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2009年07月投稿分

2009年07月30日

県道の草刈で苦情相次ぐ

 昨日、きょうと県道の草刈についての苦情の電話が2件ありました。「お盆が近づいているというのに道路脇の草が長く伸びている。区の玄関口なのにみっともない」「道のカーブで長い草が倒れてきている。このままでは危険だ。何とかしてほしい」。こんな声でした。市役所に着いてから、関係する二つの区の総合事務所長、産業建設グループ長などに具体的な箇所の指摘と対応をお願いしましたが、このうちの1件は昨日刈ったとのこと。もう1件も2、3日のうちに刈るという答えでした。

 行政側とのやりとりで気になったのは県道の維持管理体制、具体的には除草機械の少なさです。聞くところによると、上越地域振興局管内にある大型の草刈機は1台といいます。これが事実だとすれば、どんなに時間をかけて動かしても、広大な妙高、上越両市内の県道をまわりきれないのは無理もありません。草が伸びると、道が狭くなったり、見通しがきかなくなったりして大変危険です。なぜ、草刈の遅れが起きているのか、機械配置の問題も含め、実態を調査して体制強化を求めていかなければなりません。県道でもありますので竹島良子県議にもお願いしました。


2009年07月29日

もう虫たちが鳴いている

 夜の8時過ぎ、「ドン、ドン」という音に誘われて外に出てみました。「パン、パン、パ、パ、パ、パ」。空中で破裂した音も聞こえてきました。どうやら海岸部での花火の音らしい。その花火の音が消えた時、今度は近くの草むらから虫の鳴き声が聞こえるじゃありませんか。もう虫たちが鳴き始めたのです。これがその鳴き声です。本格的な夏がやってくる前に秋がやってきた、そんな感じです。

 きょうは生活相談で市役所へ行き、帰りに市民プラザへ寄ってきました。市主催の平和展を見るためです。広島に落とされた原爆の被爆者で、広島平和記念公園にある原爆の子の像のモデルともなっている佐々木禎子さんと折り鶴の話は有名ですが、2歳で被爆してから12歳で亡くなるまでのことをパネルでまとめて紹介されていました。会場には若いお母さんと子どもさんの2人しかいませんでしたが、ひとりでも多くの人に見てほしいものです。パネルのひとつに6月議会の一般質問で紹介した「伸ちゃんの三輪車」の写真もありましたよ。

 いつもより早く吉川区に戻り、「しんぶん赤旗」の集金をしました。早く帰ったのはこの他に、後援会ニュース配布もしたいと思っていたからですが、家に着いた途端に電話が鳴りました。生活相談の電話です。このところ、相談ごとが続きます。


2009年07月28日

耳鼻咽喉科での診察は異状なし

 朝、病院へ行く途中、ミンミンゼミの鳴き声を聞きました。ことし、初めてです。車を運転していて気付いたのですが、妻は「よく聞こえたわね」と感心していました。季節の花、虫やセミの鳴き声など、どういうわけか、私の体はこういうことには敏感に反応します。

 病院は耳鼻咽喉科での診察です。3年ほど前にも診ていただいた病院ですが、担当の医者も替わっていました。約2時間待って、診察の結果は異状なし。安心しました。ただ、なぜ声がかすれたのかが解明されないので、その点は気がかりです。たまたま待合室に持ち込んだ永井一郎の『朗読のススメ』(新潮文庫)によると、疲れが声に影響するとありました。目の疲れが肩こりに影響し、肩こりが声に影響する。こう書いてあるのを読むと、人間の声は体が健康でないとだめであることがよくわかります。

 午後からは生活相談と原稿書きでした。原稿は中山間地振興条例の前文(案)づくりです。「です、ます調」で10行くらいにまとめようと、何回も書き直しました。なかなか気に入ったものにはなりませんが、集団的に検討するたたき台にはなったと思います。


2009年07月27日

県土木部長に要請行動

 きょうは主要地方道新井柿崎線整備議員連盟の県土木部長要請行動でした。マイクロバスなどに乗って15人のメンバーのうち11人が参加しました(画像)

 要望書にまとめられた項目は歩道整備、交差点改良など22項目です。連盟を代表して宮崎会長が説明、その後、野澤英之助土木部長や高木努道路管理課長が回答しました。このなかで野澤部長は、「道路予算が少なくなっている中で、命にかかわる急ぐべきものは急いでいるので理解願いたい」とのべました。

 県側は、「三和区で平成19年に事故が発生した箇所については県単公共補正で今年度手をつけたい」「県道の歩道整備率は34%だが、新井柿崎線は36.5%。歩道でも通学路を最優先しているが、この線では2.5キロの通学路のうち2.2キロが整備済み。青野交差点付近については平成23年頃をめどに整備を進めたい」「防雪柵だが、現在、県内には雪崩危険個所がまだ残っており、そこを重点的にやっている」「橋梁については3つほど補修を考えている」などと対応を説明しました。
 野澤部長の説明を聞きながら、命にかかわる予算付けはまだ不十分だと感じました。大型道路などの新設よりも地域に密着した道路の整備を急いでほしいものです。

 きょうの県庁は賑やかでした。私たちの土木部長への要請行動のあとには儀明川の改修を求める人たちが県庁7階の廊下に大勢来ておられました。また、私たちの要請の前、上越市内に県立高等養護学校をと教育長に要請行動も行われました。関係者の話によると、旧吉川高等学校の校舎を利用した県立高等養護学校の創立は一歩前進した、これから細部の詰めに入るとのことでした。


2009年07月26日

Hさんの葬儀

 同じ町内会のHさんが亡くなって、きょうは午前中、葬儀・告別式に参列してきました。Hさんはわが家のすぐ隣の人で、町議選挙では選対委員長などを務めていただき、たいへんお世話になった人です。娘さんたちはすべて嫁ぎ、Hさんはお連れ合いと二人暮らしでした。告別式が終わって、長女の方が謝辞をのべました。
 昨年から心臓を悪くし、仕事も辞め、好きな酒も制限されました。父は焼酎は酒ではないといい、毎日、焼酎を少しずつ飲んでいたようです。やめてと言っても、「やめるくらいなら死んだ方がいい」と言う頑固者でした。亡くなる前日も焼酎を2杯飲んで、そのまま帰らぬ人となりました。73歳で亡くなったのは早すぎると言ってくださる方もあります。でも、父は自分の思い通りに生きて人生を全うしたと思います。私たちは親孝行できませんでしたが、父は娘孝行でした。好きな人のところへ嫁に行くことに反対せず、好きなようにさせてくれました。お父さん、ありがとう……。
 亡くなったHさんの人柄を知る参列者はみんな涙を流しました。

 午後からは後援会ニュース配布活動に合流しました。後援会の幹部の方たちが午前中から活動を進めてくれていて、ずいぶん頑張ってくださったようです。私は街の中心部へ。久しぶりに会った人が多く、選挙のことだけでなく、「そんなに太って大丈夫か」などと声をかけていただきました。話題がどうしても私の健康状態へいってしまうので、そろそろ痩せないとだめですね。30軒ほど訪問したところで雨が激しくなりました。傘をさしていても、ズボンは下の方がびしょびしょ、靴も台無しでした。それで、その後は生活相談で動きました。


2009年07月25日

第5回ほほ笑ふれあいまつり

 一日中蒸し暑い日でした。体中がべたべたして不快だった点では、おそらくこの夏一番だったと思います。これまで、「しんぶん赤旗」配達ではクーラーなしで車を運転してきましたが、きょうの蒸し暑さはがまんができませんでした。ただ、クーラーを入れて走り、しょっちゅう乗り降りすると体がおかしくなります。胃が敏感なため、途中で休みました。

 さて、きょうは吉川区にある特養ホーム・ほほ笑のふれあいまつりでした。小雨がぱらつくあいにくの天候となりましたが、会場となった福寿荘裏の広場には入所者の家族、親戚の人、職員、ボランティアなどが集まって、よさこいソーラン踊りや地元出身演歌歌手・三島みどりショーなどを楽しみました。雨が降っていたので入所者の多くは福寿荘のなかでした。いつものように外で交流できなかったのは残念でした。

 このまつりのテーマは「ふれあい」「助け合い」です。一年に一回の夏祭りなので、この日だけはとやってくる人がいます。入所者の近所の人、友だちなどです。懐かしい人に会い、交流する。家族だけでなく、いろんな人と再会して元気がでるのでは勝手に想像していますが、入所している人にとって、この時の気分はどんなものなのでしょうか。特養ホーム3階のベランダから会場を見ている人が何人かおられました。一人は明らかに入所者の方、そばの人は家族の人だったのでしょうか、気になりました。

 三島みどりの歌はこれまで何回か聴きました。きょうは「津軽の花」からスタートし、30分くらいの公演となりました。踊りの先生でもあるだけあって、体の動きがとてもきれいでした(画像)。歌はやはり持ち歌が一番です。私の好きな「母の雪」、10年前に発売された曲ですが、「雪」という言葉が20回ほどでてきます。本人から、「雪という言葉を母と置き換えて聴いてみてください」と言われました。雪の多い故郷で育った人たちにとっては母親への懐かしい想いをかきたてられる歌です。降っていた雨もいつの間にか止んでいました。


2009年07月24日

きょうも橋本さんとともに街頭演説

 なんということでしょう。マイクを持って1分も経たないうちに声がかすれてしまいました。新潟6区から立候補予定の橋本正幸さんと街頭演説を始めた時のことです。22日の総括質疑の時にも声が出なくなり、かすれ声になる場面がありましたが、声が出ないのは頭の回転の鈍さからきていると思っていました。どうもそれだけではないらしい。以前、医者にかかったことのあるのどが具合悪くなったのかもしれません。マイクの調子が悪いときのしゃべりにくさと同じように声がでないときも切ないですね。来週、また、医者へ行ってこようかと思います。

 橋本さんは解散後、ますます気合が入ってきました。きょうは午後から、頸城区で上野議員と交替して宣伝カーに乗り込みました。吉川区では外仕事をしている姿の見える集落を中心に街頭演説です(画像)。私は途中でペットボトル入り飲料を購入し、水分補給しながら軽いスポット流しと街頭演説の司会役をつとめました。久しぶりに私たちの姿を見て手を振ってくれる人がいたり、暑い中、ずっと聴いてくれる人が何人もいる。こういう姿を見ると元気が出てきます。よし!この調子、この調子!


臨時議会終わる

 市役所からの発信です。

 昨晩は疲れて何も書けませんでした。毎週木曜日は市政レポート吉川版を作成する日でもありますが、こちらもまったく手付かずじまい。というわけで、今朝は4時過ぎにおきて、市政レポート作成、印刷、「しんぶん赤旗」日刊紙の配達と大忙しでした。

 昨日は常任委員会での審査の後、本会議が開会され、追加経済対策関連議案を含め、すべての議案が全会一致で可決されました。議案の一部には明らかに総選挙目当てのバラマキといえるものもありましたが、一時も早く仕事をという市民の願いに応えることが重要と考え、私たちの議員団も賛成しました。一昨日、昨日と行われた常任委員会審査の中で興味深い議論がされたのは文教経済常任委員会です。産業振興センター(仮称)設置関連予算は774万円でしかありませんが、この運営次第では様々な分野にまたがった起業にもつながっていきます。私たちの議員団の上野議員の質問が光っていました。

 私の所属している委員会で活発な議論がされたのは総務常任委員会というより、臨時議会閉会後行われた中山間地対策特別委員会でした。先般まとめた市への提言書、中山間地振興条例(仮称)をめぐって1時間半以上議論しました。要望書的な内容のものは会派や政党で提出すべきで、議会の委員会として、あるいは議会全体として出すのはなじまないという意見には私は不同意です。今回のように、委員会で全会一致で決まったものは要望書であろうが提言書であろうが大いに出していくべきだと思うのです。これからの議会活動は行政のチェックのみならず、立法活動、政策提言などをどんどんやっていくことが求められていると思います。

 中山間地振興条例(仮称)については来年3月議会での議員提案をめざしています。特別委員会では2つの分科会に分かれて具体的な検討作業に入りました。昨日の会議で私は、前文の素案を準備してくるよう求められました。条例の前文は「吉川町まちづくり基本条例」以来のことです。条例の制定趣旨、目的などを上越市らしさも入れて書く。簡単そうでなかなかむずかしい仕事です。当分の間、頭が痛くなりそうです。


2009年07月22日

 朝、高田まわりでまず直江津へ。直江津は荒川橋の写真を撮るためです。ふだん、車では年に何回も通るのですが、橋のたもとで下りたのは数十年ぶりでした。この橋はデザインが斬新です。というよりかっこいい。長さは230メートルからあります。思った以上に長い橋でした(画像)。なかなか見つけることができなかったのは橋の竣工年月です。たいがいは橋の名前と同じように右岸か左岸に刻まれているのですが、この橋については橋桁に、それも小さく「1994年3月」とありました。西暦で書いてある橋と初めて出合いました。

 きょうは臨時議会でした。何本かの議案が上程されたのですが、中心は追加経済対策です。国レベルでは、「大企業には大盤振る舞いの一方、国民には一回限りのバラマキ、そのつけは消費税増税で」という代物です。しかし、その一部には、「地方公共団体への配慮」があり、不十分さはあるものの、自治体レベルで雇用や暮らしの対策に活用できる財政措置が含まれています。民主的に活用するという立場で、総括質疑を行いました。

 質疑の中で地域活性化・生活対策臨時交付金の時の使い勝手の悪さは今回かなり改善され、学校耐震化も今後、3件前倒しされる見込みであることが明らかになりました。これはよかったです。今回、市が取り組む対策は「金融対策・雇用対策」「中小企業に配慮し、即効性と広がり(の追求)」「21世紀型産業インフラ整備」など4つの重点テーマで分類され、提案されました。このなかで「21世紀型産業インフラ整備」については分類の仕方がわかりにくい、しかも、内容的にも、長期的で骨太の事業が少ないのでその点、指摘しておきました。

 今回の総括質疑は5番目です。地上デジタルテレビの整備などいくつかの質疑項目は前の質問者とダブる内容でした。質疑にあたっては、事前に用意した箇条書きのメモも無視して、通告の内容から外れないことだけを注意して自由に語ることにしてみました。ところが、なかなか思うように言葉が出てきません。それに、当局を追及するような質疑項目でもないものまで、知らず知らずに「追及型」の質疑展開になってしまいました。その場で、答弁とからめてこちらの言いたいことをキチンと展開する力はまだまだです。こういう時には気分転換が大事、夕食後、「ゆったりの郷」へ行き、温泉につかってきました。


2009年07月21日

衆院解散の日に

 やっと衆院が解散しました。麻生総理にとっては何ひとつプラスになることがない中での解散ですから、やぶれかぶれといったところでしょうか。夕方、市役所から家に戻ってニュースや各党へのインタビューなどを見ました。さらに、日本共産党中央委員会のホームページで志位委員長の解散後初めての街頭演説を視聴しました。委員長の演説は、声がかれないかと心配になるほど力が入っていました。

 きょうは各派代表者会議、月例議員懇談会、議員勉強会と続きました。このうち、各派代表者会議では中山間地対策特別委員会がまとめた市長への提言書をめぐって、賑やかな議論となりました。これからの委員会活動は行政のチェックだけでなく、条例づくりや政策提言などを大いにやっていくべきだと思っています。この場合、委員会の自主性を最大限尊重していくべきです。私は、こういう立場から、「行政への提言をまとめるには委員会で十分審議し、全議員の意見を聴く場を設ける。こうして決まったものは議長名で出すべき」と発言しました。話し合いの結果、今後、この種の提言を提出する場合は、委員会で十分審議したうえで、議会全員協議会または各派代表者会議で意見を聞いて提出することとなりました。これで議会はまたひとつ変わっていくはずです。

 夜遅くなってから、明日の総括質疑の準備にかかりました。質疑の項目は、追加経済対策に関する政府関係機関への働きかけ、重点テーマの設定をどのような考えの中できめたのか、総合計画との関連性などです。私は5番目ですので、おそらく午後1時から2時頃の時間帯に登壇することになると思います。


2009年07月20日

後援会ニュースの配布、集金

 案の定でした。後援会幹部の人から「橋爪さんがニュースを配りに行くと生活相談が次々と寄せられて配布は進まないよ」と言われたことが現実となったのです。きょうは午前中、2組に分かれて後援会ニュースの配達をしました。私はご無沙汰している集落を選んで出かけたのですが、雇用問題、生活資金対策等で相談を持ちかけられました。若い人たちのなかに生活苦が広がっていることを改めて確認できましたが、本当に深刻です。

 午後からは「しんぶん赤旗」の集金活動と総選挙での支持のお願いです。ここでも相談が寄せられました。「自分の家のことではないが、ぜひ相談に乗ってやって」と頼まれたのは多重債務問題です。この種の問題は金を借りる人の生き方そのものを直していかないと立ち直れないケースをいくつも見てきました。問題を抱えている人は私よりもはるかにいい車に乗っている人なので、気になります。

 夜は明日の衆議院の解散に備えて、支部の仲間たちと明日以降の取り組みについて話し合いました。宣伝物も次々と到着しています。やるべきことがいっぱいあるなかで元気に頑張るには手伝ってくださる仲間を増やすこと。臨時議会が終わったら、後援会員のみなさんにもお願いして頑張ろうと思います。


橋本予定候補も力強く訴え

 昨日は午後から上野公悦市議の後援会主催の焼肉を食べて語る会に参加してきました。あいにくの雨でしたが、3つのテントの中に70人近い人たちが入ってとても盛り上がった集いとなりました。

 焼肉を食べて語る会には私と橋本正幸衆院新潟6区予定候補が来賓として招かれました。上野市議がコンパクトに市議会報告をし、私が一言挨拶。その後、橋本正幸さんが5分ほど訴えをしました。橋本さんの話は三和村議時代から何回も聞いてきましたが、庶民の立場に立って静かに丁寧に語るところに特徴がありました。きょうの訴えを聴いていたら、それに力強さがプラスされていました。今度の総選挙では自公政権を退場に追い込む。それを決定的にするのも、退場後の政治の中身を国民本位に変えていくことができるかどうかも日本共産党の前進にかかっている。ぜひ大きなご支援を。橋本さんの訴えを隣でほれぼれとして聴きました。

 会場では多くの後援会員さんたちと懇談しました。話題は身近な市政のことから総選挙のことまで広がりました。これまで、どちらかといえば、政党は関係なく上野さんを応援しているという人たちが多かったのですが、話をしてみると、国の政治を変えなきゃだめだという人が多くなってきています。日本共産党の役割、国会での仕事を大いに語っていけば伸びると感じました。頑張らなければ。


2009年07月18日

炬火採火式

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 雨がいっぱい降りました。増水した吉川を見たのは久しぶりでした。雨はお昼頃まで降り続けましたが、その後、静かになり、ホッとしました。

 トキめき新潟国体に向けた炬火採火式(きょかさいかしき)が午前9時からリージョンプラザの2階の広場で行われ、参加してきました。
 秋に行われる国体では、県内の各市町村で独自に採火された炬火(きょか・たいまつという意味)を集め、総合開会式の会場で灯されることになっています。火おこしの方法としては主にユミギリ式、マイギリ式、モミギリ式の3つのやり方がありますが、上越市ではマイギリというやり方を採用しました。しかも目立つように、大型のマイギリを作って火おこし(画像)です。
 大型のマイギリは10数人の炬火ランナーのみなさんがロープで動かしました。最初はなかなか呼吸が合わなかったのですが、何回かキュッ、キュッとやると煙が立ちました。写真は火が点いた瞬間です。この火は大会旗とともに30数人の若いリレー走者の手で文化会館まで運ばれました。走者の中には吉川区の片桐悠人さんの姿もありました。

 午後1時過ぎ、次男が1か月ぶりにわが家へ帰ってきました。新しい会社での研修などがあり、まだ落ち着くところまではいってないようですが、元気そうなので安心しました。次男の帰省を一番喜んだのは母です。ほら、これ食べろ、これ飲めと、いつも通りにやっていました。上の写真は母が手作りしたトコロテンです。固めたものを細くしないで包丁で薄く切るだけのトコロテンでしたが、結構いけました。

 次男はその後、嫁さんの実家へ。私は大島区まわりで吉川区の山間部へ「しんぶん赤旗」日曜版の配達と総選挙の支持のお願いをしに出かけてきました。山間部の道路を車で走ると、前の方からオニヤンマが次々と飛んできます。とくに大島区板山と吉川区上川谷間はオニヤンマがたくさんいました。いよいよ夏本番です。


2009年07月17日

幹部会声明

 私のパソコンが時々トラブルを起こし、市役所からの発信です。
 
 朝、「しんぶん赤旗」日刊紙の配達をいまかいまかと待ちました。というのは、昨晩のうちに、都議選の結果を踏まえた幹部会の新方針が示されるという情報が入っていたからです。それが今朝の日刊紙に載ることになっていたのです。妻を柿崎駅まで送った後、直ちに読みました。新方針は幹部会声明という形で明らかにされました。タイトルは、「自公政権を退場に追い込む決定的な“審判”をくだし、新しい日本の進路の“選択”にふみだす選挙に」となっています。悪政と正面から闘う日本共産党を伸ばすことによって、「大連立」などによる延命も許さない決定的な“審判”を下す。自公政権を終わらせた後に、それに代わるどのような新しい政治をつくるのか、21世紀の日本の「進むべき道」についてもすっきりとした内容で示しています。リンクを張ってありますのでぜひ一読してみてください。

 きょうは市政レポートを作成しようとしたところ、これまでのファイルを開くことができなくなるなどのトラブルで半日がかりとなってしまいました。昨晩までは順調に動いてくれていたのに、どうしたのでしょうか。こまりました。連休中にまともな状態に復帰してくれればいいのですが。

 


2009年07月16日

臨時議会の準備で市役所に

 朝、高田を回って市役所へ。高田では大手町の市営駐車場に車をとめて、青田川にかかる市之橋、儀明川にかかる歓喜橋周辺を歩きました。これは市政レポート1405号からスタートしたシリーズ「上越市内の橋」の取材です。東京都の面積の半分もある上越市ですので、市内の橋には多くの市民のみなさんから知ってもらいたい橋がいっぱいあります。謙信公大橋、平和橋、平等橋、猫橋、桜橋、仁上橋……。ちなみに、シリーズ第1回は柿崎区の出合橋、第2回は歓喜橋の予定です。

 市役所では夕方まで生活相談、臨時議会の準備などで動きました。臨時議会の議案が配布されてから議員団全員がそろう日はきょうしかなく、きょうは総括質疑の通告内容をどうするか話し合いました。すでに4会派から通告が提出されていて、私たちの議員団は5番目です。国の追加経済対策に対する市長の取り組み姿勢、4つにまとめられた重点についての考え方、公の施設のデジタル改修計画などについて質疑を行うことにしました。登壇するのは私です。

 夕方は岩崎議員のお母さんのお通夜でした。正面に飾られた写真を見た瞬間、岩崎議員の笑顔と同じだと思いました。同議員はお母さん似だったのです。年齢はまだ83歳。女性としてはちょっと早かったように思います。会葬者への謝辞で、「母のライフワークは田んぼと畑でした」という言葉を聞いて、とても親しみを感じました。


2009年07月15日

戦没者追悼法要、そして党創立記念日統一行動

 午前の吉川区戦没者合同法要は原之町の福生寺で行われました。お御堂にさわやかな風が流れてくれればいいがと期待していたのですが、きょうはダメでした。午前から30数度の猛暑となりました。吹き出てくる汗をハンカチでぬぐい、ぬぐい、約1時間の法要です。この暑さにはまいりました。戦没者法要は今回で55回目になります。先の大戦などで、吉川区内だけでも440人が亡くなっていますが、参列者は高齢者が多くなっています。いまのうちに、戦争の悲惨さと平和の尊さを伝える努力をしておかねばならないと改めて思いました。法要が始まる前、市長と懇談する時間があり、市長選など選挙のことが話題となりました。

 午後からは柿崎区、吉川区で街頭宣伝行動でした。上野議員と一緒です。柿崎区での党議員の演説は久しぶりでした。市政の話ではなく、国政のことを訴えたのですが、握手を求めてくる人もいてびっくりでした。途中、平成の名水100選のひとつ、大出口泉水を訪れて水分補給をし、さらに演説を続けました。夕方の演説では、涼しくなってきたこともあって、演説を聴いていた人が次々と出てきて、まるで選挙の投票日前日のような雰囲気がありました。いまの政治を変えたい。日本共産党にがんばってもらいたい。その思いを感じることができました。


2009年07月14日

病院で母の付き添い

 1週間ぶりに市役所に行きました。市役所近くの大通りでは、早朝からハンドマイクで宣伝している自民党の高鳥代議士の姿が見えました。各陣営は昨日の解散報道でしまった感じがします。私たちの党でも改めて対策会議を開き、明日の党創立記念日の宣伝行動をはじめ、今後の方針を詰めました。明日は上越市北部にて後援会ニュース配布、街頭宣伝等をやることになりました。吉川区には午後3時半過ぎに入る予定です。

 きょうはいったん市役所から離れて、病院へ行った母に付き添いました。じつは先月のMRI検査後、病院から検査結果について説明したいという連絡が入りました。検査当日、医師から異状なしと聞いていたものですから安心していたのですが、動脈瘤が2個見つかったとのことでした。1個は4ミリくらい、もう1個は1ミリほどの小さなものだそうです。母の、頸部のこわばりや平衡感覚の不調はここに原因があったのかも知れません。高齢なので手術はむずかしく、脳神経外科の医師からは、塩分を多く摂らない、仕事などで無理をしないことなどを日常生活で意識するようにと言われました。3か月後には再度MRI検査を行うことになりました。脳動脈瘤が破裂する可能性は一般的に1%ほどですが、破裂した場合はくも膜下出血ということになりますから、気をつけてほしいものです。

 母を家に送り届けて市役所に戻ったのは午後3時過ぎでした。その後、22日から2日間行われる臨時議会の議案の中身について検討しました。まだ、市議団で詰めてありませんが、明後日には総括質疑の通告をする予定です。市役所では、党議員控室のパソコンで一昨日の都議選結果の報道などを検索して見ました。そのなかで法政大学の五十嵐仁教授のブログを興味深く読みました。なかなか面白い分析をされていますね。

 夕方、家に戻るとヒグラシが鳴いていました。今年初めてです、私が聞いたのは。鳴き声はこちらをクリックしてお聞きください。


2009年07月13日

火葬場で解散日程のニュース聞く

 昨日の深夜、というより今朝早くと言った方がいいのでしょうか、都議選の結果を知りました。結果は極めて残念と言うしかありません。自民党が大敗したのは当然ですが、都政の対立軸、問題点が今回ほどくっきりとしたことがなかったのに、日本共産党が議席を大きく減らす結果となったからです。「東京外郭環状道路の、総額1兆8千億円、1メートルあたり1億円以上という巨大建設工事をやめて福祉や教育に」という分かりやすい訴えは有権者に浸透しなかったのでしょうか。自民か民主かという政権選択論だけで判断し、投票した有権者が多かったのでしょうか。どうあれ、日本共産党が前回よりも得票を伸ばしたものの、議席も得票率も減らしたのは残念です。今回の結果をきちんと分析し、総選挙でこれと同じことが起きないようにがんばらないといけません。

 きょうは葬儀でした。一番心配した雨も出棺時はパラパラで、助かりました。亡くなった「精米所のお父さん」は性格がおだやかな人でしたが、棺の中でも普段と同じく、やさしい、とてもいい顔でした。酒と文学をこよなく愛した「精米所のお父さん」、市の公民館主催の石川啄木セミナーに参加された時のことが思い出されました。修了証書をもらい、受講者を代表して挨拶したお父さんの姿です。頭を低くして、訥弁ながらも、受講した人たちの感謝の気持ちがよく伝わった挨拶だったことを覚えています。「精米所のお父さん」が旅で退屈しないようにと棺の中に入れられた1冊の本は阿刀田高編『お笑いを一席』(新潮文庫)でした。

 火葬中、外の天気は雨風となって荒れました。火葬がほぼ終わろうとしている時間に、外へ様子を見に行ったところ、迎えに来ていたバスの運転手さんから「橋爪さん、たいへんですね」と声をかけられました。私は、わが家からはじまって、わが家の2軒の親戚にも不幸が続いたことを言われたのかと思ったのですが、運転手さんは続けて、「来月、30日になりましたよ。選挙」と言われたのです。21日に衆議院を解散することを決めたというニュースをラジオで聞いたのだそうです。明日からは、総選挙モードに突入です。


2009年07月12日

体育祭、そしてお通夜と

 きょうは吉川区の体育祭の日。親戚のお父さんのお通夜、葬儀の準備とバタバタしていたのですが、喪主さんや葬儀委員長さんなどから許可をいただいて、参加してきました。来賓として挨拶を頼まれていた関係もありますが、区内の人たちと交流できる数少ない日です、やりくりさえできれば何とか参加したかったのです。ときどき雨がポツポツと降る天候でしたが、綱引き(画像)、障害物競争など楽しい時間を過ごすことができました。

 親戚の家では夕方から納棺、お通夜と続きました。最初は知らない人が多いなと感じていましたが、食事などの際に話をすると、わが家の元の家に泊まりにきたり、遊びに来た人が何人もいて、私の祖父がキチンとしている人だったとか、誰と誰が海軍に行ったなど、昔の話をたくさん教えてもらいました。祖母がわが家の納屋から白いコメを持ってきてくれて炊いてくれたとか、「山の刺身はナス料理」と言って美味しい味付けの料理を食べさせてもらったなど、私の記憶にはない話も聞くことができました。また、親戚の周りの人たちの中には教員や外交官などをやっている人が何人もおられ、改めて教育一家だったのだなと感じた次第です。

 明日は早くから葬儀です。体育祭でも何人もの人から、「いろいろとたいへんだね、体、気をつけてくんない」と声をかけていただきました。お酒を飲む日が続くので、少しひかえないと。


2009年07月11日

「精米所のお父さん」亡くなる

 また悲しいお知らせです。午前10時45分頃、親戚の「精米所のお父さん」が亡くなりました。亡くなった時、お連れ合いと二人の子どもさん、それに私が病室にいて、励まし続けました。最後の2秒間、左右の目をあけ、私たちの呼びかけにうなずくようにして息をひきとられたのが強く印象に残りました。

 自分の父親の実家ということもあって、「精米所のお父さん」は私が小さかった頃、ときどきわが家にやってきました。私がよく覚えているのはカメラを持参しての姿です。わが家へやってくる人のなかでカメラを持っていたのはほんの数人でした。私の子どもの頃の写真はほとんどが「精米所のお父さん」が撮ってくださったものです。わが家にとっても私にとっても、大事な人でした。享年76歳。「精米所のお父さん」、ご苦労様でした。

 お通夜は明日の夕方6時から原之町の自宅で、葬儀は13日午前10時から大潟区の「JA虹のホールおおがた」で行われます。きょうに続いて明日も、精米所の家で葬儀の準備となります。


2009年07月10日

親戚の人が重体に

 視察を終えてやっと直江津駅に着いた午後7時半過ぎ、携帯電話が鳴りました。電話をかけてきたのは母です。精米所のお父さんの容態が急変した、危ない状態だというのです。それで家には帰らず、直ちに入院先へと行きました。すでにお連れ合いとお父さんのキョウダイの人たちがみえていました。酸素マスクをしてやっと呼吸をしている状態で、とても心配です。いったん、家に戻りましたが、明日以降の予定は最低限に抑えなければならなくなりました。
 精米所というのは吉川区の中心部・原之町にある親戚の屋号です。いま入院している人の父親(故人)と私の祖父・音治郎(故人)はキョウダイです。


2009年07月09日

堂々とした挨拶

 九州は小倉からの発信です。

 きょうは鹿児島市の地域情報化計画についての視察でした。同市は04年11月に隣接している5町と合併して、人口60万人の都市となっています。情報に関する環境に格差がある中で、すべての市民がICTの利便性を享受できるようにするためにはどうしたらいいか。約1時間半にわたった説明を上越市の取り組みと重ね合わせながら聞きました。

 昨日、きょうと鹿児島県での視察でした。私が鹿児島県を訪れたのは今回が初めてです。2つの市で議会代表の挨拶を聴きながら、何か、新潟県人とは違うなという印象を持ちました。私の気のせいでしょうか、お二方ともじつに堂々とされていて、自信に満ちた挨拶をされましたが、そこには近代日本をリードしてきた伝統みたいなものあるように思えたのです。議会人ではあるけれど、いつでも行政のトップになれる雰囲気もありました。

 さて、話題を変えます。議会で遠くに視察に出たときの楽しみの一つに朝の散歩があります。きょうは樟南高校のある高台まで歩きました。夏のセミだけでなく、草むらで虫たちの鳴き声も聞きました。お昼頃の時間帯、桜島が見える場所で赤とんぼにもあいましたよ。こちらはもう秋がはじまっているようです。視察は明日もう一日です。


2009年07月08日

薩摩川内市の地域コミュニティ協議会

 鹿児島からの発信です。

 きょうから市議会総務常任委員会の視察です。初日は薩摩川内市、ここでは全国から注目されている地域コミュニティ協議会について学んできました。

 同市は、04年10月に川内市など9市町村が新設合併してできた自治体です。面積は683平方キロメートルといいますから上越市の4分の3弱です。大きな市域のなかで、どう住民自治を育てていくか。同市が選択したのは、おおむね小学校単位で設置する地域コミュニティ協議会でした。現在、その数は48。

 説明を聞いて私が注目したことのひとつは、地域コミュニティ協議会が小学校単位である点です。この広さなら、顔の見える自治の推進は可能です。そして、ここで自らの「地区振興計画」を策定しているというのです。これには驚きました。

 注目したことの2つ目は、この地域コミュニティ協議会の運営方法です。各町内会組織から会費を出してもらい、市への補助金申請では公開プレゼンテーションもやっている。これなら地域コミュニティ協議会にたいする住民意識も高まっていくでしょうね。

 先日の小田切徳美さんの講演で、地域住民の幸福感はまちづくりへの参加度で決まると聞いていましたが、ここの地域コミュニティ協議会が特産品を作ったり、地域の祭りをやったりしながら、じつに生き生きと活動していることが新鮮でした。視察したメンバーからは、「地域コミュニティの迫力を感じる」「これなら誰にもすっとわかってもらえる」等の声が出ていました。


2009年07月07日

七夕

 きょうは七夕です。総選挙の支持のお願い等でまわると、あちこちに七夕飾りをしてある家があります。短冊に願い事が書いてあると、つい読みたくなります。「おばあちゃんが長生きしますように」お孫さんを大事にしているおばあちゃんへの思いなのでしょう。「ゆうひが大きくなりますように」というのもありました。私は夕陽大好き人間ですので、はて、どういう意味だろうかと考えてしまいました。ひょっとすると、ここの家の子どもさんの名前かも。

 昨日に続いてきょうも蒸し暑い一日でした。午前は歯医者。朝方、夢を見ました。4月に亡くなった父が初めて夢に出てきました。尾神で、耕運機だかトラックでワラ運びをしていた時に、ワラの中に父が乗っていたのですが、体はずぶぬれです。「どうしたのか」とたずねたところ、「歯がばらばらになっちゃって」と切ながっていました。何かおかしなことを言うものだなと思っていたのですが、歯医者から市役所へ向かう途中、私の部分入れ歯が割れて真っ二つになってしまいました。ばらばらになったのは私の歯だったのです。

 市役所では生活相談で動いたほか、原稿書きなどに精を出しました。きょうの新潟日報に、「村山副市長が市長選に出馬へ」と報道されていたことから、マスコミから取材があったり、市政に強い関心を持っている人たちから電話をもらいました。これから市長選に関する市民の関心がどんどん高まっていきます。こちらも準備を急ぎ、市民本位の市政をつくることができるように頑張りたいと思います。

 明日から3日間、総務常任委員会の視察で、九州方面へ出かけてきます。家に帰るのは10日の夜9時前頃となります。留守にしますので用事がある方は私の携帯に電話をお願いします。「しんぶん赤旗」日曜版の配達もいつもよりも遅くなりますが、よろしくお願いします。


2009年07月06日

永井一郎の『朗読のススメ』

 日曜日に生活相談や問い合わせが6件も寄せられました。農地、道路、住宅、バスなどについてです。すぐに対応できるものはいいのですが、行政がらみのものはいずれも月曜日に、ということになります。したがって、きょうは朝から市役所で調査をしたり、担当課などと交渉したりと忙しい時間を過ごしました。

 一日の活動が終わっての夜、先日買い求めた永井一郎の『朗読のススメ』(新潮文庫)を拾い読みしました。そのなかで方言についての記述にひき込まれました。学校の先生は昔、あたりまえのように地方の言葉で教えていたとありました。大阪弁での数学の授業。「エックスがここにいてはりまっしゃろ。ここにもいてはる。ここにもいてはる。ワイはここにいてはる。(中略)ほな、エックスはエックス、ワイはワイで集まってもらいまひょか」永井さんは数学の授業がとても好きになったということです。宮崎県の東知事が所信表明演説で宮崎弁を印象的に採用したとも書いてありました。改めて方言の力を知りました。

 きょうは一日中、暑い日となりました。タオルを首に巻いてがんばるスタイルが戻ってきました。軽の乗用車には冷房が入っていますが、長距離運転以外はなるべく使わないようにしています。


2009年07月05日

夏空のもとで

 地中にいるセミたちはどういうふうにして連絡を取り合っているのでしょうか。きょうは夏のセミがいっせいに鳴き始めました。鳴き声はこちらをクリックしてみてください。いよいよ、このジージーという鳴き声と付き合うことになります。

 きょうは日本共産党の全県統一行動日です。私たちの仲間たちは街頭から、地域から、国政を変えようと訴えました。私の地元の党組織や後援会の人たちも大勢が詰まり、後援会ニュース配布準備などで奮闘しました。私は午後から消防の市長点検があるため、午前中だけの活動です。「しんぶん赤旗」日曜版を配布しながら日本共産党への支持を訴えました。

 消防点検は市役所の春日野駐車場で行われました。吉川方面隊のみなさんも小型ポンプ操法に出場しました(画像)。今回は2番手。大滝方面隊長などとともに見学させてもらいました。きびきびした動作、スピード、いつもの練習通りに力を発揮できたように思います。出番がくるちょっと前、方面隊長は出場する団員の一人ひとりの肩にそっと手を乗せ、リラックスさせていました。さすがです。

 夕方からは原稿書きでした。今週は市議会の各常任委員会が相次いで視察に出るので、ビラ作りはいつもより早い出来あがりが求められています。明日までに2枚のビラを作らなければなりません。たいへんだー。


2009年07月04日

総選挙間近、たたかう仲間のドラマ

 総選挙近し。きょうの会議では、県内各地でのいろんなドラマを見聞きしました。

 自分の事務所のすぐそばのおじさんが自殺してしまった。S議員の言葉は少なかったのですが、経営難に苦しんだ上での「決断」だったことがうかがわれます。遺言は「返済をどうするかについてはS議員に相談してくれ」でした。長引く不況を打開できない自公政治を何としても変えねばという思いが伝わる発言でした。S議員は朝の街頭宣伝回数は誰にも負けないという人です。他党を寄せ付けない圧倒的な宣伝は学ばなければなりません。
 
 行ったことのないところ、これまで支持が少なかったところへもどんどん行く。昨日、粟島浦村へ行ってきた新潟1区予定候補の武田勝利さんの発言には勝利への執念を感じました。粟島浦村は前回、比例票はわずかに2票だったところです。131世帯全部に宣伝ビラを入れ、対話をしてきました。
 武田さんは、これまであまり交流のなかった様々な団体とも懇談を続けています。先日は建設業協会の幹部の皆さんとも懇談しました。協会の皆さんからは、「我々とゼネコンと一緒にしてほしくない」「共産党が河川改修で応援してくれているとは知らなかった」などと言われたそうです。各地の農業団体との懇談では、「ミニマムアクセス米はやめてほしい」と強く訴えられたとも。一致点での共同を重視していくことの大切さも浮き彫りになった発言でした。

 会場では阿賀野市の党委員会が作成したビラも配布されました。郷病院問題で市長に難癖をつけた「市長への辞職勧告決議」賛成勢力への反撃ビラです。病院の存続と救急医療体制の確立のためには市長も議会も市民も心を一つにしてがんばらなければならないときに「病院を政争の具にしてはいけない」と訴えています。注目したのは、病院経営の困難の根本にある政府の医療削減政策にふれている点でした。二回も閣議決定して医師養成数を削減する、公立病院にたいする地方交付税も1ベッドあたり74万2000円(97年)から48万9000円(06年)に大幅削減する。こうした医療政策を変えるためには総選挙で日本共産党を伸ばしてくださいと書いてありました。地域でのたたかいと国政を変える仕事を結ぶことはとても大事だと思います。

 きょうの会議で得たものは明日からの活動に生かしたいと思います。夕方、地元の仲間と連絡を取り、明日の行動計画について相談しました。がんばらなくては。


これから会議へ

 朝から蒸し暑いですね。二日続けて朝の書き込みとなりました。昨日は、市政レポート作成後、印刷。その後は「しんぶん赤旗」日曜版の配達、生活相談、総選挙対策会議と続きました。夜まで会議などが続くと、原稿書きは睡魔との闘いとなります。きょうはこれから新潟県内で総選挙勝利のための会議です。各地でがんばっている活動家のみなさんの経験をしっかり学んできます。続きは夜に。


2009年07月03日

仏壇に酒ふたつ

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 朝の書き込みです。いまはもう8時過ぎです。昨晩は生活相談などで遅くなり、書くことができませんでした。昨日のことをふたつだけ書いておきたいと思います。

 ひとつは5月下旬に夫婦ふたりが事故で亡くなった親戚のその後についてです。事故当日、入院した親戚の長男に先日、両親とも亡くなったことが正式に伝えられました。私はその場に立ち会わなかったのですが、長男は涙をぽろぽろ流し、とちゃは、『おれが死んだら仏壇に酒をあげてくれ』と言っていた、とだけ言ったということでした。昨日、久しぶりに蛍場の、この親戚の家に行ったところ、仏壇には酒の入ったコップがふたつあげられていました。とうちゃんとかあちゃんが仲良く、酒を飲めるようにとふたつあげたのでしょう。お参りしていて、ジーンときました。

 わが家ではいまプラムがちょうど食べごろです。私の方はなかなかもぐ(収穫する)チャンスがないので、後援会のTさん夫婦に、「よかったら、もいでもらえないか」と頼んでいました。夕方、いつもより早めに家に戻ったところ、ちょうどTさん夫婦がもいでいる最中でした。プラムはもぐタイミングが遅くなるとすぐ落ちてしまいます。昨日は、落ちるまでもう3日くらいのタイミングでした。見た目は青いのもありますが、みんな熟していてとても美味しかったです。収穫量は5キロ弱くらいかな。

 写真はわが家のプラムです。大きいので直径2センチくらいあります。
 


2009年07月01日

市内3区でバス実証運行スタート

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 きょうから7月。市内では安塚区、頸城区、吉川区でバス路線の変更などに伴う実証運行が始まりました。これは、バスの運行間隔及び運行時間帯を鉄道との運行時間に合わせる、通勤・通学を重視する、乗車密度を高めることなどの目的で策定された運行計画が利用者の立場から見てどうなのかなどを来年3月末までかけて検証するものです。吉川区の一部区間の一定時間帯では、初めてデマンド型(予約型)運行方式が採り入れられました。市内バス路線のほとんどは利用者が少なく、赤字です。今回の実証運行により、打開に向けて一歩でも前進すればいいのですが。

 バス路線の一部見直しに伴う実証運行、幹線バス・デマンドバスの実証運行が始まった吉川区では、新幹線・交通政策課の職員や総合事務所の担当グループ職員が特別の体制をとってダイヤの点検や利用者案内などにあたっていました。午後3時過ぎ、総合事務所正面玄関前のバス停に行きました。ここからのお客は泉谷・勝穂循環線の1名だけでしたが(画像)、3路線のバスが次々と到着して出発する、その光景はまるでバスターミナルといった雰囲気でした。

 今回の実証運行での注目点のひとつはデマンドバスです。山直海線は尾神(または村屋)と総合事務所の間、合計8便が乗るためには予約が必要となります。最終便は確認しませんでしたが、総合事務所から山直海方面行きは乗車する人がいて運行されたそうです。いままでバスが走っていたのに走らなくなるとさみしいなと思っていましたので、ホッとしました。今回の取り組みでバスダイヤもかなり変わりました。通学のためには便利になったかもしれないが、吉川診療所へ行くには不自由になって困ったという声も寄せられています。具合の悪いところがあったら、遠慮なく指摘してほしいものです。

 写真は高田公園のハスです。昨日の午前、県立北城高校前で撮影しました。まだ、咲きはじめです。


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