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2006年01月投稿分

2006年01月31日

もう月末

 あっという間に月末、もうひと月たったんですね。この1ヶ月は豪雪対策に追われた月でした。それでも中旬からの降雪が少なかったので、わが家や牛舎の除雪作業はちょっとやっただけ、助かりました。もっとも山間部は多いところで、いまなお、3メートルを超えた積雪となっています。今朝の上川谷は3メートル10センチでした。
 きょうは月末なので金融機関へ行った後、市役所で仕事をしました。豪雪対策の市長宛の要望書は杉本議員が案文を準備し、私の方は、議員団ニュースの原稿書きをしました。団ニュースは、先日の新潟県庁での北陸新幹線の並行在来線問題や豪雪対策での要請活動を書きました。このところ、雪問題ばかりの記事でしたが、ようやく雪以外のことも書かれるようになってきました。
 議員団ニュースも市政レポートも発行しているんですが、容量不足もあってこのHPに掲載できない状態が続いています。杉本議員から1ヶ月200円でサイトを用意できるとの話もきいています。3月議会が始まる前には、この問題を解決させますので、しばらくお待ちください。


2006年01月30日

市役所で執務、そして地元で2つの会議

 きょうは午前から市役所で政策の学習と原稿書きでした。今週は市政レポートだけでなく、いくつも書かねばならないものがあります。その1つは、党糸魚川市委員会などが主催する新春の集いでの話の準備です。昨年の市議増員選のことなど、吉川支部の活動について1時間ほど話をしてほしいと依頼されています。できれば勉強方々、パワーポイントを使って話をしたいと思い、きょうは話の流れのメモを作成しました。明日はこのメモをもとにスライドを作る予定です。
 夕方から会議が2つありました。1つは吉川区地域協議会です。新年度に取り組む予定のコミュニティプラザの設計をめぐり、説明と議論がありました。中心点は、2階と3階に不特定多数の人たちが集まる空間を作る場合に、設計基準などから言って、階段を改修する必要があるということでした。設計業者などの説明によれば、階段の踊り場の幅を現在の120センチから140センチに広げなければなりません。その費用が数千万円かかるのではという情報が流れていたこともあって、場合によっては、3階の多目的ホールをあきらめざるをえないかもしれないと思っていた委員もいたようです。でも、当初予定した予算の枠内で階段も含め工事ができそうとの総合事務所の説明で、みんな安心、全委員がこれまでの予定通りの計画ですすめることを了承しました。
 地域協議会が終わってから党支部の会議に合流しました。党大会が終わって2週間経ちましたが、地区党会議などの報告や大会での諸決定を学ぶ活動が真っ盛りです。きょうは志位委員長の結語をビデオでみて、話し合いました。結語の中で出てくる代議員の発言や外国からのお客さんの話がとても面白く、みんなで笑う場面が何度もありました。ビデオは中央委員会の報告、大会決議、結語しかないので、代議員の発言もビデオでみたいという声がありました。


2006年01月29日

青空広がる

 久々の良い天気でした。青空も広がり、デジカメをもって飛び回りたかったなぁ、きょうは。しかし、きょうは午前からずっと地区党会議があったので、写真を撮る時間は夕方までなく、夕陽を浴びた尾神岳を数枚撮るのがやっとでした。尾神岳の写真を撮りたくなった理由の1つは、今朝の新潟日報でした。「道」という特集で、越後杜氏のことが紹介され、西野島集落から尾神岳を望んだ写真が掲載されていたからです。自分が住んでいるところのシンボルがこのように広く紹介されるとうれしいですね。
 夕方、家に戻ってから、香山リカの『いまどきの「常識」』(岩波新書)を読み始めました。この本は昨年の秋に買って積んどいたものでしたが、ホリエモンの逮捕によって思い出したのです。「人の心はお金で買える」といったお金万能論や「世の中すべて自己責任」論など、いくつもの、いまどきの「常識」についての記述を興味深く読みました。まだ半分も読んでいないのですが、小泉政治を支えていた心理的な面が見えてきたような気がします。
 


2006年01月28日

上越教育大学で食育フォーラム

 食生活の乱れが人間を壊している、正しい食のあり方を学ぼう。きょうは食育(食に関する教育)についてのフォーラムが上越教育大学でありました。市内の取り組み事例の発表や講演などがあるというので、時間をつくって事例発表だけになりましたが参加してきました。
 私がこの問題に関心を持っているのは、食と人間についての基本的なことを学びたいということとともに、食についての教育をしっかりすすめるならば、地域農業に目を向けざるを得ない、地域農業の担い手づくりの土台はここからスタートする、と思っているからです。
 きょうの事例発表では、春日新田小学校、安塚小学校の取り組みや三和中学校のアンケート調査に注目しました。地産地消を5年前から取り組み、農業生産過程の全体を体験させようとしている。親子学習会、生産者との交流給食会などいろんな場をつかって食について教える。春の山菜の中では、子どもたちは「こごみ」が大好きだ。子どもは野菜の名前をほとんど知らない。市内でも先進的な取り組みが進んできていることを初めて知りました。
 残念だったのは魚沼市の上村伯人医師の記念講演を聴く時間が取れなかったことです。吉川区から参加した人から、「すごくいい講演でした」と連絡がありました。近くに住んでいる方なので、早いうちに一度お話を聴きたいと思います。


2006年01月27日

きょうも農政講演会

 もし体の内部で傷をおっているなら、時間が経ってから痛みがくることがある。1、2日、注意した方が良いよ。昨日の父の事故に関してそう言ってくれる人がいました。でも、おかげ様で変化無しでした。腰が痛いとは言っていますが、これは前々からのことで、昨日のこととは無関係です。もう安心して良いでしょう。父は一日中、牛舎に行かず、家でテレビを見たり、寝たりしていました。ご心配をおかけしました。
 さて、きょうは市政レポート吉川版の作成と新聞配達、集金、そして講演会でした。講演会は県農林水産部担当者による経営所得安定対策等大綱についての解説が主な内容でした。農林水産省が作成した雪だるまパンフ(品目横断的経営安定対策のポイント)などを使い、専門的な用語もたっぷり使っての説明は、これまでに農政に係ってきた人でないと難しかったことと思います。一緒に聴いていた議員の中には、何か外国語を聴いているみたいだという人がいました。
 きょうの講演を聴いていて、改めて思ったのは、今回の新政策は農業分野の構造改革であるということです。一定規模以上の農家や組織に支援を集中し、それ以外はほとんど支援をしない。農業における勝ち組と負け組みをつくっていく手法は、好きになれませんね。これまでの農政の展開の中で、一部の人たちのところに農地が集積し、農業の担い手が極端に少なくなってきていることは現実ですが、そういう中で、大規模経営をやっている組織や個人だけでなく、新政策で支援対象外とされている農家も含め、農業に携わっているすべての人たちに元気を出してもらうにはどうしたらいいか、知恵を出し合う時がきていると思いました。


2006年01月26日

県交渉

 きょうは朝8時15分柿崎発の高速バスに乗って県庁へ行きました。雪害対策や在来線存続問題などで交渉するためです。関係課と個別交渉する形をとったので、終わったのは夕方4時半近くになりました。
 今回の交渉では、収穫がいくつもありました。まず、昨年11月に「要領」、「運用」が変更になった冬期集落保安要員設置事業です。これまで3つあった設置要件のうち、①冬季孤立集落であること、②過疎化・高齢化が進んで相互扶助能力が弱体化している集落、この2つが除外されることになったのですが、②を含め、この事業の「要領」などを再度見直しすることになりました。
 この他、屋根雪の除排雪作業中や屋根雪の落下などで犠牲になった人たちへの災害弔慰金などの支給の道が開かれたことや克雪住宅助成制度の拡充が約束されたこと、公営住宅における「雪庇等の除去など危険が伴う作業については、入居者の事故のないよう管理者の責任のもとで適切に実施する」ことが確認されたことなどの収穫がありました。
 私も交渉の中で、冬期保安要員がいかに頑張って集落の皆さんから期待されているか、上川谷で見聞きしてきたことを紹介しました。また、住民や集落が持つ機械などによって民家周囲や生活道路の除排雪を行うことの重要性を訴えてきました。この1月、13区の山間豪雪地帯を何回も視察したことが役立ったように思います。
 午前の交渉中、長女から緊急連絡が入り、緊張しました。牛舎内で父が転倒した、さらに脱走した牛が転倒している父の上にのぼってしまい、ケガをしたらしいというのです。近くの親戚の人などから駆けつけてもらい、病院へ連れて行ってもらったのですが、父は医者の入院のすすめを頑なに拒否し、家に帰ってしまいました。新潟から帰って、父の所へ行ったら、コタツに入っていました。「本当に大丈夫か」ときくと、「大丈夫だ。たいしたことない」と言い、笑っています。心配して駆けつけた弟から事前に大丈夫だと聞いていたので、それ以上は言いませんでしたが、牛の仕事から引退してもらう時が来た、そう思い始めています。


2006年01月25日

イタズラこきの仔牛

 昨年11月4日に生まれた仔牛はもうすぐ3ヶ月になります。農協の畜産担当者から、「まだ、出生届けがしてないし、登録の手続きもとりましょう」と言われ、わが家の牛専用の耳標(じひょう)や耳標をつけるパンチをさがしました。耳標は机の中に入っていたので、すぐ見つかりましたが、パンチがありません。よく思い出してみたら、昨年の水害の際、泥水につかり片付けたか、処分したかどちらかです。いずれにせよ、間に合わないので、近くの酪農家から借りて対応することにしました。
 仔牛は乾草や配合飼料を食べるようになって、ずいぶん大きくなりました。これまで、広い牛舎内で放し飼いにしていましたが、毎日、牛舎内にあるものをひっくり返したり、引っぱったりとイタズラするので困っています。しかも糞をするところが一定していないので、不衛生です。かわいそうな気もしますが、そろそろ、つないで飼うスタイルに変更しようかと思っています。アメリカ産牛肉の輸出の杜撰(ずさん)さが浮き彫りになったおかげで、この牛もあと半年もすれば良い値で売れるはずです。効率よく肉をつけていく飼い方にしていかなくちゃ。
 きょうは「しんぶん赤旗」の集金と議員団ニュース作成でした。議員控え室は当初私だけでしたが、市政会議の人たちも勉強会だとかで集まってきました。一番最初にやってきた山崎議員とお茶を飲み、世間話や地元での活動について情報交換しました。山崎議員の住所地は浦川原区のなかでも一番平場に位置し、雪も少ない所だそうですが、1メートル20センチあるということでした。


2006年01月24日

ビッグニュース、救助法適用問題、そして…

 日本共産党が社民党にたいして憲法改悪の一点で共闘を申し入れ、社民党が検討を約束。今朝の新聞で知りましたが、とてもうれしくなりました。これは憲法改悪に反対している人たちを励ますビッグニュースです。「しんぶん赤旗」には市田書記局長が参院の社民党控室を訪ねた時の写真が掲載されていました。社民党の又市幹事長の笑顔が共闘実現の可能性の大きさを表しています。市田書記局長の説明に対し、又市氏は、「申し入れを歓迎します。両党間協議には賛成です。党首に伝え、党として検討して返答したい」とのべたといいます。
早期に共闘を実現させ、これを機に党派を超えた憲法改悪反対の運動の流れを一気に強めていきたいものです。
 災害救助法適用問題で市議長会が国に対して要請文を準備していることは既報の通りですが、このことで動きが出ました。よその市議会でも「災害救助法の適用は合併前の旧市町村単位で」という文言の見直しを求める声が出て、修正する方向だということです。合併した新自治体では、旧市町村のひとつでも適用基準を満たしたら新自治体全域の問題としてとらえ、全域に適用する、この当たり前のことが議長会の要請文にも反映されるとありがたいですね。
 きょうは午前に区内の中山間地に入り、一人暮らし、老人世帯家庭を訪問しました。みんな雪と闘いながら暮らしています。2軒でお茶をご馳走になりながら、この冬の豪雪のことなどを語りました。80歳を超えても自力で除雪をしていた人は、除雪機で1時間仕事をするだけで汗びっしょりになると言います。私の機械ではそんなことはないので、よく聞いてみたら、小さな除雪機ではハンドルに力を入れて、下げるようにしないと機械が浮いてしまうとのことでした。よその人から機械除雪をしてもらっている家庭では、よく除排雪されていて、喜んでおられましたが、みんなこれからの降り方を心配していました。除雪費助成が14万円弱では足りなくなる家庭も出てくるかもしれません。
 午後は普及センターなどの主催の農政講演会でした。国の政策審議の中枢にいる人の話なので、裏話なども聞けるかと思って参加したのですが、坦々とした説明には眠くなりました。それでも担い手問題をどう考えるかなど、いくつか収穫がありました。これらは3月議会で活用したいと思います。家に戻ってから牛舎をのぞいたら、水道管が破裂していました。今冬で2度目です。これに加えて、牛が脱走していました。慌てたもんで、着替えないで対応したら、アノラックもズボンも台無し、みんな牛臭くなってしまいました。まいりました。


2006年01月23日

再び寒波

 思っていた通りでした。昨晩から雪を伴った風が荒れ狂い、道路状況が一変しました。路面はアイスバーン状態になり、風の影響を受けやすい場所は吹き溜まりができています。このため、今朝の新聞配達では、風の影響を最も受けない路線を選びました。それでも、吹雪いて前方が全く見えなくなるところが所々にあったりして、今朝の配達は1時間40分もかかりました。雪の無い状態ならば、1時間5分ほどで終わるのですが……。
 この雪でひどい目にあったのは妻です。朝、6時半の電車に乗ろうとしたものの、まともに運行されず、職場に着いたのは9時40分だったといいます。それに加えて、帰りもひどかった。夜7時半に着くはずの電車は9時過ぎになりました。柿崎駅まで迎えに出ていたのですが、ストーブなしの駅舎で待つのはがまんできません。車の中で、もう少しだろう、もう少しだろうと思いながら、1時間以上待ちました。運良く文庫本を1冊持っていたので、水銀灯の下に軽トラを駐車し、90ページほど読みました。
 きょうは市役所で議員団会議でした。豪雪対策など当面する課題について協議しました。この中で、新潟県内の市議会議長会がまとめた国への要請文が問題になりました。「災害救助法の適用は合併前の旧市町村単位で」という文言は、上越市の今回の適用の実態から見て後退した内容だという認識で一致、改善を求める働きかけをすることにしました。上越市では、合併前の旧市町村のうち、旧中郷村が適用基準を超えた3日後、全市域を対象に救助法が適用されています。この措置で、積雪が4メートル前後になった各区の山間部をはじめとする多くの住民が救助対象となりました。
 帰り道、本屋に立ち寄り、山本周五郎の短編『その木戸を通って』が掲載された文庫を買い求めました。家に帰ってから、この短編を一気に読みました。山本周五郎の作品は学生時代に『日本婦道記』を読んで以来です。人間の心の中にある温かいものが、静かに、じわーっと伝わってくる短編でした。


2006年01月22日

吹雪の夜に

 このところ日曜日は家にいることができません。イベント、会議が連続しているからです。それでもありがたいのは、夜だけは自分の時間が取れることです。
 こういう時は、何も計画しないでぶらぶら過ごすのが一番。きょうはテレビと付き合いました。漫画、功名が辻、それから何かを観ているうちにうとうとする。そして、今晩の最後はにんげんドキュメント、58歳の小田和正が走り、頑張って歌を歌っている姿を観ました。最近、同じ年代の人の頑張りを見るとうれしくなります。アンコールで歌った「そして、今も」、どんどん好きになっていきそうです。
 外はビュービュー吹いています。おそらく、またあちこちに雪の吹き溜まりをつくっているにちがいありません。明日は日刊紙の配達当番です。早めに寝ることにします。


2006年01月21日

久々に除雪も

 きょうは朝から新聞配達でした。明日、長時間の会議が予定されていて、きょうのうちに終わらせなければなりませんでした。いつもの流れでやっても、きょうのうちに完了させるには無理がありましたので、後援会の人たちに手伝ってもらいました。途中で生活相談が1件入ったものの、おかげで、思っていた以上に早く終了し、夕方2時間ほど除雪作業をすることができました。
 ここしばらくは降る雪の量が少なかったので、楽々していました。しかし、屋根が大きい牛舎周辺は雪がどっさりとありました。とくに農機具格納庫として使っている建物は、西側の雪が屋根からつながっていて放置しておけない状態でした。除雪機で少しずつ切って飛ばしましたが、雪の下になりそうな危険を感じ、途中で止めました。今度、明るい時に続きをやろうと思います。
 作業を終了させてからテレビを観ました。大相撲中継でした。このところ、大相撲には関心がなくなっていたのですが、優勝争いが混沌としてきたこともあって、観る気になりました。横綱朝青龍が脱落し、栃東がトップを走る。明日の千秋楽が楽しみになってきました。とはいっても、実況中継の観戦は無理、ニュースで結果を知ることになるでしょう。


2006年01月20日

無題

 空き家の屋根の雪下ろしをするうえでやっかいな問題が起きています。所有者がわかり、了解を取れる場合はいいのですが、所有者の行方が分からない場合にどうするか。市役所では、民法の事務管理の規定を生かせないかなど真剣に検討しています。山間部ではきょうも雪が降りました。こうした家の屋根雪の危険性は増すばかり、早めに手を打てるようにしてほしいと思います。
 さてきょうは、市議会で3つの常任委員会の委員協議会が開かれました。このうち2つの委員協議会では、下水道使用料、農業集落排水使用料について新年度から10%ほど引き上げる必要があるとして、理事者側が説明しました。1つ目の委員協議会で、委員長が、予算の事前審査にならないよう意識して質疑をしてほしいといっていたので、私の所属している委員会がはじまる前に、「事前審査にならない質問の手本を示してほしい」と言ったら、委員長も議長も苦笑い。おかしな委員協議会でした。
 会議が終了して、夕方から13区の議員で懇親会をやりました。きょうの委員協議会の内容や議会運営、13区の共通課題などについて、大いに語り合い、楽しい懇談会になりました。終わってから喫茶室で迎えに来てくれるという妻を待っていると、一人の男性が近づいてきて、「橋爪さんですよね、私、わかりますか」と言います。顔をじっと見て、思い出しました。吉川町青年団で知り合った伯母ヶ沢出身の人でした。30年くらい会っていないのに、よく分かったなと、思います。最近、なつかしい再会が続きます。


2006年01月19日

まず床屋さんに行って…

 15日に撮ってもらった写真を見て恥ずかしくなりました。髪の毛がずいぶん伸びてだらしなくなっていたからです。ふだんから身なりはかまわない方なのですが、髪の毛、それも後ろ頭の毛が伸びているのは気になります。それで、きょう一番の行動は床屋さんに行くことにしました。床屋さんでは最初、ホリエモンの錬金術についてしゃべっていたのですが、横になったらすっかりいい気持ちになってスースーと寝てしまいました。
 床屋さんを出てから、区の総合事務所へ行き、所長から区内の空き家の雪下ろし状況について説明を受けました。私もここ1週間くらい、意識して空き家の屋根を見てきましたが、予想以上に件数がありました。もっとも、通行人に被害を与えそうになったり、隣家に危険をもたらすかもしれないケースはいくつもないようです。事務所では、所有者の行方が分からないケースなどの対応をどうするか苦慮していました。
 きょうは市役所へは高田周りで行きました。目的は2つです。高田の市街地の雪下ろし状況を自分の目で確かめておくこと、それと春陽館書店へ行くことでした。春陽館は高校時代から世話になっている本屋さんですが、一番の魅力は岩波書店の本がそろっていることです。今回手に入れた本は香山リカの『いまどきの「常識」』(岩波新書)と阿刀田高の『短編小説を読もう』(岩波ジュニア新書)でした。後者についてはお昼休みに3分の1くらい読み進みました。私の悪いクセは1冊の本を読み終わらないうちに次の本が読みたくなることです。阿刀田が紹介していた山本周五郎の短編『その木戸を通って』を読みたくなりました。
 市役所では、豪雪対策について担当課と意見交換をしたほか、市政レポート(吉川版)の原稿書きをやりました。「春よ来い」第61回は「人を励ます」です。アップしましたので、ご笑覧ください。


2006年01月18日

安塚区、清里区で調査

 一昨日、市議会全員協議会の場で、「もっと早い時期に救助法が適用されていてもよかったはずだ」と発言した議員がいました。そして市役所の食堂では別の議員も、「災害救助法が発動されたら雪は落着いた。一番金がかかった時が対象にならないのはおかしい」と言っていました。数字的には中郷区だけが1月5日の時点で適用基準を超えていたのですが、実際に、区総合事務所では災害救助法適用問題をどうとらえていたかが気になって、党市議団で安塚区、清里区の総合事務所を訪れ、調査してきました。いずれの区も合併前には、はっきりした豪雪対策本部設置基準を持っていたところです。
 安塚区では所長が振り替え休日だったので、岡次長などから59豪雪時のデータ、関係資料を見せてもらい、当時の救助条例、法適用の事実関係を調査しました。また町の段階での対応と合併後の対応の違いなどについても説明してもらいました。このなかで、合併前なら昨年12月下旬の段階で豪雪対策本部が設置されていたことが明確になりました。指定観測所は合併前は1ヶ所だったのが、合併後は3ヶ所に増えていました。合併後の対応で区民から評価されている点としては、危機管理体制が強化されていることをあげていました。24時間体制がとられているので、区民は、何かあった時にすぐ市役所・総合事務所と連絡が取れるし、いつでも相談できるということでした。
 清里区の総合事務所でも、3年連続豪雪となった時のデータ・資料を見せてもらい、調査してきました。訪ねた時に、2階のカウンターの向こうから、ニコニコして私に握手を求めてくる人がいたので、さて、どなただったかと思ったのですが、なんと旧清里村長の梅澤さんでした。合併協議会の時には何回もお会いしていたのですが、懐かしい再会でした。6日に、ここの総合事務所を訪ねた時にも、それこそ30数年ぶりに再会した人がありました。学生時代に2年後輩だった人です。いまでは、市役所の幹部の1人になっていました。
 市議団では午前の調査などに基づいて3回目になる市長宛の豪雪対策要請書を提出しました。救助法の適用の時期、高田の雪下ろしについての適用など3項目が内容です。


2006年01月17日

急ぐとも これだけは確かめて

 きょうは地元で動こうと決めていました。午前中は尾神で家屋の雪の状況を見てきました。全体として、屋根にはほとんど雪は無く、民家周囲も排雪が進んでいました。そうしたなかで空き家が2軒、目立ちました。そのうちの1軒はすぐとなりに現在住んでいる家があります。その家の人から「何とかしてほしい」という声があがっているのもうなづけました。屋根には雪が約1メートルほど積もっていましたが、とても重そうでした。もう1回どんと降るとどうなるか、気になります。
 尾神では一人暮らしの家が6軒あります。そのうちの1軒では、ちょうど除排雪の作業中でした。家にあげてもらい、お茶をご馳走になって、いろいろと話をしてきました。一人暮らしというのは、家に住んでいない家族も心配しています。ここの家で驚いたのは、「急ぐとも これだけは確かめて」というステッカーが台所、居間、玄関などに何ヶ所も貼ってあることでした。遠くに行っている人が作ってくれたものだそうです。ガスの元栓はしめたか、ストーブは消えているか、携帯電話を持ったか、など6項目書かれていました。何ヶ所も貼ってある理由は、「ちょっと動いただけで、すぐ忘れてしまうから」。わが家でも年寄りが2人いますから、よく分かります。
 午後からは上川谷へ後援会の人と一緒に出かけてきました。大島区の板山を過ぎたころから道路に雪が15センチほど積もっていました。私が住んでいる代石が雨でもここは雪になっていることが多い。上川谷では昨日から建築組合の人たち(?)が除雪機を持ち込んで民家周囲の雪を飛ばしています。すでに作業が終わった1軒と作業中の1軒の状況をよく見てきました。昨日、作業をしてもらったという人は、「家の周りが見えるようになってホッとしている。ありがたい」とのべていました。上川谷ではまた、市政レポートの最新号を全戸に配布してきました。


2006年01月16日

市議会全員協議会

 豪雪で被害が出ているのに議会としての動きが見えない、そんなことでいいのかという声があがっていましたが、きょうは豪雪対策1本にしぼった全員協議会がありました。市側から一通り説明があった後、約1時間質疑が行われました。全体として、与野党とも、市の対策に厳しい注文をつけるものでした。
 トップバッターは日本共産党市議団の杉本議員でした。「災害対策本部の名称が大雪なのはおかしい。災害対策基本法で使っている豪雪対策本部とすべきだ。大雪対策本部ではたいしたことがないという印象を受ける」との彼の指摘に、笠原市民生活部長は検討すると答えました。私の近くに座っている議員から、「こんなのは(検討するなんていっていないで)即断すべきだ」という私語が出ていました。当然のことです。
 与党会派政和クラブの永島議員は、市が要援護世帯などに配布した除雪支援に関する文書について、「分かりにくい、現場で苦情が出ている」と厳しい発言をしました。市政会議の矢野議員は、昨年12月下旬の段階で安塚区は災害救助法の適用基準を超えた積雪量となっていたとして、救助法適用の遅れを問題にしました。私も救助法適用をめぐる問題や空き家対策で注文を出しました。平成の大合併によって住民の災害救助が後退したと言われないように、本当は、もっと早くから国県は動くべきでした。
 杉本議員は、高田の一斉雪下ろしなどの費用に関しても救助法で手当すべきだ、と主張しました。また、集落内の個人や企業などが所有する機械を借り上げ、集落全体の除排雪をすすめ、集落機能を維持していく必要があると提案しました。現場を見て、住民要望を聞いての発言には説得力があります。


2006年01月15日

いくつになっても頑張ろう

 きょうは各地で小正月行事が行われました。吉川区ではサイの神などが下町、天林寺、代石、川谷などで取り組まれました。このうち、旧川谷小中学校のグランド、体育館で行われた川谷冬祭りと代石のサイの神に参加しました。
 川谷の冬祭りは川谷地区をあげた取り組みです。餅つき、サイの神、雪上ゲームなどを盛り込んだ楽しい行事で、地区外からは法政大学や柿崎区などからも参加者があります。きょうは木浦市長も夫婦で参加してくれました。
 昨年6月の水害で下川谷と上川谷の県道が交通不能となり、地区が分断された状態が続いていましたが、きょうは4つの集落みんなが久しぶりに集まりました。上川谷の人たちもマイクロバスに乗って大島、浦川原区経由で参加し、あちこちで、「おまさん、元気だったかね」などと声を掛け合う姿がありました。
 体育館の中での餅つきと交流会では、市長と私が挨拶した後、角張旧吉川町長が乾杯の音頭をとり、賑やかな宴が開幕。酒を酌み交わし、楽しいひと時を過ごすことができました。餅つきは川谷名物3人づきです。杵と臼を使って3人でつく餅つきは初めて見ました。3人が順番にトントントンとつく、とてもタイミングを取るのが難しそうですが、上手でしたね。こうしてついた餅はとても美味しい。それに、一緒に出された漬物やワラビ、大根などを使った郷土料理も最高でした。
 川谷のサイの神は地区の人たちが昨日から準備して作り上げました。高さは約15メートル、これだけの規模のものは全国でもめったにないでしょう。ワラを巻き終わった段階で、松浦隆司さんがハシゴをかけて登り、障子紙に書いた長い垂れ幕をくくりつけました。そこに書いてある文字は、「いくつになっても頑張ろう」、高齢化がどんどん進むなかでも伝統行事を守ろうという心意気が伝わってきました。天気が良かったこともあって、きょうはゆっくりといい燃え方をしていました。初参加の市長は「親雪、遊雪も大事。毎年、川谷冬祭りに来ます」と言っていましたが、これからもずっと続けてほしい行事です。
 午後3時からは、私の地元、代石集落のサイの神でした。こちらも大いに盛り上がりました。ここでも酒を飲み、公民館での反省会ではこっくりをするほどでした。また、飲みすぎちゃったかな。
 3日前に掲載した私の好きな風景、「下川谷から見た尾神岳」の写真、きょうのサイの神の時のものと入れ替えました。ご覧ください。


2006年01月14日

日中は雨

 気温が上がり、きょうは朝からずっと雨が降り続いていました。午前は「しんぶん赤旗」日刊紙、日曜版の配達をした後、党頸城支部の会合に出席してきました。ぜいたくな言い方かもしれませんが、雨の中の配達は気をつかいます。私が履いている雪道用の長靴はどうも水を通すようで、靴下はすっかり濡れてしまいました。きょうの雨で10センチから20センチ積雪が少なくなったのではないでしょうか。
 夕方、中越地方の消防団が急遽、除雪の応援にやってくるとの情報が入ってきました。ありがたいことです。ここ数日、小康状態が続いているので、この際、これからの降雪を予想して、できるだけ除排雪しておくといいかも知れません。情報では明日、45人ほどの団員の皆さんが大賀集落に入るとのことです。
 新潟県党の豪雪対策本部から連絡が入りました。新潟県危機管理防災課との協議で次のことが明確になったといいます。住民や集落が持っている重機や除雪機などの借上げ料、オペレーターの人件費は、災害救助法に基づく作業のためのものならば出る。「要援護世帯に限らず、一人暮らしの女性など、自力での除排雪作業が困難な住民にも支援を拡大」することについては、「基準を原則としているが、柔軟な対応もする」。救助法の対象の拡大については、市町村が説明できるかどうかにかかっているということでした。また、一歩前進しました。


2006年01月13日

救助法適用で新たな展開

 災害救助法適用をめぐって、また新たな動きがありました。空き家に降り積もった雪の除排雪によって、隣家や道路に対する障害を防ぐケースについては、災害救助法の事務とみなせる。ただし、空き家の所有者の了解を得ることが必要。……こういう情報が五十嵐新潟県議から伝わってきました。この内容は16日に関係市町村の担当者を集めて、県が説明するとのことです。災害救助法適用問題では8日、新潟県が定めた運用基準の積雪数値に達していないなかで上越市への適用が決まったことに続く新たな展開となりました。
 きょうは午前に吉川区総合事務所職員の葬儀に参加してきました。亡くなったKさんはまだ49歳、1年4ヶ月の闘病生活をされていました。頭の回転の良い人だったので、これから頑張ってほしい人の1人でしたが、残念です。ここ数年、畑仕事に熱心で、わが家の牛舎の近くの畑に早朝からやってきて、畑の管理をしていました。母とは気があったらしく、よく2人で話をしていました。昨日、母にKさんの死を伝えたらびっくりしていました。若い人の死はつらいものがあります。
 葬儀から戻ってから、市政レポートの作成作業をやり、「しんぶん赤旗」日曜版の配達に出ました。裏面ももう少しで出来上がります。一般紙に折り込む段階では、間に合うでしょう。


2006年01月12日

市議団ニュース号外作成

 わが家の灯油が無くなりそうだというので、午前の3時間くらいかけて除雪に精を出しました。灯油を持ってくる車は2トントラックなので、幅を十分確保しなければなりません。除雪機の運転は、わが家では私と長男ができるだけです。きょうは私がやることになりました。積もった雪はとても重かったですね。あまり遠くには飛びませんでした。
 きょうは市議団ニュースの号外を作ることになっていました。この号外は、災害救助法の適用を受けたなかで、市民の切実な要望を集めるのが目的です。お昼には市役所に到着、杉本、樋口両議員とレイアウト、文面の検討を2時間近くかけてやりました。内容は、これまで市役所に届けてきた住民要求を紹介し、議員団に要望をお寄せくださいというものにしました。
 ビラは集団的な検討をした時の方がいいものができます。長い文章は避け、写真と短文だけのシンプルなものにしました。樋口議員がこのビラを日本共産党の県豪雪対策本部に送信したら、いいビラだということで、県内の議員のところにファックス送信されました。
 市役所からの帰りに、生活相談をうけ、現地調査をしてきました。また総合事務所に寄り、いくつかの打合せをしてきました。きょうは、午前に新聞を読むゆとりがなく、夕方になって、やっと読めました。「しんぶん赤旗」日刊紙は党大会初日の様子を伝えています。豪雪になっていなければ参加することになっていただけに、大会記事は隅から隅まで読みました。
 久しぶりに、「私の好きな風景」の更新をしました。今回は「下川谷から見た尾神岳」です。この間、川谷地区の全戸を訪問した際、撮ったものです。めずらしく晴れていたので、いいチャンスに恵まれました。上川谷はきょう、3メートル70センチを記録しました。これで19年ぶりの豪雪となった昨年の記録を上回りました。まだ、1月の中旬です。この先、どうなるか心配です。


2006年01月11日

再度、市長への申入れ

 8、9、10日の調査、そして昨日の豪雪対策会議をふまえて、市長に対する申入れを行いました。対策に役立つことが分かれば、間髪をいれず、何回でも提案・申入れを行う、そういう立場が大事だと思います。今回の申入れは防災安全課長をつうじて文書で行いました。市役所の中でいま、もっとも忙しい人のひとりですので、手短にと思ったのですが、時間をかけ、丁寧に対応してもらいました。
 今回の申入れ書の中には、新たな提案がいくつも含まれています。例えば、空き家であっても現住者がいる隣家や通行人などに危険を及ぼす可能性があるものは、災害救助法の対象に拾い上げていく。集落機能を維持していくために、集落内すべての家の除雪をどうしていくかという観点を持ち込み、過疎を防ぐ。まだ研究課題も残ってはいますが、こうしたことをやっていかないと市民の安全は守れないし、いまの場所で生活していけません。
 午後からは今年初めての市議団ニュースを作成しました。2週間ほどビラづくりをしてこなかったら、おもしろいもので、レイアウトひとつとってもなかなか進まないので、苦労しました。議員団では各自がデジカメを持っていますが、それぞれが持っている豪雪調査などの写真を出しあえば、もっといいチラシになるのですが、今回はその余裕がありませんでした。


2006年01月10日

豪雪対策会議

 妙高市、上越市がともに災害救助法を適用されたことを受けて、急遽、日本共産党上越地区の豪雪対策会議が開かれました。本格的な降雪はこれから。天気はいま落着いていますが、いまのうちに次の降雪に備えて屋根や民家周囲などの除排雪を徹底してやることが重要です。両市の全議員、元議員が集まって対策を協議しました。救助の対象を狭めることなく、住民の切実な要求を的確につかみ、法適用の条件を生かそうと意見は一致。きょう、明日、住民の中に入り、行政に働きかけを行う予定です。
 私は上川谷、下川谷、石谷、名木山で各戸訪問してつかんだ住民の声、除雪の状況などを説明しました。このなかで下川谷、石谷の両集落で空き家を含めて機械除雪がされている現状を話しましたら、市議団の他のメンバーがぜひ視察したいというので、午後から、要援護世帯で除雪支援の対象となっている1人暮らしの家の除雪、除雪支援の対象となっていない老人夫婦の家の除雪状況を見て、懇談してきました。
 きょうはうれしいことが1つありました。昨年、私よりも1週間早い合併市議増員選挙において、定数1で勝利した長崎市香焼町選挙区の津村国弘市議と市役所で偶然出会ったのです。党大会か何かで、ぜひ会ってみたいと思っていた人でした。きょうは、上越市の地域協議会の取り組みについて視察に来たということでした。貫禄十分、住民のために働いている議員としての、落着いたしゃべり方が印象に残りました。


2006年01月09日

中郷区、板倉区を視察

 すばらしい天気になりました。真っ青の空が魅力的でした。きょうは午前中に、名木山、石谷、下川谷の家々を訪問し市政レポートを配布してきました。「元気でいたかね」「風邪ひかんかったかね」と声をかけながらの活動は、昨日もそうでしたが気持ちの良いものです。下川谷では夏場に住んでいた人たちのうち、何人もが平場に出ていて会えないのが残念でした。たまたま家に戻っていた「おやけのばちゃ」が「橋爪さん、おまんのレポート、こんだ、柿崎に持って来てくんない」と言われた時はうれしかったけれども、さみしくもありました。
 午後からは、党市議団で中郷区、板倉区の豪雪被害状況を視察してきました。ふたつの区とも海岸部の直江津地区や柿崎区、大潟区から消防団員が大勢、屋根雪の除雪の応援に入っていました。水害の時には三和区の団員が吉川区の応援に入ってもらいましたが、こういう活動はうれしくなりますね。中郷区の岡沢、板倉区の猿供養寺、6日に視察した清里区の青柳同様、すごい積雪でした。きょうも、杉本議員運転の乗用車に乗せてもらいましたが、圧雪のある下り道は怖かったです。
 昨日の夜、上越市にも災害救助法が適用されました。期間は10日間です。朝早く、市役所職員から連絡をもらいホッとしました。私たちの活動もいくらか役に立ったようです。災害救助法が適用されたことで、ひとつの決断を迫られました。定数1の選挙区からでている議員として、党大会出席のための5日間も空けていいのかという問題です。地区委員長に電話し、県委員長と相談してほしいと要請しました。私としては1日だけ出席して、市議増員選挙のお礼と報告をし、帰ってこれればありがたいと思いましたが、最終的には代議員を地区副委員長と代わってもらうことになりました。


2006年01月08日

上川谷で各戸訪問

 連休2日目。きょうは後援会事務局長さんと一緒に上川谷へ市政レポート配布に出かけてきました。私が上川谷へ行くのは今年3回目になります。これまで2回と違って、今回は安否確認をかねて、各戸を訪問してきました。現地では、約1時間半対話をして悩み、心配などを聞いてきました。ゆっくりと対話をすれば、それだけいろんなことが見えてきます。きょうの訪問で、冬期保安要員をされている方が連日の除雪で疲れていること、要援護世帯除雪費助成の仕組みが良くわからない人がいることなどが分かりました。きょうは総合事務所からも所長ともう1人の職員が訪問しましたので、情報を交換しながら、対応しました。
 今朝の新潟日報には社会面で上川谷のことが大きくとりあげられました。集落、行政などが一丸となって雪と闘っている様子がよく伝えられていました。保安要員をやっているMさんに、でっかく載っていたね、と言ったら、まだ読んでいないとのことでした。じつは、昨日から連休に入っているために、いつも郵送されている新聞は配達されていなかったのです。きょうの新聞は10日にならないと配達されないということでした。それで、総合事務所に頼み、町内会長さん宅へファックスしてもらい届けました。こうしたことも、きょう訪ねたからこそ分かったことでした。
 きょう、上川谷は3メートル11センチになりました。この冬、最高の積雪です。原之町でも1メートルを超えています。まだ1月の上旬、これから2ヶ月の間にどれだけ積もるのか不安が広がってきています。夜7時過ぎに総合事務所から帰宅しましたが、道路は凍りつき、危険な状態になっています。あと1日くらいで寒波が去り、そのままずっと穏やかであってくれればありがたいのですが。


2006年01月07日

豪雪対策で申入れ

 寒波がやってきている時はどんな雪の降り方になるのか、きょう午前中の降雪は改めて教えてくれました。さらさらとした雪が降り続き、短時間のうちに道路が雪に埋まりました。もちろん、除雪車も間に合いません。市役所に向かった時には軽トラでラッセルしながら走りました。4駆の自動車ならでは走りです。国道に出たら除雪は進んでいましたが、やはり圧雪が残ります。スリップしないようにと気をつかいながら運転しました。
 さて、きょうの午前は市政レポート(吉川版)新年号の裏面を作成し印刷、明日の一般紙に折り込んでもらうように手配しました。午後からは豪雪対策で市に申入れをしました。申入れの中心的な内容は、災害救助条例、救助法適用問題です。合併前の町村であれば、適用されているか、その一歩手前なのに、合併して大上越市になったらなかなか適用されない。こうしたことが起きないように基準の見直し、または弾力的な運用を国県に働きかけてほしいと訴えました。応対した笠原市民生活部長は、「われわれも不満を持っている。市長も働きかけを考えている」と答えました。当然のことです。
 帰りは吉川区総合事務所に寄ってから家に戻りました。現地対策本部を設置しているので、この連休中も、職員数名が出勤し、豪雪対策を進める段取りがしてありました。私の方も連休関係ナシで行動したいと思います。
 ところで、総合事務所で面白いことに気が付きました。9日が何で休日なのか、知らない人が多そうだということです。そこにいたグループ長も私も知りませんでした。じつは、地元集落のサイの神が15日に決まったので、「今年は成人の日もサイの神も前と同じように15日で良かったね」などと話していたのです。伝統的な小正月行事を守る方向に再び動いた、そう思い込んでいただけに、がっかりしてしまいました。


2006年01月06日

牧、清里の豪雪地を視察

 きょうは議員団で牧、清里両区の山間部を視察しました。2つの区は大島、安塚、板倉の各区と同じく、積雪が3メートルを超えた地域をかかえています。昨年の春先にも訪ね、残雪の多さにびっくりしたことがありましたが、本格的な降雪期に訪問したのは議員団としては初めてです。
 今回の視察で一番時間をかけたのは清里区の青柳集落です。ここは旧青柳分校前の積雪が今朝3メートル86センチを記録したところです。集落内では6、7人の人たちが屋根に上がって雪下ろしをしていました。そのうちのひとり、Aさんは、スノーダンプで除雪しながら、「もう1回降ったら、捨て場が無くてどうしようもなくなる。合併したなかでいい対応している地域もあるだろうから、そういうのを教えてもらいたい」と切々と訴えていました。写真は旧青柳分校から集落を撮ったもの、2人の人間は杉本、樋口議員です。
 視察の途中、党県委員会から電話があり、「合併したことによって災害対策の基礎になる基準データが平均化され、これまでの町村だったら、災害救助法、県条例の適用がされるはずなのに、そうなっていない。そのことを意識して調査してほしい」と要請されました。議員団でも今朝の新聞報道で、大雪となっている上越市が県条例の適用を受けていないことを重視していました。海も山も大地もある上越市で、山間豪雪地帯がこれまでより対策が後退するとなれば大きな問題です。
 議員団では午後から調査結果や市の災害対策本部のデータなどもみせてもらい、今後の対応について検討しました。その結果、明日は休日ですが、市の災害対策本部に要請行動をすることになりました。


2006年01月05日

雪害対策本部設置

 年末、年始と雪はたいしたことがなく安心していたのに、ここに来て、またしつこい降雪が始まっています。きょうは午前中、市役所の都市整備部長などと上川谷にいたる県道上越安塚柏崎線の除雪状況、上川谷集落内の市道の状況などを視察してきました。集落内については、町内会長さんと2人の冬期保安要員さんから案内役を務めてもらいました。積雪は2メートル80センチを超えていたものの、道路の除雪はよくやってありました。除雪業者は、きょうはユンボなどを使い、雪の壁くずし、雪ぴ落としなどを行い、無雪道路を維持しようと懸命です。
 帰りの大島区総合事務所に立ち寄り、区内の降雪状況を聞いてきました。同区の菖蒲で3メートル70センチを超え、山間部は厳戒態勢に入らないといけないレベルまできているということでした。このまま降り続けた場合、除雪できない道も出てくるのではないか、その時、駐車場などをどう確保するか、などが話題になりました。安塚、牧、清里、板倉などの区の山間部の降雪も記録的な降り方になってきて、56、60豪雪なみの降雪が予想されるようになってきました。
 こうしたなか、市は大雪災害対策本部及び現地対策本部を夕方、設置しました。それぞれ、市長、総合事務所長が対策本部長です。すでに上越市では、死者、けが人、家屋の屋根の陥没などに被害も出てきています。きょうは大島区田麦などでも民家周囲の除雪状況を見てきましたが、道路の確保、屋根雪処理、民家周囲の雪処理、お年寄りなどの健康チェックなど総合的な対策が必要です。党市議団では明日午前、牧、清里、板倉区の山間部を視察することにしました。できるだけ住民の声も聞いてきたいと思います。


2006年01月04日

賀詞交換会

 役所は仕事始めの日です。朝8時半に家を出発、吉川区総合事務所、診療所、在宅介護支援センターなどで新年の挨拶をした後、生活相談を1件受け、合併前上越市へ行きました。
 11時からの上越市賀詞交換会には初めて参加しました。会場はリージョンプラザのアイスリンク、市内の各界、各層から2000人ほどが集いました。市長が行った年頭の挨拶は15分を超える長い演説でした。夢ある“新しい上越市”の実現に向けて、地域経営の視点に立ち、市民の皆様とともに協働してまちづくりを進めてまいりたい。市長は、「安全・安心まちづくり条例」や福岡市、台湾などでのトップセールス、北陸新幹線、上越魚沼地域振興快速道路などの基幹的なインフラ整備などについて語りました。市長選後初の議会となった12月定例会では、本格的な所信表明は3月定例会でやるということでした。しかし、きょうの挨拶の中身は正に所信表明そのものでした。これだけ踏み込んだことを言うなら、12月議会でやるべきだったと思います。
 会場では、何人ものなつかしい人と再会しました。そのひとりはYさん、吉川町時代に社会教育の仕事でお世話になった方です。区内の女性グループの方から「Y先生、近くに来ておられるんですよ」と聞いていましたが、きょう、お会いできるとは思いませんでした。合併協議会委員だった人たちとも再会できました。「いやー、頑張っているね」などと声をかけてくださる方、握手を求めてくる人など何人もあって、うれしかったですね。
 上越市賀詞交換会は約1時間で終了。その後は昼食をとり、党議員団3人で市役所本庁職員にたいして新年の挨拶回りをしました。この挨拶回りの際、小林教育長と懇談して驚いたのは、私がお世話になった教育関係者のことをよく知っておられることでした。佐渡市のHさん、Tさん、柏崎市のTさん、県教委のKさんなど、なつかしく思い出しました。きょうは、この他、吉川区内で商工会の新年会、総合事務所幹部の人たちの新年会と連続して参加しました。ビールをたっぷりいただいたので、2、3日休肝日にしないとまた太りそうです。


2006年01月03日

吹雪の中で街宣

 すごい天気になってきました。また寒波です。昨日降った雪が比較的重かったことから、吹き溜まりは大きくはなっていなかったものの、道路状況は悪かったですね。時折、強烈な吹雪がやってきて視界がゼロになる、そんななかで市議団事務局長の上野さんと一緒に街宣をやりました。約3時間かけて、頸城区、大潟区、柿崎区、吉川区をまわりました。
 午後からは、海外に出かけているMさんの代わりに「しんぶん赤旗」日曜版の新年号の配達でした。一軒一軒、新年の挨拶をしながら配達をしたので、結構時間がかかりました。でも、「こんがに吹雪いているがに、ご苦労さん」などと声をかけてもらうと元気が出てきます。最後に配達した家ではお茶をご馳走になりました。合併前の上越市選出の市議が、私をどう評価しているかなど、いろんな情報が聞けて参考になりました。
 夜は滝沢馬琴原作のテレビドラマ・里見八犬伝の後編を家族みんなで楽しみました。菅野美穂さんの演技はいつ観てもすごいと思います。好演でした。


2006年01月02日

新年初の街頭宣伝

 きょうは、市議団として新年最初の街頭宣伝をやりました。午前9時に、頸城区の上野議員団事務局長の家に集合して、志位委員長の年頭の挨拶を読み合わせた後、街頭に出ました。三和区、板倉区、牧区、安塚区、浦川原区、合併前上越市などを回りました。訴えた内容は、昨年の総選挙で勝利した小泉政権が憲法改悪、増税などの悪政を次々と推し進めていること、それに対抗していくために日本共産党とともに頑張ってほしいこと、そして合併して2年目に入るなかでの、市民の命と暮らしを守っていく決意などです。
 議員団は事務局長を入れて4人です。それぞれ、演説には個性がありますし、宣伝カーの中でも面白い。後ろの座席には冷たい風が流れ込んでくるので、毛布を持ち込みましたが、それでも寒く、樋口議員は「よし!」とか「そうだ!」などと気合を入れてアナウンサーをこなしていました。上野事務局長や私はジョークを飛ばします。杉本議員団長はそれらを聞いて、ただニコニコ笑っているだけ、こんな車内風景を維持しながら夕方まで頑張りました。
 私が演説したのは板倉区と吉川区上川谷の2ヶ所でした。このうち、上川谷では雨が降る中、力を込めて新年の挨拶をしました。昨年の6月の災害以来の出来事を振り返りながら、住民の皆さんと一緒になって頑張る決意を述べさせていただきました。演説をする前、道のそばのTさんの家を訪れました。東京在住の若いお母さんが出てこられ、「橋爪さんですか。HPを見せていただいています。いつも情報、ありがとうございます」と言われてビックリしました。遠く離れた故郷のことを知るために私の拙いHPを当てにしていてくださる方がある。とてもうれしく思いました。
 今回の街頭宣伝ではお昼休みに大島区の大山温泉あさひ荘に寄り、ゆっくりと風呂に入り、食事を楽しみました。部屋を借り、食事の後は横になり箱根駅伝の最後の30分をテレビで観ました。4人とも大満足でした。なかでも樋口議員は、「こんなにいい気分になれるなんて最高……。こんな新春街頭宣伝なら毎年やりたい」などと話をしていました。もちろん来年もやりますが、お昼休みは温泉につかって…というのはお決まりのコースになるかも知れません。


2006年01月01日

新年おめでとうございます

 新しい年が始まりました。今年もどうかよろしくお願いします。さて、きょうの天候は晴れ。穏やかな元旦を迎えることができて安心しています。「しんぶん赤旗」日刊紙を配達した後、地元の新年会に顔を出し、挨拶をかわしました。チクワ2本とみかん2個でお酒を飲んで約1時間、結構酔いがまわりました。
 元旦の大仕事は、酔いがまわっている中で年賀状を見て、出していない人のところへ書くことです。今回はいつもより多く、50枚近く書きました。かなり賀状を出す人が広がりました。きょう届いた年賀状の中には、昨年、上川谷から柏崎市へ転居したSさんからのものがありました。Sさんからは初めていただいた年賀状です。行間からは、「自分が長年住んでいたところの人たちを応援してやってくれ」という言葉を感じました。
 午後からは妻の実家へ出かけ、新年の挨拶をしてきました。毎年15日前後に行くのですが、昨年、今年と2年連続で元日訪問となりました。今後の日程を考えると、きょうしかなかったのです。手づくりのお寿司や煮物などをご馳走になりながら、親戚のみなさんの動きや家族の健康状態などを出し合い、楽しいひと時を過ごしてきました。いただいた食べものの中で一番美味しかったのは、おかゆでした。こういうあっさりしたものが美味しく感じられるのは年のせいでしょうか。
 トップページの写真入れ替えました。今年は吉川区泉谷から見た尾神岳を定点からお伝えします。手前に大きな田んぼが広がっているので、季節の変化をよくお伝えできるかと思います。


2006年01月投稿分

2006年01月に投稿された全てです。

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