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2005年02月投稿分

2005年02月28日

予算議会がスタート

 予算議会初日。市長の提案理由の説明と総括質疑などが行われました。合併して1年目ということもあったのでしょうか、市長の説明はお昼休みをはさんで4時間あまり(実質3時間余)にもなりました。すでに説明原稿は議員にも配られていましたので、それを見ながら聞くことに。最初は蛍光ペンとボールペンを持ち、気づいた点をチェックしながら聞いていましたが、選挙戦の疲れがまだ抜けきれていないとあって、時々ボーッとすることがあります。人間の集中力の限界を考えれば、1時間くらい経ったらちょっと休んでまたやる、そういう流れにしてほしいですね。
 夕方、吉川区総合事務所によって新聞代の集金をしました。何人かの職員に、「テレビに出ていたよ」と言われ、初めて知ったのですが、上越ケーブルテレビジョンの放送は総合事務所でも見ることができるのだそうです。どうも市長の提案理由の説明と総括質問については、ずっとつけっぱなしだったようです。職員としては、議会で何が問題になっているかを知っておく必要がありますから当然でしょう。それにしても、このように総合事務所の皆さんが見ているとなると、私の質問もきっちりやらないと笑われてしまいます。頑張らなくては……。
 夜は支部会議でした。みんなで、選挙戦後の情勢と今後の取り組みについて話し合いました。想像以上に日本共産党や私への関心が高まっていて、お茶のみでは選挙結果が最大の話題となっていること、吉川区以外からも声がかかる状態となっていることなどが報告されました。「しんぶん赤旗」に紹介されたこともあって、なかには東京周辺から5本も電話をもらった人もいました。会議のなかでは、レポートの発行と配布をどうするかについても話し合いました。配布範囲を広げるにはお金の問題がネックとなっています。政務調査費全部を使ったとしてもとても足りないので、さらに検討することになりました。


2005年02月27日

第1回地域協議会

 「しんぶん赤旗」日刊紙の配達で大潟区の長沢新聞店へ行ったら、店長さんが私にお願いがあると言います。それは、私の発行する市政レポートを大潟区内でも新聞折り込みしてほしいということでした。新潟日報などの読者から「ぜひ橋爪さんに頼んでくれ」と言われたとのことでした。同じような話は安塚区などからも出ています。市議団では、今度年間60万円に増額される予定の政務調査費を使って、市議団ニュースまたは市政レポートの配布をどこまで広げていくか検討していますが、線引きがなかなか難しいですね。
 きょうは、午後から吉川区地域協議会でした。委員は16人中11人が旧吉川町議です。初会合を傍聴してきましたが、審議の中では、佐藤直彦さんや山岸晃一さんなど旧町議でない人たちもどんどん発言し、思った以上に活発な会となりました。これからが楽しみです。協議会はこれから月1回は開催していくということで、ゆったりの郷などの指定管理者による管理などについて次々と諮問が予定されています。また、市長の諮問がなくとも自主的に審議ができることになっていますが、これは、「必要に応じて随時」やっていくとことが確認されました。なお、会長には山崎巖さん(写真、立っている人)、副会長には高橋洋一さん、野呂和男さんが就任しました。
 「区や議会の動き」、トップページの尾神岳の写真、更新しました。ご覧ください。


2005年02月26日

上越市全域に責任を負う議員

 きょうも「しんぶん赤旗」日曜版の配達でした。投票日から2週間が経とうとしていますが、住民のみなさんの間では選挙のことがまだ話題の中心になっています。私の顔を見れば、「良かったね」と何回も繰り返してくださる方も一人や二人ではありません、何人もおられます。ありがたいことです。選挙期間中、よく分からなかったことも次第に分かってきました。仕事の関係で区内を回ることの多い、ある女性が私の支持を何人もの人たちに訴えていたを初めて知りました。こういう動きがたくさんあったからこそ、当選できたのだと思います。
 夕方、二人の住民から相談を受けました。その一人は吉川区の方ですが、いま一人は他区の方でした。先日も他区の方から相談がありましたので、これで2例目です。選挙期間中に、「当選すると、吉川区選出の議員だけれども、上越市全域に責任を負う議員となる」と訴えてきましたが、それが現実になりつつあります。これからの相談活動は思っていた以上に広がりを見せるかも知れません。
 夜、缶入りの発泡酒を1個(350cc)飲んだら、その場でダウン、3時間ほど眠ってしまいました。このところ、本当によく眠れます。いままで不足していた睡眠時間を取り戻そうとしているかのように、ぐっすり眠っています。今朝も起きたのは7時過ぎでした。眠れば眠っただけの価値がある。疲れも取れるし、元気も出てくる。こんなにも睡眠の力を感じることができるとは……。


2005年02月25日

勝利の体験を語る

 いつものように金曜日がやってきました。市政レポート作成におわれました。本来なら昨日からやっていなければならないのですが、いろんな用事が次々とでて、結局、きょうになってしまったのです。書く内容はたくさんあります。新年度予算案、議会日程、議会関係の部屋の紹介、そして昨日の視察もある。書きあがったのは午後2時すぎでした。その後、配達に出ました。
 夜は小国町の会議に参加しました。4月に市議増員選挙(定数1)をたたかう同町の党組織、現職の町議・細井良雄を擁立することになりました。彼とは20数年のつきあいがあり、勝ってほしいので、こちらの勝利の体験を語ってきました。「橋爪法一と語る会」、全世帯の6割から読んでもらった後援会ニュース、流れをかえた言葉・「一人の代表を選ぶなら橋爪さんだこて」などについて述べたら、みんな真剣になって聞いてくださいました。うれしかったですね。
 昨日の視察のなかで撮った素敵な写真一枚を「私の好きな風景」のページでアップしました。タイトルは「雪のなかの天使」です。ご覧ください。


2005年02月24日

日曜版でも全国に紹介

 毎週発行されている「しんぶん赤旗」日曜版、30数年読み続けていますが、2005年2月27日号は記念すべき新聞になりました。市議増員選挙での私の当選を大きく取り上げてくれたからです。2日間の取材にもとづいて、「なぜ勝てたか」に焦点をあてたこの記事は全国で読まれることと思います。また、先週、党支部の仲間や後援会員に、「えっ、今週、載っていないの?」と言われたのですが、今回の掲載はみんなが待っていました。これで仲間たちは喜び、自信を持つでしょう。さっそく、この号をいかして多くの住民に「しんぶん赤旗」日曜版を読んでもらう運動を強めたいと思います。
 きょうは3人の議員団で管内視察を実施しました。テーマは雪対策の現状と問題点、介護保険の取り組み状況と課題でした。浦川原、大島、安塚、吉川の各区をまわりましたが、各区総合事務所の事務室も見てきました。このうち雪対策については市議会最大会派である政和クラブも関心を持っているようで、大島区では私たちのすぐあとに調査に入ったことを確認しています。上越市の山間部は19年ぶりの豪雪になっていますが、合併協議での合意を超えた取り組みをしないと住民の暮らしを守れない実態があることも判明しました。これらは予算議会の中で取り上げていきます。
 私は豪雪地で生まれ育ったので、見慣れた風景でしたが、3メートルを越す積雪はやはりすごいと思いました。そのなかで腰の曲がったお年寄りと2歳くらいの女の子に出会いました。雪に耐え、雪とともに暮らす人たち、晴れていたこともあって、とても元気そうに見えました。雪の壁をバックにした子どもの写真はよく撮れています。近いうちに「私の好きな風景」で紹介したいと思います。
 


2005年02月23日

議員団ニュース発行

 きょうも議員団の勉強会でした。一番の話題は行政組織改革でした。質問の前なので、あまり具体的には書きませんが、「えっ、なんでこんなところに」と思うものがいくつもありました。たとえば雪対策室、道路管理課の中に設置されています。これでは道路の除雪対策が雪対策のすべてみたいになってしまいます。市民の目線で見たときにどうなのか、十分検討されたのでしょうか。
 3人の議員団ができて何かが変わる。その何かの1つが議員団ニュースの発行です。きょう、初めて議員団ニュースを発行しました。3人の挨拶、吉川区での勝利の赤旗記事の紹介だけの、ささやかなニュースですが、このニュースを出すことにしたこと自体がニュースです。これから、いろいろな情報を出していきますので、楽しみにしてください。
 明日は議員団で管内視察を行う予定です。議案に直接関係あるものを中心に駆け足でみてまわることになりますが、これも勉強のひとつです。議案書などの資料とデジカメを持って出かけますので、見かけましたら声をかけてください。
 19日に撮影してもらった写真が送られてきました。尾神岳をバックにした勝利の記念写真です。とてもよく撮れていたので、カメラマンの了解を得てこのHPに掲載しました。掲載場所は、市議増員選挙特集のページです。ご覧ください。


2005年02月22日

議案の勉強会

 眠った、眠った。昨日の睡眠時間は8時間くらいだったでしょうか、こんなに眠れたのは久しぶりです。1日に3、4時間しか眠れない。体が普通と違うと意識しはじめてから1ヶ月以上はたったでしょう、その異常状態からようやく抜け出したようです。きょうは日中も眠く、市議会の廊下にあるソファーでも40分ほど眠りました。そして、この原稿もひと眠りしてから書いています。
 きょうは午前9時から1時間、13区選出議員に対する議会事務局の説明会が行われました。駐車場、政務調査費、身分証明書などの庶務、上越市議会の流れと先例、市議会広報などについて説明していただきました。吉川町議会に慣れ親しんできたので、一般質問を会期末に行うなど、いくつか抵抗を感じるものがありました。まあ、すぐに変えるべきだというと反発もあるでしょうから、2回ほどやってみて、その上で改善すべきことは改善の提案をしていきたい、と思います。
 説明会後は議員団で議案の勉強会を夕方までやりました。予算や条例に関する説明書類・資料は膨大なものです。これを読みこなして質問することができればいいのですが、はたしてどこまで読むことができるか。今回の資料の中には合併前の14市町村の、それぞれの区域でどうなっているかを説明した資料が少なくありません。通学バスの運行状況など興味深い資料がいくつもありました。また、資料には写真も多く、図面もふんだんに使われていてとても分かりやすく感じました。
 勉強会は明日も続きます。きょうは主に予算関係でした。あすは条例関係の予定です。それが終わったら、議論の俎上に載せることについて現地調査などを行いたいと考えています。写真は日本共産党議員団控え室で撮ったものです。米山がよく見えます。尾神岳はビルの陰となっています。また、眠くなってきました。では、また。


2005年02月21日

文教経済委員会の管内視察

 私の所属する市議会文教経済委員会の管内視察が行われました。もちろん、13日の当選組にとっては初委員会です。13区内の第三セクター、総合体育館などからいくつかを選んで施設を見学、そして責任者から、経営状況、今後の見通しなどを聞きました。管内視察だというのに、施設から施設への移動にあたっては、高速道路も使いました。合併してできた新市は東京都の面積の半分もあり、とても大きい。委員会視察でその大きさを実感できました。
 おもしろいなと思ったのは、名立区の「うみてらす名立」を視察した時です。私や大潟区選出の内山委員ら13日の当選組が合併後の経営戦略などについて発言しましたら、旧上越市出身の委員も負けてなるものかといった感じで発言、とても賑やかになりました。これまでの文教経済委員会がどうであったかわからないので、断定的な言葉は使いませんが、13区選出委員が加わったことによってこの委員会全体のパワーが強まったのではないでしょうか。
 13日の当選組の中には小林委員もいます。「うみてらす名立」側の人たちにとっては「同業者」の一人です。「温泉と宿泊があれば黒字にできる」「各部門全体をよくするのは難しいので、いくつか重点を絞ったほうがいいのではないか。鮮魚、調理は改善を」など彼の自信に満ちた発言が注目されました。
 「光鱗」という宿泊施設を見学した時、「こういう施設を見るときのポイントはどこ?」と小林委員に聞いてみました。「まず、宿泊する本人にとっていいかどうかだね。それと宿泊したお客のニオイをどう消すか、これが難しい」。興味深い答えが返ってきました。上越市議会のメンバーは48人、いろんな専門家がいるはずです。大いに交流してどんどん彼らの知識を吸収させていただこうと思います。
 午後からは、この委員会の視察をはなれて、上越地域消防事務組合の議会定例会でした。2004年度の補正予算、2005年度の当初予算などを決めたのですが、会議時間はわずか1時間しかとってありません。昨年の中越大震災をふまえての対応をしっかりと議論すべきなのに、これではまずい。私からは「住民の命と暮らしに係わる重要問題を審議するのにこれでいいのか。次回からはもっと時間をとるように」と要請しました。管理者の木浦上越市長は「検討させていただく」と答えました。


2005年02月20日

選挙戦で3キロやせた

 「しんぶん赤旗」日曜版の配達が日曜日の午後になったのは、ほんとうに久しぶりのことです。遅配を謝り、選挙の礼を言うと、返ってくる言葉は「いいよ、いいよ、遅くなったっていいさ」でした。そして、「多分、今回はいつもより遅くなるはずだと思っていた」とも。どうしてこんなにもやさしいのか。これまでもこういうやさしい目で見ていてくれたのか。
 きょうであの歓喜に満ちた瞬間から1週間が経ちました。電話の数もようやく普段の生活レベルに戻り、静かになりつつあります。まだ睡眠不足は続いていますが、それでも昨晩は5時間以上眠ることができました。今晩はもっと眠ることができるでしょう。
 昨晩、久しぶりに体重をはかってみて驚きました。今回の選挙戦で3キロもやせていたのです。食べて飲んでいたにもかかわらず、やせることができたなんてうれしいですね。どおりで18日、議場で撮った写真は少しほっそり(?)していると思った。とは言っても、まだ75キロもあります。食べ過ぎないようにしながら動いて、やせなきゃ。


2005年02月19日

うれしさ爆発

 昨日は議会でしたので、ほとんど「しんぶん赤旗」日曜版の配達はできませんでした。きょうは、その分も頑張ろうと動きました。しかし、今回の配達はいつもとは違います。選挙でお世話になったお礼の言葉を述べてまわらなければなりません。そのため、時間がかかるのです。どこの家でも、「よかったね。おらも楽々した」「これからたいへんだろうけれど、頑張ってくんない」などと声をかけてくださいます。なかには、家族全員で出迎えてくださり、握手ぜめにあったり、玄関に入ったとたんに「ばんざい、ばんざい」とやってくださる家もありました。
 きょうの配達には日曜版の記者が同行し、取材しました。午後からは、赤旗カメラマンも一緒になり、尾神岳をバックにして、父母や後援会員と一緒に写真を撮りました。今回の取材に基づいて、来週、27日の日曜版には、吉川での選挙戦のことが大きく報道されるとのことです。長崎市における定数1での勝利とならんで紹介されるといいますから、どんなふうにまとめてくれるのか、楽しみです。


2005年02月18日

臨時議会

 市議選増員選挙後、初の臨時議会が行われました。いうまでもなく48人の議員全員がそろったのは初めてですので、まず挨拶です。最初に各党、各派間での挨拶が交わされました。続いて議場では議員、理事者側の紹介です。議員については、当初、増員選挙で出てきた議員のみ紹介するという話だったのですが、私の方からクレームをつけさせてもらいました。旧上越市出身の議員も含めて紹介するのが当然ではないかと。幸い、市川議長が快く対応してくれましたので、全員紹介という形で決着しました。
 きょうの議会では、議席、常任委員会などの所属先が決まりました。私の議席は1番です。常任委員会は文教経済委員会、特別委員会は地域産業対策特別委員会の所属となりました。このほか、上越地域消防事務組合の議員の仕事もやることになりました。委員会の仕事は21日の文教経済委員会が最初です。予算議会は28日から。選挙の挨拶回りも終わらないうちに会議が続きます。
 日本共産党議員団は私の加入で3人になりました。それぞれ個性があって、得意分野も違う3人ですが、毎週定例団会議をやって、情報の共有をはかりながら頑張っていきます。議員控え室には、まだ私の机がありません。パソコンももう1台ないと不自由なので購入予定です。こうした準備ができるとすぐ予算議会になります。もう少し時間が欲しいですね。
 定数1の選挙で勝ったことから、増員選挙についての資料提供を求める人が相次いでいます。夜遅くまでかかって、後援会ニュースや選挙はがきなどを市議増員選挙特集のページに追加しました。ごらんください。


2005年02月17日

「しんぶん赤旗」日曜版でも紹介されることに

 新潟市の県委員会事務所で全県議員集会が開かれました。いつもよりかなり参加者数が少なくなっています。合併の影響です。さみしいもんですね。きょうの集会では、上越市議増員選挙のことが話題の中心でした。何人もの人が握手を求めてきて、ちょっぴり恥ずかしかったです。小日向県委員長は、「吉川区における定数1での勝利は長崎市の香焼選挙区よりも全党を勇気づけるものだ。香焼は長年民主町政だったし、党の力もあって全国的に有名だ。(党のことについて)あまり知られていない吉川での勝利の意義は大きい」と述べていました。
 吉川区での勝利は「しんぶん赤旗」日曜版の27日号でも紹介されることになりました。明日から記者が吉川区に入ってきて取材するということです。こちら側だけでなく、他候補陣営にいた人からもいろいろ聞いて記事を書きたいとのこと、なぜ勝利できたかを一歩踏み込んで書いていただければ有難いと思います。「後援会員のみなさんと一緒の写真もほしい、どこにしますか」と聞かれたので、即座に尾神岳をバックに撮ってもらいたいと答えました。19日にカメラマンが来るといいますが、晴れてほしいなぁ。
 全県議員集会後、久しぶりに本屋に入りました。新潟駅地下の売店です。本の匂いがして、立ち読みしているお客もいる、私はこの空間がとても好きです。買い求めた本は、宇田川清江さんの『眠れぬ夜のラジオ深夜便』(新潮新書)。静かに語りかけるような文章に引き込まれ、帰りの列車の中で、半分ほど読んでしまいました。疲労困憊しているのに眠ることもなく読んだのは、この本の力です。「深夜便と聴取者の集い」について触れている部分は、私の発行している市政レポートと読者の関係についても関連するので興味深く読みました。


2005年02月16日

対等、平等の精神は議会でも発揮を

 編入合併と新設合併、違いはあっても守るべきことがあります。そのひとつは、それぞれの旧自治体出身者が力を合わせることです。合併自治体を良い自治体としてつくり上げていくにはとても大事なことだと思います。そこで必要なのは、対等、平等の精神です。きょうは各派代表者会議でしたが、その大切さを改めて感じた会議となりました。
 合併協議会で木浦会長が約束した、「編入合併であっても、気持ちは新設、対等・平等でいく」ということを踏まえて、日本共産党議員団の杉本氏が、「(議会の委員会などの役職についても)気持ちは対等ということを議会としても体現すべきだ」と発言したことは当然のことです。ところが、これに対して、「市長の発言は心の問題であって、編入合併であるという本質を忘れてはいけない」「物議をかもしだすのはいかがなものか」などといった発言が出たのです。驚きましたね。
 このままいくと、議会の役職(会派の役職以外の)はすべて旧上越市出身の市議が占めたままということになります。14の市町村が合併して新しい出発をしたいま、議会としても総力を挙げる体制を構築していく必要があります。そのための配慮を旧上越市出身の議員の皆さんに求めたいと思います。


2005年02月15日

新議員の各党会派所属決まる

 きょう、明日と挨拶回りです。昨晩は5時間近く眠ることができたので快調でした。でも、良かったのは午前中だけ。午後からはアクビがショッチュウ(何回も何回も)出て、車の運転をするのが不安になるほどでした。やはり、疲れが相当たまっているのでしょう。
 「しんぶん赤旗」日刊紙の一面に「上越市議選 定数1で勝利」という記事が大きく載りました。これでまた吉川区での勝利が全国へ広がりました。この記事は、全国の党員、支持者に「頑張れば勝てる」という勇気と希望を与えたようです。また、メールやファックス、電話がたくさんきました。一番喜んだのは旧吉川町出身で、全国各地にいる活動家です。埼玉のYさん、川崎市のNさん、京都のTさんなどから喜びの電話がありました。
 夕方、市議会事務局から初のファックスが届きました。昨日の市川議長からの要請で、新議員が各党会派所属を決めました。その結果を一覧表にして、送信してきたのです。安塚区の矢野学議員ら4人が「市政会議」という新会派を結成しました。昨日、私に「この市役所も変えなきゃいけないね」と話しかけてきた吉田侃議員(旧中郷村長)もこの新会派所属でした。
 18日の臨時議会では、新議員の常任委員会所属などが決められます。これに先立って、どの委員会所属を希望するか、杉本議員団長からメールが来ていました。新議会での私の注目点の1つは、だれがどの委員会に所属するかではありません。13区選出の議員が出そろい、新市の全議員が確定したなかで、旧上越市選出の議員だけで役職を占めていることを改めるかどうかです。
 私は忘れません、合併協議会で木浦会長が約束してくれた言葉を。それは、編入であっても気持ちは新設とし、対等、平等の立場で合併協議を行うという言葉です。これは単に合併協議だけの問題ではありません。新議会の役職員の構成についても配慮がされてしかるべきだと思います。さて、どうするか。


2005年02月14日

当選証書授与式

 昨晩は一時間しか眠ることができませんでした。当選祝いのメールがたくさんきていて、返信しようとしたからです。まだ全部返信できていませんが、必ず書きますので、しばらくお待ちください。それにしても、全国各地でこのHPを見ていてくださるのですね。とてもうれしいです。
 きょうの昼間の行動は朝立ちから始まりました。午前7時から1時間やりました。遠くからVサインをしながら車を走らせて来る人、クラクションを鳴らす人、窓を開けて「良かったね」という人、わざわざ止めて「おめでとう」と声をかけてくれる人、頭を下げて行く人など、多くの人に励ましていただきました。なかには、独自に「橋爪祝勝会」を開いて朝帰りする人の姿もありました。朝立ちの後は宣伝カーに乗り込み、3箇所で演説。あとは、流しで決意表明をしました。
 午後からの当選証書授与式、寝不足のため、車の運転は無理でしたので、妻から送ってもらいました。開始前に顔見知りの新議員と挨拶を交わし握手しました。うれしかったのは、旧大島村の村長だった岩野新議員などから、「いやー、たいしたもんだ」と声をかけてもらったことです。もらった当選証書は大きな紙袋に入れて持ち帰りました。町議の時のものの方が入れ物は良かったですね。
 授与式後、市川議長から挨拶と要請がありました。明日の夕方までに「会派加入届け」または「会派結成届け」を提出してほしい、という話には驚きました。私は日本共産党議員団に入ることが決まっているので、ばたばたすることはありませんが、これからどうしようかと考え始めた新議員にとってはきつい時間制限でしょう、これは。
 夕方は有線放送、「しんぶん赤旗」の取材に対応しました。


2005年02月13日

当選しました

 「ホーセの見てある記」の読者の皆さん、うれしいニュースです。本日行われた上越市の市議増員選挙(吉川区、定数1)において、私、橋爪法一は当選しました。合併自治体の定数1の議員選挙で日本共産党の候補者が勝ったのは、先週日曜日の長崎市の香焼選挙区、伊王島選挙区に次ぐ快挙です。
 今度の選挙は上越地域14市町村が合併して初の議員選挙で、吉川区の将来がかかったたたかいでした。私は、全世帯を対象にしたアンケートや48会場で実施した集落懇談会で出された要望、意見をもとに、ふるさと吉川を守り発展させる3つの提案を示し、たたかいました。選挙戦では、党派を超えて「吉川区を代表した一人を選ぶなら橋爪さんだこて」という声が広まりました。
 今回の選挙戦では、投票した二人に一人が私に入れてくださいました。市町村合併推進、憲法改悪の動きが強まる中で、こうした勝利を得ることができたことは、すばらしいことです。これからは党派を超えた皆さんとの共同の力を重視して、ふるさと吉川を守り、発展させるために、また上越市の発展のためにがんばりたいと思います。これからも、皆さんのご指導をいただければ有難いです。よろしくお願いします。
 
 選挙結果は以下の通りです。
 橋爪法一   1783票
 中村昭一   1272票
 五十嵐一也   528票
 


2005年02月05日

市議選勝利へ最後の準備

 きょうの午前は木島前衆院議員と区内6箇所で街頭演説をやりました。風が強かったものの、雪も雨もたいしたことなく、いまの時期にしてはまずまずの天気でした。有線電話で事前に案内をしていたところは、聴衆も大勢で、とてもうれしくなりました。話をしていても、つい、力が入ってしまいます。木島さんも「すごいね」というほど、関心の高まりを感じました。この勢いを持続させたいものです。
 さて、いよいよ明日から市議増員選挙です。定数1。1つの議席を3人が争う大激戦になっています。午後からは最後の準備作業をやりました。ムードは悪くありません。勝利へ確実に近づきつつある、そんな気がします。ただ勝利が現実となるかどうかは、一定の広がりを見せている支持の輪をさらに大きくできるかどうかにかかっています。「ホーセの見てある記」の読者の皆さん、ぜひ力をお貸しください。
 市議増員選挙のページを更新し、一枚のチラシを追加しました。ご覧ください。先日も書きましたように、このHPは、公選法の関係で13日の開票が終わるまで更新できません。しばらくお休みとなります。よろしくお願いします。なお、開票結果はできるだけ早くお伝えしたいと思っていますが、選挙事務所で支持者の皆さんと語り合う時間も必要ですので、上越市のHPでご覧いただく方が早いかもしれません。それでは、また。


2005年02月04日

告示2日前

 雪のおかげで「しんぶん赤旗」日曜版の配達が思うようにいきません。昨日から配達をスタートさせたのだから、きょうで終わってもよさそうなのに、まだ6割くらいです。道の広いところでないと駐車できない。木戸先が長い。雪道なのでとびる。こうしたことが長時間かかる要因となっています。もっとも、時間がかかるのは雪のせいばかりにはできません。読者の方は私にとっては大事な味方、配達のついでに告示前の最後のあいさつもしてまわりました。
 明日は木島前衆院議員がやってこられ、一緒に街頭演説をすることになっています。一応、演説する場所の計画は立てたのですが、問題は除雪状況と天候です。きょうはブルが圧雪はぎをやり、幅取りもしてくれましたので、道の端に宣伝カーを止めて演説することがなんとかできそう。でも雪が降って道がまた狭くなればお手上げです。それに明日の天候がどうなるのか。雪が降って風でもあろうものなら、熱心な支持者でもない限り参加してくださらないでしょうね。頼むから晴れてくれ。
 3日前から有線放送で3人の立候補予定者が登場、「今後のまちづくり」についてアナウンサーの質問に答える形でのべています。時間は6分間。五十音順で登場するので、きょうは私でした。一昨年に制定した吉川町まちづくり基本条例にふれながら、今後のまちづくりについて語りました。朝早くの放送にもかかわらず聞いていてくださる方もいるのですね、「3人の中で一番良かったですよ」と声をかけてくださる方もありました。ありがたいことです。


2005年02月03日

スキー服で頑張ることに

 告示3日前。準備すべきことはまだたくさん残っています。きょうはその一つひとつを確認しました。候補者カーに乗ってまわる時の衣服もそのひとつ。夏場ならば、準備らしきことはまったくする必要がありませんが、冬場はそうはいきません。スーツを着て…、というスタイルはよほどのぽかぽか陽気にでもならないとだめ。車の窓を開けて手を振って、となると防寒対策なしではすぐ参ってしまいます。それで友だちからスキーウエアーを借りることにしました。帽子は毛糸のものを買い求めました。これで着る物はオーケーです。
 この服の着心地を確認することもかねて、選挙はがきの宛名書きをしてくれる人たちのところへはがきを配ったり、「しんぶん赤旗」日曜版の配達をしました。着心地は満点です。とにかく暖かいのが有難い。それにブルーの色も気に入りました。若々しく元気に飛び回るには最高です。これで1週間、寒さのことを心配しないでがんばることができます。


2005年02月02日

吉川区も大雪警戒対策現地本部を設置

 朝一番に川谷地区の雪の状況について確認をとりました。ブルも上がり、マイクロバス(僻地バス)も動いていました。動いていて良かったです。ただ、先月の8日、除雪が間に合わず、学校へ通っている子どもの登校時間がお昼近くになったことを初めて知りました。なだれが原因のようですが、あってはならないことが起きていました。
 昨日、吉川区総合事務所では大雪警戒対策現地本部を設置していなかったので、早急に設置するようにという事務所長あての申し入れ書を作成して8時40分に事務所長のところへ持って行きました。事務所の二階では丁度会議の最中でした。8時30分に本部を設置していて、第1回の会議を開いていたのです。あとで聞いた話ですが、すでに昨日段階で設置の方向で動いていることを本庁に伝えていたということでした。それくらいなら、昨日段階で設置の決断をしてもらいたかったですね。
 よそより設置が遅れた理由は、どうも過去25年間の積雪量の加重平均1メートル18センチにこだわっていたためのようです。しかし、この数値までいけば、警戒対策現地本部というより豪雪対策現地本部でしょう。山間部で2メートルを超え、まだ降り続きそうだ。それだけで警戒対策現地本部を設置してもよかったのではないでしょうか。
 午後から源地区の積雪状況、道路除雪状況を自分の目で見てきました。確かに山間部は違いますね、降り方が。上川谷では除雪した後の雪の壁が3メートル前後になっていました。一人暮らしのある家では、家の周りの雪をどかすために小型除雪機を持っている人に助力を求めていました。道路除雪はブルが通ってからあまり時間が経っていなかったせいか、思っていた以上にきれいに除雪されていました。写真は村屋の駐在所前から撮ったものです。


2005年02月01日

激しく降る雪

 朝からものすごい雪の降り方でした。妻は列車も高速バスもだめだったとかで、勤務先まで次男から送ってもらいました。除雪車は2回ないし3回出動したにもかかわらず、間に合わず、道路は圧雪ができ、せまくなるばかりでした。午後から村屋まで出かけたのですが、細かい雪がサラサラと降り、無事帰れるか心配になりました。
 夕方、川谷のある家に電話をして雪の様子を聞いて驚きました。すでに2メートルを超え、きょうだけでも50センチは積もったのではないかということでした。そして訴えてこられました。このままいくと、除雪車が来なくなり、僻地バスも動けなくなる。もし火事が出たらどうすればいいのか、急病人が出たらどうするのか、と。これはもう緊急事態一歩手前といってよいでしょう。
 こうした状況は市役所本庁にも知っておいてもらう必要があります。杉本市議を通じて確認したら、雪対策室では実態を把握していないということでした。なんということでしょうか。そしてもうひとつ、上越市にある13区のうち、9区で大雪警戒対策現地本部が設置されていた(午後4時現在)のですが、吉川区は未設置となっていたのです。どういう理由か分かりませんが、総合事務所付近の積雪が21センチの名立区でも現地本部ができているのに、その3倍はある吉川区が未設置というのは納得できません。


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