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2009年09月投稿分

2009年09月30日

ハマゴウの咲く砂浜で

 上野議員に誘われて国体の公開競技、ビーチバレーを観てきました。会場は直江津海岸の砂浜。私が現地に到着した時間は女子、男子の決勝戦が始まる30分ほど前です。

 会場へ行ってびっくりしましたね。コートの周り、スタンド席、すごい人の数でした。1000人はいたのではないでしょうか。私が座ったところは女子の決勝戦が行われたコートのスタンド席。ちょうど決勝戦は新潟対神奈川で、新潟代表は地元の上越のチームとあって、「ああ…」「よし!」などの声だけでなく、いいプレーには拍手も送られる。熱の入った応援が繰り広げられました。

 勝負は2対0で新潟チームの勝ち。第二セットの前半は拮抗した点の取り合いになりましたが、あとは新潟チームの力が圧倒していました。私もソフトテニスをやっていたことがあるのである程度わかるのですが、コートでの試合は基本練習と試合経験の数がものをいいます。相手コートのどこに球を打つか、瞬時に判断しなければならないその能力は簡単には身につきません。それにしても見事な試合でした。明日の地元新聞のトップはこれを伝えることでしょう。

 試合が終わっての帰り道、砂浜で紫の花が咲いているのに気がつきました。初めて見る花です。あまりにも美しかったので、いったん市役所に戻り、デジカメを持参して撮影しました。花は草花ではなく、海岸にある低木、ハマゴウ(画像)でした。


2009年09月29日

マニフェスト

 10月25日に行われる市長選挙を前に3氏がマニフェストなるものを発表しました。全体として、とても読みやすくなっています。また、政策的にみても、子ども医療費無料化の拡大、介護にかかわる負担の軽減など市民の暮らしの中で切実なものが盛り込まれていたりして、よくできているなという印象を持ちました。おそらく、3氏を応援する人たちの知恵を結集して作成されたのでしょう。

 ただ、これでいいのかと思ったことがあります。すぐに取り組むことと、4年間の任期中に実施すること、4年間の任期中に検討することを区別せずごっちゃまんざいにしてあるものがあることです。従来型の公約と区別して、マニフェストという言葉を使うなら、少なくともこの点は整理してほしかったですね。ちなみに、マニフェストを辞書で調べてみると、「政策の目標数値・達成期限・財源・工程などが具体的に明示された選挙公約をいう」となっています。

 さて、わが陣営ですが、来月5日頃には市長選挙に向けた対応を明らかに出来そうです。市民の皆さんにお願いしたアンケートの整理、集約も最終段階に来ました。これも同時発表できるでしょう。支援、協力していてくださる皆さん方にはたいへん遅くなって申し訳なく思っています。いま少し、お待ちください。


2009年09月28日

会議がいくつも

 朝、雨がパラパラと来ました。きょうは稲刈りは無理と思っていたところ、風が吹きました。それもかなり強い風です。この風が稲を乾かしたようです。きょうも稲刈りが行われ、平場に残っていた稲がまた少なくなりました。ただ、この風でセミは動けなかったのか、それとももういなくなったのか、鳴き声はまったくしませんでした。

 きょうは党議員団会議でした。9月議会中も進められてきた議会基本条例策定検討委員会の途中経過を私の方から報告し、意見交換しました。議会活動の原則、議員活動の原則、不断の議会改革等をテーマに約1時間かけました。いろいろな角度から活発な議論となったのは議会における男女共同参画、議会改革でした。同じ仲間でもこうしたテーマでは考えの違いも出ます。きょうの議論は今後の検討委員会のなかで活かしたいと思います。

 夜は吉川区内で地域協議会と党支部会議のふたつの会議に参加しました。党支部の会議では、秋の味覚がテーブルの上に置いてありました。クリ、アケビです。私は途中参加でしたから、話は聞けませんでしたが、山で天然のサルナシを採ってきた人もいて、楽しい会になったようです。私が参加してからは市長選挙をめぐる日本共産党上越地区委員会の動き、すでに活発に動いている予定候補者のマニフェストなどで発言が相次ぎました。応援できる候補擁立ができるかどうか、できないならどうするか、みんな注目しています。


2009年09月27日

1本の苗から11個の大きな冬瓜

 tougann090927.JPG
 朝5時過ぎに起床。「しんぶん赤旗」日刊紙、日曜版の配達、市政レポートの配布と連続して行い、午前11時45分頃、自宅に戻りました。さすがに、6時間もぶっ続けで頑張ると疲れます。でも、何軒かでいろいろな話を聞き、楽しい思いをしました。そのうえ、イチジク、枝豆、冬瓜などたくさんもらってきました。

 写真は冬瓜(とうがん)です。吉川区で多く栽培されている品種は、ほそ長いタイプですが、きょうは丸型の冬瓜を初めて見ました。ここの家では、この品種の苗を1本植えただけなのだそうですが、1本の苗が大きくなって11個もの冬瓜がなったといいます。大きさは直径30数センチといったところでしょうか。自分の家だけでは食べきれないので近所の人などに分けるとのことでした。写真の中の1個は私がもらってきました。

 午後からは葬儀でした。昨日のブログでは故人に最後に会ったのは2か月ほど前と書きましたが、その後、原之町で発生した作業所の火災でも会っていたことを思い出しました。いったんは退院されていたのに、こんなにも早く逝くなんて本当にお気の毒です。きょうの葬儀には、故人のつながりの多さを反映して、町内会の人、猟友会の仲間、同級生、仕事上のお客さんなどが大勢参列されて、ホールはほぼ満席状態でした。

 市政レポート1416号、「春よ来い」の108回、「帰省」を掲載しました。お手数でもトップページからお入りください。


2009年09月26日

アサギマダラと再会

 トキめき新潟国体がきょうから始まりました。吉川区尾神岳では10月3日、4日の2日間、パラ・ハンググライダーのデモンストレーション競技が行われます。

 きょうは「しんぶん赤旗」日曜版配達の途中、準備状況を確認してきました。開会式会場となる遊ランド周辺ではボランティアによる草刈が行われていました。パラの練習場周辺では市道の掃除も行われていました。準備着々といった感じです。土曜日だったこともあって、パラの練習場、離陸場には大勢の人たちがいましたね。

 尾神岳に登ると、どうしても野の花に目が行きます。アキノキリンソウ、オヤマボクチ、キツリフネ、ジャコウソウなどが目に入りました。うれしかったのは旅をする蝶、アサギマダラと再会できたことです(画像)。ケナシミヤマシシウドの近くを歩いていたら、偶然、目の前に飛んできたのです。大急ぎで写真を撮りました。

 家に戻ったら悲しい知らせが入ってきました。牛を飼っていた当時、わが家と付き合いの深かった人が亡くなったというのです。まだ60代の若さです。2か月ほど前に一緒にお茶を飲んだのが最後となりました。きょうはまた、同じ区内に住む従妹のお連れ合いが入院したという知らせもありました。今年は異常です。


2009年09月25日

9月議会終わる

 9月定例市議会が終わりました。最終日だったきょうは、委員長報告、討論、採決が行われました。20年度一般会計歳入歳出決算認定などの討論には樋口議員、所得税法第56条の廃止を求める請願では上野議員、議員定数条例一部改正では平良木議員と、3人が討論に立ちました。うれしかったのは、それぞれの討論内容が前日の議員団会議での議論を踏まえて丁寧に修正されていたことです。内容的にはまだ不十分さもあろうかと思いますが、説得力があって、議場からはヤジひとつ飛びませんでした。

 議会が終わって大急ぎで地元に帰り、市政レポートの印刷と「しんぶん赤旗」日曜版の配達をしました。印刷は通常なら、朝のうちに終わっているのですが、きょうは裏面も作成したので間に合わなかったのです。新聞配達は金曜日のうちにやっておかないといけないところ、最低限にして、再び、市役所へ。これは急ぎの生活相談です。市民から寄せられた要望をガス水道局長に伝えました。来週前半には動いてもらえることになりました。

 夜は木浦市長の歓送会です。今期で木浦市長は退任することを表明し、今回が最後の定例議会でした。ほとんどの議員が出席するなかで、市長は一人ひとりの議員のところを回り、お礼の挨拶をしていました。私と市長とは上越地域法定合併協議会準備会からの付き合いです。振り返ってみると、6年半も付き合っていただきました。私の最初の質問は、「まだ頸城村が参加を表明していないのになぜ参加を前提にした予算を組むのか」(合併協議会準備会)でした。質問を受けた時の市長の緊張した表情が忘れられません。市長の方はというと、私が数年前の一般質問の冒頭、「今度、市長さんに会ったら、ちゃんと頭を下げろやと母に言われました」と紹介したことが思い出に残っているということでした。なにはともあれ、8年間、ご苦労様でした。


2009年09月24日

討論準備、議会基本条例検討

 9月議会は明日が最終日です。きょうは午前中に党議員団会議を行い、明日の討論準備をしました。11月には市議会としての議会報告会もあります。賛成するにしても反対するにしても市民の皆さんにきちんと説明できるように、それもわかりやすく、を心がけて予め用意してきてもらった討論原稿を練りました。

 午後からは議会基本条例策定検討委員会と財政問題勉強会がありました。前者の会議では、「市長等との関係」「監視と評価」「政策等の形成過程の説明要求」「政策立案、政策提言」などで各委員の意見を出し合い、議論を進めました。議会においては市長等と議員は立場や権限の違いはあっても基本的には対等、平等です。これを明記すべきではないかと主張したところ、「二元代表制だから総則か前文でうたったらどうか」などの意見が出ました。政策立案、政策提言についても議会としてだけでなく、議員としても積極的に取り組むべきだと主張しましたが、みんな、市長選などで疲れているようです、前回ほど活発な議論にはなりませんでした。

 昨日までの連休中に市内の橋を何か所か訪れ、写真を撮ってきましたが、市政レポートで紹介するにしてももう少し面白くできないものかと考えています。きょうから、藤沢周平の『橋ものがたり』(新潮文庫)を読み始めました。どの橋も人や車が通り、そこにいろいろなドラマがあります。シリーズ「市内の橋」に役立つヒントがありそうです。


2009年09月23日

シロバナサクラタデが消えた

 今年は長雨だったので草の伸びがいつもと違います。どんどん伸びるのです。そのため、草刈はいつもよりも多くしなければならないことになりました。市道の草刈は2回目に入っていて、近くの市道についてはこの連休中に作業が行われました。

 ところで、わが家の周辺の野草、雑草に変化が起きています。
 そのひとつ、長年楽しませてもらったシロバナサクラタデが消えてしまいました。秋に咲く野の花の中では最高の美しさを持っていた花なのでとても残念です。たぶん、周りの草の伸びにおされて、出番を失ってしまったのでしょう。
 消えてしまった野草があれば新たに登場した野草もあります。ガガイモです。イモといっても地上に実らせるイモという変わり種です。花はすでに終わりましたが、『身近な雑草のふしぎ』(森昭彦著・ソフトバンククリエイティブ)で調べてみたら、「荒地の精力王」で「その(実の)形はどこか、なんとなく、赤面を誘う」とあります。どんな形のイモができるのか楽しみにしています。

 きょうは一日中、パソコンとにらめっこでした。朝になって雨が降ったので稲刈りをするコンバインの音はしませんでした。その代り、聞こえてきた音は秋祭りの音です。神輿を担いでワッショイ、ワッショイやっている音、「佐渡おけさ」、「炭坑節」などの曲が神社から風に乗って流れてきました。


2009年09月22日

伯母のところへ

 なんだかんだ言ったって姉妹はおら2人だけ。母と伯母はよく電話をかけて励まし合っています。でも会うのは年に1~2回くらい。今年は春に伯母がわが家に泊まりに来て以来、会うことなくここまで来てしまいました。農繁期でもあるので、稲刈りがないことを確かめて、きょう、久しぶりに大島区板山に住む伯母のところへ出かけてきました。

 「ばちゃ、来たよ」母はそう言って、つかつかと居間へ。「はい、来たがかえ」伯母はいつもニコニコです。「きょうはしょっぱいもんしかないがど」。テーブルの上に出された何種類もの漬物を食べながら、お茶を飲み、野菜の出来は悪いとか、孫がどうしたなどと話はどんどん広がります。おまえは若い、おまんは達者だ。お互いよく褒め合います。いつも思うのですが、どうしてこんなに仲が良いのでしょうか。こうして、あっという間に2時間ほど過ぎてしまいました。

 帰り際、外の花畑のところで記念撮影をしました。伯母は「おまえ、立っていれたがか」と母にききます。母は腰が少し曲がり始めたものの、まだ立っていられます。伯母の方はステッキカーを引っ張り出してきて、そこに座って準備オーケーです。「笑わせないでくれや」などと文句を言われながらかなり撮ったのですが、どういうわけかシャッター押す時に母は目をつむってしまいます。まともな写真は3枚ほどしかありませんでした。そのうちの一枚はこれです。

 母のアッシー君をしたのは午前のみ。午後からは市政レポートの作成準備、議会基本条例検討委員会の準備などをしました。連休は明日まで。党組織の集中行動、議会の討論準備など宿題はまだいっぱい残っています。さて、明日は何から始めましょうか。


2009年09月21日

敬老の日に

 きょうは敬老の日です。党吉川支部には今年80歳になった党員が2人います。午前は党新潟県委員長から預かった手紙と記念品を持って、この2人を訪問しました。2人ともとても元気です。ひとりは、家の中で忙しく働いておられ、いまひとりは近くの畑でラッキョウとりの最中でした。「申し訳ないね、ありがとね」「よろしく申してくんない」。感謝していただきました。いつも、「しんぶん赤旗」日曜版や後援会ニュース配布で頑張ってくれているおふたりさん、これからもよろしくお願いしますよ。

 さて、わが家の高齢者ですが、父がいなくなっても相変わらず、畑仕事などで忙しく動き回っています。このところの天気つづきで、仕事もだいぶはかどったようです。きょうは、畑でとってきたイモがらを屋根に干していました(画像)。「落ちなんなや」と言っても「おう」と言うだけです。医者から「働き過ぎないように」と言われているのに、まったくおかまいなし。それでも、きょうは敬老の日だというので、遊びに出ました。

 私の方は、母と付き合いをした後、清里区等の中山間地へ出向き、写真を撮ってきました。秋に書くことになっている中山間地対策の文章に添える写真に黄金の棚田をと思って出かけたのですが、今年は長雨でどこの田んぼに行っても稲はべったりと寝ています。しかも、稲は一定方向ではなく、風で掻き回されたようになっていました。田んぼはいい写真が撮れませんでしたが、橋はいくつも撮ることができました。合併直前に竣工した橋、昔は吊橋だった橋、土手に桜並木がある川の近くの橋などです。浦川原区では私を以前見たことがあるという人に出会いました。


2009年09月20日

「ありがとう」がいっぱい

 なかなか時間が取れなくて待ってもらっていた生活相談のひとつにやっと着手できました。長岡市まで出かけてきました。きょうも青空が広がるいい天気となりました。ここまで来たら、ぜひ一度行ってみたいと思っていた山古志まで足を延ばしてきました。

 ゆっくり車を走らせ、山古志へ。以前、小国の法末集落へ行った時もそうでしたが、ここでも「ありがとう」という文字が入った旗がいっぱい立てられていました。写真集などで見た黄色い棚田は少なく、まだまだ復興途上という感じがしました。でも、私の想像をはるかに超える被害を克服してがんばっている人たちが大勢います。「幸福市」で一生懸命案内しているお母さん、市役所山古志支所で「ありがとうまつり」に取り組んでいる青年のみなさんの姿はとても気持ちの良いものでした。

 きょうは幸運にも闘牛のある日でした(画像)。虫亀闘牛場へ行ってびっくりしたのは車の数です。山の中のイベントに県内はもとより関東ナンバーの車がたくさんあったからです。私は道路に駐車して観戦させてもらいました。角と角を激しくぶつからせると「ヅン」というにぶい音がします。血を流している牛もいました。いい闘いになると歓声が上がり、拍手も起こります。興奮しました。闘いの音声はこちらをクリックしてみてください。それにしても牛とは久しぶりの再会でした。牛の鳴き声、匂い。涙が出そうになるほど懐かしかった。

 山古志では、東竹沢にも行ってきました。ここは私の後援会員である細井孝さんが小学校の校長をしておられたところです。地震による地滑りで学校のそばにダムができ、大変な状況となっている様子はテレビで何度も見ました。ここへ行くと、中越地震がもたらした被害の大きさを目で確認できます。地震発生の時は「しんぶん赤旗」の配達中、大きな余震の時は役場の二階の事務室でした。激しい横揺れで味わった恐怖を思い出しました。

 夕方、家に戻ると旧上越市内の人から電話で生活相談が入っていました。生活相談に連休は関係ありません。お急ぎの相談はどうぞ遠慮なく、お寄せ下さい。


2009年09月19日

次男夫婦、1か月ぶりに帰省

 連休初日。次男が約1か月ぶりに顔を見せてくれました。「ただいま」この声を聞くとうれしい。一番喜んでいたのは母、あれ食べろ、これ食べろと声を掛け、朝作った得意の押し寿司をもたせました。もっともこれは、尾神に住んでいたことのある人が遊びに来るので、そのために作ったのですが……。私はというと次男の連れ合いに、家の近くにある野の花を教えてあげたり、イモゴ(山芋のツルにできる)を食べてもらったりと、私ならではの大サービスです。

 妻は次男夫婦とともに柏崎の実家へ行きました。次男の結婚式の時の写真などを両親に見せたかったようです。向こうで写真を広げていたら、柏崎の母が何を思ったのか、私たちの新婚時代の写真を持ち出してきて、次男夫婦に見せたそうです。まだ、私が体重58キロの時代の写真です。当時、髪はふさふさ、体はスマートでした。家に戻るなり「あんたって、やはり詐欺師だ」。「詐欺師」だと言う時はニコニコしていちゃ駄目さ。長年、頭を使えば、髪も減ります、ストレスもたまって太ります。

 きょうは「しんぶん赤旗」日刊紙、日曜版の配達と生活相談でした。昨日に続いて、さわやかな秋の風が吹きました。いい風が吹き、青空も時々見せてくれるなかでの活動は気分上々です。2軒の読者のお宅でお茶をご馳走になり、おしゃべりを楽しみました。一人のお母さんが「今度はいい政治になるかいね」と言ったことをきっかけに民主党政権への期待と不安がいっぱいでました。最後は、良くなるか悪くなるかは私たちの頑張りで決まるということになりました。9月も下旬になるというのに、きょうはミンミンゼミの鳴き声が賑やかでした。でも、秋も進みました。ヤマザクラの葉が紅葉し始めましたから。

 市政レポート1415号、掲載しました。ごらんください。


2009年09月18日

正確さと分かりやすさ、そして親しみやすさ

 いま、上越市議会で、議員提案で2つの条例をつくる動きがすすんでいます。ひとつは上越市議会基本条例、いまひとつは上越市中山間地域振興条例(仮称)です。前者は市議会内に設置された任意組織、検討委員会で、後者は市議会中山間地対策特別委員会で検討中です。偶然にも、私はどちらの条例づくりにも党議員団選出のメンバーとしてかかわっています。

 きょうは中山間地対策特別委員会でした。これまで、現地調査、関係地域での住民懇談会、数回の委員間討議などを経て、条例づくりが本格化するところまできました。具体的には、特別委員会内に2つの分科会を設け、条例の前文、条文を分担し、協議を重ねています。きょうは、それぞれの分科会が作成した素案を違う分科会が検討し、全体会で議論を深めていく作業が行われました。

 私が所属することになった分科会では前文と条文の目的を担当していますが、分科会として、「ですます調」の文体で作成することを全体会で提案することになりました。この過程で、どうしたら分かりやすい条例になるかの議論がありました。私は、条例というのは、「簡易かつ正確なものであるとともに、住民に分かりやすいものでなければならない」(北海道町村会法制執務概論)と言われていることを紹介しつつ、「ですます調」での文体を薦めました。

 正確さと分かりやすさ、このふたつを満たすためには、内容面と表現・形式で真剣な検討が必要となります。何よりも条例が目指す内容と全体の組み立てに論理性がなければなりません。そして、市民の代表である議員が条例を提案する場合には、もうひとつ、親しみやすさが求められていると思うのです。この3つを満たすには「ですます調」の文体の方が適していると思います。私がこれまで主張してきたのは、「中学生が読んでも分かる条例」「誰もが声を出して読んでみたくなる条例」です。今回の条例づくりで、どこまでこれに接近できるか。

 参考までに、前文等を検討する分科会で作成した上越市中山間地域振興条例(仮称)前文の素案(素案の素案といったもの)を読んでみてください。以下に掲載します。

 私たちのまち上越市は冬になると雪が降ります。ゆっくりと降ることもあればどんと降ることもある。積もる量は日本屈指、ここは豪雪地帯です。雪の中で暮らす人たちは助け合い、人としてのやさしさとたくましさをもって生きてきました。
 春から夏。雪は徐々に解け、雪割草などたくさんの山野草が花を咲かせます。大地にしみ込んだ水は山間地から平野へと流れ、日本海に注ぎます。その美しい景観は人々の心を癒し、観光資源ともなっています。
 私たちのまち上越市は北と南の植生が交わる地域でもあります。上流から下流へと広がる大地はソフトな粘りと甘み、上品な食感が持ち味のコシヒカリを実らせ、豊富な野菜を育ててきました。栄養たっぷりの水が流れ込んだ日本海は海の幸でいっぱいです。
 山があり、海があり、大地がある私たちのまち上越市は、私たちにとって地球上の他の地域に求めることのできない心のふるさとです。しかし、経済構造の変化の中で市域の6割を占める中山間地では少子高齢化が進み、農地は荒れ、集落の存続が危ぶまれる状況が広がってきています。
 こうした流れに歯止めをかけなければ、上越市の未来はありません。私たちは、中山間地に住むものが市街地に住む人々の暮らしを思い、中山間地に住むものが市街地に住む人々に感謝される関係づくりを進めるとともに、両者の支え合いの中で様々な資源が循環し、中山間地が再生、活性化する地域社会の形成を目指すことを決意し、ここに条例を制定します。


2009年09月17日

一般質問終わる

 まいったなぁ。また、印刷機トラブルです。朝、「しんぶん赤旗」日刊紙の配達から戻り、議員団ニュースなどの印刷をやろうと思ったら、トラブル表示が出てしまいました。何度か復旧を試みたのですが、だめでした。これで、市役所への出発はいつもよりも1時間半も遅れ、役所で予定していた一般質問の組み立ての再検討はできずじまい。リズムがくるってしまいました。

 今回の一般質問は、市長の率直な思いをききたいものだとして通告したものがいくつもあります。総選挙結果や8年間の市政運営などがそう。事前のヒアリングでも「ちゃんと市長の生の声を聞いて答弁原稿書いてよ」と注文しておいたのですが、「総選挙は、現下の厳しい社会経済情勢の中で、景気や雇用をはじめ社会保障など、様々な分野において国民の不安や不満が一気に高まり、政権交代を望む民意が表れたものと認識しております」といった調子で、いつもの通りの答弁でした。でも、これが精いっぱいなのかもしれませんね、木浦市長としては。

 市長のこれまでの市政運営についての質問では、合併後の市政を検証し、今後の課題を浮き彫りにしたいと思っていました。ところが、こちらで噛み合った質問の展開ができず、事前に用意した新潟経済社会リサーチセンターのアンケート調査結果などの資料はひとつも使わないで終わってしまいました。日頃から、「質問は具体的に、コンパクトに」ということを心掛けてきたつもりですが、これでは実りのある質問とはなりません。

 それでも、きょうの質問でいくつかの収穫がありました。そのひとつ、県立吉川高等特別支援学校(仮称)の創立についての質問で市長は、「新たな進学の機会が確保されることは大変喜ばしい」として、「市としても保護者の皆さんのご意見も踏まえながら、県に働きかけるなど、障害のある子どもたちへの支援体制の拡充に向けて、出来得る限りの対応を図りたい」と答えてくれました。よかったです。

 


2009年09月16日

上野、平良木議員頑張る

 一般質問2日目。わが議員団の上野、平良木議員が登壇し、がんばってくれました。

 上野議員は通学援助費、スクールバス等運行基準問題で、新教育長から、「義務教育における子どもの安全性の確保や保護者の負担軽減は、教育行政として積極的に取り組むべきものと考えており、財政の許す中で、できる限りの対応をすべきものと考えている」などいい答弁を引き出しました。無料化をめざす運動に大きな励ましとなります。
 
 平良木議員は教育補助員、介護員の雇用継続、労働条件改善で質問に立ちました。現場で仕事をしている人たちの願いをしっかりと把握し、条例規則の矛盾点も事前に研究していたからこそできる見事な論理の展開は注目されました。有給休暇の見直し、サービス残業廃止などにむけての価値ある論戦でしたね。

 さて、明日は私の番です。私の質問テーマは、総選挙結果をどう受け止めたか、木浦市政の8年間の総括、県立吉川高等特別支援学校の創立と課題です。論理的に詰めていくような質問ではありませんが、丁寧に展開していきたいと思っています。時間は早ければ午前11時15分頃からとなります。


2009年09月15日

感動!聚楽第行幸図屏風

 質問の前にどうしてもこれだけは観ておきたい。そう思ったのは、12日から市立博物館で始まった「御所参内・聚楽第行幸図屏風」特別公開です。朝の8時半前に博物館へ行き、開館を待ちました。きょうはトップで観させていただきました。

 いやー、感動でした。後陽成天皇を迎えに行く豊臣秀吉の行列と、御所を出発して聚楽第に向かう天皇の行列が横長にドーンと描かれていて、すごい迫力です。秀吉が九州攻めで島津氏を服従させ、居城を大阪城からこの聚楽第に移したのが1587年でした。この屏風はその翌年の歴史的な出来事を描いたものです。牛車を引く牛の表情が得意満面といった感じでしたが、これは秀吉の顔じゃないかと思いました。行列とは別に、北側の小路では子どもたちの遊ぶ様子やお年寄り、修験者などが描かれていました。当時の庶民の暮らしが分かります。それにしても、これほどのものが上越市内にあるとは素晴らしいことです。特別公開は来月4日まで。詳しくはこちらをご覧ください。

 きょうから一般質問が始まりました。今回は市長の任期最後の定例議会ですが、すでに市長が引退表明していることもあって通告者はわずか16人です。議会運営委員会では5日間の日程を用意したものの、明後日までの3日間で終わりとなります。ちょっとさみしいですね、これじゃ。


2009年09月14日

委員会所見

 議会基本条例を検討するなかで「委員会所見」を盛り込もうという話が出ています。簡単に言うと、委員会の議案審査の中で「これはみんなで行政側に委員会の意思として伝えよう、求めよう」ということを委員会として表明することです。議案に賛成、反対とは関係なしに、所見の内容について委員全員が一致さえすれば、行使できることですが、これをやると行政側にはインパクトを与えます。町議会では決算審査の時にはよくやりました。

 今議会では、総務常任委員会の決算審査で、この「委員会所見」を具体化する動きが出ました。栗田委員長の議会改革への思いもあったのでしょうが、本会議での委員長報告の際、委員全員で確認した数項目の「付帯意見」を明らかにすることになりました。中味は後日発表しますが、行政側の反応が聞こえてきました。「私たちは議会での答弁は重いものと思っている。そこでやると言ったものまで盛り込まれることには複雑な思いがする。付帯をつけようという動きは理解できますが…」などの声です。部課長の中には議会事務局に直接問い合わせをする人もいました。

 行政側の反応の大きさに驚いていますが、「付帯意見」には行政側に対する注文だけではなく、施策についての評価なども入っていいように思います。行政側に対しては、良いことはいいと評価し、悪いことは悪いと指摘する。問題点や課題があればこれも指摘する。これが大事ではないでしょうか。総務常任委員の中には「付帯意見」をまとめたことがある人が私を含め何人かいます。これまでの経験等を出し合い、「付帯意見」はどうあるべきかについてもじっくり議論して委員長報告に反映させたいものです。


2009年09月13日

強風の中で

 市政レポートの配布を済ませてから久しぶりに尾神岳の市道(旧林道)を通って帰ってきました。午前から台風並みの強い風が吹いて草木が激しく揺れていましたが、車をゆっくり走らせ、秋の野の花を楽しんできました。ツリフネソウ、キツリフネ、アキノキリンソウ、ゲンノショウコ、クサボタン、タマバシロヨメナ、クルマバハグマ、ジャコウソウなどの花をたくさん見つけ、いい気分にさせてもらいました。

 10月の上旬に尾神岳で開催される国体のパラグライダー大会の準備状況も視察してきました。市道の2度目の草刈りがしてあり、心配していた遊歩道も草が刈ってあって、これで準備オーケーです。市道沿いやこの遊歩道にはヤマブドウの実もなっていました。惜しかったのはヤマボウシの実です。赤い実を楽しみにしていたのですが、先客がいました。小鳥たちです。美味しそうなところは突いて中味は無し(画像)。それでも小鳥たちは私のためにちょっぴり残しておいてくれました。

 お昼は見晴らし荘でざるそばと水ギョウザを食べてきました。強風のため、お客は少なく、従業員の人たちとおしゃべりを楽しみながら、食べました。そばは680円、やはり、尾神のそばですね。美味しかったです。秋の尾神岳、紅葉はこれから。車でお出かけの方はぜひ見晴らし荘にお立ち寄りください。平日は休み、土日だけの営業です。

 市政レポート1414号、掲載しました。トップページの写真も入れ替えました。

 


2009年09月12日

一日中、「しんぶん赤旗」配達

 朝早くから夕方まで「しんぶん赤旗」日刊紙、日曜版の配達でした。議会中は党支部の仲間や後援会の人たちに手伝ってもらっているのですが、そのうちの一人の方が入院されたことから、通常の配達区域で配りました。天気は曇り空、農家の方は稲刈りもできず自宅におられる人が多かったですね。「市長選挙、なかなか盛り上がらないね。おまんた、どうしるがだね」「長雨で田んぼがやわらかくてたいへんだ」「(政権交代したが)農業政策、本当に変わるんだろか」久しぶりに会ったこともあって、私に話かけてくる人がたくさんいました。ありがたいことです。

 今朝の新潟日報などに、豊臣秀吉が京都に建てた聚楽第に後陽成(ごようぜい)天皇が出向いた「聚楽行幸」(1588)を題材にした屏風絵が上越市内で発見され、市立総合博物館できょうから一般公開されるというニュースが載りました。「しんぶん赤旗」の配達の際に、このことも話題になりました。もう観に行ってきたという人もいました。「迫力満点、すごい屏風だった」などという感想を聞いて、私も出掛けたくなりました。私の関心は、屏風の中に描かれている牛車です。当時の牛がどんなふうに描かれているか、早く観てみたい。

 明日も午前は配達です。市政レポートの配布もしなければなりません。一般質問の準備もそろそろやらないと間に合わなくなります。がんばらなくては。


2009年09月11日

本質を突く深みのある議論が少ない

 総務常任委員会が終わりました。今回は3月、9月の委員会審査を3日間から2日間に短縮して初めての決算審査だったのですが、時間が足りないどころか、午後3時頃には終わってしまいました。

 なぜ、こんなにも早く終わったのか。その要因は2つあるように思います。ひとつは直前まで総選挙があり、目の前には市長選があって、全体として準備不足になっていたこと。もうひとつは、審査の時間が短縮されたので、ききたいことをずばり訊くコンパクトな質問が多くなったことです。

 短い時間の中でコンパクトな質問をと心がけることはいいことですが、今回の委員会で気になったのは、問題の本質を突く深みのある議論が少なかったことです。

 例えば、各種会議の会議録公開についての私の議論。委員会資料で1か月以内に公開できなかったケースがいくつもあることが判明しました。なぜ、こういう結果になったのか。質問は担当者の「情報公開」についての意識の問題、担当課の点検体制と続けましたが、質問はここまでで終わらせてしまいました。じつは1か月以内に公開できなかったものの代表格は13区地域協議会の会議録でした。総合事務所の担当者は何でも一生懸命やっている人が多いのですが、グループ制の良さをなぜ発揮できなかったか、グループの職員数が妥当かどうか、さらには行政改革のすすめ方や推進計画そのものに問題はなかったのか。そこまで深めていく議論が必要でした。

 深みのある議論をするにはそれなりの勉強をしておかなければならないことはいうまでもありません。でも、それだけではないのです。人間の頭の回転には限界があります。それで、自分以外の議員がちがった視点、ちがった切り口で同じ問題をとりあげてくれることが必要となります。今回はこれが少なかったですね。そして、他の議員が同じテーマの質問をすることで、最初に質問をした者も、また、頭が回転し始める。こうして議論は深くなっていくのではないでしょうか。
 
 私の所属している総務常任委員会は論客ぞろいです。委員会の議論は、市民の皆さんの声をしっかりと反映させると同時に、市政を発展させる力になる内容にしていくことをたえず心がけていかなけばなりません。今回の審査日数の短縮が議論を深めていく余裕を奪い、関連質問の少なさとつながっていないでしょうか。2日間の議論を振り返りながら、同僚委員とこの点について話し合ったみたいものです。


2009年09月10日

総務常任委員会審査一日目

 上越市にはオンブズパーソン条例があります。県内でもめずらしい先進的な条例です。目的は、「市民主権の理念にのっとり、公正な立場で、市政運営に関する苦情を適切かつ迅速に処理し、及び市政運営を監視し、並びに市政運営の過誤等の是正又は改善のための意見の表明、勧告又は提言を行うことにより、市民の権利利益の擁護を図」ることです。きょうの総務常任委員会で、私としては初めてオンブズパーソンの活動で質問しました。

 じつは、昨年度のオンブズパーソンの調査によって、「市からの通知書や決定書の中に行政不服審査法に基づく教示文の記載のないものが見受けられた」というのです。もし、「この処分について不服がある場合は、この処分があったことを知った日の翌日から起算して60日以内に市長に対して審査請求(異議申立て)をすることができます…」という文がなかったために、不服があっても何も行動しない市民がいたとしたら大きな問題です。オンブズパーソンの調査では、調査した決定書などの様式の12件中、教示文がなかったものは2件(様式の数と言った方が正確かな)見つかったそうです。

 こうした事実が判明し、オンブズパーソンは市に改善を求めたとのことでしたので、事務局長にききました。「条例では、オンブズパーソンは、苦情等の調査の結果、必要があると認めるときは、関係する市の機関に対し、意見の表明、勧告又は提言をすることができるとあるが、改善を求めたのは意見の表明ですか、勧告ですか、提言ですか」。返ってきた答弁は、「条例に基づかないやわらかな要請で、総務部長に提出しました」。びっくりしましたね。市民の権利利益の擁護にたずさわっておられる立場からの発言とは思えなかったからです。委員会資料には、昨年度の成果として「教示文の徹底が図られた」とありましたが、質問してみたところ、約1500ある通知書、決定書などの様式のなかで教示文があるかないかのチェックはまだ全部終わっていませんでした。こんなことでいいのでしょうか。

 きょうの委員会審査では、このほかにもこんなことでいいのかと思う答弁がいくつかありました。日頃から頑張っていてくれる職員の発言だけに残念に思います。総務常任委員会は明日も続きます。


2009年09月09日

比例代表区で民意が示したもの

 昨日も一人の市民から電話をいただきましたが、今回の衆院選の結果について書かれた五十嵐仁法政大学教授のブログが話題になっています。同教授は小選挙区制導入に反対の論陣を張った知識人として有名です。今回も選挙結果を分析して、小選挙区制の問題点をクローズアップしました。

 一つは有権者の選択と議席に大きなズレが出るという点です。「民主党は47%しか得票していないのに議席では74%を占め、逆に、自民党は39%も得票したのに議席では21%にしかなりません。得票率での1.2倍の差が、議席率では3.5倍に増幅されてしまった」との指摘は誰も否定できません。二つ目は議席に結びつかない票(いわゆる「死票」)が大量に出るという点です。今回の「死票」は、全部で3270万票にもなったといいます。そして三つ目、小さな政党は排除されるという点です。これは説明するまでもないでしょう。

 五十嵐教授は、6日のブログで「比例代表的な制度だったら、民意は何を示していたのでしょうか」とのべ、比例代表区での各党の得票率をもとに各党の獲得議席数を試算しました。その結果は、
 自民党      128
 公明党       55
 民主党      204
 社民党       20
 国民新党      8
 日本新党      3
 共産党       34
 みんなの党    20
 諸派・無所属    7
 同教授は、「比例代表区が示している政党制は、民主党中心の多党制なのです。これは多様化した国民の政治的意見の反映にほかならず、『一党優位政党制』でも『二大政党制』でもありません」「多様化した国民意識に対応した多党制的状況を、そのまま国会の議席配分に生かすべきではないでしょうか。特定の大政党の独走によって国政を専断するというような事態を避け、合意と協調によって政治を運営するためにも、現在の選挙制度を改め、比例代表的な制度に変更すべきだ」とのべていますが、正論といえましょう。

 きょうは文教経済常任委員会でした。一般質問のヒアリングがあり、その後、明日からの総務常任委員会の準備もあって、ほとんど議員控室にいました。
 一般質問は、総選挙結果をどう受け止めるか、木浦市政の8年間、吉川高等特別支援学校(仮称)の創立などをテーマに選びました。市長自らの言葉で語ってもらうテーマが多く、しかも再質問でいろんなことをきくことのできる通告文となっているので、答弁書を書く担当者の中には不満を持たれる人もあるかも知れませんが、これは仕方がないですね。一般質問は緊張感を持ちつつも、のびのびとやれるようにしないといけません。
 今議会での一般質問の通告者は17人で、私は15番目です。早ければ17日の午前11時頃から、遅くとも同日の午後2時頃からとなるでしょう。


2009年09月08日

11月に市教委が通学援助費等の新基準(案)

 文教経済常任委員会で注目すべき発言がありました。通学援助費、スクールバス運行等について、教育委員会としての新基準(案)を11月に文教経済常任委員会に示し、関係区の地域協議会に諮問するというのです。これは笹井教育部長の発言です。合併協議では来年4月から新基準で対応することになっていましたので、10月には新基準(案)を示さないと間に合わないと思っていたのですが、やはり、市長選の結果待ちということになりました。すでに市長選に名乗りを上げている人の中には「スクールバスの無料化」を公約に掲げておられる方もありますので、当然と言えば当然です。ただ、地域協議会での議論は十分な時間が保障されるかどうか。ちょっと心配です。

 きょうは一日中、朝から夕方まで文教経済常任委員会でした。私はずっと傍聴したわけではありませんが、課長に電話で聞けば済むようなレベルの質問は少なく、問題点を絞って20年度の取り組みの総括を求めるものなど、いい質問がいくつもありました。文教経済常任委員会は明日も続きます。


2009年09月07日

滝沢氏の公開質問状と日本共産党の市民アンケート

 きょう、滝沢一成市議が「上越市トップを目指す3人への公開質問」の回答全文を公開しました。名乗りを上げている人たちがどんなことを考えているかについては、それぞれのみなさんがこれまで市民に配布してきたパンフレットなどでしか知り得ませんでしたが、今回かなり踏み込んで回答していますので、とても興味深く読みました。

 例えば、「13区の皆さんが『合併して良かった』と、こころから言えるのはいつですか?」という質問に対する回答。O氏は、「このたびの合併は、財政改革と地方分権社会に入った今、木浦市長・市議会並びに13区をはじめ市民の皆さんの優れた先見性・勇気・行動の成果であると高く評価しています」と答えているのに対して、M1氏は「そもそもこのような大合併は国の思惑通りの合併でありましたので時期尚早でした。しばらくは不満と絶望の時間が経過すると見て、私は一部の地域にブロック制を導入し、地域の特性を生かした市政運営システムを確立します」と答えています。そしてM2氏の回答は、「任期中に『合併して良かった』との評価が得られるよう誠意を持って努力します」。現在、名乗りを上げている人たちの考えの違いがわかって参考になります。全文はこちらをクリックしてごらんください。

 ところで、日本共産党上越地区委員会が8月にお願いした「市民アンケート」ですが、いま、急ピッチで整理作業を行っています。こちらは、上越市政についての市民のみなさんの考えや想いがたくさん書かれています。アンケート結果はまとまり次第、記述されたご意見も含め全体を共産党議員団ホームページ、日本共産党市議のホームページなどで公表することにしていますのでご期待下さい。私たちは、このアンケート結果を尊重して、来月の政治戦にどう臨むかを決定してまいります。


2009年09月06日

カンナ坂媼二人の心意気

 きょうはまず妻のリクエストに応えてと……。お盆にわが家の墓がある蛍場へ一緒に行った時のこと。蛍場地内の市道の両脇にたくさん咲いているカンナなどの花があまりにもきれいなので、車から降りて2人でしばらく花を楽しみました。もちろん、写真も撮りましたよ(画像)。あちこちに花ロードがあるけど、ここは花の種類が多く、迫力満点です。花の世話をしているのは東(屋号)と大西(同)のおかあさんの2人です。昨年までは井戸尻(同)のおかあさんもいたけど、今年は亡くなって2人だけとなったのに、見事に咲かせてくれました。「たいしたもんだ」という話になったのは言うまでもありません。その時のことを題材にした妻の俳句が今朝の新聞に載りました。カンナ坂媼二人の心意気。花はいまも咲いています。

 総選挙が終わって1週間。翌日から9月議会でしたので、これまで、余裕を持って質問の準備をすることはできませんでした。きょうは、ゆっくり新聞を読み、一般質問で何を質問しようかと考えました。私の場合、頭の回転が悪いので、テーマが決まるまでに時間がかかります。そして、決まってからも、質問をどう組み立てるか、これもなかなか定まらないのです。質問したいと思っていることはたくさんあって、それが頭の中でグルグル回っています。定めるためには考えていてもだめ。そこで外に「遊び」に出ます。きょうは午後から、柿崎区でイノシシ対策をしている現場を見たり、林道で野の花写真を撮ってきました。

 トップページの写真を入れ替えました。昨日、きょうと吉川区では酒米である五百万石の刈り取りがかなり進みました。この場所のイネはコシヒカリです。雲がかかっていて、暗い写真となってしまいました。それと、もうひとつお知らせです。市政レポート1413号を掲載しました。今号では、新潟日報、上越タイムス、上越よみうりなどに載っていない情報も書いてあります。ごらんください。


上流域と下流域に住む者が手を取り合って集会

 昨日は風呂に入ってそのまま寝てしまいました。寝ていた時間は8時間以上。通常、5時間から6時間の睡眠なのに、よく寝たものです。

 昨日は中学校の創立30周年記念運動会に参加した後、10数人の市議とともに長野県信濃町で開かれた「信濃町・上越地域合同産廃処分場反対集会」に出てきました。

 関川の上流付近で民間業者が計画している廃棄物最終処分場の問題は、信濃町が山形大学の川辺教授に依頼した地質調査結果が出て以降、反対運動がいままで以上に高まってきています。昨日の集会は、上越地域農業水産団体連絡協議会と信濃町産廃処分場対策連絡協議会が共催したものです。これまで別々に運動してきたものがひとつの流れになり、関川の上流域の人たちと下流域の人たちが心を一つにして反対集会を開催したのです。9月5日は歴史に残る日となりました。

 代表者挨拶の中で上越地域農業水産団体連絡協議会の太田会長は、「先日の山口県の鉄砲水のような災害が発生すれば下流域に汚染物質が流れていくことは必至。我々は将来に禍根を残す負の遺産をつくりたくない」とのべました。また、地元信濃町の松木町長は、「私自身も体に新潟の血が50%流れている。万が一、最終処分場の土地が崩れた場合、新潟のコメにも魚にも影響を与えることになる。そうならないよう、上流域の責任を果たしていく」(画像)と決意を語りました。

 集会には300人近い人たちが参加しましたが、報道陣も大勢でした。現地調査でお世話になった信濃町の人たちを探したのですが、残念ながら再会はなりませんでした。そのかわり、吉川区から参加した3人の人たちと会うことができました。遠い場所で、同郷の人たちと会うのはいいものです。


2009年09月04日

委員会の議員傍聴席はガラガラ

 市政レポートの作成が遅れ、午前中は市役所には行かずじまいでした。きょうと来週の月曜日は建設企業常任委員会ですが、議員の傍聴席はほんの数人だけ。これほどガラガラなのは明らかに市長選挙のためです。予定候補のところで、あいさつ回りなどの活動をしているのでしょう。

 昨日は市長選予定候補の陣営で動いている2人の市議会議員から、「共産党からも応援してもらいたいんだが、どこへお願いに行ったらいいか」などと声をかけられました。私たちの市長選擁立がここまで来ても定まっていないことを見ての声掛けです。どう対応するかは地区委員会で決めていくことです。

 総選挙も終わって、市長選もいよいよ本格的な動きとなってきました。私たちの対応も早く決めたいものです。


2009年09月03日

「平等橋」は「ヘイトウバシ」だった

 市議会厚生常任委員会が終わってから牧区へ車を走らせました。午後4時少し前です。目的は牧区の山中にある平等橋。ところが、事前調査が十分でなかったために道に迷ってしまいました。インターネットで調べた時の、鷹羽鉱泉の近くという印象が強く残っていて、仲入橋を過ぎ、山をどんどん登って行ったら、鉱泉に着いてしまいました。鉱泉の管理人さんに、「ビョウドウバシって近くにありますか」と尋ねたところ、「聞いたこともない」という返事でした。

 深山荘近くの宇津俣橋まで戻り、畑で仕事をしていた女性に、「ビョウドウバシってご存知ですか」と尋ねると、この人も首をかしげます。「平(たいら)」に「等(ひとしい)」と書くんですけど、ときくと、「あ、それはヘイトウです。だいぶ奥に入りますよ」。その場所は、宇津俣橋から南東方向に1.5キロメートルくらい行ったところにありました。「平等橋(ヘイトウバシ)」(画像)。1級県道柳島信濃坂線にある昭和61年12月竣工の橋でした。橋長、約27メートル。これで市内にある「平和」と「平等」と名のつく二つの橋を渡ったことになります。

 きょうの牧区入りで印象に残った橋は、「島之橋」、「藤見橋」、「平等橋」。このうち、「島之橋」は旧上越市と牧区の境にあります。合併前は、橋を渡ると違う行政区になる場所でした。「藤見橋」(画像)は新しくて、とてもきれいな橋なので、車をとめて初めて渡りました。竣工は昨年の10月です。おそらく、市道にある橋としては一番新しい橋でしょう。

 ところで、きょうの最大の収穫は、「平等橋」をさがしている時に出合ったメタカラコウ(画像)です。蕗のような大きな葉を持ち、房状の黄色い花を道端で咲かせていました。感動でした。もちろん、初めて出合った花です。写真は全体を撮ったものがぴんぼけでしたが、接写したものはまずまず。道に迷ったおかげで素敵な出合いとなりました。
 


2009年09月02日

厚生常任委員会1日目

 市議会はきょうから常任委員会です。トップは厚生常任委員会。わが議員団の平良木議員は日頃から生活相談活動を活発に行い、きめ細かい対応をしていますが、質問もそう。昨年度から削られた理美容の補助金、紙おむつ問題など実に多様な質問をしていました。

 高齢者の皆さんが楽しみにしている敬老会。昨年度は対象年齢を引き下げた結果、参加率が落ち込みました。平均の参加率で38%という有様です。こうしたなか、身近な地域での開催に切り替えたり、対象年齢を以前と同じく70歳以上にしたところで参加率を高めたことがわかりました。ここはしっかりと教訓を引き出して「みんなで楽しく、賑やかな敬老会」につなげたいものです。

 市民センター病院の管理運営委託料にかかる消費税問題は、平良木議員や石平議員が早期の返還を求めて質問を繰り広げていました。私の総括質疑で代表監査委員が「支出の方法は適切ではなかった」と答弁したことが生かされました。払わないでも済んだはずの1億2400万円弱の税金返還は最優先課題です。市の税務当局との交渉の行方に注目です。

 本に係る報告をふたつ。1つ目。マンガ『草笛の季節』(村野守美作・全6巻)の中古本情報を見つけました。全巻そろってはいませんが、4冊ありそう。すぐに注文しました。1巻はちょっぴりエッチで心が温まる話ばかりでした。どんな内容か楽しみです。

 2つ目。夜、東京の自治体研究社から中山間地対策の本の出版計画があるので執筆陣に加わってほしいと要請されました。約2万字、400字の原稿用紙で50枚にも及ぶものです。来春刊行の予定。出来上がれば、私にとって2冊目の共著となります。来春は、私の3冊目の随想集の出版も予定していますので、今年の11月、12月は原稿書きで大忙しとなります。今回の出版計画をつめるため、今月下旬頃、京都市にて徳島大学の教授らと話し合うことになりました。


2009年09月01日

秋の虫たちの合唱

 昨日に続いてきょうも総括質疑でした。昨年度の決算審査は一年間の行政の総括の場です。柳沢議員が地域自治の推進、経済危機対策、行政改革、観光振興策などで一年間の総括にふさわしい切り口で質疑を展開しました。「行革市民会議がなくなった後、市民目線での評価をどのようにしてきたか」「大河ドラマなどで盛り上がりをみせた観光振興だが、成果をどう生かすかの戦略的な視点が必要だ。ブームが去った後の対応策をどうするか、リピーター確保のしかけづくりは」などの質疑では、議場内のすべての視線が彼に集中しました。

 きょうの総括質疑は柳沢議員と飯塚議員のふたりだけ。午前中に終わりとなり、午後からは党議員団会議です。議会前にやれなかった一般質問についての打ち合わせをしました。現市長の最後の定例議会となる今回の議会。いまの時点で、市民生活を守るうえで何を取り上げたらいいのか。緊急性を重視しながら、いまの市長に道をつけておいてほしいことは何か。新型インフルエンザ対策、失業対策、高校生の就職支援などいくつかあがり、4人で分担しました。

 午後7時半過ぎに家を出て、久しぶりに柏崎の父を見舞いました。だいぶ耳が遠くなりましたが、ベッドの上で本を読むなど元気でいてくれて安心しました。今晩は月がきれいでしたね。そして、気温がまた下がって、車の窓を開けていると寒く感じました。今年はかなり前から秋の虫たちが鳴いていますが、きょうは虫たちの合唱をゆっくり聞くことができました。静かな合唱をお聴きください。


2009年09月投稿分

2009年09月に投稿された全てです。

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