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糸魚川の新春の集いに参加

 案の定、すごい吹雪になりました。朝の早い時間など、たまに静かな時間帯もあるにはあったのですが、いったん風が吹き始めたら、車の前は真っ白になります。ライトをつけ、ゆっくり走りましたが、「しんぶん赤旗」の日刊紙、それと日曜版20部ほど配達するだけでも2時間半以上もかかってしまいました。残りの40部ほどの日曜版は明日、早朝配達することにしました。
 きょうは、糸魚川の党市委員会などが主催する新春の集いでした。昨年の市議増員選挙のことを中心に吉川の党組織、後援会の活動について話してほしいとの要請があり、後援会の人たちと3人で参加して来ました。高速道路は吹雪で交通止めとなっていましたので、朝9時半に出発して、一般国道を走り、2時間弱で到着しました。まず、明星セメントの近くの食堂で780円の日替わり定食を食べ、腹ごしらえをしました。魚の入ったお汁が美味しかったです。
 集いの会場も現地の人から案内していただいたので、すぐに分かりました。ここまではよかった。会場に着いてから、ハプニングが起きてしまいました。プロジェクターを使い、スライドをみてもらいながら話をする予定だったのですが、使えなかったのです。昨年秋から30数回、問題なく使っていたのに、パソコンからの信号が送れない状態を抜け出すことができずじまいでした。原因は基本的な操作ミスと思われます。このハプニングで、市役所の何人かの職員に助けを求めました。ご迷惑をおかけしました。糸魚川バージョンで作成した18枚のスライド・「2005年2月、越後よしかわに春一番が吹いた」は、苦い思い出と共に残しておきましょう。
 結局、スライドなしで話をすることになりました。想定外の展開に戸惑いましたが、何とか聴いてもらえる内容になったようです。懇親会では、妻と一緒に組合活動していた人や私の高校時代の友人(糸魚川出身)のことを知っている人もいて、楽しい交流ができました。もちろん、初めて話をする人がほとんどです。そのなかに、父親が50年以上も党活動をやっているというIさんがいました。小さい時から、選挙結果を親と共にみていた。地味な活動だったが50年も続けた親父はすごいと思う。彼のそんな話を聴いて、自分もそうなれたらいいな、と思いました。
 「春よ来い」の第62回、「母の自転車」を掲載しました。ご笑覧ください。


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概要

2006年02月04日 00:00に投稿されたページです。

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