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2007年08月投稿分

2007年08月31日

季節の変わり目か

 8月もきょうで終わり。きょうの日中は雨が何度も降り、肌寒さを感じました。それでいながら、雨が上がるとミンミンゼミが鳴く。夏から秋へと変わろうとしているんですね。こういうのを季節の変わり目というのでしょうか。夜もずいぶん涼しくなりました。このつぎにクーラーのスイッチを入れるのは、来年になるのかも知れません。窓の外では虫たちが鳴いています。

 きょうは「しんぶん赤旗」日曜版の配達でフル回転でした。左手親指を固定しているものですから、「どうしなったね」と声をかけられます。皆さんから、「早く治してくんない」「体に気をつけて」と何回言われたことか。このように心配してもらえるのはとてもうれしく思います。

 明日、明後日と自治体学校(横浜市で開催)で勉強してきます。地方制度改革、議会改革など、いまのうちにしっかり学んでおきたいのです。知っている研究者、議員仲間と再会できるのも楽しみです。パソコンを持って行きませんので、この日記は休みます。

 市政レポート1310号アップしました。ご笑覧ください。


2007年08月30日

まだまだ安心できない

 「しんぶん赤旗」日刊紙を配達中のこと、河沢町内会の公民館のところにたくさんの人たちがいるので、何事かとビックリしました。聞くと、午前3時頃、地すべりセンサーが反応して3世帯の住民が公民館に避難したということでした。3世帯は地震の際、裏山に地割れができて避難したという経過があります。調査の結果、今回は木の枝が折れてセンサーにあたり反応したもので、地割れが広がったり、滑ったりしたものではないということでした。まあ、良かったです。でも、雨でも降れば何が起こるか分からない、まだまだ安心できないよ、というシグナルだったように思います。

 きょうは午前に柿崎区の屋内水泳プールを党議員団で視察してきました。子どもが小学生の頃、何回も利用させてもらった施設ですが、ほとんど変わっていませんでした。プールサイドの監視台はプールサイドではあっても事務室の窓際にくっついていました。高さは約1.7メートル。異常を発見した時、事務室にいた監視員がプールに飛び込んだのもわかる気がしました。事務室からもプール内は9割方見えることもわかりました。プールは誰も泳いでいない時と泳いでいる人がいるかで、そして大勢が泳いでいるかどうかで水面も底もずいぶん違って見えます。浮き輪があったり、ビーチボールがあったりするだけでも異常が発見しにくくなることがよく理解できました。死角を極力少なくすることに意識的に取り組む必要があると思いました。

 プールの視察後、吉川診療所へ行ってきました。じつは25日、法政大学の学生やOBでつくる人間環境ネット21の皆さんとお酒を飲んでとても楽しいひと時を過ごしたのですが、その際、ちょっとしたミスで左手親指を痛めてしまいました。なかなか痛みがとれないので診てもらったところ、短母指伸筋(たんぼししんきん)が切れた可能性があるということでした。極めてめずらしい怪我だそうです。1週間後に再診し、良くなりそうもないということになると入院して手術する必要ありとの医師の判断でした。うまくいって全治6週間といいます。ちょうど9月議会の真最中、困ったことになりました。


2007年08月29日

終日、市役所で仕事

 朝から夕方まで市役所でした。議員団の勉強会というか、意見交換会では、佐渡汽船小木直江津航路問題、震災対策などでどう主張していくか、議論しました。昨日の県党議員会議で学習した問題もあります。テーマがいくつもあり、明日も続けることになりました。

 震災復興に向け意見書をどうするかは9月議会の課題です。中越地方の自治体議会用として作成された案を元に検討してみました。柿崎区選出の議員からも出したいとの声があり、そこでも案文が出てくるものと思われます。意見書の具体的な要望内容はほぼ同じですので、早期に採択できればいいなと思います。

 きょうは新潟自治体研究所の福島さんが上越市にやってこられ、上越市の「高齢化が進んだ集落調査」について担当部長の話を聞きたいということで、私もご一緒しました。10月に発刊する『山里再生』(自治体研究社)の原稿を書くための準備の一環です。ふたりの話は上越市の調査だけでなく、長岡市の山古志の再生にまで及び、とてもためになりました。山間部に住み続けるのはそこに愛着があり、誇り、楽しみがあるからではないか。人間としての生き方にふれた2人の対話はそれだけでも本にしたくなる内容でした。


2007年08月28日

県党議員会議

 定例議会前にほぼ毎回ある新潟県党議員会議。今回は上越市議団全員で参加して来ました。後期高齢者医療制度の学習では、同制度の基本的なことを学びました。重い負担、75歳を過ぎてからの健診体制の変化など改めて大変な問題だと思いました。中越沖地震の震災対策については竹島県議から報告を受けました。中越地震の時からの到達点が良く分かってとても参考になりました。それにしても、猛烈に忙しいなか、レジュメまで作成してコンパクトに話す、彼女のエネルギーがどこから出てくるのか。感心してしまいました。

 きょうの会議は新潟市です。信越線は不通ですので高速で行って来ました。上野公悦事務局長から車の運転をしてもらったので楽々させてもらいました。行きの車内での話題は昨日の文教経済常任委員協議会でした。「事故の経過、実際の姿がよくわからない説明だった。事実経過を全面的に明らかにしないなかでの議論でいいのか」「監視体制が万全であったとしても事故が起きないとは限らないと部長が発言した時は『えっ、何てこと言うのか』思った。議員はもっと怒らないといけない」などといった声が出ました。事故が起きたプールは、私も利用したことのあるプールですが、9月議会までに現場をよく見て、調査しておきたい。

 夕方6時からは、市役所にて、学校給食を考える会の会合がありました。調理部門を民間委託した城北中学校での調理の様子を見てきた人たちから、市教委の検証内容についていくつも疑問の声があがりました。給食が出来上がるまでの過程には、食器の扱いひとつとっても安全面で配慮が必要なこと、美味しさを左右する調理技術があることなどを教えてもらいました。きょうの会議で、会の今後の活動方向が見えてきました。9月議会の常任委員会ではやるべきことがたくさんあって、たいへんです。


2007年08月27日

9月議会を前にいくつも会議

 午前から4つの会議がありました。1つは文教経済常任委員協議会です。10日に柿崎区の屋内プールで発生した事故の経過報告です。監視員が3人いたにもかかわらず小学1年生がおぼれ、意識不明の重態が続いているこの事故、何よりも原因究明が重要です。プールの底に沈んでプールサイドまで引き上げられるまでどれくらい時間がかかったのか、監視員がいながら水におぼれる子どもがいたのは監視に死角があったのか。警察が調査中であるということがあってか、市教委の説明ではつっこんだものがなく、これでいいのかと思いました。

 午後からは自治基本条例特別委員会。市民会議側からの素案が示され、いよいよ大詰めです。お昼休みに資料が配布されたので、中身は流し読みしかできませんでしたが、市議会や議員についての規定、住民投票などの規定がどうなっているか気になりました。今後、各会派で意見をまとめ、10月3日の委員会で議論することになりました。前文、住民投票、改正手続きなどいくつか議論になりそうです。
 きょうは議会運営委員会もありました。9月議会は来月4日から再来月4日までです。そろりと議会モードに切替えないといけません。注目の総合計画関連議案は提出されませんでした。それでも総合計画は、中越沖地震に負けないくらい一般質問などでとり上げられるかも知れません。議員団会議で市長の提案理由の説明(事前配布)を読み合わせしましたが、合併して2年目の決算なのに合併にふれた言及がほとんど見られないのが奇異に感じられました。


2007年08月26日

セミから虫へ

 わが家の周りには林がありますので、ハルゼミからはじまってミンミンまでずっと楽しめます。きょうは、ミンミンゼミの鳴き声が賑やかな日でした。このミンミンもそろそろ終盤になってきました。数日前からは、夜になると虫たちの鳴き声が聞こえるようになってきました。セミから虫へ。昆虫たちの大合唱がはじまると、いよいよ、穫り入れのシーズンです。

 きょうは朝から、「しんぶん赤旗」の配達、市政レポート配布、生活相談、焼肉の集いと続きました。頸城区の焼肉の集いは相変わらず元気がいい。炭火で焼いた肉、タマネギ、秋刀魚、トウモロコシなどをたっぷりご馳走になりました。昨日と2日連続で飲んではいけないと自粛し、きょうはウーロン茶だけにしておきました。

 これなら夜はだいぶ原稿書きできるなと思っていたのですが、テレビで藤沢周平の「蝉しぐれ」をやっていたので、つい観てしまいました。人間の心の動きと蝉の鳴き声がマッチしていたように思います。最後の方のヒグラシのカナカナという鳴き声がなんともいえませんでしたね。


2007年08月25日

川谷地区運動会、今回も楽しく

 運動会はこんなにも楽しいものか。川谷地区の運動会に参加するたびにそう思います。きょうは午後3時から同地区の運動会でした。地元に住む人、平場へ出た人、法政大学の学生、同大学の人間環境ネットの人たち約80人が、協力して運動会を盛り上げ、大いに笑い、楽しみ、秋に向けて元気をつけました。

 ここの運動会は吉川区内でももっとも高齢化しているところでの運動会です。毎年、地元住民が年をとっていく中で、外部から来た学生など若い人たちが支えてくれるので、続けることができます。種目はダンボールの紙を使ったボードレース、ジュースやビールなどを早く飲み干し、ゴールする競争、瓶釣り競争、玉入れ、パン食い競争などです。この運動会は来賓も頻繁に出場しなければなりません。マスコミの人も最初は取材していますが、そのうち、完全に「選手」になります。

 私は開会式の挨拶で、「きょうの運動会で2キロやせたいと思います」とのべました。参加した種目は「早くいっぱいレース」、瓶釣り競争など3種目。この他、写真撮影でグランド内をたくさん歩きました。でもその後の反省会、さらに、それが終わってからは法政大学などが主催する結祭(ゆいさい)でがっちり飲んだので目標は達成できませんでした。結祭は地元商工会青年部の人たちが今年も応援参加してくれてとても賑やかでした。写真は結祭の時のものです。


2007年08月24日

地震後初の吉川区地域協議会

 父はいま、2つの医院にかかっています。内科と皮膚科です。いずれも、本人が直接医院に行くことはむずかしく、病状に変化が出た時だけ連れて行きます。それで、普段は誰かが薬をもらいに行かなければなりません。大概は長女がやってくれていますが、私もできるだけ手伝うようにしています。きょうは午前中に皮膚科の医院まで行き、薬をもらってきました。妙高市に近いところにある医院のため、受付待ちの時間を含め3時間ほどかかりました。わが家のように、こういうことを何とか自力でやっているところはいいにしても、手助けをする家族もいない人は大変だと思います。


 帰ってきてからは市政レポートを印刷し、「しんぶん赤旗」日曜版の配達に出ました。集金で言葉を交わすことができた人たちからは、「涼しくなったね。今朝はさぶくて毛布かけて寝た」など、季節の変化を感じさせる言葉が寄せられました。私はというと、毛布を足元まですっぽりかぶせて寝ました。

 夕方からは吉川区地域協議会の傍聴です。このところ、他の会議などと重なって、なかなか傍聴できませんでしたので、久しぶりでした。地震被害については、個人情報保護法の関係もあって、どこが全壊扱いとなったのか、どこが半壊だったのかなどの、はっきりした情報は伝わってきませんでしたが、きょうの会議では町内会ごとの被害家屋集計表が提出されました。住宅の全壊は川崎と泉谷で各1、半壊は、上川谷、土尻、泉谷(2)、小苗代、東鳥越、原之町(5)、大乗寺(2)となっていました。総合事務所などからの被害報告の後、各委員からは「石綿管の更新の速度をもっと早められないか」などと水道関係に質問が集中して出ました。

 石綿管の使用は県内の合併前の自治体ごとでは吉川町がトップクラスでした。石綿管の問題が浮上してから塩ビ管に更新する作業が進んでいますが、合併後の上越市内では総延長で136キロメートルも残っていました。このうち58.9キロメートルは吉川区内です。ガス水道局が示した更新計画は総事業費で72億円、このうち吉川区は31億円で、更新終了は2018年(平成30年)となっています。


2007年08月23日

神主さんが異例の「報告」

 雨の力って、すごいですね。こんなにも大地を冷やしてくれるんですから。昨日の午後に降った雨のおかげで、きょうはじつにさわやかな天気になりました。気温も30度を下回ったのではないでしょうか。8月23日は「土底のなんとか」とか言って、必ずといってもよいほど雨が降るのですが、きょうは一粒も落ちてきませんでした。

 きょうは地元の代石神社の祭りでした。儀式が終わって、公民館で懇親会をやったのですが、その際、神主さんが異例の「報告」をされました。中越沖地震における神社の被害についてです。園田神社の管内(と言ってよいのかな)の60の神社を独自に調査をされた結果、被害がなかったのはわずか3つだけ。柿崎区の上下浜、十字、それと大島区の板山だというお話でした。一番ひどかったのは柏崎市の青海川だとも。板山では住宅の一部損壊被害が出ていましたので、これは意外でした。この神主さんは、政治に関心が高く、神社被害に対する助成もあるとか、防災大臣が来たといった話もされて帰りました。

 懇親会でビールをたくさんいただいたおかげで、家に帰ってからはぐっすり眠りました。クーラーをいつもと同じ温度設定にしておいたら、寒くなりました。目がさめてからは市政レポートの原稿書きなどをやりました。車に乗れないときは、ゆっくりできますね。


2007年08月22日

満田先生のインタビュー記事に感動

 平和と民主・社会進歩をめざす新潟県の会(略称、県革新懇)の機関紙最新号が送られてきました。封を切った途端、懐かしい満田先生の顔写真が目に入り、うれしくなりました。満田先生とは、元吉川高校醸造科教員の満田誠二さんのことです。吉川区住民にとっては醸造科の先生として、また被爆体験を語る先生として忘れることのできない方です。私は先生が退職されてから一度、ご自宅にお邪魔して話をうかがったことがありますが、とてもおだやかで親しみの持てる方という印象を持ちました。県革新懇の機関紙では先生へのインタビューが2ページにわたって掲載されていましたので、じっくりと読ませてもらいました。


 満田先生はハワイ生まれ。開戦間近に、お父さんの故郷である広島に。県庁勤めのお父さんと三番目のお姉さんは原爆の直撃を受け亡くなりました。お父さんの亡骸はなく、碑文に名前が刻まれているだけだそうです。ご自身は、疎開先にいたため直撃を免れましたが、爆撃直後から広島市内に入ったため放射能を浴びました。四番目のお姉さんは捜しはじめて3日後に見つけ、背負って家に連れ帰りました。ある時、明らかに苦しみもだえて死んだと思われる遺体のポケットに入っていた木の認識票に級友の名前を発見、その瞬間の気持ちはいまでも忘れることができないと言います。

 満田先生の教師生活の原点は被爆体験。教師になって、自分の体験と思いを伝える決心をされます。戦後、大学教授の薦めで新潟県へ。吉川高校では、ガリ版の手づくり教科書で酒造りを教えたことで有名です。被爆体験も語ることから「原爆先生」とも言われてきました。満田先生は、人間はつらいことを忘れる必要もあるが、忘れてよいことと忘れてはならないことがあると、退職後も被爆体験を語り続けてきました。憲法9条は戦争と原爆の犠牲のうえに立った国民の決意、平和の砦であり宝物だとして、インタビューの最後に語った言葉は、「9条を守り、核廃絶をめざすため、微力を尽くしたい」でした。


2007年08月21日

元気な山間集落

 きょうは、食料・農業・農村議員連盟の中山間地部会の視察でした。吉川区川谷地区では2年前の梅雨前線豪雨で崩落した土砂が県道を覆い、1年半にわたって交通止めとなった上川谷の現場を見てもらいました。マイクロバスから降りた人たちは、豪雨災害現場の復旧状況を見るのが目的でしたが、川の向こうの山々が地震で崩落している姿を見てびっくりした様子でした。

 一行はその後、大島区の藤尾、安塚区の細野集落を訪ね、集落の幹部の皆さんと懇談してきました。このうち藤尾は私の生まれた竹平のすぐそばの集落です。生産組合の布施正栄組合長さんなどから生産組合の活動状況を報告してもらいました。10人の組合員が水稲だけでなく、花苗やメロン栽培、さらには、みそ加工や漬物などでも頑張っているのには感心しました。小さな集落で生産組織がうまくいっているところはどこでも楽しくやっていますが、ここでも「ことあるごとに、うんめえもんを食べ、うんめえ酒を飲んでいる」とか。視察に行く時は、バス1台借り切って、町場に出た者からも参加してもらい、にぎやかに楽しくやっているそうです。印象に残ったのは、国の品目横断的経営安定政策にどうあてはめていくかよりも、いまのチームワークを大切に仲良くやることだという組合長さんの言葉でした。

 藤尾も細野も共通しているのは良きリーダーがいて、高齢者がとても元気だということです。藤尾では83歳の方がお連れ合いと一緒に1ha(1町歩)も耕していました。その下の年齢では70代の方々が頑張っています。細野では、寝たきりがひとりだけ。あとは全員、現役でバリバリ働いているとのことでした。いずれの集落の懇談会でも笑いがいっぱいでした。


2007年08月20日

市長にたいする評価が変わりつつある

 どうも木浦市政の歯車がうまく回らなくなってきた。このところ、そんな感じがしてなりません。これまで木浦市長を支えてきた議員の中にも、これじゃダメだと公然と言う人も出てきています。

 きっかけのひとつは議員定数問題です。合併協議では旧上越市と旧13町村の間でもめにもめて、新市になじむまで一定の期間が必要であることなどを理由に、定数特例を2回使うことで合意しました。市長はこの合意を守る最高責任者の立場にありますが、こともあろうに、自ら設置した諮問機関・行革市民会議の「議員定数については早急に地方自治法に定める38名以下にすべき」という建議をすんなりと受けとったのです。しかも、この建議を添付して議長に対して、「合併協議における経過もありますが、議会の判断にゆだねるべき事項であるため、議会においてよろしくお取り計らいください」とやったものですから、議員の怒りは沸騰しました。「合併協定を守る立場を忘れた行為だ」「二元代表制をとっているなかで、自分が口に出してはまずいことを自分の諮問機関に自由に言わせるとは何事だ」という声が相次いだのは当然です。

 こうしたなかで10日ときょう、2回にわたって総務常任委員会で第5次総合計画(改定版)についての議論が行われました。ここでは、合併協議の新市建設計画で確認された将来都市像(海に山に大地に なりわいと文化あふれる 共生都市上越)を同じ計画期間である総合計画においてなぜ別のものにする必要があるのか、ということに質問が集中しました。総合計画で打ち出そうとしている将来都市像は、「海に山に大地に 学びと出会いが織りなす 創造都市・上越」です。「合併後2年余が経過する中で、最初に打ち出した将来都市像がほぼ達成できたというならわかるが、そこまで行かないのにどうして変える必要があるのか」「創造都市の『創造』がいったい何を創造しようとしているのか、まったく想像できない」「みんな切ない思いで合併した。14市町村がこれまでの取り組みや歴史・文化を大切にして共に助け合っていこうと、『共生都市』に決めてきたのではなかったか。これでは、13区の市民は合併時よりも後退した印象を持つ」などという批判が続きました。


 きょうの議論を聞いていても、合併協定に対する市長の姿勢への不信があるなと感じました。総合計画が9月議会に上程されても、否決される可能性が高くなってきています。このまま突っ走るか、それとも立ち止まって再考するか。市長の決断が求められています。


2007年08月19日

取材と執筆

 ある出版社から山間部集落の暮らしについての原稿を依頼され、2ヶ月ほど前に原稿の骨子をほぼ確定しました。ところが、一行も書けないで、きょうに至っています。地震があり、いろいろな活動が重なっていたことが主な理由ですが、パソコンに向かってもいまひとつファイトが出てこなかったことも事実なのです。タイムリミットも迫り、改めて原稿の骨子を読んで、気付いたのは、これまでの骨子では地震について、まったくふれていないということでした。

 これで何かが吹っ切れて、にわかに執筆の意欲がわいてきました。不思議なものです。早速、現地に取材に出かけ、戻ってから原稿を書き始めました。まだ400字原稿で数枚ですが、書けました。書いているうちに、分からないことが出てきて、夕方、また取材に。「学者では書けない、地元に住んでいる者ならでは原稿を」そんな思いで、今週は書きまくりたい。


2007年08月18日

金雨

 吉川区では、昨日からきょうにかけて雨が降りました。場所によって、通り雨だったところ、ある程度まとまって降ったところと様々ですが、本当に久しぶりの雨でした。田んぼや畑だけでなく、生きとし生けるものみんな元気になった感じがします。特に田んぼは、五百万石やコシヒカリなどが穂を出し、水を欲しがっている時期でした。こういう時の雨を金雨(かなあめ)と言うんでしょうね。


 雨が降ったことによって、水溜りもできました。気になる水溜りは道路上のもの。地震後、へこんで直してもらったところも含め、あちこちで水溜りができ、へこみが目立ちました。雨が降ったことや水を通すことで地震の影響を改めて確認できます。きょうは、「しんぶん赤旗」日曜版の配達をするなかで、「水を入れたら、田んぼの中に地割れがしているのが見つかった」(尾神地内)「U字溝が予想以上にやられていた。漏水がひどく、水が回るまで普段の1、5倍はかかる」(小苗代地内)などの声が寄せられました。行政も、いまの時点で、「これまで報告したもの以外で被害は出ていませんか」と問いかけをする必要がありますね。

 今朝の新潟日報を読み、「えっ」と思ったことがあります。罹災証明書が柏崎市と刈羽村で発行されたという記事です。昨日の新潟日報ウェブ版では上越市などですでに随時発行されていると書いてあったのに、きょうの朝刊ではまったく触れていないのです。どういう編集方針なのか分かりませんが、これでは米山以南の被害に目は向けられません。書き方には注意してほしいものです。また、県内の被災自治体では罹災証明書の出し方、災害ごみ対策の中身などにかなり差があるようです。こうした点も調べて、書いてほしい。


2007年08月17日

災害ごみで電話やメールが

 朝、新聞を見て、びっくりしてしまいました。先日、党県委員会などのメンバーで視察した酒蔵が昨日、火災に遭ったと報道されていたからです。私たちが訪ねた時に、切々と訴えておられた皆さんたちは、どうしておられるか、心配になりました。やっと残った酒もどうなるのか。その思いは私だけでなく、一緒に行った竹島良子県議も同じでした。電話で彼女も、「また訪ねましょうて」。

 昨日、具合が悪くなった印刷機は午前中に修理してもらいました。印刷する紙を載せる台を上下させることができなくなって、トラブルが発生したことがわかりました。わが家の印刷機だけでなく、同じ機種を持っている他の人、団体のところでも同じトラブルが起きているらしく、修理は無料とのことでした。修理が終わった後、市政レポートを印刷しましたが、快適でした。故障した後は、機械が直って普通に動くだけでうれしくなります。


 きょうは、災害に遭った人たちのなかで、ごみ処理で困っている人からの電話やメールが相次ぎました。お盆も終わり、小屋などの解体で動き出したいと思っている人たちです。うれしかったのは、私どもが主張している「中越の柏崎市などのように、運搬、処分などは上越市が基本的に費用負担すること」を求め、上越市とそうした自治体との差を自力で調べて、市に働きかけている人もいることでした。13日の私たちの申入れでも、ふれているのですが、関係課がアクションを起こしたという情報はまだ聞こえてきません。被災者の切実な願いですので、被災者に心を寄せて速やかに解決してほしいですね。


2007年08月16日

恒例の尾神岳登山

中越沖地震から1ヶ月。会う人たちとの会話では、いまだに地震の話が中心です。きょうも、「パイプラインがやられているので、イネの水くれがたいへんだ」「土蔵の解体をする」などといった声が聞こえてきます。お盆期間中、尾神岳の中腹の吟田川泉水で岩魚の塩焼きなどをやっている柿崎区のKさんも明日から2日間、地元の町内会の土蔵解体の仕事だと言っていました。

 きょうは午前中、議員団ニュースの印刷、歯医者、そしてQ社のSさんからホームページ改善についてアドバイスをしてもらいました。困ったのは議員団ニュースの印刷でした。たいした枚数でもないのに、エラー表示が出て、1時間以上もかかってしまいました。とても、私の手におえないので、明日の午前、専門業者から来てもらうことに。ホームページはこのトップページを含め、徐々に改善していきます。すでに、このページは2ヶ所ほど改善されています。

 午後は中学時代の同級生と尾神岳登山です。登山といっても片道2キロ弱の山道ををゆっくり歩くだけ。普段のスタイルで登れます。地震の影響か、道は草刈りがしてなく、その分、歩きにくかったのですが、逆に、野の花が自然の状態で咲いていて、とても良かったです。クサボタン、ソバナ、シラヤマギクなどをたくさん写真に撮りました。赤いイチゴも食べ頃でした。お盆の尾神岳登山は恒例となっていますが、必ず発見があるのが魅力です。今回はサルナシに似たツルにブドウ状の実がついたものを見つけました。調べてみようと思います。オオムラサキとおぼしきチョウにも出会いました。とてもすばやく、チョウとしての堂々とした感じに圧倒されました。チョウで撮れたのはダイミョウセセリ(写真)だけでした。きょうは夕方に登ったこともあって、展望台からの景色もいつもとはちがった美しさがありました。満足です。


2007年08月15日

新潟明訓と甲府商の対戦を観戦

ようやく妻の実家へ。吉川区内の親戚などの挨拶回りも終わりに近づいたので、午後、柿崎区から小村峠を越えて柏崎へと向かいました。海岸の国道が混んでいるかもしれないということもありますが、何よりもこのルートの楽しみは野の花です。妻と子どもも2人一緒でしたが、車をゆっくり走らせ、花を探しました。昨年、ここで見つけたライトブルーのシャジンは残念ながら見つかりませんでした。その代わり、ツリガネニンジン、ジャコウソウが見ごろを迎えていました。「この時期にお父さんが一番好きな花はこれだ」とツリガネニンジンを教えたので、子どもたちには印象に残ったでしょう。

 柏崎では、買って行った寿司をみんなで食べ、その後は高校野球の観戦です。きょうは新潟明訓と甲府商の対戦があるというので、それに合わせて妻の実家へ行きました。一点を争う好ゲームで、新潟明訓の永井、甲府商の米田、2人の好投手の投げ合いが見事でした。結果的には、適度にコントロールが乱れ、バッターに球をしぼらせなかった分だけ永井が有利だったですね。1回戦を観ていなかったのですが、新潟明訓がこれほど頼もしいチームだとは思いませんでした。応援に力が入り、座っていた竹椅子をわが体重でバリッとやってしまいました。


2007年08月14日

「たれ」で食べ物を楽しむ

 猛暑が続いています。うだるような暑さの中を動くのは体にこたえるので、午前中はめずらしく室内にこもって党創立85周年記念講演記録を読みました。一番印象に残ったのは、不破哲三さんの講演のなかの「『政治対決の弁証法』の現段階」です。支配勢力の日本共産党締め出し作戦の現段階のやり方は「日本の政党戦線を無理やり『二大政党』の流れにはめこもうというという型の作戦である。まじめに国民の利益を考え、国民の利益を追求すれば、必ず大企業・財界の横暴とアメリカへの従属という二つの障害にぶつかる。これを取り除こうと思えば、日本共産党の政策に必ず接近してくる。日頃から、こうした大局観を持ってがんばらないといけないなと思いました。

 午後3時からはNPO法人「よしかわたすけあい」の夏まつりでした。当初、7月に予定していたのだそうですが、地震もあって出来なくなったとか。こじんまりとした焼肉を楽しむ会といった感じのまつりでした。ブルーシートを張って、真夏の太陽を避けようとしたものの、強烈な暑さにはまいりましたね。でも、料理研究家の井部真理さんが直接出向いておいしい「たれ」を作ってくださったこともあって、ひと味違う焼肉を楽しむことができました。ゴマも入った子ども用の「たれ」とリンゴなどの入った大人用の「たれ」、「たれ」で食べ物を楽しむ点が新鮮でした。また、ブルーベリー、小豆などが入ったかき氷も最高でした。それともうひとつ、遊びです。ジャンケンゲーム、布でできた子どものおもちゃを数人でキャッチボールするなどの極めて単純な遊びがこんなにも楽しいとは思いませんでした。大人も子どもも、もう夢中でした。


2007年08月13日

山の「さしみ」

父の体調がおかしくなってから、親戚づきあいはほとんど私が中心になってやらなければならなくなりました。お盆の挨拶回りもそのひとつです。親戚といっても、毎週のように行き来している家もあれば、こうした挨拶回りでもしなければまったく付き合いのない家もあります。きょうはお墓参りもありました。一緒に行きたいという母を車に乗せて何軒か挨拶周りをしてきました。

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 そのうちの1軒では、自分の畑でとれたというトウモロコシ、キュウリ、イモガラ(ヤツガシラ)などをいただきながら、オシャベリを楽しんできました。何日も泊まっていた孫たちが帰ったばかりといいます。いまの子どもは、トコロテンは大好きだが、トウモロコシやイモガラは食べようとしないと伯父はくどいていました。いただいたトウモロコシは粒は小さいものの、甘みは抜群でした。そして笑ったのは、山の「さしみ」(写真)です。イモガラを煮て、酢をきかせた山の料理をいいますが、「昔はお盆のご馳走だった」のに……。私? もちろん、いまも大好きです。

 きょうからお盆でしたが、党市議団では議員団会議を行いました。また、党の災害対策本部も開いて、市長に対して復興に向けた取り組みの強化を求める要請も行いました。災害ごみの収集、運搬、処分についての中越地方の自治体なみの支援、JR信越線の特急、快速をほくほく線回りで運行を、など申入れ項目は11項目にもなりました。


2007年08月12日

墓参りの準備

悲しい話から。きょう、親戚の人と話をしていた時のこと。Uさんの葬式が先日行われたということを聞いてびっくりしました。新聞のお悔やみ欄は毎日見ていたつもりでしたので、おそらく見落としたのでしょう。Uさんは94歳のおばあさん、この日記をさかのぼってみたら、5月5日に会っています。これが最後でした。私が28歳で議会に出てから、ずっと応援してくれた人でした。最後に会った時には枕元に私の本が置いてあり、その時も私を励ましてくれました。明日にでも行って、ありがとうございました、と声をかけてきたいと思います。

 きょうは、新聞代の未集金の家を訪ねたり、墓参りの準備をしたりと大忙しでした。暑さが強烈でしたね。孟宗竹を切って、花立てや線香立てをつくる仕事は何十年ぶりかでした。竹を切るだけで汗でだくだくになりました。それに加えて、蜂にさされて痛くなりました。軍手の上からでしたが、チクッとする痛みはいやです。墓参りの準備は子どもたちにしっかり教えておきたいと思ったのですが、みんな都合がつかないとか言って、結局、ひとりでしてきました。竹の枝の払い方くらいは覚えてもらいたいと思ったんだけどね、と伯父に話をすると、「最近は店で花立てを買ってくる時代になってきたすけね」と言われ、何となくさみしい思いがしました。


2007年08月11日

地団研メンバーが調査に

 きょうは、市内に住む地学団体研究会のメンバーの皆さんが吉川区に入って調査活動をするというので、午前中だけ案内役をさせていただきました。道路の路面の割れ、崩れたがけ、建物のズレなどの被害状況を具体的につかんで、今回の地震がどういう地震だったかに迫る。研究者ならではのきめ細かさに感心しました。私はというとまったくの素人です。左右両側から押されて路面が盛り上がるケースがあることなど、初めて聞く「地震の動き」は興味深いものでした。
 今回の調査で一番期待していたのは、上川谷における山の崩れがなぜ起きたかの解明です。前にも書いたように、吉川区の中で、あそこだけ、あちこちに崩れが発生し、土の肌が見えていました。テレビなどで見た山古志の風景とそっくりです。いまの上川谷は天明山などの山が大きな地すべりを起こし、そこがまた滑って集落や田んぼが出来た。今回の地震による崩れは「地すべり」というよりも「かつての子地すべり、または孫地すべりの先端部分の崩落といった方がいいのではないか」。現場で滑り面を確認し、地質図、地形図を見ながらメンバーの皆さんが出した結論です。
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調査にやってきたメンバーの皆さんからは、上川谷の久保地内の田んぼのイネも見てもらいました。明らかに地震時に揺さぶられてイネが倒伏したり、かんもされたりした様子は地震から26日経ったきょうでも確認できました。まだ完全には起き上がれず、茎は下方10センチくらい泥だらけ(もっとも泥は田んぼのイネ全体がそうなっていました)です。不思議だったのは、その部分が田んぼの中でも出穂が早くなっていることでした。Hさんの解説によると、植物には、こういうアクシデントに遭遇した時に、花を早く咲かせるケースは他にもあるとのことでした。種を守ろうとする本能的な働きでしょうか。残念だったのは、田んぼの泥と違った泥の噴出を確認できなかったことです。これがあれば、「山の田んぼでの液状化現象」とハッキリ言えたのですが。
 午後からは「しんぶん赤旗」日曜版の配達でした。すでに故郷に帰省している人が何人もいて、なつかしい再会をしました。うれしかったのは、そういう人の中に、私がHPに掲載した市政レポートをプリントし、親戚の人たちに送っている人がいることでした。故郷の情報として、こんな風に大事にしていてくださる方がいる。市政レポート吉川版は4月の最後の週から掲載を始めたのですが、こういう声を初めて聞きました。感激です。
 市政レポートNO1307号掲載しました。ご笑覧ください。


2007年08月10日

お盆前の会議いくつも

 お盆が近づいているんですね。夕食後、長峰温泉ゆったりの郷へ風呂入りに行ってきました。その帰り道、近所のMさんが孫さんと花火を楽しんでいる姿を見かけました。車から見えたMさんは、線香花火を頭より高いところで持ってニコニコしています。孫さんはそれを見上げていました。その微笑ましい光景が余韻になって残りました。私はというと、まだお墓掃除もしていません。明日、明後日には何とかしないと。
 きょうは午前に政治倫理検討委員会、午後からは総務委員会でした。午前の会議では請負契約などの辞退をどこまで求めるか、どういう条文にするか、議員の資産公開はどうするかで議論しました。モデル条例では、法の趣旨を尊重しつつ、各種契約から物品納入まで具体的に記述して辞退に努めるとなっていましたが、それに賛成したのは私と2つの会派代表だけ。資産公開も同じメンバーが必要だと主張したものの、他の会派代表は必要なしでした。政治倫理条例の核心部分でこれでは、この条例をつくる意味がどれだけあるのかと言いたくなります。
 総務委員会は第5次総合計画案についてが議題でした。パブリックコメントなどを踏まえ、計画案の改訂版が示され、それについて何人かの委員が発言を求めていました。論点のひとつは合併協定の新市建設計画との整合性です。その議論の中心となったのは将来都市像でした。海に山に大地に 学びと出会いが織りなす 創造都市 上越。 新市建設計画では、「学びと出会いが織りなす 創造都市」の部分は、「なりわいと文化あふれる 共生都市」です。新市建設計画づくりには私も参加しましたが、将来都市像をめぐって様々な議論をし、14市町村の生業や文化などを大切に共に生きていく都市を描きました。それがいとも簡単に変更されていこうとする。違和感がありますね。きょうの会議では、財政フレームにも注目しました。その他経費の支出が増え、投資的経費は2割カットせざるを得ない。その結果、地域事業費も2割ほど削減となっています。これについても、これでいいのかという議論がありました。
 この他にも、きょうは重要な会議がありました。各派代表者会議です。激甚指定をめぐる状況報告では国と上越市の間で災害被害額の把握額に大きな差があるのが気になりました。また、行革市民会議の「議員定数を38人以下に」という提言も議論されたとのこと。合併協議の大きな論点(というより争点と言った方がいいかも)になった議員定数は定数特例2回でやっと落着いたという経過があります。一般の市民団体ならともかく、合併協議の決定に最高の責任を持つ市長の諮問機関がこういう提言をしてくることには強い抵抗感を覚えますね。同会議も合併協議を無視できないものですから、「議員の定数削減を早急に実現するための手段として、議員総辞職と議会の早期解散が考えられる」という文書まで添付してきたとか。議員の中からは「合併協議の土台をくずす議論だ」「現実的でない。悪いこともしていないのに誰が辞めるか」「市長の『議会の判断にゆだねる』コメントは一般論だ。自分の諮問機関からこういう提言が出たことに何も感じないのか」などの声が出ていました。


2007年08月09日

不思議な現象

 山間部の田んぼで不思議な現象が起きている。地震が発生した時に、田んぼの中のイネがまるで液状化現象を起こした渦に巻き込まれたようになって倒れている……こういった情報が寄せられたのは1週間ほど前でした。場所は吉川区の大賀という集落内の田んぼです。それで先週の土曜日に現地の田んぼを見てきたのですが、それらしき跡はあるものの、すでに回復して、イネは起きていました。写真も撮ったのですが、パッとしませんでした。
 2日ほど前、誰か、もっと早く現場を撮った人がいないかと総合事務所にきいたら、Tさんが撮っていたことを知りました。kubo070723.jpgただし、場所は上川谷地内の田んぼです。写真は地震発生から1週間経った7月23日でしたが、明らかに、イネがかんもされたようになっています。ただちに知り合いの地質研究者の方に送信したところ、今朝、「田んぼの土はどうなっているか。砂が吹上げていないか」などの質問を受けました。私は地震による地すべりでイネが引っぱられて、倒れている姿は見ていますが、写真のような田んぼは中に入ってまで見ていません。電話を下さった研究者の方によると、地震では、地表面のコケが飛ぶなど様々な現象が起きるといいます。おかしい、不思議だと思ったことは、しっかり確認しておくと、今後の地震対策に役に立つそうです。皆さんの周りでも不思議なことが起きていないでしょうか。
 さて、きょうは柏崎市で震災に遭った自治体の党議員が集まって、被災者支援をどうすすめていくかの学習と交流会が行われました。上越市からは杉本議員と私が参加してきました。学習会の講師は中越地震の際、センターで活躍したSさん。中越地震がどちらかというと中山間地の地盤災害だったのに対して、今回の地震は平場、海岸部に被害が集中したところに特徴がある、という話から始まって、被災者支援のポイントなどを教えてもらいました。建物の被害認定については、自治体によって具体的な認定方法に差がある。長岡市ではわかりやすい認定方法を採用している。復興基金事業では支援制度の不十分な点をカバーできる。支援を求めている人をひとり残らず救う、支援は被災者の気持ちを考慮したものに。たくさん学びました。


2007年08月08日

合併特例法による激甚指定の可能性も

 きょうの午前、災害被災者支援と災害対策改善を求める新潟県連絡会(県災対連)と中越沖地震救援共同センター(救援センター)が共同で新潟県知事に対して「中越沖地震に関わる緊急要請」を行いました。その模様を夕方、竹島良子県議がブログに書いて発信してくれました。そこには、「上越市の激甚災害指定については合併特例法にもとづく旧市町村単位での指定も可能性があることなどの考え方が分かりました」とあります。読んで、ピーンと来たのは、杉本議員団長が発言してくれたな、ということでした。
 すぐ杉本議員に電話を入れると、「おれの発言に対する課長の回答だった」。私の予想したとおりでした。杉本議員の発言は、上越市の激甚災害指定についてと県の現地相談窓口の2点。いずれも昨日、議員団の控え室で話題になった問題です。激甚災害指定については、「上越市も被災自治体だ。柿崎区や吉川区などは、柏崎市に隣接していて被災状況も同等だと思う。合併していなければ当然、激甚災害の指定がなされていたはず。特段の配慮をいただきたい」とのべたと言います。これに対する池田紀夫県防災企画課長の回答は、「上越市を差別したわけではない。被害額を積み上げていけば該当することになる。合併特例法で、合併5年以内ならば旧市町村毎に対応できることになっている。被害状況によっては全市での指定ということにもなるが」とのことでした。法で決まっていることとはいえ、この回答を聞いてホッとしました。
 きょうは午前中、市議会文教経済常任委員協議会でした。教育委員会としては、学校給食調理部門の民間委託について、1学期の試行を検証した結果、今後も続ける方向でいきたいとのことで報告がありました。私は、3月議会からきょうまで、文教経済常任委員会に対する教育委員会の説明などの対応が極めて不十分だったという印象を持っていました。どういうことがあっても民間委託という姿勢が感じられたのです。たとえば、3月の文教経済常任委員会で約束された、検証項目などの報告は大幅に遅れました。きょう、示された検証項目ごとの評価の仕方も大雑把という感じがしました。その一方で、行政改革推進計画では年度ごとの実施予定校数まで明記する。納得できませんでしたね。


2007年08月07日

ジーンと来た平和宣言と誓い

 朝一番に新聞を見ました。昨日の広島平和記念式典での〝平和宣言〟と子どもの代表による〝平和の誓い〟の全文を読みたかったからです。昨日のテレビでは、「日本国政府は、世界に誇るべき平和憲法をあるがままに遵守し、米国の時代遅れで誤った政策にははっきり『ノー』というべき」(平和宣言)など、格調高く、感動的な言葉が紹介されていました。「しんぶん赤旗」日刊紙には〝平和宣言〟〝平和の誓い〟を含め、その大要が載っていましたが、いずれも胸にジーンと来ましたね。被爆62年目の夏、「私たちは、あの日の苦しんでいた人たちを助けることはできませんが、未来の人たちを助けることはできる」(平和の誓い)ことを忘れず、平和を守る活動を続けたい。
 きょうは議員団会議でした。中越沖地震対策を中心にしながら、当面の課題について検討しました。震災対策では、建物の被害認定を被災者が納得できる形ですすめていくにはどうすべきか、ごみ処理を市民の立場でどうすすめるべきかが課題です。これまで現場で見聞きした被災者の要望は、その都度、災害対策本部につないできましたが、近く、市長宛に二回目の要請書を提出しようということになりました。明日は杉本議員団長が、県知事への要請活動に参加する予定です。私は文教経済常任委員協議会で学校給食民間委託問題を議論しなければなりませんので、参加できません。残念ですが。


2007年08月06日

市内NPO視察ツアー

 上越市はNPO活動が活発なところです。子どもを対象にしたものからお年寄りを対象にしたものまで、じつに様々なNPOがあります。きょうはくびき野NPOサポートセンターが主催した市議向けのNPO視察ツアーでした。福祉作業所「ぽぷらの家」から始まって、子育て支援NPO、環境問題NPOなど9つのNPOを視察してきました。普段、行政の仕事にばかり目が向いているので、民間レベルでいろいろな問題に取り組んでいる姿はとても新鮮でした。
 きょう訪ねたNPOは、それぞれ個性的な指導者がいて、豊かな取り組みをしています。例えば「国際フリースクールICAN」、不登校の子ども、自分の家に閉じこもっている子どもを支援し、自立をうながしています。指導者はアメリカ生まれで英語指導助手の経験を持つ、チャーリーさん。11年間で100人以上の子どもたちを元気にしてきました。「子どもを元気にするうえで大切なことは何ですか」との質問に、数秒間ぐっと考え、「本人を認めてあげて、後はほめることです」「何から何まで助けないで、時には『自分でやってみなさい』と手を止めることも大事」という答えが返ってきました。チャーリーがしゃべる日本語はちょっぴりぎこちなさがあるものの、心がこもっていて、素敵でした。
 もう1つ、紹介しておきたいと思います。まだNPOを立ち上げて3年目の「緑とくらしの学校」。野外保育や自然の中の遊びを楽しくやっています。ツアーのバスを迎えに出た理事長の小菅江美さん、長靴姿で現れたので、最初はどんな人かと思いました。杉林や田んぼなど自然の中での無認可保育に取り組んでいるリーダーでした。森の中で遊び、給食も森の中。ブランコなどの手づくりの遊具もありました。雨が降ったら、合羽を着て保育をするといいます。子どもたちと一緒に案内してくれた田んぼ。近くには川が流れ、セミの鳴き声もしました。小さな棚田3枚は子どもたちの遊びの場であり、学校でもあります。小菅さんが田んぼに入り、「ほら、サンショウウオの赤ちゃんがいたよ」と手ですくってみせると、子どもたちは、「見せて、見せて」「ほんとだ、赤ちゃんだ」。この学校には、私の子ども時代と同じ空間があり、感動がありました。
 きょうはデジカメを持って行ったものの、視察現場で使いたい時にはバスの中に忘れて来てしまいました。こういうのを、おっちょこちょいというのでしょうね。私の文章力では、表現できない数々の魅力をお伝えできないのが残念です。写真はサポートセンターのスタッフの方に、何枚か送ってくださるようお願いしました。


2007年08月05日

猛暑の中で草刈り

 お盆前に農道などの草刈りをする町内会が多いと思いますが、きょうは地元町内会の草刈りでした。暑くならないうちにということで、スタートは午前7時。しかし、お天道様が照りだすとぐんぐん気温が上昇しました。草刈りを始めて30分くらいで、もう汗だくでした。農道、水路、溜池周辺、車が入らない市道などを約30人で刈り、2時間半ほどで終了しました。
 この時期の草刈り仕事はきついけれど、楽しみがなかったわけではありません。野の花の観察ができるし、休憩時間にはおしゃべりもできます。miyamauzura070805.jpg
池の周りにはリンドウがたくさんあることが分かり、なるべく刈らないようにしました。それとサルナシも発見しました。ヤマボウシは早いものは赤い実をつけ始めています。私の、きょうの最大の収穫はラン科のミヤマウズラ(写真)に初めて出会ったことです。見つけてからは、他の人に刈られないようにガードし、草刈りが終わってから、デジカメで撮影してきました。
 午後からは生活相談と地震被害に遭った家庭を何軒か回ってきました。地震発生から3週間経っていますが、住宅に被害のあった家でも片付けが終わり、大工さんや板金屋さんなどが入っています。中には自分で直した人もいます。吉川区内では瓦屋根被害が多く、この地震を契機にステンレス鋼板葺きに切替える人が次々と出ています。大賀という集落のすぐそばの田んぼ数枚で、液状化現象により稲が横倒しになったということですが、きょう訪ねたら、稲は9割方、元に戻っていました。


2007年08月04日

「正信偈」現代語訳を読み感動

 きょうは本来ならば、昼間に親戚の法事に出て、夕方から「越後よしかわやったれ祭り」に参加するはずでした。それが地震でくるい、「やったれ祭り」は中止となったのです。一昨年、昨年と大きな盛り上がりを見せ、吉川区を元気付ける行事へとなりつつあっただけに残念です。中止は地震直後の住民感情を考慮しただけでなく、災害復旧の仕事が次々と出てくる中で、準備そのものの時間が足りなくなったということでしょう。今回の「やったれ祭り」は10回目でした。丁度区切りの記念すべき祭りのはずでした。来年は復興をかけた2年ぶりの祭りとなります。ぜひご協力を。
 というわけで、きょうは朝10時から、昨年、98歳で亡くなった親戚のおばあちゃんの法事だけになりました。雨が降りそうだというので、先に納骨をしました。墓場へ行くと、灯籠石が落ちていました。先日の地震の影響です。お経は葬儀の時よりも長くて、約1時間かかりました。ここ2週間ほどの疲れが溜まっていて、瞼が重くなりましたが、親鸞聖人が書いたといわれている「正信偈」(しょうしんげ)の現代語訳のついた本を読み、これだと思いました。仏教の歴史が語られ、「差別や貧困をなくし、平和を願う」心が書かれていたからです。以前から、私たちの党と真宗大谷派の思想の一致するところを感じていたのですが、それを具体的に示しているものに出会い、うれしくなりました。
 きょうの「しんぶん赤旗」には党活動版、そして東海・北陸信越のページに一昨日の現地視察のことが載りました。気に入ったのは写真です。村上記者は写真のプロですが、掲載された2枚の写真は、構図の良さといい、現場の雰囲気を伝える迫力といい、さすがだと思いました。これらの写真は元写真を来週、送ってもらうようお願いしました。


2007年08月03日

歌を忘れていた

 7月16日の地震以来、これまでの生活と何か変わっているなとは思っていました。ただ、それが何だかよく考えたこともなかったのですが、きょう、その1つに気が付きました。車を走らせていても、CDで歌を聴かなくなっていたのです。そのことを気付いたきっかけは、今晩放映された、NHKの『ありがとう阿久悠さん』です。たまたま、居間で横になり、うとうとしていた時になつかしいメロディが耳に入ってきました。大好きだった「また逢う日まで」、いまは病気と闘っている友人が得意とした「熱き心に」などです。そのうち、完全に目がさめ、テレビの画面で歌詞を見つめました。ひとつひとつの歌の歌詞が人の様々な心をじつによく表現しているので、すごい人だったなと改めて思いました。どうやら、明日からまたCDを聴けそうです。
 きょうは市政レポートを作成した後、「しんぶん赤旗」日曜版の配達に出ました。久しぶりに山間部に行ったので、どこでも先日の地震の話が出ます。気になっていたのは、一人暮らしの人たちはどんな時に地震に遭ったのかでした。Mさんは久々にやってきた洋服屋さんを茶の間に迎え入れ、お茶を飲もうとしていた時でした。グラグラッと来て、外に出ようとしたけど出られなかったといいます。Kさん。隣の集落の親戚へ行っていて、この人もまた、お茶飲みをしていた時でした。Kさんは、繰り返し、「ひとりでなくて良かった」と言っていました。お客さんがおられたので話しかけられなかったのですが、何となくいつもと表情が違うなと思ったのはHさんです。ひょっとすると、ひとりで恐怖の体験をしたのかもしれません。次回はよく話を聞いてあげたいと思います。
 市政レポート1306号をアップしました。ご笑覧ください。


2007年08月02日

殆んど報道されない上越市の地震被害

 「やはり現場は見るに限る、ですね。上越市もかなりの被害だったことがわかりました」こういうメールを送ってきてくれたのは竹島良子県議です。きょうは竹島県議だけでなく、日本共産党の被災者相談センターのメンバーである有坂哲夫さんや五十嵐前県議も、柿崎区と吉川区に入り、中越沖地震被害の状況を視察しました。私は柿崎区の総合事務所から同じ車に乗って案内したのですが、ブルーシートがたくさん屋根に乗っている姿を見てまず、びっくりされていましたね。
 住家は、吉川区で「一部損壊」「半壊」「全壊」という被害認定されたところを4軒視察してもらいました。被災された家ではかならず、「たいへんでしたね。私たちも応援させてもらいますから、頑張ってください」と激励。竹島さんたちは中越地震の経験があるので、どういう部分に注目して視察すべきかを知っていて、基礎部分の亀裂や柱の微妙なズレなどをチェックしていました。被災者からは、「いまでも音に敏感に反応する。不安でよく眠れない」「このままでは冬が越せるか心配だ」などといった声が寄せられました。
 柿崎区では地場産業被害の典型のひとつ、yoyogikujyouzou0708021.jpg代々菊醸造(「よしかわ郷」「吟田川」などで有名な蔵です)を視察しました。きょう、新潟日報の上越版や上越タイムスに掲載されていましたが、酒のタンクのある蔵に入らせてもらい、「これは深刻だ」と思いました。あちこちで壁は落ち、柱も傾きがあります。建物そのものを秋までに何とかしないと次の造りに間に合いません。私がおじゃましているという情報が伝わり、専務さんからは出先から電話で、「住宅とも一体になっている。ぜひ支援してほしい」と訴えられました。専務さんからの切実な訴えは竹島県議にも直接伝えてもらいました。国県や市での支援の道を探りたいと思います。
 上越市の被害状況はきょうも地元紙や日報の地域版には載ったものの、もっとも深刻な状況が広がっている柏崎市などの被害に隠れてしまい、全県、全国にはほとんど伝わっていません。上越市内にも支援の手を求めている市民や業者の皆さんがたくさんいることをもっと知ってもらう意識的な取り組みをしていかなければと思っています。きょうは、「しんぶん赤旗」記者の村上さんからも取材に来てもらいました。明後日にはきょうの視察の内容が掲載されることでしょう。私のHPでは、「上越市における中越沖地震被害関連写真」に新たに5枚追加しました。「中越沖地震被害関連写真その3」をごらんください。


2007年08月01日

ごみ集積所は情報集積所

 きょうは2ヶ月に1回まわってくる地元町内会の資源ごみ当番でした。朝6時半から7時まで資源ごみの集積所につめることになっていますが、いろいろな人たちと話ができて、普段聞き逃している情報などが入ってきます。例えば、夏休みのラジオ体操の場所と人数。私の子どもたちが小学校に通っていた時は、自由民権家の鈴木昌司の碑がある場所まで上がって体操していました。いまはたったの6人しかいません。モンマートかどやさんの近くの農道でやっていることを教えてもらいました。また、先日の地震で田んぼに大きなひび割れができたところが少なくとも2ヶ所あることも知りました。これは当番の仕事が終わり次第、ただちに田んぼへ行き写真を撮ってきました。
 日中は生活相談とパンフレット(被災者支援制度の紹介が内容)の印刷で大忙しでした。相変わらず、地震被害に関する相談が続いています。吉川区内の道を走っていて、最近感じるのは、路面が日々沈んでいる箇所がいくつもあることです。きょうは、川崎と泉谷間の県道のへこみ具合が気になりました。こういう現象は道だけではありません。民家の玄関口のひび割れもそうです。ある家ではこの間訪ねた時よりもひびが広がっていました。そこの家の人の説明によると、地震により揺れ動いた大地が元に戻りつつあると言います。そのため、地面の割れが大きくなったとも。どうあれ、地震被害が止まっていないことだけは確かです。


2007年08月投稿分

2007年08月に投稿された全てです。

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