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市兵衛先生の49日法要

 「いや本当に申し訳ございません。こんなに大勢集まっていただいて……」そんな市兵衛先生の声が聞こえてくる感じがしました。地元の川谷地区の人々、源小学校時代の同僚、PTAの人たち、旧吉川町の町長、助役などが専徳寺に集まり、故中村市兵衛先生の49日法要が行われました。
 専徳寺のご住職のお経は何十回も聴いていますが、きょうのお経はいつも以上に張りがあって、お御堂に響きました。
 お経が終わって、元源小学校の教頭だった金子昭治先生が市兵衛先生の教育への思い、人柄などを数々のエピソードを交えて語ってくださいました。学校は子どもが中心、子どもがいて、地域の人たちがいて、教職員がいて学校がある。この先生の思いは、先生が作詞された源小学校児童会歌、「山百合会の歌」に盛り込まれています。元気で強く生きる子どもたち、がんばって成長する子どもたちになってほしい気持ちがよく伝わってくる詩です。この歌が出来上がった時、市兵衛先生は金子先生とともに作曲された竹内憲寿先生のところへお礼に行かれます。その時、お礼の印として持参されたのは、地元で採れた長い山芋だったといいます。京都東本願寺の再建に使う大きなケヤキ材を尾神岳中腹でソリで運んでいる際、雪崩が発生し27人が亡くなるという痛ましい事故がありました。明治10年3月12日のことです。このことをへき地教育活動に採り入れ、児童劇にして世間に広めた先生が当時の源小学校におられましたが、その時の校長が市兵衛先生でした。金子先生のお話に惹き込まれ、市兵衛先生を懐かしく思い出しました。
 きょうの法要では村屋の善立寺のご住職・山越さんも専徳寺の松村さんと一緒にお経を読まれました。山越さんのお父上が1日に亡くなられ、明日が葬儀です。そうしたなかでシャンとしてお経を読んでおられる姿にも心をうたれました。山越さんの葬儀には私も参列する予定です。


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2008年11月03日 23:42に投稿されたページです。

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