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2006年12月投稿分

2006年12月31日

1年間ありがとうございました

 きょうは大晦日、新聞の配達集金もラストスパートです。夕方4時半過ぎまでがんばりました。何回訪ねても留守の家が数軒あり、集金100%にはなりませんでしたが、昨年より未集金件数は減りました。がんばったほうです。年賀状書きは、きょうからはじめました。明日の朝までには終了させます。
 次男が帰ってきて、きょうは家族7人全員がそろって夕飯を食べました。すき焼きをみんなで楽しくいただきました。食べている間、ずっとニコニコしていたのは父です。孫の顔を見ることができる、それだけでうれしいのでしょう、何度も長男、次男の顔を見ながら、「家族みんなの写真撮ればいいのに…」を繰り返していました。もちろん、写真は私の方で撮りました。
 「ホーセの見てある記」、これで2006年は最後となりました。ご愛読くださいました皆さんには心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。これからも日々の生活記録、活動記録として続けていきたいと思っていますので、新年もよろしくお願いします。


2006年12月30日

山間部で配達、ソバやモチをご馳走になりました

 山間部は雪がまた降り、25センチほどの積雪になりました。今年最後の「しんぶん赤旗」日曜版なので、1軒1軒挨拶をしながら、配達集金をしました。この地域は、12月議会中、仲間や後援会の人たちから配達してもらっていたこともあり、みんな懐かしがって声をかけてくださいます。「テレビで(質問の様子を)見ていたよ、がんばっているね」「原発の問題、気になっていたがだ」「道の問題、懇談会で言った事、ちゃんと取り上げてくんなって、ありがとう」などといった声を寄せてもらうと、議員としてはうれしいですね。
 配達をして、きょうはいろいろなものをご馳走になりました。昨日ついたばかりのモチを焼いて食べさせてくれたのはHさん。もちろん、新米のモチです。ねばりっけがあって、とてもおいしいモチでした。Sさんのところでは、ちょうど、そば打ちをしている最中でした。「コタツに入ってちょっと休んでいてくんない、じきにできるから」と言われ、できたばかりのソバをいただきました。Sさんは、同級生にも頼まれて、年越しソバをつくっておられたのでした。いやー、タイミングが良かった。
 『議会と自治体』新年号に掲載されたHP座談会を読んだ人から初めてメールがきました。魚沼市のKさんです。メールには、「私も自分流でホームページを開設しています。機会があつたら、見てご指導下さい」とありました。こちらは指導できるようなレベルには到達していませんが、今回の座談会の記事を読んで、開設しているHPを充実させようとしている人がいることはうれしいことです。KさんのHPを見たら、ガッツあふれたトップページになっていました。


2006年12月29日

やはり冬、また雪になりました

 また雪です。月初めに降った雪がどんどん消えてなくなり、20日くらい雪の無い生活をさせてもらいましたので、そろそろやってきそうだなと思っていたところでした。吉川区の山間部は20センチほど降ったそうです。私の家の周りは1センチくらいでしょうか。今回は風が強い。こういう時は平場は少なく、山間地が積もります。
 きょうは朝から晩まで「しんぶん赤旗」日曜版の配達と集金でした。今年最後の配達でもあるので、1年の区切りの挨拶もして、議会の感想なども聞いて、となりますと、結構時間がかかります。明日は山間部での配達です。雪の降り方がほどほどであればいいのですが。
 夜は疲れたので妻と一緒に柿崎区のハマナス温泉センターへ行ってきました。ここのホテルのお風呂は何回か入っていますが、こちらは初めてです。お風呂はあまり大きくなく、銭湯のような雰囲気があって、大衆的な感じでした。体がとても温まり、家に戻っても体がぽっぽしていました。


2006年12月28日

『春よ来い』ランキング入り

 一生懸命さがしても見つからない。よーく考えてみたら、自分が持っていた。こんな失敗をまたしてしまいました。10日前に脳外科で診察してもらった際に、健康保険証がないということで、今月中に届けることになっていました。じつは保険証が新しくなってから一度も使ってなく、家のどこかにしまいこんだものと思い込んでいたのです。さがしているうちに、長女に、「自分のものは、自分で持っているんじゃないの」と言われ、ハッとしました。そういえば、保険証は一人ひとりに出されていたんだ。ということは……。自動車運転免許証と一緒になっているのを「発見した」のは、それから間もなくでした。これなら、医者のところへ行った時にも持っていたはずなのに。あー、情けない。
 きょうは、午前中に脳外科まで行き、午後、吉川区に戻りました。役所は、きょうが御用納めです。そのため、「しんぶん赤旗」日曜版を1日早く配達しました。31日号と7日号の合併号ということもありますが、県議候補が決まったことから、上野公悦さんを紹介するチラシなどもあって、たいへんぶ厚いものとなりました。すでに多くの人たちは、上野さんの出馬を知っています。「いよいよ始まったね」「たいへんだけど頑張ってくんない」などといった声をかけてもらいました。ありがたいことです。明日から2日間は役所以外の配達、集金です。どんな声が寄せられるか楽しみです。
 夕方、高田の春陽館書店から本の追加注文がありました。社長さんの話によると、順調に売れているようです。今朝の上越タイムスでは本のランキングの8位になっていました。1週間にどれだけ売れたのか知りませんが、滑り出しとしては上々です。私の本は前著もそうでしたが、読んだ人が広めてくださいます。でも、このようにランキング入りすることも1つの宣伝になります。来週、再来週とどうなっていくか、楽しみがひとつ増えました。


2006年12月27日

市役所での今年最後の仕事をしました

 午前は自治基本問題特別委員会、午後から新年度市予算編成などに関する市長への申入れでした。市長の都合がつかなかったということで、中川助役が応対しました。事前に議員団で協議時間をとって整理したので、市民の皆さんから寄せられた要望は項目ごとに区分してあります。要望書を改めて見てみると、市政の課題は地域自治区、在来線、品目横断的経営安定対策など山積みです。市民の立場にたって、ひとつひとつの課題にぶつかっていくには一に勉強、二に勉強です。
 年越しまであと数日だというのに、年内にやるべき仕事がまだいくつも残っています。きょうは、そのうち、市政レポート新年号づくりに精を出しました。表紙の写真は毎年、新しい年のHPのトップページに載せるものを使います。今回は下町から尾神岳を望む風景にしました。ここも田んぼがあり、稲の生育具合などをみてもらえます。問題は裏面、下段は一般質問の残りの部分を紹介することにしました。あとは、「春よ来い」です。新年にふさわしい話題をと構想を練り、準備しました。これは明日の午前中に一気に書きます。
 昨日の記者会見で日本共産党の県議候補が出ることがはっきりして、無競争はなくなりました。これで各候補の動きがにわかに活発化した感があります。市役所では現職の県議会議員と偶然会って挨拶しましたが、挨拶ひとつとっても力が入っていましたね。わが党の上野公悦さんは、記者会見を機にピッチが上がってきました。今年の年末年始はすべての時間を上野さんのために使うつもりでがんばりたいと思います。


2006年12月26日

県議選記者会見

 議員団ニュース作成などで朝早くから忙しい一日になりました。午前は吉川区総合事務所長、次長との情報交換をやりました。地域協議会での吉川区に関する地域事業の勉強会、コミュニティプラザ工事の進捗状況、区内の3セクの動向などについて説明を受けた後、こちらからは議会での審議状況などについて報告し、意見交換しました。地域事業に関しては区内の住民に情報を十分公開して見直し作業をすすめるよう求めました。合併時に吉川区の地域事業としてエントリーしたもののなかには、現時点で、明らかに不要と思われるものもあります。ここはしっかりと対応してほしいところです。
 午後からは記者会見でした。記者会見の場にはこれまで何回か出ていますが、質問される側にすわっての会見は初めてです。少し緊張しましたね。会見は県議選の上越市区における党候補擁立にともなうものです。候補となる市議団事務局長の上野公悦(うえの・こうえつ)さんと市議3人、そして阿部正義党上越地区委員長が会見に臨みました。上野さんは発言能力抜群の人です。きょうも立候補の挨拶だけでなく、新幹線整備と在来線対策、道州制問題、上越地区の農業振興などについてズバズバ発言しました。原稿ひとつみることなく、自分の思っていることを堂々と語る、これは彼の大きな魅力です。(写真の左から2人目が上野さん)
 記者からの質問の中には思いがけないものがいくつかありました。例えば、大学を卒業してからどうしたかについては、私でも知らない部分がありました。こちらへ来ても小学校の教師をめざしていたこと、お連れ合いの法子さんは、数年間、臨時講師として勤めていたことなどを聞いて、びっくりしました。公悦さんは岩手県生まれの長男です。法子さんにほれて頸城まで来てしまっただけではないことを、きょうの記者会見で改めて知りました。記者に、「そういう経歴の中で、いまの教育、どう思われます」と聞かれて、教育を語る時の彼の顔は実に生きいきとしていました。この人は子どもが好きなんだと思いました。全力で応援したいと思います。


2006年12月25日

本の話題が広がって…

 今年最後の党議員団会議でした。新年度予算などについての市長への申入れ、自治基本問題特別委員会のまとめについての協議、県議選対策などについて3時間ほど話し合いました。市長への申入れは年内にということで、27日午後1時15分から行うことになりました。県議選に関する記者会見は明日午後3時から、党市議団全員が参加することにしました。
 市役所の木田事務所では何人もの人から声をかけてもらいました。いずれも、『春よ来い』などの注文とか感想です。まず、軽トラから降りようとしたら、吉川区に親戚があるというTさんが近づいてこられ、「何とか『幸せめっけた』心配してもらえませんか」。前著の在庫分はわが家の保存用の数冊しかありません。どこかに眠っているのがないか探してみようと思います。議会で論戦相手となるKさんとはお昼休みに階段のところで偶然会い、数十年前の農家の暮らしのことなどを話しました。Kさんのところでも牛を飼っていたとか、本を読んでとても懐かしかったそうです。吉川区の総合事務所では私と同じ地区出身のHさんから、「おらちのばあちゃんに見せたいし、本ある? ナナトリなんて地名が出るだけで年寄りが喜ぶと思ってさ」。ありがたいことです、そんなふうに受け止めてもらえるのは。
 夜は県議選対策を中心にした会議でした。年末年始は大忙しとなりそうです。会議が終わったのは9時半過ぎ、それから議員団ニュースと市政レポートの新年号の作成にかかりました。明日には「しんぶん赤旗」日曜版のポストおろしをする人もいるとのことなので、明日午前中には完成させなければなりません。


2006年12月24日

やはり生活相談が…

 昨日の午後とはちがってきょうはずっといい天気でした。時折、陽もさしました。この時期の太陽さんは何をするにもありがたいですね。おかげ様で、朝から夕方までいくつもの仕事をさせてもらいました。新聞代の集金、支持拡大、注文のあった本の配布、発送、生活相談とフル回転でした。
 この時期、必ず増えるのが借金返済などの生活相談です。議会が終わるのを待って持ち込まれることが多い。21日の閉会後、きょうまでなかったので、ことしはいい年だったのかなと思っていたのですが、案の定、深刻な悩みが寄せられました。年末まで1週間、あと何件の相談がくるのか……。


2006年12月23日

本を持って大島区へ

 「しんぶん赤旗」日刊紙の配達が終わってから、上川谷まわりで大島区へ向かいました。昨日、千葉県に住む従弟と電話で話をしたら、一時も早く、出来上がった本を読みたいと言っていました。大島区の親戚の人たちも同じです。それで届けに行ったのです。すでに待ちきれなくて、勤務先の社長に書店で買ってきてくれるよう頼んだ人もいました。親戚ではないのですが、私を知っている大島区在住の元公務員のSさんは、わざわざ高田の春陽館まで買いに行ってくれた、ということも聞きました。6年前の『幸せめっけた』の時も大山温泉あさひ荘でたくさん販売してもらいましたが、今回もお願いしてきました。大島区の皆さんは、あさひ荘でお買い求めください。
 午後からは「しんぶん赤旗」日曜版の配達と集金でした。雨が降りやまず、雨に濡れながら配達を続けました。集金時の話題は12月議会のことと、『春よ来い』のことです。昨年の市長選の前に自民党上越支部が集めた寄付金についての関心は高く、「木浦市長への迂回献金だった可能性は高いね」とのべている人もいました。今後の調査が中途半端だったり、議会の追及が弱かったりすると市民から反発の声が出る、そんな気がしました。『春よ来い』については、遠くに住む親戚に送りたいと何冊も注文してくれる人が3人もいました。贈答用に使ってもらえるなんて、とてもうれしいです。


2006年12月22日

地元紙が『春よ来い』を紹介

 今朝の地元紙・上越タイムスが私の本のことを紹介してくれました。写真を2枚も使ってくれ、5段にもなる紹介です。本を全部読み、前著との比較もして、1時間半余りの取材をしての記事です。「心の柔らかい琴線に触れる人のぬくもりが、砂金のようにキラッと光る話ばかり」という言葉でほめていただいたのはとてもうれしい。39編もの話の中から何を取り出して紹介してくれるのかとずっと考えていましたが、予想通り、「夕陽」でした。老いて、認知症がはじまったばかりの父の姿を見つめた、さらりとした話ですが、多くの人が経験するドラマの一つなので、いい選択をしてもらいました。
 きょうはまず、市政レポートづくりからはじまりました。朝3時過ぎに起床して、超特急で作成しました。今号は私の一般質問の紹介です。答弁書を改めて読んだら、原発問題に関しては再質問しなくてよかったと思いました。正に百点満点、私が期待したことが100%書かれていたからです。地域防災計画の見直しについて、原子力防災を視野に入れて検討するという約束は、他の自治体にも大きな影響を与えるに違いありません。政府に原子力政策の転換を求める点でも驚くほど積極性に満ちた答弁でした。市政レポートは来週前半中に、もう1枚作成しなければなりません。新年号です。
 午後からは市役所で学習会でした。ガス水道局の岩滝さんから講師になってもらい、公営企業会計の基本について学びました。朝から頑張りすぎたので、前半はしゃんとしなかったのですが、コーヒー一杯を飲んだら完全に目が覚めました。コーヒーがこれほど効くとはびっくりでした。日頃から、公営企業の経理、財務諸表の見方など、自分で説明できるようにならないといけないなと思っていましたので、とてもいい勉強になりました。きょうの学習会のことを忘れないうちに復習すれば、議会でも突っ込んだ質問ができるようになるかも知れません。それが講師に対するお礼です。


2006年12月21日

一転、賛成へ

 12月議会の最終日でした。市長の給与を30%、2ヶ月カットする追加議案をめぐる質疑は緊張感あふれたものになりました。議場がピーンと張り詰めた空気になる、しかも長時間、その状態が続くというのは久しぶりでした。質疑を行った市民クラブの本城議員、日本共産党議員団の杉本議員、ともに疑惑解明にふさわしい質疑を展開してくれました。14日の市議会全員協議会の時に、日本共産党からの質問は私にやらせてくれないかと杉本議員に言ったのですが、あの日も、きょうも杉本議員にゆずって良かったと思いました。疑惑追及ということになると、しっかりとした論理の展開が求められます。私にはなかなかできないものを持っているなと思いました。
 自民党上越支部への企業・団体献金をめぐる注目点は2つありました。1つは、市出資の企業や市が奨励金などを出している企業の不正献金。もう1つは、木浦政経事務所など木浦陣営に献金するために上越支部を「迂回」したのではないかということです。14日の市議会全員協議会では、「献金は寄付者の意思がポイントだ。今回のものはあくまで自民党支部への献金だった」などと、市長は自己保身のためと受けとれる説明、答弁を繰り返していました。これじゃだめだなと思いました。だから、追加議案については反対討論をする準備をしていました。
 総括質疑、委員会質疑が終わった段階で採決を前にして15分休憩しました。市民クラブの田村委員の申出によるものでしたが、市民クラブも日本共産党議員団もこの15分間で議案に対する態度表明を最終的に決めました。どちらも、賛成ということになりましたが、これまでの流れからいって、討論ではなぜ賛成したのかを言わないといけません。市側が真相解明を続けるとした点、もし、市長の責任にかかわる新たな事実が判明したら、それも議会に諮っていくとしたこと、さらに、不正献金をした企業に対しては市としてできる措置をとるとのべたことを評価して、賛成理由にしました。それにしても土壇場で議案の態度を変更するのはきつい。討論では、原稿ナシにしゃべるはめになりました。
 家に戻ったら、党中央委員会発行の『議会と自治体』新年号が届いていました。先月、党本部で行ったHPについての座談会も載っています。さっそく開いて、もう一度読んでみました。やはり、自分が登場しているものを読むのはうれしいですね。私の顔写真は、人間性があらわれるのか、どうしてもボーッとしている感じになってしまいますが、今回もそうでした。ま、そんなことはどうでもよいことです。私たちの座談会を読んだ人たちが、「よし、HPを開設するか」という気持ちになってくれればいい。


2006年12月20日

休会日も忙しい

 きょうは休会日。やろうと決めていたことがいくつかあります。まず、新刊『春よ来い』を書店におろすこと、議会報告の準備をすることなどです。このうち本については、地元の吉川区や大潟区の書店がなくなってしまったことから、柿崎区の佐藤書店、高田の春陽館、直江津の柿村書店にお願いしました。びっくりしたのは春陽館へ行った時です。すでに私の本についての問い合わせがあったというのです。ありがたいですね。
 お昼前後からは市役所で動きました。柿崎区内での県道補修要望への対応、議会報告で使用するデータの収集、そして小林教育長との懇談です。小林教育長は私の大学の大先輩ですが、なかなかの研究熱心な方で、議会外で話してみたい人のひとりでした。話してみて、思っていた以上に身近な人だということがわかりました。柿崎区にお住まいの元小学校長さん、村上市在住の桑名さんなど私がよく知っている人たちと同級生だったのです。また、一時期、教育の分野ですが、佐渡について研究されたことがあるそうです。じつは、私の卒論テーマは佐渡鉱山労働者のことでした。私がお世話になった田中圭一さんや磯部欣三さん(故人)についても知っておられ、世間というのは狭いと改めて思いました。
 夕方は地元新聞の記者から『春よ来い』について取材をされました。すでに私の本を全部読まれていて、「本を読んだら、すぐにあなたに会いたくなった。吉川の魅力がじつによく書かれている。特にお父さん、お母さんについての文が秀逸だ」などとほめてもらいました。この記者は私の前著『幸せめっけた』も丁寧に読まれていて、それからの発展についても語ってくれました。ここまで考えて、記事を書いてくださるというのはとてもうれしい。どんな記事になって出るのか楽しみです。


2006年12月19日

私の出番…一般質問5日目

 一般質問はきょうが最後、私の出番がやっときました。テーマは市道整備、広報対話、原発、学校給食の4つ。市議になってから質問テーマを4つもかかげたのは今回が初めてです。制限時間30分のところ、1回目の質問で19分を使ってしまいましたので、学校給食問題での詰めがちょっと弱かったのが心残りです。このところノー原稿で質問をしていますが、テーマが多い時には原稿を用意して、読んだ方が時間短縮できるかもしれませんね。要検討です。
 答弁では、行政と住民の協働による道づくり事業の検討を約束したもらいました。また、市長が原発事故を想定した地域防災計画の見直しについて、踏み込んだ言及をしてくれたのはうれしいことでした。県の防災計画との整合性という点から、これまで原発のある地元自治体以外で原子力災害を想定した計画づくりがされることはありませんでした。しかし、原発は安全という神話が完全に崩れ、昨今のように、事故隠しやデータ改ざんが相次ぐようになっては自己防衛をしなくてはいけません。区の総合事務所だよりやHPについても改善の動きが期待できる答弁でした。これはしっかりと見守って行きたいと思います。
 私以外では、石平、吉田議員などの論客が登壇しました。石平議員は総合事務所長の実質的な権限不足を指摘し、地域自治区の運営改善について言及しました。野澤企画・地域振興部長が、「予算と事務分掌のあり方で整理が必要」と答弁していましたので、今後の具体的な動きに注目です。ひとつの質問で必ず聴衆の心をキュッとつかむ言葉を挿入するのは吉田議員。今回もPDCAサイクルについてふれ、「僕は中郷の中学生にスキーをやらせています。子どもたちが一番好きなのはリレーだといいます。チームのためだと力が出る」とやっていました。チームプレーがいまいちの市役所職員の仕事ぶりをチクリと批判したのはさすがです。新井議員の発言も最近注目しています。生意気なことを書きますが、まだ若い議員ながら、勉強してどんどん腕を上げているのが見えます。きょうの農地の「貸しはがし」発言はマスコミも注目することでしょう。
 午後の休み時間。後援会事務局の人がきょう届いたばかりの『春よ来い』を持ってきてくれました。やはり、自分の本を手にした時はうれしい。職場に妻を迎えに行ったら、「いい本になったねぇ」と言ってくれました。家に戻ってからは、カバー写真を提供してくれた平田一幸さんや後援会幹部の人のところへ本を届けに行きました。本のカバーに写真が使われたのは初めてという平田さんも喜び、この写真を撮った時のエピソードを語ってくださいました。そばにいたお連れ合いが涙を浮かべておられたのには感動しました。


2006年12月18日

「限界集落」意識した質問相次ぐ…一般質問4日目

 うれしいニュースから。明日、『幸せめっけた』の続刊が出ます。心配したカバー写真もとてもいい色になって、本のタイトル『春よ来い』にぴったりです。出版社は同時代社です。私たち夫婦の仲人をやってくださった古厩忠夫さん(故人・新潟大学教授)の遺稿集出版でお世話になったのがご縁で、お力添えいただきました。定価は税込みで1200円。ご注文は、書店か、私のところへメール、またはファックス(025-548-3628)にてお願いします。
 きょうは一般質問4日目でした。トップの笹川議員は都市区画区域の見直しとともに中山間地問題を取り上げました。ここでは私の3月議会の質問を発展させて中山間地域振興条例の制定を提案しました。過疎地域自立促進計画だけでは足りない。市の責務や基本方針を明確にしたうえで振興策を充実させてほしい。この訴えに野澤朗企画・地域振興部長が「私もたいへん重要なことだと思っている」と答えてくれました。きょうは、笹川議員の質問だけでなく、小関信夫議員、岩野虎治議員も「限界集落」(65歳以上の人口が過半数の集落をいいます)という言葉を使っていました。私の質問を起点にしてこれだけ広まったのは、朝日新聞や新潟日報に限界集落について何本も記事が書かれたからだと思います。ありがたいことです。
 夕方、追加議案が提出されました。市長の給与の2ヶ月、30%カットの条例(一部改正)とそれに伴う一般会計補正予算です。提案理由の要旨も配布されましたが、その中では、「昨年、私の関係する資金管理団体等が受けた寄付に起因して、市政に混乱を与えた」「これを機会に当市が出資等をしている法人に対して、法令順守を強く求めるなど、再発防止に努めてまいります」とありました。この数行の文章をめぐって活発な議論がかわされるはずです。わが議員団からは団長が総括質疑に立ちます。
 


2006年12月17日

盛り上がった地区党会議

 まだ党内の手続きが終わっていないので、正式には発表できませんが、上越市選挙区から出馬する日本共産党の県議候補者が事実上決定しました。本日の上越地区委員会の党会議では、地区委員長からこのことが報告され、立候補予定者が挨拶しました。待ちに待った候補者です。県内第3の都市から候補者を立てられないということでもんもんとしていた党内の空気は一気に入れ替わり、新鮮な空気に満たされました。「最良の候補だ。候補者になったつもりで頑張る」「元気が出た。国政でも県政でも国民にとっては大変な事態になっているのに、県議選を闘えなかったら、こんなだらしのない党だったのかということになった。よかった」。立候補予定者は私の大事な友人です。全力をあげてがんばりたい。
 夜の「囲む会」は今年最後です。激しいカミナリが鳴り、一時的に停電するような悪天候でしたので、誰も来ないのではないかと思ったのですが、大勢参加していただきました。スライドも公民館の壁が白かったので、最大の画面にして話をさせてもらいました。懇談の部では、道路の草刈りが遅すぎてガードレールが草に覆われていたとか、昨年の梅雨前線豪雨で崩れた県道の土手の復旧工事がきちんと最後までやられていない、市の広報は見るところがないなど次々と出してもらいました。これらは私の一般質問で活用させてもらいます。司会進行をしてくれた後援会の人が、一年の締めくくりの「囲む会」としては最高のいい雰囲気で終わることができたね、と喜んでいました。
 (17日の夕方の激しいカミナリでまたしても保安器がやられました。これで今年は2度目です。おかげで更新が遅れました)


2006年12月16日

「囲む会」の改善提案も出た

 雪がどんどん消えています。3日、4日と降った雪は山間部でドンと積もりました。吉川区内の最高は上川谷の94センチでした。誰もが根雪になると覚悟したのですが、あれから降雪はほとんどありません。尾神や坪野も平らなところは消えました。上川谷はまだ3センチ残っているのだそうです。そうそう、5日に市長が上川谷の県道の開通式に来た時、上川谷の積雪量に驚き、市のHPに載せるよう職員に指示していましたが、すでに載っていますのでごらんください。これで吉川区内の降雪、積雪量は、総合事務所、坪野、下川谷、上川谷と4ヶ所で確認できるようになりました。
 きょうは午前は「しんぶん赤旗」日曜版の配達でした。午後からは炬燵に入りながら父の「子守」をしました。父は1時間の間に何回もベッドから起きてきて、炬燵のところへやってきます。「なんだ、とうちゃんいたがか」「ああ、いたよ」「おまんた、風呂の水どうしているがだ。山から引いているがか」「いや、水道の水で沸かしているよ」「水道?」……こんな調子で会話をしていますが、どうやら、父の頭の中は尾神岳のふもとに住んでいた時のことと今の場所での生活がごっちゃになっているようです。
 夜は「囲む会」でした。忘年会などがあって、集まりはいまいちでしたが、参加者全員が意見や質問を出してくださり、いい会になりました。市の広報については、もっと身近なことを掲載してくれという声と、大きい市になったから今の内容でしょうがないだろうという声がありました。「囲む会」は今晩が36会場目だと言ったら、ある参加者が提案してくれました。「あんたがこうしてまわるのはいいことだが、回りきれないだろう。今度、だれでも説明できるようにスライドをつくり、簡単なシナリオも書いてくれ。3ヶ月に1回ぐらいはこういうのをやってもらいたい」。いいことですが、やってくれる人がいるかどうかが問題です。なんだかんだとやりとりし、最後は、来年はスライドだけでなく、動画も使って議会報告をやりますと約束してきました。さあ、たいへんです。今年の「囲む会」は明日で一区切りさせてもらいます。残った集落は新年の遅くない時期にかならずやりますのでお許しください。


2006年12月15日

一般質問3日目

 きょうも、市役所5階は昨日の話題で持ちきりでした。ある人が、「市川さん(議員・自民党上越支部長)はウソのつける人ではない。真っすぐな人だ。こういう人がソンをして、上手に世渡りする者が生きのびていく、こういうのってやだね」と言いました。するとすぐそばの人が「市川さんを励ます会をやってあげたいね」と言っていました。市長が今回の不正献金疑惑で議会や世間を騒がせたとして自らの減俸処分を明らかにしましたが、その議案の総括質疑、委員会質疑が21日の最終日に行われることになりました。疑惑解明の舞台は用意されました。
 きょうは一般質問3日目でした。トップバッターの仲田議員は、各区の総合事務所の人員配置は適正配置されているか、総合事務所長の権限はどのように拡大されているのかと質問しましたが、これには13区選出議員が注目しました。総合事務所長権限については、「支出負担行為では95%、許認可では25%、所長のところで完結するようになっている」という答えでした。答弁の中で、「災害時は迅速な対応ができるようにしている」というのがありました。これは権限の問題でのべたのでしょうが、各区にいる職員が激減しているもとでは、弱体化しているというのが実態です。
 首長体験者が首長に予算編成方針を訊く。今回の一般質問では旧安塚町長だった矢野議員と旧中郷村長だった吉田議員がこれをやります。それぞれ個性あふれた自治体運営をやってきた人だけにどんな質問になるのか注目でした。きょうは矢野議員が質問に立ちました。「合併後の財政は健全財政か、厳しい財政か」ではじまり、「各種計画がいっぱいあるが柱となる総合計画の実施計画がない中で、何をもとに市長査定をされるのか」とシビアな質問を展開しましたが、やはり木浦市長を応援した議員です、最後は、「市長は美しく行動力のある人であってほしい。暗いイメージを吹き飛ばして夢のある予算編成を」と結びました。
 最後に、心配されている方があるかもしれませんので私の体調について一言。午前の会議がはじまってから、右腕に違和感を覚えるようになりました。ボールペンを強く握れなくなり、しびれが断続的にありました。それで議会事務局から手配してもらい、午後から脳外科へ行って検査してもらいました。一番恐れていた脳梗塞の疑いはありませんでした。午後3時半には復帰しましたが、無理はできないなと感じています。


2006年12月14日

減給処分で終わりそうもない気配に

 14日夕方、市議会第2委員会室は数台のテレビカメラが入り、緊張感につつまれました。自民党上越支部の昨年度の収支報告書のなかに記載された企業献金に問題あり、そこには献金が禁止されている市出資企業の名前もあった、との新聞報道を受けて、木浦市長の説明と質問が行われることになっていたからです。この問題に関する市民の関心は高く、傍聴者も日頃より大勢でした。
 市長の説明はたんたんとしたものでした。まず、自民党上越支部から市長の関係団体に対する献金について事実経過を説明しました。「このうら正幸政経事務所」については、7月19日に500万円、9月8日に250万円……合計875万3392円。「木浦正幸後援会」については3月29日に400万円の献金を受けた、と報告しました。
 続いて市長はこう述べたのです。(これらの献金は)法に基づいて適正に処理し、県選挙管理委員会に報告した。企業が自民党上越支部に寄せた献金については、支部が自主的に企画したものだ。(政経事務所などに寄せられた)献金の中身についてはまったく知る由もなかったと。さらに、問題となった市出資企業の献金について言及した市長は、今後、調査していくことを表明しました。上越ケーブルテレビジョン(500万円、1%出資)と直江津海陸運送(760万円出資、10%出資)です。両方とも、自民党上越支部への献金は収支報告書で記載されていますから、当然のことです。
 最後に市長は、自らへの処分について発表しました。ご迷惑をおかけしたとして給与(1ヶ月97万8000円)の3割カットを2ヶ月行うとのべました。
 市長の説明後、市民クラブの本城議員、日本共産党議員団の杉本議員など3議員が質問に立ちました。最大の焦点となったのは、昨年、自民党上越支部に寄せられた企業献金が市長への「迂回献金」だったのではないかという点です。新聞報道(14日付け読売新聞)では、同支部長の市川文一議員が「選挙支援のため、支部が市長への献金窓口となった」とのべているとしていますが、市長はこのことについては全面否定しました。新聞記事に間違いがあるか、市長の認識違いか、これから究明しなくてはなりません。
 質問の中で杉本議員が注目すべきことを明らかにしました。自民党上越支部に寄せられた企業献金の中に、市から奨励金をもらっている企業があることを指摘したのです。政治資金規正法ではこうした給付の決定通知を受けてから1年間は政治活動に関する寄付をしてはならないことになっていますから、寄付をした日によっては新たな不正献金になる可能性があります。
 今回の問題は木浦市政が存続できるかどうかの問題に発展しそうな気配になってきました。


2006年12月13日

一般質問第1日目

 まずは訃報から。旧吉川町議会初の女性町議だった塚田トミエさんが膀胱がんのため昨日亡くなりました。87歳でした。塚田さんは旧大島村板山生まれで、いまは消滅した旧吉川町貝平という小さな集落から立候補、見事当選されました。私は当時、まだ子どもだったのですが、バイクの後ろに乗せてもらい、選挙運動しておられた姿を記憶しています。6年前に私の『幸せめっけた』の中に塚田さんのことを書いたことから、付き合いが始まり、プロレタリア歌人だった山田あきさんのことなど、いろいろと教えてもらいました。心からご冥福をお祈りいたします。
 さて市議会、残念ながら緊急質問は通告を出したわが議員団と市民クラブがやるべきだと主張しましたが、他会派の賛同が得られず実現しませんでした。マスコミ各社が大勢駆けつけていた中で、議会運営委員会でのこの決定は情けない。市民の関心は高く、一時も早く議会のもつ権限を行使して不正献金疑惑を解明すべきでした。
 緊急質問がなかったので、きょうは当初の予定通り、一般質問です。市民クラブの近藤議員からはじまって7人が登壇しました。質問のやりとりのメモを議員控え室に忘れてきたので、各議員の語った言葉でお伝えできないのが残念ですが、印象に残った質問がいくつもありました。その1つは保守系会派・毘風所属の水沢議員の道路特定財源についての主張でした。身近な道路整備の必要性を認めながらも特定財源を使ってどんどん新たな道をつくる手法を批判したのは正論でした。また、永島議員の「身近なことを安心して相談できる窓口を」「市長はもっと自分の言葉で語ってほしい」という訴えも共感を覚えました。人生には上り坂もあれば下り坂もある。そして「まさか」という坂もある。そこで思いがけずぶつかった問題、いまの態勢では十分とはいえない。私もそう思いました。
 私のパソコンがおかしくなっています。どうもハードディスクがやられているらしいのです。この「見てある記」もやっと立ち上げて書きました。週末に新たなパソコンを買う予定ですが、ひょっとすれば、それまでの間に書けなくなることがあるかもしれません。


2006年12月12日

市出資企業が自民党支部に不正献金?

 あわただしい1日になりました。朝、出かける間際に新潟日報を見たら、社会面に「上越 市出資企業 不正献金か」とあります。途中で車の運転を妻に替わってもらい、杉本議員、樋口議員などに電話で連絡を取り、午前9時15分から緊急議員団会議を開く段取りをしました。
 団会議では黙過できない重大問題であることを確認、直ちに議会議長に真相解明の場を速やかに設けるよう努力してほしいと要請しました。また、緊急質問の通告を杉本団長が提出しました。市長に対してもすぐ手を打たねばなりません。5分ほどで緊急申し入れ書を作成し、党議員団の全員で申し入れることにしました。総務委員会の開かれる10時までに終了させる必要がありました。市長は来客中だったので、助役に文書を手渡し、事実関係と市長の責任を市民に明らかにすることを求めました。中川助役は、「市長に伝えます」と答えましたが、緊張感が漂っていました。
 午前10時、総務常任委員会開会。質疑の冒頭、杉本委員がさっと手をあげました。市長の出席を求めて、市出資企業による自民党支部への献金問題について真相を解明するよう求めたのです。これに対して、各委員から次々と見解が表明されましたが、賛意を示したのは市民クラブの田村委員だけでした。市長を呼んでも市長はわからないのではないかとか、議会で解明する必要がないといった趣旨の発言を聞いてあきれてしまいました。これでは何のために議会はあるのか。最後にまとめたのは議長でした。今定例会中に市長の出席を求めて真相を解明する場を設けるので議長にまかせてもらえないかというまとめです。
 総務常任委員会終了後でしたから、午後3時頃だったでしょうか、議長発言を受けて各派代表者会議が開かれました。14日の一般質問終了後に、市長が出席して全員協議会を開く。そこでの議論を聞いて、緊急質問が必要となれば、改めて通告を出してもらう。これで各派がまとまったとの団長からの報告でした。しかし、2日も間をおくのは疑問です。市民はきちんとした解明を速やかにやるように求めているはずです。議会が、もたもたしているようにみえれば、議会に対する不信感も出てくるでしょう。協議した結果、議員団としては明日からの一般質問の前にも緊急質問をやるよう求めることにしました。市民クラブも緊急質問にベテラン本城議員が名乗りを上げました。議会運営委員会は明日午前9時からです。
(参考資料)日本共産党議員団の市長への申入れ文は以下のとおりです。
 本日の新聞報道によると、木浦市長の2期目の選挙支援をした自民党上越支部に対して、市出資企業である上越ケーブルテレビジョン及び直江津海陸運送が政治献金をしたとあります。
 いうまでもなく、地方公共団体から出資を受けている会社が、その公共団体の議会議員、若しくは長に係る候補者を推薦支持する政治団体に献金することは、政治資金規正法第22条3で明確に禁止されたことであります。もし、今回の報道が事実だとするならば、市長の資格にかかわる重大問題だといわざるをえません。
 よって、当市議団は、以下の2点について申し入れるものです。
1、 自民党上越支部に対して、市出資企業である上越ケーブルテレビジョン及び直江津海陸運送が政治献金をしたという新聞報道を受けて、事実関係を市民に明らかにすること。
2、 報道が事実ならば、市長として、その責任を明らかにすること。


2006年12月11日

建設企業常任委員会

 4つの常任委員会審議の中で審議時間が一番短いのが建設企業常任委員会です。関係部局が都市整備部とガス水道局の2つで議案数も比較的少ないからです。その代わり、これはという議案に関しては集中審議となります。きょうの委員会もそうでした。港町にある特定公共賃貸住宅の家賃改定をめぐり約1時間にわたって質疑が続きました。
 同住宅は鉄骨鉄筋コンクリート造14階建て。管理戸数35戸のうち、15戸が空き家になっていました。今回の家賃改定では定額制を導入し、日当たり、景観などを考慮した家賃設定をしました。その結果、最低4万7000円、最高7万5000円の家賃となりました。他の特定公共賃貸住宅との関係はどうなるか、民間賃貸住宅と比較してどうか、改定に科学的根拠があるのか、現在入居中のものまで下げるのはいかがなものか、など賑やかな質疑となりましたが、全会一致で可決しました。
 特定公共賃貸住宅の家賃は他に14ありますが、所得に応じて家賃を決めているところもあれば、定額制をとっているところもあります。合併協議では合併後3年後に見直すことになっていますので2008年度(平成20年度)には改定することになります。
 先月の建設企業常任委員会で除雪計画が示された際、降雪予報、積雪情報など雪に関する情報は市のHPだけでなく、ケーブルテレビでも公開すべきだとの発言がありました。「検討します」と市側は答えていましたが、きょう、この検討結果が報告されました。気象会社、JCV(上越ケーブルテレビジョン)と協議した結果、放映することにしたといいます。午後6時、7時、8時、10時が放映時間で、すでに4日から放映されているとのことでした。


2006年12月10日

新潟市で党演説会

 先日降った雪はどんどん消えています。わが家では軒下に残っているものだけになりました。山間部も、多いところで30センチくらいになったのではないかと思います。朝一番に上川谷まで市政レポート配布に出かけてきました。災害現場が通れるようになってから初めて自分の軽トラで行って来ましたが、片道30分以内で楽々です。遠回りして苦労した記憶がしっかり残っているので、とても便利になった感じがします。
 さて、きょうは新潟市の朱鷺メッセで志位委員長を迎えての党演説会でした。会場が満杯になるほど盛況でした。ここ数年、国民の負担が毎年増えていきますが、委員会審議で活用したパネルを使って説明、外資系企業が自民党に献金する動きにふれて、「献金よりも税金払え」には拍手喝采でした。地方政治に関しては、新潟県政の場での日本共産党の五十嵐県議の果たしている役割をクローズアップしました。公共事業における無駄遣い、中越地震時における県議の海外旅行をめぐる話などとてもわかりやすかった。この話を聞いて、他党との違いが明確になる論戦が大事だということを改めて感じました。
 会場から出る時、ずっと私の腰につかまっている人がいました。私の選挙で何回も応援に来てくれたAさんです。「おれ、橋爪さんについて行こ。この建物から出るまで、ずっとつかまらせてくんない」。Aさんは糖尿病で目がよく見えなくなってしまったのだそうです。外へ出ても、ずっと一緒。途中、元県委員長の相沢さんや県労連の事務局長さんなどに会いました。こうした演説会では、ふだん会えない人と会えることもいいですね。


2006年12月09日

板山の伯母がやってきた

 上川谷の県道が通れるようになってとても便利になりました。わが家にとっては大島区との距離が短くなったことが大きい。きょうは、父の見舞いだということで大島区板山の伯母がやってきました。母も父も大喜びでした。母は赤飯を炊いて待ちました。私は「しんぶん赤旗」日曜版の配達があるので、ほんの少ししか一緒に過ごすことができませんでしたが、足谷の伯母(母の一番上の姉。現在、松代病院入院中)の様子や従姉の礼子ちゃんのことなどを教えてもらいました。
 きょうは早朝から市政レポートの裏面の原稿書きをしました。すでに「しんぶん赤旗」に折り込むものは印刷が終わり、配達していますが、20日頃できあがってくる私の随想集についての記述が少なすぎることや、上川谷の県道が開いたことについての思いを書きたくてがんばったのです。「春よ来い」の72回は「開通」です。ご笑覧ください。
 夜は竹直町内会対象の「囲む会」でした。議会報告後の懇談会では、上越市の広報のことや地域自治区・地域協議会についていくつも意見を出してもらいました。広報のことは私の一般質問のテーマの1つでもあります。「堅苦しい」「大きい字だけ読むが、中まで読みたくならない」など出されたご意見は質問の中に反映させてもらいます。帰ってから、テレビをつけたら、NHKで「硫黄島からの手紙」をやっていました。家族をつなぐ手紙をいのちと同じく大切にしていたことが印象に残りました。硫黄島での戦いもとてもリアルに伝えていましたね。


2006年12月08日

厚生常任委員会

 朝8時45分から1時間余りいわゆる「質問取り」でした。これは、一般質問などで何をたずねたいのか、関係課長等が質問者から聞き取り調査をすることをいいますが、私は率直に言って、この「質問取り」が苦手です。私の場合、どちらかというと、質問通告をしたあと、登壇するまでの間にぐつぐつと質問内容が煮詰まっていくのです。きょうは、ここまでの到達したレベルで課長などに説明しましたが、市道の整備、原発、広報、学校給食の4つの大項目で1時間近くしゃべり続けてしまいました。でも、このおかげで、質問のポイントが自分なりにだいぶ整理できました。
 きょうは厚生常任委員会です。一番注目したのは後期高齢者医療制度創設に伴う広域連合の議論でした。樋口議員が一昨日の総括質疑で、住民の声、意見を反映できるのかなどきびしく追及していましたが、委員会では、保守会派の委員からも、「対象者の不安を取り除くべきだ」「資料を配って、よく納得してもらってから(新たな制度に)入っていくべきだ」など慎重な意見がだされました。先日のNHKの特集番組で、医療にかかれない人たちのことが取り上げられていました。いのちにかかわる深刻な事態が広がっています。この制度がそれを加速することになるのではないかと心配している人が少なくありません。
 福祉有償運送に関する質疑も活発でした。市内では6つのNPO組織がこれに取り組んでいますが、よしかわたすけあいに代表されるように困難にぶつかっています。登録会員がなかなか増えない、会員になっても利用がいまいちだ。ボランティア組織とはいえ、財政的な支えも必要です。こうした団体に行政としても支援の手をという声が相次ぎました。また、福祉有償運送は、利用が障害者、要介護認定者など移動制約者だけに限られているので、これまで利用していたお年寄りの一部を切り捨てる結果になりました。これも深刻です。午後、健康福祉部長と話をしましたが、きょうの議論を踏まえ、NPO団体など関係者と対策を協議していくことにしました。


2006年12月07日

文教経済常任委員会

 今定例会では文教経済常任委員会が委員会審議のトップです。教育委員会、農林水産部、産業観光部関係の議案が付託されていますが、きょうは教育委員会関係で活発な議論が行われました。1つは「安全・安心な学校づくり交付金」での各種工事です。これまでの補助金制度を活用した工事から同交付金による工事に移行する初めてのケースです。交付金制度でどう変わるか、市としてはどういう基本方針・基本計画を持っているか委員会に示して議論するのは当たり前のことです。安塚小学校のグランド整備などの工事に反対する者ではありませんが、全体の基本方針・計画を示せと強く迫りました。資料を整理して後日提出するということで決着しましたが、今後、こういうことのないように、他の部局でも気をつけてほしい。
 付託案件ではありませんでしたが、市の総合教育プランの中間報告をめぐっても活発な議論が展開されました。仲田委員がわかりやすい教育目標の設定、子どもの目線に立った計画作りの重要性を強調し、説得力のある議論を行いました。また早津委員はいじめを許さない、いのちを大切にする教育についてのべました。私はというと、児童生徒がこの計画作りに直接参加することを保障するよう求め、地域における教育推進会議の役割についても言及しました。番外でもいい発言が続きましたね。吉田議員は「いま大切なのは生きる技術ではなく、生きる心を教えることだ」と上越の大地に住むすべての動植物に思いを寄せて教育を熱く語りました。田村恒夫議員は、現行教育基本法を守れの立場から教育基本法改悪の動きとの関係を問いました。
 残念だったのは、品目横断的経営安定対策の見直しと米価安定を求める請願が不採択となったことです。私が紹介議員になったのですが、質問もなく、反対の意見表明もまったくないなかで、起立採決したら不採択。請願者が傍聴していたら、何と言うでしょうか。終わってから、ある議員が私のところへやってきて言いました。「これじゃ、上越の農業も終わりだな。ブランドづくりどころじゃない」。


2006年12月06日

12月議会はじまる

 きょうから12月議会です。会期は21日まで。きょうは議案が提案された後、総括質疑が行われました。また、午後からは自治基本問題調査特別委員会も開かれました。
 総括質疑では樋口議員が登壇し、工事を請け負っていた業者が倒産したことに伴う契約解除、2回目の指定となる指定管理者の選定のあり方、後期高齢者医療広域連合の問題点などをとりあげました。今回の議会では指定管理者の指定議案がいくつもありますが、委員会質疑の基調を定める質疑になったと思います。2回目になったら、選定にあたって経費削減の配点を少なくしたことは、保守会派議員からも異論が出ました。今後の議論の焦点になっていくものと思います。それにしても高齢者いじめは続きます。脱退を許さない医療広域連合をつくって医療費を値上げをどんどん続けていくことにならなければいいのですが。
 自治基本問題調査特別委員会では「全会派の一致をめざしたい」と委員長は言っていますが、1人会派の議員が議論に参加できない形になっていました。きょうから、正規の委員ではないですが発言の機会が保障されました。その永島議員、さっそく住民投票制度について発言し、注目されました。「(この自治基本条例の)最終的な精神は住民参加だ。常設型でやっていけば、この条例は生きる」。重みのある発言でした。
 夜は議員団ニュースづくりでした。昨晩から『議会と自治体』座談会の校正作業、一般質問準備と寝不足が続いています。なかなか進みません。


2006年12月05日

県道大潟高柳線上川谷地内526日ぶりに開通

 3日からの降雪がウソのようです。晴れて気持ちのいい、すばらしい天気になりました。きょうは主要地方道大潟高柳線上川谷地内で進められていた災害復旧工事現場で、開通式が行なわれました。災害は昨年6月28日の梅雨前線豪雨の時に発生しました。大量の土砂が県道を100メートルほど埋め、下の出合川まで到達しました。この災害で上川谷に住んでいる住民は、尾神岳を通る市道を使うか、大島区まわりで吉川区の中心部へ出るという不自由を余儀なくされました。災害復旧工事費は約2億3000万円。工期は来年3月15日まででしたが、「道をふた冬とめるわけにはいかない」との声が行政を動かしました。工事は降雪を前にしてほとんど終わり、きょうの開通となりました。
 開通式は午前11時から。地元町内会が主催して行われました。川谷地区の住民はもとより、市長や上越地域振興局の幹部などが参加しました。50人くらいはいたと思います。このなかには法政大学OBのHさんの姿もありました。新潟からはるばる、現場まで駆けつけてくれたのです。市長などがテープカットした後に、参加者全員が歩いて現場を通り、下へ移動しました。災害発生から526日ぶりの開通です。崩れ落ちた160メートルもの斜面は、きれいに整備され、災害があったことはわからなくなりました。「このままだと、いつか忘れられてしまう。何とかしたいね」という声がいくつも聞こえてきました。
 開通式が終了してからは、旧川谷小中学校体育館で祝賀会です。地元の人たちが手づくりの「のっぺ」、そばを用意してくれました。どちらもとても美味しかったですよ。会場ではみんながよくしゃべり、よく食べ、よく飲みました。あちこちに笑顔がありました。「ひさだったね。たっしょでいたかい」「こんど、忘年会やろで」といった会話も聞こえました。災害発生によって川谷地区は、上川谷と下川谷、石谷などの集落が分断されていましたが、道が再びつながったことにより、これまで以上に人と人のつながりが強くなるのではないかと感じました。祝賀会で挨拶した村山上越地域振興局長は、上川谷と大島区板山間は今冬も除雪すると約束しました。地元住民はこの発言に大喜びでした。県道災害で新たに大島区とのつながりが強まった人たちにとっては、冬も交流できるし、大潟高柳線が仮にまた交通止めという事態になっても孤立することはなくなりました。


2006年12月04日

総括質疑の検討

 まずは雪の話から。昨日より降った雪は水分を含んだ重い雪です。シャーベット状態に近いものですので、軽トラを走らせる時には、歩行者にこのビシャ、ビシャした雪をかけないよう気を使います。わだちに入ると、ザーという大きな音がします。こういう雪はすべりやすい、そう思っているのですが、昨日、きょうと、車が滑り落ちた場面には出会っていません。積雪量はわが家で約25センチ、下川谷で48センチ、上川谷で75センチです。
 きょうは午前は党上越地区委員会事務所において、市議と地区常任委員会の連携をどう強めていくかを上越市議と地区委員会幹部で話し合う会議、午後からは議員控え室で議員団会議でした。樋口議員が用意してきた総括質疑原稿を3人で検討しました。ひとりで準備するよりもやはり集団の知恵です。指定管理者の選定問題では、1回目の指定期間を終了し、2回目以降の選定では、どういう点で注意が必要か話し合いました。新潟県後期高齢者医療広域連合問題では、後期医療制度の問題点と広域連合設置の問題点をごっちゃにしないで指摘して分かりやすくするなどの手直しをしました。これで、かなり練り上げることができました。一般質問についても検討しました。私の方は、少しずつ準備を進めていますが、まだ焦点が定まっていません。夜になって、ようやく、整理ができそうになってきました。
 明日は上川谷の県道の開通式です。じつに526日ぶりの開通です。今冬の雪が降る前に開通させるという約束は果たされました。地元住民だけでなく、市長をはじめ多くの関係者が集まって祝います。


2006年12月03日

初雪

 とうとう雪がやってきました。朝までに降った雪は1センチに満たないものでしたが、日中、降り続け、夕方までには10センチを越えました。1週間ほど前から準備をし始めていたものの、まだやっていないことがいくつかあります。畑から野菜を運ぶ、除雪機の点検をすることなどです。午前は畑から白菜、大根を運び、次男のところへスノータイヤを届けに行きました。
 午後から新しい上越市民の歌の発表、第9の演奏を聴きに妻と共に上越文化会館まで出かけてきました。会場では市役所職員、議員などと会いましたが、話題はもっぱら雪でした。山間部の多いところでは60センチを超えたところもあるようです。
 新しい市民の歌のタイトルは「このふるさとを」です。作詞は上原みゆきさん、補作詞は児童文学者の杉みき子さん。そして作曲は上越教育大学の後藤丹さんです。歌詞のなかには山、海、父、母が出てきて「きこえてくるのは ○○の歌」というのが6ヶ所あります。上原さんの話を聞いて、なるほどと思いました。彼女は高田の本町2丁目生まれ、機関車の音を聞き、雪の中で遊んで育ちました。詩をつくる時、幼い頃の思い出が次々と浮かんできたといいます。どんなに大きな市になっても一人ひとりが主人公、人間も植物も動物たちもこの地に住む仲間です、この歌が歌い継がれていけばいいなと思います、と結びました。ふるさとや自然についてのスタンスは私とまったく同じなので、一度、お会いしたくなりました。彼女が子どものころ見たというレモン色の雪というのは、どんな雪だったのか、どんな思い出があったのか、聞いてみたい。
 ベートーベンの第9はすごかった。圧倒されました。文化水準の高い上越市にしたいと思いました。


2006年12月02日

市HPの降雪予報では…

 朝から午後3時過ぎまで「しんぶん赤旗」日曜版の配達と集金でした。前回の市政レポートの随想「招待旅行」について、「いい旅行しなったねぇ」「うらやましかったなあ」などと、何人もの人が感想をのべてくださいました。ありがたいことです。午後3時過ぎからは父の「子守」です。自分の力だけで立って歩く時は、そうとう怖いらしく、「おっかねぇ」を連発します。運動していないせいなのでしょう、足はどんどん弱くなってきています。
 テレビの天気予報では、お昼ごろから雪でしたが、雪は降らずに夜になりました。その代わり、雨風がひどかった。落ち葉が舞い上がり、雨は横殴りでした。今晩の「囲む会」に参加した人の中には、雨合羽を着てきた方もありました。町内会長さんに「最悪の天気になっちゃったね」と言われました。今年の「囲む会」の中では一番の悪条件といっても過言ではないでしょう。それにもかかわらず10人近くの人が参加してくださいました。
 上越市では昨年からホームページで降雪予報、除雪車の出動状況、降積雪量を雪情報として公開しています。このうち降雪予報は、昨年度は合併前の上越市内だけの予報でした。今冬から市内全域が対象になります。市内全域をAからHまで8つの地域に分け、予報が出ます。吉川区はC地域ですが、きょう、初めて吉川区の予報を見ました。それによると、午後9時から明日の朝3時までに1~5センチの降雪が予報されています。


2006年12月01日

感動したKさんの戦争体験談

 朝早く起きて市政レポートづくりをしました。B4の表と裏、約4時間で仕上げました。今週は話題がたくさんあり、書こうと思えば、まだ1ページ分は書くことができるでしょう。話題のトップはやはり、紙おむつ助成事業と要援護世帯除雪費助成事業における激変緩和措置を市がとったことです。今年度の税制「改正」によって、収入が増えたわけでもないのに非課税世帯から課税世帯になってしまった人たちにとっては朗報ですから。あとは「酒の楽校」、消防車の5分以内到達率など吉川区にかかわりのある話題を4つ載せました。このHPには容量不足で市政レポートを載せられませんが、遅くとも新年早々には載せられるように改善しますのでお待ちください。
 きょうは党支部と後援会幹部のみなさんによる忘年会でした。新年会の時に、パソコンとプロジェクターを持ち込んで、話をしたり、写真を見ながら自分たちの活動を振り返ったら好評だったので、今回もそうしました。この方式は定着しそうです。そして、きょう、参加者がじっくり聴いたのが小田順子さんの朗読とKさんの戦争体験でした。涙を浮かべながらKさんが語った戦争体験のさわりをちょっとだけ紹介しましょう。
 同級生のTくんは5人兄弟、お兄さんが出征するというので、小学校のグランドで送る会をやった時のことでした。戦場に行く兄さんがいよいよ最後に挨拶する時に、Tくんが「あんちゃ、行くな」と言って泣き出したのです。その時はすぐ泣き止んだのですが、なぜ泣いたかずっと気になっていました。その疑問がようやく昨年解けました。じつは送る会の前の晩、内輪でお兄さんの送別会をやった。その際、お兄さんがTくんに言ったというのです、「オジ、おれ、生きて帰らんねすけ、あと頼む」と。Tくんはすでに亡く、戦死した兄の弟にあたる人からこの事実を聞きました。
 夕方、党中央委員会が出している『議会と自治体』の編集部から電話がありました。先日の座談会をまとめたものができたので、ファックスするから校正作業をやってくれという依頼でした。座談会のタイトルは、「議員活動にとって、インターネットがこんなに役立っています」となっていました。約3時間の座談会の模様を10ページほどにまとめてあります。小見出しは、「ホームページはだれでも開設できる」「どこからでも“人の輪”をつなぐインターネット」「合併で情報過疎の地域に喜ばれる情報」など読んでみたくなるものばかり。さすが編集部の人たちは違いますね。座談会の模様が掲載された1月号は今月の20日頃発売されます。


2006年12月投稿分

2006年12月に投稿された全てです。

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