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2007年03月投稿分

2007年03月29日

上越市議会初の付帯決議

 3月議会はきょうが最終日。今議会の最大の焦点であった佐渡汽船の小木直江津航路問題で、上越市議会史上初といわれる付帯決議が1票差で可決されました。議長の「賛成の方の起立を求めます」から「賛成多数」の言葉を聞くまで数秒間、緊張しました。賛成したのは、市民クラブ、政新、市政会議、日本共産党議員団、自民クラブ、無所属クラブ。党派を超えた連携で、佐渡汽船や新潟県に対して言うべきことを決議したことは今後の存続問題に大きな影響を与えるでしょう。
 明日からはいよいよ県議選です。この日記は、8日の投開票が終わるまでお休みさせていただきます。
 付帯決議全文は次のとおりです。
 議案第4号 平成19年度上越市一般会計予算に対する付帯決議
 上越市と佐渡市を結ぶ小木・直江津航路は、「海の道」国道350号を往来する公共交通機関として、住民の足であるとともに物流や広域観光を担う極めて重要な航路である。
 したがって、厳しい経営状況にあるこの航路の維持と安定運航は、当市の活性化や拠点性の確保にとって欠くことのできない要件であることから、小木・直江津航路安定運航事業負担金については、その必要性を認めるものである。
 一方、新潟県が佐渡汽船株式会社の大口出資者であることや、その財政力からして航路安定運航の確保に対するより一層の努力が求められており、関係自治体の負担のあり方は今後もなお検討を要する課題である。
 また、佐渡汽船株式会社は、2月に経営再建策を発表したものの、現段階では経営改善努力や改善見通しが明確でないことに加え、本航路の存続方針も明確に示されていない状況であり、公的支援が効果的な結果をもたらすかは不透明である。
 もとよりこの負担金は、厳しい財政の中から市民の貴重な税金を投入することであり、 慎重にも慎重を期すことが必要である。 よって、予算の執行にあたっては、その必要性を市民に十分説明するとともに、関係 自治体の動向並びに佐渡汽船株式会社の経営改善努力を見極めながら慎重に対処し、 最大限効率的かつ効果的な成果が得られるよう努力すべきである。また、今後の検討にあたっては、諸課題のあり方を見直すことも含め、適切な方向性が得られるよう努力すべきである。
 以上決議する。
           平成19年3月29日      上 越 市 議 会
 


2007年03月28日

ピント(焦点)がなかなか…

 昨日、確認したヤマザクラの写真を撮ろうと、朝早くにデジカメを持って出かけました。ところが、接写しようとしても何故かピントが合わないのです。白い花のせいなのか、バックが反応するのか。朝がだめなら夕方はどうかと思い、夕方、再び出かけ、やっと使えそうな写真に。これで次号の市政レポートに載せることができます。ヤマザクラの種類は豊富で、私たちのところでは、5月の連休前あたりの山々がいちばんきれいで、白い花からピンクのものまで見事に咲きます。
 さて、きょうは休会日でしたが、市役所で仕事をしました。午前9時過ぎから午後1時頃までは県議選告示後でも配布できるビラづくりでした。県の選対部長と連絡をとりながら、何度も修正をかけ、なんとか完成させました。印刷屋さんは新潟市です。午後から印刷に入ったはず。これで明後日の告示日には間に合うでしょう。それから議員団ニュースを作成し、明日の討論原稿を準備しました。できるだけ問題点に焦点をあてて、コンパクトに、をこころがけたのですが、なかなかうまくいきませんでした。あとは市政レポート作成です。30日は1日中、候補カーに乗りますので、明日の朝までに作成しないと赤旗新聞に折り込むことができません。間に合えばいいのですが。


2007年03月27日

市民はいろんなところを見ている

 きょうは一般質問最終日。午前に元議長など2人が質問をやって終わりとなりました。定例会で一般質問をする議員が30人を下回ったことの記憶はありませんので、今回の27人というのは、一昨年に市議会に出てから、一番少ない質問者数だったように思います。一般質問のために5日間をみてありますので、いつもより余裕を感じました。一日に質問者が8人とか9人といった時のような疲れはありません。
 ところで本会議はテレビ中継(インターネット中継も)されていますが、見ている人は、様々な関心を持って見ています。昨日は、ある人の一般質問中、熟睡している議員の姿がテレビに映り、一市民が抗議のファックスを送ってきました。それを見た議長は、「議員の皆さん、姿勢をただしてください」と注意しました。私は昨日の質問で、保健集会の大切さを分かってもらうために黄色のセラバンドをポケットから取り出して話をしましたが、ある80代の女性は「橋爪さん、今度、手品を始めたようだ」と言っていたといいます。視聴者の皆さんは、いろんなところに注目してみているもんだなと思いました。私の質問は上越市議会HPの26日の過去の中継でごらんいただけます。
 めずらしく、きょうは明るいうちに家に戻りました。玄関の戸を開けたら、母が、「ちょうど良いところに来てくれた」と言います。父をお風呂に入れたものの、風呂から上がってベットのそばまで行って転び、そのまま動けなくなっていたのです。荷物用のロープをベッドの一部にしばりつけ、何とかベッドまで上げようとしていたのですが、体の小さな母の力では無理でした。父を抱き上げ、ベッドに上げてやったら大喜びしていました。早く帰ったおかげで、開花したヤマザクラも見ることができました。


2007年03月26日

「地区専属カメラマン」

 きょうは一般質問4日目、私の出番です。登壇してしまえばどうってことないのですが、それまでが何となく落着きません。私の場合、事前の準備として必ずやることにしているのはイメージトレーニングです。なるべくメモも読まないようにと意識していますので、自分の質問の展開を頭の中で何回かやっておかないと途中でつっかえてしまうことになります。前回は質問の途中でメモを落とすというハプニングもあったので、今回は念には念を入れて準備しました。
 今回の質問で目標の1つにしたのは、「上越市農業の担い手」は誰か、国の担い手要件を満たす人や経営体だけでなく、満たさなくとも農業に意欲のある人はみんな「上越市農業の担い手」であることをハッキリさせることでした。市の基本条例に立ち返り、クローズアップさせることができたと思います。保育園の給食、通園バスの制度統一のあり方については、当初、手続き、内容の両面から問題ありとして詰めていく作戦でしたが、担当した職員たちがそれなりに努力している点を考慮し、市長の保育にかける思いを引き出して要求実現につなげていく展開にすることにしました。しかし、職員が用意した原稿から離れて持論を語る市長の姿を求めたのは無理があったようです。いまいちでした。限界集落対策は06年度の調査を踏まえ、新たな取り組みをしてもらえることを確認できました。これはバッチリ。新年度の動きに注目です。
 夕方からは県議選の政策担当者会議です。事実上、告示以降に配布するビラ作成の検討会でした。県党の政策委員長、選対部長をまじえ、いまの党派を超えた支持を持続させ、さらに拡大していくためにどうするか。上野こうえつさんがこれまで果たしてきた役割、実績を打ち出す、市民の期待の声を連打する、こうしたことに重点を置きながら話し合いました。この種の会議は固くなりがちですが、今回はとても楽しい会議でした。上越民報3月号外が上越地区以外でも話題になっていて、写真をどうするかだけでも笑いが生まれるのです。3月号外で表面の写真を撮影した旧大潟町議会議長の後藤紀一さんの評価は高く、「誰々の写真は、地区専属カメラマンにお願いしましょう」といった調子で、次々と声がかかる忙しさです。後藤さんには「地区専属カメラマン」というあだ名がつきそうです。


2007年03月25日

吉川区は震度4

 ちょうどパソコンを閉じて外での活動を開始しようとしていた時でした。最初は静かに、やがて大きな横揺れがやってきて、家から外へ飛び出そうかどうか迷うほどでした。ガスもストーブも自動的に停止しました。震度4。これほどの大きな揺れは中越地震以来です。総合事務所へ出かけると、すでに職員の大半が出ていて、調査活動などに追われていました。吉川区内では、吉川高校の校舎の外壁のキズが少し広がったことが被害と呼べるくらいで、あとの被害はいまのところゼロです。
 午後からは一般質問のための追加調査を行い、その後は再び総合事務所へ。明日の私の質問では、総合事務所の所長も木田事務所に来ているようにとの指示が出ているとか。保育園問題では、こちらが想定したような質問の展開はなかなかさせてもらえそうもない状況になってきました。ならば、こちらも切り口を変えていくしかありません。変な細工をせずに、正面から単刀直入に迫ります。大事なことは1つの問題でカッカして、他のテーマの質問時間を無くさないこと。注意しなくては。
 夜は上越北部地域の県議選勝利めざす決起集会でした。党県委員長もやってきて、応援してくれました。地元のお寺の住職さんが応援演説に立ってくださったのは感激でした。誠実に頑張る。努力家で一生懸命。発言力があって、話を聞けばホッとする。そして男前。ご住職が語る上野公悦さんの魅力です。ここにきてずいぶん盛り上がってきたと思いますが、夜遅くなって、明日から反共演説が始まるとの情報を伝えてくれた匿名電話がありました。油断は出来ません。


2007年03月24日

誕生日

 議会の最中、しかも県議選もあるという状況にあって、頭の中が混乱していたのでしょうか、すっかり忘れていたことがあります。ホワイトデーです。もらう日のことはしっかり憶えているのに、こちらから渡す日となると忘れてしまうなんて……。チョコをくれた女性には申し訳ない。どこかでお菓子でもやっておかないと、来年のバレンタインデーはチョコなしとなりそうです。
 さて、きょうは私にとって、もうひとつの「もらう日」です。もちろん私は憶えていました。家族の中でだれかひとりくらい憶えていてくれる者がいるだろうと期待していたところ、一緒に買物に行った妻が、買おうとしていた商品の製造月日の日付をみていて気づいてくれました。このおかげで、夕食後のデザートに牛乳羹といちごを食べることができました。
 きょうの誕生日は、一日中、「しんぶん赤旗」日曜版の配達と集金でした。上越民報3月号外に載っていたHさんと同級生だという人が3人もいました。あまりにもでっかい写真でびっくりした、良い写真だったと評判でした。午後からの配達は、軽トラではなく軽乗用車となりました。別に誕生日と重なることを意識したわけではありませんが、車屋さんから自動車税のこともあるから交換してと言われて交換したのです。これまで乗っていた軽トラのナンバーは8156、覚えるのに「はい、ごくろうさん」と語呂合わせをしていました。走行距離約19万キロ、本当にご苦労さんだったと思います。


2007年03月23日

一般質問3日目

 午前の一般質問中、落着きませんでした。というのは、質問がどんどん進み、このままでは私のところまで進みかねない状況になってきたからです。じつは質問メモは家に置いたままでした。手元にあるのは質問通告だけ、これだけで質問をやるということになったらどうするか。あわてて、新たなメモ作りをしました。家に帰って既存のメモと比べてみると、質問の展開はかなり違っていました。面白いものですね、追い込まれてバタバタ作ったものの方がよくできていたのです。これで26日午前10時過ぎからの一般質問が楽しみになってきました。
 一般質問の通告を遅く出すと、質問しようと思う項目が前の質問者とダブルことがあります。私が今回とり上げるテーマの1つ、保育園をめぐるサービスについてもそう、きょうの柳澤質問でとり上げられました。保育園バスの制度統一の進め方については、私が先の厚生常任委員会で担当部長に確認した内容とほぼ同じでしたが、興味深かったのは、保育園バスと受益者負担の議論でした。保育園に近い距離にある人が乗用車に乗せてもらったり、歩いてくる人との「公平性を確保」するためにはバス利用者から相応の負担を徴収すべきだとする市側に対して、行政側の都合で保育園の位置が決まる、近くになった人の方が、通園に関しては「受益」があると考えられないかと、同議員は逆に問題提起しました。内容的に説得力があり、一つひとつキチンと整理し、詰めていく質問のやり方も学ぶところがありました。
 きょうの一般質問は6人で終わりました。私は26日の2番手です。早ければ午前10時15分ころ登壇することになるでしょう。


2007年03月22日

他党派も注目、上野こうえつ氏の動き

 きょうから一斉地方選挙がはじまりました。新潟県は知事選挙がないため、いまのところ静かですが、県議選告示まであと10日と迫りました。市議会では休憩時間の議員控え室、トイレなどで県議選の話をすることが多くなってきています。きょうは、他党派の2人の議員から選挙情勢などで話しかけられました。2人とも「上野こうえつは勢いがある」として、「これからどういう戦いをするんだ」などとたずねてきます。みんな、自分が応援している陣営に有利になる情報をと必死です。こちらも頑張らなくては。
 きょうは一般質問2日目でした。27人の質問者の中でただ1人、木浦市長の「政治とカネ」をめぐる問題をとり上げたのは議員生活35年の本城議員でした。合併して国政選挙並みの広さがあるから市長選では多額のお金がかかったとする市長に対して、「市民からは、市長は金銭感覚が麻痺しているのでは、という声もある。お金がかかるのではなくて、お金をかけたのではないですか」と切り込む本城氏。議員の中には、「市長は緊張して、あがっていたようだ」との声も聞かれました。市長選をめぐる献金問題は一見静まった感じがしますが、県議選のあとに動きが出てくるでしょう。
 18日の「見てある記」で、近々、上越民報3月号外を党市議団のHPに載せますよと書きましたが、きょう、やっと掲載することができました。話題となっているビラです。クリックして、ご一読ください。


2007年03月21日

大島区で街宣、ビラ配布

 きょうは大島区を中心に街頭宣伝でした。上野こうえつ事務局長が演説している間に乗員がビラをまく。このスタイルで約400枚のビラを配布しました。たかが街宣と思う人もありましょうが、街宣をやっているといろんなドラマがあります。ある家へビラを持っていったら、「私、小さな時、あんたと遊んだことがあるんだよ」と声をかけられました。年齢は60歳ちょっと前くらいの女性です。どんな遊びをしたのかまったく記憶にありませんが、わが家があった尾神で遊んだということでした。多分、わが家の裏にあった家の親戚筋の人でしょう。もう50年くらい前の話をしてくださるなんて、ありがたいことです。
 わが家の親戚の人たちも歓迎してくれました。「(立候補予定者が)誰もこないところによく来てくれた」と母の実家の従兄は軽トラで迎えに出てくれました。従兄のお連れ合いも、わざわざ宣伝カーを追いかけて下の集落へ。そして先日亡くなったばかりの伯母の家では、美味しいぼたもちと漬物をご馳走になりました。親戚でない家でも、ビラを持って行くと、「おかあさん、達者でいらんたかえ」と声をかけてくださいます。こんな調子ですから、大島区旭地区に行くと、不思議と元気になります。みんな良い人ばかりなので、上野こうえつ事務局長もすっかり気に入ったようです。
 大島区大平でビラを配布していたら、大工さんがある家の2階で仕事をしています。見上げると、そこにいたのは私の従兄の子どもさんのYさんでした。「ビラを配っているといつも会うねぇ」と言うと、「そうですね」とニコニコ顔です。この大平には禅宗のお寺がありますが、この寺の玄関にはたくさんの履物が並んでいました。何かあるんですかと尋ねたところ、「きょうは団子まきです」という言葉が返ってきました。子どもたちの楽しそうな声が聞こえたので、奥へ入っていきたくなりました。大平では小日向党新潟県委員長と合流。上野事務局長の演説を聴いて、「いい演説だね、説得力がある」とほめていました。


2007年03月20日

信越化学で爆発事故

 1枚のメモが議長の手元に渡されたのは一般質問の最中、午後4時半過ぎだったと思います。議長と議会事務局長が何度も話をする、事務局職員が質問者にメモを渡す、そのうち防災局長が退席するという事態に。私を含めて議員は何事が起きたかと思いました。ひょっとすると質問者の近所で火事が発生したのかとも思いました。質問が終わりに近づいた頃、ようやく全議員にメモが配られましたが、頸城区西福島の信越化学工業直江津工場で爆発事故が発生していたのです。質問していた議員は古澤議員、元信越化学の職員です。よく動じないで質問をしたと思います。事故では重傷者も出て、近くの住民は避難しました。議長はこういう時にどうしたらいいか、迷ったようです。緊急事態ですから、いったん休憩にして情報を伝えるという措置をとってもいいのではと思いました。
 議会が終わってから、議員控え室に戻り、窓から同工場方面を見ると、黒い煙が上がっていました。すぐに赤旗記者に連絡を取り、議会報編集委員会のあった樋口議員を市役所に残し、杉本議員と一緒に現場に向かいました。現地は通行止めの措置がとられていたので、なるべく近くまで行き写真を撮り、住民の声を聞いてきました。現地の上空は取材のヘリコプターが旋回していました。おそらく全国に伝えていたのでしょう。日刊赤旗に間に合ったかどうか。それにしても同工場の事故はこれで3回目です。防げなかったのは何故でしょうか。負傷した人たちが気になります。


2007年03月19日

35年ぶりに再会

 大学4年生の時、工学部自治会再建のために支援の活動をしたことがありました。一緒に動いたのは当時、工学部1年生だった人たちです。そのなかの1人に旧板倉町出身のAさんがいました。同じ上越地方から大学に来ているということもあって、特に親しく付き合いをしていたのですが、私が卒業してからはまったく会うことがありませんでした。その彼ときょう、市役所で35年ぶりに再会しました。頭の毛に白いものが混じってはいましたが、学生時代と同じ顔をして、誠実さもそのまんま、うれしかったですね。
 約50分間、コーヒーを飲みながら話をしました。一昨日から、どんな話をしてくれるのか楽しみにしていましたが、35年前のことを次々と思い出させてくれる話の内容にドキドキすることばかりでした。自治会役員選挙で勝利するために日和山海岸まで後輩たちを連れて行き、そこで演説の練習をしたことは完全に記憶から消え去っていました。私が食べるものに困っていて、豆腐に醤油をかけるだけのオカズで食事をしているのにびっくりしたとか。よく憶えていてくれたものです。当時、私が愛読していた本のひとつに、秋田県横手市のむのたけじさんの『たいまつ』がありましたが、その本は彼のところに渡っていることが判明しました。私の文章はむのさんの文章のスタイルに似ていると言われました。今度、読み直してみたいと思います。
 きょうは総務常任委員会にちょっと顔を出し、その後は一般質問の準備や県議選の流しスポット原稿の作成などをしました。これであとは3月議会に集中できるなと喜んでいたら、夜9時頃に党地区委員長から電話があって、「選挙葉書はおまんに頼んであるそうだけど、急いでやってもらえないだろうか」と言われ、ドキッとしました。そう言われれば、数日前、選対事務局長から要請され、「やってみましょう」と返事をしていたのです。すっかり忘れていました。明日の朝までには原案を作成し、明日の夕方には集団的な検討に入ります。できるかどうか、心配です。


2007年03月18日

日曜日とはいえフル回転

 県議選告示日が近づくにつれ、日曜日は忙しい日となります。きょうは朝からフル回転でした。「しんぶん赤旗」日刊紙の配達、ポスター貼り、上越民報の配布、生活相談、囲む会、そして選対会議と続きました。すべて終わって家に帰ったのは夜11時過ぎでした。昨日出来上がってきた上越民報は、29日までに配布しなければならないものです。早めに配布しようと後援会の人たちにも手伝ってもらい、きょうだけで4分の1くらい終えました。上越民報は一両日中に党市議団のホームページに掲載します。
 シリーズ「春よ来い」の第76回、「サルトコの日に」を掲載しました。ご笑覧ください。また、このページの上部に『春よ来い』についてお寄せいただいた感想の一部を紹介しました。これもご覧ください。


2007年03月17日

寒さぶり返し、まるで2月のよう

 時折雪が脅かすように降る。しかも寒い。まるで3月と2月が入れ替わってしまったのではないかと思うような天候でした。原之町の忍西寺で行われた旧吉川町助役・平野松治さんの葬儀は元役場職員、現在の市役所職員などが大勢参加し、お御堂は満杯状態でした。平野さんとは私は産業課長になられた当時からのお付き合いです。柔軟だが自分の考えをしっかりと持っている、そう感じてきました。退職してもずっと私の活動を励ましてくださいました。年末に脳梗塞で倒れられたことを喪主の挨拶で初めて知りました。お見舞いに行けなかったのが心残りです。
 葬儀が終わってから、市政レポートの裏面の仕上げをしました。シリーズ「春よ来い」の76回目は伯母の壇払いの日のことをサルトコ(凍み渡り)に焦点をあてて書いてみました。バタバタと書いたので、明日いま一度点検した上でネットに載せます。その後は、「しんぶん赤旗」日曜版の配達でした。一部の集落では、今朝出来上がったばかりの上越民報号外も一緒に配りました。号外ビラは思った以上によく出来ていて、何人もの人にこのビラをバッと広げ、支持を訴えました。表面は玄関の中や部屋の壁に貼っておきたくなります。
 きょうはうれしいことがありました。大学の後輩から会いたいとの連絡が入ったのです。この人は旧板倉町の出身で、私も一度会いたいと思って探したのですが、わかりませんでした。ところが彼は数日前、高田の春陽館書店で私の本を見つけ、読み、どうしても積もり積もった話をしたい、会いたいと電話をくれたのです。19日、彼と35年ぶりに再会します。背が高く、真面目な性格の彼の口からどんな話が聞けるのか、とても楽しみです。


2007年03月16日

総務常任委員会2日目

 昨晩、上越民報3月号外についていくつか注文を寄せられました。それで今朝は一番に印刷屋さんへ行き、手直しをしてきました。これで校了です。集団的な作業で作られたビラがどんな顔をして出来上がってくるか、仕上がりは明日の朝になります。党地区委員会では、阿部委員長などの幹部が今回のビラを高く評価してくれ、急遽、1万枚増刷することになりました。
 きょうの市議会は総務常任委員会2日目でした。ここ数日の睡眠不足がたたり、傍聴していたら、強烈な睡魔に襲われました。そこへ、市職労の専従職員から相談したいことがあると連絡が入ったので、委員会室を出て議員控え室で対応し、その後は一般質問の準備などをしました。委員会では副市長を2人置く条例をめぐって活発な議論がされたといいます。上越市では副市長という言葉を以前使用したこともあり、今回の地方自治法の改正に伴う助役と副市長の違いを認識しないと頭の中は混乱します。どんな議論になったか聞いてみたかった。


2007年03月15日

読みたくなって、配りたくなるビラ

 きょうは朝から夕方までビラ作りに専念しました。上越民報3月号外です。県議選を目前にしてのビラですので、公選法に触れないように県の担当者から綿密にチェックをしてもらいながら作業をすすめました。出来上がったビラは、表面は全面が写真という大胆なつくりにしました。裏面は県政における無駄遣い、暮らしを守る課題などについてわかりやすく整理しました。先日の会議で、手にとってみたくなる、読みたくなる、そして読んだら、誰かに「読んでみない」と配りたくなるビラにしようと話し合いましたが、それにかなり近づけたのではないかと自負しています。印刷してできあがってくるのは土曜日です。お楽しみに。
 夕方の6時から、初めて市職労の学校給食調理員全員集会に参加してきました。学校給食問題での全員集会はこれで7回目といいます。民間委託という攻撃を受け、組合の中でも一番燃えているのが調理員部会です。今回は、市民クラブの仲田議員と共に先日の文教経済委員会での学校給食関係の審議について報告してきました。集まった組合員のほとんどは女性で知らない人ばかりだと思っていたのですが、話している途中、後ろの方に吉川区出身の調理員の姿を見つけました。うれしかったですね。私の報告は整理がいまいちでしたが、落着いて話すことができました。集会では署名運動をさらにすすめて頑張ることが確認されました。私も頑張りたいと思います。


2007年03月14日

問題解決のカギは鍵だった

 心配した軽トラのトラブルはカギそのものに原因がありました。すり減っていたのです。19万キロ近くも乗っていれば、こういうこともあるんですね。予備の鍵を使ったら、一発でかかりました。きょうはこの軽トラを運転して昼休みに消防本部に出かけてきましたが、途中でワイパーがはずれるというハプニングがありました。いよいよ限界です。代わりの軽乗用車は週末にわが家に届くという連絡が入りました。それまでだと思ったら、何となく愛しくなってきました。
 市議会は厚生常任委員会の3日目でした。私の出番はなく、一般質問で答弁する担当課と再度、意見交換したり、議員団ニュースなどの準備をすすめました。午後から取材のため、清里区総合事務所を訪れました。学生時代の後輩がいろいろ心配してくれたので助かりました。彼も私の本を読み、「読むと癒されるよ、いい本だよ」と宣伝してくれていることがわかりました。ひとのつながりでずいぶん助けられているんだなと思いました。


2007年03月13日

軽トラがトラブル

 夜9時半過ぎでした。きょうの会議が終わって、さあ、家へ帰って頑張ろう、そう思って軽トラに乗り込んだのですが、スイッチがかかりません。急遽、自動車屋さんと連絡を取ったところ、スイッチの本体がやられたか、鍵そのものがすりへっていてだめなのか、どちらかなのだそうです。現場で1時間近くすったもんだしたものの、最後はあきらめて友人の車を借りて家に帰りました。明日はこの軽トラの対応からはじまります。
 きょうは市役所で一般質問の通告を行いました。農業問題、保育園をめぐる制度統一、限界集落対策の3つのテーマで質問します。通告の順番は21番目でしたから、23日の午後か26日午前の登壇になるでしょう。通告後、小木直江津航路問題で他会派と意見交換をしたり、質問テーマを担当する課長などからの「質問どり」を受けたりで夕方までかかってしまいました。


2007年03月12日

思わぬ展開

 生活相談は思わぬ展開をすることがあります。先日、若い女性から1枚のはがきをもらいました。そのなかには、保育料のことや、通園バス、保育所での給食のあり方についての要望がびっしりと書かれていました。しかも問題点をよく整理してあります。きょうはこの要望事項を吉川区総合事務所や木田事務所で調べていったら、旧市町村で違っていたサービス水準の統一の基本まで踏み込まないと解決しないことが分かりました。こうなると、今議会で私がとり上げるには一般質問しかありません。急遽、保育問題を質問項目にすべりこませることにしました。
 きょうはこの生活相談への対応の他、厚生常任委員会の傍聴、県議選の準備などで動きました。今年の1月から2月にかけて行われた13区の地域協議会では公共施設使用料金の統一をめぐって反対に近い厳しい意見が相次ぎました。結果としては諮問案に反対しなかったものの、その思いを付帯意見や自主的な審議事項として意見をまとめ、提出した地域協議会が少なくありません。きょうの委員会の議論を聞きながら、そうした状況をふまえた対応の大切さを改めて感じました。


2007年03月11日

『春よ来い』、10週連続でベストテン入り

 ついに10週連続となりました。新潟日報や朝日新聞新潟版は毎週日曜日、新潟地区、長岡地区、上越地区に分けて「売れている本」を1番から10番まで掲載していますが、私の『春よ来い』がこの中にきょうで10週連続入ったのです。前回の『幸せめっけた』が3回しか入りませんでしたから、これはびっくりでした。きょうも、尾神岳報尽碑研修会で真宗大谷派の人たちと話す機会がありましたが、安塚区、大潟区などのお寺の住職のみなさんも読んでいてくださいました。読んだ人が、「この本、いいよ」と広めていてくださることもわかりました。感謝です。
 さて、その尾神岳報尽碑研修会についてです。最初の基調講演からパネルディスカッション、交流会まで参加しました。「報尽碑の過去・現在・未来」と題した上野實英さんの講演はますます磨きがかかって、聴衆をひきつけました。興味深かったのは、1883年(明治16年)3月12日の雪崩事故が何故後世に正しく伝わらなかったのかという点に関する言及です。上野さんは、「自由民権弾圧事件として有名な高田事件の方に新聞社が目を奪われ、遭難の取材が取材が徹底しなかったという説もあるが、私は、死の一歩手前までいった、心的傷害が大きかったのではないかと思っている」と語りました。最後の未来を語るところでは、「親鸞ブームは必ず起きます。尾神岳報尽碑は信心を示す大事な碑であると同時に、この地域に住んでいた先人たちが100年前にどういう暮らしをしていたかを知り、先人の思いを知る重要な文化財。地域おこしに役立ててこそ碑は活きる」と結びました。この話を聞いて、地元の人たちも元気が出たのではないでしょうか。
 パネラーの発言にも注目しました。みんな報尽碑にかかわる思い出を持った人ばかりです。尾神町内会長の長谷川勉さんは、「碑に至る道は昔から『牛街道』と言われていた。牛馬が通るのがやっとの道だったが、災害復旧工事などで自然と広くなり軽トラが通る道になった。碑があるあたりは『セキトウ』と呼ばれていたところで、アケビがいっぱいだった」と子どもの頃の話を中心に紹介しました。また専徳寺の住職である松村公雄さんは、小学3、4年生頃、父親などと一緒に歩いて碑のところへ行った記憶を語りました。「あたりはカヤやぶつで、草ぼうぼう。まだかまだかと思いながら、やっとたどりついた。碑の周辺の草刈りは、最初の頃、名木山の永法寺、村屋の善立寺と専徳寺で何年も続けた」などといった話は初めて聞きました。報尽碑に至る途中の案内看板の中には間違った誘導をしやすいものがあること、遊ランド前のような大型観光案内看板はもっと地元や関係者の意見を聞いて作製してほしいとの指摘や要望も出ました。
 研修会が始まる前の1時間くらい、上野公悦さんと吉川区内をまわり、5箇所で街頭演説をしました。後援会の人たちが事前に案内をしていてくれたこともあって、どこでも聴衆がいて、元気づけられる「まちかど演説会」となりました。きょうは女性後援会の人たちが大勢参加していて、とてもにぎやかでした。車で近くを通った人たちには「勢いがあるな」と感じさせるパワーがありましたね。


2007年03月10日

一気に浮上していく作戦の検討

 党の県選対部長を迎えての県議選政策検討会議が開かれ、参加してきました。県議選上越市区の各予定候補の動きと主張などを分析しながら、わが党の上野こうえつをどう浮上させていくか真剣な議論が続きました。私自身も、このままでは善戦健闘で終わってしまう、どこに力点を置いて活動を展開したらいいのか、整理できないところがあったのですが、やはり集団的な検討です、告示前までに一気に浮上していく作戦が見えてきました。この会議で改めて任務分担をし、私は杉本市議とともにビラの作成の仕事をすることになりました。来週の前半は議会の一般質問の準備とビラ3種類の作成で大忙しとなりそうです。
 きょうは、この政策検討会議に出席した後、「しんぶん赤旗」日曜版の配達、ショートスティへ行っている父の迎え、買物などをしました。遅い夕飯となったのですが、その際、NHK総合テレビの「のど自慢チャンピオン大会」を観ていたら、ひき込まれ、とうとう最後まで観てしまいました。上手な歌そのものの魅力だけでなく、歌い手の様々なドラマ、審査員のコメント力のすごさに、心の中で何度拍手したことか。いい番組でした。


2007年03月09日

文教経済常任委員会3日目

 やっと終わりました。というより、終わってしまったというのが実感。文教経済常任員会審議のことです。教育委員会からはじまり、農林水産部、産業観光部と続いたのですが、今回は3日間とも午後5時を大幅に超えての会議となりました。それでも質問したいことの半分も質問できませんでした。私だけではないはずです。委員長が「簡潔に」を連発し、質問者や答弁者に協力を求めても、こういうことになったのは、議案の分量からいって3日間は短すぎだったということです。ひとつの常任委員会で3日間という基本があるなら、予備日を使えばもっと余裕を持って議論できたのにと反省しています。
 きょうは、今議会の焦点の1つとなっている小木直江津航路問題が議論の対象になりました。委員長が「次、直江津港振興事業…」と言った途端、さっと3人の手があがりました。私もその1人です。残念ながら一番手として想定した質問はできませんでしたが、隣の席にいる山崎一勇議員が気合の入ったいい質問を展開してくれました。航路安定運航事業補助金は新潟県が7500万円、佐渡市が6500万円、上越市が6000万円。佐渡汽船に対する出資状況ひとつとってみても、3者がほぼ均等というのは解せません。佐渡汽船はやるべきことをやっているのか、5割を超える出資をしている新潟県がこれでいいのか。きょうの審議で、今回の補助金に対する批判的な声は党派、会派を超えて広がっていることがわかりました。29日の本会議での採決では予想外の展開があるかもしれません。
 きょうの委員会で心残りは、親鸞聖人上陸800年にともなう取り組みについてちょっぴりしか質問できなかったことです。上陸800年を機に上越市をアピールしたい。観光振興を図りたい。これがいま前面に出ています。それは間違いではないにしても、そもそも、800年前に直江津の居多が浜に着いてから上越の地で親鸞聖人が残したものは何であったのか。そういうことにふれる話をしてみたかったのですが、「時間がないというのに、また演説がはじまった」と言われそうな気がしてやめてしまいました。別の機会にやりたいと思います。


2007年03月08日

文教経済常任委員会2日目

 昨日からの雪は朝まで降り続き、今冬最高の積雪になりました。50~60センチになったのではないかと思います。このおかげで、きょうはたいへん忙しい日となりました。朝6時過ぎから除雪機を動かし、約2時間除雪作業をやりました。父がショートスティに行く日だったので、まず、道を開けなければなりませんでした。それに、がんぎなど羽目板をはずしてあるところは除雪しないとガラスが割れてしまいそうでした。
 除雪もたまにやると、ちょうどよい運動量になるのですが、今朝は、早く起きて議員団ニュースを作成したこともあって、ぐったりしてしまいました。そうしたなかで一番心配したのは、まともに委員会審議に参加できるかでした。なんとかもちましたが、しゃべりの回転はいまいちでしたね。長年の経験からいって、質問を前にして大事なのは質問そのものの準備よりも疲れを残しておかないことです。そのことは十分分かっていたはずでしたが……。
 きょうの委員会審議で最も注目されたのは学校給食調理部門における民間委託問題です。城北中学校で新年度から試行することで準備が急ピッチで進み、受託業者もきょう発表されました。委員会メンバーのなかには「学校給食を考える会」代表委員が私を含めて3人いますので、みんなで追及していくことを大切にして、私は一点突破作戦でいくことにしました。試行というなら、どういうポイントでチェックしていくのか、そしてどういうことになったら続けるのか、あるいはやめるのか。約30分、詰めていく質問を展開しましたが、市教委側は整理した答弁ができませんでした。おそらく、こういう角度からの議論はほとんどやっていなかったのでしょう。


2007年03月07日

寒さぶり返しブル出動

 ちょっと急ぎすぎたようです。がんぎの羽目板をはずしたというのに雪が降ってしまいました。きょうは朝から雪、除雪ブルドーザーが久々に出動しました。ところによっては、除雪ブルが2回出動したそうです。朝、市役所に向かう時点では積雪が5センチほどだったのに、夜、家に戻った時点で積雪は30センチほどになっていました。眠っていたわが家の小型除雪機も今冬初めて使いました。
 さて、市議会の方は、きょうから3日間、私が所属する文教経済常任委員会です。1日目は教育委員会関係の議案審議でした。一般会計の補正予算からスタートしたのですが、質問したいことだらけでした。予算現額と決算見込み額の差が極端なものの原因、施設使用料条例の改定と各区地域協議会の意見書の関係、清里中学校体育館の実施設計委託料減額補正の背景にある地域事業の平準化の実態と地域協議会など次々と質問しました。広大な市域にあっては、地域の重要課題は地域協議会でしっかり議論する。そしてそこでの意見を尊重して市政運営をすることが大切です。私の質問で、清里中学校改築計画の変更について地域協議会に状況説明はしたけれど諮問をしていない事実が判明しました。きょうの質問では、地域協議会の大切さを改めて浮き彫りにできたかと思います。
 補正予算と条例審議に時間をかけた分、新年度の予算審議が遅れました。新年度予算のなかで最も注目されているテーマの1つ、学校給食民間委託問題についての議論は明日に持ち越されました。質問資料を家に忘れてきてしまっていたので、助かりました。明日の委員会は、教育委員会の残りをやって農林水産部関係へと進みます。
 今朝の「しんぶん赤旗」日刊紙の関東甲信越版に私が送信したキクザキイチゲの写真と紹介文が載っています。カラーではありませんでしたが、「自由民権の道を彩るキクザキイチゲ」という素敵なタイトルをつけてもらいました。


2007年03月06日

第28回吉川中学校卒業式

 昨日に続いてきょうも強風が吹き荒れました。質問資料の収集のため、午前に市役所木田事務所へ行ってきたのですが、横風を受けたときの軽トラはどこかに持っていかれそうで不安になるほどでした。道路上にも、明らかに風が運んだとわかる障害物が2ヶ所ほどありました。ひとつはトタン、いまひとつは木の根、どこから来たのか。
 きょうは吉川中学校の卒業式です。昨年は私の所属する市議会常任委員会開会中のため欠席させてもらいましたが、今年は運良く別の常任委員会でしたので参加できました。風が吹いている音が体育館の中でも聞こえてきました。中学校の卒業式で毎回楽しみなのは、卒業生による合唱です。今回歌ってくれたのは「僕達のLast Song」、いまから5年ほど前に調布市の中学生たちが作詞し、全国にあっと言う間に広まった歌です。初めて聴きましたが、中学生の気持ちをよくあらわした歌詞と伸び伸びしたメロディが素敵です。混声合唱にはピタリの曲でした。
 今回の卒業生の中には私が知っている生徒が6人ほどいました。いずれも小さな、ヨチヨチ歩きの頃から知っています。式典がすべて終わって卒業生を送るとき、来賓も保護者も体育館の真ん中に出て送りました。背が高くなっていて、つっぱっている感じの生徒もいましたが、よく見ると、みんな子どもの時と同じ顔でした。


2007年03月05日

建設企業常任委員会2日目

 党議員がいない建設企業常任委員会は交替で傍聴しようと決めてあり、きょうは私の当番でした。
 新年度一般会計予算審議の中で道路新設改良費の議論を大きな関心を持って聞きました。昨年度よりも2億1700万円も減額された原因を問われた市側が1番目にあげたのが、13区の地域事業の平準化に伴う見直し。そして次ぎにあげたのは予算編成における枠配分の影響でした。質問によって、これまで工事をやってきてまだ終わっていない継続事業路線の中で、新年度は工事を休止する路線が8つもあることがわかりました。用地取得の関係でストップするのは理解できるにしても、18年度に工事をやったところで事業効果を見たいからお休みするというのは理解しがたいものでした。
 きょうの委員会で一番「盛り上がった」のは、新幹線新駅周辺整備事業のところです。「どう考えても、このままうまくいく事業ではない。山陽新幹線の視察に行ってきたが、駅周辺開発がうまくいっていないところがたくさんある。決まった事業ではあるとはいうものの、見直すべきではないか」と口火を切ったのは名立区選出の塚田議員でした。これにたいして市側は、「長い議論を重ねてきた。骨格的なところは変えるべきでないと思っている」とつっぱねたものの、勉強会的なもの(どんな言葉で答弁したか、正確にはおぼえていない)をやってもいいというニュアンスの答弁をしたものですから委員会室は賑やかになりました。率直に言って、「こことここはおかしい。ここはこう変えた方がいい」と具体的な議論をしないと感情だけが先行してしまって議論は深まっていきません。私も似たようなことを何回かやっているので、気をつけなければと思いました。
 夕方、テレビで天気予報を観てなるほどと思いました。3月の上旬だというのに、上越地方の最高気温は22度を越えていたからです。委員会室では上着を脱いでワイシャツ姿になる人が何人かいましたが、確かに暑かったですね。


2007年03月04日

陽射しを受けとめるキクザキイチゲ

 午前は床屋さんへ行った後、生活相談と集金でした。生活相談で行ったところは職人さんの家、そこでは、県議選の話になりました。「上野さんは大丈夫か」とその人も心配してくれていたので、うれしくなりました。
 先日、ある野の花の姿が目に入ってから、どこへ行っても野の花の姿を追うクセが復活してしまっています。ある野の花とはキクザキイチゲです。私の住んでいる集落の神社の日当たりのいい場所でまず、ピンク色、紫色の花を咲かせます。ここで咲いて、しばらくすると、区内の各地で咲きます。きょうは、集金の途中で雑木林の中にしばらく入って、キクザキイチゲの写真を撮りました。毎年撮っているのですが、この花は毎年、新たな表情を見せてくれるので楽しみです。昨年から春の陽射しを受けとめる姿がとても気に入っています。きょう撮った写真の中にはいいものが何枚かあったので、上野こうえつさんのビラで使ってもらえるかもしれません。
 午後からは一昨日に続いて質問の準備をしました。農林水産部、産業観光部が中心です。どちらも新たな制度が次々と出てくるので、うっかりしていると、どんどん遅れてしまいます。農業分野ではこれまでの上越米ブランド事業、新年度から始まる「農地・水・環境保全向上対策」に注目しました。「農地や農業用水などの資源の維持保全を進める地域の共同活動への支援と、環境保全型農業を維持する先進的な営農活動への支援」と市長はのべていましたが、食料・農業・農村
基本条例を持つ市での施策展開はどうあるべきかを考え始めたら、なかなか前に進めなくなりました。


2007年03月03日

わが軽トラは廃車することに

 188552。私の愛用している軽トラの走行距離です。2日ほど前からこの軽トラの調子がよくありません。カーブをする時、直進する時…ということは走っている時全体か…キリキリキリといった、おかしな音がするのです。自動車修理屋さんでみてもらったら、「前輪の2つのタイヤのベアリングが減っていて、交換すると2ケタのお金がかかる。そろそろ車を変えたらどうか」と言われてしまいました。
 「それじゃ、探してみてくんない。カネはないから、軽の乗用車でいいよ」と言っておいたところ、きょう、「5万キロほど乗ってあるけど、しっかりしたのがあった」と連絡が入りました。車はホンダのライフ、平成9年型です。軽トラのボロ車に乗っていた感覚からすると、上級の車です。エアーバッグが付いているし、クーラーも入っている。それにエンジン音がいい。気に入ったので、購入することにしました。来週中には軽トラから軽の乗用車に乗り換えることになるでしょう。
 きょうは、午前中に、父の薬をもらいに行ったり、母の手伝いをしました。その後は、「しんぶん赤旗」日曜版の配達、集金、そして支持のお願いの1日でした。読者の方のところにも他陣営からビラが入っているだけでなく、電話などでの働きかけもけっこうあるようです。負けてはおられません。


2007年03月02日

自分の家で質問準備

 建設企業常任委員会1日目。党議員団からは杉本議員が傍聴に行くことになっていたので、総合事務所など一部で「しんぶん赤旗」日曜版の配達、集金をやり、その後は自宅に戻りました。自分の所属する常任委員会資料などに目を通すためです。日程表をよく見たら、きょうぐらいしか質問の準備をする日がありませんでした。私が入っている文教経済委員会は、教育委員会、農林水産部、産業観光部と所管する分野が広く、資料は膨大です。きょうは、教育委員会関係の資料をざっと読むだけで精一杯でした。
 きょうも天気は晴れ。羽目板をつけている家がずいぶん少なくなりました。もう雪は降らない、そう確信して冬囲いを次々とはずす人が増えています。わが家では昨日、近くに嫁いでいる従姉が羽目板をはずしてくれました。羽目板をはずしただけで、「春になった」と感じるほど居間は明るくなりました。


2007年03月01日

安塚で『春よ来い』のカット原画展

 忘れないうちに宣伝をしておきます。きょうから9日まで、安塚区の菱里郵便局(キューピットバレーの2キロほど手前)で私の本、『春よ来い』で使用した弟のカットの原画展をやらせてもらっています。局長は吉川区のEさんで、弟の同級生です。いうまでもなく原画には本とはひと味違ったというか、本物の魅力があります。繊細な筆致で農村の良さを描いた作品が多く、私も気に入っています。お近くの人はぜひ訪ねてみてください。
 さて、総括質疑2日目。矢野、仲田、杉本議員などの力の入った質問が続き、市長にとってはたいへんな1日でした。小木ー直江津航路への6000万円もの財政支援は佐渡汽船への赤字補填ではない、航路存続支援だと「坦々と語る」市長の「論理」は、もっと自分の言葉でわかりやすく語らないと理解されませんね。副市長制を採用して2人置くということでもそうでした。分権時代にふさわしく市長の権限を分けて、こんな仕事をやってもらいます。いままでの助役とはどこどこが違います。私はトップセールスをやります。それを原稿に従って読んだら、議場からは、「大事な仕事を2人の副市長にやってもらうんなら、市長はいらないね」という言葉が飛び出してしまいました。
 きょうは本会議が終わったのが午後8時45分頃でした。緊張していたこともあってか会議中は空腹感がなかったものの、終わった途端、食べたくなりました。明日からは党議員団で役割分担をして議会に臨みます。上野こうえつさんの支援と議会活動を両立させるには体力が必要です。家ではしっかり食べ、「飲み」ませんでした。


2007年03月投稿分

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