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2003年10月投稿分

2003年10月31日

仕事がなく保険を解約した障害者も

 10月最後の日、とてもいい秋晴れでした。朝から夕方まで、ずっと「しんぶん赤旗」日曜版配達と支持拡大で飛び回りました。
 天気がよく留守が多かったなかで、ある支持者の話に驚きました。「応援はするけど、うちのせがれ、なんとかしてくれよ」そういって切りだされた話は、障害をもっているせがれさんが解雇され、仕事がないので、そのせがれさんの保険(多分、生命保険)まで解約して食いつないでいるという中身でした。「改革の芽が出てきた」なんてウソ。小泉内閣の構造政策が国民生活をどこまで破壊しているか、もっと実態に目をむけていかねば、と思いました。
 ある福祉施設に勤めている人からは、社会福祉と市町村合併についていろいろ聞かれました。いまの町村の狭い枠の中でこそ社会福祉の光が一人ひとりにあてられる、顔がよく見える範囲での取り組みが保障されるように、という訴えでした。ここにきて、大型合併への不安の声が強まっているように思います。
 


2003年10月30日

街宣そして合併協へと

 昨日の風はどこへ行ったのでしょう、きょうは穏やかな一日となりました。午前は、新潟6区の日本共産党・あべ正義候補の街宣に同行しました。私の役目は候補者カーの先導と街頭演説会の司会です。あべ候補の演説は、とても力強く、わかりやすいので、車などに手をふるのも忘れて聴きほれてしまいます。
 私の地元集落での街頭演説には全戸の半数近い人たちがかけつけてくださいました。ありがたいものです。予想を超えた聴衆を前に、あべ候補の演説にも熱が入りました。私の方から、「小泉自民党と菅民主党の対決といわれているが、どちらも財界からの働きかけにもとづいて消費税増税、憲法改悪をもちだしている。悪政に対決する日本共産党にご支持を」と訴えますと、「がんばってくんない」という声も出ました。
 午後からは第2回合併協議会でした。合併方式の協議で私は、「合併協議は対等、平等に」を求めて発言しました。「対等、平等に」については、木浦会長(上越市長)が尊重していくことを表明したので確認できました。しかし、会長は協議会の最高責任者として調整役に徹するべきだ、との私の主張にたいしては「上越市長としても発言することがありうる」とのべ、ゆずりませんでした。私の主張が正論であることは、今後の協議の中でわかることでしょう。
 夜は町政レポートを作成しました。


2003年10月29日

強風のなかで…

 衆院選2日目。台風並みのすごい風でした。きょうは政党ポスターの張り出しと「しんぶん赤旗」の集金で一日中、町内をまわりました。まさかと思ったのですが、ベニヤに開けた小さな穴と針金が何度もこすり、破れてしまうものも出るほどの強風でした。
 集金の途中、山間部のAさん宅をたずねました。選挙になれば、いつも励ましてくれる人なのですが、2年ほど前から体調をくずし、入退院を繰り返しています。立ち上がりも歩行も支えがあってやっとの状態です。日中は子どもが勤めに出ているので、家の中にぽつんと一人。どうしているか心配になったのです。
 たずねた時には、たまたま近所の人がきておられました。その人が私の顔を見るなり言いました。「橋爪さん、この人は1級だよ、かわいそうだねかね、なんとかしてくんない」。1級というのは要介護度1ということです。言われてみれば、排泄もやっとの感じですし、「部分的な介護を要する状態」(要介護度1)というより、「軽度の介護を要する状態」(要介護度2)に近いような気もします。この言葉がきっかけとなり、介護保険などについて3人で話をしました。
 帰りしなに、「選挙、共産党たのむね」と言ったら、Aさんから声が返ってきました。「はいよ」。いつもどおり、にっこり笑って…。


2003年10月28日

衆院選公示

 いよいよ衆院総選挙がスタート。いつもより早めに朝の搾乳を終わらせ、ポスター張りに出ました。仲間の都合により、今回の私の受け持ちは63枚となりました。少しでも早く張り出そうと、昼食を遅らせてがんばりましたが、終わった時刻は午後1時半をすぎていました。それでも、きょうは晴れていたから、こんな時間ですみました。運がよかった方です。
 今回、おやっと思ったのは掲示板の板の硬さです。ポスターの裏に木工ボンドを塗り、画鋲で6箇所から8箇所とめるやり方を20年ほどやってきましたが、画鋲がなかなかくったたらないのです。これにはまいりました。おかげで親指が痛くなってしまいました。
 昼食をとって一休みをしてから直江津の選挙事務所へ行きました。杉本上越市議と、明後日開催の合併協について意見交換をしたほか、霜鳥前新井市議と明後日の街宣などの打ち合わせをしました。いちばんの目的だった政党ポスターの証紙は、新潟から宅急便で送られてくるとのことでしたが、待ちきれず、隣町の後藤大潟町議に私の町の分も持ち帰るよう頼んで牛舎に戻りました。
 夕方から風も強くなり、雨も混じってきました。雨にも負けず、風にも負けず、21世紀最初の国政選挙を戦い抜きたいと思います。


2003年10月27日

2つの会議で合併議論

 きょうは、2つの会議が連続して開催されました。1つは農業委員会定例会、農地関係の議案のほかに農業委員会の合併問題について審議しました。会長、ならびに事務局長から情勢報告がありましたが、新市になった場合、1つの農業委員会でいこうという流れが加速されている感じです。約1000平方キロメートルの広さの中でこれまで14の農業委員会がやってきたものを1つでやる。確かに行政コストは抑えることができるでしょう。しかし、農地行政や農業振興は田んぼや作り手など農業現場が見えないと的確におこなうことはできません。1つの農業委員会に、と動いている人たちは農業をどんなふうに考えているのでしょうか。
 いまひとつの会議は町議会の市町村合併問題に関する調査特別委員会です。第2回合併協議会に向けた各市町村の方針、考え方が出揃ったので、それを受けて、議会としてどう対応するか話し合いました。一番活発な議論となったのは、議員の定数および任期についてです。吉川町に16人いた議員が1人となるかもしれない、それも可能性は大きい。ここへきて、この重大さが浸透してきたようです。各委員の発言には、「少なくとも2人は出せないものか」という声がいくつもありました。また、上越市議会などが定数特例は合併直後の選挙1回きりとする方向でまとまろうとしていることについても警戒の声が相次ぎました。特例をはずすと、人口規模の小さな町村から市議を送り出すことはきわめて困難となるからです。
 夜は政党ポスターのベニヤ張りなど公示前の諸準備をやりました。いよいよ、明日から総選挙本番です。


2003年10月26日

備えあれば憂い無し

 上越地方でマグニチュード7.2の地震が発生し、火災や地すべりなどの被害が起きているという想定で町総合防災訓練が午前中おこなわれました。訓練の中心舞台は吉川小学校。今年から町内の小学校が統合して1つになりましたが、約300人の児童が参加してくれたおかげで総合防災訓練にふさわしい盛り上がりができたように思います。
 子どもたちは一つひとつの訓練にたいしてストレートに反応します。消防車がいっせいに放水した時、最新型のハシゴ車がぐんぐん高くのびていく時、県の防災ヘリコプターが小学校の上でホバリングをしながら救出活動をおこなう時など「ワー」という声をあげていました。毎回見ていながら、なるほどと思ったのは、消火器を使った訓練。訓練をしていても、ピンを抜くのを忘れたり、レバーを握りっぱなしになってしまうことがあるという消防士の説明でした。訓練をしていなければどうなるか、想像できますね。訓練を積み重ねることの大切さを知りました。
 午後からは集落の収穫祭、公民館に集まってご馳走を食べ、酒を飲むだけですが、みんなが集まって飲んで語り合う機会は年に何回もありませんので、極力参加するようにしています。コメの収量は一反あたり90キロくらい落ちたそうですが、なごやかで楽しい会になりました。


2003年10月25日

フル回転のなかでホッとする時間

 自分で言うのもなんですが、朝から晩までよく動いた一日となりました。午前1時半ころに起床、昨日の決算委員会の報告チラシを作成、印刷、「しんぶん赤旗」日刊紙の早朝配達、朝の搾乳、「しんぶん赤旗」日曜版配達、あべ正義カーに合流して街頭宣伝、再び日曜版配達、そして夕方の搾乳と続きました。
 これだけの日程の中でホッとする時間が2回ありました。1つは牛飼いの仲間だった竹内一夫さんと一緒に昼食をとることができたことです。昼に丸滝温泉に行ったら偶然出会いました。竹内さんとは農業委員も一緒だったこともあり、心の波長がぴったり合います。牛飼いだった仲間の近況、今年の稲刈りの苦労話、選挙のことなどゆっくり話すことができました。久しぶりの楽しい会話でした。
 もう1つは、尾神岳のパラグライダー大会を見ることができたことです。しんぶん配達の途中でしたが、紅葉と青空とパラグライダーの組み合わせがあまりにも見事で、しばらくボーっとして見ていました。パラの大会でこれほどの晴天はめったにありません。運がよかったです、ほんとに。
 夕方の搾乳が終わって、夕飯を食べたら、疲れがどっと出て、すぐ横になりました。ここしばらくは、「寝るんだったら、布団に入って寝なさい」という妻の声を聞くことになりそうです。


2003年10月24日

平均落札率99、3%

 昨日に引き続いて決算特別委員会がありました。私がとりあげた問題は、入札、準要保護、要介護者の障害者控除などについてです。
 入札結果を見たら、昨年度の平均落札率は99、3%。私がこれまでに見てきた数値で最も高いものとなっています。繰り返し入札改革を訴えてきたものとしては、むなしさを感じます。新潟市のように談合の疑いが表面化すれば、取り組みやすいような気もしますが、予定価格の事前公表、入札参加者を入札当日にくじ引きで最終決定する仕組みを、など提案してきたことが事件が起きてから実施されるんではこれまたさみしい話です。
 明日、あさっては総選挙の土日大作戦。「しんぶん赤旗」日曜版の配達、町の総合防災訓練、集落の収穫祭も重なるのでチョウ多忙となりそうです。


2003年10月23日

年間商品販売額は3年間で34%も減少した

 きょう、明日は町議会の決算審査特別委員会です。総選挙に向けた取り組みが毎日続いていますので、この時期の開催はきびしいのですが、そうも言っておられません。町民の暮らしを守る立場から、言うべきことをしっかり言う、そう心がけて審議に参加しました。
 政府は盛んに景気回復の兆しが見えてきたと宣伝していますが、私の町では何も見えません。見えるのは小泉構造改革に苦しめられている企業や町民の姿ばかりです。今年、私の町の風景でもっともさびしく感じたのは、大野団地です。一時期は次々と企業が進出して、町民の働く場として、とても賑やかでした。それが、いま、撤退が相次ぎ、一番大きな企業だった新光電気の建物も壊され、更地になってしまいました。
 それで、一番最初にとりあげた問題は商工業問題。最初に、商業統計調査のデータを使い質問しました。1999年(平成11年)から昨年までに、わが町の年間商品販売額が34%も落ち込んでいることに着目して質問を展開しました。近隣町村には見られない異常な落ち込みに、委員も町側も驚いた様子がうかがえました。年金や医療などの負担の強化、賃金カットなどによる購買力低下が基本的な要因ですが、それだけではないものが吉川町にある。それは何かを考え、さぐるきっかけにはなったと思います。
 商工業者のみなさんを中心に、行政や議会もくわわって知恵を出し合い、村上市の人形様めぐりのような取り組みがでてきてくれればいいな、と思います。しかし、そういうがんばりに水をかけるのが消費税の大増税。考えれば考えれるほど腹が立ってきます。


2003年10月22日

財界が応援する「総理大臣の器」

 朝起きてすぐにやるのは、一日の段取り。午前は何々をやり、午後は何々、そして夜は…と頭の中で整理していくのですが、最近、本業である酪農関係のことをすっぽかしてしまうことがあります。先日は、配合飼料の在庫の確認をおこたり、からっぽになってからあわてて注文するというヘマをやりました。今度はパイプラインミルカー用の洗剤がきれる寸前であることに気づき、びっくり。こんなことはこれまでありませんでした。どうも最近は、総合的に段取りをすることができなくなってきたようです。
 朝の段階では午前中はずっと決算審査の準備をすることに決めていました。ところが役場で資料集めをしていて、1つのことを思い出しました。赤旗号外の足りなかった分を直江津の事務所まで取りに行かなければならなかったのです。そんなわけで、午前は、役場で1時間ほど質問の準備をして、その後、直江津に出かけました。
 事務所からの帰り道、本屋に寄り、民主党の菅直人代表の新著『総理大臣の器』をさがしました。今朝の「しんぶん赤旗」日刊紙によれば、同著には菅氏が自由党と合併した翌日に、小沢一郎氏とともに経済界のある大御所的人物と会食し、党運営について助言を受けたことが書かれていて、帯には、民主と自由の合併に関与した稲盛京セラ名誉会長が推薦の言葉を寄せている、とのことでした。財界本位の政治を切り換えなくてはならないのに、何を考えているのかと思って、読んでみようと思ったのですが、在庫はありませんでした。
 午後からは、当町の法定協委員による検討委員会。幹事会に出した各市町村の意見や提案について助役から説明を受け、吉川町として第2回合併協議会にどうのぞむか協議しました。協議資料の中に、上越市案と他町村案が併記してあるものがいくつかありましたが、「意見や提案をした自治体の委員は、協議会の場で質問を受ければ答弁もしなければならない」という声があり、誰が答弁するかについても話し合いました。しっかり勉強しないとついていけませんね、これは。


2003年10月21日

小さな手での応援も

 きょうは、総選挙公示までの日程の中で会議がない唯一の日。やるべきことはたくさんありましたが、街頭宣伝を集中してやることにしました。1ヶ所あたり約12分から13分の演説を15ヶ所でおこないました。
 演説というものは「生きもの」でどこでもまったく同じということはありません。内容が基本的には同じであっても、演説をしている本人の調子や演説をする場所の雰囲気などによってうまくいくこともあれば、逆のこともあります。そして演説を聴いてくれる人がいるかぎり、その人たちとの間でさまざまな「心の交流」が生まれます。
 あるところで演説をしていたら、80歳近いおばあさんが宣伝カーの近くまできて、すわって話を聴いてくれました。こうなると、介護保険や年金問題に力が入ります。演説が終わって、そばまで行くと、「いやー、ご苦労さん、ご苦労さん。おまんの言うとおりだ」。このおばあさん、自分の家の玄関先で仕事をしていたのですが、話をしっかりと聴きたくて、わざわざ宣伝カーの近くまで歩いてきてくれたのでした。
 また、こんなこともありました。演説が終わり、車を少し走らせたら、風よけの付いたバス停の中からかわいい小さな手が4つ、さっと出てきて、盛んに手をふってくれます。子どもたちはたいがい大きな音が好きですが、この双子の兄弟(?)の子守をしていたおばあさんもニコニコ顔でした。子どももお年寄りも私にとっては大事な応援団。私の演説に好感をもってくれたことがわかり、気持ちよく次の演説の場所に向うことができました。


2003年10月20日

わが町の総選挙予算は608万円

 寒いと思ったら、朝の気温がついに1桁台になりました。牛舎内で8度です。手がはじかむ(冷たくて、暖めたくなる感じ)一歩手前まできました。
 総選挙の公示を前にして臨時議会が開かれました。中心議題は総選挙のための予算です。一般会計補正予算に608万円計上されました。このうち総務省からくる委託金は596万円で、残りは町の一般財源からの持ち出しです。608万円の中から臨時職員の賃金や投票立会人などの報酬、入場券などの作成委託料、ポスター掲示場設置費用などが支払われることになります。ポスター掲示場はこれまでどおり63か所。76平方キロメートルの広さをもち、5500人の町としてはちょっと少なすぎますね。
 午後からは総務文教常任委員会、消防団の再編問題について意見を交わしました。すでに、再編計画案(4分団、8部、22班編成とし、団員定数はこれまでより64人減の246人に)がまとめられていますが、消防団に関する条例や規則などが旧態依然としており、これも見直すべきだとの意見が強く出されました。新年度予算編成までにさらに継続して審議していくことになりました。
 昨日の文化祭の絵について、ご家族の了解を得ましたので、実名を入れ、展示されていた絵の写真を掲載しました。「うまれてよかったわたしの弟」改訂版をごらんください。


2003年10月19日

うまれてよかったわたしの弟

 きょうは旭、源、吉川の3小学校が統合して吉川小学校となって初めての文化祭。私の楽しみは子どもたちの絵です。どの学年もテーマも含めて自由にのびのびと描かれているのが近年の特徴で、楽しい絵、おもしろい絵などがたくさんあります。きょうもずいぶんたくさんの素敵な絵に出会うことができました。
 それらの中で一目惚れした作品があります。小池彩乃さん(3年生)の「うまれてよかったわたしの弟」という絵です。今年の8月、彩乃さんのお母さんは男の子を出産しました。けっこう年も離れていて、とてもかわいかったのでしょうね。お盆の15日、お母さんが退院しました。その日、お父さんが運転するワゴン車で家に帰る時の様子が描かれていました。車の中はだいだい色で幸せいっぱい、弟を産んでくれたにっこり顔のお母さんは大きく描かれています。黄色の服を着た赤ちゃんはピンク色の布に包まれ、お母さんがしっかり抱いている。その赤ちゃんをじっと見ている彩乃さんも描いてありました。弟が生まれ、家族がふえた喜びを伝えてくれたこの作品のおかげで、きょうは一日中、幸せな気分にひたることができました。
 文化祭の作品をみた後、米山団体研究会のみなさんの地質調査に1時間半ほどご一緒させてもらいました。尾神岳の急峻な山体がこぼれでたような「はり出し部分」は、山体をつくっている鮮新世の火砕岩層が下位層の上を滑ってできたものなのかどうか。新たな露頭調査は慎重に進められました。前にも書いた、きゅるんきゅるんした「鏡の肌」らしきものは確かにありましたが、しっかりした接点といえるかどうか、私がいた時間内には結論が出ませんでした。ドラマはまだまだ続きそうです。
 午後からは山間部を中心に街頭宣伝を行いました。空は青、澄み渡った秋空の下で元気に音を出してきました。いつものことながら、外に出て聴く、クラクションを鳴らす、手を振るなど励ましてくれる人がいると、つい力が入ります。応援、これからもお願いしますね。


2003年10月18日

おまたせ!オヤマボクチ咲く

 朝の搾乳後、ずっと「しんぶん赤旗」日曜版の配達でした。総選挙が近づいているので、出会った人にはできるだけ支持をお願いしたいと思っていたのですが、天気がよすぎました。外仕事をしている人、出かけている人がほとんどでした。それでも何人かの人が声をかけてきてくださいました。「おらちは何票でもやるよ」「いままで民主党に入れていたけど、今度は共産党に入れるよ」「きょうはめずらしい人から電話もらった、びっくりしたよ」など、こちらの訴え、頑張りが読者の中に少しずつ広がっていくのが分かるのは、うれしいものです。
 私が配達している読者のなかで、近くにオヤマボクチのある家が2軒あります。新聞を持っていくたびに、いつ咲くか気になる花です。夏に緑色のつぼみをつけてからずっと気になっていたのですが、これがまた、なかなか咲かないときている。クルマバハグマも待たせますが、つぼみの期間の長さはこれを上回るのではないでしょうか。そのオヤマボクチ、きょうは、2軒とも咲いていました。アザミのようで、アザミではない独特の雰囲気を持った花には、蜜をねらってもう蜂がついていました。
 きのうの「見てある記」に蔵王へ行ったことを書いたら、私よりも2週間ほど早く蔵王へ行った人から素敵な写真を送っていただきました。ほんの数行書いておいたたおかげで、いい思いをさせてもらいました。


2003年10月17日

くるくるまわる

 昨日、きょうと山形県へ視察に出かけてきました。メインは長井市のレインボープラン、台所から出る生ごみを堆肥化し、農地に還元する取り組みからたくさんのことを学んできました。生ごみから良質の堆肥がつくられ、堆肥が入った元気な土の力によって農産物が育つ、その農産物が消費されてまたごみになる。この循環を3万2千人もの規模の自治体で実現できた、そこには、土づくりを大事にする農民たちがいて、消費者など多くの人たちとの協働がありました。
 この取り組みの中心にいた菅野芳秀さんの『生ごみはよみがえる』(講談社刊)を宿泊したホテルで一気に読みました。この本で再認識したのは、私の少年時代の農業・農村の健全さです。自給自足を基本にして、自然や土を大事にし、環境保全型農業、地域循環をキチンとやっていた時代があった。ここから、これからの農村のあり方を学んで、さまざまな循環を大事にした地域づくりへと発展させていきたいと思います。
 
 帰りに蔵王へ登ってきました。紅葉は最盛期をすぎ、冬がすぐそばにありました。山頂付近には雪が少しあって、気温は0度。雄大な景色をゆっくり見たいと思っていたのですが、とても寒くてじっとしておれず、レストハウスで甘酒を買い、さっさとバスに乗り込んでしまいました。
 


2003年10月15日

東京からも研修視察が…

 吉川町まちづくり基本条例についての研修視察が続いていますが、きょうは、東京・文京区議会の「新生クラブ」のみなさんが来られました。これで、今月に入って4団体目となります。
 説明に入る前に、役場の5階へ上がってもらい、吉川町の地形、自然などについて紹介しました。ちょうど、運良く、米山や尾神岳もよく見える状態でしたので、5階に着いた途端、「いやー、すてきなパノラマですね」という声があがりました。これまで視察に来られた団体の中で初めて吉川町の景色をほめてもらいました。
 視察を受け入れてありがたいと思うのは、さまざまな出会いがあり、いろいろと勉強になることです。きょうも、まちづくり条例が施行されたもとでの予算や決算の審議の仕方、町の各種計画策定過程における住民参加のあり方など、どうしたらいいか深めることができました。また、事前に文京区役所のホームページを見たら、子ども向けに自治基本条例についての分かりやすい説明が載っていました。これも参考になりました。
 まちづくり基本条例の説明は、これまでの経過もあり、主に私の仕事になっています。視察は、議会の委員会で来られたり、きょうのように党派で来られたりと様々ですが、いいまちづくりをしようという思いは同じですので、吉川町や私たちのまちづくり基本条例の取り組みに好感をもっていただけたらと、心を込めて説明させていただいています。
 そうそう、きょうは、山梨学院大学の学生さんがまちづくり基本条例をテーマに卒業論文を書きたいと、視察研修に来てくれました。こういうケースも大歓迎です。
 明日、明後日と山形県長井市へ研修視察に出かけますので、明日の「ホーセの見てある記」は休みます。


2003年10月14日

写真はがき

 3日連続の雨。いったん戻って温かくなったのに、きょうはこたつが欲しくなるほど冷え込みました。ある家へおじゃましたら、石油ストーブをたいて仕事をしておられました。これからの時期、寒い外仕事はどうしても敬遠しがちとなりますね。
 日中、これまで気になっていたことをいくつかやりました。その1つは、手紙の返事を書くこと。じつは、先日いただいた絵手紙の返事をまだ出していなかったのです。素敵な絵が描かれたはがきの返信には、普通のはがきを使ったのでは申し訳ない。そんな気がして、吉川町の風景などを描いた絵はがきはないものかと、あちこちさがしたのですが、残念ながら見つかりませんでした。それで、最後はどうしたかというと、自分で撮ったシロバナサクラタデの写真を使って手製のはがきを作成して返事を書きました。まずまずの出来でしたので、しばらくこの手を使ってみようと思います。
 母に頼まれていた仕事もしました。ある品物を持って東頸城郡大島村まで出かけてきたのですが、海抜100メートルクラスの山も色づき始めましたね。お天気キャスターの石井和子さんが、「紅葉を愛でる心」という随想の中で、高いところから低いところへと紅葉が下りてくるスピードは一日平均50メートルと書いていましたので、ここ数日で平地まで紅葉が進むのではないでしょうか。一番きれいな時は、晴れていてほしいなぁ。
 夜、ワクワクする情報が入ってきました。8月24日付けの「ホーセの見てある記」で、米山と尾神岳には、急峻な山体がこぼれでたような「はり出し部分」があり、それが、いつ、どのようにしてできたか、米山団体研究会のみなさんが調査をされているとお知らせしました。あの中で、山体をつくっている鮮新世の火砕岩層が下位層の上を滑ったのではないか。そこには、きゅるんきゅるんした「鏡の肌」がありそうだと書きましたが、それを裏付けることができたらしいのです。次の日曜日には、米山団体研究会のみなさんが現地で確認されるとのこと、飛んでいきたくなりました。


2003年10月13日

学習総決起集会

 雨が降ったりやんだり、一日中、パッとしない天気が続きました。こうした中、きょうは、上越市の市民プラザを2往復しました。
 1回目は、上越地域合併協議会管内の日本共産党議員の集まり。それぞれの自治体の動きについて情報交換するとともに、今後の活動のあり方について意見を交わしました。同じ問題を議論するのに、自治体によって検討の角度がちがったり、掘下げ度合いがちがったりするのでとても参考になります。もっと住民への情報公開を速やかにおこなうこと、合併によって後退するサービスや制度の内容を詳細につかむことの大切さなどを再確認できました。
 もう1回は、日本共産党新潟県委員長の小日向さんを迎えての学習総決起集会です。小日向さんの話はいつも具体的で面白い。きょうも、民主党と自由党の合併にあたり、財界スジがどう動いたか、要介護者の障害者控除を実現した日本共産党の実績は金額に直すとどのくらいになるか、など興味深く聞きました。今度の総選挙では、21世紀の日本をどうするかが問われます。自民党の悪政のおおもとをきりかえないと、国民のいまの苦難の解決はなく、日本の未来はないこと、をわかりやすく語ることの大切さを学ぶことができました。


2003年10月12日

集落の草刈

 小雨が降る中、集落の草刈に参加しました。ため池や用水路周辺の草刈のグループとサイの神に使うカヤ刈りグループに分かれて作業をしました。私は、サイの神グループの一員として汗をかきました。
 カヤはあることはあるのですが、昔と違って、まとまったカヤ刈り場がなく、集めるのに一苦労。「あるだけの量でサイの神をつくろうさ」という人もいました。それでも、2時間半も刈り集めたら、けっこうたくさんのカヤを寄せることができました。これで来年1月の小正月には、サイの神をつくって楽しむことができます。
 作業が終わってから、集落の公民館でご苦労さん会がありました。ビールやお酒もあり、飲んだら疲れがドッと出ました。


2003年10月11日

県町村議長会の会長就任祝賀会

 きょうも晴れました。これで晴れの日は1週間続いたことになります。午前中は「しんぶん赤旗」日曜版配達。あいさつの中で出てくる言葉は、「こんなにいい天気、もう少し早くほしかったね」です。稲刈りが終わってから晴天続きになれば、この言葉が出るのは当然です。
 午後から、鵜の浜ニューホテルで八木議長の県町村議長会会長就任祝賀会がおこなわれました。主催は八木議長の地元、東田中集落で、盛会でした。議会からは、私を含め3人の常任委員長が参加しました。
 八木議長は、あいさつの中で、初めて町議会議員になった昭和34年に、田んぼに泥が1メートルも入る大水害が発生し、高田土木(当時)や国と交渉したエピソードを紹介しました。同議員の活動の原点を見たような気がします。「住民の暮らしを守る」活動はどうあるべきか、考えさせられました。
 宴会がはじまってからは、大勢の住民のみなさんと懇談しました。市町村合併の行方、日頃の議会活動などについてたくさんの意見や感想を聞くことができました。これだけでも、祝賀会に参加してよかったと思います。


2003年10月10日

頸北地域農業委員会で合併議論

 昨日に続いて朝は冷え込みましたが、日中はどんどん気温が上昇、午後からは長袖シャツを脱いで、また半袖姿に。この天気は「ばばごろし」かな…。
 午前9時から午後3時まで「しんぶん赤旗」日曜版の配達をしました。長峰集落で配達している時にめずらしい集団に出会いました。上越市の絵画愛好グループのみなさんです。聞いてみると、カヤ葺の民家を描きたかったそうなのですが、対象として考えていた民家は、カヤの上にトタンをかぶせてあったので、周辺の景色を写生しているのだとか。温かいアスファルトの上に座り込んで写生している格好は子どもたちと同じで、とても楽しそうでした。
 3時から、頸北地域農業委員会の会長、職務代理、局長会議。14市町村が合併した場合、農業委員会をどう再編していくか、について意見交換をしました。吉川町の小野寺会長が私案としてまとめた、3つの農業委員会に再編するという案については、これでいいというところと14市町村1つでいいという意見に別れました。しかし、20日の代表者会議で、この私案を提示して議論することについては異議がありませんでした。私は、農家の利益にかなう農業委員会組織のあり方という視点にたって、議論を継続するよう求めました。
 きょう、衆議院が解散しました。いよいよ総選挙本番です。公示までにやるべきことを、いままで以上のスピードでやりきる構えでのぞみたいと思います。


2003年10月09日

市町村合併特別委員会でした

 寒露。この秋一番の冷え込みとなりました。牛舎内の朝の気温は10度弱でした。午前は、床屋さんへ行ってきました。あまり時間的余裕はなかったのですが、頭の後ろの方の髪が伸びていて、ずっと気になっていたのです。いつも床屋へ行って楽しみなのは、ゆっくり眠れること。きょうは疲れがたまっていたせいか、順番待ちの時から寝てしまいました。それにしても、床屋さんへ行くたびに、髪の毛が少なくなっていく(薄くなっていく)のはさみしい。
 午後からは町議会の市町村合併問題特別委員会。委員長が親戚の葬儀出席のため、副委員長の私が代理を務めて審議をしました。今回のテーマは第2回合併協議会に向け、各種審議事項にたいしてどうのぞむかでした。合併方式については、上越市が編入合併を意識した姿勢を強めていることもあり、編入合併とするにしても「対等、平等での協議」ができる条件をつけていくべきとの声が相次ぎました。また合併期日については、目標として定めることはいいが、それにこだわりすぎて、審議を十分やらないで前に進むことは避ける、との方針を確認しました。このほか、委員会では、上越市以外の町村の合併協議会委員が様々な課題について本音で自由に発言できるような環境づくりをできないものか、という声も出ました。
 夜は週間町政レポート作成でパソコンとにらめっこでした。今号は酒まつりの写真を真ん中にドンとおくことにしたら、文の流れをどうするか悩みました。


2003年10月08日

山間部のポスター張りは楽しい

 今週は会議がたくさんあるのですが、きょうだけは無し。午前中は秋晴れの中、山間部を中心にポスター張りをしてきました。東頸城郡大島村との境にある山々はすでに紅葉真っ盛り、とてもきれいでした。尾神岳はこれからという段階なのに、標高の低いここの方が先に咲くのは、木の種類によるのでしょうね。
 山間部で車を走らせると、私の目はどうしても山野草に向いてしまいます。シラネセンキュウサラシナショウマなどの白い花が目立ちますが、ヤマトリカブトクロバナヒキオコシも咲いていました。きょうの最大の収穫は、オオアキギリに初めて出会ったことです。花自体は終わりに近づいていたものの、花の独特の形はしっかり残っていて、何とか「秋に咲く野の花」に追加できそうです。
 午後からは、日本共産党の小選挙区候補の阿部正義さんと吉川町を街宣しました。天気がよかったので、畑仕事をしている人もけっこう多く、手を休めて演説を聴いていてくれる人が何人もいて、うれしくなりました。人の姿がまったく見えず、「どこかに話を聞いてくれる人がいるのだろうか」と思うような時とは違い、こういう時は演説にも力が入ります。
 途中、吉村副議長さんの店に寄り、コーヒーをご馳走になってきました。吉川町の山間部で農協以外に店舗を持っているのは、吉村さんだけ。世間話だけでなく、高齢化が進むばかりの山間部での暮らしと身近な商店の役割などまじめな政治談議もしてきました。


2003年10月07日

視察受け入れ、そして第1回法定協へ

 朝の冷え込みがきつくなってきましたね。夜間、外に車を出しておくと、窓ガラスがくもるようになりました。
 午前は長野県須坂市と香川県善通寺市の議員さんの視察研修受け入れでした。まちづくり基本条例の関係で、複数の議会のみなさんにたいして同時に話をするのは今回が初めて。善通寺市の方は、すでに行政サイドで取り組みが開始されていますが、どちらの議会もまちづくり基本条例制定過程に係わっていくんだという想定のもとに話をすすめさせていただきました。一番関心が高かったのは、条例作成過程における議会と行政の関係です。「行政側の意見がどう反映されているのか」「情報共有などに関して、行政側に抵抗感がなかったか」などの質問が出されました。
 研修の休憩タイムで話題になったのは、それぞれの自治体の特産物についてです。須坂はりんご、善通寺はうどん、そして吉川は…。長野県と香川県のみなさんを前にして吉川町の自慢の品を言うなら、文句なしにコメですが、きょうは、吉村副議長が最近話題の「さるなし羹」(杜のおくりもの)を用意してくださいました。その結果、めずらしい特産を前にして、しばらく「さるなし」の研修会となりました。
 午後からは、上越市南厚生会館で第1回合併協議会(法定協)が開催されました。やはり、準備会とは微妙に違った空気が流れていました。会長の木浦上越市長の挨拶では、「上越市長としても意見をのべることがあるのでご理解をお願いします」という文言が入りました。「編入合併であっても、気持ちは新設、対等、平等でいくという言葉が会長の挨拶になかったが、何か質的な変化があったのか」との私の質問に、木浦会長は、「その気持ちは変わりありません」と答えてはいました。しかし、「編入合併なんだから、上越市をもっと前面に出すべきだ」という動きが出始めていることは報道などでも明らかです。もし、こうした動きが強まると、13町村の意見や提案が通りにくくなることでしょう。要注意です。


2003年10月06日

全県緊急議員会議

 総選挙を前にしていよいよあわただしくなってきました。きょうは、全県の日本共産党議員の会議が新潟市で開催されました。総選挙で政策論戦をどうすすめるか、自公政権対民主の闘いという構図を意識的にあおりたて、日本共産党をほとんど無視したマスコミの「沈黙の包囲網」をどう打ち破るか、熱い議論が交わされました。私の場合、市町村合併などの会議が続く中で、選挙の諸課題をどのようにしてやりきるかがポイントです。日頃、私を応援してくださっている方の力を借りるしか方法はありません。よろしくお願いします。
 午後3時からは、頸北5町村の議会選出の法定協委員による意見交換会がありました。明日の第1回合併協議会(法定協)に向けて各町村がどんな考えでのぞむか、出し合いました。上越市が編入合併を意識した方針を打ち出してきたこと、合併についての具体的な協議の場となる小委員会のすすめ方などが話題になりました。明日は視察の受け入れもあり、朝から大忙しとなります。


2003年10月05日

酒まつりに参加して…

 さわやかな秋晴れ、外で開催のイベントには最高の天気です。酒まつりの2日目に参加してきました。会場となった杜氏の郷周辺は、大勢の人でにぎわっていました。私には、今回、はっきりした参加の目的がありました。まつりで売り出される「有りがたし」という銘柄のお酒を入手することと、昨日オープンした農産物直売所を見ることです。
 開会時間より早めに着いて、まず向ったのが糸井重里氏命名の「有りがたし」売り場。私は酒の良し悪しがほとんど分からないのですが、この酒がとても気に入っています。妻がこの酒を高く評価していることが一番、それに、感謝の気持ちを込めて贈るときの品物として、名前もぴったりです。今回は自家用に1本、贈答用に1本購入しました。
 農産物直売所は開店時間になると、お客さんがドッと押し寄せ、すごい人気でした。この勢いが普段でも続いてくれればいいな、と思います。吉川産の農産物、加工品が勢ぞろいして、店に並んだのは今回が初めて。なかなかいいもんですね。これがきっかけとなって、野菜作りや農産加工に勢いが出てくれればいいですね。
 酒まつりは今回で6回目ですが、いままでにない雰囲気を感じました。会場で出会った人のほとんどは町外の人でしたが、昔の原之町の市のような役割をしはじめているのかなと思いました。まつりも少しずつ変わっていくことが求められているのかもしれません。


2003年10月04日

新潟市で大演説会

 10日解散、そして総選挙へという流れががほぼ確定的になった中で、きょうは演説会がおこなわれました。会場の新潟市体育館までは、大潟町、頸城村のみなさんと一緒にマイクロバスで行きました。吉川町はきょうから「酒まつり」という町の最大のイベントがはじまりましたが、それでも、「しんぶん赤旗」の読者、支持者の方、5人(私以外に)が参加してくださいました。このうち2人の方は、日本共産党演説会初参加でした。
 演説会では、まず衆院選の6人の小選挙区候補、3人の比例区候補が訴えました。これがとてもよかった。それぞれが自分の持ち味、経歴を生かした訴えは、日本共産党の躍進めざし、先頭になって頑張りぬくんだという決意に満ちていました。わが6区の「あべ正義(まさよし)」候補は、自分の名前が「せいぎ」とも読め、気に入っているとのべ、ユーモアあふれた決意表明をしました。
 今回の演説会で「とり」をつとめた佐々木憲昭衆院議員の話は、ムネオハウス疑惑をとりあげて一躍有名になった人ならではの訴えでした。政、官、財の癒着構造の話からはじまって、イラク問題と自衛隊派遣、消費税大増税の地ならし、憲法9条の改悪策動へと、数字などできちんと裏づけをして展開する話には説得力がありました。民主党についても、憲法改悪の動きにしっかりとした態度表明ができないでいること、衆議院比例区の80議席削減を言い、2大政党制をとろうとしていることなどを厳しく批判しました。佐々木議員の話を聞いて、選挙戦の中でどう支持を訴えていったらいいのか見えてきました。
 きょうはマイクロバスの車窓から見える景色が抜群でした。三条市をすぎてまもなく、西の方角に、海の向こうに見えるはずの佐渡島がまるで地続きのように見えました。こんな風に見えることもあるというのは、初めて知りました。また、帰りは、夕日が沈んでいく様子がとても素敵でした。美しく輝きながら沈んでいく時の、ちょっとした色の変化にもバスの中から歓声があがりました。


2003年10月03日

絵手紙をもらいました

 激しい雨が降ったかと思うとスカッと晴れる。きょうの天気はこの繰り返しでした。明日の新潟市での演説会に参加するため、朝から晩まで「しんぶん赤旗」日曜版の配達をしましたが、時々やってくる激しい雨にはまいりました。
 配達の途中、難病をかかえて仕事をしているAさんを訪ねました。県議会でのやりとりをお知らせするためです。Aさんは、1週間ほど前に受給者証の更新申請をしたとのことですが、すでに新しい受給者証が届いていました。しかし、Aさんの表情は明るくはありません。受給者証と一緒に届いた新たな自己負担額は、通院の場合、これまでの1000円から何倍にもなっていたのです。これも小泉内閣の構造改革の一環です。ひどすぎますね。
 お昼に家に戻ると、一枚の絵手紙が届いていました。ピンク色のすてきなコスモスが描かれているはがきです。差出人は東京・八王子市在住の女性Eさん。彼女は吉川町出身の方で、3年前に、私の『幸せめっけた』を読んでくださってから、何回か手紙のやり取りをさせていただいています。
 はがきを読んで驚いたのは、先月末に吉川町のスカイトピア遊ランドで一泊されたEさんが、わざわざ「ヨドの池」を探しに行ったと書かれていることでした。そこは、私が少年時代の夏休みに仲間たちと一緒に泳いだ思い出の場所で、『幸せめっけた』にもエピソードを書いています。本を出版してから3年も経つのに、こんなふうに私の本を味わっていてくださるとは…。とてもうれしくなりました。


2003年10月02日

福島県北会津村から視察

 きょうは、会津若松市の西隣にある北会津村役場のみなさんが吉川町まちづくり基本条例について研修したいと来町されました。おいでいただいたのは大堀税務課長さんなど総勢8人。このうち女性職員が3名ということでしたので、同村の花、オオマツヨイグサの仲間であるメマツヨイグサとシロバナサクラタデを第1委員会室に飾り、ここで交流しました。少しは和らいだ雰囲気がつくれたのではないかと思っています。
 吉川町まちづくり基本条例は昨日施行されたばかり。施行後の視察第1号となったわけですが、この条例制定のいきさつ、ねらいなどだけでなく、早速、「施行後、何が変わったか」まで質問されました。私の方からは、この条例の策定の動きが出てから、「わかりやすい町予算」など町の行政情報の扱いに変化が出てきていることを紹介しました。また、単独でいく場合はもちろんのこと、市町村合併をするにしてもまちづくり基本条例を制定して地域自治組織を確立する流れをつくった方がいいという話をさせてもらいました。
 午後から、法定協の吉川町選出委員の集まりである「検討委員会」の初会合がありました。来週の7日に開催される合併協議会の議案について、吉川町としてどう対応するか、意思統一しました。注目の合併協議会運営委員会の構成については、委員のさまざまな意見が反映できるように、会長、副会長のほか、議会代表、住民代表も加えることを求めていくことを確認しました。また、編入合併を意識した規程については、「編入合併であっても新設合併のつもりで対等、平等に話し合いを進めていく」という原則に立ちかえり、修正をめざすことになりました。


2003年10月01日

五十嵐県議が一般質問で難病医療費問題追及

 朝の気温が13度。寒さがまた一段階進んだ感じです。町内の稲刈りは、大規模農家を除き、最後の追い込みに入っています。何年か前までは、「ばばごろし」という晴れの天気が何日か続いたものですが、今年のような雨続きの年には、せめて「ばばごろし」で農家を助けてほしく思います。
 足の痛みがとれないので、朝の搾乳後、診療所で診てもらいました。医師の診断では、腰から足にかけての筋肉内部で炎症が起きている可能性が高いということで、打った時にズンとした痛みがくる注射をしてもらい、痛み止め薬を1週間分もらってきました。医師からは椅子よりも低い姿勢をとらないことなどの指示をうけましたが、搾乳の仕事ではどうしても避けて通れない姿勢なので困りました。
 夕方、日本共産党の五十嵐県議から連絡が入りました。一般質問でとり上げた難病医療費助成見直し問題についての結果です。更新の対象となる認定患者は1万1519人で、9月29日現在で、このうちの9363人分の申請が上がってきているといいます。10月1日までに新しい受給者証の届かない人がかなり出そうです。新たな受給者証がない時に医者にかかった場合は、受給者証が届いてから請求手続きをとれば、公費負担分は還付するとの答弁でした。当然です。それにしても、更新手続きの遅れの主要な原因と責任が県にあるのに、そのことに一言も触れないとはあきれてしまいます。


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