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2008年10月投稿分

2008年10月31日

杜氏の郷、増資と新たなスポンサー支援などの再建案

 昨日までの3日間は福島県での視察でした。中山間地をどう守るか、どう振興させるかがテーマでしたが、初日の「全国水源の里シンポジューム」は小田切徳美さんの基調講演は得るものがありましたが、期待したパネルディスカッションはいまひとつでした。1時間ほどの間で論点を整理し深めるのはむずかしいのでしょうか。2日目の福島県庁、ここでは同県の過疎・中山間地域振興条例を学びました。議員提案で制定したということで、たいへん興味深く説明をお聞きしました。この点については市政レポート1369号に書きましたのでご覧いただきたいと思います。
 さて、きょうは文教経済常任委員会です。注目の(株)よしかわ杜氏の郷の長期借入金問題で市側は、中小企業診断士による診断結果を公表しました。
 現状分析では、当初の過大投資と甘い事業計画が窮境に陥った最大の原因としてあげられました。同時にその背景には経営責任の所在があいまいであるなど第3セクター特有の問題点があるとも指摘されました。会社の再生可能性については、過剰債務をどうするか(財務の再構築)、事業をどう建て直すか(事業の再構築)、この解決が必須の条件といいます。その上で、①市とJA、会社役員などの役割と責任を明確にしながら、企業体力に合わせた返済負担にしていく、②マネジメント力・販促力・資金力を強化し、経営力、競争力を向上させる、③市、JAのほか、新たなスポンサー企業などから支援を受ける、ことなどが今後の方向性として示されました。
 こうした診断を受け、市側は、財務の再構築のために「損失補償前に市の増資による長期借入金の返済」、事業の再構築のためにJAの支援継続と「新たなスポンサー企業、専門家の参画」が想定される最良の手法ではないかと考え、JA、会社側と協議していることを明らかにしました。この協議は大詰めを迎えており、具体的な内容は11月18日予定の常任委員会で明らかにするといいます。
 委員からは「経営責任は最後まで強く求められるべきだ」「(増資という選択をした場合)今後の市民の負担がどうなっていくか見えない」「責任をとるべき人は多数いる。根本的には行政の責任がある。当初の計画がずさんだった」など今回も厳しい意見が相次ぎました。村山副市長は審査の終盤、「情報の公開と説明をやっていく。その中で地域から答えが上がってくるのが行政のありようだ」とのべました。これは正論です。ただ気がかりなのは、時間があまりないことです。関係住民の声を十分聞いて、住民の意思に基づいて対応できるかどうか。これがないと直江津図書館問題と同じように混乱する可能性があります。次回の委員会、天王山となりそうです。


2008年10月27日

一日中会議、明日から3日間視察

 一日中会議でした。午前9時からの各派代表者会議では、来月17日と20日に開催する議会報告会についてが議題のひとつでした。会場の準備、受付などを含めて議員による手作りの議会報告会にしようと意見を出し合いました。上越議会史上初の取り組みですので失敗もあろうかと思いますが、みんなで成功させようというこの雰囲気はいいですね。

 次は新幹線・交通対策特別委員会です。この委員会は午前10時から始まり、お昼過ぎまでかかりました。ここでは、新幹線建設の状況と並行在来線の取り組みの現状及び今後の見通しについて市当局から報告があり、その後、質疑が行われました。注目したのは並行在来線問題での平良木質問です。私の9月議会一般質問では踏み込む余裕のなかった政府・与党合意の見直しがなぜ求められているかについて言及、政府・与党合意からかなりの年月がたち、その間に「新幹線は黒字経営の見通しがつき、JRの負担を心配する必要がなくなっている」「九州新幹線長崎ルートで、JR九州が在来線の経営をそのまま継続するということで関係2県と合意した」、この2つの大きな状況の変化を指摘したことは重要です。今後の議論に影響を与えることになるでしょう。

 午後1時からは上越地域消防事務組合議会定例会と全員協議会でした。昨年度の一般会計決算と本年度の補正予算が議題です。私は最近問題になっている公務災害の実態と救急体制の強化について発言しました。公務災害は平成18年度が1件、昨年度は3件あったということですが、どういう内容の災害か、また他の消防事務組合と比較してどうかという点は調査した上で答えるということでした。こういう基本的な問題はいつでも答えられるようにしておいてほしいものです。救急車、救急隊に救急救命士を配置することはいまや不可欠となっています。議会では、現在32人の救急救命士を毎年4人ずつ増強して66人体制にする計画が明らかにされましたが、もっとスピードアップできないものかと思いました。全員協議会では、第12次組合消防整備計画案が審議されました。重点施策の中で、「消防力希薄地帯の署所新設について長期的な視野から検討する」とあったので具体的な取り組みについて質問しました。事務当局ではすでに7回ほど検討会議をしており、上越市の春日地区を想定しているとのことでした。

 夜は地元で党会議でした。総選挙に向けた取り組みを中心に話し合いました。

 お知らせです。明日から3日間、市議会中山間地対策特別委員会の視察で福島県に出かけます。メインは水源の里シンポジュームへの参加と福島県の過疎・中山間地域振興条例を学ぶことです。楽しみです。なお、この間、日記はお休みとさせていただきます。


2008年10月26日

『春よ来い』は100回に

 『幸せめっけた』に続く随想のシリーズとして市政レポートの裏面に書き続けてきた『春よ来い』が今回の「赤とんぼ」で100回目となりました。第1回が2004年の1月ですから、4年と10か月書き続けてきたことになります。この間、応援してくださいましたみなさんに心から感謝いたします。
 この随想は、私の家族や親戚の出来事、吉川区内でがんばって生きている人たちのことを中心に書いてきました。心を揺さぶられ、すぐに文字にしたものもあれば、何回か取材して書いたものもあります。おもしろいもので、自分が書いた文章は一晩寝かせて翌日になると違って見えてきます。できるだけ良い文章にしたいと何回も書き直したものもあります。でも、書きなおしたものがよく読まれるとはかぎりません。文章としてはいまいちでも、「良かったよ」と言ってもらえるものもあります。
 いまや、私の活動の一部分となった随想の執筆ですが、ありがたいのは、いつも楽しみにしていてくださる方が何人もおられることです。「いつもビラの裏、読んでるでね。続けてくんないね」こういう励ましの言葉を寄せていただいたからこそ続いてきたんだと思います。残念なのは、最近、執筆の時間がなかなかとれないことです。でも、書かないではいられないことが必ず出てきますので、寝る時間を削ってでも続けていきたい。これからも応援よろしくお願いします。


2008年10月25日

知事選結果に関心

 きょうは市政レポートの印刷をさっさとやり、朝の早い時間から「しんぶん赤旗」日曜版の配達と集金の予定でした。しかし、レポートの原稿を見直しはじめたところ、いくつかのおかしな文章に気づき、裏面については半分入れ替えることになってしまいました。この結果、1時間半くらい予定外の時間を使ってしまい、その分、ばたばたしました。
 「しんぶん赤旗」日曜版の配達と集金の際、何人かの読者から先日の知事選の結果をどう見るかについてきかれました。こちらから「この間はありがとうございました」と言ったこともありますが、「上越市はどうだったね。おまんたの考えているだけ行ったかね」などと関心を寄せてくださるのはうれしいですね。私からは「1万票を超えたのは善戦だったと思う。(県議選での)上野さんの得票も超えたしね」と答えさせてもらいました。「開票が旧市町村単位で行われればいいのにね」という声もありました。私としても、元新潟大学学長の長崎明さんを擁立して一騎打ちとなった知事選において、旧吉川町で40数パーセントを得票したことが頭にあります。あの到達点にどこまで接近できたか知りたいものですが、いまの制度ではかないません。
 配達は夕方遅くまでかかってやっと終わりました。集金はかなり残っています。明日はパンフ配布などの活動が中心ですが、集金も兼ねてがんばろうと思います。


2008年10月24日

妙高市で農業視察

 きょうは市議会食糧農業農村議員連盟の視察でした。視察先は妙高市です。すぐ隣の市ではありますが、農業に関する興味深い取り組みをされているので大きな関心を持って参加してきました。
 視察先のひとつは(株)妙高ガーデンです。株式会社の農業参入第1号として有名ですが、何をどのように生産しているかは今回の視察までまったく知りませんでした。同社は、無農薬で大葉やハーブなどを大規模施設で生産していました。100人を超える人が雇用されていて、1棟1億円もするというハウスはまるで工場のようでした(画像)。ハウス内は大葉の匂いが漂っていて、とても気持ちよく感じられました。説明された人によると、花粉症の人にはこの大葉がよいそうです。農産物の安全性がいまほど求められている時はありませんので、無農薬栽培にこだわっての生産は評価できるものです。ただ、既存の地域農業との連携、地域農業を盛りたてていく姿勢があまり見えなかったのは残念なことでした。
 もうひとつ、(有)妙高ファームは地元でとれるトマトなどの農産物を直売しているところです。直売所は国道沿いにあり、年間1億円からの売上を記録しています。生産履歴を重視し、地場産の農産物を売り、地域振興につなげようと一生懸命です。直売所で説明を受けた後、大洞原の開拓地を視察してきました。ここは私の牛飼い仲間もいるところですが、トウモロコシ、トマトなどを自分の作業所などで直売して頑張っているのには驚きでした。でも、酪農家はNさんとSさんだけになっていたのはさみしかった。


2008年10月23日

新潟演説会に1300人

 夕方から新潟万代シティにて日本共産党の街頭演説会でした。弁士は新潟選挙区第6区予定候補の橋本正幸さん、同1区の武田勝利さん、そして党中央委員会書記局長の市田忠義さんです。また、先の知事選で健闘した山崎さんもかけつけました。
 橋本さんは4年前まで三和の村議をしていた人です。大型の宣伝カーからの彼の演説は初めて聞きました。全国から注目されている新潟6区のたたかいの先頭に立つ橋本さんは、「事故米の大もとには輸入米をうけいれてきた農政がある。安心してコメを作れる農政への転換を日本共産党の躍進で」と熱く語りました(画像)。同じ町村議員の仲間だっただけに橋本さんには頑張ってほしい。
 市田さんの演説は今回もさわやかでした。国民の暮らし、アメリカ言いなりの政治について、わかりやすく、心に響く内容で語る。さすがだと思いました。「麻生さんはいま、(国民の暮らしを守るために)痛み止めが必要だとおっしゃるが、必要なのは痛みを押し付ける政治をやめさせることだ」「私たちは大企業をなくそうとしているのではない。共存共栄を願っている。企業だから儲けを求めるのは当然だが、私たちはぼろ儲けのボロをとってほしい、そして若者をモノ扱いにする働かせ方をやめてほしいと訴えているんです」。参議院では議場にいる自民党議員などからも拍手が起きる訴えをする市田さんですが、きょうの演説でも近くを歩いている人の足がぴたっと止まる場面が何度かありました。
 市田さんは、衆院選は遠からずやってくる、自らの力で風を起こすたたかいをと訴えました。元気の出る演説会でした。


2008年10月22日

明日は新潟で市田書記局長迎えて街頭演説会

 きょうも吉川区での活動が中心でした。明日の夕方6時から新潟市万代シティマクドナルド前で市田忠義党書記局長を迎えて街頭演説会が行われます。パンフレットやビラを配布しながら、それへの参加の働きかけなどをしました。
 昨日と同じく、ふだんあまり回らない集落を対象に動いていますので、久しぶりに会う人も少なくありません。道路整備や防犯灯などいろんな要望を寄せていただきました。きょうも2軒でお茶をご馳走になりました。3か月ごとに病院を移らされることへの不満からはじまって、高齢者を大事にしない政治の怒りの声をいっぱい聴きました。
 明日は夜遅くに新潟から戻ることになりますので、これから市政レポート作成にとりかかります。早く終われば、明日も区内で宣伝活動をしたいと思っています。


2008年10月21日

歩いた歩いた

 めずらしく妻が車に乗って出勤しました。帰りに寄り道しなければならないところがあるというのが理由でした。おかげで私の方はテクテクです。私は、きょうは一日中、吉川区内でパンフレット配布を予定していました。配布した集落は、いつも協力者の方に配布していただいているところです。たまには私が配り、いろんな声を聞いた方がいいということで代わりました。午前、午後の合計で100軒を超える家庭に歩いて配布しました。秋晴れの中、バッグにパンフレットを入れ、対話しながら歩く。とても気持ちよく、活動しました。万歩計でもつけておれば、10000歩は軽く超えたでしょう。
 配布中に出会った人の中には、「県知事選、伸びたね。次は衆院選、がんばって」と激励してくれる人、「伸びたのかね。もう少し(票)欲しかったね」などと日曜日の結果について話す人たちが何人かいました。知事選についての関心はいまひとつでしたが、衆院選については関心が高まっている、と感じます。「小沢さんじゃ、論戦できない。共産党さんにがんばってほしい」と声をかけてきた人もいます。先日の志位委員長の予算委員会の論戦の影響はすごいですね。年配の人たちがテレビでの国会中継をじつによく見ていておられます。
 対話は政治の話だけではありません。押し花を楽しんでいる人とは、野の花をどう利用するかなどについて教えてもらいました。庭にたくさんのリンドウを咲かせている家もありました。リンドウはいまが花時です。私がときたま書く「春よ来い」について感想を寄せてくださる方も何人かありました。ありがたいことです。


2008年10月20日

頻繁にメール交して待ちぼうけ

 またやられてしまいました。妻の川柳の対象にされてしまったのです。今朝の新潟日報の文芸欄を見たら、「頻繁にメール交して待ちぼうけ」とあります。
 議会の会議が終わって、議員控室で妻に「会議終わった。これから迎えに行きます」とメールをしたのはひと月ほど前のことでした。議員控室を出てから駐車場へ行くまでに何人かの人と会い、話をしていたら、あっという間に30分ほど経ってしまいました。妻の方は職場の門のところでずっと待つはめに。以来、迎えに来るというメールをする時は車に乗ってからにしてよ、と何度も言われ、最近はそれを守っています。
 きょうは総務常任委員会でした。合併前の上越市内に地域自治区、地域協議会を置くことについて行政側から説明があり、1時間半くらい審議しました。これまで地域自治区は16のエリアで設置する提案でしたが、谷浜と桑取地区をひとつにし15でどうかという案になりました。また地域自治区の事務所については3か所で設置することが示されました。事務所には所長のほか、1ないし2名の職員を置くとのことでした。委員会では強い異論はなく、11月下旬に合併前市内の3か所で市民説明会が開催されます。また、その前の17日には市議会としての議会報告会も開催されます。そこで、地域自治区についてどんな声が出るか注目です。
 委員会が予想よりも早く終わったので、昼食後まもなく市役所を出て病院経由で自宅に戻りました。家から妻にメールをしたら、すぐそばで妻の携帯電話が鳴っています。連絡のメールをしたらそばで鳴り。おや、川柳もどきのものが出来ましたよ。


2008年10月19日

山崎候補、善戦

 県知事選の結果が出ました。民主県政の会が推した前県労連議長の山崎栄三さんは得票数13万8099票、得票率15.4%でした。4年前の県知事選挙と比べると、得票数3倍、得票率で3.5倍です。今回と同じく一騎打ちとなった12年前(得票率17.4%)と比較しても、善戦、健闘と言えるでしょう。上越市での得票は1万1116票(14.4%)でした。
 これから衆院選となります。今回の知事選で、自公政治への怒りが一段と広がっていることを実感できました。貧困と格差の解消、後期高齢者医療保険の廃止などをめざして全力でがんばりたいと思います。
 きょうの日記は、「吉川小学校文化祭」と題して書いたものもあります。そちらもご覧ください。
 


吉川小学校文化祭

 市議になってから欠かさず参加している行事のひとつは吉川小学校の文化祭です。来賓として呼ばれていることもありますが、何よりも参加して楽しいし、学校での出来事を知ることができて勉強になるからです。そして、世間で流行しているにもかかわらず私が知らない世界をのぞくことができるのもありがたい。

 小学校の生活科の学習で動物を飼うところがありますが、吉川小学校でもヤギを飼い始めました。近いうちに豚もくるそうです。ヤギが来た時の感動を絵に描いた子どもがいました。ヤギの背中に3人で登って楽しそうにしています。よほど、うれしかったのでしょうね。朝顔を育てて90個もの花を咲かせた1年生たちは、音楽発表会で「手をたたきましょう」を歌いました。

 この夏、評判になった映画、「崖の上のポニョ」。2年生と器楽クラブがテーマソングを採用しました。2年生がポニョのお面をかぶり、楽しそうに歌う姿を見て、この映画が子どもたちに受け入れられたことが理解できました。2年生の歌と合奏では、竹で作った楽器が効果的な音を出しているのが印象に残りました。

 毎年感じることですが、絵も音楽発表(画像)も1学年から6学年まで、それぞれの学年の持ち味があり、どんどん成長していく様子がわかります。歌だけでなく手拍子をとり入れる。部分二部合唱をやる。完全な二部合唱にする。6年生の合奏「ラバーズコンチェルト」、二部合唱「つばさをだいて」になると力強さもあって、貫録十分でした。子どもたちは1年ごとにこれだけ成長していくのですから、われわれ大人たちもその半分のペースでも成長していかれればいいのですが、なかなかそうはいきません。

 音楽発表会でみんなが楽しみにしているのは恒例となった職員発表です。プログラムでは曲名も発表されておらず、何をやるのかみんな興味津々でした。教職員全員で「上を向いて歩こう」を歌っていったん引き揚げます。しかし、会場からは「吉川小学校はこれだけでは終わらないよ」という声が飛びます。まもなく、紙で作った鼻ヒゲをつけ教頭先生が登場。「きょうは3のつく数字と3の倍数でバカになります」と言って、数字を言うごとに顔の表情を変え、会場は爆笑の渦に。そこへ、今度は校長先生が登場し、「君は何をバカなことをやっているんだ。羞恥心はないのか(たぶん、こんな意味だったと思います)」と言って連れ戻す。そして登壇したのは若い3人の先生による、「羞恥心」の歌と踊り(画像)でした。会場からは手拍子が出て、もう最高潮でした。グループ名も歌も、私は初めて知りましたが、大流行した歌だったのですね。

 きょうも秋晴れでした。久しぶりに「私の好きな風景」に2枚の写真を掲載しました。左上の「小さな町の幸せ通信」をクリックして、トップページからお入りください。
 


2008年10月18日

楽しみながらできる満点健康法

 お昼の12時半頃まで「しんぶん赤旗」日曜版の配達とビラ配布をしました。昨日に負けないくらい晴れ、上天気でした。農家にとって、干したいものはいろいろあるんですね。ソバ、大豆、小豆だけでなく、イモ類なども並んでいました(画像)。家族総出で大豆落としをしている農家もありました。こうした光景は何回見てもいいものです。
 午後からはNPO法人よしかわたすけあいの「夢・スマイル広場」でした。今回はNHKの体操などでおなじみの輪嶋直幸さんの健康づくり講演です。「楽しみながらできる私の満点健康法」というテーマでの講演は、マイクなし。会場の参加者の中に入り、手を使ったり、頭を使ったりしながらの話は笑いの連続でした。10本の指を使った遊びというか体操はなかなかついて行けませんでした。右手と左手で同じものを出す時はまだいいんですが、違うと全然ダメ。まあ、せいぜい80代の人ならだれでもできるというレベルでした、私は。記憶を確かめる問いかけについてはまいりました。「昨晩何を食べましたか?今朝は?」との問いに何にも答えられなかったからです。ご飯と発泡酒は思い浮かんだのですが、おかずはさっぱり……。記憶力がここまで落ち込んでいるとは思いませんでした。一緒に出かけた妻いわく、「何という名前のおかずかわからんものを作ったもんね。適当に竹輪とか何とか言っておけばよかったのに」。
 きょうはビラ配布のおかげでたっぷり歩き、講演会で指と頭の訓練、疲れました。


2008年10月17日

イノシシそれともカモシカ?

 とうとうやってきたようです、うわさの動物たちが。わが家の牛舎周辺を歩いていたら、動物の足跡(画像)を発見しました。最初は子牛のものと錯覚しました。足跡の大きさは直径6、7センチほどで、ちょうど子牛の足跡と同じくらいだったからです。でもわが家には牛たちはもういません。となると、イノシシかカモシカだと思います。イノシシは近くの米山のふもとで農作物を荒らして大きな問題になっていますし、カモシカは吉川区の山間部だけでなく、六万部など平場の集落でも見かけたという人がいます。どちらがわが家の近所に来ようと不思議ではありません。彼らが来たのは恐らく夜でしょう。近くに糞が落ちていないかさがしましたが、ありませんでした。ま、いずれ正体は分かるでしょう。
 きょうは午前中に市政レポートを作成し、その後、「しんぶん赤旗」日曜版の配達に出ました。一昨日、年金から後期高齢者医療保険料などが天引きされたこともあって、そのことで話しかけてくる人が何人もいました。みんな怒っているんですね。きょうはいい天気に恵まれ、何軒かの家では、小豆や大豆を落としたり(画像)、干したりしていました。


2008年10月16日

吉川区敬老会

 今年度の吉川区敬老会が長峰温泉ゆったりの郷ゲートボール場で午前10時半から行われました。吉川区になってからで数えると4回目です。
 今回から市の敬老会の参加対象者は75歳以上となりました。そのため、参加者は約280人となり、昨年と比べ150人ほど少なくなりました。例年より静かだと感じたのはそのせいでしょうか。送迎用のバスもこれまでの大型バスからマイクロバスになりました。
 式典では主催者を代表して中川副市長が挨拶しました。いつも力強い挨拶をすることで定評のある同副市長は、戦前から困難を乗り越え、地域の発展のために貢献されてきた参加者に感謝し、これからも頑張ってと激励しました。来賓代表として市議会の古澤副議長も挨拶しました。私も万歳三唱の際に一言のべさせてもらいました。昨日の日記に書いた半纏のことと、「おまんはおらちの親方だすけ、がんばって」と声をかけた時に父はほほ笑むことを例にあげ、そこには一人の人間としての価値を認めてもらえる喜びがある、という話をしました。思いつくままに語ったので、参加者の心に響いたかどうか。
 第2部のアトラクションは今回も踊りと歌が中心でした。ゆったりの郷の橋爪吉夫さんの元気な司会で、区内と糸魚川市の踊りのグループが登壇、見事な踊りを披露しました(画像)。毎回感心するのは踊る人たちの豊な表現力です。体全体で踊るのですが、目や指の動きひとつでいろんなことを表現できるものですね。歌では秋田県出身の歌手、榎春美さん(男性)が「高原列車」「達者でな」など懐かしい曲を何曲も歌い楽しませてくれました。
 昨日の午前と違い、きょうは朝から晴れ上がり、最高の日でした。敬老会が終わってからはビラ配布でした。ある集落へ行ったところ、敬老会に参加しての帰りに1軒の家でお茶を楽しんでいる6人のおばあちゃんに出会いました。そこには茄子の漬物やむかごをふかしたものが飯台の上に出ていて、私も仲間に入って楽しいひと時を過ごさせていただきました。


2008年10月15日

半纏いらないか

 一日、生活相談とビラ配布でした。ビラ配布は100軒ほど訪問したのですが、そこでまた、要望をお聞きする、そういうことが続きます。午前中はあいにくの雨、しかし、午後からは晴れ上がり、気分よく活動できました。対話ができた相手はほとんど高齢者です。近所の人たちとお茶のみをしている人たちが楽しそうでした。「半纏(はんてん)いらないか」と言ってきたのはあるおばあさん、親戚の80代の人が数着作って送ってくれたのだそうです。もらってくれる人がいると生きがいがある、との言葉が印象に残りました。
 夕方、父の様子を見てきました。昨日、いったん下がったはずなのに、再び熱があがり、リンゲルを打ってもらっていました。上がったり、下がったりの間隔が短いのが気になります。
 帰り道、月はまんまるで輝いていました。「こんなにいい月、じいちゃんに見せたいね」と妻は言いますが、見せることができるのはいまのうちかも。夜はぐんと冷え込むようになりました。


2008年10月14日

花ヶ前先生の講演

 朝から夕方までずっと議会関係の会議が続きました。午前の各派代表者会議では、人権都市宣言(案)について各派の検討結果が明らかになりました。わが党だけが反対で、あとは「異論なし」。もっとも一人会派で欠席がひとりいましたので、そこはわかりません。国段階で調査し、同和行政の終結宣言を出して久しいのに、いまだ同和対策を理由の一つにして人権の宣言をするのは時代錯誤です。12月議会で本会議提出する予定とのことですので、引き続き論議していきたいと思います。
 議員定数検討委員会、議会報編集委員会後、午後3時からは長野市議会との交流会でした。前半は、いま上杉謙信や直江兼続関係の講演でひっぱりだこの郷土史家、花ヶ前盛明先生の講演でした。新年からNHK大河ドラマ『天地人』がはじまるので、大変興味を持って話を聴きました。ドラマの『天地人』は小説をもとにしていますので、その内容で上越をイメージされることになりやすいと思います。観光振興などに結び付けていきたいという声が強いので、そこは史実をしっかり把握しておかないといけないなと感じました。400年前の上越をよく知っておきたいものです。
 きょうは、県道新井柿崎線の整備で市長交渉もありました。冬季を前にして防雪柵の整備など確実にやってほしいものです。県道新井柿崎線整備促進議員連盟では、20日に県土木部長との交渉を行う予定です。私は総務常任委員会と重なり、残念ながら参加できません。


2008年10月13日

このままじゃ、おら、暮らしていかんね

 きょうもいい天気になりました。ただ朝晩は少し冷え込みます。パジャマは半袖から長袖にしました。わが家の周囲の景色も少しずつ変わりつつあります。木に絡みついたツタは赤い色になり、桜の木の葉も赤くなってきました。牛舎に至る道の周囲はセイタカアワダチソウが黄色に染めています。ミゾソバとヒメジソもがんばってきれいな花を咲かせていますが、セイタカアワダチソウの黄色に押され、なかなか目立ちません。
 さて、きょうは3連休最後の日。午前からお昼休みにかけてビラ配布をしました。県政も国政も身近なところから考える人が着実に増えてきているのを対話の中で感じます。事故米や後期高齢者医療制度は政治をいままで以上にひきつけ、政治の中身を変える必要性を浮き彫りにしてくれています。きょうも81歳だという女性が私の手を握り、「頼むでね。このままじゃ、おら、暮らしていかんね」。手はしばらく握りっぱなしでした。
 午後2時過ぎ、2日間行かなかった父の様子を見に、病院へ。夕方までビラ配布の予定でしたので気分転換も兼ねてのつもりでしたが、父は39度近い熱を出していてまったく元気がありません。帰ろうとすると「おい」という声を出します。10分くらいの予定がとうとう夕方まで付き添いました。熱は帰り際には少し下がりました。明日の朝には元気になっていてくれるでしょう。
 そうそう、大事なことをひとつ書き忘れました。午前はビラ配布前、千葉と埼玉の従弟たちがわが家を訪れ母の顔を見ていってくれました。自分たちの父親と血がつながっているキョウダイのことを心配してくれる、その気持ちがうれしい。


2008年10月12日

大島区で法要

 きょうは大島区の伯母の1周忌法要と伯父の33回忌法要でした。私たち親戚筋では「足谷」と呼んでいる家での法要です。お経は午前10時から約1時間半にも及びました。33回忌法要はわが家の祖父の時以来でした。お寺のご住職の法話のなかで伯父が馬をひき、米を運ぶ話が出てきたこともあって、法要終了後のお斎では、久しぶりに伯父の話や30年、40年前の思い出話をしました。従兄のひとりは、わが家まで「村屋柿」(むらやがき)をもぎに来て、リュックにいっぱいつめて帰ったものの、途中で陽が落ちてしまい、親たちに叱られたことを教えてくれました。
 伯母と伯父の法要とあって、参列者は50人近くにもなりました。ここ何回か、葬儀や法要で顔を合わせ、顔なじみとなった人も少なくありません。伯母の葬儀の前日に、初の日本共産党演説会を大島区で開催したことから、私の活動についても関心をよせ、春の市議選で吉川区在住の仕事仲間に支持を訴えてくださった人もありました。何よりも、従兄弟たちが協力してくれたことが大きく影響しています。改めて感謝です。
 お斎が終わって、「足谷」の家でまたご馳走になりました。従兄のお連れ合いが腕をふるって用意してくれた美味しさいっぱいのふるさと料理を堪能させてもらいました。山ウド、ワラビ、地の野菜などが美味しく味付けされていて最高の料理でした。この中には、私の母が前日送っておいたコンニャクを活かしたものも(画像)
 今回の法要では従兄弟たちに食べてもらおうと、吉川区の山間部で採れた天然のサルナシを一握り持参しました。びっくりしたことに大島区の従兄弟たちを含め、食べたことのない人たちがたくさんいました。畑にあった「すいっかし」と間違える人もありました。千葉や埼玉の従弟たちももちろん初めて、珍しがって食べてくれました。
 伯母や伯父のおかげでこうした楽しい交流ができました。良かった、良かった。


2008年10月11日

前橋市で結婚式

 きょうは前橋市駅前のホテルで親戚の結婚式でした。こちらから10人乗りのタクシーに乗って朝6時半頃出発、帰りは午後7時半頃になりました。近くに住んでいても普段あまり会話もできない伯母や従妹夫婦などと一緒でしたので、車中はたくさんおしゃべりをして楽しい時間を過ごしました。
 結婚式は10時半から、披露宴は12時からでした。新郎新婦の高校の同級生や会社の同僚、親戚の人たちが盛り上げてくれ、とてもいい結婚式でした。新郎は子ども時代の姿しか記憶が残っていません。背が伸びて、若かりし頃の小林旭風の素敵な男性に成長していました。あまり口数が多くなく、真面目な男性でしたが、人にやさしいところが最大の魅力。新婦もここにひかれたようです。新婦の父親、母親とも私やわが家の子どもたちがお世話になった教育者です。不思議なご縁を感じました。
 結婚披露宴はずいぶん変わりましたね。映像技術の発達するなかで、新郎新婦の生い立ちと出会いの紹介はプロジェクターを使い、鮮やかに映し出されました。若い二人の魅力がコンパクトに紹介されていてとてもわかりやすいものでした。披露宴の最終場面、新郎新婦が退場してからも映像で、きょうの結婚式の様子などがプロジェクターで大きく映し出されました。披露宴に参加した人たちもどこかに登場していて、最後は出演者(参加者)の名前がずらりと出てくる。まるで映画に出演した錯覚を起こしそうな演出がされていました。
 きょう一番印象に残った映像は新郎がおばあちゃんの手をとり、歩いている後姿のシーン。正面からでないのに、なぜか正面からよりも人間の内面が見えてきて素敵でした。


2008年10月10日

穀物を干す人があちこちで

 日中の最高気温27度。あまりに暑いので半袖シャツを再び着て動きました。きょうは、午前10時過ぎまで市政レポートを作成、その後、「しんぶん赤旗」日曜版の配達を夕方までかけてやりました。天気がいい時は留守が多いのですが、きょうは、昔から「ババ殺し」と言われるような上天気でしたので、前庭などで大豆や小豆などを干している人が結構いましたね(画像は吉川区尾神地内で)
 夜は吉川区地域協議会でした。ケーブルテレビで事前に開催が知らされ、傍聴を呼び掛けていたこともあって、傍聴者は過去最高の9人にもなりました。注目の(株)杜氏の郷問題で地域協議会は、同社の存続を求める要望書を市長、市議会、JAえちご上越に提出することを決めました。要望書案の議論のなかでは、「地区住民の意見を聴く過程を経ないでいいのか」などの声もありましたが、最終的には全会一致でした。


2008年10月09日

新米

 昨日、山間部でビラ配布をしていて、新米を2升ほどいただきました。初めて田んぼでコメをつくってみたという人からです。田んぼは尾神岳のふもとにあり、水は山から湧き出ているものを利用しているとあって、どんな味か楽しみでした。
 そのコメを今朝、4合炊いて、さっそくご馳走になりました。今年、新米を食べるのは初めてです。ふっくらとして、きらきら輝いているコメ粒をながめ、炊きあがりの匂いをかぐ。口に入れてからはゆっくり噛み、味わう。おかずなしで軽く茶碗一杯を食べました(画像)。写真はフラッシュなしで撮影したものです。照明がいまいちのところで撮ったため、少し赤くなって見えますが、甘さがあり、とても美味いコメでした。
 昔ならまだ古米を食べている10月です。この時期に新米をいただくのは申し訳ないような気もしますが、うまかった。わが家のいま食べているコメは昨年とれたものです。あと30キロくらい残っていますから、新米に切り替わるのはまだしばらく先です。
 きょうも地元吉川区で活動しました。60代の農家の方が「農業についてとんでもないことを言ういまの知事じゃだめだ。農業のことがまるでわかっていない」と批判されているのが印象に残りました。


2008年10月08日

「あれー」の連続

 朝、地元町内会の役員の人から電話をもらいました。草刈の話が中心だったのですが、「今頃、竹の子出た」という情報ももらい、早速見てきました。何を勘違いしたのか、間違いなく竹の子(画像)でした。きょうも午前中、ビラ配布です。ある家を訪れた時、小さなため池に目をやったら、赤い花が咲いています。スイレンです。びっくりして、「おまんち、おもしいもん、咲いてるね」と話しかけました。その最中に、今度は近くの木から「ミーン、ミンミンミンミーン」。3日に吉川区の中心部、原之町で聞いたのが最後と思ったのですが、まだ鳴いていたのです。今年は秋の天候が安定していて、気温も高いので動植物はなかなか夏から抜けることができないのかも知れません。
 午後からは葬儀でした。青年時代、一緒に青年団活動をした仲間です。まだ62歳という若さでした。中学高校時代の同級生の人たちが大勢参列しておられました。


2008年10月07日

一日中、吉川で

 久しぶりに一日中、吉川区にいて活動しました。家庭の問題、災害対策など数件の生活相談とビラ配布が主な活動です。ありがたいことに、ビラ配布で訪問すると懐かしがって話が弾みます。テレビで質問の様子を見た、杜氏の郷はどうなるか、じいちゃんは大丈夫か、話の中で多いのはこの3つ。総括質疑で何回も登壇したこともあり、市議1期目よりもテレビで私の質問を見ていてくださる方は増えた感じがします。ある人に、「おまんがしゃべっていることはオラにもわかる。難しいことば全然ないし。がんばってくんない」とほめてもらいました。幸か不幸か知っている語彙が少なく、日常使っている言葉で語り、センテンスが短い。それが分かりやすさにつながっているらしいのです。きょうは行く先々で美味しいものもたくさんいただきました。もっと歩かないと、またまた太ることになりそうです。


2008年10月06日

議員団会議

 午前中は議員団会議でした。大きな政治戦の最中ではありますが、市議会の活動は休みなしです。常任委員会の視察があったり、他市議会との交流会、研修会などが目白押しです。上越市議会独自の活動も少なくありません。議員定数の検討委員会、人権都市宣言(案)の検討、杜氏の郷問題、議会報告会などがあるので、議員団の考えを整理、統一する必要があります。
 きょうはまず議員定数問題から議論を始めました。これまでの検討委員会での審議状況を上野議員から報告してもらい、今後の方向について議員団の考えをまとめました。検討の基本は民意をどう反映するかにおくことを再確認し、行革や財政削減の観点からの議論に反論していくことを確認しました。人権都市宣言(案)が先日の代表者会議で示されました。上越市の人権条例の制定10周年などを記念して宣言を出したいという行政側の意向ですが、すでに終結したとされている同和問題をベースにしていることなどから、このまま推進とはいきません。これまでの市議会での議論も踏まえ、対応していくことにしました。注目の(株)杜氏の郷については、市民から様々な意見が寄せられています。きょうは市民の声を聴く機会をつくること、関係住民の意思を確認することなどについて話し合いました。
 夕方からは地元で会議がありました。民主県政を実現させるためにビラ配布や街頭へ打って出ている人たちから元気いっぱいの報告をしてもらい、今後の活動方針について決めました。


2008年10月05日

越後よしかわ酒祭り、今回も大入り

 昨日の更新は午後3時過ぎでした。昼間に更新することはめったにないので、何かあったかと心配してくださった方もあったようです。理由は夜遅くまで私のパソコンから遠く離れたところにおり、更新できないことが明白だったからです。ご心配をおかけしました。
 さて、きょうは越後よしかわ酒祭りでした。天候は暑からず寒からず。曇り空だったものの、雨は落ちてこない。おかげで大入りでした。出店をされたみなさんは完売に近い状態だったのではないでしょうか。売れ行き抜群でしたね。メインの酒も、杜氏の郷の銘柄である天恵楽の純米酒、よしかわ杜氏の大吟醸がこのほど米国で行われたジョイオブサケにて金賞に入賞したこともあって、これまた大勢の購入者で賑わいました。
 お昼のオープニングセレモニーでは友好都市関係にある東京都荒川区の三島副区長さんや東京吉川会の関沢会長さん、新潟県内の酒造関係者などが登壇し、励ましの言葉をのべてくださいました。心から感謝します。来賓祝辞でびっくりしたのは荒川区三島さんの時でした。荒川区と言えば水泳平泳ぎで2つの金メダルをとった北島選手の地元です。北島選手を自慢した後、吉川でも金メダルとりましたね、とほめたのは米国での酒の金賞入賞でした。そして、三島さんは替え歌を歌い、吉川にエールを送りました。来賓祝辞で歌を歌った人を見たのは初めてです。
 酒祭りの会場は杜氏の郷の広場です。会場を回って思ったのは、吉川にはコメや野菜、農産加工品、天然のものなどが結構豊富だということです。おばけ南瓜を売っている人(画像)、山にあるアケビやツルを持ち込んで売っている人(画像)もいました。毎回、人気の餅つきは今年も人の山でした(画像)。今週閉校になった県立吉川高校同窓会の皆さんは、寮の看板、スポーツ大会の入賞カップなど記念のものを展示し、注目されました。これらは地域おこしに結び付けたいものです。会場では懐かしい人にも何人か会いました。息子たちの恩師のみなさんとは、酒の販売場でばったり。呉汁を飲みながら、思い出話や近況を語り合いました。祭りは、こういう交流ができるからいいですね。
 市政レポート1365号、「春よ来い」第99回を掲載しました。トップページからお入りください。


2008年10月04日

雁行確認

 朝の新聞配達の途中、今年初めて雁行を確認しました。柿崎区上下浜地内の上空を10羽ほどでくの字型の編隊を組み飛行していました。おそらく近くの朝日池から飛び立ったのでしょう。これから、朝の配達は雁行を見るのが楽しみとなります。
 きょうは、午前から「しんぶん赤旗」日曜版の配達をしました。昨晩のご飯が残っていたので、お昼には、おもしろいものを作りました。昨日、山間部で収穫した山芋のむかごをゆで、ご飯に卵とこのむかごを入れ、おじやを作ったのです(画像)。塩を少々いれて、数分で出来上がります。むかご入りご飯はよく食べますが、むかご入りおじやは今回が初めてです。なかなかいい味になりました。お試しあれ。
 これから病院です。


2008年10月03日

「思わぬ収穫」

 びっくりしました。まだミンミンゼミが鳴いていたのです。午後の4時近くだったでしょうか、吉川区の原之町商店街で聞きました。ミーンミンミンミーン。最後のミーンがものすごく長く感じました。きょうは10月で、朝は寒いくらいでしたが、日中は気温が急上昇、セミも「夏になった」と勘違いしたのかも。
 きょうは山間部で新聞配達とビラ配布活動でした。帰り道、普段通らない道を走らせたところ、「思わぬ収穫」がありました。山芋のむかご、サルナシの実、それとヤマボウシの実です(画像はサルナシとヤマボウシ)。ヤマボウシはわが家の近くにもありますが、赤い実を食べたのは今年はじめてでした。一緒だった仲間は生まれて初めて食べたらしく大喜びでした。こうなれば、アケビもと思ったのですが、これはありませんでした。
 夕方、時間をつくって病院まで行きました。父は昨日よりは少し良いようです。明日も終日、新聞配達と集金、ビラ配布です。


2008年10月02日

9月議会終わる

 1か月に及んだ9月定例市議会がきょう終わりました。きょうは委員長報告と討論、採決が行われました。私たち議員団は、昨年度の一般会計決算認定、年金からの天引きを可能にする市税条例の改正、ロータリー除雪車の財産取得3件(全部で5件)について反対しました。ロータリー除雪車に関しては以前の日記で書いたように、入札が公正さと競争性が確保できたかどうかはなはだ疑問だったことが反対理由です。樋口議員の討論で委員長のコメントについてふれたら、野次が飛びましたが、討論でふれた文言はまったく問題のないものでした。

 今議会は合併後3年目の決算審査がメインでした。議員としてはベテランで力量のある上野議員と教師経験をしっかり生かし、わかりやすい論戦のできる平良木議員が加わったおかげで、党議員団もこれまで以上に幅広い問題を取り上げることができたと思っています。9月議会全体の中で注目すべきことの1つは、合併後の市政をどうするかについて、同じ合併推進派でも市長のように「公平さ」を追求する人たちと13区の多様性を認め、良い制度を残そうという人たちの違いが鮮明になったことでした。その典型例は克雪住宅補助金制度をめぐる論戦でした。今後、スクールバス制度の統一などでも同じような展開になる可能性は高く、論戦の展開次第では来秋の市長選にも大きな影響を与えます。もうひとつ、その市長選に向けた動きが始まったなという印象をもちました。若竹寮の改築をめぐる議論では、現市長を応援してきた議員の中からも市長の資質、姿勢に言及する発言が飛び出しました。

 ここ数日、父は高熱が続き、元気をなくしました。季節の変わり目を迎え、また一段と弱ったという感じがします。足も手も痩せて、骨に皮がかぶっているだけになりました。その皮膚もしわだらけ、病院に行くたびに手足をさすってやっています。「家に帰りたい」と言い続けていましたので、生きているうちに一度、短時間でもいいから、連れて帰れればいいなと思っています。それを可能にするくらい、元気を回復してほしいものです。写真(画像)は昨日のものです。


2008年10月01日

文教経済委員会で杜氏の郷関係調査

 きょうから10月。寒い日になるのを覚悟していたのですが、暖かいを通り越して暑い日となりました。きょうは文教経済常任委員会の所管事務調査がありました。中心市街地活性化対策と(株)杜氏の郷の長期借入金損失補償問題が議題です。

 このうち、杜氏の郷については、先月24日に開催された株主総会の報告が行われるとともに、これまでの議論をふまえ、損失補償と会社の存続に関して課題整理が示されました。

 注目したことの1つは、株主総会についての報告の中で、当日、社長が行った挨拶と議事説明の内容が明らかにされたことです。市当局の報告によると、会社が今回の返済不履行に至った経過等の説明と以下の5項目についての言及があったということです。
 1点目は、経営責任についての謝罪です。当初計画の甘さ、資金計画の狂い、役員の認識不足等から生じた製造量と売上の伸び悩み等で建設資金の返済に充当する財源が枯渇してしまったことを詳細に報告し、今日の事態を招いた自らの責任について謝罪したということです。
 2点目は、会社が負った債務の圧縮のための役員責任の取り方についてです。具体的な金額までは触れなかったものの、これまでに受け取った役員報酬全額の返納を含め、市、JA、会社の三者協議の中で合意される諸事項に従っていくことを表明したといいます。役員自らが、具体的な責任を取る意思を持っていることを明らかにしたのは初めてのことです。
 3点目は、経営改善計画についてです。当日株主に示した経営改善計画は、会社の役員会で作成したものであり、市・JA・杜氏の郷の三者での合意事項ではなく、現在、コンサルタントにその評価を依頼中であり、その結果と三者協議を経て、後日再提案するとのことでした。
 4点目は、売上増に向けた姿勢として、今後株主をはじめ、地元へ積極的に協力依頼を行っていきたいとのことです。
 5点目は、今後の会社経営についてです。筆頭株主である農協から施設運営を含めてお願いしたいと役員全員が願望している。ただし、新体制になるまでは、現役員が責任を持って経営を継続していくという表明があったとのことです。

 きょうの委員会で市当局は、会社を存続させ、事業を継続させていくためには3つの条件が必要であることを明らかにしました。1つ目は事業にかかわってきた市、JA、役員などの役割とそれに応じた責任の明確化です。2つ目は、実現可能な経営改善計画。そして3つ目は、経営計画を着実に実行できる経営の新体制をつくることです。これらの3条件は当然のことです。問題は市、JA、会社の三者協議のなかで、どんな具体的な内容で決まってくるかです。議会や市民が納得できるものを提示してほしいものです。

 次回の文教経済常任委員会の調査は月末の予定とのことです。次回は委員会審査の最大の山場となるかも知れません。


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