは昨年紹介しましたが、花の咲いていた場所を確認してきました。間違いなくノノバがあの紫色をした花を咲かせるのです。茎は太く、夏にはきっと素敵な花をつけてくれるはずです。私と同じく花を楽しみにしているのか、誰も採っていかないのはうれしい。


2005年05月21日

五月晴れ

 昨日に続いてきょうも晴れ。じつにさわやかな晴れ方でした。田んぼでは、田植えの最終盤となっています。耕作面積の大きい農家などが長い期間をかけて田植えを行うのは、刈り取りのことも計算に入れてのことでしょう。この時期、田んぼに映る周辺の景色がとても素敵です。妙高山などの頸城三山はいつもより雪解けが遅いので、遠くから見るとまだ白が多く、いい感じの景色になっています。
 今朝は党勢拡大運動の支部の統一行動がありました。天気がいいので、こんな日は山菜採りに行きたいね、と話になりました。2月の選挙で支持を約束してくれた家を数軒リストアップし訪問した結果、3軒から「しんぶん赤旗」日曜版を購読していただけることになりました。これで今月の目標まであと1に迫りました。この調子でいくと、明日は仲間で山菜採りに行けるかもしれません。
 午後からは上越地区管内の党活動家が集まって経験交流する「地区活」でした。2月の選挙後、初の「地区活」でしたので、選挙のお礼を述べるとともに、今朝の統一行動について報告しました。明日は山菜採りに出かけ、楽しく活動していきたいという話をしたら、参加者の目の輝きが違いましたね。みんな同じことを考えているのだと感じました。


2005年05月20日

議会改革の課題はいくつもある

 昨日は研修会で議会改革のことがテーマの1つになり、いろいろな経験や考えがだされました。それらを聞いてきたせいか、きょうは私が現在所属している上越市議会の運営について気になる一日となりました。午前に開催された建設企業常任委員協議会、テーマは火力発電所建設に伴う地域振興事業でした。中身は市道整備、交流施設整備、体育館改修、病院の最新機器の導入、除雪車整備など住民生活にかかわる重要な事業がずらりと並んでいます。これを法的根拠のない委員協議会で審議している、この姿はまともなことなのかと思いました。質問する方も答弁する方も真剣にのぞんでいたとしても、ここでの発言については法的には責任を伴うことがありません。
 午後に行われたのは定例議員懇談会です。常任員会の視察報告をこの場で行うことはおかしいと前回指摘したので、議長は「いま検討中なので、今回はいままでどおりで…」と会議を進めました。これは、現段階ではやむをえないことでしょう。しかし、最後に議長が言った「議案書の配布については議運後、皆さんから議会事務局に取りに来てもらうか、それとも自宅にお届けするか、どちらにするか」という提起は、疑問でした。私が「議運の前に配れないのか」と言ったら、旧上越市時代から議員だった何人もの議員が、「それは違う」と一斉に言ったので、「これは、またここの慣例か」と思い、引き下がりました。でも理解できませんでしたね。この思いは近くに座っていた安塚区、浦川原区選出の議員も同じだったらしく、納得がいく説明をと発言していました。議案をどの段階で配布するかについては、もう一度、法的なことを確認して、どうすべきか提起していきたいと思います。
 いずれにしても議会改革は、どこの議会でも追求していくことが求められています。疑問に思ったら、曖昧にすることなく、提起していく姿勢を持ち続けたい。


2005年05月19日

東京で研修会

 約1年ぶりに上京しました。きょうは地域科学研究会主催の研修会でした。「議会形骸化論」に抗する政策立案能力の向上を目指して…ということで、私を含めて5人が話をし、その後、デスカッションをするというものでした。都立大名誉教授の兼子仁さん、地方自治総合研究所の辻山幸宣さんなどと一緒に、議会と議員の政策法務について語る機会を与えてもらえたのは、全国で最初に議員提案で「まちづくり基本条例」を制定した経験があるからこそです。16人の町議全員で頑張ってきたことがこういうことにもつながる、とてもうれしかったですね。
 政策法務の力をどうつけるか、議会改革をどうすすめるかについては、私も大いに関心があります。それだけに、横須賀市の矢島真知子市議の報告はおもしろく、参考になりました。市議会会議条例などの制定を全会派が参加する態勢のなかですすめた経験は、今後の活動に生かしたいと思います。一度お会いしたいと思っていた旧三春町長の伊藤寛さん、新潟県の小池清彦加茂市長とおなじく個性の強い方と感じました。話の中身も、予想以上に「過激な」改革提案でした。
 市民立法機構主催のフォーラムに出た時に続いて、今回もまた辻山さんと偶然一緒になりました。それだけ、辻山さんは全国でひっぱりだこだということなのでしょう。辻山さんの話はいつも切り口がユニークで新鮮、とても勉強になります。きょうはまた、新たな出会いがありました。兼子仁さんについては、正確に言うと、お会いしたのは新潟自治体研究所主催の講演に続いて2回目ですが、話ができたのは今回は初めてでした。兼子さんのご本は岩波新書の『新地方自治法』など数冊拝読していて、雲の上の人のように思っていたのですが、「牛を飼っておられるのですか」と言って声をかけ、握手をしてくださったのには感激でした。もうひとつ、いいことがありました。それは、矢島市議など何人かの方と党派を越えた交流ができそうなことです。こうした出会いを大切にしたいと思います。
 きょうは次男も上京していました。就職試験を受けに出かけていたのです。ひょっとしたら、帰りの新幹線で一緒になれるかなと思っていたのですが、少し時間がずれてしまいました。親子で新幹線に乗り、話ができるかと楽しみにしていたのですが……。


2005年05月18日

全県党議員会議

 きょうは全県党議員会議でした。上越市議団は3人とも参加しました。きょうの会議の主題は先の第3回中央委員会の決定の理解を深め、党勢拡大大運動をどうすすめるかでした。わが議員団からは樋口議員が妙高市議増員選挙の教訓について、ユーモアたっぷりに発言しました。彼女は私とともに妙高選挙区(旧妙高村)から出馬した望月幸雄さんの応援をしたのですが、望月さんの日常活動、人柄の素晴らしさなどをよく伝えてくれました。
 全県党議員会議の会場はいつも新潟県委員会事務所です。このところ、ゆったりとした時間が欲しいので、交通手段は列車です。行きは上越市の杉本議員、妙高市の渡邊議員と一緒でした。妙高市議選の数々のドラマを語り合っていたら、あっという間に新潟に着いていました。合併後、上越地区だけでも議員選挙が3つもあったことから、旧町村議員の慰労会をやれませんでしたが、6月議会後に妙高市の後援会員のペンションで泊りがけでやったらどうかという話が出ました。ぜひ実現させたいものです。
 帰りの列車では本を読みました。リラックスするために、西本鶏介さんの『おとなのための読み聞かせ童話集』(ポプラ社)を半分ほど読んだのですが、おもしろいことに、明日の東京での話の組み立て、展開のイメージがこの本を読む中で湧いてきました。まったく関係ない分野のものを読むことがもたらす効果にびっくりしました。人間の頭の中というのはどうなっているのでしょうか。


2005年05月17日

遺伝子組み換えイネで市に申入れ

上越市稲田にある北陸研究センターが今年度から取り組んでいる遺伝子組み換えイネの隔離ほ場試験栽培に対する反発が一段と強まってきました。すでに農業団体が署名活動に入っているほか、きょうは、「にいがた食と農と健康・教育ネットワーク」が県当局に申入れをしました。JAや生協なども中止を求める方向で動き始めそうだとの情報も入ってきました。ネットワークの申入れなどの情報は夕方、入ってきました。
 私たちの市議団でも昨日の議員団会議で、今回の隔離ほ場試験栽培中止を求める運動を強めることを確認し、きょう、市長に対して要請文を提出しました。市側でも北陸研究センターに説明責任を果たすよう要請をしたというので、いろいろ聞いてみたら、がっかりでした。農家などに不安の声が広がっているから、今回の試験栽培が安心できるものであること、必要であること、これらについてもっとわかり易く説明をしてほしいというレベルだったのです。
 明後日、東京で「吉川町まちづくり基本条例」について話をすることになっているので、きょうはその準備をしました。なかなか準備ははかどりませんが、久しぶりの上京ですし、当日は地方自治研究者の辻山幸宣さんや兼子仁さんなどとの昼食会も予定されているのでとても楽しみです。一度お会いしたいと思っていた福島県の前三春町長、伊藤寛さんにも会えることになっています。


2005年05月16日

ワークシェアリング

 不景気のために公共建設土木工事の発注件数が減ってきています。こうしたなかで入札制度でもワークシェアリングを導入する改革が上越市で行われました。一定の金額以上の大規模工事で一つの仕事を受注したら2年間は入札からはずれてもらい、他の業者に仕事をしてもらおうというものです。発想は悪くはないし、制度としては評価できる要素が多いものですが、議会に事前の説明がなかったことやスタート時点からこれまで2年間に受注したことのある業者をはずしたことから議会で問題になりました。
 きょうの総務常任委員会協議会でこの問題がとりあげられ、活発な議論となりました。制度改革を4月からスタートさせたにしても、2年間の条件については、最初からこれを適用すると不公平が生じる、この点は直すべきだという杉本委員らの指摘、提案は当然です。しかし市ではすでに城北中学校の工事についてあらたな制度を適用することを明記して公告しており、答弁に立った総務部幹部は首を縦にはふりませんでした。
 この結果、今後の議会で今回の制度改革を適用した契約案件が提案された場合に、かなり多くの会派、議員から批判の声が上がる可能性が大きくなりました。入札は20日です。おそらく6月議会に出てくるでしょう。そうなると6月議会の焦点の1つになってきます。長年、入札制度改革には強い関心をもってきましたが、質問意欲が高まってきました。6月議会は3日からです。


2005年05月15日

望月幸雄さん当選

 まずはうれしいニュースです。妙高市議増員選挙で、妙高区(定数4)においては、日本共産党が立てた望月幸雄候補が678票を獲得し、第2位で当選しました。妙高高原区(定数5)の丸山政男候補は170票ほど足りず、残念ながら7位に終わりました。望月候補は元県林業事務所の職員だった人で、吉川区でも知られています。地元の人たちからは、「まじめで、しんならづよい」との評価があり、その人柄の良さが勝利につながりました。
 さて、農協の指導で田植えが遅くなっていますが、きょうは田植えが一番賑やかな日になりました。区内では、どこへ行っても田植えです。河沢や大下では生産組合で協力して植えている姿が目に入りました。坪野や尾神では家族・親戚が集まって植えている家があり、子どもも田んぼにいました。田植機が流行る前は、家族みんなが力を合わせて田植をしていましたが、現在も子どもが参加している家では、子育てがうまくいっているところが多いですね。
 夕方、約1時間、近くの山に入り、野の花探しをしました。今年は雪消えが遅かったこともあって、花の咲き方もいつもより遅いような気がします。イワカガミのピンクの花もまだ見ることができました。ひょっとしたら出会えるかと期待したランはありませんでしたが、うれしいことがありました。吉川区が北限といわれているササユリをたくさん見かけたからです。これなら減り続けるどころか、ふえていく、そう思えるほど出会いました。
 「春よ来い」の第50回、「カエルの歌」を掲載しました。


2005年05月14日

ランが咲いていたら教えて

 合併によって吉川町に係わる情報が少なくなることは必至だから、毎月2回は一般商業新聞に市政レポート(よしかわ版)を折り込む。これは選挙時の約束でした。折り込む間隔にバラツキがあってはいけないと考え、ほぼ隔週で折り込んでいます。それで、きょうは朝早くに起きて15日号の原文を読み直し、手を入れた後、印刷をしました。文章というものはおもしろいもので、たった一晩寝かせただけでおかしな表現など手直しの場所が浮き彫りになってきます。今回も初歩的なミスを含めて数ヶ所ありました。
 印刷が終わってから、日刊及び日曜版の「しんぶん赤旗」の配達に出かけました。このところ、野の花が次々と咲いて、どうしてもそちらに目が向いてしまいます。タニウツギが咲き始めましたし、ウゴックバネウツギも黄色い花をつけています。毎年、必ず撮っているエチゴルリソウ(写真)は、吉川区内では、1ヶ所しか(私が知る限り)咲いていません。今年も素敵な花を見せてくれています。今年ぜひ撮りたいと思っている野の花はまだ出会ったことのないランです。そろそろ咲き始めるであろうキンラン、コケイランなど情報がありましたら、ぜひご一報を。


2005年05月13日

チラシ増刷

 週刊で地域政治新聞を書いていると面白い経験をすることがあります。書く材料がなくて困ることは、年に何回かあるのですが、その逆で、書くことがいっぱいありすぎて整理がつかないこともある。今週が正にそれでした。連休のため「しんぶん赤旗」日曜版は1日付と8日付は合併号でした。その結果、市政レポートは2週間分の情報をお伝えすることになります。今回は、農業委員会の改選後初の委員会があり、9条の会の集会もあった、メーデーもある、そのほかに連休中の話題だってある、そういうなかで編集しました。今週は市議団ニュース(定例議会中は毎週発行、通常は隔週で発行)もあって、それとあまりダブらないようにしたいという思いもありました。割り切って、議員団ニュースは「9条の会」のことを中心に編集し、市政レポートについてはメーデー、地元情報中心にしました。いやー、なかなか難しい。
 夕方、妙高市議増員選の現地選対から電話がありました。一昨日に印刷したチラシが足りなくなったので、印刷して運んでほしいというものでした。内容的にいって、ゆっくり時間をかけていられないものですので、予定していた「しんぶん赤旗」日曜版の配達はやめて、直ちに印刷して妙高へ向かいました。前に印刷した時に、依頼されていた部数は印刷していましたので、今回の増刷は、当初の配布計画より配布数が増えたということになります。こういう注文をもらうというのは、チラシの編集にかかわった者としては、うれしいですね。


2005年05月12日

竹の子の出が悪い

 テレビで、今頃になって流氷が北海道に着いたと報道されていました。やはり、今年も異常気象なのでしょうか。きょうも寒い一日でした。ここしばらくは、ストーブのほしい日が続きそうです。今年は竹の子(孟宗竹)の出が悪いという話をきょうも聞きました。この春になって2人目です。どういう理由なのか分かりませんが、異常気象と関係がありそうな気がします。
 きょうは午前から午後2時ころまで妙高市にいて、その後は吉川区で動きました。農協の畜産担当のところへ牛の登録証、種付け証明書がいっているので、近日中に出産予定の牛の種付け日を確認しました。予定日は16日となっていました。来週出産となると、私がいない日が多いので、少し心配です。
 夜、パソコンに向かっていたら電話による生活相談が2件、飛び込んできました。このところ、吉川区以外からの相談が増えてきています。きょう、電話を下さった方は、日本共産党上越市議団ニュースで私の電話番号を知って、かけたということでした。いつのニュースか聞くと、3月議会の時のものでした。ニュースを読んでいる人が、「ここへ電話をかけてみたら」と勧めたらしい。


2005年05月11日

資源物回収

 ゴミの収集方法が4月から変わりました。3月までは旧町村時代の方法でやっていたのですが、4月からは全市で統一された方法となりました。それに伴い、空き缶などの資源物(資源ごみ)の回収品目は10で、ほとんど同じですが、回収方法が大きく変わりました。
 まず回収日の回数が増えました。これまで第二土曜、第四土曜日だけだった回収日は、毎週水曜日と金曜日になりました。この結果、月に8回ないし9回資源物の回収が行われることに。各家庭には、ごみの分別方法一覧表とごみカレンダーが配布されているので、それを毎日見て、ごみ出しをしています。資源になるごみの呼び方も変わり、「資源物」と呼ぶことになった、これはいいですね。さらに、もう1つ変わったことがあります。集落での資源物回収当番の回数が増えたことです。私の集落では、これまで年に1回だった当番は、2ヶ月に1回やってくることになりました。
 きょうはその当番でした。きょうは水曜日で、プラスチック製容器包装と紙製容器包装の回収日です。私の集落では朝6時半から30分間の時間帯を資源物を出す時間と決めているので、その準備、出されるものの点検、片付けをすることになっています。年に6回もこの当番がやってくるのはたいへんですが、分別方法を具体的に学ぶこともできますし、世間話もできます。当番を何回かやれば、ごみの分別について詳しくなるかもしれません。
 さて、日中は妙高市でした。きょうは2回往復しました。写真入ビラの印刷については、私のところにある印刷機の方がいいということになって、2往復となったわけです。後援会ニュース、民報の2種類2千数百枚を3時間かけて(車で往復した時間も入れて)印刷しました。集団で検討して作成しただけあって、なかなか見栄えのするビラになりました。でも2往復は疲れました。


2005年05月10日

党県幹部と打ち合わせ

 高田まわりで妙高へ。党県委員長、選対部長と打ち合わせをしました。選挙情勢を分析し、勝利の展望をどう切り開くか、話し合いました。その後は、打ち合わせに基づいて、アナウンサー原稿の手直し、最終盤チラシの準備などをしました。頑張れば当選できるところまできたことを感じながら仕事ができました。こういう時は張り合いがあります。
 帰りはまた高田まわりで吉川に戻りました。いつも妻を迎えに行く次男が留守なので、私以外に迎えに行く者がいないのです。こうして一緒になった時は、40分ほど時間がありますので、その気になれば結構話ができます。お互い、疲れてはいても、きょうの動きについてそれぞれ出し合い、楽しくおしゃべりをしながら帰りました。
 連休も終わり、昨日から平常の活動に戻らなければならないのですが、こちらは選挙モードなので、いつもやってきたことが出来なくなっています。たとえば、毎週発行のレポートなどの作成の準備、何を書いていいのか、頭の中は整理できていません。明日までにやらなければならない仕事も残っている中で、どうしたらいいものか。
 そうそう、昨日、書きたいことがもう1つありました。京都市から「囲む会」に参加した人から礼状が届きました。山菜料理がうまかった。いろんな人たちに会え、久々に歌も歌い、楽しかったし、元気ももらった。そんなことが書かれていました。「憲法も山菜も今が旬」という字の入った絵も描いてありました。うれしいですね、こう言ってもらえると。


2005年05月09日

「連休明け」

 世間では連休明けということになりますが、こちらは休み無しでしたので、「また、仕事でがんばるぞ」という気分を味わうことができません。午前中は選対の仕事から離れて、父の薬もらいや市役所本庁での用足しをしました。いつものことながら、医院は月曜日は混み合います。そこには旧吉川町農業委員だった人もいて、農業委員選挙のことなどを話しました。連休だったので本庁へ出かけたのは久しぶりのことです。10日後、東京にて、「吉川町まちづくり基本条例」について講演を依頼されており、そのための資料集めをしました。といっても、大げさなものではありません。現在、上越市がすすめている条例づくりの取り組みについての情報を知っておきたかっただけのことです。
 午後の主な仕事は支持者台帳の整理でした。何時間もパソコン画面を見ていたせいか、目が疲れました。妙高市は昨日と違って、ぐんと冷え込みました。最高気温は10度前後だったのではないでしょうか。事務所ではストーブをつけっぱなしでした。夜は支部の仲間と5日の「囲む会」の反省をした後、第3回中央委員会のビデオを観ました。「囲む会」は支部の参加者を除いて、少なくとも42人の方が参加費を払っていたことが分かりました。思っていた以上に参加者が多いのにびっくりしましたが、おかげで、会計の方も赤字にならなかったといいます。ビデオでは、「上越市旧吉川町では日常活動が…」という言葉が出てきて、特別の思いがわきました。


2005年05月08日

妙高市議増員選挙告示

 きょうから妙高市議増員選挙の本番です。吉川からは、私を含め3人が応援に入りました。天気は良く、出陣式には大勢の方が集まってくださいました。私は、党上越地区委員長の代わりに挨拶をしました。妙高市も上越市と同じく編入合併です。事務事業の調整では、ほとんどが編入する自治体の制度に統一されました。そうしたなかで、編入された自治体のすぐれた施策の後退があることを指摘し、合併によって噴出している住民要望にこたえていく決意を表明しました。
 学童保育利用料金が3倍になった。一般の保育料も上がった。幼児医療費助成が後退した。編入されたところでは、似たようなことが起きています。除雪体制がどうなるかなど、周辺部に住む住民の不安が強いことも共通しています。今回の選挙で勝てるかどうかのポイントの1つになるのが、こういった住民の気持ちにぴったしの宣伝ができるかどうかです。
 午後からは、候補者カーのあとを追っかけて1時間ほど車を走らせました。関、燕温泉に初めて行きましたが、まだ雪が残っていて、ひんやりとしました。ブナも芽吹いて何日もたっていない感じでした。きれいだったのはヤマザクラです。吉川で見たヤマザクラ以上に濃いピンクの花、デジカメを向けたら霧がかかってきて撮影できませんでした。
 「春よ来い」の第49回「朝の風景」を掲載しました。


2005年05月07日

緑色が山を登る時

 昨夜から朝にかけて雨が降りました。そのおかげで木々の緑が鮮やかになったような気がします。高田から国道18号線を新井方面に走りると右側に南葉山が見えます。きょうは、その南葉山がとてもいい感じでした。低いところは濃い緑色ですが、高いところは芽吹きがはじまったばかりです。そのため、山の下のほうから緑色が登っていくように見えます。
 私の住んでいる吉川区の源地区も今、山の緑がきれいです。ゴールデンウィークは、この緑が毎日変化をしていきます。もう終わりましたが、数日前までは、ヤマザクラが花時でした。この花の美しいところを見られるかどうかは、お天気次第です。今年は天気に恵まれ、ピンク色が目立ちましたね。
 さて、妙高市の望月ゆきお選対事務所でのきょうの仕事は、宛名ラベルの印刷、若者向け宣伝物の作成などでした。宛名ラベルの印刷は2月の選挙以来です。パソコンに向かったものの、操作方法がなかなか思い出せなくて困りました。少なくとも5、6回はやったことがあったはずなのに、こんなにも早く忘れてしまうとは情けない。
 「私の好きな風景」に「化粧をした山」を掲載しました。


2005年05月06日

牛のお産が近づいてきた

 強い風が吹きましたね。昨日までの天気がくずれつつあります。これで連休明けの田植えが雨の中で、ということにならなければいいのですが……。さて、牛のお産が近づいてきました。昨年10月以降、お産無しでしたので、お産時の緊張感を忘れてしまいそうでした。和牛の子とりの経営は、お産で失敗したら1年間棒に振ることになります。エサをくれて、牛の姿を見て、そろそろ注意をしてかからないといけないと思いました。
 きょうも妙高市の望月ゆきお選対事務所で仕事をしてきました。支持者台帳の整理と選挙本番ビラの検討で一日が終わってしまいました。ビラは先日から2回検討会をやり、集団的に準備してきました。集団で検討した場合は、一人の作業では気が付かないことを発見しますので、いいチラシ作成につながります。普段発行するものも、こういったスタイルで作成すればいいものになるのですが。


2005年05月05日

囲む会で楽しく飲んで

 議会報告をやり、山菜料理に舌鼓を打つ。正式には「橋爪のりかずを囲む会」というのをやりました。私を含め、3人で山菜を大量に採ってきて、ウドやノノバ、ウルイ、タラの芽、コシアブラ、ヤマアスパラ、アケビの芽などを並べることができました。田植えを前にしてもっとも忙しい時期だったにもかかわらず、40人ほどの人たちが集まってくださいました。
 後援会の人たちには、いつものことながらたいへんお世話になりました。準備から後片付けまで丁寧にやっていただき、感謝の気持ちでいっぱいです。今回も小田順子さんの朗読、山岸協慈さんのリードによる歌声で盛り上げていただきました。小田さんからは、大型絵本『花さき山』の朗読をしていただきました。春に外で、この絵本の朗読を聴くのは初めてです。とてもいいもんだな、と感心しました。
 初めてといえば、山菜料理を食べての「囲む会」は27年間の議員生活の中でも初めてでした。この時期は忙しいので、こうしたイベントは避けてしまいますが、山菜は今が旬、ここでやらないと食べられないものばかりです。忙しい中、集まってきてくださった方々からは、「来年もやろうよ」という声が上がりました。スタッフの皆さんはたいへんとは思いますが、ぜひ続けたいと思います。
 きょうの会では、来月、吉川でも「9条の会」をつくろうという話が出ました。中心になって動いてくれる方は、先日の「上越9条の会」にも出席しようとしていた方でした。全国、津々浦々で会ができれば、憲法改悪の動きに最終的にはストップをかけることができるはずです。何としても成功させたいものです。


2005年05月04日

妙高山の眺めが抜群

 昨日も書いたように、連休は道の様子が違います。妙高高原を通って長野方面に向かう国道はきょうも混み合ったそうです。県道新井柿崎線の交通量も多く、きょうは旧妙高村へ行くのに、ふだん通ったことのない道を走り、混雑を避けました。新井から飯山へ抜ける国道に入り、南小学校近くから関山に上るルートです。生まれて初めてこの道を走って、得をしましたね。というのは、妙高山の眺めが抜群なのです、ここは。いつもより低い位置から近くの妙高山全体を見ると、高さの感覚が違うし、全体の迫力も違う。堂々としている姿に感動しました。
 現地では宣伝物の資料づくり、住民との対話で支援活動をしました。ある業者と話をしたら、私の住んでいる集落の近くの方を知っているとのことで、話がはずみました。具体的に書くと業者の方を特定できるので、一般的なことしか書けませんが、村の時と市になってからを比較すると、仕事のやり方がずいぶん違い、慣れるまでたいへんだ。変わるときには2、3年の猶予期間がほしいなどといった要望が寄せられました。市町村合併では、業者には業者なりの悩みがあることを生の声で聞くのは初めてでした。
 明日は山菜料理を食べて、議会報告もする会です。遠くは京都市からもやってくる人もいて、かなり賑わうようです。山菜採りもしなければなりません。新鮮なウドやコゴミ、ツリガネニンジン(ノノバ)、フキノトウ、カタクリ、タラの芽などを並べたいと思います。がんばらなくっちゃ。


2005年05月03日

「上越9条の会」発足集会

 やはり連休だと思いました。妙高市議増員選挙の応援で旧妙高村へと、きょうは2往復しましたが、長野方面行きは渋滞していて、まいりました。妙高市は新井市が妙高村、妙高高原町を吸収した合併です。調べてみて困ったのは、合併協議での事務事業の調整の全体像が良く分からないことでした。でも仲間の皆さんとの話し合いの中で徐々に見えてきました。住民サービスを低下させないとしておきながら、学童保育料金は上がる、老人クラブへの補助金はカットするなど大きな後退がいくつも起きていたのです。住民の怒り、要望が渦巻いている感じがしました。
 きょうは憲法記念日です。上越9条の会が市民プラザで発足集会を開催するというので、参加してきました。呼びかけ人の連続スピーチ、参加者のリレースピーチ、いずれも興味深い話ばかりでした。その中で児童文学作家の杉みき子さん(写真)が落合恵子さん編集の雑誌、『子ども論』(94年10月号)に各界の著名人が憲法について書いているということを紹介されていました。落合さんの政治に関する発言にはいつも注目しているので、読んでみたくなりました。
 弁護士の馬場秀幸さんが憲法論争の論点整理をやってくださいました。憲法はアメリカに押し付けられたものかどうか、環境権などを盛り込む必要があるかどうか、などの話の展開には、ぐいぐいと引き込まれました。それに頸城区の住民運動のリーダー、芳賀さんの娘さんが若者の憲法9条に関する認識を紹介してくれたのも良かった。しかも堂々たる話しっぷりでした。これほどしっかりしている20代の若者が近くにいることを、とてもうれしく思います。


2005年05月02日

川谷地区で市政レポートの配布

 午前は金融機関をいくつか回った後、総合事務所、そして妙高市の旧妙高村へ出かけてきました。選挙準備状況などを聞いて、チラシ作成などいくつか要請されたことの準備をしてきました。天気が徐々に回復して、昼ごろにはすっかり春らしい感じになりました。帰り道では、空の色、草木の緑、残雪が織りなす見事な景色を堪能しながら軽トラを走らせました。
 午後から市役所本庁経由で吉川に戻り、川谷地区で市政レポートの配布をしました。選挙後、除雪対策などの関係で何回かは入っているものの、レポートの配布はしておらず、ずっと気になっていました。一軒一軒、声をかけながら配布したら、「いや、おまさん、いかったね」と祝いの言葉を寄せてくださる方がたくさんあり感激でした。もう1つ、うれしかったのは、議会報告のレポートを配布していなかったにもかかわらず、議会などで私が除雪対策を取り上げてきたことを知っている人が少なくないことでした。「ありがとね。頼むでね」という言葉で胸がいっぱいになりました。
 さみしかったのはTさん宅を訪ねた時でした。庭掃除をしていたTさんに、「ばあちゃん、どうしなったね、元気かね」と聞いたら、「バサ、12日に死んだ」という言葉が返ってきたからです。葬儀は子どもさんが住んでいる近くで済ませたらしく、まったく気が付きませんでした。Tさんのお連れ合いは、とても愛想のいいばあちゃんで、会えば必ずニコニコして声をかけてくださり、何度かはお茶をご馳走になったことがありました。「オラ、さみしくね。年取ったらがだもん、しかたねさ……」、完全に一人暮らしになったTさんの言葉がさみしい。


2005年05月01日

76回メーデー上越集会で挨拶

 久しぶりにメーデー集会に参加してきました。メーデーは吉川集会がなくなってから上越集会に一度参加したぐらいで、その後、お休みしていました。今回は、市町村合併して最初のメーデーです。市議増員選挙もあった後です。参加しなければと思っていたところ、党地区委員長から、「いま歯の治療をしていてしゃべれないし、地区を代表して挨拶してほしい。(市議になった)おまんの顔を見てみたいという人も大勢いる。頼む」と要請されました。
 メーデー集会での挨拶は、地元の吉川集会、となりの柿崎集会で何回もやってきました。でも上越集会では初めてでした。百数十人の小さなメーデーで、知っている顔もたくさんある、それだけに気持ち良く話をさせてもらいました。日本の憲法をめぐる動きを外国も注目していること、日本の企業は空前のカネあまり状態になっているので、労働者に還元させ、日本経済を本格的に回復させる運動が求められている、そんな話をしました。
 集会後のデモ行進では、この集会の実行委員長から、先頭の横断幕を持つ一人になってと言われ、歩きました。何年もデモ行進していなかったので、「自衛隊はイラクから撤退せよ」「憲法9条を守ろう」などといったシュプレヒコールは懐かしい感じを伴うものでした。私がこれまでの人生でデモ行進したのは新潟と東京、それに地元の吉川です、高田も1回くらいはあったでしょうか、そんなものです。70年安保の時の緊張感あふれるデモは忘れることができません。


2005年05月投稿分

2005年05月に投稿された全てです。

前:2005年04月
次:2005年06月

過去の投稿

小さな町の幸せ通信